All Chapters of 徒に過ごした六年間――去り際に君の愛を知る: Chapter 311 - Chapter 320

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第311話

由莉奈は彼を一瞥した。「あなたは……?」「ご連絡させていただきました、藤堂駿介と申します」「どうも、石川由莉奈です」「石川さん、こちらへどうぞ」駿介は体を横にずらし、彼女を中へ案内した。由莉奈は後ろを歩きながら、きょろきょろと辺りを見回す。このような高級レストランは初めてだった。オークション会社のスタッフは、みんな祐一みたいなお金持ちなのではないかと思う。エレベーターの中で、彼女は思わず口を開いた。「ちょっと聞いていいですか?あの銅銭、いくらくらいするんです?」駿介は微笑む。「金額では測れない価値があります」由莉奈は眉をひそめた。――どういう意味?高いの?それとも高くないの?個室の前まで来て扉を開けると、パーテーションの向こうに人影が見えた。駿介が回り込むように進み、由莉奈も後を追う。男の顔がはっきり見えた瞬間、思わず目を見開いた。――祐一に負けないくらいのイケメン。最近、運が良すぎるんじゃない?「坊ちゃん、こちらが石川さんです」駿介が男のそばに立ち、声をかける。男――智宏はコーヒーカップをテーブルに置き、ゆっくりと顔を上げた。鋭い視線がそのまま由莉奈に向けられる。「その銅銭は、あなたのものですか?」由莉奈は一瞬戸惑ったが、うなずいた。「はい」「子どもの頃から持っていましたか?」「え?あなたたち、オークション会社の人じゃないんですか?どうしてそんなことまで……?」駿介が一歩前に出て説明する。「石川さん。私たちはオークション会社の者ではなく、中道家の者です。あなたがお持ちの銅銭は、中道家の家宝なんです」由莉奈は言葉を失った。「か、家宝……?」「はい。私たちはずっと行方不明だった中道家の娘を探しています。その銅銭をどのように手に入れたのか、何か思い出せることはありませんか?」――中道家の娘。その言葉を聞いた瞬間、由莉奈の脳裏に、あの日庭で偶然耳にした会話がよみがえる。あの古びた銅銭が家宝……?どうして父が持っていたの?胸が高鳴った。まさか――自分は石川家の娘だったのか?そう考えた途端、すべてがつながった気がした。――やっぱり。こんなに可愛くて優秀な自分が、あんな田舎の家の娘であるはずがない。由莉奈は表情を抑え、少し迷っているふりをする。「はっきり覚えていません。銅銭は
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第312話

和恵と将平が江川市に到着すると、すぐにインターナショナルホテルへと向かい、チェックインをした。今回江川市を訪れたのは、ナノ治療プロジェクトの件についてアンデル教授と話し合うためだった。由奈と祐一が到着したとき、大きなレストランの中ではすでにアンデル教授のチームと和恵が談笑していた。和恵は英語が得意ではないが、外交官の息子が通訳として付き添っており、アンデル教授とも流暢に会話を交わしている。和恵の隣にいるウェイターが何か耳打ちをすると、彼女は由奈たちに気づき、穏やかな笑みを浮かべた。「由奈、祐一、来たのね」「おばあさま、お義父さん、お待たせしました」由奈はいつも通りに挨拶をする。祐一がまだ離婚届に署名していない以上、彼女は滝沢家の嫁なのだ。将平がうなずいた。「江川市での暮らしはどうだ?」「おかげさまで、元気に過ごしています」「由奈、アンデル教授とはもう会ったわね?」和恵は彼女の手を取った。由奈は微笑む。「ええ、何度か」アンデル教授も口を開いた。「池上さんのことはよく覚えています。白石恭介先生の教え子だったとは知らず、その節は大変失礼しました」しばらく言葉を交わしたあと、一同は食事が並べられたテーブルのほうへと移動する。すると和恵が、ふいにアンデル教授が最近採用した新しいチームメンバーの話を持ち出した。由奈はゆっくりとまぶたを上げ、教授を見つめる。アンデル教授は穏やかに答えた。「まだ正式なメンバーとして認めたわけではありません。評価したのは論文だけです。ただ……人柄に少し問題があるようで、それが残念ですね」「そうでしたか……」和恵が納得しかけたそのとき、由奈は指先で皿の上をなぞり、小さく笑った。「長門先生の論文は、確かに素晴らしいです。十年前に発表された神経幹細胞移植の理論は、今でもかなり先進的ですから」祐一は何も言わず、ただ彼女をじっと見つめていた。「え?」和恵は眉をひそめ、アンデル教授へ向き直る。「その新しいチームメンバーは……長門歩実ですか?」「ええ、そうです」和恵は思わず笑った。「あの人が、そんな論文を書けるなんて……」「おばあさま。長門先生ご本人が、皆の前であの論文は自分が書いたと宣言したんです。当時、祐一もいたので」由奈が言い終えた瞬間、祐一の表情がわずかに曇った――やはり、
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第313話

