All Chapters of 攻略対象は私じゃない! ~腐女子が神視点で推しカプ見てたら、いつの間にか逆ハーレムの中心にいた件~: Chapter 31 - Chapter 40

59 Chapters

第31話:私の答え②

 腹を、括るしかなかった。 震える唇を一度きつく結び、私はほとんど祈るような気持ちで、言葉を紡ぎ出した。「私…っ、先輩のことが、好き、です」 声が、震えていた。情けないくらいに小さくて、風に掻き消されてしまいそうだ。でも、彼は聞き逃さなかった。彼の肩が、ほんのわずかにぴくりと動く。その反応に、私の心臓は喜びと恐怖で同時に鷲掴みにされた。 でも、ここで止められない。一番大事なことを、伝えなければ。「でも! でも、私、先輩が思ってるような、キラキラした普通の女の子じゃ、全然なくて!」 必死だった。身振り手振りを交え、支離滅裂になりそうな思考を必死に言葉に変える。「講義中も、頭の中は別のことでいっぱいで! かっこいい男の子を見ても、その隣にいる男の子との関係性を妄想しちゃうような、そういう、腐った人間なんです!」 ああ、もうダメだ。自分で自分の墓穴を掘っている。こんなことを聞かされて、好きでいてくれる人なんて、いるはずがない。ドン引きされて、軽蔑されて、それで終わりだ。 涙が滲んできて、彼の顔がぼやけて見える。でも、ここで目を逸らしたら、私は一生後悔する。 私は最後の勇気を振り絞り、滲む視界のまま、彼の瞳をまっすぐに見つめた。そして、ほとんど叫ぶように、私の本心をぶつけた。「私の頭の中は、これからも多分、男の子同士の恋愛でいっぱいです! それに、先輩と氷室くんが並んでるのを見たら、今でも、やっぱり、ちょっとだけ、ときめいちゃいます! そんな、どうしようもない人間なんです!」 言い切った。息が、切れた。全身の力が抜けて、その場に崩れ落ちてしまいそうだった。 もう、これ以上、取り繕うことなんてできない。これが、私の全てだ。 私は俯いて、か細い、最後の声で問いかけた。「……それでも、いいですか……?」 それは、告白というよりは、許しを乞うような響きを持っていた。 答えが、怖い。 静寂が、中庭を支配する。風の音と、自分の心
last updateLast Updated : 2025-11-13
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第32話:初めてのデートと宣戦布告

「か、彼氏、ができた……」 あの日から三日経っても、私はまだ現実と夢の狭間をふわふわと漂っている気分だった。鏡に映る自分の顔をつねってみても、頬に鈍い痛みが走るだけ。スマホのトーク履歴には、確かに天王寺先輩――ううん、天王寺先輩との甘いやり取りが残っている。『おはよう』とか『おやすみ』とか、たったそれだけの短い言葉の応酬に、いちいち心臓が跳ねて、ベッドの上を転がり回ってしまう。 そして今日、私は人生で初めての「デート」というものに臨んでいた。 駅前の広場。待ち合わせ時間の十分も前に着いてしまった私は、近くの柱の陰に隠れるようにして、落ち着きなくキョロキョロと辺りを見回していた。 服装は、乃亜に泣きついて選んでもらった、淡いラベンダー色のワンピース。いつもみたいにオーバーサイズのパーカーにジャージじゃない自分の姿が、なんだか他人のように見えて、そわそわしてしまう。度の強い黒縁メガネも、乃亜の「今日くらい外しなさいよ!」という鶴の一声で、コンタクトレンズに変わっている。隠れていた大きな瞳が露わになるせいで、視界に入る情報量が多すぎて少しだけ目が疲れた。「……なんか、コスプレしてるみたいだ」 ぽつりと呟いた時だった。「――栞」 すぐ近くで、鼓膜を甘く揺らす声がした。はっとして顔を上げると、人混みの中でも一際目を引く、キラキラしたオーラを放つ人物が、少し驚いたように目を見開いて私を見つめていた。「あ、天王寺先輩……」「……うん。やっぱり栞だ。ごめん、一瞬、分からなかった」 彼はそう言って、少し照れたように笑った。今日の先輩は、シンプルな白いシャツに黒いパンツという出で立ちなのに、それだけでファッション雑誌から抜け出してきたみたいに見える。彼が私の方へ一歩近づくだけで、周囲の女の子たちの視線が突き刺さるのが分かった。「そ、その……変、ですかね?」 不安になって俯くと、彼は慌てたように首を横に振った。「ううん、全然
last updateLast Updated : 2025-11-14
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第33話:彼氏様は独占欲が強い①

