冬の空は、どこまでも薄い灰色だった。雲が低く垂れ込めているのに、雪になるほどの冷え込みではなく、ただじっとりとした冷気だけが肌にまとわりつく。斎場の前に黒い車が次々と横付けされては、人を吐き出し、また動き出していく。黒いコートと黒いスーツが、そのたびにどこかから現れては、入口へ吸い込まれていく。野上浩人もその一人だった。革靴の底が、敷き詰められた薄い砂利を踏んで、しゃり、と乾いた音を立てる。マフラーを外しながら、彼は見慣れた日本語の看板をぼんやりと眺めた。「◯◯セレモニーホール」と書かれた白い看板が、冬空の下でやけに浮いて見える。香港の喧騒から、つい数日前に戻ってきたばかりだという実感は、まだ身体のどこかに残っていた。ビルの隙間を縫う湿った熱気と、早口の英語と中国語が飛び交う空気。その反動なのか、今目の前にあるこの静けさは、妙に現実味がない。受付に進む列が、ゆっくりと流れている。浩人もその最後尾に並んだ。前に立つ男の背中越しに、香典を収める小さなテーブルが見える。ふと鼻をくすぐったのは、線香の匂いだった。湿った畳と、古くなった木と、花屋が大量に持ち込んだ生花の香りが、線香の甘い煙と一緒になって、薄い靄のように漂っている。受付係の若い社員に頭を下げ、香典を渡し、記帳する。故人の名前の下に、自分の名を殴り書きするように書いて、ペンを置いた。「野上さん、日本に戻ってたんですね。」背後からかけられた声に振り向くと、同じ部署の男がいた。グレーのコートの襟に、霧雨のような水滴がいくつか光っている。「まあ、一応本社勤めってことになってるからな。」そう答えながら、口元だけで笑みを作る。軽く肩を叩かれ、そのまま一緒にホールの中へ進んだ。式場に足を踏み入れると、空気が一段と重くなる。白い花で埋め尽くされた祭壇の中央に、故人の遺影が掲げられている。少し古臭いスーツ姿で笑っているその男を、浩人は何度も会議室で見てきた。上司ではあるが、プライベートで飲みに行ったことは、数えるほどしかない。「やっぱ急すぎたよな。」横で誰かが小声で呟く。「一週間前まで、普通に出社してたのにさ。」そうだ、一週間前まで。浩人は、香港の狭いサービスアパートの一室で、深夜に届いたメールを見て、ただ「マジか」と声に出しただけだった。急性心筋梗塞。単語だけ見れば、ニュースでいくらでも転がってい
最終更新日 : 2025-11-20 続きを読む