クズ男と初恋を成就させた二川さん、まさか他の男と電撃結婚!의 모든 챕터: 챕터 1011 - 챕터 1020

1114 챕터

第1011話

彼は初芽の腰に手を添えながら言った。「もういいだろ。あいつに構ってる時間が無駄だ。早く片付けよう。このあと海外に行く準備もしなきゃいけないんだし、ああいう道化は警察にでもくれてやればいいよ」初芽は小さく頷き、否定も肯定もしない表情を浮かべた。正直、伊吹の言うことには全面的に同意だった。この社員は、これまで使い勝手が良かったとはいえ、所詮は雇われにすぎない。人間、一生同じ職場に留まるわけでもないし、いつかは離れていく。そのくらいの道理は、初芽もよくわかっていた。だからこそ、最初から「失わないこと」を期待したこともない。きちんと終わればそれで十分――彼女はそういう人間だ。「警察を呼んで。もう話す価値もないわ」初芽の言葉を受けて、伊吹はすぐに顔なじみの警官へ連絡を入れた。これ以上時間を取られるのは無駄だ。石橋のような取るに足らない人間に、労力を割く理由などどこにもない。石橋はまだ逃げ道を探していたが、見ていられなくなった社員たちがすでに彼の口をテープで塞いでいた。ついでに容赦なく蹴りも入れる。「ほんと鬱陶しいわ。何を偉そうに理屈こねてんだか」「だよな、完全にクズじゃん!」一人が蹴れば、次の一人も蹴る。そんな光景を見ても、初芽は何も言わなかった。心の中では分かっている。彼らは正義感というより、今後の「管理者の椅子」に目を向けているだけ。初芽が海外へ行けば、この国内スタジオは空になる。けれど固定の顧客もいるし、運営さえうまくやれば十分に価値はある。上を目指す気持ち自体は嫌いではない。欲しいものがあるなら、正攻法で取りに来ればいい。陰湿な手を使わずに。たとえ卑怯なやり方で手に入れたとしても、生涯誰にもバレずに隠し通せる保証なんてあるわけがない。そんなことを思いながら、初芽はふっと笑った。やがて警察が到着し、状況を簡潔に説明すると、そのまま石橋は連行された。罪状は「つきまとい行為・ハラスメント」。さらに初芽は業界内にも彼の名を回した。これで彼を採用するスタジオは一つもなくなる。経験があろうがなかろうが、一度こういう問題を起こした時点で記録は消えない。その瞬間、石橋のキャリアは自分の軽率さで完全に終わった。その後、初芽は石橋に次ぐ能力を持ち
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第1012話

心咲は思いがけない抜擢に、むしろ嬉しさのほうが勝っていた。彼女は何度も初芽に深く頭を下げ、「必ず全力でやり遂げます」と繰り返した。石橋の件がなければ、このポジションが自分に回ってくることなんて絶対になかった――そのことも十分理解している。「ご安心ください。細かいところまできっちり管理します!わからないことがあったら、すぐにご相談しますから!」初芽は薄く笑って、それ以上は何も言わなかった。今この立場は、彼らにとってかなり魅力的なポジションだ。ここに座るかで、国内での発言力すら変わってくる。それを心咲に任せた以上、多少敬意を示される程度は当然だし、初芽自身も受け止める覚悟はできていた。一通りの引き継ぎを済ませると、初芽は伊吹とともにスタジオを後にした。今の彼女にとって、ここはもう見るだけで頭痛の種だ。この場所に居続ければ、石橋の一件がどうしても頭をよぎる。まるで影のようにまとわりつき、振り払っても離れない感覚。そんな生活はもうごめんだ――そう思うと、一刻も早く離れたくなる。車の助手席に乗り、ハンドルを握る伊吹の横顔を見つめていると、不思議と胸の奥が落ち着いていく。危ない目にあっても、頼れる男はちゃんといる――そう思わされる瞬間だった。これまでの自分は、考えが狭すぎたのかもしれない。今にして思えば、男という存在は、時に一番の足場になる。ひとりで意地を張りすぎるのも考えものだ。視線に気づいた伊吹は、どこか得意げに口をひらいた。「どうした?ずっと俺のこと見てるけど。俺の顔に何かついてる?」初芽は笑って首を振る。「伊吹の横顔を見てると、なんだか安心するの」こんなにも素直に胸の内を言葉にしたのは初めてだった。自分が「不安を感じやすい人間」だという自覚はずっとあったのに、まさか口に出せる日が来るとは、本人ですら思っていなかった。伊吹の満足そうな気配は、隣にいても伝わってくる。彼は前を見据えながら車を進めつつ、視線の端だけ初芽に向けていた。そっと彼女の手を握り、指先で撫でるように触れる。「今日はごめんな。これからは絶対に誰にも手出しさせないから」初芽は笑みだけ返して、言葉は飲み込んだ。男の言葉なんて、真に受けすぎたら負けるだけ――そういう現実は骨身に染み
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第1013話

