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尽くす妻、卒業!二度目の人生は夢を掴む

尽くす妻、卒業!二度目の人生は夢を掴む

Oleh:  星摘み人Tamat
Bahasa: Japanese
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表彰された日、今井充(いまい みつる)はテレビ報道の生放送で、赴任地に同行していた同僚医師、陣内蛍(じんない ほたる)へ、情熱的な愛を告白した。 「陣内さんがいなければ、俺はとっくに嵐に飲まれて海で命を落としていました。彼女は、俺の命の恩人であり、誰よりも大切な人なんです」 一方で、そのころ彼の妻である今井菖蒲(いまい あやめ)は、充の両親の世話と子育てに明け暮れていた挙句の果て、長年の無理がたたって、すでに虫の息でベッドに横たわっていたのだった。 そんな彼女は20年も尽くしてきたのに、夫から感謝の言葉ひとつももらえないなんて、思ってもみなかった。 そして、追い打ちかけるかのように、息子・今井大輔(いまい だいすけ)の一言が、彼女の心を砕け散る、最後の一撃になった。 「お母さん、見てよ。お父さんと蛍おばさん、すっごくお似合いだよね。だからもう、早くお父さんと別れてあげなよ」 それを聞いて、菖蒲は怒りと絶望のあまり、深い後悔に苛まれながら息を引き取った。 次に目を開けたとき、彼女は充が海上基地へ赴任する、その前日に戻っていた。 今度こそ、夫の帰りを待ち続けるだけで、名もなき存在として人生を終わらせたくない、そう菖蒲は思った。 そうだ、自分には、大空を目指すという夢があったんだ。

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Bab 1

第1話

表彰された日、今井充(いまい みつる)はテレビ報道の生放送で、赴任地に同行していた同僚医師、陣内蛍(じんない ほたる)へ、情熱的な愛を告白した。

「陣内さんがいなければ、俺はとっくに嵐に飲まれて海で命を落としていました。彼女は、俺の命の恩人であり、誰よりも大切な人なんです」

一方で、そのころ彼の妻である今井菖蒲(いまい あやめ)は、充の両親の世話と子育てに明け暮れていた挙句の果て、長年の無理がたたって、すでに虫の息でベッドに横たわっていたのだった。

そんな彼女は20年も尽くしてきたのに、夫から感謝の言葉ひとつももらえないなんて、思ってもみなかった。

そして、追い打ちかけるかのように、息子・今井大輔(いまい だいすけ)の一言が、彼女の心を砕け散る、最後の一撃になった。

「お母さん、見てよ。お父さんと蛍おばさん、すっごくお似合いだよね。だからもう、早くお父さんと別れてあげなよ」

それを聞いて、菖蒲は怒りと絶望のあまり、深い後悔に苛まれながら息を引き取った。

次に目を開けたとき、彼女は充が海上基地へ赴任する、その前日に戻っていた。

今度こそ、夫の帰りを待ち続けるだけで、名もなき存在として人生を終わらせたくない、そう菖蒲は思った。

そうだ、自分には、大空を目指すという夢があったんだ。

……

特殊部隊の基地。

責任者・松浦弘(まつうら ひろし)が、厳しい表情で菖蒲を見ていた。

「今井さん、まずは試験合格おめでとう。君はこの任務において、初の女性パイロットとして就任することができた!

だが、パイロットというのは厳しいポジションだ。合格してからも、君にとっての長くてきびしい訓練が待っている。本当に覚悟はできているのか?」

弘が心配しているのは分かった。でも、菖蒲の瞳は固い決意に燃えていた。

「女性だって、実力はあります。私も任務遂行のために、貢献したいんです。

それに、父は生前、この国で優秀なパイロットでした。父の名に恥じぬよう、必ず成し遂げてみせます!」

それを聞いて、弘は彼女の言葉に納得し、感心したようにうなずいた。

「よく言った!今井さん、ただ……」

弘は何かを思い出したように、少し言いにくそうに続けた。

「そうなると、15日後、君たちは京市で訓練が始まる予定だが、ご主人もまもなく他の現場へ赴任するはずだ。夫婦が離ればなれになるのに……彼は承諾してくれそうなのか?」

