All Chapters of 攻略対象は私じゃない! ~腐女子が神視点で推しカプ見てたら、いつの間にか逆ハーレムの中心にいた件~: Chapter 21 - Chapter 30

59 Chapters

第21話:執事喫茶、炎上(物理的にではない)②

 店の熱狂は、午後になっても収まる気配がなかった。むしろ、口コミが広がったのか、廊下には長蛇の列ができている。キッチンとフロアを何度も往復するうちに、私の体力はそろそろ限界に近づいていた。「月詠さん、少し休んだら? 顔色、あまり良くないよ」 空いたグラスを下げに来た天王寺先輩が、心配そうに私の顔を覗き込む。その整った顔が間近に迫り、ふわっと甘い香りがして、思わず心臓が跳ねた。「だ、大丈夫です! プロデューサーとして、最後までこのステージを見届ける義務が……!」「そういうところ、真面目すぎ。ほら、これでも食べて」 そう言って天王寺先輩が差し出してきたのは、店の看板メニューである『天使の涙パフェ』だった。キラキラしたゼリーとフルーツがたっぷり乗った、見るからに美味しそうな一品だ。「え、でもこれ、お客様の……」「いいから。俺からの差し入れ。頑張ってる君へのご褒美」 天王寺先輩はそう言ってスプーンを手に取ると、パフェの頂点に鎮座していた真っ赤な苺をすくい、私の口元へと運んできた。「さ、あーん」「えっ……!?」 にっこりと微笑む完璧な王子様。差し出される、赤い宝石のような苺。少女漫画で百億回は見たシチュエーション。しかし、私の脳はそれを正しく処理できなかった。(こ、これは……! 私の口を借りて、氷室くんに『あーん』するための予行演習……!? なんて大胆な……!) 私が脳内変換に全神経を集中させていると、すっと横からもう一つの影が伸びてきた。「……苺より、こっちの方が疲労回復にはいい」 いつの間に来たのか、氷室くんがパフェの中からマンゴーを小さなフォークで刺し、同じように私の口元に差し出していた。その灰色の瞳は、まっすぐに私だけを見つめている。「えええっ!?」 右からは、キラキラ笑顔の天王寺先輩が差し出す苺。 左からは、クールな表情の氷室くんが差し出すマンゴー。 私は完全に、二人のイケメンに挟まれて身動きが取れなくなっていた。周囲のお客様たちが、息を呑んでこちらを見守ってい
last updateLast Updated : 2025-11-03
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第22話:解釈違いのポッキーゲーム①

 ステージ上の二人を照らすスポットライトが、まるで決闘場のそれのように見えた。司会者が掲げた一本のポッキー。それを、天王寺先輩がおもむろに口にくわえる。その仕草だけで、会場から「キャアアア!」という悲鳴に近い歓声が上がった。「さあ、氷室くん! いけるのかー!?」 司会者の煽りに、氷室くんは何も答えなかった。ただ静かに、けれど燃えるような灰色の瞳で天王寺先輩を見据えながら、ゆっくりと歩み寄る。そして、寸分の躊躇もなく、ポッキーのもう片方の端を、そっと唇に挟んだ。「……っ!」 会場のあちこちから、息を呑む音が聞こえる。私も、心臓を鷲掴みにされたような衝撃に、声も出せずに固まっていた。(すごい……! 私が書いた脚本通り……いや、それ以上……!) 私の脚本では、ここで二人は一度、恥ずかしそうに視線を逸らすはずだった。初々しい戸惑いと、それでも抑えきれない恋心。そんな甘酸っぱい葛藤を描くはずだったのだ。 だが、目の前の二人はどうだ。視線は逸らされるどころか、火花が散りそうなほど激しく絡み合ったまま。天王寺先輩の口元には、獲物を前にした獅子のような不敵な笑み。対する氷室くんの瞳には、決して一歩も引かないという強い意志の光が宿っている。 甘酸っぱさなんて、どこにもない。そこにあるのは、圧倒的な緊張感。まるで、お互いのすべてを喰らい尽くそうとするかのような、剥き出しの闘争心だった。「それでは皆様、カウントダウンをお願いします! 3、2、1……スタート!」 合図と共に、二人はゆっくりと、しかし着実にポッキーを食べ進め始めた。カリ、カリ、とチョコレートが砕ける小さな音が、マイクを通して会場全体に響き渡る。静まり返った客席は、固唾を飲んでその光景を見守っていた。(あれ……? なんだか、おかしい……) その時だった。私の脳内に、かすかな違和感が芽生え始めたのは。 私の脚本では、二人はお互いの熱に浮かされたように、少しずつ距離を縮めていくはずだった。触れるか触れないかの唇にドキドキしながら、最後はどちらともなく顔を離し、照れ笑いを浮かべて終わる。そんな、王道にして至高の「寸止め」芸
last updateLast Updated : 2025-11-04
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第23話:解釈違いのポッキーゲーム②

