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血と束縛と のすべてのチャプター: チャプター 61 - チャプター 70

242 チャプター

第3話(1)

 引っ越し先の部屋の居心地は、いいとはいえなかった。まだ慣れていないというのもあるが、目につく家具の一つ一つが自分が選んだものではないというのが、最大の原因だろう。  大きな窓につけられたカーテンも、足元で心地いい感触を与えてくれるカーペットも、腰掛けているソファも、文句なしに品はいいが、少なくとも和彦の趣味ではない。まるで高級ホテルのスイートルームにでもいるようだ。  高層マンションの広くてきれいな角部屋を与えてくれたことだけは、唯一評価してもいいのだろうが――。  所有したものには、徹底して自分の好みを押し付けるのがこの男のやり方なのだろうかと、和彦は正面のソファに腰掛けた賢吾に視線を向ける。  露骨に警戒している和彦の反応がおもしろいのか、長嶺組組長という肩書きを持つ男は、悠然と足を組んだ姿勢で寛ぎながら、じっとこちらを見つめていた。  今、四十五歳だそうだが、年齢からくる衰えは、この男からは一切感じられない。仕立てのいいダブルスーツに包まれた体は偉丈夫と表現してもいいだろう。いまだに賢吾の素肌のほとんどを見たことがないが、抱き締められるたびに和彦は、引き締まり、張り詰めた筋肉の存在を感じるのだ。  そのうえ、全身から発している威圧的な空気や、圧倒されるほどの力強さ、男としての色気が、賢吾の存在をより強烈にしている。  強烈すぎて、凶悪。狡猾で残酷な性格も合わせれば、完璧だ。  そんな男に目をつけられ、こんなマンションに住まわされることになった和彦は、自分が置かれた状況を嘆く気力も失われつつあった。  囲われ者らしく、部屋にじっとしていて、主の訪れを待つだけの生活――などは待っておらず、引っ越し前後から急に和彦は忙しくなった。  独立する意思などまったくなかった一介の若い医者が、突如としてクリニックの経営を任されるのだ。開業資金や空きテナント探しといったことは長嶺組に一任するとしても、実際にクリニックで患者を診ることになる和彦は、必要な医療機器や備品などを選定しなくてはならないし、そのことでクリニックの開業専門に手がけているコーディネーターからアドバイスももらわなくてはならない。  真っ当な準備の裏では、医師会や役所に提出する必要書類についても、
last update最終更新日 : 2025-10-25
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第3話(2)

「……開業の準備に関しては、毎日組に報告しているはずだ。わざわざこの部屋に来ることはないだろう」  うんざりしながら和彦が言うと、わざと聞こえないふりをしているのか、賢吾はリビングを見回した。この部屋を訪れたのは今日が初めてのため、賢吾は玄関に入ったときから、他の部屋はおろか、トイレやバスルームまでこうやってチェックしていた。 「まだ、殺風景だな。引っ越しの荷物は解いたんだろう?」 「あまりごちゃごちゃと飾るのは好きじゃない。それに、こんな広い部屋にたっぷり置けるほどの家具なんて、もともと持ってなかった」  一人暮らしなのに広い4LDKの部屋を与えられ、和彦はスペースを持て余していた。どの部屋にいても落ち着かないため、自分の荷物をどっさり運び込んだ書斎で大半の時間を過ごしている。  ふん、と思案するように声を洩らした賢吾が、こう言った。 「もっと家具を買ってやる」 「ああ、好きなものを買って、どんどん運び込んでくれ」  いらないと答えたところで賢吾が聞き入れるとも思えないので、和彦はそう答える。ニッと笑った賢吾は、ソファの傍らを指さした。 「ついでに、こいつも常駐させてやろうか? いい番犬だぞ。吠えないし、茶も入れてくれる」  笑えない冗談だと思いながら和彦は、賢吾が指さした先に視線を向ける。ソファの傍らに、置き物のように立っているのは三田村だ。  引っ越してきてから、毎朝この部屋に通ってきて、和彦の運転手兼ボディーガードを務めてくれている。 「……あんたの番犬だろう。ぼくは、運転手をしてくれるだけで十分満足している」 「お前には、うちの子犬の面倒を見てもらってるからな。安いものだ」  その子犬は、実家暮らしは窮屈だと、よく和彦に電話をかけてきては訴えている。本当は会いたいらしいが、子犬扱いの千尋とは違い、和彦は忙しい。ここ何日か、顔を合わせる時間すら作れていない。  千尋はまだ、父親ほど要領がよくないようだ。 「さて――」  ふいに賢吾が声を洩らし、意味深な笑みを浮かべる。これから何が起こるか――求められるか、嫌というほどわかっている和彦は、ピクンと肩を震わせた。 「さっそく俺のオ
last update最終更新日 : 2025-10-26
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第3話(3)

