บททั้งหมดของ 遺言のある部屋―託された息子、救われた青年: บทที่ 31 - บทที่ 40

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31.勉強すると誓う声

テーブルの上に、白い膜の張った味噌汁があった。さっきまで湯気を上げていたはずのそれは、表面だけ少し波打っていて、冷えた脂が光を受けて薄く光っている。もやしと豚こまの炒め物は、油をまとったまましんなりと沈み、ご飯は茶碗の内側に張り付いて、何粒かは乾きかけていた。換気扇のうなる音と、外からかすかに流れ込むネオン街のざわめきだけが、時間がまだ前に進んでいることを教えてくれる。陸斗は箸を握ったまま、指一本動かせないでいた。手の中の箸は、ほんの少しだけ汗ばんだ指先に張り付いている。握りすぎて、関節が少し白くなっていた。それなのに、箸先は空中で止まったまま、どこにも行き場を見つけられない。視線は、テーブルの木目の一点に落ちたまま離れなかった。薄く剥がれかけたメラミンの表面に、小さな傷がいくつも走っている。その一本一本を追いかけるように、意識が逃げていく。さっきまでの言い合いの余韻が、部屋の隅々に残っていた。「全部お前のせいにすんな」「俺が勝手にやるって決めてんの」「真っ当に生きろってのは、多分『自分で選べ』ってことだろ」断片的な言葉が、頭の中でまだ響いている。そのたびに胸の奥を掻き回されるようで、落ち着かない。自分が何か一言発するたび、充の目が真剣になり、声が強くなる。その繰り返しで、食卓の上に積み上がったものは、冷めた料理と空の灰皿と、中途半端な感情の山だった。どうすればいいのか、頭の中で何度も計算した。高校をやめて働く案は、さっきの話で完全に潰された。充の反応は即答で、明らかに本気で怒っていた。「慎一さんにぶん殴られる」という言葉に、冗談は一滴も混ざっていなかった。保険金のことも、何度も考えた。父が残したはずの金に手を伸ばせば、目の前の数字は一気に楽になる。家賃も光熱費も、高校の学費も、当面は気にせずに済むかもしれない。でも、それを口に出さなくても、充が頑なに拒んでいる理由は、今なら少し分かる。あれは、「最後の網」みたいなものだ。今ここで使ってしまえば、何かもっと大きな、取り返しのつかないことが起きた
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32.冷めた味噌汁と二人の明日

味噌汁の表面に張った薄い膜を、箸先でそっと突いた。白く曇った膜が割れて、小さな波紋が広がる。その下から現れた汁は、もうすっかりぬるくなっていた。陸斗は、それをひと口すくって口に運ぶ。塩気とだしの味は残っているのに、温度がないだけで、こんなにも違うのかと思う。舌の上にまとわりつく冷たさが、さっきまでの会話の余韻みたいに、じんわりと喉の奥に残った。向かい側からも、小さく器の鳴る音がした。充も、冷めきった炒め物に箸を伸ばしている。もやしは油を吸って柔らかくなりすぎていて、豚こまも、最初のジューシーさを完全に失っていた。それでも、二人とも何かを噛みしめるみたいに、黙々と口に運んでいた。さっきまで、言葉がぶつかっていた場所に、別の静けさが降りている。息苦しくて、何かを隠すために張りつめていた沈黙ではなかった。今の静けさは、どこか中身がある。さっき口にした「卒業」とか「死なねえ」とか、その言葉の断片が空中に浮いていて、ゆっくり沈殿していく音が聴こえるような静けさだった。換気扇は相変わらず一定のリズムで回っていて、低い唸りが天井の方から降りてくる。外では、見えない誰かが笑い声をあげ、遠くでタクシーのクラクションが短く鳴った。歌舞伎町の雑音は、窓ガラス一枚を挟んでもまだ生々しい。なのに、この狭い部屋の真ん中だけ、別の温度になっている。冷めた味噌汁を飲み込みながら、陸斗はさっきの自分の声を思い出していた。「ちゃんと卒業して、早く、充さんを楽にできるようになります」言った瞬間、顔が熱くなった感覚。耳の後ろまで火がついたみたいだったのに、今はそれがじわじわと内側に沈んで、胸の奥に固まっている。ほんとに言っちゃったな、と半分呆れながら、半分は、やっと言えたという安堵もあった。口に出した瞬間から、それは単なる「思い」じゃなくなる。自分で自分に課した約束みたいなものになる。その重さが、箸を握る指先にまで伝わってきていた。向かいの充を見ると、茶碗の中のご飯は、さっきより少し減っていた。結局、いつもほどは食べられていないが、それでも「もういい」と箸を投げ出
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33.鏡の前の「みっこ」

