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手遅れの愛、妻と子を失った社長 のすべてのチャプター: チャプター 521 - チャプター 530

638 チャプター

第521話

蓮司が話を通していたおかげで、柚香は何の制止も受けずに神崎グループの社長室へ通された。芽衣がコーヒーを二杯運んでくると、二人が話しやすいように静かに部屋を出ていく。「覚悟は決まったか?」蓮司が口を開いた。柚香は頷く。「はい」「これが能力テストの課題書だ」蓮司は余計なことは言わず、書類を一部差し出した。「君の任務は、この会社を立て直すこと。正常に運営できる状態まで戻して、純利益二億円を出す。社員の離職率も基準内に収める必要がある」柚香は受け取り、数ページめくった。会社の体制は整っていて、部署構成もシンプル。社員数は数十人ほどで、主な事業は各病院向けの医療システム開発。ただ、この業界にはこれまで関わったことがなかった。「一応言っておくが、君は正式に神崎家の教育を受けていない」蓮司は感情の薄い視線を向けたまま淡々と言う。「今ならまだ引き返せる。家に戻れば、これまで通り毎年二十億は渡す」「人を雇うのは自由ですか?」柚香は確認した。蓮司は薄く口を開く。「自由だ。注意事項は資料に書いてある」「つまり、会社の純利益が二億円に達した時点で課題クリアってことですね」「そうだ」柚香はさらに確認する。「達成したその日に、神崎グループの株式20%を、約束どおりの価格で私に譲渡してくれるんですよね?」「その通りだ」「分かりました」柚香は資料を閉じた。頭の中では、すでに大まかな計画が組み上がり始めている。「そのときになって約束を反故にしないでくださいね」蓮司は芽衣を呼び、彼女を見送らせた。遠ざかっていく背中を眺めながら、普段ほとんど表情を変えない彼の顔に、珍しくわずかな重さが滲む。しばらくして、彼はスマホを取り出し、和雄に電話をかけた。「課題は渡した」「そうか」和雄は蓮司を信頼している。「しばらくは、君の父親と拓哉のほうを見張っておけ。裏で余計な真似をされちゃ困る」「ルール上、外部要因の介入があってもこちらは手を出さない」蓮司は静かに念を押した。「それも試練の一部だ」和雄は何か言いかけた。だが口を開く前に、蓮司の少し冷えた声が続く。「俺も、涼介も、隼人も、同じ条件だった」「君たちは神崎家で育った男だ。当然だろう」和雄は眉を寄せる。「でも、柚香は女の子なんだ……」「おじいちゃん」蓮司が言葉を遮
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第522話

「そんなの、君に言われなくても分かってる」和雄は考える間もなく言い返したが、その言葉は心のどこかに引っかかっていた。「おじいちゃんが彼女を信じてるのは、おばさんの娘だからだ。柚香だからじゃない」蓮司は核心を突くように言った。和雄の動きが止まる。電話の向こうは、しばらく静まり返った。「ゆっくり考えてみて」蓮司はそれ以上踏み込まず、「こっちはまだ用事があるので、先に失礼する」と言って電話を切った。和雄はしばらくしてようやく我に返った。このところ自分がしてきたことを思い返してみると、確かに全部、「安江への埋め合わせ」のためだった気がする。……柚香自身のためじゃなく。そんなことは、柚香もちゃんと分かっている。けれど彼女は気にしていない。幼い頃から愛情に恵まれて育った彼女は、誰かに愛を求めて執着することがなかった。だからこそ、人の感情も冷静に見抜ける。和雄が自分に向ける優しさの理由も、全部分かっている。神崎グループを出たあと、柚香はそのまま家へ戻った。正式な入社は連休明けと聞いていたため、帰宅してまず最初に会社の人事へ連絡し、社員全員の履歴書を送ってもらった。それからの二日間、彼女はずっと家で履歴書に目を通していた。その日も、プロダクトマネージャーと技術部長の経歴を細かく確認していると、真帆から電話がかかってきた。柚香は資料を見ながら電話に出る。「もしもし」「あなた、記事出した?」真帆がいきなりそう聞いてきた。「……は?」柚香の頭に疑問符が浮かぶ。「記事って何のこと?」「うちのお母さんのメディア会社に、あなた関連の記事依頼が大量に来てるの」真帆は美月の隣でパソコン画面を見ながら言った。「あなたが出したんじゃないの?」「違うよ」柚香は即答した。「そんなことして何の得があるの?」「てっきり、拓海と拓哉に狙われるのを警戒して、自分の立場を先に公にしたのかと思った」真帆は昔から、思ったことをそのまま口にするタイプだ。「記事を出したところで、私には何のメリットもないし」柚香は冷静に言う。「内容は?叩き記事?」「叩き記事なら、逆にあなた本人だなんて思わない」真帆は何本か記事をめくりながら内容を読み上げた。「『黒崎家と神崎家の令嬢が帰還』『両家が歓喜』とか、そんな感じの内容ばっか。もしあなたが依頼し
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第523話