いざというとき安東家がしらばっくれたらどうするのか。そう考えると、やはり万全の準備をしておくべきだ。今回は、とにかく向こうの態度をきっちり正させないといけない。自分の娘たちが、こんな理不尽をただで受けるなんて絶対に許せない。とくに紗雪は、病院のベッドにあんなに長く寝かされていた。失った時間を、いったい誰が償うのか。それに会社へ与えた損失もある。一つ一つ挙げれば、どれも人聞きの悪い話ばかりだ。だからこそ美月は、安東家と縁を切る決心を強めている。この縁談だけは、絶対に認めない。緒莉が嫁いだところで、損をするのは目に見えている。今になってようやくはっきり分かった。安東家というのは、人を骨ごと噛み砕くような一家だ。一度入り込んだら、生きて出られるかどうかも怪しい。そんなところへ娘を送り込むなんて、あり得ない話だ。緒莉は少し不安そうに言った。「お母さん、本当にうまく片付けられるの?」そのかすれた声を耳にして、美月の胸は締め付けられる。ちゃんとした娘がたった海外に行っただけで、何を経験させられたというのか。あんなに澄んだ声だったのに、今はこんなに枯れてしまっている。美月はそっと目を閉じ、最後に緒莉の手を取り、軽く叩きながら少し柔らかい口調で言った。「大丈夫よ。お母さんを信じなさい。二人のために、必ずけじめはつけるわ。このままじゃ絶対に気が済まないから」緒莉はうなずき、涙をにじませながら美月を見つめた。「ありがとう、お母さん......でも安東家、素直に謝るのかな」やはり心配は残っているようだった。何といっても、これまで何年も付き合いのある相手なのだ。そう簡単に切れるものではない。それに、美月は強気な性格ではあるが、自分にとって何が得かはよく分かっているし、会社にとって何が正しいかも理解している。だからこそ緒莉は不安になるのだ。もし孝寛が何か条件を提示してきて、美月の気持ちが揺らいだらどうするのか。今回は、辰琉を確実に牢屋に叩き込まなければならない。そうすれば二度と巻き返される心配もない。そうなれば、彼らの間で起こったことは永久に闇に葬れる。どれだけ時間が経とうと、誰にも知られずに済む。そうすれば、自分は美月の中で「従順な娘」のままでいられる。
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第1014話