夜の匂いが、エレベーターの扉が閉まると同時に濃くなる気がした。充は狭い箱の中で、一人になった。壁一面の鏡が、蛍光灯の白い光を無駄に反射している。その真ん中に、自分の顔が浮かんでいた。すっぴんに近い、見慣れた顔だった。頬骨がやや目立つ輪郭、夜更かしのせいで常に薄く居座るクマ、口元に刻まれたうっすらした皺。鏡の中の男は、どう見ても「女子アナ」でも「ホステス」でもない。ただの、そこらで煙草を吸っている兄ちゃんだ。なのに、ここから十数分で、「みっこ」になる。充は舌の奥がざらつくのを感じて、口の中で小さく舌打ちしたくなる衝動を堪えた。エレベーターの階数表示が、ゆっくりと「3」に向かって数字を変えていく。何度も見た光景だが、慣れる気配はない。鏡に映る自分の顔の隣に、一瞬、別の情景が重なった。狭いアパートのローテーブル。安い皿に盛られたもやし炒め。炊きたての白米から立ちのぼる湯気。その向こう側で箸を握っていた、陸斗の顔。昇降機が揺れ、イメージが霧のようにほどけて消える。充は鼻から短く息を吐き、目を細めた。「…仕事だろ」誰に聞かせるでもなく、小さくそう言う。音にならなかったかもしれない。自分で自分に言い聞かせるその言葉は、気合というよりは、決まり文句に近かった。エレベーターが三階に着き、軽い振動と共にベルが鳴る。扉が左右に開くと、ビルの共用スペースとは全く違う空気が流れ込んできた。黒とワインレッドを基調にした、細い廊下。足元に敷かれた絨毯は、何年も人に踏まれた感触を残しつつも、それなりに手入れされている。壁には、控えめなサイズの看板が一つ。「Bar Reina」金色のアルファベット。まわりに、派手なイルミネーションも、下品なイラストもない。知らない人間が見れば、ただのバーだと思うか、そもそも気づかないだろう。廊下の突き当たりに、重そうな扉が一枚。取っ手に手をかけると、内側から低く響く音が伝わってきた。グラスの触れ合う高い音と、氷を砕く鈍い音、誰かが鼻歌を歌う小さな声。それらが混ざって、「準備中」のざわめきを作り出している。充は
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34.光るカウンター、作られる笑顔

