All Chapters of クズ男と初恋を成就させた二川さん、まさか他の男と電撃結婚!: Chapter 1031 - Chapter 1040

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第1031話

彼女は恥ずかしそうに小さく頷き、それが答えになった。伊吹は満足げに唇を上げ、寝室へ向かう足取りが一気に軽くなる。そのころ、二人が想いを遂げている一方で、加津也の病室には重苦しい空気が漂っていた。彼は苛立ちを抑えきれず、テーブルの上の食事を一気にひっくり返す。初芽の声に滲む苛立ち――それを感じ取らなかったわけではない。ただ、認めたくなかっただけだ。最初は落ち込んでいたが、今は怒りに変わっている。どこで間違った?あんなにうまくいっていたのに。初芽はずっと自分の味方で、困ったときには真っ先に頼れる存在だったはずだ。なのに、今はもう彼女の心がどこにも見えない。加津也は勢いよく立ち上がり、点滴の針を乱暴に引き抜いて部屋を出ようとした。だがその瞬間、頭の奥に鋭い痛みが走る。思わず頭を押さえ、よろけながらベッドに倒れ込んだ。意識がだんだん霞んでいく。彼の中で、何かがせめぎ合っていた。まるで二人の自分が、頭の中で争っているかのように。その様子を、ちょうど部屋の入り口に立っていた紗雪が見ていた。手には袋を提げ、眉をひそめながら言う。「......これ、回復の兆しってやつ?」隣にいた京弥が頷く。「多分。軽い脳震盪だから、時間の問題だろう」紗雪は特に興味もなさそうに頷き、黙り込む。正直、彼が記憶を取り戻そうがどうなろうが、彼女にとってはどうでもよかった。そもそも、こうなったのは彼自身のせいだ。ここに来て手土産を置くだけでも、彼女にとっては人道的な行為のつもりだった。加津也の容態に大きな問題がないのを確認すると、紗雪は荷物を置いて帰ろうとする。京弥が不思議そうに問う。「せっかく来たのに、中に入って顔くらい見ていかないのか?」「いいの。目を覚ますならそれで十分」紗雪は首を振り、淡々とした声で続けた。「もう二度と彼と関わりたくないわ。これっきりにしたい」京弥は一瞬驚いたが、すぐに口元を緩めた。彼女に歩み寄り、自然な動作で腰に腕を回す。「そういう強くて自立したところが、好き」紗雪は小さく笑い、満足げにうなずく。その決意を口にした自分に、少し誇らしさすら感じていた。帰ろうとしたとき、廊下の向こうから一人の中年女性が歩いてくるのが見えた。制服姿か
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第1032話

なにしろ、これは他人の贈り物だ。自分が勝手にどうこうできるものではない。介護士が病室に入ると、加津也がベッドの上で何度も身をよじっていた。明らかに激しい苦痛に襲われている様子だった。彼女は慌てて駆け寄り、心配そうに声をかける。「西山さん、どうされたんですか?さっきまで元気だったのに......」声には焦りがにじんでいた。もしこのまま彼に何かあれば、今後の給料はもちろん、その後にもらえる予定のお金もすべて消えてしまう。それだけは困る。今はまず、彼の容態を確認することが先だ。加津也は苦しげに息を吐きながら、かろうじて言葉を絞り出した。「医者を......呼んでくれ......」その言葉でようやく我に返った介護士は、手にしていた荷物を床に置き、全力で廊下へと駆け出した。ここでぐずぐずしていれば、取り返しがつかなくなるかもしれない。意識が遠のく寸前、加津也の視線が床に置かれた包みへと向いた。見慣れない高級な栄養食品――あれは、普通の介護士が買えるような代物ではない。......誰かが、見舞いに来たのか?そんな疑問が、かすかに浮かんだ。やがて、介護士が医者を連れて戻ってくる。医者は彼の様子を確認するなり、すぐに鎮静剤の注射を打った。ようやく呼吸が落ち着き、加津也の身体の震えも収まっていく。少しして、医者が表情を和らげながら尋ねた。「気分はどうですか?」加津也はしばらく沈黙し、ようやく低く呟いた。「......先生、思い出しました」医者はほっと息をつく。「そうですか。軽い脳震盪による記憶喪失だったですが......何か強い刺激があったのかもしれない。それで記憶が戻ったんでしょう」「刺激の、出来事......?」加津也はその言葉を繰り返し、眉を寄せた。頭の中に蘇るのは――紗雪に殴られ、脳震盪を起こしたあの瞬間だけ。他のことは、ほとんど霞んでいる。だが、初芽のことは......確かめに行かなくては。彼女がなぜあんな態度を取ったのか、ちゃんと知る必要がある。彼は初芽を、絶対に手放すつもりはない。二人は、どんな形であれ離れることが許されない。生きようと死のうと、一緒にいるべきだ。たとえその考えが狂気じみていても、彼にとってはどうでもいい
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第1033話