「美月おばさんに頼んで、この件を抑えてもらえないかな」柚香は真帆にボイスメッセージを送った。「削除もしないし、投稿もしない。とにかく先延ばしにしてほしいの」「こっちも同じ考え」真帆はまるで息が合っているように返してきた。「でも気をつけて。相手はうちのお母さんの会社に連絡してきたくらいだし、他のメディア会社にも接触するはず」「うん、分かってる」この件を仕掛けた相手は、おそらく自分と美月の関係を知らない。知っていたら、こんなやり方はしないはずだ。しかも相手は蒼海市のメディア会社ではなく、京原市側の会社を選んでいる。おそらく、神崎家の和雄や昭彦に探られるのを警戒したのだろう。そう考えた柚香は、蒼海市で業界トップのメディア会社の社長に連絡を取った。相手は彼女の名前を聞くなり、「直接会って話したい」と言ってきた。二人は高級レストランの個室で会う約束をしたのだが、柚香がドアを開けた瞬間、そこに座っていた人物を見て思わず足を止めた。池田家の令嬢だった。一瞬、頭が真っ白になる。……メディア会社の社長と会う約束じゃなかった?「そんなに驚かなくてもいいでしょ?」池田理沙(いけだ りさ)は上品な笑みを浮かべながら、柚香をじっと見つめた。その視線には遠慮のない興味がにじんでいて、口調もどこか気だるげだ。「その会社、私のものだから。ただ、普段は全部人任せにしてるだけ」「知ってる」柚香は、この半月ほどである程度調べていた。この会社を選んだ理由は、蒼海市最大手だからというだけではない。背後に池田家がいるからだ。四大名家の一つである池田家なら、神崎家の内輪揉めに軽々しく首を突っ込まない。少なくとも、比較的公平に対応してくれる。理沙は眉をわずかに上げた。「知ってたの?」「来たのがあなた本人だったのが意外だっただけ」最初からやり取りしていたのは、表向きの社長だった。会おうと言い出したのもその人だ。「あなたに会ってみたかったから」理沙は隠すことなく本音を口にした。「ついでに、安江さんの娘がどんな子なのか見てみたくて」「もう会ったよね」柚香はまっすぐ言った。「そろそろ本題に入ろうか?」理沙は少しだけ眉を寄せた。まさかここまでせっかちだとは思っていなかったらしい。「……?」柚香が首を傾げる。「本当に遥真さんと結婚してたの
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第524話