それを聞いて、菖蒲の顔から明るい表情が消え、口元に寂しげな笑みが浮かんだ。

「彼にとっては、私が家からいなくなるのは、むしろ好都合だと思います」

だって前世で、充はたった一人だけ家族を連れて行ける権利を、同じ部隊に所属していた医師の蛍に譲ってしまったのだから。

それから20年間、彼が家に帰ってきたのはたったの2回だけだった。

1回目は、息子の大輔が成人したとき。

そしてもう2回目は、表彰されたあの日。

それまで、充が赴任地で仕事に集中できるよう、菖蒲は20年間も一人で家を支えてきた。そして、とうとう無理がたたって病に倒れてしまった。

それでも、あの表彰式では、夫が自分の名前を呼んでくれると信じていた。

でも、彼の心の中にいたのは蛍だけで、自分のこれまでの苦労なんて、すっかり忘れられていた。

自分が必死で育てた大輔でさえ、父親には蛍の方がお似合いだと言って、自分を邪魔者あつかいする始末だった。

そのとき、菖蒲は自分の人生が、なんて滑稽だったのかを思い知った。

この家のために、パイロットになる夢を諦めて、一生を捧げてきたというのに。

その結果が、夫の心変わりと、息子からの軽蔑だった。

でも、幸運なことに、自分にもう一度人生をやり直すチャンスが与えられた。

今度こそ、自分は大空を自由に舞う鷹のように、自身のために生き、輝く人生を送りたいと決めたのだ。

それから、申請書を出し終えた菖蒲は、自転車で家へと急いでいると、角を曲がったところで、向こうから歩いてくる三人と、ばったり出くわしてしまった。

夫の充と蛍が、息子の大輔の両手をひいて歩いているのだ。

大輔が何かを夢中で話していて、蛍は笑いながらその頭をなでてあげていた。

そんな二人を、充は穏やかな表情で見つめ、その目には優しい笑みが浮かんでいた。

その三人は、まるで幸せな家族そのものだった。

そして、菖蒲に気づくと、充の顔つきがとたんに険しくなった。

「どこへ行っていたんだ!まだ6歳の大輔が病院で点滴をしているのに、一人にさせておくなんて!」

すると、さっきまで楽しそうに蛍と話していた大輔も、ぴたりと口を閉ざすと、ぷいっと顔をそむけて鼻を鳴らした。

それを見て、菖蒲はぎゅっと拳をにぎりしめ、胸にこみあげる切なさを押し殺した。

「大輔が、私にはそばにいてほしくないって言ったのよ。陣内先生がいいって」

前世でも、蛍が充と一緒に赴任先へ向かう前から、大輔は彼女のことが大好きだった。

その頃の自分は、ただ蛍が子供好きなだけだと思っていた。だから大輔もなついているんだって。

でもまさか、大輔が蛍に、彼の母親になってほしがっていたなんて、思いもしなかった。

なら、今度こそ彼はもう自分が死ぬのを辛抱強く待つ必要はない。

15日後には、その願いは叶うのだから。
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第1話
表彰された日、今井充(いまい みつる)はテレビ報道の生放送で、赴任地に同行していた同僚医師、陣内蛍(じんない ほたる)へ、情熱的な愛を告白した。「陣内さんがいなければ、俺はとっくに嵐に飲まれて海で命を落としていました。彼女は、俺の命の恩人であり、誰よりも大切な人なんです」一方で、そのころ彼の妻である今井菖蒲(いまい あやめ)は、充の両親の世話と子育てに明け暮れていた挙句の果て、長年の無理がたたって、すでに虫の息でベッドに横たわっていたのだった。そんな彼女は20年も尽くしてきたのに、夫から感謝の言葉ひとつももらえないなんて、思ってもみなかった。そして、追い打ちかけるかのように、息子・今井大輔(いまい だいすけ)の一言が、彼女の心を砕け散る、最後の一撃になった。「お母さん、見てよ。お父さんと蛍おばさん、すっごくお似合いだよね。