――彼女? かのじょ、って、誰? 一瞬、思考が完全に凍りついた。私の脳内辞書から「彼女」という単語の意味が、綺麗にくり抜かれてしまったかのようだ。天王寺先輩の熱を帯びた視線は、確かに私だけを射抜いている。けれど、そんなはずはない。だって、私は月詠栞。物語の登場人物ですらない、ただの観測者。神の視点、のはず。(ま、待って。落ち着くのよ、私。これはきっと、そういう脚本……そうよ、私が書いた脚本にはないけれど、二人がアドリブで追加した設定……! 客席にいるモブの女の子を『彼女』役に見立てて、恋敵を演じているのよ!) そうだ、そうに違いない。あまりに真に迫った、瞳の奥にギラつく光を宿した演技だから、一瞬、本気なのかと勘違いしてしまっただけだ。私は必死に自分の脳内BLフィルターを再起動させようとした。しかし、フィルターはけたたましくエラーメッセージを吐き出すばかりで、うまく機能してくれない。 天王寺先輩の爆弾発言に、氷室くんは長いまつ毛を一度伏せただけだった。彼はただ、静かに天王寺先輩へと視線を戻すと、まるで「望むところだ」とでも言うように、フッと挑戦的な光を灰色の瞳に宿した。 その瞬間、今まで静まり返っていた会場が、大爆発したかのように沸騰した。「きゃあああああああ!」「『彼女』って誰のこと!?」「ガチのやつじゃん……! リアルファイト!?」 悲鳴と興奮と困惑が渦を巻いて、私の鼓膜を激しく揺さぶる。ステージ上の二人が放つあまりに生々しい所有欲のぶつかり合いに、誰もがこれがただの演技ではないことを悟ったのだ。「は、はーい! ありがとう二人と
last updateLast Updated : 2025-11-05
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第24話:後夜祭の包囲網

 頭が真っ白になる、とはこのことだった。スクリーンに映し出された自分の名前、三つのペア。突き刺さる全方位からの視線。それは好奇心であり、驚愕であり、そして一部からは嫉妬の色さえ含んだ、無数の針のようだった。「……っ!」 私は、ほとんど反射的にその場から逃げ出していた。誰かに何かを言われる前に。この状況の意味を、私の脳が理解してしまう前に。乃亜が「栞!」と叫ぶ声が背後で聞こえたけれど、振り返る余裕なんてなかった。 人混みをかき分け、模擬店の喧騒をすり抜け、ただひたすらに走った。どこへ向かうという当てもない。とにかく、あの場所から、あの視線から、遠く離れたかった。 学園祭の熱気から切り離された、校舎裏の少しひんやりとした空気にたどり着いた時、ようやく私は足を止めた。ぜえぜえと肩で息をしながら、壁に手をついて崩れ落ちるようにしゃがみ込む。(なんで……なんで、私の名前が……?) 天王寺先輩と氷室くんは、まだ分かる。私の脳内フィルターが正しければ、あれは私をダシにした壮大な痴話喧嘩の一環だ。けれど、陽翔くんまで? あの人懐っこい後輩まで、私を巻き込んで一体何をしようとしているというの?(わからない、わからない、わからない……!) 砕け散ったはずの脳内BLフィルターの残骸をかき集め、必死に現状を分析しようとする。そうだ、きっとこれも何かの壮大な勘違いなのだ。陽翔くんは店長への恋をこじらせて、コンテストに私と応募することで店長の嫉妬を煽ろうとしているのかもしれない。天王寺先輩と氷室くんは、BL展開を盛り上げるためのスパイスとして、私というモブを最大限に利用しているだけ。そうだ、きっと、そう。 そうじゃなければ、説明がつかない。この私が、乙女ゲームの主人公のような状況に陥っているなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないのだから。「……はぁ、はぁ……大丈夫、私はモブ……私は壁……」 ぶつぶつと呪文のように唱えていると、不意に頭上から影が差した。「栞先輩。やっぱり、ここにいた」 聞き覚えのある、少し甘い声。恐る恐る顔を上げると、そこには心配そうな顔をした陽翔くんが立っていた。
last updateLast Updated : 2025-11-06
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第25話:トリプル・コンフェッション①

