智也は噛まれたあとの痛みをそのままに、それ以上、何もせず車のロックを外した。玲奈は、解き放たれるようにドアを開け、逃げるように外へ飛び出した。彼は運転席にもたれ、去っていく彼女の背中を横顔で追う。唇の端に、わずかな冷笑が浮かんだ。そして、視線をもう一度、先ほど拓海が去っていった方角へと向けた。――あの男の存在も、最初から分かっていた。玲奈が芝生へ戻ると、颯真がすでに真言の画材を片づけ終えていた。陽葵の絵も完成していて、ふたりは笑いながら遊んでいる。愛莉も宮下の手を借りて、なんとか秋の絵を描き上げていた。ただ――そこに、拓海の姿だけがなかった。玲奈は無意識に辺りを見回す。けれど、そのどこにも彼の姿はない。「きっと、何か用事ができたのね」そう自分に言い聞かせ、心の奥にわずかな空白を抱えたまま、息をついた。颯真たちが帰り支度を整え、「みんな、バイバイ」と真言が手を振る。玲奈も笑顔で挨拶を返し、陽葵の荷物をまとめた。見送りを終えると、陽葵がそっと言った。「玲奈おばちゃん、今日の夜ね、外でご飯食べたいの。ピザが食べたい」玲奈は少し考え、穏やかに微笑む。「でも、ママが言ってたでしょ?夜はみんなで家でごはんって」陽葵は得意げに腕時計を見せた。「さっきママから電話があったの。パパが残業になったから、家族のごはん会は中止だって。ママはパパの会社に行くんだって」玲奈は一瞬迷ったあと、「念のため、お母さんに確認してみるね」と言い、綾乃へ電話をかけた。事情を話すと、綾乃は快く許可してくれたが、「陽葵を頼むわね」といくつか注意も添えた。玲奈は一つひとつ胸に刻み、電話を切った。そのとき――ふと前方に見えた光景に、彼女の指先が止まる。少し離れた芝生の向こう、智也が沙羅と並んで歩いていた。二人とも穏やかに笑っている。智也の頬には絆創膏が貼られ、それがあの傷を隠していた。愛莉が沙羅を見つけ、嬉しそうに駆け寄る。「ララちゃん、来てくれたんだ!」その声は、わざと大きく響いたように感じられた。――まるで、玲奈に聞かせるためのように。沙羅は優しくかがみこみ、愛莉を抱き上げる。その拍子に、わざとらしく身体を傾けたのか、少しバランスを崩した。智也はすぐに
続きを読む