オレンジ色のライトが、一斉に強くなった。さっきまで半分眠っていたみたいな店内に、急に血が通う。その瞬間を、充はカウンターの中でいつも少しだけ息を止めてやり過ごす。ボトル棚にずらりと並んだラベルが、光を受けて反射した。ガラス越しの琥珀色が、壁一面をじわりと染める。氷を掬うトングの金属音、バケツに落ちる氷の鈍い音、遠くでスタッフが試しにカラオケの音量を調整するリモコンの「ピッ」という小さな電子音。扉のベルが、からん、と鳴る。外気が流れ込む。アスファルトと排気ガスの匂い、その上に、コンビニのフライヤーから立ち上る油の匂い、誰かのコロン。外から来た匂いを、すぐに店内のアルコールと香水とタバコの層が飲み込んでいく。充…いや、今はみっこは、氷の入ったバケツを抱えながら入り口に目を向けた。「いらっしゃいませ」声の高さを、半音だけ上げる。口角をぎゅっと持ち上げるのではなく、自然に見えるところで止める。その加減は、ここに通ううちに覚えた。最初に入ってきたのは、ネクタイを少し緩めたスーツの男二人組だった。仕事帰りのリーマン。片方の顔には見覚えがある。三ヶ月前、会社の飲み会の二次会で来て、それからぽつぽつ指名をくれるようになった客だ。「今日もお疲れさまです、◯◯さん」みっこがそう言って笑うと、男は一瞬驚いたように目を瞬き、それから嬉しそうに頬を緩めた。「お、覚えててくれたの」「当たり前じゃないですか。例の上司さん、まだ説教長いです?」冗談半分にそう振ると、男の顔にすぐに疲れが浮かぶ。肩を落として、「今日もさ…」と、仕事の愚痴があふれ出す。それを聞きながら、みっこはカウンターの内側でグラスを並べる。ロックグラス二つ。氷をトングで掴み、底が隠れる程度に入れる。ボトル棚から男がいつも飲むウイスキーを取り、キャップを外す。ラベルをちらりと見た。値段を頭の中で再確認する。ボトルキープに持っていけるかどうか、その見込みもついでに計算する。手は止まらない。ウイスキーが氷の上に落ちる音は、耳に心地よい。「今日は濃いめが
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35.一人分の夕飯と飲み込む「おかえり」

チャイムが鳴って、教室のざわめきが一段階上がった。「おつかれー」「マジで今日の小テスト死んだ」そんな声が飛び交う中、陸斗はゆっくりと教科書を鞄にしまった。ノートの端には、今日の授業で取ったメモが几帳面に並んでいる。その字面を見下ろしながら、自分で自分に言い聞かせる。ちゃんと勉強するって、言ったんだから。机の横で、友人が声をかけてきた。「なあ陸斗、今日ゲーセン寄ってかね?」「ごめん、今日はちょっと…」断る言葉も、最近はすっかり口馴染みになった。相手は「あー、そっか」とあっさり引き下がる。その軽さに、ほっとするような、取り残されるような感情が、同時に胸の中に浮かぶ。廊下を歩き、階段を降り、昇降口で上履きを脱ぐ。外に出ると、夕方の風が制服の袖を撫でていった。むっとした教室の空気とは違う、少し冷たくて、わずかに排気ガスの匂いが混ざった風。駅までの道は、官舎時代とほとんど変わらない。信号の位置も、コンビニの看板も、部活帰りの生徒がたむろする公園のベンチも。違うのは、自分がこの道の先に思い浮かべる「家」の姿だけだ。電車に揺られている間も、車窓に映るのは見慣れたビルの輪郭や広告のネオン。けれど、頭の片隅には別の光景が浮かんでは消える。黒とワインレッドの店内、オレンジのライト、笑っている充…みっこと名乗る、女の顔。意識して、窓の外に視線を戻す。流れていくビルの群れの中に、どこかでその店が光っているかもしれない。そう思うと、やわらかく揺れる車内の空気が、急に薄く感じられた。新宿駅で降りる。人の波を縫うようにして、改札を抜ける。クラスメイトたちは別方向のホームに向かって散っていく。塾へ、部活へ、バイトへ。彼らの行き先と、自分の行き先は、同じ街の中なのに、別の層に分かれているようだった。駅を出ると、夕暮れの空はすでに鈍い灰色に落ち始めていた。高層ビルのすき間から見えるわずかな空。それを見上げてから、陸斗はいつものように、歌舞伎町の入り口とは逆側に足を向ける。あの有名なアーチが見える通りを、自然と避けるのは癖になっていた。派手な看板、呼び込みの声、ビラ
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2026-01-26
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36.既読とハートマーク