 もう一度賢吾に唇を吸われてから、伴われて寝室へと向かう。この部屋だけは殺風景さとは無縁で、過不足なく家具が調えられ、小物に至るまですべて賢吾の好みで統一されている。深みのある赤を基調とした空間は和彦には渋すぎるように感じられるが、賢吾のほうは非常に満足そうだ。  ドアを開けたままなのを気にしながらも、ベッドに腰掛けた賢吾が両足を開いて鷹揚に構えたのを見て、和彦はため息をついて、これからの時間に集中することにする。  賢吾の両足の間に身を屈め、カーペットに両膝をつくと、スラックスのベルトを緩めて前を寛げる。何も言わず、引き出した賢吾のものに舌を這わせた。  千尋のささやかな篭城戦につき合わされたあと、引っ越しと開業の準備で忙しくしていても、賢吾とは外で会い続けていた。千尋とは多忙を理由に会わないことが許されても、賢吾に対してはそれは許されない。和彦は、相変わらずベッド以外の場所で賢吾を受け入れていた。ただ、変わったことは一つある。  口づけと、賢吾を受け入れる行為の間に、こうして賢吾の欲望を口腔で愛撫する行為が加わったのだ。  丹念に賢吾のものを舐め上げてから、ゆっくりと口腔に含んでいく。このとき賢吾の指先にあご下をくすぐられてから、優しく髪を撫でられる。そのくせ、頭を押さえつけてくる手つきに容赦はない。  口腔深くに賢吾のものを呑み込んだまま舌だけを動かすと、凶暴な欲望が力を漲らせていくのがよくわかる。和彦は、逞しさを増していく賢吾のものを口腔から出し入れしながら、指の輪で根元から扱き上げてやる。唾液をたっぷり絡めた舌で舐め、先端を吸い上げ――。  ようやく顔を上げるのを許された和彦が見たのは、ワイシャツも脱ぎ捨てた賢吾の姿だった。初めて賢吾の生身の体を見たが、それ以上に衝撃的だったのは、賢吾の両肩にのしかかるように存在しているものだった。 「それ――……」  思わず和彦が声を洩らすと、ニヤリと笑った賢吾に腕を掴まれて引き上げられ、ベッドの上に押し倒される。 「俺がきれいな体をしているとは、お前も思ってなかっただろう。これは、俺の特別だからな。外で気安く見せるものじゃない。ベッドの上で、特別な〈オンナ〉にだけ見せるものだ」  賢吾の言い方が気に障った
last update最終更新日 : 2025-10-26
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第3話(4)

