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君が白髪になるその日を待ち、愛が燃え尽きるまで

君が白髪になるその日を待ち、愛が燃え尽きるまで

By:  キョウキョウCompleted
Language: Japanese
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帝都では誰もが知っている――雨宮涼介(あまみや りょうすけ)が妻の雨宮澪(あまみや みお)を心の底から憎んでいることを。 結婚にしがみつく澪が煩わしく、束縛されることに嫌気が差していた。 だから涼介は、これまでに九十九回も離婚を切り出してきた。 そして迎えた百回目。今回も拒まれると思いきや、澪の声は氷のように冷たかった。 「分かった。離婚する」

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Chapter 1

第1話

帝都では誰もが知っている――雨宮涼介(あまみや りょうすけ)が妻の雨宮澪(あまみや みお)を心の底から憎んでいることを。

結婚にしがみつく澪が煩わしく、束縛されることに嫌気が差していた。

だから涼介は、これまでに九十九回も離婚を切り出してきた。

そして迎えた百回目。今回も拒まれると思いきや、澪の声は氷のように冷たかった。

「分かった。離婚する」

「本気なのか?」

「涼介、おめでとう!ついに自由の身だな!」

個室では数人の友人たちが冗談を飛ばしていた。目には驚きが浮かび、まだ信じられない様子だった。

そんな中、涼介自身も「離婚する」という言葉を聞いた瞬間、一瞬だけ目を瞬かせた。

だが、それ以上に心に広がったのは解放感だった。

涼介は勢いよく腕を上げ、今夜の会計をすべて引き受けた。騒がしい空気の中、薄暗い照明の下で澪だけが背を向けて静かに立っており、その姿に思わず目を奪われた。

「さて、今度はどれくらいで泣きついてくるかな?」

「一週間?それとも二週間?」

笑いながら、彼は手元のチップを七日後にすべて賭けた。

「七日後、俺は琴音と式を挙げる。お前ら、ちゃんと祝ってくれよ」

友人たちはさらに盛り上がった。

澪はすでに個室を後にしていた。外の陽射しが眩しくて、ようやく深く息を吐いた。

涙をこらえるのに必死で、心はどこか麻痺していた。車に乗り込み、家路につく。

スマホには、涼介のプロポーズ動画がインスタで拡散されている通知が次々と届いていた。見てはいけないと分かっていながら、ふとした衝動で再生してしまった。

画面の中の南条琴音(なんじょう ことね)は高級ブランドのドレスを纏い、頬を染めながら突然のプロポーズに驚きと喜びを隠せずにいた。

澪は琴音のことをよく知っていた。

涼介のそばに一番長くいた琴音に、彼は三百六十平米の高級マンションを用意し、世界に一つだけのランゲの指輪を贈っていた。

涼介はよく話していた。琴音がどれほど我儘で、彼が何かをしようとすればすぐに子どものように拗ねて、強気な顔でこう言うのだと。

「雨宮涼介、私は愛人なんかじゃない!」

だからこそ、涼介は澪に離婚を求め続けた。

二人でゼロから築き上げた会社が成功したとき、涼介は夫という立場を利用して澪の事業をすべて奪った。澪は彼を憎みながらも、結婚にすがるしかなかった。

最初に離婚を迫られたのは、澪が難産で大量出血したときだった。ベッドサイドに立った涼介は、冷たく告げた。

「離婚に同意するなら、手術同意書にサインしてやる」

二度目は、澪が交通事故に遭ったとき。涼介はスマホ片手に言い放った。

「離婚に同意するなら、救急車を呼んでやる」

……

九十九回目は、澪が誘拐されて心臓を撃たれたときだった。電話越しの涼介の声は、やはり冷たかった。