とくに緒莉のことになると、伊藤はどうにも引っかかる。まるで何かを知っている人間のように感じられるのだ。幼いころから、彼女の表情にはどこか年齢にそぐわない違和感があった。考えも妙に深く、大人でもそうそうできないようなことを平然とやってのける。そのせいで伊藤はずっと不思議に思っていたが、その気持ちは胸の奥にしまい込んでいた。すべての支度を整えたあと、伊藤は美月と緒莉が出ていくのを見送った。今回の安東家への「討伐」が、正しい判断であることを願うばかりだ。二小姐が家にいないと、どうにも落ち着かない――そんな気持ちもある。だが結局、自分はただの管家にすぎない。言い過ぎれば煙たがられるだけだ。伊藤はひとつため息をつき、黙って部屋へ戻り、別の仕事に取りかかった。その様子を、緒莉はバックミラー越しに見ていた。猫背の背中を見つめながら、唇の端をわずかに持ち上げる。気づかれた?おもしろい、と心の中で呟き、ますます興味がわく。美月は、急に緒莉の機嫌が良くなったのに気づき、不思議そうに尋ねた。「どうしたの、緒莉?嬉しそうね」緒莉はすぐに表情を引っ込め、母に答える。「お母さんが自分の首を絞めるような相手と一緒にいなくて済むって考えたら、つい......」そう言いながら、自分の喉元にそっと触れ、心配そうに目を伏せる。「でも正直、私もう自分の声が嫌になってきたの。お母さんたちもきっとそう思ってるんでしょ......私だって好きでこうなったわけじゃないのに」美月は胸を痛め、緒莉をそっと抱きしめた。「これは緒莉のせいじゃないのよ。緒莉が私にしてくれたこと、ずっと見てきたもの。安心しなさい。必ずあんな連中を倒して見せるわ。嫁がせたりなんて絶対にしないから」緒莉はようやく肩の力を抜き、美月に寄りかかった。安心しきった笑みを浮かべ、尊敬のまなざしで母を見つめる。「お母さんって本当にすごいよ。そばにいてくれるだけで心強い。もしお母さんがいなかったら、私これからどう生きていけばいいのか......」「ばかね」美月は軽く頭を撫でただけで、それ以上は何も言わなかった。自分がいつまでもそばにいられるわけではない――それは分かっている。自分の立場のこともあるし、あの女が今どうしているのかも分からない。
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第1015話

二人が安東家へ向かうとなれば、あの夫婦と必ず一戦交えることになる。どちらも厄介で手強い相手だ。緒莉は、美月が連れてきたボディーガードたちを見て、ようやくその意図を理解した。やはり年の功というのは侮れない。安東家に到着すると、美月は緒莉が車を降りるのを確認した。ボディーガードたちは母娘の周囲に整然と並び、一目で「ただ事ではない」と分かる威圧感を放っている。緒莉は内心たいへん満足だった。ここまでやってくれれば、この縁談は確実に破談にできる。安東家にあとから言い逃れされる心配もしなくて済む。今日ここに来た時点で、目的は明白だ。これ以上言葉を飾れば、もはや体面どころの話ではない。緒莉は美月の腕をとり、二人が先頭に立って歩き出した。ボディーガードたちもその後ろに続き、揃って屋敷の中へ入っていく。安東家の執事はそれを目にして肝を冷やした。慌てて書斎へ駆け込み、孝寛を呼びに行く。ここ数日、孝寛も楽ではなかった。会社からはずっと圧力がかけられている。二川が提携解消に動いていることは、すでに周知の事実だからだ。安東の数多くの案件は二川と結びついている。いったん関係が切れれば、安東の会社はそのまま干上がる――それを孝寛はよく分かっている。希望などどこにもないのだ。株主たちが彼を締め上げているのも、その事情を分かっているからだ。さらに追い打ちをかけるように、息子の辰琉があの有様。孝寛は完全にお手上げだ。会社へ行く勇気さえなくなっていた。顔を出せば老害たちに四方から問い詰められ、「早く二川家との結婚を進めろ」「どうなってるんだ」と責め立てられるのが目に見えている。しかし孝寛自身に、打開策など何ひとつ浮かんでいない。どう説明しろというのか。彼は部屋に籠もり、自分を閉じ込めて考え込むしかなかった。この数日間、安東母・安東名津美(あんどう なつみ)も夫に声を掛けることすらできず、二人は別々に寝ている。美月のほうから何も言ってこないのなら、もう終わった話なのだろう――名津美はそう判断していた。もう後はないはず、と。だが執事の報告を聞いた瞬間、名津美の胸は再びざわつき始める。階段を降りると、そこには鬼気迫る勢いの美月一行がいた。「な、なにをするつもりなの
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第1016話

