妊娠中に一緒にいた彼が、彼女を失って狂った話。 のすべてのチャプター: チャプター 341 - チャプター 350

527 チャプター

第341話

天音は意識が朦朧とするなか、ある部屋で目を覚ました。想花とベビーシッターがいないことに気づいて、緊張しながらあたりを見回すと、菖蒲の冷たい視線が突き刺さった。「うちの娘は?ベビーシッターさんはどこ?」天音は不安げに聞いた。「あの二人には興味ないわ」菖蒲は冷たく言い放った。天音はほっと息をついた。でも、意識を失う直前に車が道路からガードレールに突っ込んだことを思い出した。想花たちは連れ去られてはいないだろうけど、もしかしたら怪我をしているかもしれない。「松田さん、私たちの車にぶつけて、私をこんなところに連れてきて何をするつもり?」天音は聞いた。菖蒲は天音を見つめた。菖蒲の美しい瞳は、怒りの炎で燃え上がっていた。「私が何をすると思う?」天音は驚いて後ずさった。「落ち着いて」「落ち着いてって?」菖蒲は冷たく笑った。「もしあなたが私だったら、愛する婚約者を奪われて、冷静でいられるかしら?」「私と隊長は、もう何の関係もないわ」天音は数歩後ずさり、背中が壁にぶつかった。「まだ私を騙す気?」菖蒲は目を充血させ、ズボンのポケットに手を入れた。「松田さん、落ち着いて」天音の目には、菖蒲が拳銃のようなものを取り出そうとしているのが見えた。突然、部屋のドアが開けられた。大輝の声が聞こえた。「菖蒲、気でも狂ったのか?」大輝は菖蒲の手を掴んで、そのまま部屋の外へ引きずり出した。天音はその隙に窓を開け、自分が山荘の中にいることに気づいた。窓から下を見ると、二階くらいの高さがあった。飛び降りれば、手足を骨折するだろう。大輝のこれまでの行いを思い出し、天音は背筋が凍る思いだった。天音は目を閉じて飛び降りた。すると、後ろから大輝の驚いた声が聞こえた。「やめろ!お前は俺の妹だ!」水しぶきが上がった。天音は裏庭の池に飛び込んだ。水が衝撃を和らげてくれたが、池は浅すぎた。底の硬い石に体をぶつけてしまった。足首を捻挫して、激しい痛みが走った。背後から足音が近づいてくる。天音は痛みをこらえ、池から這い上がり、山荘の奥へと逃げ込んだ。足音はどんどん近づいてくる。大輝が叫び続けているのが聞こえた。「お前は俺の妹だ!出てこい!傷つけたりしない!」天音は、大輝は蓮司に殴られて頭がおかしくなったんじゃないかと思った。自分
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第342話

こんな屈辱は初めてだった菖蒲は、甲高い悲鳴をあげた。それでも、力ずくで押さえつけられ、身体検査をされた。「何も見つかりませんでした、隊長」特殊部隊の隊員は言った。要の声は冷ややかだった。「捜索を続けろ」要は天音を抱きかかえて、その場を離れようとした。天音は要の手を押し返した。「一人で歩けるから」天音はひどく意地を張り、口ではこう言った。「あなたがいなくても、一人で逃げられたわ」天音は激痛をこらえ、足を引きずりながら外へ向かった。痛みで目じりに涙が浮かんでいた。要はそんな天音を見ていられなくなり、とうとう彼女の腰に手を回し、横抱きにした。天音はとっさに要の首に腕を回した。天音はずぶ濡れで、すぐに要の服も濡らしてしまった。二人からは、池の藻の匂いがした。特殊部隊の隊員たちは、すぐに山荘中をくまなく捜索し始めた。大輝は横に下ろした手を拳に握りしめて言った。「要、そんなふうに権力を乱用するのはよくないんじゃないか?あなたの部下は警察じゃないし、捜査令状もないだろ」その言葉を聞いて、天音は要を見た。「私が見間違えたのかもしれない。もう、捜索しなくていいよ」要に悪い影響が及ぶことを心配していた。その時、警察が松田山荘になだれ込んできた。大輝と菖蒲は、事情聴取のために連行された。要は天音を抱きかかえて松田山荘を出て、車に乗せた。「想花と夏川さんはどこにいるの?」「別荘にいる」「二人は無事なの?」天音はひどく心配した。要は天音を抱きしめ、車にあった薄い毛布で彼女の濡れた体をくるんだ。そして天音の小さな顔を見つめ、静かな声で「無事だ」と答えた。想花とベビーシッターの夏川由理恵(なつかわ ゆりえ)が無事だと聞いて、天音はだいぶ落ち着き、少し元気も出てきた。要の腕から出ようともがいた時、足首を前の座席の背にぶつけてしまった。あまりの痛みに、息を呑み、目じりから涙がこぼれた。要は手でそっと天音のふくらはぎを持ち上げた。足首は赤く腫れ上がっていた。それでも天音は要の手を振り払おうとした。「触らないで」動くと、耐えがたい痛みが走った。涙が堰を切ったようにこぼれ落ちた。やっと助かったという安堵と恐怖が入り混じっていた。要がそっと天音の背中に手を回すと、天音は彼の胸に身をうず
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第343話

