All Chapters of 禁愛願望~イケメンエリート医師の義兄に拒まれています~: Chapter 31 - Chapter 40

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【9】②

 だから独占欲なんて芽生えたのか―― そう考えると腑に落ちる一方で、自分自身を嫌悪せずにはいられなかった。  戸籍上は他人でも、世間から見れば妹。異性として意識するなんて、正気の沙汰じゃない。 もし両親が知ったら? 瑞希自身が知ったら?  きっと汚らわしいと軽蔑されるに違いない。 俺は精神医学で学んだ『愛着理論』の一節を思い出した。 失った家族への想いを、別の対象に無意識に置き換える――まさに、愛莉を失った俺が瑞希に愛情を注いでいるのは、その典型なんじゃないか。 瑞希を愛しているんじゃない。ただ心の安定のために、そう思い込んでいるだけだ。 このままではいけない。瑞希とは一定の距離を取らなければ。 そう決めてから、俺は意識的に女性に目を向けるようになった。 学生時代から声をかけてくれる相手はいたし、何人かとは付き合いもした。 けれど結局、どの恋も長続きしなかった。 どこかで瑞希と比べてしまうからだ。 それでも「本気で結婚を考えられる相手を探さなきゃ」と思い始めた矢先のことだった。医師になって最初の年、瑞希から突然告白を受けたのだ。「お兄ちゃんが好き」 正直、その瞬間の記憶はあまり残っていない。おどろきすぎて頭が真っ白になった。 毎日病院に詰め、瑞希と話す時間すら減っていたし、俺は兄として振る舞うことに必死だったはずだ。 それなのに、彼女は俺を男として見ていた。  一瞬、心が跳ねた。「同じ気持ちなんだ」と。 けれど理性が叫ぶ。 違う。兄妹としての一線を越えてはいけない。 両親や世間が知れば、瑞希がどんな目に遭うか。俺が守るべき存在を、俺自身が傷つけるなんてあってはならない。  それに、この想いは愛莉を失った罪悪感の裏返しなのかもしれない。俺は必死に言い聞かせた。『瑞希のことは大切だ。でもそれは家族だからだ』『今は恋だと錯覚しているだけだろう』 そうやって理性的な言葉で彼女を諭し、気持ちを封じ込めた。瑞希も一度は納得してくれた……はずだった。 ところが数年後、俺は再びその言葉を聞くことになる。 今年の春、俺が外科の専門医になったお祝いにと、瑞希が「二人でご飯に行きたい」と誘ってきた。 あのとき警戒すべきだったのかもしれない。だが、もう瑞希の気持ちは整理されたと思い込んでいたから、深く考えなかった。 食事を楽
last updateLast Updated : 2025-08-19
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【9】③

「妹って言うけど、私たち、血がつながってないんだよ。本当のきょうだいじゃない」「だとしても、ほとんど本当のきょうだいみたいに育ってきたんだ。今さら、瑞希をそういう目では見られないし、見ちゃいけない。……もう冗談はよしてくれ」  声が思わず荒くなったのは、早くこの状況から抜け出したい焦りのせいだ。 いつもの自分なら、もっと冷静に話せたはずなのに。「冗談なんかじゃない!」 瑞希が声を震わせる。「――私はずっと本気だよ。お兄ちゃんが好き。こんな気持ちになれるのは、お兄ちゃんだけなの。どうしてわかってくれないの?」  彼女の必死な言葉に、胸が締めつけられる。 わかっている。瑞希が冗談でこんな告白をするはずがないことくらい。 けれど認めたら最後、俺は兄としての役割を投げ出すことになる。「だとしても……答えは変わらない。瑞希は俺の妹、それだけだ。……悪いけど、期待しないでほしい。この気持ちが変わることはない」  祈るように言葉を投げると、瑞希はそれ以上なにも言わず、唇を噛みしめて立ち去った。 ひとり残された部屋で、俺は深いため息を吐いた。  これでいい。境界線を引き直すことで、彼女に「絶対に受け入れない」という意思を伝えられた。 ……はずなのに。頭をよぎるのは、突き放した瞬間の瑞希の泣きそうな顔ばかりだった。  それからほんの一週間後のことだ。「ここだけの話、瑞希、もうすぐデートなんですって」 母の無邪気な一言に、全身が凍りついた。 頭を思いっきり殴られたような衝撃。どうやってその場を取り繕い、家を出たのか記憶にない。  瑞希がデート?  相手は当然、男だろう。瑞希がほかの誰かと寄り添う――その光景を想像するだけで、黒い感情が渦巻いた。 嫉妬。そう名付けるしかない感情だ
last updateLast Updated : 2025-08-19
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【9】④