 天王寺先輩の「ずっと、言いたかったことがあるんだ」という言葉は、まるで静かな湖に投げ込まれた石のように、私の心に波紋を広げた。(……言いたかったこと?) 私の脳が、その言葉の意味を必死に解析しようとする。そうだ、これはきっと、氷室くんへの告白だ。私という存在を観客にして、彼は今、長年の想いを伝えようとしているんだ。なんてこと。なんてロマンティックなシチュエーション。私はこの歴史的瞬間の、証人になる……! そうに違いない。そうであってくれ。私の最後の砦である脳内BLフィルターが、必死にそう結論づけようとした、その瞬間だった。「月詠さん。……いや、栞さん」 呼び方が、変わった。その響きだけで、心臓が大きく跳ねる。天王寺先輩は、まっすぐに私だけを見つめて、続けた。「君が好きだ」 ……は? いま、なんて?「初めて会った時から、ずっと面白くて、目が離せなくて。俺の家柄とか、外見とか、そんなもの全部関係なく、ただの俺として見てくれる君に……いつの間にか、本気で惹かれてた」 好き。すき。スキ。 その三文字が、音として鼓膜を震わせ、意味を持った言葉として脳に届くまでに、永遠とも思える時間がかかった。彼の言葉は、あまりにストレートで、何の比喩でも、何の演技でもなかった。それは、ただひたすらに、月詠栞という人間個人に向けられた、純粋な好意の告白だった。 私の脳が、その事実の受け入れを、拒絶する。(……嘘だ。そんなはず、ない。だって、私は……)「俺のために、奏との仲を取り持とうとしてくれたこと、全部知ってるよ。おかしな子だって思ったけど、その一生懸命な姿が、どうしようもなく可愛くて……。もう、ごまかすのはやめる。俺が欲しいのは、奏じゃない。君なんだ」 天王寺先輩の言葉が、巨大なハンマーのように、私の脳内BLフィルターに叩きつ
last updateLast Updated : 2025-11-07
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第26話:トリプル・コンフェッション②

 もう、立っているのがやっとだった。 二つの、あまりにも重い告白。私の信じていた世界が、足元からガラガラと崩れ落ちていく。目の前がぐらぐらと揺れて、気持ちが悪い。 そんな私の視界の隅で、今まで黙って成り行きを見守っていた陽翔くんが、ぐっと拳を握りしめるのが見えた。(あ……そうだ、陽翔くん……) 私の脳に、最後の希望の光が灯る。そうだ、彼だけは違う。彼の恋の相手は、バイト先のイケメン店長のはずだ。この二人の暴走に、彼を巻き込んではいけない。私が、私がしっかりしないと。「陽翔くん……! あの、大丈夫だから! この二人はちょっとおかしくなっちゃってるだけだから、陽翔くんは気にしないで、店長のところに……!」 私がほとんど懇願するように言うと、陽翔くんは悲しそうに眉を寄せ、そして、今まで見せたことのないような、強い意志を宿した瞳で私を見返した。「……先輩、いい加減にしてください」「え……?」「店長? そんな人、最初から俺の頭の中にはいませんよ」 彼のきっぱりとした否定の言葉が、私の耳に突き刺さる。「俺が『好きだ』って言ったのは、練習なんかじゃない。全部、本気で、あんたに言ったんだ」(嘘だ)「バイト先で、みんな俺のこと『可愛い』とか『弟みたい』とかしか言わないのに、先輩だけが、違った。俺の悩み(・・・・・)を、馬鹿にしないで、すげー真剣に聞いてくれた。応援してくれた。俺の内面を、ちゃんと見てくれようとしたの、先輩が初めてだったんですよ」(違う)「あんたが応援してくれたから、俺、もっと本気になった。あんたの隣にいる、あの二人なんかに、絶対に負けたくないって思った。……俺は、あんたがいい。栞先輩じゃなきゃ、嫌だ」(やめて) 陽翔くんの真っ直ぐな言葉が、慈悲もなく、私のボロボロになったフィルターの残骸を、さらに粉々に
last updateLast Updated : 2025-11-08
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第27話:親友(ラスボス)の叱咤激励