 天王寺輝くんと私が、お付き合いを始めてから一ヶ月が経った。 未だに、ふとした瞬間に「これは夢なのでは?」と自分の頬をつねることがある。だって、あの天王寺輝が私の彼氏だなんて。大学中の女子生徒の憧れの的で、キラキラと眩しい光を放つ太陽のような人が、この私――隅っこでひっそりとBL妄想に耽るのが生き甲斐の、しがない腐女子の彼氏。何度反芻しても、脳が理解を拒む。 けれど、目の前で私の歩幅に合わせてゆっくりと隣を歩いてくれる彼の存在は、紛れもない現実だった。繋いだ右手に伝わる、少し汗ばんだ彼の手のひらの熱。時折ふわりと風に乗って香る、爽やかな柑橘系のコロン。そのすべてが、これが現実なのだと私の五感を直接殴ってくる。「しおり、どうかした?疲れた?」 私の足がふと止まったことに気づいた輝くんが、心配そうに顔を覗き込んできた。少し屈んで目線を合わせてくれるその優しさに、心臓がきゅっと甘く痛む。陽の光を浴びて、彼の明るい茶色の髪がきらきらと輝いて、あまりの眩しさに目が眩みそうになる。「う、ううん、大丈夫!全然疲れてないよ!」 ぶんぶんと大袈裟に首を横に振って見せると、彼はくすりと楽しそうに笑った。「ならいいけど。さっきから、なんだか上の空だったから」「そ、そんなことないよ!?」 どきりとした。彼の言う通り、私の意識は数分前から目の前の彼氏ではなく、別の場所へと飛んでいたのだ。 原因は、さっき私達の前を通り過ぎていった、二人の男子大学生。一人は黒髪で少し不機嫌そうな顔をしたクール系、もう一人は人懐っこそうな笑顔を浮かべたわんこ系。ただそれだけ。普通の人が見れば、なんてことのない友人同士の姿。 しかし、私の脳内に搭載された高性能BLフィルターは、その一瞬の光景を見逃さなかった。(……今の、絶対そう。黒髪くん、わんこくんの持ってるクレープ、一口ちょうだいって言われただけで耳まで赤くなってた。素直じゃないんだから。本当は自分から『半分こ、しよ?』って言いたいのに。ああ、尊い……!あの二人の馴れ初めは?大学デビューで友達できなくて焦ってたわ
last updateLast Updated : 2025-11-15
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第34話:彼氏様は独占欲が強い②

 私の部屋は、大学から歩いて十分ほどの距離にある、ごく普通のワンルームマンションだ。オートロックなんて気の利いたものはなく、陽の当たらないコンクリートの外階段を、一歩一歩、彼の革靴の音と私のスニーカーの音が重なって響く。二階の角部屋。見慣れたはずの「203」という錆びかけたプレートが、今日はやけに重々しく見える。 カバンから鍵を取り出す指が、緊張でわずかに震えた。お世辞にも綺麗とは言えない。むしろ、散らかっている部類に入るだろう。昨日の夜脱ぎ捨てたスウェットがソファにかけっぱなしだし、ローテーブルには飲みかけのマグカップが置いてあるかもしれない。それでも、彼を招き入れたかった。さっきまでの不安そうな彼を見ていたら、言葉だけじゃなく、何かで安心させてあげたいと思ってしまったのだ。「ど、どうぞ……本当に、散らかってるけど」「お邪魔します」 ギ、と小さな軋む音を立ててドアを開けると、西日が差し込む狭い玄関に、彼の爽やかなコロンの香りがふわりと流れ込んだ。私の生活の匂いと混じり合って、不思議な感覚に陥る。輝くんは少しだけ緊張した面持ちで、私の脱ぎ散らかしたスニーカーの隣に、高そうな革靴をきっちりと揃えて足を踏み入れた。 途端に、八畳ほどのワンルームが彼の存在感で満たされる。空気が密度を増したように息苦しい。私の心臓がまた一つ大きく跳ねる。モデルのように背が高くてスタイルのいい彼がいるだけで、床に積まれた資料の山も、出しっぱなしのノートパソコンも、ベッドの上でくたびれているクマのぬいぐるみも、見慣れた殺風景な部屋のすべてが、なんだか特別な空間に見えてくるから不思議だ。「わ、本当にしおりの部屋なんだな」 きょろきょろと部屋の中を見渡しながら、彼はどこか嬉しそうに呟いた。その蜂蜜色の瞳が、窓辺に置かれた小さな観葉植物、壁に貼ったままの講義のスケジュール表、それから私のマグカップが二つ並んだ小さなキッチンを、楽しそうに巡っていく。その様子がなんだか無邪気で、思わず頬が緩む。「うん、私の城です」「ふふ、そっか。……あ、これ、しおりが作ったの?」 彼は私の言葉に微笑むと、部屋の奥へと進んでいく。彼の指が、ローテーブルの上に
last updateLast Updated : 2025-11-16
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第35話:彼氏様、BLを学ぶ①

