FAZER LOGIN最深部の重苦しい空気を切り裂くように、白銀の光と漆黒の圧力が鬩ぎ合っていた。巨大な黒い結晶――王都の地脈を侵食し、不気味に脈動する『悪魔の心臓』。その前に佇んでいたのは、王国の頂点に立つ国王レオンハルトであった。「父上……っ!? なぜ……なぜ父上がこのような場所に……!」ライネルの声が、地下洞窟の壁に空しく反響する。神聖剣『アルヴァ=クレイド』を固く握りしめるライネルの脳裏には、確かな記憶が刻まれていた。学園へと旅立つ前、自分にこの聖剣を授けてくれた時の父の姿。あの力強い手、王国と民を憂う威厳に満ちた眼差し――あの直後までは、父が悪魔の傀儡などではないと確信できていたはずなのだ。だが、今眼前に立つレオンハルトの瞳には、かつて見せた王たる慈悲の色はどこにもない。底知れぬ漆黒の濁りが、その双眸を侵し尽くしていた。「……何故、だと? 愚かな問いを拒むな、ライネル」レオンハルトは冷ややかに言い放つと、腰の意匠を凝らした王家相伝の宝剣を引き抜いた。その刃には、地下脈から吸い上げたど黒い悪意が怨念の煙となって絡みついている。「王とは国を護る者。そのためならば、神の光であれ悪魔の毒であれ、あらゆる力を統べるのが王たる者の責務よ。教会が全滅し、神聖防壁が崩壊した今、この地下に眠る地脈の核を掌握することこそが、このグラン・ルミナスを永遠たらしめる唯一の道なのだ!」「狂っている……! 悪魔の力に呑まれ、理性を失っているのは父上の方だ!」ライネルが叫ぶ傍らで、ルシエラとエルミナの身体から放たれる神聖波が、限界を超えて暴走の兆候を見せ始めていた。「っ……あ……あぁ……っ!」「ルシエラちゃん……! 力が……抑えきれない……っ!」ルシエラに取り込まれた悪魔の残照と、それに反照して四枚の白銀羽を輝かせるエルミナの聖光。二つの古の天使の威光が過剰に干渉し合い、互いの波動を跳ね上げ続けている。ルシエラの視界はすでに色彩を失いかけており、エルミナの背の羽からは今にも空間を爆砕せんばかりの光の粒子が溢れ出していた。いつ暴発してもおかしくない――もし今、二人がこの場所で全力を解放すれば、二人自身の魂が崩壊するばかりか、王都の地下水道ごとこの空間が跡形もなく吹き飛ぶ。(二人に力を使わせるわけにはいかない……! 今は僕が……僕の刃で父上を止めなけ
地脈の奥へ進むほど、空気は冷たく重く、そして悪魔の毒気によって粘り気を帯びていく。――ザシュッ!ライネルの振るう神聖剣『アルヴァ=クレイド』が、前立つの悪魔を真一文字に一刀両断する。エルミナの四枚の白銀の羽から放たれる神聖光が広範囲を浄化し、暗闇を白く照らし出していた。しかし、戦線の中央に立つルシエラの足取りは、どこか浮世離れした重みのないものへと変化していた。「ルシエラ……! 本当に大丈夫なのか!?」敵を退け終えたライネルが、剣を構えたままルシエラの側へと駆け寄る。その瞳には、隠しきれない焦燥と恐怖の色が浮かんでいた。先ほど腕を削がれた傷口からは、未だ赤黒い血が伝い落ちている。にもかかわらず、ルシエラは眉一つ動かさず、ただ自分の血に濡れた指先を無機質に見つめているだけだった。「大丈夫……? ええ、痛くも……辛くもないわ、ライネル君。むしろ、体が驚くほど軽いの……」ルシエラはぽつりと呟いた。その声には、先ほどまでの感情の機微や温もりが削ぎ落とされたような、冷ややかな美しさが混ざり始めている。触覚だけではない。視界の端が白くかすみ、鼻を突く悪魔の腐敗臭も、自分の息の温もりすらも感じられない。悪魔の残照をその身に取り込み、大天使としての記憶と圧倒的な威光を取り戻していくこと――それは同時に、今を生きる『人間のルシエラ・ヴァルハイト』としての生身の感覚を摩滅させていく現象に他ならなかった。(これが……大天使としての私……? 感情もなく、ただ純粋な力として存在していた、あの頃の感覚……?)ルシエラは己の胸元を強く手で押さえた。だが、拍動する心臓の鼓動すら、遥か遠くの鼓膜の奥で掠かに鳴っているようにしか感じられない。「ダメだ……ッ! ルシエラ、これ以上悪魔の残照を取り込んじゃいけない!」ライネルは咄嗟にルシエラの血の通わぬような冷たい手を強く握りしめた。「君の五感が薄れている……! 痛みが届かないのは、力が増したからじゃない。君の肉体と魂が、この世界から引き剥がされかけているんだ! 僕の存在を感じられるかい!? ルシエラッ!」ライネルの切迫した叫び。その手が伝える強い体温と摩擦の力に、ルシエラはハッと息をのんだ。遠のきかけていた意識の底で、小さな灯火が揺らめく。「ライネル……君……」「ルシエラちゃ
