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晴れた空に、夢は消えてゆく

晴れた空に、夢は消えてゆく

By:  ゆうしょうCompleted
Language: Japanese
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東都市にその名を轟かせる浅井家と松永家は、代々続く宿敵同士だ。 浅井家には、決して松永家の人間と縁組をしてはならない、という家訓まである。 それなのに、浅井家の跡継ぎである浅井龍一は、あろうことか松永家に残された一人娘、松永清良に恋をしてしまった。 彼女と結ばれるため、彼は相続権を放棄し、家法として三十発もの杖刑を受け、血を吐きながらも三日三晩、祠堂で跪き続けた。それでも龍一は、清良に向かって微笑んだのだ。 「心配すんな。誰にも俺たちが一緒になるのを止められないさ」 その後、浅井家はついに折れ、二人が駆け落ちすることを認めた。ただし、一つだけ条件を付けた。 それは、龍一が、彼らの選んだ嫁候補・水野美佐子との間に跡継ぎをもうけること。 松永家の人間には、浅井家の子供を産む資格などない、というわけだ。 その日から、龍一が清良に最も多くかけた言葉は、「待ってろ」だった。

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Chapter 1

第1話

東都市にその名を轟かせる浅井家と松永家は、代々続く宿敵同士だ。

浅井家には、決して松永家の人間と縁組をしてはならない、という家訓まである。

それなのに、浅井家の跡継ぎである浅井龍一(あさい りゅういち)は、あろうことか松永家に残された一人娘、松永清良(まつなが きよら)に恋をしてしまった。

彼女と結ばれるため、彼は相続権を放棄し、家法として三十発もの杖刑を受け、血を吐きながらも三日三晩、祠堂で跪き続けた。それでも龍一は、清良に向かって微笑んだのだ。

「心配すんな。誰にも俺たちが一緒になるのを止められないさ」

その後、浅井家はついに折れ、二人が駆け落ちすることを認めた。ただし、一つだけ条件を付けた。

それは、龍一が、彼らの選んだ嫁候補・水野美佐子(みずの みさこ)との間に跡継ぎをもうけること。

松永家の人間には、浅井家の子供を産む資格などない、というわけだ。

その日から、龍一が清良に最も多くかけた言葉は、「待ってろ」だった。

一度目は、美佐子を妊娠させるまで待ってろ、と。

そして彼は三十三回、彼女とベッドを共にした。美佐子が彼の子供を身ごもるまで。

二度目は、生まれてきたのが娘だったから、浅井家が息子を欲しがっているから、と。

そして彼はまた三十三回、彼女とベッドを共にした。美佐子が再び身ごもるまで。

ようやくこの苦しみから解放されると思った矢先、龍一と美佐子の娘の百日祝いの席で、赤ん坊の体中が傷だらけになっているのが見つかった。誰もが、清良の仕業だと決めつけた。

美佐子はナイフを掴むと、狂ったように彼女に襲いかかり、その体を切りつけながら、張り裂けんばかりの声で泣き叫んだ。

「私のことが憎いなら私を恨んで!なんで子供に手を出すのよ!」

龍一の両親は激怒した。

「子供に手を出したからには、その落とし前をつける覚悟はできているのだろうな!」

清良は人前で服を剥ぎ取られ、警備員がフルーツナイフを手に、赤ん坊の傷をなぞるように、しかしそれ以上に深く、彼女の体を切り刻んでいった。

床に血が広がる。清良が顔を上げると、龍一が震える手で子供を抱いているのが見えた。かつては愛に満ちていた彼の瞳は、今や骨の髄まで凍りつくような冷たさだけを宿していた。