うまくいかなくても泣くし、願いが叶っても泣く。天音は要に縋り付いて泣きじゃくり、甘えんぼさんみたいだった。要はたまらず天音にキスをした。二人の情熱は燃え上がり、もはや抑えることはできなかった。要は天音の唇を奪いながら、その細い腰を強く抱き寄せた。天音は突然、糸が切れたように力が抜け、深い眠りに落ちていった。要は天音の頭を支え、そっとベッドに寝かせた。そして仕方なさそうに布団をかけてから、天音を腕の中に抱きしめた。これは二人の新婚初夜だった。天音が丸一日眠って目を覚ますと、別荘に要の姿はもうなかった。まるで、要がここに住んでいたことなんて一度もなかったかのようだった。天音は彩子に支えられながら、階下へ降りた。「加藤さん、本当に決めたんですか?」暁が離婚届を持ってきた。二人が離婚するなんて信じられなかった。「隊長は口数も少ないし、少し冷たいところもあります。でも、こんなに女性に優しく接するのを見たことがありません。隊長は……」暁は、天音の固い決意を秘めた目を見て、それ以上言葉を続けることができなかった。暁の直感が、隊長が天音を心から愛していると告げていた。「サイン、してもいいですか?」天音は尋ねた。暁は深いため息をつくと、天音の前に離婚届を置いた。「お二人が離婚されることは、しばらく内密にしていただきたいです。隊長にとって、結婚は遊びではありませんので」天音はうなずいた。「隊長は想花ちゃんの共同親権を望んでおられます。それから、婚姻中の財産はすべて加藤さんのものです」暁は言った。「婚姻中の財産って、何があるんですか?」「大したものはありませんよ」暁は少し焦ったような顔つきだった。天音は結婚してまだ一年しか経っていないのだから、大した財産はないだろうと考えた。暁が急いでいる様子だったので、天音はそのままサインした。暁は離婚届を受け取った。「隊長にサインをいただきます。そして一ヶ月後には、正式に提出します。足がまだ不自由でしょうから、九条さんが身の回りのお世話をするために来ています。数日の間はここにいてください。足首が治ってから引っ越しても遅くありませんから。隊長は多忙なので、ここには戻ってきません」「はい。これは私の辞表と、後任者への引き継ぎ事項に関する提案
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第344話