静まり返った地下洞窟に、ルシエラから放たれる漆黒と純白の混ざり合う圧倒的な魔圧が立ち込めていた。その禍々しくも神聖な圧力を真正面から受けたエルミナの身体が、突如として激しく共鳴を始める。「――あっ、あぁ……っ!」エルミナの胸元から眩い光が溢れ出し、彼女の背から再び『四枚の白銀の羽』が大きく展開された。ルシエラの中に目覚めかけた古の威光に呼応するように、エルミナの纏う天使の輝きもまた、一層の強大さと密度を増していく。二人の放つ威圧感が重なり合い、地脈の空間そのものがギシギシと悲鳴を上げた。「くっ……二人とも、意識をしっかり保つんだ!」ライネルは二人から溢れる圧倒的なエネルギーの奔流に気おされそうになりながらも、神聖剣『アルヴァ=クレイド』を強く握り直し、フロントに立ち続けていた。しかし、二人の光が暗闇を照らし出したことで、地脈の奥底からさらなる悪魔の群れを引き寄せてしまう。――グオォォォォッ!!壁や天井を突き破り、無数の異形の悪魔たちが雪崩のように押し寄せてきた。「来ます……ッ!」ルシエラは前へ踏み出し、湧き上がる記憶と感覚に従って腕を振るった。悪魔を討伐し、その弾け飛んだ「悪魔の残照」を取り込むたびに、ルシエラの体内で失われた大天使の記憶と力が一歩ずつ覚醒していく。破格の魔力が身体を駆け巡り、群がる悪魔たちを一撃で消滅させていく。だが――その代償は、静かに、そして着実にルシエラの肉体を蝕んでいた。(……あれ……?)猛烈な連戦の中、ルシエラは己の感覚に不気味な「違和感」を覚えた。視界に映る景色が、どこか遠い絵画のように現実感を失っていく。洞窟内に響くライネルの叫び声や悪魔の咆哮も、まるで水中で聞いているかのように途切れ途切れで薄い。悪魔の残照を取り込んで力が跳ね上がるたび、ルシエラ自身の人間としての『五感』や『生身の感覚』が、急速に希薄化していたのだ。――ガァッ!
不気味な脈動を打つ黒ずんだ石壁と、鼻を突く腐敗した魔力の匂い。マルタが開けた隠し通路を抜け、ルシエラ、ライネル、エルミナの三人は、王都の地下深くに広がる古結界ラインの「中層」へと足を踏み入れていた。「来るぞ……ッ!」ライネルの鋭い警告と同時に、闇の奥から凄惨な威圧感が一気に膨れ上がった。――グガァァァッ!石造りの天井や壁面から滲み出るように現れたのは、肉塊と黒い怨念がドロドロに溶け合ったような異形の悪魔――『地脈の喰骸者』の群れだった。王都の地下水道と結界ラインを這い回り、過剰な神聖エネルギーを食い荒らしていた悪魔の残滓たちだ。「エルミナ、下がっていて!」ライネルが前に躍り出ると、腰の聖剣『アルヴァ=クレイド』を閃かせた。白銀の剣光が暗闇を切り裂き、群がる悪魔の肉塊を一刀両断にする。「ルシエラちゃん、ライネル様! 私も……っ!」エルミナもまた胸元のロザリオを握り締め、可憐な手をかざして純白の神聖光を放つ。悪魔たちはその光に触れた先から凄まじい悲鳴を上げ、黒い煙となって消滅していった。けれど――敵の数は底知れなかった。「……しつこいわねッ!」ルシエラは果敢に踏み込み、掌から放つ凛烈な魔力塊で接近する悪魔を打ち払う。その時だった。弾け飛んだ悪魔の核――濃縮された「悪魔の魔力の断片」が、黒い火花となってルシエラの胸元へと飛び散った。「ルシエラ!?」「あ……く、あぁぁぁっ……!?」皮膚に触れた瞬間、激しい熱量とともに黒い断片がルシエラの体内に吸い込まれていく。それと同時に、彼女の脳裏に稲妻のような衝撃が走った。――封印されていた『前世の記憶』の一片が、強烈な濁流となって溢れ出してきたのだ。(これは……前世の私……天界の光を背負い、天上の玉座で降り注ぐ闇の軍勢を一人で薙ぎ払っていた、あの日……!)視界