美月は鼻で冷たく笑い、そのままズカズカとソファに腰を下ろした。「こっちにも限界があるの。さっさと本人を呼びなさい。無断で家に踏み込んだって言いたいなら、警察でも誰でも呼べばいいわ。最後まで付き合ってあげる」彼女はもともと事を恐れない性格だが、無駄に騒ぎを起こすタイプでもない。だが今は、相手にここまで頭ごなしに踏みつけられている状況だ。黙って引き下がるつもりなどなかった。彼女には何より大事な子どもが二人いる。その二人ともが、相手の息子に傷つけられた。まさか本気で、とぼけて逃げ続ければ済むと思っているのだろうか。息子が使い物にならなくなっても、父親も母親も健在。さらに、その背後には家と会社がある。そういう現実からは逃げられない。大人である以上、やったことには必ず責任を取るものだ。ここで知らぬ存ぜぬを貫いても、いい結果になるはずがない。そんな美月の強気な態度に圧されたのか、名津美はその場に突っ立ったまま震えているだけで、どう動けばいいのかも分からない様子だった。彼女は甘やかされて育った典型的なお嬢様で、普段はこういう業界人たちとの関わりなど一切ない。ましてや、商売の揉め事に口を挟むなんてできるはずもない。下手に口を出せば、孝寛に余計な疑いをかけられる――そのくらいのことは理解しているのだ。だったら何も知らないふりをして、部外者でいた方がまだマシだ。だからこそ、気迫においては美月に到底敵わない。二人は同じ土俵にすら立っていなかった。「私に聞かれても分からないのよ......」やっとの思いで口にしたその声も、弱々しく震えている。「私は商売なんて一切関わらない普通の主婦。どれだけ聞かれても、知らないものは知らない」美月はその言い草で察した。名津美は初めから逃げ切るつもりなのだ。どうせ自分には火の粉が降りかからないと踏んでいる。このまま怒らせて追い返してしまえば、自分に面倒ごとは回ってこない――そういう算段だ。美月は腕を組み、冷ややかな視線で相手を一瞥する。「まだその芝居を続けるつもり?」名津美は視線を泳がせ、聞こえないふりを決め込んだ。「本当に何も知らないの」心の中では、それだけを繰り返していた。どうせ孝寛が見つからなければ、この人たちも諦
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第1017話

まさにそのことをよく分かっていたからこそ、辰琉も理解していた。よほどのことがない限り、父親は絶対に姿を現さないだろうと。黙り込んだままの息子を見て、孝寛の胸の奥にまた怒りが込み上げる。今にももう一発お見舞いしてやろうとしたその瞬間、階下から激しい物音が響いた。女の叫び声も混じっている。「やめて!やめなさいってば!何するのよ!昼間っから家に押し入った上に、うちの物を壊すなんてどういうつもり!?」名津美の悲鳴も、美月の手を止めることはなかった。むしろ、美月はその怯えた表情を愉快そうに眺めている。「あら?こんな時でも、まだ旦那さんと息子のことを気にしてるの?」顎を少し上げ、美月はわざと一言ずつ区切りながら冷ややかに言った。「たとえ私があなたの家を壊したとしても、あの父子はどちらも出てこないわよ。女一人を前に出して、全部押し付けてるような人間たちなんて、庇う価値があるの?」その言葉を聞いた瞬間、名津美は床に崩れ落ち、泣き声を上げた。何も言い返せず、ただ涙だけが止まらない。緒莉は美月の隣に座り、かつて自分にあれこれと厳しく言ってきた名津美が、今や道端の野良猫のように打ちひしがれている姿を見て、胸の奥がすっと晴れた。ざまあみろ、という気分だった。やはり、母は一枚も二枚も上手だ。何をするにも、自分のやり方を持っている。そんな母の背中を見ながら、緒莉は改めて安心を覚えた。この人のそばにいれば、何も怖くない。一方の名津美は、美月の言葉を頭の中で繰り返していた。たしかに、言っていることにも一理ある。自分はいったい、何のために必死になっているんだろう。逃げ回る夫と息子のために?それだけの価値があるのか?何も答えず、ただ俯いて涙をこぼす名津美。その姿に、美月もそれ以上は言葉を投げかけなかった。この女も、この女なりに哀れな人間だ――そう思ったからだ。夫にも息子にも見捨てられ、一人で盾になるなんて、普通じゃない。美月は保镖たちに目で合図を送った。「続けなさい」指示を受けた保镖たちはためらうことなく、再び手を上げた。今まさに壊そうとしたその瞬間。堪えきれなくなった孝寛が、ついに飛び出してきた。リビングの花瓶――あれは高い金を払って買ったものだ。客を迎
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第1018話