 ゆっくり目を開けると、電気を消したはずの部屋が白んでいた。 カーテンの隙間から射し込む朝の光に、シーツを胸元まで掛けて眠る瑞希の姿が浮かび上がる。「……瑞希?」 寝顔は安らかで、まるで地上に舞い降りた天使のようだ。 本気でそう思ったが、口に出すのはあまりに照れくさくて、ただ名前を呼ぶだけに留めた。「ぐっすり寝てたね……お兄ちゃん」 やがて彼女は目を開け、柔らかな微笑みを向ける。 普段と同じ呼び方なのに、胸に小さな痛みが走る。 昨夜の魔法がゆっくり解けていくのを意識したからだ。「そうみたいだな。……そろそろ戻るよ」  枕元のスマホに手を伸ばし、時刻を確認する。 もう朝だ。つまり、タイムリミット。 身体を起こして言うと、瑞希はわずかに眉を曇らせた。「もう行っちゃうの?」「そういう約束だったから」 本当は、あと少しだけでも触れていたい。 けれど長居すればするほど、離れがたくなるのは目に見えていた。 今決心しなければ、二度と瑞希を手放せなくなってしまう。 瑞希は引き留めたそうに唇を噛んでいたが、結局何も言わなかった。きっと同じ気持ちなのだろう。「着替えるよ」「わ、私、こっち向いてるから」「昨日、見たくせに」 慌ててそっぽを向く仕草が愛しくて、つい軽口が漏れる。 ベッドの下から衣服を拾い、手早く身につける間も、彼女は律儀に顔を背けていた。「し……しっかりとは見てないもん」「そう」 笑って「もう平気だよ」と声をかけると、瑞希はようやく視線を戻してきた。 眉を下げ、まだ恥ずかしそうにしている。「瑞希の方が照れなくても」「だってっ
last updateLast Updated : 2025-08-19
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【10】①

「実は、ひとり暮らしをしようと思ってるんだ」 翌日、日曜日の夜。 家族そろって夕食を食べ終えたあと、紅茶を片手にくつろいでいたとき、兄が突然そう言った。「だんだん、通勤の時間が惜しいと思うようになってきて。ほかのドクターも病院の近くに引っ越してるから、俺もそうしようかなって」 テーブルの真ん中には、両親がお土産に買ってきてくれたプリン。伯母の住む町の名前がついた名物でだ。 濃厚で甘みが強いのに、兄の言葉を聞いた瞬間、舌の感覚が消えたみたいに味がわからなくなった。「漣の気持ちはよくわかるし、反対する理由はないな。君もそうだろう?」「そうね。漣ももういい大人だし、心配はしていないわ」 父と母は顔を見合わせ、当然のようにうなずき合う。 兄の正面に座る父の声は落ち着いていて、母は少しも迷わず同意を返した。 たしかに、忙しい兄にとって職場と自宅の距離が短いほどいいのは間違いない。父も若いころ、病院の斜向かいのマンションに住んでいたと聞いたことがある。「じゃあそういうことで。いい物件が見つかり次第、話を進めるよ」「……でも寂しくなるわね」 母がぽつりとこぼした本音に、兄は笑いながら返す。「寂しいって。今だってほとんど家にいないし、たいして変わらないだろ」「だとしても、一緒に暮らしているのと、そうじゃないのとでは全然違うのよ。ねえ、瑞希?」 突然こちらに話を振られて、慌ててプリンを口に運ぶ。味のない甘さが喉を通り過ぎていく。「……あ、うん。そうだね」「どうした、元気がないみたいだが」  父が心配そうに眉を寄せる。 白髪の増えた髪をきっちりと撫でつけている父は、家ではリラックスした雰囲気でとても優しい。「瑞希も漣が出て行くの、寂しいんじゃないの? お兄ちゃんっ子だったし」「そ、そう
last updateLast Updated : 2025-08-20
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【10】②