「営業には向いてないって言われたことない?」理沙は、こんなにまっすぐな人を久しぶりに見た。「お兄さん二人も弟さんも、みんなびっくりするくらい抜け目ないのに、どうしてあなただけそんな正直なの?この業界、正直な人ほど損するって知らない?」「他の人相手ならそうかもしらない。でも、あなたには誠実に向き合って大丈夫だと思ったので」柚香は以前から彼女のことを調べていた。だからこそ、最初から駆け引きせずに話したのだ。理沙は眉を軽く上げた。「へえ?」柚香はきっぱりと言った。「そう」「じゃあ、二億出してくれるなら、この話引き受けてもいいけど」理沙は頬杖をつきながら言った。「いいよ」柚香は即答した。「本当に?」理沙の目が細くなる。柚香はバッグから書類を取り出して差し出した。「口約束だけじゃ不安なら、今ここで契約を交わしても構わない」理沙は受け取った書類をざっと確認し、問題がないと分かると、横に置いてあったペンを取って迷いなくサインした。そのまま契約書を柚香のほうへ滑らせる。「次はあなた」神崎家と黒崎家の「お姫様」が、本当に口で言うほど世間知らずなのか見てみたかった。柚香は受け取ると、ためらいなく署名した。「これで大丈夫」一部を彼女へ渡す。「明日、御社の口座に振り込むよ」「料理が来る前に契約まで済ませたの、初めてかも」理沙はいつもの調子で手を差し出した。「あなたとの仕事、ほんと楽ね」柚香も礼儀正しく応じる。「これからもよろしく」理沙の口元にうっすら笑みが浮かぶ。「こちらこそ」しばらくして、料理が次々と運ばれてきた。食事中の柚香は驚くほどおとなしくて、理沙は思わず、あのふわふわした頭を撫でたくなった。こんなに面白い子がどうして蒼海市育ちじゃないんだろう、とまで考えてしまう。「柚香さん」理沙が声をかけた。柚香は顔を上げる。「?」理沙は雑談のような口調で聞いた。「遥真さんと離婚したって聞いたけど?」「うん」別に隠すことでもなかった。「なんで?」柚香は箸を止めたが、直接は答えず、逆に問い返した。「あなたはどうして結婚してないの?」「結婚して何が楽しい?」「こっちも同じよ」柚香が言った。「本当にそう思ってるなら、なんで当時遥真と結婚したのよ」理沙は彼女のことをかなり調べていた。「子どもまでいるん
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第525話

別れたあと、二人はそれぞれ自分の車に乗り込んだ。柚香は理沙の手腕を信頼していた。蒼海市の星空メディアは業界トップクラスで、表に出さずに処理できることも多い。帰り道、柚香は真帆に電話をかけ、理沙と話した内容を簡単に伝えた。あえて美月の会社を頼らなかったのは、神崎家の争いに巻き込みたくなかったからだ。池田家も蒼海市四大名家の一つ。仮に動いたとしても、裏で糸を引いている連中も簡単には手を出せない。しかし、真帆たちまで関われば、面倒を押しつけられる可能性が高い。「今ネットに出回ってるあんたの情報、ほとんど消えてるし、市場価格で見てもせいぜい六千万くらいでしょ」真帆の考えも理沙とだいたい同じだった。「なのに、なんでそんなに払ったの?」まだ表に出ていない情報なら、星空メディア側が抑えようと思えば簡単に抑えられる。あの程度、彼らにとっては朝飯前だ。そんな大金を払うなんて、柚香、ぼったくられたんじゃ、と真帆は思った。「理沙は付き合っておいて損のない人だから」柚香は冷静に答えた。「多めに払った分は、好感度を上げるためって考えればいいかな。味方を増やしておきたいの。それに今の私、一番困ってないのってお金だし」真帆は一瞬黙った。しばらくしてから、少し意外そうに口を開く。「なんか見直したかも」「何を?」「あんた、意外と大物になるタイプかもって」真帆は、自分の見方が少し浅かったことを反省した。「先に投資して後で回収するってやつね。でも本当に、理沙って信用できる相手なの?」「うん、間違いない」資料を見た段階では、信頼できると思えたのは七割ほどだった。だが、実際に会って話した今は、もう完全に信用していた。真帆は少し迷った末、やっぱり伝えておくことにした。「この前のパーティーで、杉原綾人があんたに話しかけてきたの覚えてる?私たちが会場入ってすぐナンパしてきたやつ」「覚えてる」柚香は普段そこまで記憶力がいい方ではない。しかし、あの日のことははっきり覚えていた。「どうしたの?」「あなたが蓮司と話してる時、あいつが理沙たちと一緒にいたの見たの。何人かで楽しそうに笑ってて」真帆は親友に危険が及ぶのを心配していた。「だから、同じ穴のムジナなんじゃないかって不安で」「表面だけの付き合いっていうのもあるから」その一言で、真帆は理解した。
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第526話