 私が言葉に詰まっていると、輝くんは手に持った本(よりによって一番表紙がセンシティブなやつ)をパラ、と乾いた音を立てて中身を数ページめくった。静かな部屋に、その紙の擦れる音だけがやけに大きく響く。 ああああ! 見ないで! そこはR-18指定です! 私の心臓が喉から飛び出し、羞恥で爆発四散する寸前、輝くんは静かに本を閉じ、本棚に戻した。 そして、私の本棚の前で腕を組み、完璧な彫刻のような横顔で沈黙した。「…………」「…………」 息が詰まる。彼の視線の先にあるのは、言うまでもない。私の人生の全て。血と汗と涙の結晶。 ――背表紙で熱い抱擁を交わすイケメンたちがひしめく、BL同人誌の山。 あ、終わった。私のリアル乙女ゲーム、バッドエンド確定ルートだ。 脳内で鳴り響く間の抜けた『GAME OVER』のファンファーレを聞きながら、私はフローリングの床に正座したまま、じっと時が過ぎるのを待った。冷たい床の感触だけが、妙にリアルだ。 だって、仕方ない。これが私なのだ。 腐女子である私を受け入れてくれるなんて、そんな奇跡があるわけがない。ましてや、こんな物証を目の当たりにしては。 ドン引きされて、「やっぱり無理だ」って言われても、仕方ない。 ギュッと目をつぶった私に、輝くんは長い沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。「……すごい量だね」「う……はい。お目汚し、失礼仕(つかまつ)りました……」 声が震える。感情の読めない、平坦な声色だった。「いや、別に汚れてはいないけど。全部新刊みたいに綺麗だ」 そこじゃない。そこじゃないんだ、輝くん。 輝くんは本棚を眺めたまま、私の隣にゆっくりと腰を下ろす。高かったはずの体温が、少し冷たく感じる。気のせいか、いつも漂ってくる爽やかなシトラスの香りも、今は緊張しているように感じた。「……しおり」「は、はいっ」 名前を呼ばれただけで、心臓が跳ねる。「……しおり、こういうのが、好きだったんだ?」 やっぱり、ダメだったんだ。 俯く私に、彼はため息を一つ落とした。その音に含まれた疲労の色に、私の胸がチクリと痛む。まるで細い針で刺されたみたいに。「……さっき、俺といても上の空だった時があっただろ。もしかして、こういう本のこと、考えてた?」「え? そ、それは……!」(半分当たりで、半分違う……! さっきは生身の男
last updateLast Updated : 2025-11-17
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第36話:彼氏様、BLを学ぶ②

 き、聞かれた。 今、私、三次元の彼氏様から、二次元の推しカプ(BL)のプレゼンを求められた。 え、これ、罠? 試されてる? 心臓が、変な音を立てて跳ねた。混乱する私を、輝くんの真剣な、一点の曇りもない瞳が射抜く。「俺は、本気だよ。しおりがそこまで夢中になる理由が知りたい。……知らないと、俺、その『ジーク』ってやつに、普通に負けそうだから」 う……っ。 その、ちょっと拗ねたような、でも真剣な独占欲に満ちた表情が、私のオタク心ではなく、一人の女としての本能に、あまりにも、あまりにも……刺さる。 わかった。わかったよ、輝くん。 脳内で、あの有名なプレゼンテーションソフトの起動音が厳かに鳴り響く。BGM(脳内):『(プレゼンテーション開始)』(某PCソフトのテーマ) 私は、スイッチが切り替わる音を確かに聞いた。「ま、待ってました!」 バッと立ち上がると、私は本棚の最上段、通称「神棚」から『Fallen Covenant』の公式設定資料集(豪華特装版)と、特にお気に入りの同人誌数冊(導入編)をひっ掴んだ。「い、いいですか輝くん! まず座ってください! お茶は……いいや、それどころじゃない! まずはこの年表を見てください!」「お、おう……?」 明らかに私の(おそらく)普段とのギャップと鬼気迫る形相に戸惑っている輝くんを、有無を言わさずソファに座らせ、私はローテーブルを挟んだその対面に、床へ(なぜか)正座する。「まず大前提として! ジーク様を語るには、アーク様の存在が不可欠なんです!」「……アーク?」「そう! ジーク様の運命の相手、アーク様です!」 輝くんの整った眉がピクリと動いた。室温が一度下がった気がする。あ、まずい。三次元の彼氏の嫉妬の地雷を踏み抜いたかもしれない。「あ、いや、でもアーク
last updateLast Updated : 2025-11-18
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第37話:BL講座と彼氏の苦悩①