だからもう、早くお父さんと別れてあげなよ」それを聞いて、菖蒲は怒りと絶望のあまり、深い後悔に苛まれながら息を引き取った。次に目を開けたとき、彼女は充が海上基地へ赴任する、その前日に戻っていた。今度こそ、夫の帰りを待ち続けるだけで、名もなき存在として人生を終わらせたくない、そう菖蒲は思った。そうだ、自分には、大空を目指すという夢があったんだ。……特殊部隊の基地。責任者・松浦弘(まつうら ひろし)が、厳しい表情で菖蒲を見ていた。「今井さん、まずは試験合格おめでとう。君はこの任務において、初の女性パイロットとして就任することができた!だが、パイロットというのは厳しいポジションだ。合格してからも、君にとっての長くてきびしい訓練が待っている。本当に覚悟はできているのか?」弘が心配しているのは分かった。でも、菖蒲の瞳は固い決意に燃えていた。「女性だって、実力はあります。私も任務遂行のために、貢献したいんです。それに、父は生前、この国で優秀なパイロットでした。父の名に恥じぬよう、必ず成し遂げてみせます!」それを聞いて、弘は彼女の言葉に納得し、感心したようにうなずいた。「よく言った!今井さん、ただ……」弘は何かを思い出したように、少し言いにくそうに続けた。「そうなると、15日後、君たちは京市で訓練が始まる予定だが、ご主人もまもなく他の現場へ赴任するはずだ。夫婦が離ればなれになるのに
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第2話
一方で、菖蒲がそう言うのを聞くと、充は機嫌を直すどころか、逆に顔をしかめた。「子供がすねて言ったことだろ?そんなことで本気にするなよ」だが、菖蒲は大輔が蛍の手をぎゅっと握っているのを見つめた。そして、彼の幼い顔から、母親である自分に対して強い警戒心を向けているのが見て取れた。まるで次の瞬間、自分が彼を蛍から無理やり引き離すと思っているようだ。前世では、大輔が口でどれだけ蛍になついていても、菖蒲はまったく気にしていなかった。実際彼の心の中では、母親である自分を一番だと思ってくれていると信じていたから。でも今、ハッキリを気が付いた。子供は思ったことと違うことなんて言わない。この子の言葉は全部、本当の気持ちだったんだ。そうこうしていると、蛍は身を屈めて大輔のほっぺを軽くつねった。そして、わざと真面目な顔で話しかけた。「大輔くん、ママのこと怒らないであげて。ママはあなたのお世話で、とっても大変なんだからね」しかし、大輔は悔しそうに口をとがらせながら、不満げな声を漏らした。「でも、すねて言ってるんじゃないもん。僕、おばちゃんと一緒にいたいの。ママなんていらないから」そう言いながら目に涙を浮かべている息子を見て、充は眉をひそめた。そして、菖蒲に更なる不満のまなざしを向けた。「お前は母親として失格だな。普段からもっと大輔のことを考えてやれよ」そして、大輔もすぐに口をはさんだ。「パパの言うとおりだよ!ママは全然僕のことなんてかまってくれないもん」その父子が口をそろえた言葉に、菖蒲は息が詰まった。彼女は思わず口元に、自分をあざけるような笑みが浮かべた。大輔が生まれてからずっと自分が一人で育ててきた。彼のどんな些細なことでも見逃さないほど懸命に目をかけてきたつもりだ。大輔が病気のときは、一晩中そばに付き添ってあげたし、誕生日にはケーキも手作りしてあげた。そして栄養バランスを考えて、彼が嫌いなものも食べてもらえるように工夫して作ってあげていた……そのどれもこれもが、自分が大輔にどれだけ心を尽くしてきたかを示している。それなのに、この父子から見れば、自分は母親失格ということらしい。「そう、ならそう思ってくれて構わないよ」どうせあと15日で、ここを離れるのだから。もうこの父子とは争いたくはないと菖蒲は思った。「なんだ