『具合は大丈夫か? 臨床実習も控えてるし、無理するなよ』    亮介から届いた優しい文面を見た瞬間、胸がちくりと痛んだ。 昨日のデートは「行けなくなった」と一方的にキャンセルしてしまった。  兄が家を出たあと支度を始めたけれど、どうしてもその気になれなかったのだ。  結局、予定の時間に合わせて家を出て、一駅先のショッピングモールで夜まで時間を潰した。 本当に申し訳なくて、メッセージで謝ったけれど、亮介は「体調不良」と受け取ったらしい。  『調子が戻ったら行こう』と返ってきたのに、うまく返事ができず、そのままになっていた。そしてまた、気遣うメッセージが届いた。 ――体調のせいにするのも嘘になるし、かといって「直前で気が変わった」と打ち明けるのは残酷すぎる。  考え込んでいる自分が情けなくて、ため息を吐く。  寝返りを打った拍子に、シーツから兄の残り香を感じた気がして、心臓が痛む。  あの夜の熱が、すぐに蘇ってしまう。 どうして兄はあのとき、私に触れたのだろう。    『このまま、瑞希が遠ざかっていってしまうと思うと……触れずにはいられなかったんだと思う』  確かに兄はそう言った。 私が他の人とデートするのが、嫌だったから?   でも兄は「妹としてしか見られない」と言い続けている。それなのに嫉妬なんて、あり得るのだろうか。 結局、先に距離を縮めたのは私だった。それでもきっかけを作ったのは兄の方。  ……理由がわからない。 恋愛的な「好き」ではないけど、家族だから他人に取られたくない、とか? もしくは、兄も男の人だから、理屈じゃなく本能が勝った……?   そんな風に考えるとますます混乱する。 忘れたいのに、忘れられない。  後悔はしていない。むしろ、もっと近づきたいと望んでしまう自分がいる。  ……ああ、どうしよう。頭が変になりそう。 「とにかく寝よう」
last updateLast Updated : 2025-08-20
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【11】①

 三日後の水曜日。六月最初の週の朝、私は聖南大学病院の大会議室にいた。「みなさん、おはようございます。実習全体の窓口を務めます、看護師の新庄です。どうぞよろしくお願いいたします」 前方のホワイトボードの前で、グレーのスクラブを着た若い女性がマイクを握っていた。 凛とした声が室内に響き渡る。 いよいよ、臨床検査学科の臨床実習が始まったのだ。「患者さんの命を預かる現場には、甘えや遠慮は通用しません。どうか緊張感をもって取り組んでください」 整った顔立ちに自信を宿したまなざし。 新庄さんはよく通る声で、臨床実習の目的や心構え、ルールを端的に伝えていく。 内容は厳しいけど、医療現場とはそういう場所だとわかっていたので、私は身を引き締めるだけだった。 説明がひと通り終わると、学生五十名ほどが班ごとに振り分けられ、それぞれの検査部門のオリエンへと移動することになった。 班は五人単位で、週ごとに各部門をローテーションしていくらしい。「瑞希~、班一緒になってよかったよ~」 背後から肩を叩かれて振り返ると、翠がいた。 白衣姿は大学でも見慣れているけど、病院という場に立つと、なんだか頼もしさを増して見える。「翠がいるの、ほんと心強いよ」「ありがと。……亮介も一緒なら最高だったんだけどね」 翠が顎をしゃくる先には、扉近くの長机に座る亮介の姿があった。彼は残念ながら別の班だ。「瑞希、もしかしてまだ亮介と気まずい?」「えっ」「昨日のランチのときの空気、ちょっと変だったから」 小声で囁かれ、ドキッとする。 確かに私はぎこちなかった。週末のデートをドタキャンしたことが頭に引っかかっていて、どこかよそよそしくなっていたのだ。 「ごめん……」とつい謝る。事情を知っている翠は、「まぁ班が分
last updateLast Updated : 2025-08-20
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【11】②