つまり、彼を監視しているということだ。そうでなければ、こんなに多くの人が彼を見張っているはずがない。ただ......加津也の視線が、どこか頼りなげな介護士へと向かった。この人はいったい、どちら側の人間?誰に派遣されたのか?それが、まだどうしてもわからなかった。介護士はその探るような目に気づいて、思わず身を震わせた。自分、どうしてこんなことに巻き込まれてるんだろう。ただのバイトのつもりだったのに。これじゃあ、こんな高い給料が出るのも無理はない。こんな精神状態の人を相手にするなんて、誰だって落ち着いていられるわけがない。他の人たちが帰ってしまうと、病室には介護士ひとりだけが残った。その時、加津也は何のためらいもなく指示を出した。「午後には退院するんだから、荷物をまとめてくれ」介護士はうなずいた。このお金をもらっている以上、やるべきことはやらないといけない。もうぐずぐずしていられない。むしろ、早くこの厄介な人を送り出してしまえば、次の依頼を受けられる。そう思うと、なんだか急に人生が明るく見えた。「わかりました、すぐ片づけます」介護士がそう答えると、加津也は洗面所に行き、着替えを済ませて戻ってきた。その時、床に置かれたままの栄養補助品に気づく。「これは?」介護士はシーツをたたむ手を止めた。まさか彼がそれを聞くとは思っていなかった。もし聞かれなければ、こっそり持って帰ろうと思っていたのに。もう無理だ。「それはすごくきれいな女の人が持ってきたんです」「名前は?」「それが......わからないんです」介護士は頭をかきながら困ったように答えた。「聞いたんですけど、教えてもらえなかったので......」彼女は正直者だ。問い詰められても、嘘なんてつけない。しかも、記憶を取り戻した加津也の雰囲気は以前とはまるで違っていて、正直ちょっと怖かった。「その女、どんな顔だったか覚えてるか?」そう聞かれて、介護士は首をかしげ、必死に思い出そうとしたが、すぐにあきらめた。「うまく言えませんけど......とにかく綺麗でした。びっくりするくらい。女神様みたいで、背も高くて」加津也の胸の中に、ひとつの答えが浮かんだ。けれど、まだ確信には至らない。
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第1034話