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第3話
すると、役所の人は何度も確認をしようと菖蒲に尋ねたが、彼女の意志が硬いのを見て、やっと離婚届を渡してくれた。「ご夫婦お二人のサインがあれば、手続きを進められます」そう言われ、菖蒲は離婚届を大事にしまい、家にもどった。家に帰った時、充と大輔はまだ帰ってきていなかったから、菖蒲はキッチンに立つと、自分ひとりぶんの晩ごはんを作って、さっさと食べはじめた。彼女が食べ終えてお皿を洗っていると、ようやく二人が帰ってきた。充は、がらんとしたテーブルを見て、思わずたずねた。「俺たちの晩ごはんを作ってないのか?」菖蒲は、大輔のぽっこりしたおなかをちらっと見て、静かに答えた。「あなたたちは、陣内先生の家でもう食べてきたんでしょ?」大輔と充はもともとひどい偏食で、外でご飯を食べる時は、いつも食が進まないのだ。だから菖蒲は、長い時間をかけて色々と試作して、ようやく二人が好きな味を見つけ出すことができたのだった。それもあって、彼らがどんなに遅く帰ってきても、菖蒲は必ず三人ぶんの食事を用意して待っていた。でもどうやら、蛍の家ではその偏食もなくなったみたい。まあ、そうよね。二人にとって心から大切な人が作ったごはんなんだから、食欲だってわくに決まってる。菖蒲の言葉を聞いて、充は気まずそうに顔をこわばらせ、ひとつ咳払いをして言い訳した。「彼女に誘われたんだ。断れなかった」そのとき、大輔がぽんぽんのおなかを叩きながら、小さな声でつぶやいた。「蛍おばちゃんのごはん、すっごくおいしいんだ。毎日食べたいなあ」それを聞いて、菖蒲は手をピタッと止め、酷い疲労感に襲われるのを感じた。彼女は急いでキッチンを片付けると、シャワーもそこそこにベッドに横になった。うとうとと眠りにおちかけたとき、大きな腕に引きよせられ、あたたかい胸に抱きしめられた。「ちょっと、相談したいことがあるんだ」充の低い声に、菖蒲は一瞬で目が覚めた。だが、彼女が口を開くより先に、充は自分の話をつづけた。「来月から、海上基地に赴任することになった。家族の同行枠がひとつだけあるんだが、蛍を連れていきたい。大輔はまだ小さいから枠を気にしなくていいから、彼も一緒に連れて行く。お前はとりあえず家で俺の両親の面倒をみていてくれ。向こうでの生活が落ち着いたら、また
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第4話
その瞬間、子どもの無邪気な声が、鋭いナイフのように菖蒲の胸に突き刺さり、彼女は全身からすーっと力が抜けていくのを感じた。まさか、この子はこんなに早くから、自分と充の離婚を望んでいたっていうの?しばらく言葉を失ったあと、彼女はようやく声を取り戻して大輔を見つめながら、つらそうに口を開いた。「大輔、もしママとパパが別れたら、どっちについていきたい?」大輔はためらうことなく答えた。「もちろんパパだよ!それに蛍おばちゃんにも、僕たちと一緒に住んでもらうんだ!」大輔の瞳に宿る期待と喜びが、菖蒲の胸をちくりと刺した。彼女は思わず目を赤らめた。これが自分が6年間、心血を注いで育ててきた息子だ。充に言われたとおり、自分は母親失格だったんだ。大輔は目を輝かせると、彼女の手から離婚届を奪い取った。「これにパパがサインしたら、二人は離婚できるんだよね?」菖蒲は喉に何かがつまったようで、声が出なかったが、小さくうなずくしかなかった。大輔は「わーい」と歓声をあげると、小走りで書斎へと走っていった。「今すぐパパにサインしてもらうんだ!」それを聞いて菖蒲は、切なげに口元を歪めた。この子は、こんなにも自分から離れたいんだ。そう思っているとドアをノックする音で、菖蒲は我に返った。彼女が立ち上がってドアを開けると、そこにいたのはなんと蛍だった。蛍は、彼女の赤くなった目元に気づいて心配そうに声をかけた。