血の涙を流す彼女の視線を受け止めても、龍一の目は失望に満ちていた。かすれた声で、彼は言った。

「もう少し待ってろって言ったはずだ。俺の子に手を出すべきじゃなかった」

なんてこと……「俺の子」、か。

清良は痛みで息が詰まる。体に刻まれる無数の傷の痛みなど、胸の痛みの万分の一にも及ばない。

ふと、彼女は思い出した。

かつて、龍一は彼女の両親の墓前で誓った。

「この生涯、清良ただ一人を愛し、誰にも彼女を傷つけさせないと誓います」

かつて、龍一は激しく体を重ねた後で約束した。

「両親がどんな手を使ってきても、俺は他の誰も求めない。他の女と子供なんて作るものか」

かつて、龍一はオーロラの輝きの下で保証した。

「清良がいつでも一番だ。何があっても、彼女を待たせたりしない」

三つの誓いを、彼はことごとく裏切った。

今、彼は美佐子の隣に立ち、その腕に二人の子供を抱き、まるで悪意に満ちた他人でも見るかのような目で、彼女を見ている。

意識が遠のく瞬間、彼女は龍一の冷たい顔を見つめ、心が完全に砕けた。

もう、待たない。

目を覚ました清良は、すぐに龍一の母・浅井恵子(あさい けいこ)に電話をかけた。

「龍一から離れます。でも、一つだけお願いがあります」

その声には何の感情もなく、死のような静けさが漂っていた。

「龍一が、永遠に私を見つけられないようにしてください」

電話の向こうから、恵子の嘲笑が聞こえる。

「ようやく現実を理解したようね。松永家が破産したからどうこう言う以前に、たとえ松永家のお嬢様のままでも、浅井家はあなたなど認めないわ。

半月後には発ちなさい。自分の言ったことを忘れないで。二度と息子に付きまとわないことね!」

電話が切れると同時に、病室のドアが開いた。清良が目をやると、指先が微かに震えた。

美佐子が子供を抱き、龍一がその彼女を抱きしめている。どこからどう見ても、仲睦まじい家族三人の姿だった。

彼女の視線に気づいた龍一は一歩前に出て、まるで条件反射のように美佐子と子供を背後にかばった。

「先に検査に行ってろ」

その警戒心に満ちた眼差しが、ナイフのように清良の胸に突き刺さる。

彼女が、彼の子供を傷つけるとでも思っているのだ。

龍一は、清良を信じていない。

かつて「永遠にお前を一番愛してる。無条件にお前を信じる」と言った男が、今ではまるで殺人犯を見るような目で彼女を見ている。

美佐子が去ると、龍一はようやくベッドのそばに座り、彼女の手を握った。

「傷はもう手当てしてある。医者には一番いい薬を使わせたから、傷跡は残らないよ」

清良の胸はますます締め付けられた。目を赤くし、力強くその手を振り払った。

龍一は一瞬戸惑い、眉をひそめて説明を始めた。

「朝のあの状況で、お前の肩を持てば持つほど、罰は重くなるだけだったんだ。

それに、俺たちはもうすぐここを離れるんだ。どうして今更あんなことを……子供は無実だろ、お前は……」

「私じゃない!」

清良は赤い目で彼を見つめ、言葉を強めた。

「龍一、信じてくれないの?」

龍一は彼女の目を見て、言葉を失った。

二秒の沈黙の後、清良の背中を撫でてなだめるように言った。

「もう終わったんだ。どうでもいいことさ」

清良は目を伏せ、涙がこぼれ落ちた。

どうでもいいこと。

その言葉が、彼女の最後の期待を打ち砕いた。

結局、彼は信じないのだ。

龍一は清良の髪を優しく撫で、立ち上がった。

「今夜、オークションがあるんだ。気分転換に連れて行ってあげるよ」

夕方、車が病院の前に停まった。

窓が下ろされると、助手席には美佐子が座っていた。

龍一が説明する。

「美佐子も行きたいって言うから。彼女は妊娠してるし、助手席の方が楽なんだ」

清良はうなずき、黙って後部座席に乗り込んだ。

オークションが半ばに差し掛かった頃、ブルーサファイアのネックレスが出品された。

それを見た瞬間、清良の瞳孔が収縮し、思わず龍一の袖を掴んで札を上げた。

それは彼女が生まれた時に祖母からもらったもので、後に祖母が重病になった時、薬代のために手放した、祖母の心残りの品だった。

美佐子はちらりと視線を動かし、それに続いて札を上げる。