**「ああっ」  腰を抱えられて、背後から深々と突き上げられると、和彦は声を抑えきれない。シーツを握り締めながら、内奥深くでふてぶてしく息づく肉の凶器を懸命に締め付けていた。  ベッドの上での賢吾の攻めは長かった。和彦はすでに二度、賢吾に貫かれながら絶頂を迎えているというのに、賢吾自身はまだ一度も達していない。欲望を高めたまま、ときには自制しながら、ひたすら和彦を快感でいたぶってくる。 「うっ、うっ、いっ――、あっ……ん」  乱暴に突き上げられて腰が弾む。そのたびに内奥を逞しいもので抉られ、掻き回され、粘膜を擦り上げられる湿った音が室内に響く。 「いつも、手っ取り早く済ませていたからな。その詫びを込めて、たっぷり可愛がってやる」  自分のものを根元までしっかりと内奥に収めてから、一度動きを止めた賢吾がやっと口を開く。和彦のほうはとっくに息も絶え絶えの状態で、いつもの憎まれ口を叩く余裕もない。そんな和彦をなおも駆り立てるように、賢吾の片手が両足の間に差し込まれ、身を起こしかけている和彦のものではなく、柔らかな膨らみに触れてきた。 「うっ、あ……」 「また締まったな。――ここを弄られただけで、涎を垂らしてよがり狂うように仕込んでやる。俺好みに仕込んだ体で、俺の息子を悦ばせるなんて、考えただけで興奮するだろ?」  巧みに蠢く指に揉みしだかれ、内奥に賢吾のものを呑み込んだまま、和彦は腰をくねらせる。快感に喘ぎながらも、懸命にこう答えた。 「……逆になるかも、しれない……。ぼく好みに、千尋を仕込むかも……」 「それはそれで楽しい。お前を、息子と共有する醍醐味だな」  きつい愛撫を繊細な部分に与えられ、悲鳴を上げた和彦は、強すぎる刺激に少しの間、意識が飛んでしまう。  気がついたときには仰向けにされ、賢吾が顔を覗き込んでいた。珍しく苦笑を浮かべている。 「大丈夫か?」  問われるまま頷くと、すぐに口づけを与えられる。そして両足を抱え上げられ、熱く高ぶったままの賢吾のものを内奥に挿入し直された。 「あっ、うああっ――……」 「今にもイきそうな声だな。中も、俺のものに食いついて
last update最終更新日 : 2025-10-26
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第3話(5)

 和彦は最初、性質の悪い男なりの笑えない冗談かと思ったが、そうではないようだ。  指先に唇を割り開かれ、押し込まれる。舌を刺激され、口腔から出し入れされるようになると、和彦も言われたわけではないが賢吾の指を吸い、舌を絡める。賢吾のものをそうして愛撫したように。賢吾の腰の動きが次第に同調し、内奥から逞しいものを出し入れされる。  指ではなく、口づけが欲しいと率直に思った。和彦がおずおずと片手を伸ばすと、口腔から指が引き抜かれ、甘く残酷に囁かれる。 「さあ、どうするんだ? 俺は名前を呼ばれないと、お前の欲しいものはやらないぞ。もうこっちには、お前の欲しいものを咥えさせてやってるんだからな」  そう言って賢吾が腰を揺らし、身を焼くような羞恥に体を熱くしながら和彦は、目の前のヤクザを睨みつける。だが、逆らえなかった。 「――……賢吾、さん……」 「もっと自然に」  張り詰めた欲望でぐっと内奥を抉られ、顔を背けて喘ぎ声をこぼした和彦は、それでもなんとか、賢吾をもう一度睨みつけながら、名を呼んだ。 「賢吾さん」 「甘さが欲しいな」 「……ふざけるなっ」  賢吾にあごを掴まれ、噛み付くような口づけを与えられる。合間に恫喝するように言われた。 「忘れるなよ、先生。俺に抱かれるときは、俺の名前を呼べ」  大きく腰を突き上げられ、和彦の内奥は嬉々として賢吾のものを締め付け、淫らに蠕動する。満足そうに賢吾が息を吐き出し、ゆっくり大きく律動を繰り返す。これ以上の意地を張る気力もなく、和彦は両腕を賢吾の背に回した。 「あっ、あっ、い、い――……」  耳元で賢吾に唆され、素直に乗ってしまう。 「……賢吾さん」 「気持ちいいか、先生?」 「気持ち、いい……」  すぐに賢吾の動きに余裕がなくなり、和彦も奔放に身をしならせて乱れる。この男には何を見られても――、たとえどんな痴態だろうが、そうなっても仕方ないと思えていた。  ここまでの賢吾とのやり取りすべてが、ヤクザなりの調教によるものだろうかと、ちらりと考えてもみるのだが、和彦に答えが出せるはずもない。
last update最終更新日 : 2025-10-26
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第3話(6)