「離婚に同意するなら、身代金を払ってやる」

そして百回目――澪は、もう限界だった。

プライドを捨てたくはなかったが、主治医の林紀行(はやし のりゆき)先生に告げられたのだ。澪の心臓はもう持たず、余命は七日。

澪は薄暗い別荘へと向かった。絶望に心を覆われ、涙すら流せなかった。

そもそも、最初に涼介に想いを寄せ、積極的にアプローチしたのは澪のほうだった。

雨宮涼介は帝都で名を馳せる御曹司で、人と距離を置くタイプだった。幼い頃から彼の後をついて回るのが好きだった澪にとって、冷たい態度は日常だった。

けれどそんな彼が、燃えさかる火災の中を何度も往復し、命がけで澪を助けてくれた。

火災で両親を亡くした澪は、長く言葉を失っていた。

涼介は根気強く言葉の練習に付き合い、澪の訛りを笑う者がいれば真っ先に飛び出して殴り、肋骨を三本も折ったこともあった。

夜が怖いと泣けば、昔話をしながら朝まで側にいてくれた。

澪は、本当に愛されていると信じていた。

だからこそ、どこにでもあるような素朴な指輪でのプロポーズにも、迷わず頷いたのだ。

だが結婚後、気づけば実家の事業はすべて乗っ取られていた。問い詰めようとオフィスの扉を開けたとき、

目に飛び込んできたのは――琴音を抱きしめ、キスする涼介の姿だった。

視界が真っ白になり、雷に打たれたような衝撃が走った。

「澪、見てしまったのか」

「俺と離婚してくれ。琴音にはちゃんとした立場が必要なんだ」

胸が締めつけられるような痛みに襲われた。なぜ、と問いかけた澪に向けられたのは、冷酷な眼差しだった。

「本気で俺がお前を愛していたと思ってるのか?澪、お前の母親が昔、俺の母を死に追いやった。あのとき母も、今のお前のように絶望していたんだろうな」

その言葉で澪は悟った。

涼介は、十年もの間、自分を憎み続けていたのだ。

だから澪は、自分の最後の砦を何としても守ろうとした。離婚だけはしたくなかった。

プライドを捨てたくなかった。

でも、もうすぐ死ぬ。自分でも惨めだと思った。

彼女は頑固な性格で、誰にも醜い姿を見せたくなかった。死に際でさえも……

涼介には、自分の亡骸を見せたくなかった。

どれだけ時間が経ったのか分からない。澪はふと夢から目覚めた。夢の中で、涼介は優しく澪を抱きしめ、赤いバラが世界を覆っていた。

彼は静かに祈りを捧げ、優しい眼差しで言った。

「澪、俺たちはずっと一緒にいよう」

けれど目を開けると、そこには暗闇しか残っていなかった。

澪のスマホには、涼介が突然インスタに投稿した写真が表示されていた。

一筋の血痕、皺の寄ったシーツ。

キャプション――【ついに人生で最も愛しい人を手に入れた】

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第1話
帝都では誰もが知っている――雨宮涼介(あまみや りょうすけ)が妻の雨宮澪(あまみや みお)を心の底から憎んでいることを。結婚にしがみつく澪が煩わしく、束縛されることに嫌気が差していた。だから涼介は、これまでに九十九回も離婚を切り出してきた。そして迎えた百回目。今回も拒まれると思いきや、澪の声は氷のように冷たかった。「分かった。離婚する」「本気なのか?」「涼介、おめでとう!ついに自由の身だな!」個室では数人の友人たちが冗談を飛ばしていた。目には驚きが浮かび、まだ信じられない様子だった。そんな中、涼介自身も「離婚する」という言葉を聞いた瞬間、一瞬だけ目を瞬かせた。だが、それ以上に心に広がったのは解放感だった。涼介は勢いよく腕を上げ、今夜の会計をすべて引き受けた。騒がしい空気の中、薄暗い照明の下で澪だけが背を向けて静かに立っており、その姿に思わず目を奪われた。「さて、今度はどれくらいで泣きついてくるかな?」