理沙「あの子、見た目が素直そうで可愛いのよ」朔也「……」理沙「しかも、けっこう面白いし」朔也「??」朔也は即座に言い返した。「君、頭おかしくなったんじゃないのか?」理沙は電話を切ると、それ以上話す気もなくなった。言うことは言った。もし朔也が勝手なことをするなら、自分に姉が一人増えるだけだ。その直後、スマホがピコンと鳴る。朔也からメッセージが届いていた。【君、柚香と友達になりたいのか?】理沙は、柚香のどこか機械じみた性格を思い浮かべた。可愛くて、ちょっと天然っぽくて、たしかに一瞬だけ「友達になってもいいかも」と思った。しかし、本当に一瞬だけ。「友達」なんてものには、もう関わりたくなかった。今の生活くらいの距離感がちょうどいい。【君がどういう理由で柚香と組んでるのかは知らないけど、痛い目見たこと忘れるなよ】朔也が珍しく真面目な口調で続ける。【この業界がどんな場所か、君なら分かってるだろ。また同じ失敗するな】理沙は淡々と画面を眺め、短く返した。【頭おかしい】朔也【君こそ頭おかしい!】彼女はそれ以上返信しなかった。これでも上場企業の社長だというのに、子どもっぽすぎる。とはいえ、今回の柚香の交渉は本当にタイミングが良かった。あと一歩遅れていたら確実に面倒になっていた。その日の夜、理沙からボイスメッセージが届く。「もし一日遅く来てたら、値段倍にしてたからね」一緒に送られてきたのは三枚のスクショ。全部、星空メディア側が握り潰していた情報だった。柚香は感情のない機械のように返信する。【さすが、お嬢様。仕事が完璧】理沙「見かけによらず、口がうまいんだ」柚香【お世辞じゃない。本音】理沙は自宅のソファに座り、口元に笑みを浮かべながらボイスメッセージを送った。「お姉ちゃんって呼んでみて。そしたら、誰がこの記事を書かせたのか教えてあげる」柚香【守秘義務あるんじゃないの?】理沙「妹の前じゃ、そんなの関係ないでしょ」柚香「……」なんだか口説かれてる気がする。しかし証拠はない。「嫌?」理沙の音声がまた届く。柚香はしばらく悩んだ末、キーボードに文字打ち込んだ。どうせ画面越しだし、表情なんて見えない。【お姉ちゃん】「それ、ちゃんと呼んだことになる?」理沙は語尾を上
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第527話

「じゃあ、もう一回送ってみてよ」理沙はスマホをいじりながら、出来たばかりのネイルを眺めていた。繊細なデザインがよく映えている。「『お姉ちゃん大好き、一緒に寝てもいい?』って」柚香「……」柚香は息子をちらっと見た。陽翔は小さな顔を上げ、きょとんとした様子で首を傾げる。その可愛さに思わず頬が緩みそうになる。「また呼ぶの?」「もういいよ」柚香には、陽翔にそんなメッセージを送らせるなんてできなかった。さすがに恥ずかしすぎる。「続き、本を読んで待ってて。ママ、ちょっと方法を考えてくるから」「うん」陽翔は素直に返事をした。柚香が書斎へ戻った直後、陽翔はすぐに遥真へボイスメッセージを送った。「遥真おじさん、早くしないと大変だよ。僕、十二人の新しいパパ候補だけじゃなくて、ママ候補まで増えそう」遥真がそのメッセージを見た時、彼は新しく買った家にいた。彼は「?」だけ送る。陽翔「さっき、ママに『お姉ちゃん』って呼ばせようとしてた女の人がいたの」遥真「……」陽翔「ママ、スマホの音すごく小さくしてたけど、『お姉ちゃん大好き、一緒に寝てもいい?』って言わせようとしてるの、ちゃんと聞こえた」遥真はスマホを指でなぞりながら、しばらく黙り込んだ。かなり時間が経ってから、ようやく聞く。「……ママは言ったのか?」「知らない」陽翔は書斎の方をちらっと見て、わざと少し危機感を煽る。「スマホ持って書斎に戻っちゃったし、出て行く時ちょっと顔赤かったよ」「そうか」遥真の返事は淡々としていた。彼女が誰と話していようと、何を話していようと、本来なら自分には関係ない。彼女は言っていた。自分のことには干渉しないでほしい、と。表でも裏でも人をつけて守ったり、居場所を調べたりしないでほしい、と。そして、自分の前にも現れないでほしい、と。陽翔「そんなにママに関心ないなら、もうこれからは教えてあげない」遥真は指を動かし、何文字か打ち込んだ。だが途中で消し、結局こう送った。【君が楽しいならそれでいい】それを見た陽翔は、即座にチャットを閉じた。――ママを愛してるとか言ってたくせに。本当に好きなら、相手のことを知りたいと思わないわけない。うそつき。柚香はもちろん、父子のやり取りなんて知らない。書斎へ戻った彼女は、さっきの
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第528話