三度の入札後、龍一は「誰が入札しても、それを上回る金額で入札する」と宣言した。最後にネックレスを競り落とすと、それを美佐子の手に渡した。

パタン。

清良の手から札が滑り落ちた。

彼女は龍一の袖を引き、目を真っ赤にして訴えた。

「龍一、このネックレスのこと、あなたに話したじゃない。これがどんなに――」

「分かってる」

龍一は冷たく彼女の言葉を遮った。

「美佐子が気に入ったんだ。お前から彼女へのお詫びの品だと思えばいい。このネックレスは子供に贈るのに丁度いい。いずれ俺の子に…」

「ダメ!」

清良は声を張り上げ、ネックレスを奪い取ろうとした。

しかし、美佐子は突然よろめいて後ろに倒れ、お腹を押さえて苦痛の声を上げた。

「お腹が……」

「清良っ!」

龍一は真っ先に彼女を突き飛ばし、その目は冷たく険しかった。

「たかがネックレスの一つで、いつまで騒ぐ気だ!?」

彼の力はあまりに強く、清良の額はそばの柱に叩きつけられ、鮮血が噴き出した。

それでも龍一は振り返りもせず、美佐子を抱きかかえて外へと駆け出していった。

「龍一……」

美佐子は彼の腕の中で弱々しく泣いた。

「赤ちゃん、大丈夫かしら……」

「大丈夫、俺がいる」

龍一の声は、耳障りなほど優しかった。

「俺がお前たちを守る。お前にも、お腹の子にも、何もさせない……」

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第1話
東都市にその名を轟かせる浅井家と松永家は、代々続く宿敵同士だ。浅井家には、決して松永家の人間と縁組をしてはならない、という家訓まである。それなのに、浅井家の跡継ぎである浅井龍一(あさい りゅういち)は、あろうことか松永家に残された一人娘、松永清良(まつなが きよら)に恋をしてしまった。彼女と結ばれるため、彼は相続権を放棄し、家法として三十発もの杖刑を受け、血を吐きながらも三日三晩、祠堂で跪き続けた。それでも龍一は、清良に向かって微笑んだのだ。「心配すんな。誰にも俺たちが一緒になるのを止められないさ」その後、浅井家はついに折れ、二人が駆け落ちすることを認めた。ただし、一つだけ条件を付けた。それは、龍一が、彼らの選んだ嫁候補・水野美佐子(みずの みさこ)との間に跡継ぎをもうけること。松永家の人間には、浅井家の子供を産む資格などない、というわけだ。その日から、龍一が清良に最も多くかけた言葉は、「待ってろ」だった。一度目は、美佐子を妊娠させるまで待ってろ、と。そして彼は三十三回、彼女とベッドを共にした。美佐子が彼の子供を身ごもるまで。二度目は、生まれてきたのが娘だったから、浅井家が息子を欲しがっているから、と。そして彼はまた三十三回、彼女とベッドを共にした。美佐子が再び身ごもるまで。ようやくこの苦しみから解放されると思った矢先、龍一と美佐子の娘の百日祝いの席で、赤ん坊の体中が傷だらけになっているのが見つかった。誰もが、清良の仕業だと決めつけた。美佐子はナイフを掴むと、狂ったように彼女に襲いかかり、その体を切りつけながら、張り裂けんばかりの声で泣き叫んだ。「私のことが憎いなら私を恨んで!なんで子供に手を出すのよ!」龍一の両親は激怒した。「子供に手を出したからには、その落とし前をつける覚悟はできているのだろうな!」清良は人前で服を剥ぎ取られ、警備員がフルーツナイフを手に、赤ん坊の傷をなぞるように、しかしそれ以上に深く、彼女の体を切り刻んでいった。床に血が広がる。清良が顔を上げると、龍一が震える手で子供を抱いているのが見えた。かつては愛に満ちていた彼の瞳は、今や骨の髄まで凍りつくような冷たさだけを宿していた。血の涙を流す彼女の視線を受け止めても、龍一の目は失望に満ちていた。かすれた声で、彼は言った。
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第2話