離婚届を提出する予定まであと27日、天音は想花と由理恵を連れて、母の恵梨香名義のマンションに引っ越した。それと同時に、恵梨香名義の会社も引き継ぐことになった。その会社はIT会社で、システムの防御とウィルス対策ソフトを専門に開発していた。天音が会社に入り、まだ名乗ってもいないのに、営業部の部長は天音に気づいた。「風間社長から、近いうちに会社を引き継ぎに来られると伺っておりました」営業部の部長の田村渉(たむら わたる)は微笑んだ。「お母様によく似ていらっしゃいますね」渉は五十歳くらいで、恵梨香の代から会社を支えてきた営業部長だった。「母が亡くなってからこんなに経つのに、会社がちゃんと運営されていたなんて、ありがとうございます」天音は、すべてが渉のおかげだとわかっていた。渉は気まずそうに言った。「加藤さん、残念ながら、この会社はもう限界かもしれません」「どうしてですか?」「まず、アンチウイルスソフトは20年前に流行しましたが、10年前にはもう、あらゆるアプリに組み込まれるようになりました。つまり、どのアプリも最初から防御機能を持っているので、わざわざ別のソフトは必要なくなったのです。それに、今はAI、人工知能が技術の最先端ですから。うちはセキュリティ対策専門の会社ですから、十分な市場の支えがありません。そうなると投資してくれるところもなく、より優れたソフトを開発するのも難しくなります。それで、どんどん市場から取り残されてしまったんです。それに、新しいセキュリティ対策専門の会社も出てきて、うちが持っていた政府との契約も奪われてしまいました。大口の契約を失い、需要がなくなったことが、最も致命的な原因です。加藤さん、正直に申しますと、私たちの会計は現在赤字の状態です」渉はそう言いながら、天音を社長室に案内した。そこは、かつて恵梨香が使っていた部屋だった。天音は母の机に座り、机の上に置いてある写真を見つめた。それは、彼女と母が一緒に写っている写真だった。壁にかかっている絵は、天音が子供の頃に絵画教室で描いたものだった。天音は思わず目が潤んだが、すぐに悲しみをこらえた。持参したノートパソコンを開き、渉から渡されたUSBメモリを接続した。中には、会社の過去十年分の会計データが入っていた。母が亡くなって以来、会
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第345話

蓮司は美咲から、天音の病状がかなり安定したことと、天音と要がどういう訳か別居していることを聞いた。天音は蓮司を睨みつけ、全身から拒絶感が湧き上がってきた。天音は蓮司の胸元に視線を落とした。まさか、もう退院していたなんて。「たいした問題じゃない。きちんと治療を続ければ大丈夫だよ」蓮司は天音の視線に気づくと、微笑みながら言った。「心配してくれて、ありがとう」天音は黙り込んだ。蓮司が隊長を助けてくれなかったら、顔も見たくないのに。「風間社長、株をうちの加藤社長に譲られるのですね」天音が会社を引き継ぐと聞き、渉はすぐに呼び方を変えた。「ああ」蓮司は静かに頷いた。「その株はあなたがお金で買ったもの。言い値で買い取るわ」天音は後ずさりした。天音の警戒する様子に、蓮司は眉をひそめた。天音を不快にさせないように、蓮司も少し距離を取った。「俺のものは、お前のものだ。俺たちの間に遠慮なんていらない」「そうですよ。ご夫婦なんですから、そんなにはっきり分けなくても」渉は全く状況が読めていなかった。その言葉を聞いて、蓮司の口角が少し上がった。天音は嫌悪のこもった目で蓮司を睨みつけ、渉に向かって言った。「この人はもう私の夫じゃありません。三年前にもう離婚しています」渉は驚いて言葉を失った。話の雰囲気からして、二人はただ離婚しただけでなく、関係がかなりこじれているようだ。「そうですか。それでしたら、きちんとしておかないといけませんね」渉は自分がどちら側につくべきか、よく分かっていた。天音は蓮司に視線を移した。「売らないなら、帰ってちょうだい」蓮司は、自分が天音を傷つけるようなことをたくさんしてきたことを自覚していた。だが、天音は優しい。誰かが余計なことを言わなければ、いつかきっと自分を許して戻ってきてくれるはずだ。天音が別居していると知ってから、蓮司はもう焦ってはいなかった。「株は安く譲ってやってもいい。でも、条件が一つある」天音は黙って蓮司を見つめた。蓮司は仕方なく続けた。「会社経営は難しい。まずは俺のもとで学べ」「加藤社長は、会社の経営経験は?」渉は、天音を疑いたくはなかったし、ましてや新しい社長に偏見を持ちたくなかった。だが、天音はどう見ても社長の器には見えなかった。天音は何も答
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第346話