「一週間?それとも二週間?」笑いながら、彼は手元のチップを七日後にすべて賭けた。「七日後、俺は琴音と式を挙げる。お前ら、ちゃんと祝ってくれよ」友人たちはさらに盛り上がった。澪はすでに個室を後にしていた。外の陽射しが眩しくて、ようやく深く息を吐いた。涙をこらえるのに必死で、心はどこか麻痺していた。車に乗り込み、家路につく。スマホには、涼介のプロポーズ動画がインスタで拡散されている通知が次々と届いていた。見てはいけないと分かっていながら、ふとした衝動で再生してしまった。画面の中の南条琴音(なんじょう ことね)は高級ブランドのドレスを纏い、頬を染めながら突然のプロポーズに驚きと喜びを隠せずにいた。澪は琴音のことをよく知っていた。涼介のそばに一番長くいた琴音に、彼は三百六十平米の高級マンションを用意し、世界に一つだけのランゲの指輪を贈っていた。涼介はよく話していた。琴音がどれほど我儘で、彼が何かをしようとすればすぐに子どものように拗ねて、強気な顔でこう言うのだと。「雨宮涼介、私は愛人なんかじゃない!」だからこそ、涼介は澪に離婚を求め続けた。二人でゼロから築き上げた会社が成功したとき、涼介は夫という立場を利用して澪の事業をすべて奪った。澪は彼を憎みながらも、結婚にすがるしかなかった
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第2話
澪は呆れたように目を閉じ、思いきって涼介のLINEを削除した。翌日、澪は手元に残った全財産を使って墓地を購入し、連絡先の欄に涼介の名前を記入した。暗記しているその番号を見つめながら、澪は自分がどれほど惨めな存在なのかを痛感した。葬儀の手配をすべて終えた澪は、静かに別荘へと戻った。だが玄関先では、自分の私物がまるでゴミのように無造作に散乱していた。状況を飲み込む間もなく、甘ったるい声が耳に入る。「ねえ涼介、ここの全部、本当に私のものなの?」涼介は穏やかな笑みを浮かべ、琴音の唇に何度もキスを落とした。「全部、君のものだ。君がこの家の女主人だよ」二人は、玄関先で立ち尽くしている澪の存在に気づかなかった。澪は拳を握りしめ、これ以上惨めに見えないよう努めようとしたが、抑えきれずに一気に駆け寄った。地面に散らばったかつての思い出の写真は、すでに粉々に破かれていた。その中で澪が最も目を背けたくなるのは、両親の位牌が汚水の中に落ち、泥まみれになっていた光景だった。「誰がやった!?」拳を震わせながら、澪は怒りをにじませた視線を向ける。琴音は怯えた素振りで涼介の背に隠れ、か細い声で訴える。「涼介、彼女、怖い……私のこと殴ったりしないよね?」涼介の顔には無表情が張りついていたが、その手はしっかりと琴音を庇い、口調にはわずかな怒気がにじんでいた。「俺がやった。何か文句あるか?」「ここは俺の家だ。お前はもう離婚協議書にサインした。嫌なら出ていけ」澪の胸に鋭い痛みが走ったが、顔からは感情が抜け落ちていた。「まだ離婚届は提出してないわ。ここは、私の家でもある」「後ろのその人、何の立場?警察に通報して身元を確認してもらった方がいいかしら?」その一言が、涼介の怒りに火をつけた。彼は眉間に皺を寄せ、露骨な嫌悪を滲ませながら冷笑を浮かべた。「澪……お前、プライドはどこに捨てた?自尊心はどうした?」澪は汚れた位牌を拾い上げ、無言で階段を上がると、琴音の荷物をすべて引きずってきて、涼介の目の前で床に叩きつけた。琴音の目はたちまち真っ赤になり、泣き叫びながら家を出て行こうとした。だが、澪はすでに部屋のドアを閉め、すべてを締め出していた。疲れた。本当に、心の底から疲れた。目を閉じると、頬を一筋の涙が静かに伝った。
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第3話