祐一の視線は、複雑な感情を秘めながらもどこか切なさを帯びていた。かすかな期待がにじむ一方で、すぐにその光は沈み込む。昔なら、由奈は祐一の目からこんな感情を見つけることは決してなかった。由奈はそっと視線を外す。「お手洗い、行ってくる」足早にその場を離れる。無意識に手を握りしめ、決して振り返らなかった。――もう二度と、彼の世界に引き戻されないために。……洗面所で、少しでも顔色がよく見えるように、由奈は軽くリップを塗り直していた。そのとき、外から一人の女性が入ってくる。上質な服に身を包んだ中年の女性だった。黒いレースの縁取りがついたベレー帽をかぶり、メイクもきちんとしている。整った顔立ちではあるが、どこか違和感があった。表情が少し硬く、まるで作り込まれたかのようだ。だが、その目元には妙な既視感がある。どこかで見たことがあるような気がした。女性が微笑んだので、由奈も礼儀として軽く会釈する。そして視線を戻し、そのまま立ち去ろうとした――その瞬間。女性が横を通り過ぎた拍子に、指にはめた大きなダイヤの指輪が由奈の髪に引っかかった。鋭い痛みが頭皮に走る。「ごめんなさい!髪に引っかけてしまって!」女性は慌てて謝った。予想外の出来事に、ひどく動揺している様子だ。「私、不器用で……昔からよく他人に迷惑をかけるんです。夫にもいつも言われていて。本当にごめんなさい……」由奈が何かを言う前に、女性のほうが涙ぐみ始めた。まるで由奈にひどい言葉をかけられたかのような雰囲気になる。「大丈夫です。怒っていませんから、泣かないでください」女性は目元をぬぐい、ほっとしたように息をついた。「あなた、本当に優しいんですね」由奈はティッシュを差し出す。「少し髪が引っかかっただけです。気にしないでください」女性は一瞬驚いたようにしてから、それを受け取った。「あなた、お名前は?」「池上由奈です」「由奈……いい名前ですね」女性は嬉しそうに笑う。「私は石川亜紀。美容医療の仕事をしているんです。あなたとは同業みたいなものですよ」由奈は一瞬、動きを止めた。「あら、ごめんなさい、こんなところで長話しちゃって」石川亜紀(いしかわ あき)と名乗った女性は親しげに由奈の手を握る。「今度、うちのクリニックに遊びに来てね。安心して、あなたは
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第314話