「菖蒲さん、その目はどうしたんですか……」彼女は一瞬言葉を止め、ためらいがちに尋ねた。「もしかして充さんから、同行枠を私にくれるって聞いて、怒っているんですか?菖蒲さん、充さんだって仕方がなかったんですよ。島には医者が必要ですし、あなたも充さんに病気になってほしくないでしょう?」そう言いながら蛍は口ではなぐさめていたが、瞳の奥に隠された得意げな表情が、その本心をあらわにしていた。自分が充にとってどれだけ重要かを見せびらかし、妻である菖蒲はいてもいなくても同じだとでも言いたげのようだった。だけど、菖蒲はもう充についていくつもりはないと決めている。だから、その同行枠なんてどうでもよかった。一方で、蛍の声を聞きつけ、充と大輔が慌てて書斎から出てきた。大輔は蛍の胸に飛び込み、彼女にぎゅっと抱きついた。充も口元に
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第5話
そして、デパートを出た後、充と大輔は、いつものように先に蛍を家まで送った。だから、菖蒲も荷物を持ったまま、ついていくしかなかった。家に帰るころにはもうくたくたで、彼女はすぐにベッドに横になった。夜もふけたころ、菖蒲は金切り声のような泣き声ではっと目を覚ました。どうやら隣の夫婦がけんかをしているらしい。「私たちをここに置いて、自分だけ遠くに行っちゃうつもり?そんなの許さないから!絶対に!」「そんなつもりじゃない。ただ、向こうは大変な場所だから、お前たちがつらい思いをするんじゃないかと思って……ここにいれば楽に暮らせるだろ。なんでそんな風に取るんだよ」「そんなの知らない!とにかく、あなた一人で行くなんて絶対に許さない。行くなら私たち二人も一緒に行くの。それが嫌なら、あなたもここにいて、どこにも行かせないから!」……隣で寝返りをうつ音がして、どうやら充も目を覚ましたようだった。隣の二人はまだ言い争いを続けている。それに対して、彼はふんと鼻を鳴らした。「夫婦が離れて暮らすなんてありえないだろ。そんなの、夫婦って言えるのか?あの男のやり方、ひどいな」それを聞いて、菖蒲の胸がずきりと痛んだ。充は、ずっとわかっていたんだ。夫婦は離れて暮らすべきじゃないって。なのに、前世では、彼は迷うことなく蛍を連れて行ってしまった。自分と子どもだけを、この場所に残して。だとしたら、彼の心の中では蛍が本当の妻で、自分は、ただ子どもの面倒を見て、家のことをするだけの家政婦だったっていうこと?そう思った瞬間、菖蒲の目には涙がにじみ、こらえきれなくなりそうだった。彼女はかすれた声でたずねた。「じゃあ、あなたは?充、あなたはなんで私をここに残していくの?私たちだって夫婦でしょ。あなたのやっていることと、彼のしていること、どこが違うっていうの?それとも、あなたのなかでは、私は妻ですらないの?」かつて生涯を貫くずっと胸につかえていた言葉を、彼女はようやく口にすることができた。だけど、充はただ冷めた声で答えるだけだった。「迎えに来るって言っただろ。俺のやり方をわかってくれてると思ってたのに。お前って、そんなに物分かりが悪いやつだったんだな」それを聞いて、菖蒲は、口を開きかけた。前世でも彼は同じことを言った。けれど約束は守られず、
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第6話