 時が、止まった。 私の部屋の時計の秒針の音さえ、この瞬間だけは聞こえなくなった気がした。 目の前に座っているのは、私の彼氏であり、学園の王子様である天王寺輝くん。彼は手にペンとメモ帳を持ち、まるで大学の講義でも受けるかのような真剣な眼差しで私を見つめている。 その完璧な唇から紡がれた言葉は、あまりにも純粋で、あまりにも破壊力抜群だった。「……ごめん、『攻め』って、何?」 私は口をパクパクと開閉させたまま、金魚のように酸欠状態に陥っていた。 思考回路が完全にショートする。脳内の腐女子フィルターが「緊急事態発生! 緊急事態発生!」とサイレンを鳴らし、理性担当の私が白旗を振って逃げ出そうとしていた。 輝くんは、本気だ。 あの日、私の部屋で見つかった大量の同人誌。そして、私が三日三晩(という体感時間)をかけて語り尽くした『Fallen Covenant』のジーク×アークの尊さについてのプレゼン。彼はその全てを、嫌な顔一つせず、むしろ「栞のことをもっと知りたいから」という聖人のような慈愛で受け止めてくれた。 その結果が、これだ。「し、栞?」 私のフリーズが長すぎたのか、輝くんが心配そうに顔を覗き込んでくる。 長い睫毛に縁取られた瞳が、至近距離で私を捉える。その瞳には、一点の曇りもない知的好奇心と、私への愛情だけが宿っていた。「あ、えっと……! その……!」 どう説明すればいい!? 一般人(パンピー)に! しかも彼氏に! BLにおける『攻め』と『受け』の概念を!「物理的な……ポジションのこと、かな?」 輝くんが首を傾げながら、恐ろしい核心を突こうとする。「ち、ちちち違います! 違います輝くん! いや違くはないけど、それだけじゃ語れない深淵があるんです!」 私は食い気味に否定し、両手をブンブンと振った。ここで「そうです」と認めてしまったら、私たちの清らかな交際(まだ手をつなぐのが精一杯)に、とんでもない誤解とプレッシャーが生じてしまう。何より、私の推しカプを単なる肉体関係だけで語られるのは、腐女子としてのプライドが許さない。「深淵……」 輝くんがゴクリと喉を鳴らす。
last updateLast Updated : 2025-11-19
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第38話:BL講座と彼氏の苦悩②

 ピキーン。 世界が凍りつく音が、確かに聞こえた。 カフェテリアに向かう学生たちのざわめきも、風に揺れる木々の音も、私の心臓の鼓動さえも。 すべてが完全に停止した。(……は?) 最初に動いたのは、私の脳内処理班だった。 今、なんて言った? 俺が攻めで? 君が受け? 君が? 君って誰? 目の前の、氷室奏くんのこと? ――って、ぎゃあああああああああああ!?!? 私の脳内で、数千人の腐女子人格が一斉に悲鳴を上げ、卒倒した。 待って待って待って! 違う! そうじゃない! いや、カップリングとしては『輝×奏』は王道中の王道だし、私も薄い本で散々お世話になっているけれど! それを! 本人の目の前で! しかも公衆の面前で宣言するなんて!? これは公開告白? それとも公開処刑? いや、私の社会的な死!?「……は?」 凍りついた静寂を破ったのは、氷点下まで温度の下がった奏くんの声だった。 彼は持っていた文庫本をゆっくりと下ろし、まるで汚物を見るような、あるいは未知の宇宙生物に遭遇したかのような、極めて冷ややかで軽蔑に満ちた眼差しを輝くんに向けた。「天王寺。貴様、とうとう頭が沸いたのか?」 至極真っ当なツッコミだ。私も心の中でヘドバンしながら同意する。 だが、悲しいことに輝くんは止まらない。彼は自分が「真理」に到達したと信じて疑わないのだ。あの純粋で真っ直ぐな瞳が、今は凶器でしかない。「心外だな。俺は至って真面目だよ、氷室」 輝くんは一歩近づき、奏くんを見下ろすようにして熱く語り始めた。「昨夜、栞から学んだんだ。『受け』とは単に受け身なだけではない。愛を受け入れる器であり、その精神的な強靭さで『攻め』を救済する、世界の全てだと」「……ッ!?」 私の名前が出た瞬間、奏くんの鋭い視線が私に突き刺さる。「月詠、貴様は何を教えた」という無言の圧力が凄まじい。私は首を横に振って「違うんです、誤解なんです!」と目で訴えるが、伝わっている気がしない。「俺はずっと思っていた。君のその頑ななまでの冷徹さ、そして時折見せる執着心……それはまさに、俺とい
last updateLast Updated : 2025-11-20
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第39話:氷の騎士と、始まりのペン①