「知ってますよ」俊平は問題に気づいてすらいなかった。「だからこそ頼んだんです。木下グループ傘下の会社ですし、京原市でもかなり力のあるメディア会社なんで。仮に調べられても、こっちまで辿り着かないと思ってました」涼介は深く息を吐いた。どうしてここまで間抜けなんだ。「何か問題でも……?」俊平が恐る恐る聞く。「木下グループの社長は、柚香ととても親しいんだ」涼介は胸の奥が重くなるのを感じながら言った。「動く前に人間関係くらい調べなかったのか?」俊平は固まった。そんな話、誰も教えてくれなかった。「向こうは、この件が君の指示だって知ってるのか?」涼介はできるだけ状況を把握しようとした。今後、柚香と顔を合わせた時のためにも、対処を考えておく必要がある。「知りません!」俊平は慌てて答えた。少しでも返事が遅れたら怒鳴られる気がした。「第三者の会社を通して依頼しましたし、向こうもそこまで手は伸ばせないはずです」それを聞いて、涼介は少しだけ安心した。しばらく黙ったあと、彼は念を押す。「他の会社の件も、どうして反応がないのか調べろ。連休が終わるまでに、必ず話題を持ち上げるんだ」「はい、すぐに!」俊平は何度も頷いた。その三十分後。涼介のもとに返事が届いた。すべての会社の記事が、全面的に差し止められていた。「誰が止めた?」涼介が聞くと、俊平は何も知らない様子だった。「分かりません……」涼介は冷静になって考えた。蒼海市でここまでできるのは池田家くらいだ。特にメディア関係では、昔から業界トップの力を持っている。そう考えた彼は、理沙に電話をかけた。星空メディアは、今は彼女が取り仕切っている。事情を簡単に説明したあと、本題を切り出す。「この数日で、何かの情報を揉み消してほしいって依頼、来てないか?」「来てるよ」理沙は即答した。「誰からだ?」「こういう案件って、守秘義務があるの知ってるでしょ?」理沙の声は穏やかで、感情は読めなかった。「あなたに話したら、今後どうやって商売するの?」「条件を言ってくれ」理沙は少し笑った。「神崎家の次男って、そんなに簡単に自分のルール曲げる人だった?」「ルールも状況次第だ」涼介は理沙の性格をよく知っている。同じ四大名家の若い世代として、昔から関わりがあった。「君だって、味方は多いほ
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第529話