 実習三日目。 前の二日間でオリエンテーションを終えた私たち臨床検査学科の学生は、週明けから班ごとに本格的な部門実習に入った。 最初の配属は血液検査室。 ここでは採血室から届いた血液を分析装置や遠心分離機にかけて数値化し、医師に報告する。 白いラボのような部屋には、機械の作動音が絶え間なく響いている。  白衣姿の技師たちが手際よく作業を進めるなか、私たちは机に集められ、主任の織田さんから説明を受ける。「検体はバーコードで管理されています。ラベルと電子カルテが一致しているか、必ず確認してください」 織田さんが試験管を掲げ、バーコードを示す。その動作ひとつにも緊張感がこもっていた。「血液は時間が経つと変化するものがあります。搬送の速さと温度管理が大事です。冷却が必要ならクーラーボックス、常温ならこの搬送カートを使います」 指差した先には、小型ケースを載せたピンク色の台車。これで生化学検査室へ運ぶのだ。「では最初は……朝比奈さん」「はい」 呼ばれて立ち上がる。そのあと。「新庄さん、念のために同行してあげてください」 織田さんは私たちのうしろで実習を見守っていた新庄さんに声をかけた。 新庄さんは実習担当ということもあり、この時期は可能な限り各班の巡回をしているようだ。「承知しました」 私は新庄さんと一緒に、搬送カートを押して血液検査室を出た。「大丈夫。丁寧に運ぶだけですから」「は、はいっ」 カートには患者さんの『今』が詰まっている。そう思うと、どうしても緊張してしまう。 そんな私の横で、新庄さんが淡々と歩を進めてくれることが心強かった。 生化学検査室は廊下をまっすぐ進んだ先、エレベーターの手前にある。 扉に手をかけようとした瞬間、
last updateLast Updated : 2025-08-21
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【11】③

「あぁ、新庄さん、お疲れさまです。……そういえば、臨床実習の担当をされているんですよね。よろしくお願いします」「朝比奈先生の妹さんとあれば、それはもちろん」 新庄さんはにっこりと兄に笑いかけた。それから。「――仲のいいごきょうだいでとってもうらやましいです。朝比奈先生のそんな笑顔、私、初めて見ましたよ」 ……? 彼女の声や言葉にトゲを感じて、彼女の横顔を思わずじっと見つめる。 とても愛想のいい笑みを浮かべているのに、目の奥はどこか冷めているというか、兄の反応を窺っている節がある。 それに、言葉の内容。後半部分は親しい仲だったり、付き合いの長い相手に宛てるような台詞だ。 彼女に違和感を覚えたのはこれで二回目。前回も同じように、兄との距離の近さを感じさせる物言いをしていたけれど……。「たったひとりの妹なので。でも、実習ではビシバシ鍛えてください」 兄のほうは意に介さない様子で、明るくそう言うに留めた。 意図的にスルーしたのかもしれないし、そもそも気付いていなかったのかもしれない。 深々と頭を下げると、兄はそこで会話を打ち切り、廊下を進んでいった。「たったひとりの妹、ね……ふうん。ずいぶん大事にしてるんだ。あなたのこと」 兄のうしろ姿を目で追いながら、新庄さんがひとりごとのようにそう口にする。 低く、吐き捨てるような声のトーンがちょっと怖い。「新庄さん……?」 恐る恐る新庄さんに呼びかけると、彼女はあからさまにツンとした態度で「さぁ」と続ける。「――無駄話はこの辺にして急ぎましょう」「す、すみません……」 確かに、今は実習中だ。立ち話はよくない。 私は素直に頭を下げてから、彼女とともに速やかに生化学検査室へと向かった。 
last updateLast Updated : 2025-08-21
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【11】④