再び目を開けると、視界に映ったのは、病院の真っ白な天井だけだった。鼻をつく消毒液の匂いに、澪は思わず身を起こしかけた。けれどその瞬間、顔や体のあちこちに鋭い痛みが走った。「澪さん!」林先生は、澪が顔の傷に手を伸ばそうとするのを見て、すぐさま駆け寄ってその手を掴んだ。「動いちゃダメです。植皮手術を終えたばかりで、今がいちばんデリケートな時期なんですから……」植皮?澪は一瞬呆然とし、次の瞬間、洗面台へと駆け出していた。鏡に映る自分の顔には、大小さまざまな傷がにじみ出た血で覆われ、無数の痕が刻まれていた。澪はその姿に目を閉じるしかなかった。背後から林先生の必死な声が追いかけてくる。「やっぱり、動かないほうがいいです。今は辛いかもしれませんが、ちゃんと治療を続ければ、元の姿に戻れる可能性だってあるんです」澪の頬を、涙が一筋、音もなく滑り落ちた。傷に染みて、ひりひりとした痛みが募った。「でも……もう私には、未来なんてない……」そのとき、病室の入口に涼介が立っていた。彼の目には、深い影のような暗さが宿っていた。「今回の件は、お前が琴音に迷惑をかけたんだ」「琴音の肌は繊細なんだ。お前の平手打ちで顔に傷が残って、顔まで台無しになった。だから、お前が責任を取るべきだ」「昼間の件は琴音が先に手を出した。でも、もう十分に痛い目を見た」澪は呆れて笑った。笑った拍子に顔じゅうに鋭い痛みが走り、血がまた滲んだ。「どんな罰を受けたっていうわけ?」涼介は眉をひそめ、不満そうに答える。「琴音は痛みに弱い。植皮手術の痛み、それだけでも十分だ」涼介が琴音に甘いことくらい、澪だって知っている。でもその言葉を聞いた瞬間、もう感情が抑えきれなかった。限界だった。「……つまり、私の顔についた三十以上の傷と引き換えに、琴音が感じた痛みが罰だって言いたいわけ?」涼介のまとう空気が一気に冷たくなったが、表情は相変わらず氷のように無機質だった。「澪、お前は何をそんなに抗っている?」「素直に謝れば、お互いにとって悪くない選択になる」澪は拳を握りしめ、爪が掌に食い込んだ。彼女は勢いよくスマホを掴み、警察に通報しようとした。だが、涼介は冷たく一瞥を送るだけだった。「お前、昼間言ってただろ。俺たちはまだ離婚していないって」「
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第4話
意識がぼんやりとしていく。今日は目覚めて二日目だったが、澪はまだ嗄れた声のまま、一言も口をきかなかった。琴音は、まるで理不尽な仕打ちを受けたかのように目を赤くし、もじもじと立っていた。「ご……ごめんなさい!」「でも、最初にいじめてきたのはあなたのほうよ!」涼介が琴音の背後に立ち、口を開いた。「今回のことは、琴音にも分別が足りなかった」それでも澪は無反応で、呼吸さえ浅くなっていた。「琴音は若くて血の気が多いから、多少の過ちは仕方ない。家は離婚協議の中でお前に譲渡する」澪はベッドに座ったまま、虚ろな目で泣き笑いを浮かべ、手に届くものを次々と叩きつけた。かすれた声で叫ぶ。「出て行って!出て行け!」涼介は無理に抑えつけようとはせず、反射的に琴音を背後に庇った。その後、一日中、涼介は澪のそばにいた。殴られて青あざだらけになり、どれだけ罵倒されても、彼は昔のように澪の発音練習に付き合い、夜になるとベッドサイドにランプを灯して、眠ることなく昔話を語り聞かせた。まるで、かつての時間が戻ってきたかのようだった。だが澪は知っている。涼介という男は、誰よりも「迷惑をかけられること」を嫌う人間なのだということを。つまり、今の彼は「罪悪感」で動いている。琴音のために。涼介は点滴のボトルを懐で温め、苦い薬のあとにはそっと飴を添える。その気遣いは細部にまで行き届いていて、澪は思わず錯覚しそうになる。