渉は風見鶏ではない。ただ、状況を理解しているだけだ。「法律事務所で契約書を作って。今日中に、16億で株式を譲ってもらう」天音は渉をちらっと見た。母のために十数年も会社を切り盛りしてきたことがなければ……渉と蓮司を、今すぐ二人まとめて叩き出してやりたいところだった。自分の会社の社員なのに、ずっと蓮司の肩ばかり持つんだから。蓮司は静かに天音を見つめ返した。あの時、天音が出て行った後、ボディーガード一に持ち物をすべて調べさせたが、身分証明書と数着の服、そして『海の星』以外は、何も持っていかなかった。しかも、4億円もする『海の星』は、直樹にあげてしまった。要が天音に何か渡したのかは分からない。でも、もし何も渡していなかったとしたら……16億という金は、自分が天音に渡したカードに入っていたお金と、恵梨香の高額な死亡保険金のはずだ。天音がその金に手を付けたがるとは思えなかった。でも、もしそれを使ったのだとしたら、自分とはもう一切関わりたくないっていうことだろう。蓮司は天音を怒らせたくない。お金が天音のところにあろうと、自分のところにあろうと、名義が変わるだけの話だ。いつか天音が心変わりしてくれれば、何もかもが彼女のものになるのだから。蓮司は、天音の手をそっと握った。「約束だ」天音が思わず手を振り払おうとした時には、蓮司はもう手を離していた。蓮司は、天音が握られた手をウェットティッシュで気持ち悪そうに拭うのを横目で見ながらも、気づかないふりをして外へと歩き出した。渉は天音に睨まれて、ようやく状況を察した。天音は蓮司を嫌っているだけでなく、憎んでいるのだ。まずい、社長の敵の肩を持つなんてことをしてしまった。渉は慌てて言った。「社長、私もご一緒します」天音は車がなかったので、うなずいた。二人は、街で一番大きな法律事務所を訪れた。担当してくれた弁護士は、木村浩二(きむら こうじ)という男だった。浩二は天音を見ると、しばらくきょとんとしていたが、やがて思い出したように言った。「加藤さん、何か用事があれば要さんに言ってくれればよかったのに。どうしてわざわざご自分で?」天音は、何がなんだか分からず浩二を見つめた。「木村和也はうちの父です。要さんと加藤さんの結婚式の日に、結婚式の宴会場で一緒に写真も
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第347話

「風間社長も、よろしいでしょうか?」株式の買収は、スーパーで買い物するのとは訳が違う。値引き交渉にもちゃんとした根拠が必要だ。だが、渉は株式譲渡契約書を見て、天音ならお金を払わなくても株を取り戻せるはずだと思った。しかし、本人がそれを望まなかったのようだ。本人が嫌だというなら仕方ない。だけど、損をさせるわけにはいかないのだ。蓮司は、「構わない」と答えた。天音はバッグを開けた。中にはブラックカードが見える。母が残してくれた、高額な死亡保険金が入っているカードだ。このお金は、使いたくなかった。でも、今は使わざるを得ない。蓮司とは、これ以上関わりたくなかったのだ。かと言って、無駄遣いはできない。手持ちのお金はこれだけだし、想花を育てていかなければいけないからだ。少し迷ったあと、天音は暁に電話をかけた。暁は電子帳簿を確認し、10億という金額を提示した。そして天音に尋ねた。「隊長が明後日、基地に戻られます。想花ちゃんに会いたがってるんです。今夜、大きなパーティーがあって隊長も顔を出されるんだけど、ちょうど三十分くらい時間ができます。想花ちゃんも、にぎやかなのは好きでしょう?」「住所を送りますので、想花を迎えに来てくれませんか」天音は要に会いたくなかった。想花を暁に預けるなら、安心だ。天音は浩二のオフィスに戻り、「最終的な買取り額として、10億を提示する」と言った。「同意できない」蓮司が突然口を挟んだ。「16億だ。一円もまけるわけにはいかない」「この会社の市場価格は12億だわ。あなたの持っている80パーセントの株なら、10億で妥当なはずよ」天音は少し声を大きくした。蓮司は、怒りでほんのり赤くなった天音の顔を見つめた。「確かにな。だが、俺は16億欲しい。なら、明日から、俺は筆頭株主として出社してやる。会社の経営ってやつを、お前に教えてやるよ」蓮司はそう言うと、怒りでますます顔を赤らめる天音を静かに見つめていた。昔から、蓮司は天音を怒らせては、わざと泣かせていた。そして、天音が顔を真っ赤にして、かすれた声で甘えるように文句を言うのを見て、ようやく満足するのだった。天音は蓮司を睨みつけた。「必要ないわ。契約書にサインしよう」「いいだろう」蓮司はあっさりと答えた。浩二の立ち会いのもと、天音はブラ
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第348話