まもなくして、祐一の車がレストランの前に停まった。祐一は長い脚を伸ばして車から降りると、静かに傘を差す。「途中で席を外して、何も言わずに消えたと思ったら……ちゃんと戻って来たんだな」会計を済ませてレストランを出てきた将平が、呆れたように言った。「少し用事があっただけだ」祐一は短く答え、階段を一段ずつ上がる。その視線が由奈をかすめ、やがて和恵へ向けられた。「おばあさま、彼女は俺が送ります」和恵は頷き、穏やかに言う。「気をつけて帰りなさい」由奈は祐一の傘の下へ歩み寄った。彼はごく自然に彼女の肩を抱き、そのまま立ち去る。その後ろ姿を見送りながら、和恵はどこか安堵したように目を細めた。正直、二人はもう終わると思っていた。けれど今は違う――祐一が本気で由奈を気にかけるようになったことが、一目見ればわかるのだった。……車が夜道を走る。由奈はシートに身を預け、目を閉じようとした。だが胃が重くせり上がり、胸元まで詰まるような不快感が続いている。数分耐えた末、ついに口を開いた。「……止めて」麗子がバックミラー越しに振り返る。「どうされましたか、奥様?」「吐きそう……!」すぐに車は路肩へ寄せられた。由奈はドアを押し開け、ふらつきながら草むらへ駆け寄る。そして夕食をすべて吐き出した。麗子はミネラルウォーターを手に取り、「様子を見てきます」と言いかけたが――「俺が行く」祐一が水を受け取り、車を降りる。背後から近づき、由奈の背をそっと叩いた。「酒に弱いなら、無理して飲むな」その声を聞いた瞬間、胸の奥に溜め込んでいた感情が一気に溢れ出した。由奈は彼の手を振り払う。「放っておいて。昔、吐くまで飲んだ時……あなたが気にしたことなんて一度もなかったでしょ?」祐一はわずかに目を見開き、何も言わずに黙って受け止める。「祐一って本当最低。私が目の前で苦しんでるのに、見て見ぬふりをして……あの親子だけを気にしてた。私がどれだけ傷ついたか、わかるの?」彼は低く応じた。「……わかる」「嘘よ!あなたの目には、あの人しか映ってなかった……私のことなんて、一度も見て見てくれなかった!」「……」祐一は目元を押さえ、深く息を吐く。彼女が何を言ってもいい。過去の自分は、責められて当然なことをしたから。そう考えながら、祐一
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第315話

翌朝、由奈が家を出ると、ちょうど祐一と鉢合わせた。昨夜のことには一切触れず、まるで本当に酔い潰れ、何も覚えていないかのように振る舞う。「綾香さんから聞いた。昨夜は家まで送ってくれてありがとう」それだけ言うと、まっすぐエレベーターへ向かった。祐一は一歩前に出て彼女の行く手を遮り、目を細める。「……言いたいことはそれだけか?」「それ以外何があるの?」由奈は首を傾げる。「昨夜、自分が何を言ったか、もう覚えてないのか?」由奈は唇を軽く噛み締め、眉をひそめた。「お酒の勢いで言ったことよ。気にしても仕方がないでしょ?」祐一は何も言わず、ただ彼女を見つめる。「エレベーターが来たわ、退いて」由奈は彼の体を押しのけ、乗り込んだ。金属の扉が閉じていき、二人はお互いが視界から消えるまで見つめ合っていた。その場にしばらく立ち尽くしていた祐一は、やがてスマホの着信に気づく。麗子からだった。「社長、例の二人の身元が分かりました。長門さんの関係者でも影山家の人間でもありません。美容整形クリニックを経営している石川亜紀という女性の部下のようです」祐一は眉を寄せる。「石川?」「はい。ですが、石川由莉奈一家とは特に関係がないようです。石川亜紀は江川市での交友関係が広く、人脈もそれなりにあるそうです」祐一は少し黙り込んだ。「わかった……引き続き見張っておいてくれ」……一方その頃――駿介は鑑定結果の書類を手に、検査機関の建物を出た。駐車場では、車の中で智宏が待っている。ドアを開けて乗り込むと、駿介はすぐに封筒を差し出した。「急ぎで出してもらいました」智宏は無言のまま封を切る。中の書類には、はっきりと記されていた――父性肯定率、九十九パーセント以上。その一文を目にした瞬間、現実感がふっと遠のいた。頭が真っ白になり、しばらく何も考えられない。「坊ちゃん……どうでした?」返事がないことに気づき、駿介が書類をのぞき込む。そして次の瞬間、目を大きく見開いた。「本当に……お嬢様だったんですね!すぐ旦那様にご報告しないと!」智宏は何も言わなかった。電話をかけ始めた駿介を、ただ黙って見ている。――ついに妹が見つかった。嬉しいはずなのに、胸の奥には、どうしても消えない違和感が残っていた。むしろ、どこか失望に近い感情さ
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第316話