 どこをどう走ったのか、全く覚えていない。ただ、肺が張り裂けそうになるまで、足がもつれて動かなくなるまで、私は無我夢中で走り続けた。後夜祭の喧騒も、キャンプファイヤーの熱も、もうずっと遠くに聞こえる。 気づけば、私は大学の正門前、人気のないバスロータリーのベンチに倒れ込むように座っていた。ひゅう、ひゅう、と自分の喉から鳴る浅い呼吸の音だけが、やけに大きく響く。(どうしよう……どうしよう……どうしよう……!) 頭の中は、その言葉でいっぱいだった。砕け散ったフィルターの向こう側から、ありのままの現実が、濁流のように押し寄せてくる。 天王寺先輩の、私だけを見ていた優しい眼差し。 氷室くんの、長年の想いを告げた、切ない声。 陽翔くんの、まっすぐで、不器用な恋心。 全部、本物だった。全部、私に向けられたものだった。その事実が、今更ながら、ずしりと重くのしかかってくる。 同時に、フィルター越しに見ていた自分の奇行の数々が、鮮明に脳裏に蘇ってきた。(うわああああああ……!) 声にならない悲鳴を上げ、私はベンチの上でうずくまった。天王寺先輩と氷室くんのために良かれと思ってやった、数々の奇妙なアシスト。陽翔くんの告白を「練習」だと断じて施した、頓珍漢な恋愛コーチング。思い出すだけで、全身の血が沸騰しそうになる。羞恥で死ぬ、という言葉の意味を、私は今、身をもって理解していた。「……はぁ、……うっ……ひっく……」 熱いものが、次から次へと込み上げてきて、視界が滲む。それは、ただ恥ずかしいからというだけではなかった。 あんなに真剣な想いを、私はなんて、なんて愚かな形で踏みにじってしまったんだろう。彼らの優しさを、自分勝手な妄想のために利用して、きっと、たくさん傷つけてしまった。その罪悪感が、冷たい鉄のように私の胸を締め付ける。「…
last updateLast Updated : 2025-11-09
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第28話:フィルターなき世界の追想①

 自分の部屋のベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めて、私はただひたすらに手足をばたつかせていた。「ああああああああああああああ!」 声にならない叫びが、くぐもってシーツに吸い込まれていく。思い出そうとしなくても、勝手に脳内でリピート再生される三つの声と、三つの真剣な眼差し。 天王寺先輩の、いつもの爽やかな笑顔の裏に隠されていた、熱を帯びた声。 氷室くんの、いつも静かだった瞳が、雄弁に想いを語っていたあの瞬間。 陽翔くんの、弟みたいだなんて思っていたのが申し訳なくなるくらい、まっすぐで男の子の顔をした告白。 ――全部、私に向けられたものだった。 あの、神の視点で推しカプを眺めるのが至上の喜びだった、腐女子の私に。 ピシ、と脳のどこかでまたガラスが砕けるような幻聴がした。今まで世界を覆っていた『脳内BLフィルター』が、完全に粉々になって消え去っていく。そして、フィルターのかかっていないありのままの景色が、凄まじい情報量で私の中に流れ込んできた。「うわああああ……はずかしいいいいいい!」 羞恥で死ぬ、とはこういうことを言うのだろう。思い出したくないのに、記憶の奔流は止まってくれない。 大学の講義室。なぜか私の隣の席に座ろうとしてきた天王寺先輩。あの時、私は彼の背後に氷室くんの姿を認めて、完璧に理解した気になっていた。『私を触媒(カタリスト)にして、氷室くんに近づきたいのね!』なんて。 違う。全然、違う。 今、フィルターのない目で記憶を再生すると、そこには全く別の光景が広がっていた。「隣、いいかな? 月詠さん」 優しいバリトンの声。キラキラした明るい茶色の髪が、教室の照明を弾いて光る。彼は、他の誰でもなく、私を見ていた。大きな瞳を細め、人好きのする笑みを浮かべて。それは「氷室くんの隣の席の、誰でもいい誰か」に向ける顔じゃなかった。明らかに、私個人に向けられた、期待と少しの緊張が入り混じった顔だった。 それなのに、私はなんて言った?『どうぞどうぞ! お二人でお使いください!』
last updateLast Updated : 2025-11-10
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第29話:フィルターなき世界の追想②

