午後五時、設計院の科室が退勤時間を迎えた。春奈が真っ先に立ち上がり、スマホを掲げて同僚たちに言う。「今夜は茉莉のおごりで【雅苑】よ!先に着いた人は、路地の椅子でも拭いて待っててね。特に男性陣、女の子に気を遣ってあげなさいよ」その物言いは悪意に満ちていた。笑い声を上げる者もいれば、同情の眼差しを茉莉に向ける者もいる。春奈の恋人は隣の科室の課長で、普段から横柄な態度で知られていた。茉莉は入所わずか一年で大賞を受賞した。それが気に食わない春奈は、あの手この手で彼女を困らせている。茉莉が耐えられるかどうか——以前には嫌がらせに耐えきれず、涙ながらに辞めていった女性もいたほどだ。だが茉莉は涼しい顔で言った。「じゃあ、六時に現地集合で」背を向ける彼女に、春奈は冷笑を洩らす。「見栄っ張りめ」噂では茉莉は既婚だというが、春奈は信じていなかった。——あんな計算高い女が、早々に結婚なんてするはずがない。どうせ金持ちを捕まえようとしているに違いない。……茉莉が車に乗り込むと、ちょうど琢真から電話が入った。自宅に戻った彼は、娘の真宝を腕に抱き、母を恋しがる子に代わって電話を掛けてきたのだ。小さなアヒルのように母を呼ぶ真宝は、話す言葉よりも涎の方が多い。矜持を纏った父親は、嫌な顔ひとつせず拭ってやっていた。電話の向こうで琢真が尋ねる。「和田さんから聞いた。今夜は雅苑で科室の集まりだろう?終わったら迎えに行く」茉莉は元来、夫をひけらかすのを好まなかった。設計院では未婚だと思われており、言い寄ってくる者もいれば、見合いを勧める者もいた。必死に既婚で子持ちだと説明しても誰も信じない。ならば、いっそ夫の存在をはっきり示しておこう。「じゃあ七時に迎えに来て。二次会は私が代金を払って欠席するから」電話を切る頃、車は雅苑の前に停まっていた。目の前に広がっていたのは、豪華絢爛な世界だった。茉莉はしばらくその光景に目を奪われ、和田へメッセージを送った。【雅苑、一人当たりいくら?】【最低料金は一人約二十万円です。今回は十五人なので計三百万円。酒とサービス料を加えると一卓で四百万円になります】——これが琢真の日常?茉莉は思わず苦笑した。運転手が降りてきて声を掛ける。「奥さま、車は回しておきま
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