智宏は彼女の手をそっと払いのけ、表情はどこか冷ややかだった。「本当に母のことが心配なら、会いに行ってあげてください」その言葉に、亜紀の笑みが一瞬で凍りつくが、何も言い返さなかった。智宏は構わずに続けた。「用事がありますので、失礼します」「……ええ」智宏が車に乗り込み、そのまま走り去っていくのを、亜紀はじっと見送っていた。やがて口元の笑みがすっと消える。スマホを取り出し、どこかへ電話をかけた。「鑑定結果はちゃんと渡した?」相手の返事を聞くと、満足そうに通話を切る。そして、ゆっくりと歪んだ笑みを浮かべた。「中道秀明……いまさら娘を取り戻そうとするなんて、絶対に許さないわ」――あのとき、死産だった自分の子どもを、秀明の子どもと入れ替えた。ここまで来て、実の娘を取り戻させるわけにはいかない。……その頃。ナースステーションで由奈は、三郎のカルテを手に取り、真剣な表情で目を通していた。背後に、いつの間にか倫也が立っている。「何か気になることでも書かれていましたか?」声に気づき、由奈は振り返った。「白石先生。もうお帰りになったのでは?」「ちょっと用事があって、戻ってきました」倫也はそう言いながら、カルテへ視線を落とす。「何か問題が?」「いえ……石川さんは一般病棟に移りましたし、特に心配はありません」由奈はカルテを閉じた。だが、倫也は納得していない様子だった。「なら、何を見ていたんですか?」「石川さんには娘さんがいますよね。一度もお見舞いに来ていないので、少し気になって……」適当な理由を口にして、その場を取り繕う。「他人の家庭事情に、ずいぶん興味があるんですね」「そんなことはないですけど……」倫也はじっと彼女を見つめた。「本当に?ですが、私や家のことをあなたに聞かれたと、稲垣が言っていましたよ」由奈は言葉を失う。――聞いた?そんな覚えはまったくない。「違います。それは稲垣先生が……」ちょうどそのとき、前方から裕人の声が響いた。倫也は軽く返事をし、由奈をちらりと見やる。唇の端にかすかな笑みを浮かべたまま、その場を去っていった。由奈は、言い訳の続きを飲み込むしかなかった。……その頃、海都市では、秀明は駿介からの報告を受け、急いで妻のもとへ向かった。「恭子、私たちの娘が見つかっ
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第317話

病室の中では、看護師が二人がかりで三郎を必死になだめていた。血圧が上がって再び倒れてしまったら大変だと、懸命に声をかけ続けている。やがて一人の看護師が外へ出てきた。由奈はすぐに声をかける。「何があったんですか?」「娘さんが突然やって来て、『あなたは私の本当の父親じゃない』なんて言い出したんです。それで患者さんが激怒して、血圧が上がりかけて……」看護師は呆れたように肩をすくめた。「その話だけでも信じられないのに、自分は本来なら裕福な家の娘で、苦労せずに暮らせたはずなのに、父親が身分を隠していたせいで今まで辛い思いをした、なんて責めていましたよ」「えっ、本当ですか?」隣で聞いていた美夏が驚いた声を上げる。「私も詳しい事情は知りませんけどね」看護師は苦笑した。「たとえ実の娘じゃなかったとしても、育ててもらった事実は変わらないでしょうに。もし本当に血のつながりがあるなら、あんなことを言うくらいなら、いっそ早いうちに縁を切ったほうがいいですよ」看護師が去ったあとも、美夏は小声でその話を続け、興味を抑えきれない様子だった。だが、由奈の表情が暗くなっていることには気づいていない。由莉奈の話を聞いて、由奈は思わず自分のことを重ねていた。由莉奈には、彼女を探してくれる家族がいる。けれど、自分はどうなのだろう。本当の家族は、今もどこかで自分を探してくれているのだろうか。……昼頃、祐一がナースステーションに現れた。「池上先生の執務室はどちらですか?」看護師は顔を上げ、数秒固まったあと、慌てて方向を示す。「あちらです」「どうも」彼が去ると、すぐに数人の看護師が集まってきた。「ちょっと、なにあの人!白石先生に負けないくらいのイケメンじゃない?しかも池上先生に会いに来たなんて、羨ましすぎる……」「はぁ、私もああいう人を振り向かせる技が欲しいなぁ。そしたらすぐかっこいい彼氏が見つかるのに」その時、彼女の背後から美夏が現れた。「今の人、池上先生の旦那さんですよ」看護師たちは一斉に振り向く。「えっ?池上先生が結婚してたの?」「じゃあ白石先生は……?」ざわつく声が広がった。……由奈は資料を手に病室から出てきた。そのまま執務室へ向かったところで、扉の前に立つ祐一と鉢合わせる。きっちりとしたスーツ姿の彼が、場違いな保温
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第318話

