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09:竜王とお散歩

last update Dernière mise à jour: 2025-09-07 18:07:13

「ヴァルフレイド」

 私が声をかけると、彼は金色の瞳をこちらに向けた。

「あなたに、食事を作りたいの」

 ヴァルフレイドは心底不思議そうな顔をして、わずかに首を傾げた。

「食事? 望むものがあるなら、俺が一瞬で出してやろう。なぜお前が作る必要があるんだ?」

「私の前世の世界ではね、誰かのために時間と手間をかけて食事を作ることは、とても大切なおもてなしなの。料理は、ただ空腹を満たすだけのものではないわ」

(彼はきっと、豪華な食事は知っている。でも誰かが自分のためだけに作る、温かい食事の味を知っているかしら。これは私の実験よ。人の手の温もりが、数千年を凍てついてきた彼の心に届くかどうか)

 私の説明を聞いて、彼の瞳に知的な光が宿る。未知の文化に対する、純粋な興味の色だった。

「なるほどな。お前の言う『おもてなし』とやらを、受けてみよう」

「ええ、ぜひ。……ただ、一つ問題があるのだけど」

 私が困ったように言うと、彼は楽しそうに口の端を上げた。

「厨房も、調理器具もない、か。ならば、人間の町へ買い出しに行けばいい」

 私たちは連れ立って宮殿のバルコニーに出た。

 ヴァルフレイドの体がまばゆい光に包まれる。光が収まった時、そこに立っていたのは神々しい真紅の竜だった。

 彼は私の前に恭しく身をかがめ、その巨大な背中を示す。私は少し躊躇いながらも、彼の温かい鱗に手をかけて背へと上った。

 力強い翼の一振りで、竜はふわりと宙に浮く。眼下に広がる禁断の森がみるみる小さくなり、やがてどこまでも広がる雲の海を突き抜けた。遮るもののない紺碧の空と、白く輝く太陽。風は強いはずなのに、彼の魔力がヴェールのように守ってくれていて、ただ心地よいだけだった。

「すごい……!」

 思わず、歓声が漏れた。

「世界って、こんなに広くて、綺麗だったのね……!」

 前世で飛行機に乗ったことはある。だがこの飛行は、そんなものとは比べ物にならなかった。

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  • 魔力ゼロの無能令嬢は、竜王の長い孤独を溶かして溺愛される   16:王子の転落

     ヴァルフレイドとロザリアが玉座の間から去った後、周囲には重い沈黙だけが残された。 イグニスは侮辱と恐怖に震えながら、まだ己の権威が通用すると信じて叫ぶ。「何をしている! 追え! あの者たちを捕らえろ。これは命令だ!」 彼の甲高い声が虚しく響く。玉座の間にいる衛兵も側近も、誰一人として動こうとはしなかった。 彼らはただ、恐怖と軽蔑が入り混じった目で、無様に叫ぶ王子と床で泣きじゃくるミリアを見つめているだけだった。 王家の重臣の一人が、冷ややかに告げる。「殿下。我々には、もはや殿下にお従いする理由はございません」 イグニスの権威が終わったことを示す言葉だった。◇「玉座の間で、赤髪の神人が王子を屈服させた」 その噂は、瞬く間に荒廃した王都を駆け巡った。 それは飢えと重税に喘いでいた民衆にとって、為政者への最後の信頼を打ち砕き、燻っていた不満を燃え上がらせるための燃料となった。 絶望が怒りへと変わっていく中、元宮廷学者であった賢人エイベルが、広場で人々を諭し始める。「我らを飢えさせているのは、天災ではない。王宮の食糧庫を満たしたまま、己の贅沢と欲望とを優先する人災だ」 エイベルの誠実な言葉は、多くの人々の心を捉えていった。 やがて民衆のうねりは一つの流れとなる。 賢人エイベルに導かれた飢えた人々が、王宮の食糧庫へと行進を始めたのだ。最初は数十人だった群衆は、道中で数百、数千人と膨れ上がっていく。 食糧庫を守る兵士たちは、目の前にいるのが自分たちの家族や隣人であると気づき、武器を構えることを躊躇った。 エイベルは兵士たちに語りかける。「君たちの剣は、民を守るためにあるはずだ。腐敗した穀物を守るためにではない」 その言葉に、兵士の一人が槍を捨てた。「ああ、そうだ。俺は国を――いいや、町のみんなを守りたくて兵士になった! 王子の贅沢のためじゃない!」 それをきっかけに兵士たちは次々と道を開けて、民衆は歓声を上げて食糧庫の扉を打ち破った。 

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