加津也の声は、さらに冷えきったものになった。「捨てろって言っただろ。聞こえなかったのか?」その一言で、介護士ははっきりと悟った。これは本気だ。冗談なんかじゃない。慌ててうなずき、震える声で答える。「わ、わかりました。すぐに捨てますから......」彼女には、どこでまたこの坊ちゃんの気に障ったのか、まるでわからなかった。さっきまで何も問題なかったのに、急に怒り出して。どうしてこうなったのか。けれど、介護士は反論なんてできない。自分はただの雇われの身。怒らせたところで、得することなんて何もない。持ち主がいらないと言うなら、捨てるしかない。介護士が部屋を出ていくのを見届けてから、加津也の呼吸はようやく落ち着いた。明らかに、紗雪が差し入れを送ってきたのは、善意なんかじゃない。見下しに来たに決まっている。そんなもの、受け取るわけにはいかない。笑わせる。この程度の自尊心くらい、まだ持ち合わせている。記憶を取り戻した今、もうあの愚か者のままでいるつもりはない。一方、介護士はゴミ箱の前まで来て、手にした高価そうな品々を見下ろした。その表情には、どうしても捨てきれない惜しさが浮かんでいた。こんないいもの、捨てるなんてもったいない......どうせ彼はもう退院する。二度と関わることもないだろう。それなら、自分で持っておいてもいいんじゃない?そう思った瞬間、介護士の顔に小さな笑みが浮かんだ。彼女はこっそりそれらを別の袋にしまい込み、病室へ戻った。その後、彼女は上機嫌で荷物を片づけ、最後に写真を一枚撮って初芽に送った。それで任務完了だ。加津也はその写真を見ても、何も言わなかった。金のためにやっている、それくらいは理解している。今の彼にとって重要なのは、会社へ戻り、情勢を立て直すこと。紗雪が目を覚ました今、彼女の存在は確実に会社への脅威になっている。もうこれ以上、何もせずに座して死を待つわけにはいかない。そして初芽のこと、どうにも胸の奥がざわつく。なぜだろう、何かが静かに消えていくような感覚がある。けれど、それが何なのかは、どうしても言葉にならなかった。ただ、心のどこかが空っぽになっていく。そんなふうにぼんやりしていると、介護士が戻っ
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第1035話

加津也の胸の奥に、重く沈むような痛みが走った。以前の初芽とは、まるで別人だ。本当に、比べものにならない。彼はマンションのドアの前に立ち、いつものようにパスワードを入力した。だが、画面には何度も「エラー」の文字。眉がぴくりと動く。不穏な予感が、心の底からじわりと湧き上がった。以前、初芽が「家政婦さんのために、分かりやすい番号にした」と言っていたのを思い出す。もしかしてと思い、最も単純な数字を入力してみた。それでもエラー。その瞬間、加津也の頭の中が一気に冷えた。つまり、初芽は完全に彼との関係を断ち切った、ということか。そんなはずはない。この家は自分が贈ったものだ。彼女のためにどれだけの年月を費やしてきたと思っている?簡単に手放せるものか。初芽は自分の女だ。たとえ自分が手に入れられなくても、他の誰にも渡すつもりはない。顔が歪み、目に狂気の光が宿る。自分の女が、自分の許可なく離れていく――そんなこと、あってはならない。家を与え、自由を与え、事業の支援までしてやったというのに。その結果が裏切りだというのか?証拠はまだない。だが、初芽の態度を見れば、もう十分だ。あの頃の想いなど、もう残ってはいない。ふたりの関係は、すでに壊れていた。けれど、これまでの年月を思えば、簡単に終わらせられるはずがない。加津也はすぐに電話をかけた。今日こそ、はっきりさせなければならない。言い訳なんて聞く気はない。とにかく、説明をさせる。初芽はちょうど、伊吹と一緒に海外行きの手続きをしているところだった。スマホの画面に「西山加津也」の名前が光った瞬間、その瞳には明らかな苛立ちが浮かんだ。もう、彼に価値はない。以前は多少、利用できる相手だと思っていた。けれど今は違う。伊吹がいる。そして、彼への信頼も、感情もある。加津也なんてもう必要ない。あの人のことを思い出すだけで、嫌悪感が湧く。紗雪をあんな形で捨て、堕ちていく姿を何度も見た。情けなくて、見るに耐えなかった。今の彼女には、自分の人生がある。無駄な過去に縛られる理由なんてない。時間も気力も、もう浪費したくない。そう思いながら、初芽は何のためらいもなく通話を切った。ほんの一秒
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第1036話