その瞬間、菖蒲には周りのざわめきがすべて聞こえなくなり、一瞬にしてあたりがすべて静まり返ったかのようだった。そして彼女の頭の中では、「これが僕のママだよ」という言葉だけが響いた。遠くから、大輔がまるで宝物でも見せびらかすみたいに蛍の手を引いて、クラスメートに一人ひとり紹介しているのが見えた。菖蒲は胸にぽっかりと大きな穴が開いて、冷たい風が吹き込んでくるような気持ちになった。自分はまだ充と正式に離婚したわけでもないのに。大輔はもう待ちきれずに、蛍を「ママ」と呼んでいるの?そう思っていると、傍らから大きな人影が近づいてくるのが見えた。それは「朝から用事がある」と言っていた、充だった。充と蛍は、大輔の両手をそれぞれつないでいた。三人の顔には、同じように幸せそうな笑みが浮かんでいる。なるほど、前世も今度も、参観日があるなんて自分がまったく知らなかったわけだ。充も、そんなこと一度も口にしなかったんだから。つまり、彼はとっくに知っていて、大輔とこっそり相談して、蛍を母親として参加させることに決めていたんだ。あの親子は、こんなに早くから口裏を合わせていたなんて。実の母親で、本当の妻である自分に内緒で。その瞬間、菖蒲の脳裏に、前世で死ぬ間際にベッドに横たわっていた時の光景が浮かんだ。あの時、大輔はテレビに映る男女に夢中で、息も絶え絶えの自分には見向きもしなかった。今思えば、充が赴任していた間も、あの二人は裏でずっと連絡を取り合っていたんだろう。大輔はとっくに蛍を母親だと認めていて、あとは自分が死ぬのを待ちわびていただけなのかもしれない。そう思うと、菖蒲はもう見ていられなった。正面から吹き付ける冷たい風を浴びて、目に溜まった涙をこぼしながら、彼女はくるりと背を向けてその場を離れた。そして、彼女はまっすぐ役所へ向かい、あの離婚届を取り出すと、もう片方に一文字ずつ丁寧に自分の名前を書いて、職員に差し出した。「すみません。サインしました。離婚の手続きをお願いします」職員は書類に不備がないことを確認すると、すぐに離婚の手続きをしてくれた。そして手続きが終わって離婚届受理証明書を受け取ると、菖蒲は、これで本当にあの親子とは関係がなくなったんだと、はっきりと実感した。それから数日間、菖蒲は予定を早めて体力訓練を再開した。
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第7話
その言葉に菖蒲は信じられない思いで、その場に凍りついた。蛍が別の場所に連れて行ったからけがをしたのに。それなのに、息子は自分に責任を擦り付けようとするなんて。彼女は震える声で尋ねた。「大輔、もう一回言って。いったい、誰のせいでけがをしたの?」大輔は口をとがらせて、ぽろぽろと涙をこぼした。「ママのせいだよ!ママのせいで転んだんだ!僕が転んでも病院に連れてってくれなかった。蛍おばちゃんが、僕を抱っこして病院まで来てくれたんだよ」菖蒲は、デタラメを繰り返す息子の言葉を聞いて、全身が凍りつくようだった。そして息をするだけでも、胸をえぐられるように痛むように感じた。お腹を痛めて産んだ実の子が、まさか自分をこんなふうに言うなんて。もうこの親子との縁は切ると決めていた。でも、大輔はかけがえのない我が子だ。彼がけがをしたと知って、心が痛まないわけがない。なのに大輔は、すでに傷だらけの自分の心に、さらにナイフを突き立てるようにして何度も何度も自分を傷つけているのだ。一方で、それを聞いた充は菖蒲の腕を強くつかむと、病室から引きずり出した。そして、誰もいないところまで来ると、その手を乱暴に振りほどいた。彼はこめかみをぴくつかせながら、声に抑えきれない怒りをこめて尋ねた。「菖蒲、いったいどうやって大輔の面倒を見ていたんだ!お前は仕事もせず子育てに専念しているはずだろう。それなのにこんな大怪我をさせて、すぐに病院へも連れて行かなかったなんて!本当に彼の母親なのか疑うよ。じゃなければ、どうしてこんなにひどいことができるんだ!」それを聞いて菖蒲は手を爪が深く食い込むほどぎゅっと握った。前世のことも合わせると、菖蒲がこの親子に抱いていた未練は、もうかけらも残っていなかった。残されたのは、果てしない失望だけだった。菖蒲は唇の端をゆがめて、静かに口を開いた。「わかったわ。そういうことなら、もう大輔の母親はやめる。その役目は陣内先生に譲るわ」そして、妻の座も彼女に譲る、と心の中で続けた。菖蒲の瞳に宿る、死んだような静けさに気づいて、充はかすかに眉をひそめた。しかし、息子の額の傷を思い出すと、彼の心はまた硬くなった。充は、菖蒲が叱られたことに腹を立てて、売り言葉に買い言葉を言っているだけだと思った。だって彼女はあん
