航平はにこやかに立ち上がり、紳士的に星の椅子を引いた。「君が遅いんじゃない。私が早すぎただけだよ」星はこれまで恋愛をしたことがなく、最も親しく接してきた異性といえば奏だった。だが二人はあまりに気心が知れすぎていて、食事の場でこうした気遣いを意識することもなかった。雅臣と結婚してからは、外で食事を共にする機会はほとんどなく、たまに出かけても彼が椅子を引いてくれることなど一度もなかった。だからこそ、航平のさりげない紳士ぶりに、星は少し戸惑いを覚えた。彼女は店員を呼び、航平に向き直る。「好きなものを頼んでね、遠慮しないで。この食事は私に出させて」航平は穏やかに微笑んだ。「ありがとう。そうさせてもらうよ」少し離れた席に座る二人の若い女性が、その様子を見て肩を落とした。「やっぱり彼女持ちだったんだ......もうチャンスないわ」「でも彼女もすごく綺麗。ほんとお似合いだよね」「どうして素敵な人ってみんな彼女がいるんだろう」星は二人のひそひそ話を耳にして、思わず笑みを漏らした。入店したときから彼女たちには気づいていた。ずっと航平をちらちら見ては、「あなたが声をかけてよ」「いや、あなたでしょ」などと押し付け合っていたのだろう。彼女は長い睫毛をそっと持ち上げ、向かいでメニューを選ぶ男に視線を向ける。もし雅臣が遠い月の光だとしたら、航平は春の陽だまりそのもの。柔らかく、温かで、心地よい安心感を与えてくれる存在だった。航平が数品を選んで顔を上げる。「注文したよ」星は彼が口にした料理名を聞き、目を見開いた。「あなたも、この料理が好きなの?」航平は優しく笑った。「ああ。雅臣や勇とここで食事するときは、いつも頼んでいた。......君も好きなのか?」星は頷いた。「ほんと偶然ね。あなたが頼んだもの、どれも私の好物よ」航平の目が一瞬、きらりと光る。「でも、君と一緒に食事したときに、これを頼んだことはなかったよな。君は淡泊なものが好きだと思っていた」その言葉に、星の笑みがわずかに揺らぐ。思い出されたのは、離婚前の息苦しい日々。「当時は、雅臣と翔太の体調を優先してたの。二人共胃腸が弱かったから、毎回彼らに合わせて、消化のいいものを選んでいた
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