二人が飛び出していった時も、清良の額からは血が流れ続けていた。しかし、彼の慌ただしい背中は一度も振り返らなかった。まるで彼の世界には、美佐子と彼女の子供しか存在しないかのように。清良の視線は、床に投げられたネックレスに移った。ふと、うつむいて狂ったように笑い出し、大粒の涙が次々とこぼれ落ちた。ふと思い出した。以前、龍一もこんな風に自分を心配してくれたことがあった。大学時代、ある生徒の家で家庭教師をしていた時のことだ。生徒の父親に下心を持たれ、傷だらけで逃げ出したところで、書類を取りに家に戻ってきた龍一に偶然出会った。彼は彼女を助け、自分の名刺を差し出した。「困ったことがあったら、俺に連絡して」清良は彼の熱烈な視線からその意図を読み取った。彼女は名刺を受け取ったが、一度も龍一に連絡することはなかった。一ヶ月後、龍一は清良の寮の前に現れた。車いっぱいの花束と宝石を積んでいる。清良は再び彼を拒絶した。その日から、龍一は本気で彼女に尽くし始めた。清良がブランド物のバッグを拒めば、彼はネットで作り方を学び、手作りのバッグを編んでプレゼントした。彼のスーツ姿を派手すぎると言えば、龍一は毎日大学生のような格好で大学に現れ、大学生がするようなことを一緒に楽しんだ。彼女がパパ活をしているという根も葉もない噂を流されると、彼は学校の創立記念式典で、結婚を前提に彼女にアプローチしていると公言した。三ヶ月で、清良の心は完全に陥落した。二人の格差や未来のことなど考えたくなかった。ただ、忘れられないような恋がしたかった。しかし、すぐに恵子が現れた。彼女は浅井家と松永家の何世代にもわたる愛憎劇と、浅井家の家訓について語った。清良はこの恋を諦め、交換留学生として海外へ行くことを選んだ。だが一年後、彼女が帰国すると、空港の到着口で龍一が待っていた。彼は目を赤くしていた。「清良……一年経っても、お前を忘れられない」龍一は力強く彼女を抱きしめた。その力は、まるで彼女を自分の体に溶かしてしまわんばかりだった。「家訓がなんだ、浅井家の跡継ぎがなんだ。そんなものどうでもいい。お前だけが欲しい」その帰り道、交通事故に遭った。絶体絶命の瞬間、彼はハンドルを切り、身を挺して清良を守った。血まみれで意識を失う時でさえ、
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第3話
それから数日間、清良のもとには美佐子から挑発的な写真が毎日のように送られてきた。写真の中では、龍一が娘を優しくあやし、美佐子が彼の肩に寄りかかって甘く微笑んでいる。清良は指先が白くなるほど強く握りしめ、震える手で一枚一枚写真をスワイプした。家族三人で抱き合う写真、夜中に病室のベッドで寄り添って眠る二人の写真、彼が彼女に甲斐甲斐しく食事をさせている写真。清良は一つの動画を開いた。動画の中では、龍一が足湯の桶を持って、美佐子の足を洗っていた。彼女の甘ったるい声が聞こえる。「龍一、ありがとう」龍一はカメラを見上げ、穏やかな口調で言った。「お前は子供の母親なんだ。妊娠は大変だろう、これは俺がすべきことだよ」清良の心は、誰かに引き裂かれたようだった。涙が瞬時に溢れ、携帯が床に叩きつけられた。彼女は震える手でそれを拾い、美佐子をブロックしようとしたその時、新しい写真が届いた。それは、自分が龍一の隣で寝ている、プライベートな写真だった!【この写真を取り返したかったら今すぐ来なさい。さもなければ明日、これをネットニュースのトップにしてやるわ】清良は勢いよく立ち上がった。目の前が真っ暗になり、よろめきながら美佐子の病室へと駆け込んだ。病室では、美佐子が子供を抱いて窓際に立ち、口元に楽しげな笑みを浮かべていた。清良の姿を見ると、彼女の笑みはさらに深まった。「私が送った写真と動画、見たかしら?龍一はね、私が心配で毎日病院に泊まり込んでるのよ。それに、私が望むなら毎日でも足を洗ってくれるって」清良は爪が手のひらに食い込むほど強く握りしめ、言葉を遮った。「写真を消して」美佐子は笑みを崩さない。「その写真がどこから来たか、気にならない?龍一がくれたのよ。彼、あなたがベッドの上では……」「もうやめて!」清良は目を血走らせ、鋭く言い放った。「どうすれば消してくれるの」美佐子は笑みを消し、残酷に唇を歪めた。「そうね、ひざまずいて土下座して、自分が卑しい女だと認めなさい。そうしたら消してあげる。どう?」清良は怒りで全身が震えた。「いい加減にして!」「私がいい加減にしたら、どうなるっていうの?」美佐子は侮蔑に満ちた目で見下した。「龍一の婚約相手は私なのよ!あなたみたいな恥知らず