 静寂に包まれた図書館の空気は、どこか古い紙とインクの匂いが混じり合っていて、私の心を落ち着かせてくれる……はずだった。 机の上に置いたスマートフォンの画面が暗くなるのを、私はぼんやりと見つめていた。画面に残っていたのは、天王寺輝――私の彼氏であり、学園の王子様――からの、謝罪のメッセージ。『ごめん、急に父さんに呼び出された。今日の勉強会、行けそうにない』 短く簡潔な文面からは、彼がどれほど急いでいるか、そして申し訳なく思っているかが伝わってくるようだった。私は小さく息を吐き出し、誰も見ていないことを確認して、机に突っ伏した。「うぅ……輝くん……」 付き合い始めてから、二人きりで過ごす時間をどれだけ楽しみにしていたか。今日のために新しいノートも買ったし、昨日から気合を入れて予習もしていたのに。 でも、輝くんの家――天王寺家は、日本有数の財閥だ。彼が背負っているものは、一般庶民の私には想像もつかないほど重くて大きい。わかってる。わかってるけど……。「……寂しい、なぁ」 ぽつりと漏れた本音は、空調の低い駆動音にかき消された。 いけない、いけない。こんな時こそ、腐女子としてのスキルを発動させなければ。 私は顔を上げ、頬をパンパンと両手で叩いた。彼氏に会えない時間は、萌えの補給に充てるのがオタクの流儀だ。それにここは図書館。知の宝庫であり、解釈の海だ。 私は気を取り直して立ち上がり、重厚な書架の間へと足を踏み入れた。輝くんとの勉強会で使うはずだった参考書を探すふりをしながら、私の足は自然と奥まった文学コーナーへと向かう。 背表紙に並ぶタイトルの数々。ここには『Fallen Covenant』の世界観に通じるような、退廃的で美しい耽美な古典文学が眠っている。ジークとアークの関係性を深掘りするための、聖なる経典たちだ。 指先で背表紙をなぞりながら、私は脳内で妄想の翼を広げ始めた。(この時代の騎士道精神と、主従の誓い
last updateLast Updated : 2025-11-21
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第40話:氷の騎士と、始まりのペン②

 心臓が、早鐘を打った。 目の前にいるのは、私の知っているクールな氷室奏じゃない。 感情を表に出さず、常に冷静沈着な彼が、今は必死に何かを訴えかけている。その表情は、まるで迷子が母親を探し当てた時のような、あるいは喉の渇きに喘ぐ旅人が水を見つけた時のような、切実なものだった。「か、奏くん……。私、は……」 私は輝くんの顔を思い浮かべ、なんとか拒絶の言葉を紡ごうとした。 けれど、奏くんはそれを許さない。 握りしめられた手を通して、彼の鼓動までが伝わってきそうだった。逃げようとする私の微弱な抵抗を、彼は「行くな」と懇願するかのように封じ込める。「天王寺と付き合っていることは、知っている」 彼は低い声で、事実を口にした。「彼が君を大切にしていることも、君が彼を想っていることも……痛いほど理解しているつもりだ」 じゃあ、どうして。 そう問おうとした私の言葉を遮るように、彼は一歩、さらに踏み込んできた。 書架に背中が当たる。ドン、という鈍い音が、私の退路が断たれたことを告げた。 本の匂いと、彼の清潔な香りが混ざり合い、私をクラクラとさせる。「だが、理屈で感情が消せるなら……俺はこんなに苦しんではいない」 彼の視線が、私の瞳から唇へ、そしてまた瞳へと滑る。 その視線の動きだけで、彼が何を欲しているのかが伝わってきて、私の背筋にゾクリとした震えが走った。 これは、BL妄想で見る「尊い執着」じゃない。 生身の男の人が、私という一人の人間に向ける、剥き出しの渇望だ。 私の手のひらの中で、万年筆が熱を帯びていく。それはまるで、彼の想いの熱量のようだった。「奏くん、顔……近い、よ」 かろうじて絞り出した私の声は、情けないほど震えていた。 けれど、奏くんは離れない。それどころか、彼は私の手首を掴んでい
last updateLast Updated : 2025-11-22
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