天音は、渉と一緒に何社かのベンチャーキャピタルを回ったけど、どこも門前払いだった。技術力が足りないとか、今は投資する気がないとか、そんな理由で断られるばかり。銀行の方は、いい返事をくれた。4千万の融資は問題ないけど、審査を待つ必要があるとのことだった。天音がエレベーターを降りると、向かいの部屋で掃除が行われていた。誰かが引っ越してくるみたい。出入りしている人たちは、素朴な感じで、天音に笑顔で挨拶してくれた。天音が指紋で家の鍵を開けると、小さな影が胸に飛び込んできた。しゃがんで想花を抱きしめると、ふんわり子供の匂いに、疲れも心配もほとんど吹き飛んでしまった。「ママ、会いたかった」想花は天音の頬にキスをした。天音は、心がとろけていくのを感じた。今日一日、外で受けた冷たい扱いや悔しい気持ちが、すっと消えていくようだった。「ママも会いたかったよ」天音は想花を抱き上げようとしたけど、想花はするりと腕から抜け出した。想花は天音の前でくるりと一回転した。大きな黒い瞳をきらきらさせて尋ねた。「ママ、これ可愛いでしょ?」「すごくきれいよ」天音は想花のおさげを撫でながら言った。「そんなにおめかしして、どこかに行くの……」その時、午後に暁と交わした約束を思い出した。腕時計を見ると、もう夜の七時だった。由理恵が、想花のお出かけの準備をしてキッチンから出てきた。「お迎えはもう来たの?」天音は尋ねた。「もう下でお待ちですよ」そう言うと、由理恵は想花の手を取った。「そっか、パパとパーティーに行くから、こんなにおめかししてたんだね」天音は優しい声で言った。「何か面白いことがあったら、帰ってきたらママに教えてちょうだいね」想花が力強くこくんと頷く姿は、たまらなく可愛かった。天音は思わず笑みを浮かべ、由理恵と想花を階下まで見送った。入り口には黒い車が停まっていた。それは、以前要が乗っていた防弾仕様の車ではなかった。三人が楽しそうに話しながら車に近づくと、運転手がすぐに降りてきてドアを開けた。微笑んでいた天音の視線が、要の静かな瞳とぶつかった。その笑みは、ぴたりと固まった。要の視線は天音の顔に留まることなく、何気なく想花の方に向けられた。「パパ!」日に日に成長する想花は、言葉もずいぶんとはっきりしてきた。五日
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第349話