 彼女のほうへと視線を向けると、厳しい表情で腕組みをしていた。その一瞬で場の空気が張り詰める。 「結果的に『芽球』だったことは評価するべきでしょう。けれど、経験不足の学生が『芽球』と判断するのは危険です。現場では、見落としよりも誤認のほうが問題になることもありますから」 「……申し訳ありません」 「でも合っていたのだから……」と胸の奥で反発心が芽生えかける。  けれど、新庄さんの言葉は正論だった。私は素直に頭を下げる。 「新庄さんの言うことももっともです。でも、現場でも気付いた人間の一言が患者さんを救うことがありますから」 織田さんがフォローを入れてくれて、少しだけ救われた気がした。  ◆◇◆ 「私、生意気だって思われてるのかな」 昼休み、病棟の休憩室。コンビニの惣菜パンを頬張る翠に、ため息まじりでつぶやいた。 「誰に?」 「新庄さんに。彼女が巡回に来ると、毎回怒られてるような気がして」 この一週間、血液検査室での実習中、彼女に何度も厳しく指摘された。  血液像標本の作成では「端まで伸びていないから分布に偏りが出る」と。  血球計数用の検体を機械にかけたときは「混和不足で再検になる」と。いずれも鋭い口調だった。 しかも織田さんに確認すると「私は問題ないと思ったのですが」と言う。 つまり、特に問題のない行動に対しても注意されている可能性があるのだ。「言われてみれば、瑞希には妙に厳しいかもねぇ。山口くんたちもそう言ってたよ。瑞希のこと細かくよく見てるねって」「……やっぱり?」 山口くんとは、同じ班のメンバーだ。私はお弁当の卵焼きを口に運びながら首をかしげる。 そもそも新庄さんは
last updateLast Updated : 2025-08-21
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【11】⑤

 血液検査室に配属されて一週間あまり。 私の「前向きに頑張ろう」という気持ちとは裏腹に、新庄さんの圧は日を追うごとに強まっていった。 けれど、彼女に悪意を持たれるようなことをした覚えはない。 だから私は指摘を正面から受け止め、「次は同じことを言われないように」と必死に自分に言い聞かせていた。「私、トイレ寄ってから行くね」「うん、わかった」  午前中の実習後、私と翠はいつもの流れで、ふたりで昼食をとろうとしていた。病棟の休憩室に向かう途中、翠と別れて先を急ぐ。 昼休みは唯一、ホッとできる時間だ。 実習中は集中すべきなのは当然だけど、新庄さんの巡回時は思いもよらない角度から指摘が飛んでくる。 最近は彼女の姿を見ただけで心臓がきゅっとする。課題をこなすより「怒られないように」と考えてしまう自分が情けない。 ついさっきも凝固検査について質問したら――『講義で把握しているはずですよね? その程度がわからないと単位を落とすのでは?』 なんて辛辣な言葉を浴びせられた。さすがに落ち込んだけれど、切り替えなきゃ。 幸い、新庄さんは一日に全班を回るから、一度巡回が終わればその日は現れない。午後は心安らかに過ごせるはずだ。 そのころ、私生活でも変化があった。兄が家を出たのだ。 あの土曜日、デートをキャンセルした午後からすぐに物件探しを始めた。条件は「病院から近いこと」だけ。 内見した部屋に即決し、引っ越しもトントン拍子。 兄が持ち出したのは衣服や本、仕事道具だけで、家具や生活用品はすべて新調した。 母の「実家に泊まるとき楽だから」との提案でベッドや机は置いたまま。 平気そうにしていたけれど、母も内心は寂しいのだろう。部屋をそのままにしておけば、いつでも帰ってこられる――そう考えたに違いない。 でも、残った荷物があっても兄の気配は消えた。 以前から忙しくて顔を合わせることは少なかったけれど、「たまに会える
last updateLast Updated : 2025-08-22
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