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8.住職夫妻の温かさ

ผู้เขียน: 中岡 始
last update ปรับปรุงล่าสุด: 2025-11-25 16:00:30

|庫裏《くり》(境内の住居)の引き戸が、乾いた木の音を立てて開いた。

中から漏れ出した空気は、冬の境内とはまるで違う温度をしていた。

ほんのりとした温かさと、煎った茶葉の匂いが混ざり合い、どこか家庭の匂いを運んでくる。

浩人は、背筋がわずかに強張るのを感じながら、一歩足を踏み入れた。

畳の匂い。

湯気の立つ茶器。

外の冷たさとはまるで別の世界。

そんな空間の真ん中に、住職――隆寛の父が座していた。

「遠いところを、わざわざご丁寧に」

穏やかな声。

深い眼差し。

葬儀の場で導師として厳かな姿を見せていた人と同じとは思えないほど、柔らかい表情をしていた。

落ち着いた仕草で、住職は湯飲みに茶を注ぐ。

その指先さえも丁寧で、浩人は無意識に背筋を伸ばす。

「いえ…こちらこそ突然お邪魔してすみません。

 会社として、挨拶をと思いまして」

そう答えながらも、声の奥に微かな緊張が混ざった。

住職の前では、何か取り繕った言葉しか出てこない。

すると住職が、まるで心を見透かすように微笑む。

「野上さんは、息子が大学の時…よく支えてくださったと聞いております」

湯飲みを手渡される瞬間、浩人の胸が一度ひっくり返ったように揺れた。

息子。

支えてくださった。

その言葉は、表向きには何もおかしくない。

だがその裏に、あの日々が一気に蘇る。

レポートを一緒に仕上げた夜。

家で食事を作り合った夜。

互いの部屋を行き来し、朝まで抱きしめて眠った夜。

親が知る“支え合っていた二人”は、おそらく健全そのものの友情だったのだろう。

けれど実際は――もっと深かった。

表には出せないほど、濃く、密接で、離れることを知らない関係だった。

浩人は心の奥に沈む痛みを飲み込み、柔らかな笑みを作った。

「…いえ。僕の方こそ、いろいろ助けてもらってました」

本当は、助けてもらっただけじゃない。

心も身体も、あいつに狂わされていた。

そんな言葉を口にできるわけもなく、浩人は視線を茶の表面へと落とした。

湯気がゆらゆらと立ち上り、その奥に自分の歪んだ表情が映っている。

すると、廊下の方から足音が近づいてきた。

軽やかで、どこか温かみのある音。

次いで、襖が開く。

「まあ…懐かしい方?」

柔らかな声だった。

その声だけで空気が少し明るくなるほどに、隆寛の母は穏やかな雰囲気をまとっていた。

彼女は浩人の顔を見た瞬間、ほんの少し目を細めた。

「息子、昔あなたの話をしていましたもの」

その言葉は、どこにも棘がなく、ただ懐かしさを込めたものだった。

だが、浩人の心を深く刺した。

(……そんな風に、話してたのかよ。俺のこと)

予想外の優しさだった。

隆寛が家で自分の話をする姿を想像すると、胸が熱くなる。

けれど、同時に冷たくもなる。

自分は――もうその場所にはいない。

こんな風に彼の親と笑い合うことも、以前のように家族のように扱われることも、もう許される場面ではない。

隆寛は今、僧侶だ。

自分の道を歩き、戒を胸に抱き、距離を保とうとしている。

その真実が、母の優しい一言によって、より鮮明に突きつけられる。

浩人は、軽く笑って見せた。

「…そうでしたか。ご迷惑ばっかりかけてたと思いますけど」

「いいえ、そんなこと。あの子ね、大学の頃は少し不器用だったでしょう? だから…あなたのことは信頼していたんでしょうね」

母の目はまっすぐで、曇りがなかった。

その言葉が、なぜか胸を締めつける。

(信頼…か。それだけじゃなかったんだよ、俺たち)

けれど、それを言う権利は今の自分にはない。

もう二人の間にあったものを口に出すには、距離がありすぎる。

母は、穏やかに笑ったまま続ける。

「またいらしてくださいね。近くまで来られたら、ぜひ」

その言葉は温かく、柔らかく、遠慮のない優しさに満ちていた。

その優しさが、逆に痛い。

浩人は、胸に溜まった熱を外へ逃がすように、静かに息を吐いた。

自分は彼の家族にとって、好ましい存在なのかもしれない。

だが、自分がこの家の温かさに触れる資格はもうない。

隆寛が距離を作った以上――自分も、外側の世界の人間でいなければならない。

そう分かっているのに、母の笑顔は胸の奥を揺らしたまま、広がる温かさに変わる。

その温かさが、逆に痛くなる。

(…ずるいよな、お前。

 こんな家庭で育って。

 なのに、俺とはあんな別れ方して)

思い出したくないのに、思い出してしまう。

あの日の冷たさも、最後に残った熱も。

住職が言葉を添える。

「息子も…どこかで喜ぶでしょう」

浩人の心が、一瞬止まった。

どこかで――喜ぶ。

会ったら。

話したら。

自分が来たと知ったら。

そんなわけがない。

僧侶として距離を取っている男が、喜ぶはずがない。

だが、喜んでほしいと願ってしまう自分がいた。

胸の奥で、懐かしさと痛みが渦を巻く。

ここは温かい。

外の冷たい空気とはまるで違う。

心ごと包まれてしまいそうな柔らかな温度。

けれど――自分はここに属さない。

その事実が、どんな言葉よりも冷たく刺さる。

浩人は、湯飲みを両手で包むように持ち、静かに頭を下げた。

「…ありがとうございます。

 本当に、お気遣いなく」

温かさを拒むように、けれど丁寧に返す。

住職も母も、その言葉の裏にある温度を知らない。

ただ優しく微笑むだけだ。

その笑顔が、痛かった。

隆寛の家族の優しさが、自分をより外側へ押し出していく。

浩人は胸の奥を押さえるように、深く息を吐いた。

温かい空気の中で、心だけが冷たい。

それなのに――懐かしさで満たされていく。

この家の温度を知ってしまったことが、

隆寛への想いをもう一度強くしてしまうと、気づきながら。

そして、その痛みこそが、彼をさらに前へ進ませるのだと――

浩人自身、まだ気づいていなかった。

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