初芽は、彼に寄り添うように甘える姿を見て、胸の奥がじんわりと温かくなった。背中をそっと彼に預けると、ふたりの体がぴたりと重なり、柔らかな空気が部屋の中に満ちていく。澄んだ声で、彼女はまっすぐに言った。「もちろんよ。もう考えたわ。これからは伊吹と一緒に歩いていくって、決めたの。決めたからには、もう簡単に変えたりしないから」その言葉に、伊吹の心は一気に弾けるように高鳴った。彼は抑えきれずに身をかがめ、初芽の桜色の唇に軽く口づけを落とす。「ああ。俺は、必ずお前を大切にするよ。これからどこへ行こうと、必ず一緒に連れて行く」初芽も真剣な表情でうなずいた。「うん、信じてるよ。伊吹と一緒にいて、初めて『幸せ』ってものを感じられたの」顔を上げると、その透き通るような瞳が真っすぐに彼を見つめた。もともと清楚な顔立ちの彼女が、そんなふうに見つめてくるものだから、伊吹の胸の奥がとろけるように熱くなる。ふたりの距離は、もはや身体だけのものではなかった。心の距離までも、すっかり重なっていた。その頃、ふたりの甘い時間とは裏腹に、加津也の胸中は荒れに荒れていた。電話を一本かけさえすれば、初芽はきっと機嫌を直す。そう信じていた。欲しいものがあれば、何だって買ってやるつもりだった。なのに、まさか電話すら出ないとは思いもしなかった。謝る言葉も全部、頭の中で用意していたというのに。黒いスマホの画面を見つめるうちに、加津也の表情はみるみる険しくなっていく。ゆっくりと手に力がこもり、歯ぎしり混じりに呟いた。「いい度胸だな。電話まで無視するとは。初芽、覚えてろ」その眼差しは鋭く光り、ハンドルを握る指にも力がこもる。次々と信号を無視しながら、黒い車がまるで黒い稲妻のように街を駆け抜けた。彼の目的はただひとつ。初芽の仕事場へ行くこと。彼女が本当にそこにいるのか、確かめるために。だが、たどり着いたその場所を見て、思わず足が止まった。......小さい。以前よりも、明らかに規模が縮小している。たった数日、病院にいた間に、一体何が起こったというのか。まるで世界そのものが変わってしまったかのようだった。中に入ると、見慣れた顔もほとんどいない。知らないスタッフばかり。どういうことだ
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第1037話

心咲は、まだ卒業して間もない大学生だった。いわゆる「若さゆえの怖いもの知らず」なのだろう。彼女はどんな相手を前にしても、負けを恐れず、面倒事を避けようとしない強さを持っていた。彼女は加津也の顔を見て、すぐに誰なのか気づいた。だが、口には出さなかった。なにしろ、初芽が誰と付き合おうと、それは彼女の私生活だ。自分はただの雇われ社員にすぎないのだから、そこに口を挟む資格などない。心咲は肩を軽く回し、少し面倒くさそうに言った。「この前色々あって......とにかく、今このスタジオは私が管理しています。それだけ分かっていれば十分です」加津也は眉をひそめ、不思議そうに尋ねた。「なぜ君が?前の人はどうしたんだ?初芽は?元気だったはずだろ、なぜ急にスタジオを辞めたんだ?」彼は、どうしてもその事実を信じられなかった。初芽が服飾デザインをどれほど好きか、彼にはよく分かっていた。このスタジオは彼女が一から作り上げたものだ。そんな彼女が簡単に手放すはずがない。もしや、もっと良い発展の道を見つけたのか。それとも、もっと強い後ろ盾を得たのか。つまり彼女はもう、自分との未来を考えていないということか。「他のことは、あまり詮索しないでください」心咲は、少しうんざりしたように言った。彼女としては、加津也をここに長く居させたくはなかった。もしこの男が初芽と関係のある人物でなければ、とっくに追い出していたに違いない。だが、多少なりとも昔の縁があるから、今回は目をつぶってやっている。それに、心咲自身も少し同情していた。まだ怪我が治りきっていないのに、恋人を探しに来るなんて......頭に巻かれた包帯を見た瞬間、思わず息を呑んだ。しかし、それでもこの男は執念深かった。見つからなかったからといって、怒鳴るでもなく、むしろ落ち着いて質問を続けてくる。その姿勢に、心咲は内心で少し感心していた。「今このスタジオは、全部君が仕切っているっていうことだな?」加津也の声で、心咲は現実に引き戻された。彼女はにこりと笑って頷いた。「ええ、小関社長からこのスタジオの管理を任されています」彼女は初芽が海外へ行くつもりでいることには触れず、ただ曖昧に言葉を濁した。「小関社長にはきっと自分なりの
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第1038話