孝寛は、額の汗もないのにハンカチで拭い、何を言えばいいのか分からずに口をつぐんだ。代わりに美月が声を上げた。「どうしたの?言葉も出ないの?じゃあ、仕方ないわね。私が代わりに言ってあげる。さっき、こっちが奥さんにあれだけ酷いことをした時、あんたは上の階で臆病者みたいに隠れて見てたでしょ」美月は、孝寛の後ろで視線を泳がせる辰琉を見つめ、まるで子どもに話しかけるような口調で続けた。「その出来の悪い息子をかばってたのね。ああ、なんて立派なお父さんなのかしら。正直、父親としては悪くないと思うわ」一瞬、その言葉は褒め言葉のように聞こえた。だが次の瞬間、美月の声色が鋭く変わる。「でも、『夫』失格よ!」彼女は、床に座り込んで表情を失った名津美を指さした。「これが、『妻』への態度なの?」美月の言葉に、孝寛の顔は赤と青が入り混じったように変わっていく。鳴り城では名の知れた人物である自分が、こんなふうに他人に責められるとは......それが世間に広まったら、立場がない。「二川会長」孝寛の声が低く沈む。「ここは鳴り城ですよ。今は少し引くところは引いた方がいい。そうでないと......いざという時、誰もあなたに手を差し伸べなくなりますよ」だが、美月はその脅しにもまったく動じなかった。彼女は秘書に目配せし、契約書の束をテーブルの上に置かせた。「これが、これまで一緒に進めてきた案件全部よ。確認しなさい」美月は相手の理屈に乗らなかった。いま言い返しても、自分の正当性を証明するだけの堂々巡りになる。だから速戦即決が一番だ。この男の性格は、彼女が一番よく知っている。孝寛は目の前に積まれた契約書を見て、心臓を掴まれたような衝撃を覚えた。まさか、本気なのか?今までは、ただの脅しだと思っていた。しかし、美月の表情には一切の冗談がなかった。「......本気でやるつもりか」隣で見ていた緒莉は、思わず笑い出しそうになった。この期に及んで、母がまだ冗談を言っているとでも思っているのだろうか。美月はただ首を振った。「ここまで来ても、まだ分からないのね。前にも言ったでしょう?また来るって。問題が解決しない限り、引く気なんてないのよ」美月の全身から放たれる気迫に、孝寛は一瞬たじろい
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第1019話