「……失礼いたします、お嬢様方、ライネル殿下」闇に包まれた客室へ、再び静かに足を踏み入れたのはマルタだった。その手には、湯気を立てる銀のトレイと、温かな香りを漂わせるハーブティーのカップが人数分載せられている。「緊張のお気持ちは察するに余りありますが、明日の大一番を前に、少しでもお心を落ち着けていただくため、淹れ直してまいりました」「ありがとう、マルタ。配慮に感謝するよ」ライネルは労うように微笑み、差し出されたカップを手に取った。ルシエラとエルミナもまた、マルタの温かな心遣いに礼を言い、その澄んだ琥珀色のハーブティーを口へと運んだ。一口飲めば、花のような柔らかい香りと心地よいぬくもりが全身に染み渡っていく。「マルタ、近衛たちの動きや抜け道の確認は大丈夫そうかしら?」ルシエラが尋ねると、マルタは胸の前で恭しく手を組み、申し訳なさそうに、けれど完璧なメイドとしての笑みを浮かべた。「はい。見張りについている近衛兵の方々には……少々夜寒が身に染みる頃合いでございましたので、先ほど眠り薬を忍ばせた温かいハーブティーを差し入れさせていただきました。すでに廊下で心地よい夢の中においでになります」「えっ……監視の近衛兵を眠らせたのかい!?」ライネルが驚きに目を見開くと、マルタは静かに目伏せ、完璧な所作で頭を下げた。「私のような者には、剣を振るうような野蛮な真似は到底できません。……ですが、このように静かに道を開けるような簡単な手配であれば、お任せくださいませ」マルタはふっと微笑み、地下へと続く隠し扉の鍵をトレイから取り出して見せた。「地下深層で待ち受ける魔導の罠や、異形の悪魔どもを退けるといった過酷な戦いにつきましては、私などでは力不足にございます。そこからはどうか、お嬢様方とライネル殿下のお力をお示しくださいませ」「ふふ……十分すぎるくらいの見事な手際だわ。ありがとう、マルタ」ルシエラは感嘆の吐息を漏らすと、深紅の瞳に凛とした光を宿した。「ライネル君、エルミナ。マルタが作ってくれたこの千載一遇の機会……無駄にはできないわ。今すぐ、地下の最深部へ向かいましょう」「ああ、そう
決行の夜を明日に控えた王城は、気味の悪いほどの静寂に包まれていた。窓の外では、王都を包むどんよりとした雲から再び深々と雪が舞い降り始めている。遠く街の明かりは途切れがちで、全滅した教会がもたらした防壁の綻びが、人々の生活に暗い影を落としていることが窺えた。客室の小さな机の前で、ルシエラはオーガスト枢機卿から託された『精巧な箱』の上にそっと指先を滑らせていた。重厚な金属の質感と、そこに施された繊細な神聖文字の刻印。箱の奥からは、ルシエラ自身のものでありながら、どこか禍々しくすら感じられる不完全な波動が微かに伝わってくる。(この中に眠るのは、大天使としての私の威光……そして、堕天の記憶)ルシエラはそっと目を閉じた。もしこの箱を開ければ、絶大な力を取り戻し、目の前の恐怖や悪魔を容易に退けられるかもしれない。しかし――ライネルの言う通り、今の自分にはあまりにも危険すぎる。悪魔が狙う「堕天の完成」という筋書きに、自ら飛び込むようなものだ。「ルシエラ」静かな呼び声とともに、ライネルが傍らに立った。その手には一本の温かいハーブティーが握られている。「まだ起きていたのかい? 明日に備えて、少しでも休んだ方がいい」「……ええ。ありがとう、ライネル君」ルシエラは手元から箱を引き出しへとしまい、湯気の立つカップを受け取った。「ライネル君……明日、地下の最深部へ向かえば、もう引き返せなくなるかもしれないわ。レオンハルト陛下との対立も、免れないでしょうね」「覚悟の上さ」ライネルは少しの迷いもなく答えた。「父上が国王として王都を守ろうとしているのは真実かもしれない。だが、もし父上のやり方が悪魔の罠に誘導されているのだとしたら、一国の王子として……そして君を守る一人の剣士として、それを止めるのが僕の義務だ」そう言ってライネルは、腰に下げた『アルヴァ=クレイド』の鍔をそっと撫でた。白銀の聖剣は、まるで彼の覚悟に応えるかのように、暗闇の中で静かな光を放っている。「ライネル君は、本当に強いわね……」「君が僕に、強さを教えてくれたんだよ。あの日、洗脳の霧の中で君の手を握った時から、僕の誓いは変わっていない」二人が静かに見つめ合う中、部屋の隅のベッドから、小さな衣擦れの音が聞こえた。「……ルシエラちゃん、ライネル様……」