 生理的な反応から、涙をこぼしながら息を喘がせる和彦は、肌に這わされる賢吾のてのひらの感触にすら敏感に感じてしまう。  事後の気だるさと、快感の余韻を引きずりながら賢吾と抱き合い、唇を重ね、肌を擦りつけ合う。 「――ベッドは、キングサイズで正解だっただろ?」  薄く笑いながら賢吾に問われ、和彦は刺青の入った肩にそっと唇を押し当ててから答える。 「ここで寝るたびに、悪夢でうなされそうだ……」 「一人寝の夜は、俺を思って悶えてろ」  和彦の唇に軽くキスをしてから、賢吾が隣のリビングにいる三田村に風呂の湯を溜めるよう命令する。それからようやく体を起こしてベッドに腰掛けたのだが、このときになって和彦はようやく、賢吾の背の刺青を見ることができた。  背骨のラインに沿って太い剣が描かれ、その剣に、鎌首をもたげた大蛇がとぐろを巻くようにして絡みついている。背一面どころか、のたうつ大蛇は肩や腕、腿にまで描かれていたのだ。背を伝い落ちていく汗のせいで、大蛇はひどく生々しく、まるで蠢いているような錯覚すら覚える。  こんなものを背負った男に抱かれてよがり狂っていたのだと、和彦は横になったまま小さく身震いする。千尋が左腕に、蛇の巻きついた鎖のタトゥーを入れているが、あの蛇が可愛く思えた。 「なんで――」 「うん?」 「なんで、蛇なんだ。龍を選びそうなものなのに……」 「俺の刺青にケチをつけたのは、お前が初めてだぞ」  慎重に体を起こした和彦は、そうではないと首を横に振る。 「ただ、意外な感じがしただけだ」 「意外でもなんでもない。蛇のイメージが、俺の性格を表してると思ったからだ。執念深くて陰湿で――、ただ怖い。龍みたいに威厳なんて必要としていない。静かに獲物に忍び寄って、確実に絞め殺せる度胸と冷静さと狡さのほうが、ヤクザとしては使える」  振り返った賢吾がニヤリと笑いかけてきて、片腕で体を引き寄せられた和彦は濃厚な口づけを受ける。 「いいか、先生。俺から逃げようなんて思うなよ」  うなじを撫でながら囁かれ、本能的な恐怖から和彦は顔を強張らせる。そんな和彦の唇に軽くキスしてから、賢吾は裸のまま寝室を出て行っ
last update最終更新日 : 2025-10-26
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第3話(7)

**** テーブルに肘をついた千尋は、おもしろくなさそうに唇を尖らせていた。あえてそれに気づかないふりをして、和彦はコーヒーを啜る。  平日の昼間から、ホテルのレストランで優雅な昼食をとれるとは、自分の境遇も変わったものだと内心で皮肉っぽく思いはするのだが、こんなことが当たり前になる日がくるのだろうかと興味深くもある。  生活そのものが大きな変化の過程にあるため、毎日慌ただしく過ごしていても、何もかもが新鮮に感じられるのだ。たとえば、こうして千尋と向き合って、食後のコーヒーを味わっていても。  少し前の和彦と千尋は、十歳という年齢差も気にせず、享楽的な関係を無邪気に楽しんでいた。それが今や、和彦はヤクザの組長に飼われる存在で、組長の息子である千尋にも、共同所有を宣言されてしまった。  今のところ、それで千尋の態度が横暴になるということもなく、相変わらず和彦にじゃれつき、甘えてきているが、なんといってもあの男の息子だ。気は抜けなかった。ただ、こういう緊張感は嫌いではない。 「……オヤジの陰謀の気がする」  ぼそりと千尋が洩らし、カップを置いた和彦は笑いながら続きを促す。 「どんな陰謀だ?」 「俺と先生を引き離そうとしている。せっかく今日、先生が昼からなら暇だと言ってたから、俺、張り切ってたんだよ。そうしたら、今度は俺のほうに予定が入れられてさ。こうやって昼メシ食うのが精一杯だ」 「陰謀って、お前、本気で言ってるか……?」  半分呆れながら和彦が問いかけると、ふてくされた様子で千尋がぷいっと顔を背けた。 「愚痴ぐらい言わせてよ、先生」 「愚痴はいいが、午後からどんな予定を入れられたんだ」 「じいちゃんのお供。オヤジと違って可愛げありまくりだから、俺けっこう大事にされてるんだよ、じいちゃんに」  普通なら簡単に相槌をうって済みそうな話だが、多少事情がわかっているとそうもいかない。 「じいちゃんって……、もしかして――」 「総和会の会長。俺が実家に戻ったのが耳に入ったらしくて、機嫌よくてさ。久しぶりだからゴルフ旅行につき合えってことになって、部屋に
last update最終更新日 : 2025-10-27
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第3話(8)