そう言って、蓮司は天音の部屋のドアを閉めた。天音はすぐにドアに駆け寄って鍵をかけた。そしてやっと、張り詰めていた神経がゆるみ、力なくドアにもたれかかった。ふと、テレビの画面に目がとまった。パーティーは生放送で、マジックショーの最中だった。マジシャンが、最前列の人に参加を呼びかけている。そこには、参加したくてうずうずしている想花の姿があった。想花は要の膝に抱かれて、とても楽しそうにしている。想花はトランプを一枚引くと、にこにこしながら言った。「これ、知ってる!3だよ!」突然、周りの人たちの表情が一変した。生放送は突然、別の画面に切り替わってしまった。天音はパニックになり、慌ててノートパソコンを開いた。テレビ局のサーバーにハッキングすると、放送内容は常にバックアップ録画されていることがわかった。録画を再生してみると、画面が切り替わる直前、黒い影のようなものが人だかりの中に倒れ込み、想花をめがけて倒れていくのが見えた。その瞬間、天音の携帯が鳴った。相手は暁だった。彼女は慌てふためき、声も震えながら、「もしもし?」と言った。「加藤さん、パーティー会場まで来ていただけますか?」暁が言った。「は、はい、すぐ向かいます」「車は下に待機させています」天音は焦燥感に駆られ、息を切らしながら尋ねた。「想花は、想花は無事なんですか?」電話の向こうは騒がしく、暁はそのまま電話を切ってしまった。かけ直しても、もう繋がらない。天音は携帯を握りしめたまま、階下に駆け下りて車に乗り込んだ。一台のロールスロイスが、その後を静かについてきていた。天音は緊張した面持ちで、運転手に尋ねた。「何があったか知っていますか?」しかし、運転手も知らないようだった。天音は携帯を取り出し、要に電話をかけようかと思った。結局かけられなかった。パーティー会場に着くと、天音は要のもう一人の秘書、達也に迎えられた。「加藤さん、隊長はこちらです」達也はそう言って、天音を案内した。天音は何があったのか聞こうとしたが、その間もなく達也に連れられて小さな部屋に案内された。そこで目にしたのは、予想外のことな光景だった。要が想花を抱き、革張りのソファに座っていた。そして、隣には席が一つ空けられている。向かいには人気のインタビュ
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第350話

天音は、はっと要を見た。要は静かに彼女を見つめ返すと、彼女を抱き寄せた。その記者はさらに続けた。「私が知る限り、奥様は今、前の旦那さんと一緒に住んでいて、遠藤隊長とは別居中でしょう」その記者が数枚の写真を掲げると、記者たちのカメラが一斉に彼の手元に向けられた。それは、天音があるマンション入った直後、蓮司が同じマンションに入っていく写真だった。質問した記者は天音と要の反応がないのを見て、マイクを天音の前に突きつけた。「この噂について、何かコメントをいただけますか」要の腕の中で、天音は何が起こっているのかわからず、ただ要を見上げていた。しかし、状況は明らかに要にとって不利だった。要がマイクに目をやると、すぐに暁が進み出て、そのマイクを押し返した。暁は、指輪のケースを要に手渡した。要は中から結婚式で使われた女性用の指輪を取り出すと、天音の手を取り、その薬指にはめた。要の左手が天音の右手を握る。天音は反応もできないうちに、要の指に自分と同じデザインの男性用結婚指輪がはめられていることに気づき、愕然とした。「結婚指輪のサイズが合わなかったので、直しに出していました」暁は記者たちの前に立ちはだかった。「風間社長は隊長の奥様の前の旦那さんであり、隊長と奥様の命の恩人でもあります。風間社長と奥様が同じマンションにいたとしても、何も不思議はありません。あのマンションは元々、風間社長が所有する産業です。そして、奥様が住んでおられる部屋は、奥様のお母様から相続されたマンションの一室です。他に質問があれば、外のインタビューエリアまでお願いします」そう言うと、暁は外へ向かって歩き出した。すぐに特殊部隊の隊員たちが、要と天音を護衛するように囲んだ。記者たちは暁についていくしかなかった。しかし、先ほどの記者はまだ諦めずに近づこうとしていた。その記者が突然「うわっ」と声をあげ、ふくらはぎを押さえた。皆が見ると、想花がその記者をもう一度蹴りつけていた。「ママは、悪いおじさんと一緒に住んでないもん」痛がる記者は、特殊部隊の隊員に引きずられていった。天音が想花を抱きしめようとしゃがみこんだ。しかし天音の手首を、温かい大きな手に掴まれた。天音は要に引き起こされた。要は身をかがめて想花を抱き上げる。驚く天音の目を見つめながら、要
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