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第8話
菖蒲はもう何も言わなかった。くるりと背を向けて病院をあとにし、大輔の様子を見に行くこともなかった。それから数日、菖蒲は京市へ行く荷造りをしながら、体を鍛える訓練も続けた。充とは顔を合わせず、大輔がどうしているか病院に聞きにいくこともしなかった。だって、あの親子にとって自分はいてもいなくても同じなんだと、もうはっきりわかったから。これ以上、自分から近づいていって惨めな思いをするのはごめんだ。……そして彼女が出発する日。それは、ちょうど大輔が退院する日でもあった。充が、めずらしく家に電話をかけてきた。声はまだ少しぶっきらぼうだったけど、前ほどの冷たさはなかった。「今日、大輔が退院するんだ。お昼はごちそうを作って、家族みんなでお祝いしよう」菖蒲は一瞬、言葉を失った。「家族みんなで」という言葉が、心の奥に響いたからだ。前世で、充が赴任してから20年間、彼が帰ってきたのはたったの2回だけだった。しかも、いずれにしても家にいたのはほんの2、3時間で、毎回「急ぐから」と言って、いつも慌ただしく立ち去ったのだった。だから、あの20年もの間、家族全員でテーブルを囲むことは、一度だってなかった。自分が息を引き取るそのときまで、この願いがかなうことはなかった。その思いがあって、結局、菖蒲は「わかった」と答えた。これで、前世で叶わなかった心残りに区切りをつける。すべてを捧げたあの人生に、ちゃんとおしまいを告げるんだ。そして、これからの新しい人生の、最初のページを開くんだ。そう思って、荷造りを終えると、菖蒲はテーブルいっぱいにごちそうを作り、あの親子が帰ってくるのを待っていた。それから、壁の時計が、ちくたく、ちくたくと音を立てて時間は進んでいった。11時半から待って、午後1時になった。それでも、彼らは帰ってこない。菖蒲の胸に、ふと予感がよぎる。きっと、もう帰ってこないのだろうと。案の定、そう思ったとたんに電話が鳴った。電話の向こうの充の声は、めずらしく申し訳なさそうだった。「蛍が、この数日大輔の看病で大変だったからな。お礼にレストランでごちそうしてるんだ。だから、昼は家に戻らないことにした」電話の向こうで一瞬沈黙が続いたあと、彼はためらいがちにこう続けた。「よかったら、お前もこっちに来て一緒にどう
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第9話
一方、菖蒲に電話を切られて、充は眉をひそめた。なんだか胸に妙な感覚がこみ上げてくるのを感じた。菖蒲が自分から電話を切るなんて今までなかった。それに、最後の「さようなら」はいったいどういう意味だったんだ?自分と大輔はただ蛍に食事をおごってお礼をするだけのつもりだった。遅くとも昼過ぎには帰るのに、彼女の言いぐさだとまるで遠くへ行ってしまうみたいじゃないか。そう思いながら充はまぶたがぴくりと動くのを感じた。なぜだか分からないが、胸の奥から言いようのない不安がこみ上げてきた。なにか大切なものが、自分から離れていってしまうような気がした。「パパ、パパ!はやく注文しようよ。蛍おばちゃんの好きなものを頼んであげなきゃ」そう思っていると、大輔の声に彼ははっと我に返った。すると充は、手元のメニューに目線を落とした。美味しそうな料理の写真が並んでいたが、今の彼にはどれも味気なく見えた。充はもともと外食が好きじゃない。