由莉奈は智宏とともに海都市へ戻った。空港には、秀明が妻を伴って自ら迎えに来ていた。車から降りた由莉奈は、少しはにかんだ表情で中道夫妻の前へ進む。秀明は期待に満ちた目で彼女を見つめた。「初めまして、君が由莉奈か?」由莉奈は目を伏せ、甘い声で言う。「はい……お父さん、お母さん」その一言に、秀明の目が赤くなった。「いい子だ。やっと……やっと君を見つけた」そう言うと、恭子に由莉奈を紹介する。「ほら恭子、彼女が……私たちの娘だ」由莉奈は恭子をじっと見つめた。綺麗な人だと思ったら、まさか精神を病んでいるなんて。次の瞬間、恭子の顔色が急に変わり、胸に抱いていた人形を由莉奈へ投げつける。「違うの――!」突然の出来事に、秀明も智宏も言葉を失う。人形が当たった由莉奈は何が起きたのか理解できず、その場に立ち尽くした。「恭子!落ち着いて」秀明は慌てて妻の肩をつかむ。発作だと思い、必死に宥める。「この子がゆうちゃんだ、私たちの娘なんだ!」「違うの!」恭子の目は赤く染まり、激しく抵抗する。「この子、私のゆうちゃんじゃない!本当のゆうちゃんに会わせて!」「恭子……」「お父さん、ここは僕が」智宏は何かを察したように口を開いた。床に落ちた人形を拾い上げ、母に近づく。「お母さん、どうぞ」人形をそっと手に握らせる。「本当のゆうちゃんに会わせてあげるね」「……うん、ゆうちゃんに会いたい」恭子はようやく落ち着いた。智宏は駿介に目配せする。「お母さんを連れて帰ってくれ」駿介はうなずき、恭子を支えてその場を離れた。秀明は困惑したまま息子を見つめる。「どういうことだ?この子が君の妹だろ?DNA鑑定の結果も出ているんだぞ」一方、由莉奈の顔も青ざめていた。先ほどの出来事がよほど衝撃だったのか、体が小さく震えている。――自分は中道家の娘のはずだ。DNA鑑定の結果だって、そう示している。こんなことになったのは、すべてあの気の触れた女のせいだ。あんな母親がいると思うだけで、悔しさが込み上げてくる。智宏は父の言葉には答えず、由莉奈へと視線を向けた。「長旅で疲れたでしょう。部屋を用意してあります。先に休んでください」由莉奈は小さくうなずく。気分は最悪だったが、それでも――自分が中道家の娘である事実は変わらない。ボディーガードに案内され、彼女
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第319話