「……長嶺組との関わりですら荷が重いのに、この間、総和会の仕事をさせられたぞ。お前の部屋にいたところを、お前の父親に踏み込まれたときのことだ。覚えているだろ?」 「うん。――先生、あまり総和会に気に入られないようにしてよ」 「どういう意味だ」 「長嶺組から総和会に、先生が召し上げられる可能性があるってこと」  召し上げられるという表現が気に食わないが、今は置いておく。最近の和彦は、組関係で気になることがあれば、詳しく説明を聞く方針にしたのだ。 「今の先生の存在は、言葉は悪いけど、所有権は長嶺組にあるんだ。だから先生を自由に使える」 「ぼくの意思じゃないけどな」  和彦がそう付け加えると、千尋はちらりと苦笑する。 「総和会ってのは、十一の組からそれぞれ人間を集めて運営されてるんだよ。所属する組からの推薦で。で、誰を迎え入れるか、総和会の幹部会で事務的に決められるんだけど、例外もある。総和会の幹部が目をかけていて、箔をつけさせるために連れてきたり、反対に、問題行動が目に余って、警察にマークされている人間とか。組から切り離して、総和会に放り込んでおけば、何かあったとき世間に組の名前が出ることはないってこと」 「……ああ、だからテレビでよく聞くのか、総和会の名前を。十一の組の厄介者を引き受けていたら、そうなって当然か」 「もちろん、迎え入れた経緯によって、扱いは全然違う。使える人間は優遇される。将来、総和会の幹部になるかもしれないしね」  さすがに、長嶺組の組長を父親に、総和会の会長を祖父に持つサラブレッドだけあって、千尋は詳しい。  千尋の話につい聞き入ってしまった和彦だが、自分が本当は何を聞きたかったのか思い出す。 「それで、ぼくが召し上げられる云々というのは……」 「先生、特殊技能の持ち主じゃん」 「特殊技能……。ああ、医師免許のことか」 「普通の病院に勤めていて、裏でこっそりと協力する――させられる医者はいるんだけど、先生みたいに、ずっぷりと組の事情にハマり込む人はなかなかいないんだよ。つまり、貴重。しかも先生、美容外科医だし。利用価値抜群」  こうもはっきり言われると、腹が立ってくる。
last update最終更新日 : 2025-10-27
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第3話(9)