もしかして、涼介はまた私を――愛してくれているんじゃないか、と。しかしその夜。喉の痛みで目を覚ました澪は、水を探して立ち上がった。部屋は真っ暗で、微かな光が漏れているドアのほうへ、反射的に足を向けた。けれど、次に聞こえてきた賑やかな声に、澪はその場で立ち止まった。友人たちの笑い声のなか、涼介の低い声が混じっていた。「騒ぐのは構わないけど、彼女を起こすな」気を利かせた友人たちは頷き、動きを控えたが、琴音は唇を尖らせ、不満げに言った。「ねえ涼介、あんなに長く彼女に付き添ってるのに、いつになったら私のそばにもいてくれるの?」涼介は答えず、代わりに琴音の小さな顔を優しくつまんだ。友人たちはそれを羨ましそうに見て、冷やかしの声を上げた。王様ゲームのルーレットが涼介の番で止まり、友人たちは顔を見合わせながら、ずっと聞きたかった
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第5話
涼介の視線が澪に向けられ、どこか複雑な表情を浮かべたものの、やがて静かに頷いて了承した。ただひとつ、涼介には条件があった。琴音を、かつて涼介と澪が結婚した時、澪のために購入した別荘に住まわせるというものだった。その日の午後には、琴音はもう引っ越してきた。外は雨。琴音は涼介に抱きかかえられたまま、両足を地につけず、顔を赤らめながら口を開いた。「ばか。こんなに人がいるなんて、ちゃんと教えてよ……早く下ろして」涼介は無表情のままだったが、口元にだけわずかな笑みを浮かべ、どこか愛しげに、そして脅すように言った。「そんなふうに俺を呼び続けるなら、お前の舌、切り落とすぞ」澪は一瞬、呆然とした。その言葉。かつて涼介が澪にもまったく同じことを言ったのを、思い出した。「もうわがまま言うなら、お前の舌、切るよ」涼介は、自分が好きな相手にだけ、いつも口では逆のことを言う。その瞬間、澪は確信した。涼介は、本当に琴音を好きになったのかもしれない。心はとうに麻痺していた。それでも、澪の手は止まらなかった。星那は児童養護施設にいる間に、以前よりもますます口数が少なくなっていた。あの子は「お母さん」と呼んで手を握ってくるたびに、澪の胸の奥が張り裂けそうに痛んだ。でも彼女は、もうすぐ死ぬ。この先、星那を守ってやることはできない。せめて少しでも多くお金を残して、服を買って、温かい家庭を見つけてやりたい。澪は、ずっと苦労ばかりの人生だった。だから、自分の子供まで巻き込むわけにはいかない。なのに涼介は、澪を待たせ続けた。「琴音が住み始めたら、連れて行く」そう言われて、澪は待った。「琴音が落ち着いたら、連れて行く」そう言われて、澪はまた一晩待った。そして今度は、「琴音が部屋を片付けたら」と言われたとき、澪は、自分の体が限界に近づいていることをわかって、もう待てない。だから澪は、涼介の前で初めて怒りを爆発させた。澪の冷たい瞳に、涼介の心が揺れ、最終的にようやく彼は、澪を連れて行った。だが、そこにいたのは、生きている星那ではなく、冷たい墓石だった。涼介は澪の背後から、淡々と、けれど少しだけ同情をにじませて言った。「星那の白血病、移植できる骨髄がなかった。助からなかった」「澪、もうこれ以上、馬鹿な真似はやめろ」でも澪は、忘れていなかっ
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第6話