休日の昼の光は、いつものこの部屋とは別の場所みたいに見せる、と陸斗は思った。平日は、学校から帰ってくる頃にはもう外は薄暗くて、蛍光灯の白い光の方が強い。けれど今日は午前中に部活もなく、テスト前でもない珍しい「何もない日」で、窓の外から差し込む日差しが、薄いカーテン越しにリビングをやわらかく照らしていた。洗濯機が、ベランダ側で最後の脱水をしている。ゴウン、ゴウンという低い音が、フローリングを通して足の裏に伝わってきた。ソファには、充が横になっている。片腕を枕代わりに頭の下に敷いて、もう片方の腕をだらりと腹の上に乗せ、その腕の上に、スマホが乗っていた。画面は下向きで、黒いカバーの角がTシャツの皺に少し食い込んでいる。充が昼間からここにいるのは、かなり珍しい。昨夜のシフトがきつかったのか、朝帰ってきてシャワーを浴びて、バスタオルを肩にかけたままローテーブル脇のソファに倒れ込み、そのまま寝入ってしまったのだ。メイクはちゃんと落としている。けれど、目元のまぶたの際には、ごく細いラメの粒が、まだ名残のようにきらりと光っていた。右耳のすぐ後ろあたりからは、微かに甘い香水の匂いがする。洗剤や柔軟剤とは違う、大人っぽい香り。昨夜の、みっことしての時間が、そのまま少しだけこの部屋に残っているみたいだ、と陸斗は思う。洗濯機の音が止んだ。「ピーピー」と短く鳴る終了のメロディが、静かな部屋の中でやけに大きく響く。陸斗は立ち上がり、ベランダに出た。外の空気は少しひんやりしているが、陽射しのおかげでそこまで寒くはなかった。金物の物干し竿に、洗濯物を一枚ずつかけていく。自分のTシャツ、シャツ、タオル。充の黒いシャツや、作業着代わりのパーカー。色分けして干すのにも、すっかり慣れた。袖をつまんで軽く振ると、水滴が空中で細かく散り、ベランダのコンクリートに落ちた。柔軟剤の匂いが、風に乗ってふわりと漂う。それは、夜の煙草や酒の匂いとは違う、「昼」の匂いだった。洗濯物を干し終えて部屋に戻ると、充の寝息がよりはっきりと聞こえた。完全な熟睡ではない、浅い眠りの呼吸。ときどき、わずかに喉が鳴る。顔を横か
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2026-01-27
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37.夜のプロと狭い家

店の照明が、一段階落とされた。さっきまでカラオケのモニターが光っていた壁も、今は黒い四角に戻っている。オレンジ寄りのスポットライトだけが、カウンターとボトル棚を柔らかく照らし、グラスに残った水滴が小さく光った。閉店時間を少し過ぎている。最後の客が「また来るよ」と言い残してドアを出ていってから、まだ二十分も経っていないはずだが、さっきまでのざわつきが嘘みたいに、店内は静かだった。充は、カウンターの内側に立ってグラスをすすいでいた。水切りラックには、洗い終えたタンブラーやロックグラスが逆さに並んでいく。布巾で拭いて、定位置の棚に戻す。その繰り返し。指先はもう、半分無意識に動いていた。濡れたガラスの感触も、布巾の繊維が水を吸う手応えも、何度も繰り返してきた夜のルーティンの一部だ。「はい、ラストの伝票」楓ママが、レジ横に伝票の束をぽんと置いた。長いネイルが、紙を軽く弾く音がする。「今日はいい日ね。みっこ様様」充は布巾を引っかけたまま、伝票の束に目を落とした。手書きのオーダーの上に印字された金額。ボトル名の横には、「指名・みっこ」の文字が並んでいる。「楓さんの営業トークの方が効いてんだろ」「誰が“さん”よ。ママでしょ」楓ママは横目で睨んでみせて、レジのボタンをリズミカルに叩き始めた。カチカチという軽い音が、静まり返った店に響く。レジの液晶には、売上の数字がどんどん積み上がっていく。「でも、まあそうね。今日のナンバーワンは、どう見てもあんた」「……」「照れると黙るのやめなさい」楓ママは笑いながら、最後に「締め」のボタンを押した。レジが小さく唸り、レシートがシャッと吐き出される。「出た。今日の数字」受け取ったレシートを、楓ママはちらっと眺めた。口元だけがゆるく上がる。「いいじゃない。ね、働きもの」そう言って、レシートを充に差し出す。充は受け取りながら、吐く息の中で短く笑った。「養ってるガキがい
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2026-01-28
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38.支援センターの白い部屋