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第4話
目を覚ました時、清良は病室のベッドにうつ伏せになっていた。背中から内臓の奥まで、息もできないほどの痛みが走る。「清良!」龍一がすぐに駆け寄り、血走った目に心配の色を浮かべた。「大丈夫か?まだ痛むか?」清良は彼の心配そうな様子を見て、少しぼうっとした。以前、肺炎で入院した時も、彼はこうして一睡もせずにベッドのそばにいて、目を真っ赤にして看病してくれた。しかし今、彼女が入院している理由は、彼の両親に押さえつけられて三十発も杖で打たれたからだ。そして彼はその場にいて、終始、冷ややかに傍観していた。清良は目を閉じ、会話を拒絶した。龍一は一瞬こわばり、再び説明を始めた。「俺を責めているのは分かる。でも、あの状況で俺が助けようとしたら――」「龍一」清良は聞きたくなかった。声はかすれていた。「あなたも、私が美佐子親子を飛び降りさせようとしたって、そう思うの?」龍一の喉がごくりと鳴り、最終的に沈黙を選んだ。空気が一瞬で凍りついたようだった。清良は目の前のベッドの板を見つめ、声を詰まらせた。「龍一、覚えてる?どんな状況でも、私を信じるって言ってくれたじゃない」「清良」龍一は眉間を揉み、彼自身も気づかないほどの怒りと苛立ちを声に含ませた。「あの時はあんなに危険な状況だったんだ。美佐子は妊娠もしてる。彼女は母親なんだぞ。まさか自分の二人の子供の命を使って、お前を陥れるなんてことがあると思うか!俺たちはもうすぐここを離れられるんだ。どうしてわざわざこのタイミングでこんなことをするんだ?美佐子たちの存在を我慢できないのは分かる。でも、彼女たちだって何の罪もないじゃないか」清良の涙が、ふいにこぼれ落ちた。もう痛みは感じないと思っていたのに、心臓はまだぎゅっと締め付けられる。龍一の目には、彼女はもう理不尽で、手段を選ばない悪女にしか映っていないのか。慌てて顔の涙を拭い、彼に惨めな姿を見せたくなかった。「もう帰って」声が震えた。「清良、もう少しだけ待っててくれないか?」彼の声が和らいだ。「すぐに、昔に戻れるから」昔に戻る?清良は目を閉じた。胸に苦いものがこみ上げてくる。もう戻れない。龍一には他の女がいて、二人の子供がいる。何度も他人のために自分を傷つけ、見捨て
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第5話
土砂降りの雨が、一瞬にしてずぶ濡れにした。ショッピングモールはすでに閉まっており、清良は軒下の柱の陰に隠れ、携帯でタクシーを呼ぶしかなかった。風雨はますます強まり、道端の大木は折れ、通りには一台の車もなかった。清良は顔面蒼白になり、全身を震わせ、だんだんと立っていられなくなった。突風に巻き上げられそうになったその時、彼女は蒼白な顔でこちらへ必死に走ってくる龍一の姿を見た。龍一は清良の足を掴み、力ずくで引き戻した。そして強く抱きしめた。その腕は、九死に一生を得た恐怖と安堵で震えていた。「もう少しで……間に合って、よかった……」清良は両腕をだらりと下げ、彼に抱かれるまま、その瞳は虚ろだった。車を風の当たらない場所に停め、龍一は彼女を車の中に避難させた。清良の濡れた服を着替えさせ、お湯を口元に運び、まだ震えている彼女を膝の上に乗せると、背中を優しく叩いてあやした。寒さと恐怖のせいか、帰り道で清良は高熱を出した。朦朧とする意識の中、自分が優しくベッドに寝かされるのを感じた。龍一がそばにいて、絶えず冷たい水で体を拭き、熱を下げようとしてくれている。そういえば、以前熱を出すたびに、彼はいつもこうして看病してくれた。目が覚めると、龍一がすぐに寄ってきて彼女の額に手を当てた。「微熱に下がったな」彼はほっと息をつき、そばに温めてあったお粥を差し出した。「少し食べなよ」清良は全身に力が入らず、彼の手を借りて半分ほど食べた。彼がしきりに時間を気にしているのを見て、自分から口を開いた。「もう行っていいわよ」龍一はすぐにお粥を置いた。「水と薬は枕元に置いておくから、時間通りに飲むんだぞ。