しかし澪はやはり一歩遅く、刺すことはできなかった。涼介は錯乱したままの澪を見て、怯えて泣いている琴音の体を念入りに調べ、異常がないことを確認してから、澪を睨みつけた。その目には、冷たさがより一層深く宿っていた。「澪、お前、正気か!」澪は涼介の顔を真っ直ぐに見つめ、震える声で言葉を絞り出した。瞳は真っ赤に染まっていた。「悪いのは琴音」「あいつが、私の子に手を出した」涼介は琴音を抱き上げ、庇い続けた。「琴音は口にしただけだ。薬を止めたのは俺だ。なら、なぜ俺を狙わない!?」その言葉に、澪は目を見開き、赤く染まった瞳のまま、乾いた笑いを漏らした。琴音が口にしただけで、涼介は薬を止めた。琴音が間接的に星那を殺したというのに、琴音は無罪。涼介、あなたは琴音のことを、どこまで愛しているの?澪は突然涼介の目の前に詰め寄り、憎しみに燃える瞳で彼を睨みつけた。「琴音が憎い。涼介、そんなに守りたいっていうなら、一生あの女を私の前に出すな!」「顔を見るたび、本気で殺してやる」涼介の目にも、深く黒い憎悪が渦巻いていた。泣き続ける琴音を一瞥すると、彼は黙ってその場を去った。広々とした別荘には、澪だけが取り残された。そして涼介の冷え切った声が響く。「澪、お前はお前のクソ母親そっくりだ。毒親に育てられたら、娘もやっぱり毒になるんだ!」「琴音に何かあれば、お前も一緒に地獄へ落ちろ」二十六年の付き合い、十年の結婚生活。涼介はこれまで一度も、澪の母について口にしたことはなかった。どれだけ激しい喧嘩をしても、その名前を出すことはなかったのに。今、涼介は他の女のために、その刃を澪に向けた。澪はその場に崩れ落ち、両腕で自分を抱きしめるようにして座り込んだ。絶望の中、ぽたりと落ちた涙が床を濡らす。口を開いたときの声には、静かな決意が滲んでいた。「涼介、私は琴音のために命も捨てた。それでも足りないっていうの?どうして子どもの命まで奪った?」「わかってるのに、この子のために全部捧げた私に、どうしてそこまで残酷になれるの?」澪の問いに、涼介は一度も振り返ることなく去っていった。代わりに返ってきたのは、ボディーガードの無機質な声だった。「涼介さんのご命令です。あなたはわざと琴音さんを害そうとし、ひどく驚かせました。家の決
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第7話
翌日になって、ようやく澪は涼介の言葉の意味を理解した。まだ反応する暇もなく、何人かのボディーガードに無理やり輸血室へと押し込まれた。青あざだらけの腕に、太い採血管が容赦なく突き刺さる。その様子に、採血していた林先生でさえ目をそらし、思わず口を開いた。「涼介さん、澪さんはついさっき命の危機を脱したばかりなんですよ。今また採血したら、おそらく……」涼介は黙ったまま背を向けている澪に冷たい目を向けて、力を込めて言った。「構わない。琴音とお腹の子が無事なら、それでいい。他のことは気にするな」その時、澪は初めて琴音が妊娠していることを知った。琴音は普通のA型なのに、それでも涼介は無理やり澪に輸血させた。澪の腕からは、すでに血液パック一袋分くらいの血が抜かれ、まぶたはどんどん重くなる。二人の会話のひと言ひと言が、小さな針みたいに澪の胸を刺してくる。琴音のためなら、私の命だって差し出すつもりなの、涼介?体がどんどん冷えていくなかで、意識も遠のいていった。そんな中、ようやく涼介が林先生に軽く言った。「鎮痛剤を打て。気絶はさせるな」澪はうつむき、もう深呼吸すらできなかった。林先生は部屋の外から駆けつけて、きっぱり言い放った。「涼介さん、これ以上は本当に無理です」しかし、澪は自ら腕を差し出し、虚ろな目で問いかけた。「採血が終われば帰れる?」涼介の目がわずかに揺らいだが、結局は澪の腕を無理やり掴み、林先生に渡した。「採血しろ。終わったら離婚しに行く」もう話す力も残ってなくて、口の中は血の匂いでいっぱいだった。澪は頭を垂れたまま、まるで操り人形みたいに動かされていた。どれくらい時間が経ったのかもわからない。ただ、すべてが終わったとき、澪はテーブルに崩れるように倒れ込んだ。涼介は鼻で冷たく笑って、ボディーガードに澪を抱えさせ、市役所へ向かった。澪の口からは止めどなく血が溢れ、震える手でどうにか離婚届にサインした。離婚証明書を手に取って立ち去ろうとした瞬間、涼介が澪の手首を掴んだ。顔には、相変わらずあの皮肉な笑みが浮かんでいる。「どこ行くつもりだ?琴音はまだ体調戻ってない。お前には、保険の血袋として、もう少し働いてもらう」澪はうつむいたまま、抵抗する気力もなく連れて行かれた。結婚式の日、涼介は琴音の手を