 ベッドから、軋む体をゆっくりと起こす。感情の嵐にさんざん振り回されて、体中の水分も気力もすべて絞り取られてしまったみたいに、もうヘトヘトだった。ぼんやりとした視線が、部屋の隅にある勉強机へと吸い寄せられる。そこに、見慣れた三つの品物が、まるで小さな舞台の上の小道具みたいに、行儀よく並んでいるのが見えた。 天王寺先輩がくれた、金のラベルが貼られた高級そうな栄養ドリンク。 氷室くんがくれた、付箋が丁寧に貼られたおすすめの参考書。 陽翔くんがくれた、手作りのクッキーが入っていた、うさぎの絵が描かれた可愛らしい箱。 ほんの数時間前まで、それらはすべて私の脳内で『推しカプのための尊い布石』に変換されていた。天王寺先輩から氷室くんへの差し入れの練習、氷室くんから天王寺先輩へのプレゼント選びの参考、陽翔くんからバイト先のイケメン店長への手作りプレゼントの試作品……。 でも、今は違う。砕け散ってしまったフィルターの代わりに、裸になったありのままの目で、それらを一つずつ、じっと見つめる。 徹夜続きでボロボロだった私を心配して、きっと一番即効性がありそうなものを選んでくれた、天王寺先輩の不器用な優しさ。彼の、いつも自信に満ちた笑顔の裏にある、存外世話焼きな一面。 同じ講義を取る私のために、分厚い本の中から、きっと真剣に「彼女のためになるのはどれだろう」と時間をかけて選んでくれたであろう、氷室くんの静かで実直な思いやり。彼の、多くを語らない沈黙に隠された、深い深い情。 バイトで疲れているだろう私を元気付けようと、慣れない手つきで一生懸命、小麦粉とバターを混ぜて焼いてくれたであろう、陽翔くんのまっすぐで、太陽みたいな温かさ。彼の、人懐っこい笑顔そのままの、裏表のない真心。 その一つ一つが、私の妄想の材料なんかじゃなく、ただ純粋に、私、月詠栞という一人の冴えない腐女子に向けられた、混じり気のない好意の結晶だったのだ。 そう理解した瞬間、あれだけ全身を焼き尽くすように苛んでいた羞恥心が、ふっと潮が引くように和らぐのを感じた。代わりに、胸の奥深く、今まで感じたことのない種類の熱が、じんわりと泉のように湧
last updateLast Updated : 2025-11-11
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第30話:私の答え①

 翌日、私は大学の講義が終わった後も、一人、誰もいない教室の隅でスマートフォンの画面を睨みつけていた。昨日、あれから一睡もできていない。三人の顔と、自分の今までの奇行と、胸の中に生まれたこの温かい感情を交互に反芻していたら、あっという間に空が白んでいた。 画面には、たった一人の名前が表示されている。『天王寺 輝』。 何度も、何度も、発信ボタンを押そうとしては、指が震えて寸前で止まってしまう。 何を話せばいい? そもそも、呼び出してどうするつもりなの? 自分の気持ちを、伝える? なんて? ぐるぐると、思考が同じ場所を回り続ける。 私の頭の中は、相変わらずBLゲーム『Fallen Covenant』のことでいっぱいだ。今日も講義中に、推しカプであるジークとアークの新しいイベントシナリオが配信されたことを知らせる通知が届いて、危うく変な声が出そうになった。 こんな私が、誰かと付き合うなんて。それも、あの天王寺先輩と、なんて。あまりにも不釣り合いだ。彼は学園の太陽で、私はその光もろくに浴びずに、日陰でじっとBLの栄養素だけを摂取して生きている腐った植物みたいなものなのに。 でも、と心の中で声がする。 あの時、図書館で私のために伸ばしてくれた腕の感触。私を心配してくれた時の、真剣な眼差し。いつだって、私の奇行に困ったように笑いながらも、決して突き放したりしなかった、あの優しい笑顔。 フィルターのない目で思い出す彼の姿は、あまりにも眩しくて、胸の奥がきゅっと締め付けられる。 この温かい感情の正体を、私はもう知っている。 これは、恋だ。 画面の中のキャラクターに向ける「尊い」という感情とは全く違う、現実の、一人の男性に向けられた、どうしようもないくらい個人的で、身勝手な想い。 ちゃんと、伝えなくちゃ。たとえ、どんな結果になったとしても。私の壮大な勘違いで、彼を、そして他の二人を振り回してしまったことへの謝罪と、そして、私の、本当の気持ちを。 私は一度、ぎゅっと目を瞑り、大きく息を吸い込んだ。そして、今度こそ、ためらうことなく画面をタップする。
last updateLast Updated : 2025-11-12
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