菖蒲が作る手料理だけが、彼の口に合うのだ。もともとは、蛍へのお礼なのだから、レストランでの一食くらい我慢したってどうってことない、と思っていた。それなのに、なぜだか頭に浮かんでくるのは菖蒲の作ってくれたごはんだった。ここ数日、暇さえあれば大輔のいる病院に行っていたから、もう何日も家でごはんを食べていない。その味が、今になって無性に恋しくなった。そう感じた充はメニューを閉じると、少し申し訳なさそうに口を開いた。「蛍、悪いけど、俺と大輔は先に帰るよ。食事はまた今度、改めてごちそうさせてもらえないかな?」大輔とじゃれ合っていた蛍は、その言葉を聞いてぴたりと動きを止めた。そして、笑みの消えた彼女は少し悲しそうに口を開いた。「充さん、一緒に食事するって約束したじゃないですか?どうして急に帰るなんて言うんですか?もしかして、さっきの電話で菖蒲さんが怒っていたんじゃ…」大輔もすぐに充の手にすがりついて、帰りたくないという表情になった。「パパ、僕は帰りたくない。蛍おばちゃんと一緒にごはん食べるんだ。それに、蛍おばちゃんは僕の看病で大変だったんだ。お仕事があるのに、わざわざ病室まで様子を見に来てくれたんだよ。約束を破るなんて、そんなのだめだよ」それを聞いて充の心は揺らいだ。たしかに、一度した約束を、男が簡単に破るわけ
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第10話
それを聞いて、充はくるりと振り返ると、真剣な顔で大輔の前にしゃがみこんだ。「大輔、『離婚』なんて言葉、誰から聞いたんだ?」大輔はごくりとつばを飲みこんだ。こんなに真剣な父親は見たことがないから、彼は少し怖くなって、数歩後ずさりしながら、言葉を詰まらせて答えた。「……ママだよ」充の胸にあった菖蒲への怒りは、ここ数日でようやく収まりかけていたが、この時またカッとなって燃えあがった。母親として、妻として、子供の前で「離婚」を口にするなんて、いったい何を考えているんだ。そう思いながらも、充はこみあげる怒りを大輔の前では出さないよう必死に抑えた。「大輔、パパとママは離婚なんかしない」それを聞いて、大輔はわけがわからなかった。「どうして?パパは蛍おばちゃんといるほうが楽しそうだよ。それに僕たち、来月にはここを離れるんでしょ?ママを一人ぼっちにしてさ」充は深く息を吸い込んだ。その瞬間、彼に息子にどう説明すればいいのか、わからなかった。蛍は亡くなった戦友の妹だ。だから、彼女の面倒をみるのは当然のことだった。それに赴任地に行けば蛍が知っているのは自分だけだし、彼女は医師でもあるからきっと隊員たちにとっても大きな助けになるだろう。もちろん、菖蒲と大輔を連れて、家族三人でも一緒に行きたかった。でも、連れていける家族の枠は一つだけだったんだ。色々考えた結果、仕方なく彼はその枠を蛍に譲った。だけど、向こうで生活が落ち着いたら、すぐに菖蒲を迎えに来るつもりだった。でも、こんな複雑な話を6歳の子にするわけにはいかない。結局、充は言いたいことをすべて飲みこんで、ただ真剣に大輔に告げた。「大輔、大人のことは子供が知らなくていい。ただこれだけは覚えておけ。君のママはずっと変わらないし、パパもママと離婚はしないから」それを聞いて、大輔は小さな顔をしかめた。だって、パパはあの離婚届にサインしたはずだ。ママが言ってたもん。サインしたら、パパとママは離婚するんだって。「でも、パパ……」「もういい、大輔。その話は終わりだ。ママの前でそんなことを言っちゃだめだぞ」充は、息子がまだ自分と蛍をくっつけたいのだと思いこんだ。だから話をさえぎって、その手を引いてまっすぐ家に向かった。ドアを開ければ、いつものように菖蒲が夕食を作ってテー
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