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第8話
涼介の胸にズキッとした痛みが走った。椅子にもたれながら、少し酔いが回っていた。ふと、澪の顔が頭に浮かぶ。決して諦めることを知らない、あの女のことが。澪はいつも穏やかで、でも芯の強い女だった。涼介と喧嘩しても、いつだって黙って耐えていた。最初に必死に懇願してきた姿。崩れ落ちて泣き叫んでいた姿。そして最後には、歯を食いしばって必死に耐えていた――その全部を、涼介はずっと見てきた。何度も振り回して、一ヶ月まるまる無視して避けたこともあった。でも彼女は騒ぎもせず、ただ黙ってコーヒーを出してくれた。この女は、一体何を守ろうとしてたんだ。涼介はわざと冷たく接して、必死で澪を突き放そうとしてきた。挙げ句には、琴音との間に子どもができたなんて、そんな嘘までついた。でも、自分で一番わかってた。あれは全部、澪を愛してたからこその行動だったってことを。震える手を抑えられず、頭の中は澪のことでいっぱいだった。林先生から、澪が輸血を終えて休んでいると聞いて、涼介は少しだけホッとした。彼女に行くあてもないことくらい、分かってる。なのに、どうしてだろう。胸のざわつきはまったく消えてくれない。琴音がキッチンから温めたミルクを持ってやってきた。「涼介、ミルクよ。これ飲めば、すぐ眠れるわ」甘えるような笑顔が胸に突き刺さる。三年前の澪と、そっくりだった。そう、琴音は澪に似ている。顔も、しぐさも、性格までも。婚約したのも、素直で扱いやすかったからだけじゃない。澪に似ていたからだ。涼介は琴音の肩を引き寄せた。でも、心はますます沈んでいくばかりだった。澪みたいな女、いくらでもいる。澪一人くらい、忘れられないわけがない。琴音の頬がほんのり赤くなり、うれしそうに涼介にもたれかかってきた。取引を始めてから、涼介のほうからこんなふうに近づいたのは初めてだった。もしかしたら、今夜がその次のステップかもしれない。琴音は唇をうっすら濡らし、甘い声で涼介の名前を囁くと、彼の腰にそっと腕を回す。袖口に手をかけ、自分から唇を差し出す。けれど涼介の瞳は淡々としていて、どこまでも冷たかった。涼介は、澪以外の女性を受け入れることができない。「琴音、取引のこと、忘れたのか?」琴音は唇を噛んで、目に不満が浮かぶ。「涼介、もう私たち、
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第9話
林先生は、すでに切れた電話をしばらく見つめたまま、静かにため息をついた。涼介という男は、本当に素直じゃない。明らかに澪のことを心配しているくせに、それを絶対に認めようとしないのだ。林先生は、二十年以上にわたって涼介の背中を見守ってきた。その間、澪に対する態度は変わっていったけれど、ただ一つだけ変わらなかったのは――澪への想いだった。まだ子どもだった涼介が、澪の母親が、自分の母を死に追いやった張本人だと知ったとき、一週間近く誰とも口をきかなかった。林先生は昼間の涼介を見かけた。彼は向かいの澪の部屋が見える窓辺に座っていた。その窓の向こうには、澪がきれいなワンピースを着て立っていて、まるで今にも涼介のもとへ駆けてきそうな――そんな姿が映っていた。「涼介、一緒に遊びに行きましょう」涼介はずっとそこに座っていた。林先生が気づいたとき、彼の目は虚ろで、静かに涙を流していた。それは、林先生が初めて見た、深い悲しみと無力さに満ちた涼介の顔だった。