美佐子は妊娠中で、家には赤ちゃんもいる。お前は数日間、部屋から出ないでくれ。彼らにうつるといけないからな。ドアは外から鍵をかけておく。食事は使用人が運んでくる」そう言うと、彼は振り返りもせず、早足で去っていった。ドアに鍵がかかる音がした。ドアの外からは、赤ちゃんのコロコロとした笑い声が聞こえ、龍一は笑いながら言った。「愛美ちゃん、パパに会いたかったんだろう?パパも会いたかったよ。でもまだ抱っこできないんだ。パパは今、感染源に触れたばかりだから、お風呂に入ってからじゃないと、抱っこできないんだよ……」感染源?
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第6話
豪華な宴会場で、浅井家の祖母・浅井千鶴(あさい ちずる)はずっと、美佐子をそばに置いていた。美佐子と彼女が抱く子供は、会場中の注目の的だった。「こちらが浅井家のお孫さんのお嫁さんですか。本当に気品があって美しい。これほどの令嬢こそ、浅井家の若様にふさわしいですな」「浅井家にはまたすぐにお世継ぎが増えるのでしょう?こんな素晴らしいお嫁さんを見つけられて、本当にお幸せですね」お祝いの贈り物はすべて、千鶴がその場で美佐子に渡した。「浅井家にこんなに可愛い孫娘を産んでくれてご苦労様。浅井家はあなたを決しておろそかにはしないわ」千鶴は、精巧な彫刻が施された古びた木箱を取り出した。箱を開けると、その中には宝石がびっしりと嵌め込まれた美しい腕輪があった。千鶴は腕輪を手に取り、周囲を見渡し、隅にいる清良に視線を定めた。「浅井家の家宝であるこの宝石の腕輪は、浅井家が認めた孫嫁にしか渡さない」腕輪は龍一に手渡された。「龍一、さあ、あなたの妻につけてあげなさい」……妻。清良の爪が手のひらに食い込み、その視線は龍一に向けられた。彼は二秒ほど沈黙した後、笑みを浮かべて受け取り、ゆっくりと腕輪を美佐子の手首にはめていった。会場は感嘆の声と祝福の拍手に包まれ、清良もそれに合わせて拍手をした。心の中の最後の期待が、ぷつりと消えてしまった。帰り道、美佐子は助手席に座り、楽しそうに龍一と宴会での出来事を話していた。清良は後部座席で黙って座り、まるで透明人間だった。龍一の視線が、バックミラー越しに時折彼女に向けられた。キキーッ!耳をつんざくような急ブレーキの音。対向車線を走っていたトラックが突然コントロールを失い、ブレーキをかけながらこちらに突っ込んできた。絶体絶命の瞬間、龍一は急ハンドルを切った。ドン!車のフロントがトラックに衝突し、エアバッグが展開した。清良の腕に鋭い痛みが走り、血が噴き出した。心臓が数拍止まり、彼女は急いで車を降りて運転席のドアを開けた。「龍一、大丈夫――」龍一は彼女を突き飛ばし、狂ったように飛び出すと、助手席のドアを開けた。清良は激しく地面に突き倒され、腕はアスファルトで大きく擦りむけた。彼女は呆然と見つめていた。龍一は目を血走らせて美佐子を抱き下ろし、道路に飛び出して車を
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第7話
「何ですって?」清良の頭は真っ白になった。「父さんたちが調べた。お前がトラックの運転手を買収して、事故を偽装させたと。美佐子を傷つけようとする奴なんて、清良、お前以外にいない」彼は眉間を揉み、その鋭い眼差しは失望へと変わっていった。「そんなに美佐子が憎いのか。俺の身の安全さえも顧みずに?」清良は全身が冷たくなり、布団を握る指の関節が白くなった。震える声で言った。「私じゃない」その声は、崩れ落ちそうな泣き声だった。「私じゃない!私じゃないわ!今回も、前回も、その前の時も、私じゃない!龍一、どうして私を信じてくれないの!?」龍一の目は氷のように冷たく、その口調には怒りと苛立ちが混じっていた。「いつも信じろと言う。でも毎回、人証も物証も揃っているのに。どうやって信じろって言うんだ?何度も言ったはずだ。美佐子と一緒にいるのは子供のためだけだと。どうしてお前は事を荒立てるんだ?俺がしていることは全て、ここを離れるため、俺たちの未来のためなんだ!