緒莉は喉を押さえ、何かを言いたそうにしながらも声が出せずにいた。まるで言葉を失ったようなその姿は、美月の言葉とぴたりと噛み合い、母娘の息は完璧に合っていた。美月はその流れに乗り、冷ややかに続けた。「うちの娘、あんなに元気だったのに、今じゃ口もきけない。これ、全部その息子のせいよ」再び、視線の矛先が一斉に辰琉へと向かう。全員の視線を浴びた彼は、相変わらずぼんやりとした笑みを浮かべていた。執事に支えられて立ち上がった名津美は、そんな息子を見て心の底から嫌悪の色を浮かべた。どうしてこの女だけがあんなに幸運なんだろう。産んだ娘は優秀で、母親にも孝行。そんな話、業界では誰もが知っていた。だが、いまさら何を言っても遅い。子どもたちはもう成長してしまった。美月は、まともに話すこともできない辰琉を見つめ、ふとため息をついた。かつてはきっと素直でいい子だったのだろう。それが、いまはこんな姿に――けれど、それでも罪の言い訳にはならない。人の首を絞めた以上、その代償は払ってもらわないと。美月は再び視線を契約書の束に戻した。「契約書を見なさい。二川グループとして正式に、安東グループとの提携を解消します。これまでの利益分についても、もう追及はしません。だから、自分で判断して、その契約解除書に早くサインしてちょうだい」美月はゆっくりと手を上げ、自分の爪先を眺めながら言った。「さもないと、見苦しいことになっても知らないわよ」孝寛の顔色はみるみるうちに悪くなった。まさかここまで徹底的に切り捨てられるとは思っていなかった。名津美もようやく状況を理解し、立ち上がって孝寛の袖を掴み、必死に首を振った。この契約を結んだ瞬間、自分はもう「誰もが羨む社長夫人」ではなくなる。その先、自分が外に出たとき、いったいどんな顔で人に会えばいいのか......辰琉も不安げに唇を噛んだ。自分はすでにこのざまだ。それでも美月は、まだ安東家を許そうとしない。もし「安東家」という名を失えば、自分はいったい何者になるというのか。孝寛もまた、胸の奥に焦燥が広がっていた。進むも地獄、退くも地獄。今この瞬間も、彼の立場を狙っている者は山ほどいる。もし二川の案件を失えば、会社の損失は計り知れない。
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第1020話

緒莉は黙ったまま、ずっと辰琉の一挙一動を見つめていた。今日の彼、どうも静かすぎる。あの人、たしか「もう壊れてしまった」はずじゃなかった?なのに、どうして今はあんなにも落ち着いているの?いつもなら意味の分からないことを叫ぶはずなのに、今日はまるで普通の人みたいだ。それに......もしかして、自分たちの話を聞いている?緒莉は目を細め、そっと母親に耳打ちした。美月はそれを聞いてから、静かに視線を辰琉へと向ける。確かに、今日の彼はどこか違っていた。まるで、今この場で交わされている会話の内容を理解しているかのように。一方、孝寛はずっとテーブルの上の契約書から目を離せずにいた。あれにサインをしてしまえば、会社がどうなるかは誰よりも分かっている。破産か、あるいは死にもの狂いの延命か。どちらにせよ、もう元の姿には戻れない。「......息子をちゃんと教育できなくて、すみませんでした」孝寛はそう言いながら、額に浮かんだ汗をぬぐった。下ろした拳が、震えるほどに強く握りしめられている。そして、しばらくの沈黙のあと、彼は一つの決断を下したように深く頭を下げた。「私の教育が間違っていました。おっしゃる通り、すべて私の責任です。息子はこうなってしまいましたが......会社は私の一生を賭けたものなんです。どうか、それだけは壊さないでください。でなければ私は......家族にも株主にも、顔向けできません」いつも誇り高く、背筋を伸ばしていた孝寛が――その背を、初めて深く折った。名津美と辰琉、二人とも呆然としていた。辰琉の瞳が丸く見開かれる。彼は、こんな父親の姿を一度も見たことがなかった。名津美も同じだった。長年連れ添ってきたが、こんなふうに頭を下げる彼を見たのは初めてだ。若い頃、どれだけ喧嘩しても、絶対に折れない人だったのに......なのに今は――名津美もまた、心の中で何かを決めたようだった。彼女はゆっくりと美月の前へ歩み出て、先ほどまでの高慢な態度を消し去る。緒莉に向かって、やわらかく微笑んだ。「緒莉......おばさん――いいえ、私が悪かったの」そして美月と緒莉の前で、深々と頭を下げる。「今回は、本当に申し訳ございませんでした。どうか安東家と会社に、もう一
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