 促されるまま和彦が先に後部座席に乗り込み、千尋が続く。旅行準備はすでに出来ているらしく、助手席にはバッグが置いてあった。  車が走り出してすぐ、千尋に手を握られる。横目で睨みはした和彦だが、機嫌よさそうな千尋の顔を見ると、叱るのも野暮な気がした。 「あー、先生ともっと一緒にいたい」  芝居がかった口調で千尋がぼやき、和彦は淡々と応じる。 「そう言ってもらえて光栄だ」 「俺、本気で言ってるんだけど。……あっ、旅行に一緒に行くってどう?」 「勘弁してくれ……。だいたいお前、レストランで物騒な話してただろ。そんな中に、ぼくも加われというのか。目立つのはご免だぞ」  やむをえず賢吾に従ってはいるが、他人からヤクザの仲間と思われるのは嫌だった。和彦はヤクザではないし、勇気さえあれば表の世界に戻れる。好きで裏の世界に留まっている連中とは違うのだ。  もっとも、肝心のその勇気が持てない限り、これは単なる言い訳でしかないと、和彦にはわかっていた。自分は違うと、自分自身に言い聞かせているうちに、どんどんヤクザの世界の深みにハマっている。 「――どうかした?」  千尋がひょいっと顔を覗き込んでくる。 「今、すごく暗い顔してた」  そう言われた瞬間、和彦は反射的にバックミラーに視線を向ける。三田村がこちらを見ているのではないかと思ったが、まっすぐ前を見据えている。 「……どうもしない」  和彦が首を横に振ると、千尋は握った手を持ち上げ、指に唇を押し当てた。 「先生のそんな顔見ると、すごく責任を感じる。そもそも俺とつき合ってたから、オヤジに目をつけられたんだし。先生、普段の様子が前と変わらないから忘れそうになるけど、こっちの世界に無理やり引きずり込まれたんだよね。しかもオヤジと俺が、先生の両足に鎖をつけた」  いや、と千尋が小さく洩らす。そして自分の左腕に触れた。 「蛇かな。蛇が、先生の体に巻きついて、がんじ搦めにしちゃった」  千尋は、和彦が父親の背中の刺青を見たことを知っているのだろうかと思った。それとも、体の関係を持っている以上、見ていて当然と考えているのか。 「――……少し前までは、こう
last update最終更新日 : 2025-10-27
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第3話(10)

「俺の家が普通だったら、全力で先生を口説いて、一緒にいてもらっただろうけど、現実はこうだ。しかも、先生はオヤジにあっさり奪われるし。そうなったら、俺が取れる手段なんて限られてる。先生は嫌で嫌で仕方ないだろうけど、俺はこのやり方を貫くよ。――先生をオヤジに独占させたくないから」 「千尋、お前……」  和彦は取られていた手を抜き取り、千尋の頬を撫でてやる。途端に、明るく笑いかけてきた。 「こいつもいろいろ考えてるなー、とかって、今思った? 胸がときめいたりとか」 「……シリアスを決めるつもりなら、もう少し堪えろ。胸がときめく暇もなかった」 「先生は、まじめな俺のほうがいい?」  千尋の手が首の後ろにかかり、額と額を押し当ててくる。三田村が運転していることなど、まるでお構いなしだ。 「まじめとかふざけているとかじゃなく、出会った頃のお前がいい。ぼくはもう、お前の本当の顔がどれなのか、わからなくなってきた」 「いつも先生に、悩みがなさそうだと言われてたときが、素の俺だよ」 「そうなのか?」  そうだよ、と洩らして、千尋に唇に軽くキスされた。和彦は慌てて頭を引くと、また運転席を気にする。いまさらキスしたところを見られるぐらい、なんでもないのだが――。 「三田村が気になる? この間、俺たちのすごいところを見られたばかりじゃん」 「見られた、じゃなく、お前が見せつけたんだ」  そうだっけ? というのが千尋の答えだった。呆れながら和彦が睨みつけると、悪びれた様子もなくにんまりと千尋は笑い、再び和彦は首の後ろに手がかかって引き寄せられた。 「――俺としては、先生って実は、見られるほうが燃えるタイプなんじゃないかと思ってるんだけど」  そう言って千尋に唇を啄ばまれる。千尋の目を間近に見つめながら、和彦はしみじみと感じたことがあった。 「お前と、あの組長はよく似てる。自信家で、いろいろと性質が悪い」  和彦がこう言うと、途端に千尋は顔をしかめる。 「超ショック。俺、バカって言われるより、オヤジに似てるって言われるほうが、嫌だ」 「だったら、これでおあいこだ。今さっき、ぼくを変態みたいに言っただろ
last update最終更新日 : 2025-10-27
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