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第0982話

Author: 龍之介
輝明はそう言われて顔を赤らめ、こくりと頷いた。「本当に、失礼しました」

彼はもう一度綿をじっと見つめ、「ごめんなさい」と一言だけ残して、その場を離れた。

綿は輝明の背中を見送りながら、夜の腕を掴む手に力を込めた。

本当に、夜が来てくれて助かった。でなければ、どうしていいか分からなかっただろう。

「写真ぐらい撮らせればよかったのに。バレることなかったと思うぞ」夜が小声で囁いた。

綿は首を振った。「写真って、一度撮られたら固定されるものよ。拡大して見れば、細かいところまでバレる」

「さすがだな、ボス」夜は笑った。

「はあ……あいつらが来るって分かってたら、最初から来なかったのに!」

もし正体がバレたら、まさにとんだ災難だった。

夜は綿をじっと見つめ、ぽつりと言った。「なあ、ボス。こうやって毎回別人になって遊び回るのも、結構しんどいんじゃないか?」

綿:「……」分かってるなら、あまり突っ込まないで。

一方、輝明はVIPルームに戻った。秋年が水を一杯注いで渡しながら聞いた。「あの女を探しに行ってたのか?綿だった?」

「違った」輝明は首を振った。

「だよな。どう考えても綿なわけないって」

「でも、似てた。……もしかしたら、って思った」輝明は水を一口飲み、目が次第に深くなった。

もし、どこが似ているかと問われれば——それは、あの女の話し方だった。

声は低かったが、わざと押し殺しているように感じられた。

秋年はあっさり提案した。「だったら簡単だろ。今すぐ綿にビデオ通話でもかけて、研究所にいるか確かめりゃいい」

輝明は一瞬考え、確かにそれも手だと思った。

だが、少し考え直して——やめた。

せっかく綿との間に少しだけできた好感度を、自らぶち壊すわけにはいかなかった。

その時、スクリーンから司会者の声が響いた。

「間もなくレースを開始します!」

輝明は顔を上げた。左側のスクリーンには機材でのライブ映像、右側には一面ガラス張りの窓があり、その向こうには連なる山が広がっていた。

このVIPルームは、まさに絶好の観戦ポイントだった。

輝明は立ち上がり、窓の外を見やった。

今日のレースに参加するのは全部で14人。そのうち女は4人、残りは男だった。

輝明は腕を組み、スクリーンに次々と映し出される選手のプロフィールカードを静かに見つめた。

N
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ayako
輝明、綿が声を低くしただけで綿だと分からないなんて雅彦に負けてるぞ!
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