支援センターの入り口は、思っていたよりずっと地味だった。ビルの二階。ガラス戸の横に小さなプレートで「遺族・子ども支援センター」と書いてある。通りから一歩入っただけで、外のざわつきが嘘みたいに遠くなる。午後の光が、階段の踊り場に斜めに入り込んでいた。窓ガラスには、外のコンビニのロゴが少し歪んで映っている。「…ここ、でいいんですよね」陸斗は、階段を上りながら振り返った。後ろを歩く充は、片手をポケットに突っ込んだまま、軽く顎を上げる。「案内の紙、これだろ。住所合ってる」もう片方の手には、支援センターから届いた案内状と、学校に出した早退届の写しが挟まれている。目の下のクマは、いつもより濃かった。朝、家を出る前に見た時にはまだシャワー上がりの湿った髪だったのに、今はすっかり乾いて、少しだけ乱れている。夜勤明けなのだと、陸斗は分かっている。昨日も遅くに帰ってきた。布団の中で、鍵の音と水道の音を、寝たふりをしながら聞いていた。ガラス戸を開けると、冷房の風が一気に顔に当たった。外の蒸し暑さとは反対に、ひやりとした空気。すぐそこに受付カウンターがあり、紺色のカーディガンを羽織った職員が立ち上がる。「ご予約の…長谷陸斗さんと、桜井充さんですね」「はい」陸斗が答えるより先に、充が軽く頭を下げた。声はいつも通りの、少し擦れた低さだが、その奥にうっすらとした疲れが滲んで聞こえる。受付の横には、子ども向けらしい絵本とぬいぐるみが置かれた小さなスペースがあり、そのさらに奥に、地図やパンフレットがぎっしり詰まったラックが見えた。色とりどりの紙なのに、不思議とどれも目に入ってこない。職員に案内されて、二人は廊下を進む。足音が、薄いカーペットに吸い込まれる。壁には、家族写真みたいなイラストが描かれたポスターが何枚も貼られていた。「ひとりで抱えこまないで」「あなたの話を聞かせてください」。文字だけ見れば優しい言葉なのに、白い壁に整列したそれらが、どこか遠く感じられる。「こちらにどうぞ」そう言って開けられたドアの向こうは、こじんまりとし
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2026-01-29
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39.名前を書く手と、言えない本音