清良、お前がこんなことをして、美佐子の子供を流産させて、俺たちに何の得があるんだ」清良の胸は激しく上下し、数えきれない怒りと悔しさが喉に詰まったが、最後にそれを飲み込んだ。底知れぬ疲労感が、体中を覆い尽くした。彼女は赤い目で、一言一言、静かに言った。「龍一、別れましょう」龍一ははっと固まり、瞳孔が収縮し、震える声で尋ねた。「何を言ってるんだ?」「私たち、別れましょうって言ったのよ」清良は彼を見つめ、その瞳はまるで死んだ水たまりのようだった。「身を引くわ。あなたたち家族四人の幸せを祈ってる。これからは、あなたたちもビクビクする必要はないわ」ドン!龍一はそばにあった薬品棚を蹴り倒した。清良の手首を掴み、その目には怒りの炎が燃え盛っていた。「何を言っているか分かっているのか!俺が愛しているのはずっとお前だけだ。全てはお前のためにやってきたんだ。それなのに、俺と他の女の仲を取り持とうとするのか?」清良は平静な目で彼を見つめ、一言も発しなかった。長い沈黙の後、龍一は深呼吸をし、心中の怒りを無理やり抑え込むと、彼女を腕の中に抱きしめた。「今までの件、ここで終わりにしよう。な?もう喧嘩はやめよう。この件はこれで終わりだ。美佐子もこれ以上は追
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第8話
その頃、高級仕立てのスーツに身を包み、控え室で準備をしていた龍一の胸に、ふと不吉な予感が走った。言いようのない胸騒ぎ。大切な何かを失ったようなその恐慌感に、彼の動きは一瞬止まり、心ここにあらずといった状態になった。前回こんな感覚に襲われたのは、清良が留学した時だった。心臓が数回、速く脈打つのを感じ、彼は携帯を手に取り、電話をかけようとした。「龍一――」ウェディングドレスを身にまとい、精巧なメイクを施した美佐子が控え室のドアを開け、優しく微笑んだ。「準備できた?お父さんとお母さんが、お客様を迎えに出てほしいって」龍一は携帯を見つめたまま二秒ほど沈黙し、胸の中の不安を無理やり押し殺した。「今行く」もう少しの辛抱だ。二年も耐えてきたんだ。今更この一瞬を惜しむことはない。この結婚式さえ終われば、彼らはここを去ることができる。土壇場でしくじるわけにはいかない。浅井家と水野家の結婚式は、これ以上ないほど豪華に執り行われ、招待客も政財界の名士ばかりだった。メディアまで呼んでいた。龍一はその大げさな様子を見て、眉をひそめて尋ねた。「控えめにすると言っていなかったか?」恵子が近づいてきて、彼を客への挨拶に引きずりながら、合間に答えた。「浅井家はもう十分に美佐子をないがしろにしてきたわ。この結婚式は、美佐子は我が浅井家の嫁だと、皆に知らしめたいの。どうせ式が終わればあなたは清良と駆け落ちするんでしょう。こんなこと、あなたには何の影響もないわ」その言葉を聞いて、龍一の心はようやく落ち着いた。そうだ、これが彼が結婚式に同意した取引なのだ。彼が美佐子に結婚式という区切りを与え、彼女と子供にけじめをつければ、清良が自分を殺害しようとした件を追及せず、子供の出産まで待つ必要もなくなる。彼はすぐにでも清良を連れてここを去ることができるのだ。これが、今日清良に贈るサプライズになるはずだった。そう思うと、龍一は非常に協力的になった。結婚式が始まり、照明が落ちた。龍一は壇上に立ち、宴会場の大きな扉がゆっくりと開かれ、美佐子が音楽に合わせて優雅に入場してくるのを見つめていた。その瞬間、龍一は少しぼうっとした。視線は彼女を通り抜け、まるで別の女性を見ているかのようだった。最も愛する女性、清良。彼女
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第9話