これらの疑問は、加津也が退院してからというもの、ずっと彼の頭の中を離れなかった。もし初芽が本気で彼と決別するつもりなら、これまでの彼の努力はいったい何だったのだろうか。加津也はゆっくりと拳を握りしめ、最後には車に乗り込み、その場を離れた。スタジオに初芽がいない以上、ここにいても意味がない。彼は分かっていた。初芽がこの場所を手放したということは、当分は戻ってくる気がないということだ。それなら、ここで待ち伏せしても無駄だ。加津也は会社へ戻った。入院していた間に滞っていた仕事が山ほどある。スマホを確認すると、入院中に父親からの着信が何件も残っていた。最初のうちは一応応答していたが、次第に面倒になり、もう出る気にもなれなかった。どうせ会社の用件に決まっている。父が自分に連絡を取ってくる時は、決まって仕事絡みで、親子としての情など一度も感じたことがない。加津也の胸には、長年の不満が渦巻いていた。幼い頃は、父親に送り迎えしてもらう同級生が羨ましかった。だが大人になって悟ったのだ。父が何も与えないなら、自分の手で掴めばいい。誰の助けも借りずに、欲しいものは自分で手に入れる。その生き方こそが、今の彼の傲慢で自我の強い性格を形づくっていた。一方その頃、心咲はようやく息をついた。胸を押さえながら、すぐにスマホを取り出し、初芽に電話をかけた。さきほど加津也に話したことの大半は、時間稼ぎのための方便だった。彼に余計な疑念を持たせないようにしながら、初芽が国外へ発つまでの時間を稼ぐ――それが彼女の狙いだった。電話はすぐにつながり、初芽の少し眠たげな声が聞こえた。「どうしたの?」心咲はすぐに、先ほどの出来事を一から十まで報告した。「よくやったわ」初芽は満足そうに応じた。やはり、最初から彼女をここに残しておいたのは正解だった。褒められた心咲は、少し照れながらも笑った。「大したことじゃありません。これも仕事のうちですから」初芽は淡々と答えた。「うちは功績には必ず報いる主義。しっかりやってくれれば、損はさせないわ」その言葉に、心咲の胸は熱くなった。卒業したばかりの自分に、こんな責任ある仕事を任せてもらえるなんて......「ご安心ください。しっかりやりますか
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第1039話

