７．山門の前で止まる足

冬の空気は、刺すように澄んでいた。

雲ひとつない青空なのに、日差しの温度はほとんど感じられず、風だけが頬をかすめていく。

その冷たさが、むしろ頭の中のざわつきを際立たせていた。

寺の山門が、視界の先に静かに佇んでいた。

白い息を吐きながら、浩人はその前で足を止めた。

深く息を吸い込めば、冬特有の乾いた冷気が肺の奥まで入り、痛みを伴うほどに胸が広がる。

ここへ来た理由を胸の奥で反芻しながら、彼は片手に持った紙袋を見下ろした。

供養の礼の品。

会社として、礼を尽くすためのもの。

「……仕事だろ。仕事」

そう口にしても、胸の奥に残る重さは消えなかった。

本当は違う。

それは、自分が一番よく分かっている。

供養の礼など、大義名分でしかない。

自分がここに来た理由を説明するには、あまりにも軽すぎる。

あの葬儀の日から、胸の内で燻り続ける熱の方が、理由としては正直だった。

門の前に立つだけで、心拍がゆっくりと速くなっていく。

寒さで震えているのではない。

胸の奥が、ひどく騒がしい。

「来るべきじゃないって…分かってたんだけどな」

独り言のように呟くと、声が冬空に吸い込まれた。

葬儀の日の隆寛の姿が、鮮明に蘇る。

剃髪した頭。

僧衣に包まれた姿。

そして、透明に見えるほど小さく残ったピアスホール。

読経の声が胸を震わせ、呼吸を奪った瞬間。

あの時感じた衝撃は、今もまだ身体のどこかに刺さったままだった。

「生きてるだろ、そりゃ。それでも…」

それでも、会いたい。

その事実を否認することは、もうできなかった。

ここから先の踏み出す一歩が、何かを変える一歩になる。

その予感が、足を重くする。

気持ちを断ち切るように、浩人は一度強く目を閉じ、吐く息に力を込めた。

冷気が口から洩れ、白く広がっていく。

指先が冷たく、紙袋の持ち手が手袋越しにも食い込む。

数歩の距離が、ひどく長い。

だが進まなければ、何も始まらない。

「……行くしかねぇよな」

覚悟に似た小さな言葉を胸に押し込み、浩人は足を前へと運んだ。

山門をくぐった瞬間、外とは異なる空気がまとわりつく。

ふっと、風の音が遠ざかったように感じた。

境内に足を踏み入れると、鳥の鳴き声だけが澄んだ空気に響き、周囲には木々が冬の日差しを受けて淡い影を地面に落としている。

どこか懐かしい。

それでいて、触れられない場所に来てしまったような圧迫感もあった。

石畳を踏みしめる靴の音がやけに大きく響く。

その音に、自分がこの“聖域”の静けさを乱している気さえした。

僧侶たちの影は見えない。

参拝客もいない。

風の音と、鳥の声と、遠くから聞こえる鐘の音が重なり合い、それがこの寺の呼吸のようだった。

線香の香りがかすかに漂ってきた。

それだけで、心がざわりと揺れる。

――葬儀の日に感じた、隆寛の匂い。

僧衣に染みついた香り。

遠い記憶の奥にある、彼がほんの少しだけ使っていた柔らかい香の匂いと混ざり合う。

「……っ」

胸が痛む。

懐かしさではなく、疼きに近い痛み。

会いたくないわけじゃない。

むしろ会いたい。

それなのに、その願いを自分で否定しようとする癖が抜けない。

五年前の別れ。

あの日以降、二人の関係について誰かに口にしたことは一度もなかった。

思い返せば、どれだけ身体を重ねても、どれだけ近い距離にいても、その関係に名前をつけることはなかった。

なのに、今この沈黙が、かつてのどんな距離よりも痛い。

境内の中央で、浩人はふと立ち止まった。

見上げれば、冬空は青く高く、どこまでも透き通っている。

その下で、隆寛は今も僧侶として生きている。

迷惑かもしれない。

近づかない方がいいのかもしれない。

けれど、来てしまった。

来たかった。

理由をつけて、正当化しようとしても、本心は隠せなかった。

「……会いたいんだよ。理由とか、どうでもいいくらい」

呟いた瞬間、冷たい風が頬を撫でていった。

その風が、胸の奥の熱を少しだけ冷ましてくれたようにも感じられたが、それでも消えることはなかった。

もう後戻りはできない場所まで来てしまった。

誰に言われたわけでもない。

ただ、自分が選んだのだ。

浩人は再び紙袋を握りしめ、足を前に踏み出した。

寺の建物へ向かうその歩みは、最初よりもわずかに速かった。

この訪れが偶然ではないことを、誰よりも彼自身が理解していた。