子供はもういる。それなのに、なぜ美佐子と結婚式を挙げ、清良に何度も譲歩させなければならないのか?一体何が、彼をここまで縛り付けていたのだろう?彼の視線が美佐子に向けられる。彼女の目からはすでに涙がこぼれ落ち、手は絶えずお腹をさすっていた。客席の両親は、今にも壇上に駆け上がってきそうなほど焦っている。娘は腕に抱かれ、興味津々に彼を見つめていた。龍一の足が外側に一歩動いたが、無理やり押さえつけられた。目を赤くし、歯の隙間から一言を絞り出した。「はい、誓います」「水野美佐子様、あなたは浅井龍一様を夫として迎え、富む時も貧しい時も、健康である時も病める時も、相手が最も必要とする時に、変わらず支え合い、永遠に共に歩んでいくことを誓いますか?」「はい、誓います!」美佐子はわずかに顔を上げ、恥じらいを含んだ表情で彼を見つめた。その丹念に描かれた瞳には、未来への純粋な期待が満ちていた。龍一は目をそらした。その後の進行を、龍一は糸の切れた操り人形のようにこなしていった。指輪交換の時、彼の手はかすかに震え、三度も試みて、ようやく指輪を美佐子の薬指にはめることができた。そして、彼の薬指に指輪がはめられた時、指の付け根にアリが這うような痛みとかゆみが走り、思わず薬指を曲げてしまった。キスの場面では、龍一は美佐子の唇に軽く触れるだけ。頭の中では初めて清良とキスした瞬間が蘇ってきた。学校の、夕暮れのグラウンドで。美しく、そして短かったそのキスは、彼を長い間興奮させた。しかし今、目の前の新婦を見て、彼の唇はまるで毒を塗られたかのように、ひりひりと痛んだ。「お二人が夫婦となられたことを祝福し、末永いお幸せをお祈りいたします」やっと終わった!龍一は皆の驚きの声の中、壇上から飛び降りた。美佐子が手を伸ばして引き留めようとしたが、彼の服の裾に触れることしかできなかった。恵子が金切り声で叫んだ。「龍一!まだ祝杯があるのよ!」彼は目の前に立ちはだかる両親を押しやり、次々と邪魔をする警備員を突き飛ばし、足取りはどんどん速くなり、最後には走り出した。胸につけた花も、ネクタイも、スーツの上着も、すべて地面に投げ捨てられ、無情に踏みつけられていった。素早く車のドアを開け、アクセルを強く踏み込み、追いかけてきた人々の目の前
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第10話
吹き抜ける風が紗のカーテンを揺らし、清良が窓辺に置いていた本をめくった。しかし、彼が彼女のために設計した、清良が一番気に入っていたその場所には、彼女の姿はなかった。部屋には誰もいない。龍一は心臓が一瞬止まったように感じ、ドアノブを握っていた手は力なく垂れ下がった。はっと振り返り、階段を駆け上がった。サンルーム、ジム、シアタールーム、テラス、物置室……別荘の隅々まで、彼は念入りに探し回った。恐怖と焦りが絶えず広がり、龍一の動きはますます荒々しく、乱暴になっていった。突然、リビングのテーブルを蹴り倒し、そばで戦々恐々としていた執事を掴んだ。「清良はどこだ!二十四時間付き添うように言っておいただろう!どこへ行ったんだ!」執事は驚き、どう言えばいいかためらっていた。その時、恵子が外から入ってきて、冷たい目で彼を見つめた。「探す必要はないわ。清良はもう行ったわよ」「行った?」龍一の瞳孔が縮み、頭の中は真っ白になった。耳元には自分の鼓動だけが鳴り響いていた。ありえない!清良が自分から去るなんてことがあるものか!あんなに愛していた。一緒になるためなら、何度も自分の限界を下げて、自分は他の女と子供を作るのを黙って見ていた。もし去るつもりなら、彼が両親に妥協して、美佐子と子供を作ると言った時に、とっくに見切りをつけて去っていたはずだ。こんなに長い間、優しく待ち続けることなどなかったはずだ。龍一の目が鋭くなり、完全に冷え切った。「母さんたちが、清良を追い出したんだな?」声が震えた。「俺はもう何度も妥協してきた。母さんたちの言うことは全部やった。これ以上、何を望むんだ?結婚式が終われば清良を連れて行っていいと、言ったんじゃないか。どうして今更、俺に隠れて清良を追い出すような真似をするんだ!」彼の声は突然高くなり、心の中に溜め込んでいた怒りを全てぶちまけた。「龍一!」恵子が声を張り上げて怒鳴った。「その態度は何よ!私は母親よ!」龍一の目は血走っていた。「母親だから、母さんと父さんのせいで、俺は何度も妥協して、一番愛する女を傷つけ続けたんだ!清良を探しに行く!」龍一は勢いよく階段を駆け下りたが、速すぎたため足を踏み外し、転げ落ちた。それでも立ち上がり、ドアの外から十数人の警
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