彼女はまだ、安東家との関係を完全に断ち切るためのパーティーを開くつもりでいた。遅れれば遅れるほど、世間はまだ安東の現状を知らず、従来通り彼らと取引を続けることになる。そうなれば、あの契約書の数々も孝寛にとって何の脅威にもならない。そんな状況を、美月が受け入れられるはずがない。階上から緒莉が降りてくると、出かけようとした矢先、リビングのソファに座る母の姿が目に入った。その表情はどこか沈み込んでいて、眉間には深い皺が刻まれている。緒莉は「良い娘」を演じるように、母の隣へと歩み寄り、静かに声をかけた。「お母さん、どうしたの?そんな深刻な顔をして」確かに「後継者」の件で、緒莉は母に対して不満を抱いていた。だが、今はまだ牙を剥く時ではない。力のない者は、時に耐えることを覚えねばならない。その理屈、緒莉はとうに学んでいた。いずれ反撃の機会が来た時こそ、一撃で全てを終わらせるために。だから今は、決して感情的になってはいけない。もしここで母と衝突すれば、パーティーへの出席も取り消される。顔を売るチャンスを逃せば、鳴り城の上流社会に足を踏み入れることなど到底できない。それでは、新たな御曹司たちとの縁を築くことも不可能になる。損得を秤にかけた結果、緒莉の中で答えは決まった。一方、美月は整った身支度の娘を見て、てっきり今日が三日目であることを分かっていて、一緒に安東家へ行くつもりなのだと勘違いした。だから、遠慮なく口を開いた。「今から安東家へ行くわ」そして娘を見つめながら問う。「もう支度してるのね。今日は三日目だって分かってるからかしら?」緒莉は一瞬、言葉に詰まった。まさか母が、そんな直球で聞いてくるとは思わなかったのだ。本当はただ、少し外に出て空気を吸いたかっただけなのに。それがどうして、母と一緒に安東家に行く流れになってしまうのか。彼女は心の底で舌打ちした。母と顔を合わせなければ、「後継人」の件を思い出すこともなかったのに。どうやら、その逃げ道も塞がれてしまったらしい。緒莉はため息をつき、しぶしぶ頷いた。母はどうしても自分をこの件に巻き込みたいらしい。逃げるにしても、もう遅い。彼女は表情を整え、母の言葉に合わせるように口を開いた。「今日行くのか聞こう
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第1040話

彼女はいま、自分の手であの人を刑務所に送ることになっていた。最初は何とも思っていなかった。彼女の考えでは、ただこの件を辰琉の罪として確定させればそれで済むと思っていたのだ。それ以上のことなど、考えもしなかった。だが、明らかに美月の考えは違っていた。まるで自分の目で辰琉が完全に捕まるのを見届けないと気が済まないようだった。緒莉には、母のその執念めいた感情が理解できなかった。けれど、逆らうわけにもいかない。今の彼女には、まだ母の言葉に従うしかない立場で、独り立ちできるほどの力はなかった。美月は彼女にとてもよくしてくれている。今ここで関係を悪くする理由なんてない。二人が出発してからの道中、ほとんど言葉を交わすことはなかった。屋敷の前で、伊藤は車の後ろ姿を見送りながら、渋い顔をしていた。どう美月に伝えればいいのか分からない。最近の緒莉は、あまりにも変わってしまった。以前とはまるで別人のようだ。もう、取り繕うことすらしなくなってきている。そう思うと、伊藤は苦笑をこぼした。彼女は自分の娘ではないが、それでも紗雪と比べれば、胸が痛む。あの子は早くに嫁いで行ったが、結果的に姉の男によってあんな目に遭わされた。それなのに、姉の心にはまだ打算がある。伊藤は頭が痛くなったが、どうにもできない。今はただ、様子を見ながら動くしかない。これからは、せめて紗雪にはできる限り優しくしてやろうと心に決めた。緒莉には美月の愛情があるが、紗雪は何もかも自分で背負っている。もし家に帰っても誰にも気にかけてもらえなかったら、あの子はいったいどんな思いを抱えるだろう。......緒莉と美月が安東家に着くと、門は固く閉ざされていた。まるで最初から開けるつもりがないかのように。緒莉はツイードのワンピースを着て、上品なハンドバッグを持ち、日傘を差して立っていた。照りつける日差しに、目が開けていられないほどだった。「どういうこと?」苛立ちを隠せずに言う。「もう三日目なのに、自分から人を差し出さないつもり?」待たせるなんて、ほんと自覚がない。心の中でそう悪態をつきながらも、緒莉は口には出さなかった。今の母は機嫌が悪い。ここで余計なことを言えば、火に油を注ぐだけだ。それく
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