「林先生、俺は澪を愛さずにはいられないんだ」涼介が憎しみと愛情の間で揺れながら、それでも澪と結婚する姿を、林先生はずっと見てきた。最初の数日、ふたりは確かに幸せそうだった。澪の家に対する憎しみを胸に抱きながら、涼介はすべてを計算し尽くしていた。澪だけに幸福を与えるための壁を築いた。けれど、澪はやがて財産の真相に気づき、資料を手に涼介を問い詰めた。澪の涙が涼介の腕にぽつりと落ちたとき、彼は崩れそうになっていた。最終的に、涼介は自ら背を向けることを選び、心にもない言葉を吐き捨てた。「俺はお前を憎んでる。本気で……死んでほしいほどに」涙を流しながら、それでも信じようとしなかった澪は哀願し続けた。誰もが信じられなかった。あれほどまでに澪を愛していた涼介が、彼女を憎むなんて。澪は、何度も涼介のもとを訪ね続けた。でも、その想いは失望に変わり、やがて絶望へとたどり着いた。そして部屋で大量の睡眠薬を服用してしまったのだった。それは、涼介が初めてあれほど取り乱し、澪を抱えて林先生に助けを求めた。「もう愛していない」と言いながら、涼介は、どうしても彼女に生きていてほしいと、必死に救いを求めたのだ。「どうすれば澪を助けられる」そう尋ねる涼介に、林先生はため息をついて答えた。「時に……憎
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第10話
そのとき、涼介の心臓にまた鋭い痛みが走った。彼は思わずテーブルの縁を握りしめ、ソファにもたれながら荒く息を吐いた。今回は前よりも痛みが強くて、頭の中にはなぜか澪の笑顔ばかりが浮かんでくる。本能的に澪に電話をかけようとしたが、スマホの画面を見つめたまま手が震えて、けっきょく何もしなかった。もはや、澪を探す資格なんてない。――あのとき、澪を突き放したのは自分自身なんだから。苛立ちが収まらず、指はテーブルを何度も叩いていた。気持ちはまったく落ち着かず、ただ募るばかりだった。琴音が部屋の外から歩いて入ってきた。甘い笑顔を浮かべ、身に着けた白いワンピースが目に入った。その瞬間、昔の澪が笑いながら告白していた姿が、ふと重なって見えた。琴音は涼介の目に迷いがあるのを見て、得意げに微笑み、用意していた航空券を手渡した。「涼介、決めたの。今度のハネムーンはモルディブに行きましょう?」涼介は返事も拒否もせず、黙ったまま一瞥しただけ。琴音は少しうつむいて、悲しそうに口を開いた。「ずっとここに行きたかったの。以前、お父さんが大きくなったら連れて行ってくれるって言ってたけど、もう無理になっちゃった」その弱々しい姿は拒否しづらかった。ただそれは、琴音がうつむいた瞬間に澪の姿が重なったからだった。澪もすねた時は、同じように悲しそうな顔で、迷いながら表情を伺っていた。承諾すれば、澪は爆発しそうなほど嬉しそうな顔で飛びついてきて、こう言うのだ。「涼介、あなたは世界で一番素敵な男性よ!」そう思った瞬間、また胸が締め付けられ、涼介は気づけばうなずいていた。名目上の夫婦として、体裁を保つなら完璧にやるしかない。琴音は興奮して部屋を行ったり来たりし、いろんな友達に話して自慢し始めた。琴音は慌ただしくスーツケース三つ分の服と靴を詰め込んでいた。涼介はというと、ずっとスマホを見つめたまま、誰かからの連絡を待っているようだった。その様子に、琴音の目には嫉妬と憎しみが浮かび、手のひらに爪を強く食い込ませた。富豪令嬢からギャンブラーの娘になった琴音は、多くの男を見てきた。その中で涼介だけが、特別だった。この男を手に入れられないなんて、ありえない。荷物が揃い、涼介はプライベートジェットを手配してモルディブへ向かった。道中、琴音は
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