雑居ビルのエントランスは、思ったよりも暗かった。一階には、聞いたことのない名前の保険代理店と、小さな居酒屋と、うらぶれたマッサージ店が並んでいる。ガラス戸の向こうには、郵便受けと古いエレベーター。壁の案内板には、手書きの紙で「△△法律事務所」と貼られていた。「…ここ、ですよね」陸斗は、印刷の掠れたビル案内を見上げながら、小さく言った。「三階、か」隣で充がぼそっと呟く。寝不足特有の低い声だ。目の下のクマは、朝見たときより一段濃くなっている気がする。仕事明けにシャワーだけ浴びて、そのままここに来たのだと分かる。エレベーターのボタンを押すと、がくん、と鈍い音がして、上の階からゆっくりと降りてくる気配がした。銀色の扉には、かすれた注意書きのシールがいくつも貼られている。「荷重○○kg」「閉じ込められた場合は…」。乗り込むと、中もやはり古かった。壁の一面がくすんだ鏡になっていて、そこに二人の姿が縦に並んで映る。制服姿の高校生と、黒いパーカーにジーンズの男。並んで映るその組み合わせに、どこか現実感がない。鏡の中の充は、髪を適当に結んだだけで、髭もきっちり剃れているわけではない。かといって、昔のようなだらしない印象も、もう薄くなっている。夜の店で身につけたのだろう、どんな場でも「客」と「偉そうな人間」から距離を取るための、少し斜に構えた表情。自分の方は、ネクタイを少し緩めただけの制服。襟のところが少しよれているのが、今日はやけに気になる。三階に着いた合図の音が鳴り、扉がゆっくり開いた。廊下は細く、床には薄い灰色のカーペットが敷かれている。壁には、どこかの観光ポスターと、火災避難経路図。廊下の突き当たりに、「△△法律事務所」と書かれた小さなプレートが見えた。充が先に歩き出し、そのプレートの横のドアの前で一瞬だけ立ち止まる。深く息を吸ってから、ノブに手をかけた。室内は、外よりも温かかった。エアコンの風と、紙の匂いと、コーヒーの匂いが混ざり合っている。壁一面には、本棚が並んでいた。背表紙にびっしり文字の詰まった分厚い本が、サイズを揃
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2026-01-30
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40.家庭裁判所の廊下で

家庭裁判所の建物は、想像していたよりも、ずっと「役所」だった。高い天井、石張りの床、自動ドアの開閉音。ガラス張りの正面玄関から入ると、まず目に飛び込んでくるのは、金属探知機と手荷物検査の長机だ。スーツ姿の男たちが、ベルトを外したり、鞄を開けたりしている。陸斗は、背中のリュックを少し持ち上げて、列の最後尾に並んだ。隣には、今日のために無理やり昼夜逆転のリズムをねじ曲げて起きてきた充がいる。いつものパーカーではなく、襟付きのシャツにジャケットを羽織っているのが、逆に落ち着かない。金属探知機をくぐるとき、係員から「携帯電話、鍵、お持ちでしたらトレイにお願いします」と言われた。言われるままにポケットを探りながら、陸斗は、ここが「犯罪者」を裁く場所でもあることを思い出す。離婚、親権、遺産、少年事件、そして、自分たちのような後見人のこと。いろんな「家族の揉め事」が集められて、誰かに「決められる」場所。冷房の効きすぎたロビーには、長椅子がいくつか並んでいる。小さな子どもを連れた夫婦。杖をついた高齢の女性。その隣に座る中年の男性。黒いスーツを着た大人たちが、書類の束を抱えて行ったり来たりしている。壁には、「調停棟」「審判棟」と書かれた案内板。矢印の先に、それぞれのフロアの図。自分たちの行き先である「家事部門」の文字を追うと、「未成年後見・親権」の小さな表示が目に入った。自動ドアのガラス越しに見える外の空は、薄い水色だった。雲はほとんどなく、陽射しだけが真っ直ぐに差し込んでいるのに、建物の中の空気は妙に冷たい。石の床に当たって反射した光が、天井の白いパネルを淡く照らしている。「受付、こっちか」充が、小さな紙片を確認しながら言った。弁護士からもらった案内だ。何番窓口に行って、何分前までに手続きしておけ、といったことが細かく書かれている。ガラス越しの窓口には、「家事受付」と書かれている。中には、灰色のベストを着た事務員たちが、淡々と書類を受け取り、番号札を渡し、電話に応対していた。充が書類のファイルを差し出して、受付の女性と短くやり取りをする。「本日、未成年後見の選任の件で…」
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