理沙がそんな反応をするほど、涼介は自分の予想が当たっていると確信した。理沙が「逆らえない」と思う相手なんて、そう多くはない。神崎家や黒崎家ですら、「敵に回したくない」程度であって、「逆らえない」わけではない。そんな存在は、ただ一人。遥真だ。何を考えているのか読めず、底も見えない。それでいて、あらゆる業界に強い影響力を持つ男。彼は柚香の元夫で、離婚した今も、陽翔の親権は柚香が持っている。遥真が柚香を世間に知られたくないと思うのも不思議じゃない。特に、あれほどの立場と権力を持つ男ならなおさらだ。自分が親権すら取れなかったことを他人に知られたいはずがない。考えれば考えるほど、やはり彼しか思い浮かばない。「分かった」涼介はそれだけ言うと、電話を切った。相手が他の誰かなら、どんな手を使ってでもこの件から手を引かせることができた。だが、遥真だけは別だ。祖父でさえ一目置く相手に、自分からぶつかっていくのは無謀でしかない。そう考えた涼介は、家に戻るとこの件を拓海に話した。株式の問題が絡んでいる以上、父も無視はできないはずだ。一方、柚香はそんな話になっていることなど知らなかった。休暇の残りの時間、彼女はずっと会社について調べていた。現在の経営状況、これまで手がけてきたプロジェクト、そして今後の計画、隅々まで目を通していく。今の会社は、利益のほとんど出ていない案件を一つ抱えているだけ。口座にはすでに銀行から数百万の融資が入っており、新しい案件を取るまでは、その借入金で給料や設備費を賄うしかない状態だ。そんなことを考えていると、怜人がやって来た。彼は柚香が仕事に集中しているのを見ると、声をかけず、静かに中へ入り、そばで待っていた。三十分後。首の痛みを感じた柚香は、手を伸ばして軽く揉んだ。その時になってようやく、隣のソファに怜人が座っていることに気づく。彼女は少し驚きながらも、嬉しそうに目を細めた。「いつ来たの?」「今来たところ」怜人は立ち上がった。柚香は手元の資料を置く。「どうして声かけてくれなかったの?」怜人は彼女の後ろに回り、肩に手を添えてゆっくり揉みほぐした。「集中してるのに邪魔したくなかったから」人が何かを真剣に考えている時は、下手に話しかけない方がいい。軽ければ集
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第530話

「ないよ」「ほんとに?」「ほんとだって!」怜人は即答した。いつものように少し得意げな調子も混じっている。「俺みたいに優秀な人間が、自分で解決できないことなんてある?」「あるよ」柚香が言った。怜人はそのまま肩を揉み続ける。「なに?」柚香は、彼と真帆のいつものやり取りを思い返しながら、大胆な予想を口にした。「恋愛」その瞬間、怜人の手が止まった。胸がぎゅっと締めつけられる。一瞬で、頭の中にいろんな考えが駆け巡った。――柚香ちゃん、気づいた?どんな気持ちなんだろう。好き?嫌?それとも、もう二度と会いたくないとか……?「図星だったみたいだね」柚香は彼の変化に気づいた。怜人は唇を軽く結び、彼女に視線を落とす。今の角度からでは、彼女の表情は見えない。だからこそ、声を探るように緊張しながら聞いた。「……で、どう思う?」「好きなら告白したほうがいいよ」柚香は彼を励ますように言った。「今って何もかも変化が早い時代だし、迷ってばかりいるより、ちゃんと気持ちを伝えたほうがいいと思う」「もし振られたら?」怜人が聞く。「振られても別に終わりじゃないよ」柚香は真帆の性格を思い浮かべながら答えた。「友達のままでいられるかもしれないし」怜人は彼女の肩に置いた手に、少しずつ力を込めた。胸の鼓動が激しく鳴っている。「でもさ、告白したせいで、友達にすら戻れなくなるって話もあるだろ?」「それは告白した側が、友達ではいたくないって思うからじゃない?」柚香は、彼が好きなのが自分だなんてまったく気づいていなかった。「……は?」怜人はそのまま彼女の正面へ回り込んで座った。「なんでそうなるんだよ?」「好きすぎると、恋人以外の関係じゃ嫌になることってあるでしょ」柚香は自分の感覚をそのまま言葉にした。「友達のままとか、私は無理かも」「それ絶対うそ」怜人は探りを入れるように言った。けれど表情は相変わらず軽いままだ。「昔、告白してきた相手にどれだけ冷たかったか忘れた?普段わりと仲良かったやつもいただろ」「そうだっけ?」柚香はあまり覚えていない。「そうだよ!」怜人ははっきり覚えていた。「それはたぶん、勉強の邪魔されたくなかったからじゃない?」柚香の記憶では、仲の良かった男友達は高校までに多かった。「そんなことに時間使ってほしくな
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