「心配する必要はありません。復帰してほしいのは、もともと滝沢家の意向ですし、和恵さんもあなたの才能を高く評価しています。遠慮することなく力を発揮し、皆で成果を出していきましょう」アンデル教授の言葉に、歩実は思わず息をのんだ。「……では、滝沢社長はどうお考えなんですか?」「特に何も。ほかに気になることは?」「いえ……ありません」「なら、明日の朝、私のところへ来てください」「わかりました」通話を切ったあと、歩実はしばらくその場に立ち尽くしていた。力の入らない右手にそっと触れ、目が潤む。――自分は完全に見捨てられたわけじゃなかった。祐一とは長年の付き合いだ。ともに過ごしてきた時間は嘘ではないし、彼が本気で自分を切り捨てるはずがない。彼はただ、自分に罰を与えていただけだ。だが、その罰が由奈のためだと思った瞬間、歩実の表情は凍りついた。やがて笑みは消え、深い憎しみが浮かび上がる。――由奈さえいなければ、祐一と自分がこんな関係になることもなかった。……倫也は、歩実がナノ治療プロジェクトに復帰したことを由奈に伝えた。彼女の落ち着き払った反応を見て、わずかに眉をひそめる。「……この件、まさかあなたが関わっているのですか?」由奈は振り向き、静かに問い返す。「関わっていると言ったら?」「……何をするつもりですか?」由奈は小さく笑った。「持ち上げてから、叩き落とすんですよ」祐一は、もしかすると歩実を許すかもしれない。けれど――由奈は違う。歩実が池上家の本当の娘だと知ったとき、あまりの衝撃に、しばらくは手を出せなかった。だが、綾香が手に入れた映像という決定的な証拠がある以上、確実に彼女を刑務所へ送ることができる。けれど、今になって思う。それだけでは軽すぎる。久美子を殺した証拠はない。健斗を突き落とした罪だけでは、せいぜい有期刑だ。模範囚として振る舞えば、減刑される可能性だってある。――それでは足りない。人は罪を悔い、やり直せることもある。だが、歩実には、やり直すチャンスが与えられる資格さえないのだ。……歩実はアンデル教授のもとに戻ると、すぐに由莉奈へ連絡を入れた。最初、由莉奈は電話に出ようとしなかった。だが送られてきたメッセージを見た瞬間、顔色が変わる。スマホを強く握りしめ、彼女はベランダへ
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第320話

歩実は由奈の前で足を止めた。唇の端に、あからさまな挑発の笑みを浮かべている。「まさか、また私が戻ってくるなんて思わなかったでしょう?」由奈は淡々と相槌を打った。「そうですね。おめでとうございます」そのまま彼女の横を通り過ぎようとする。だが数歩も行かないうちに、背後から声が追ってきた。「どうして私が復帰できたのか、気にならないの?」由奈は足を止め、ゆっくりと振り返った。「私が気にする必要、ありますか?」歩実はわずかに目を細める。「祐一は私を業界から締め出さなかった。つまり、まだ私に未練があるってことよ。これまで冷たくしていたのも、池上家の件であなたが納得するよう、形だけ罰したに過ぎない。本気で私を切り捨てるつもりなんて、最初からなかったの」歩実は、由奈の表情を食い入るように見つめていた。ほんの一瞬でも動揺や苦しさが浮かべば――それだけで、自分の心の傷が少しは癒える。そんな期待が透けて見える。だが。由奈は肩の力を抜いたまま、かすかに笑った。「彼があなたに未練を持っているかどうかなんて、私には関係ありません。必要なら――私のほうから切らせてもらいます」歩実の笑みが固まる。「それから、池上家のことですが――」由奈は一歩、歩実に近づいた。突然、彼女の右手の手首を取り、袖をわずかに引き上げる。そこには、小さな赤いほくろがあった。「……何をするの!」歩実の右手は怪我の影響で力が入らない。振り払おうとしても、思うように動かない。「そのほくろ、子どもの頃からありますよね?」歩実は一瞬、言葉を失った。視線が自然と自分の手首へ落ちる。確かに、物心ついたときからそこにあった。位置が目立つ場所だったが、誰も気にしなかったし、自分も深く考えたことはなかった。由奈が手を離すと、歩実はようやく腕を引き戻す。「それが、あなたに何の関係があるの?」「関係はありませんよ。ただ……どうして私がそれを知っているのか、不思議じゃありませんか?」「……何が言いたいの?」由奈は穏やかに笑った。「あなた、すでに実の両親と再会したけど――彼らだとは気づきませんでしたね」歩実の眉が寄る。「どういう意味?」「言葉どおりの意味です」由奈は笑みを消した。「いつか、自分のしてきたことを後悔しないといいですね」それだけ言い残し、背を向ける。
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