All Chapters of 見つからないパズルピース: Chapter 1 - Chapter 10

35 Chapters

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【彼女】とは別れたあと一度も会わなかったし、【彼女】から連絡をもらったこともなかったのに、俺の子だとすぐに分かった。なぜ、そう思えたのか。なぜ、疑問の一つも持たなかったのか。この『なぜ』が、パズルの始まり。あの日から俺はずっと、【彼女】の跡を辿ってパズルのピースを探している。警察が調べて分かったことは、俺には全然足りない。あの日からずっと、俺は未完成のパズルを眺めている。真実のピースは、びたりとはまるだろう。しかし、ほとんどのピースは俺の推測や希望で歪んでいる。根拠のない想像は寝る間を惜しんで形を整えても歪みは直らず、無理やりはめても隙間だらけでパズルは歪になる。彼女しか知らない理由は、ぽかりと穴があいたまま。 *警察は、崖下で火が燃えているという地元住民からの通報で現場に駆けつけたという。現場では燃えていた車の中に、運転席に【彼女】はいた。救出が困難で長く燃え続けた【彼女】。【彼女】だと身元の分かるものはすべて焼けてしまっていたため、【彼女】は検死解剖にまわされた。注射でさえも痛くて嫌いだと泣いていた【彼女】。そんな【彼女】が、死後とはいえ切り刻まれたと思うと、今でもいろいろな感情が渦巻いてしまう。でも、それで【あの子】が見つかった。顔も分からないほど焼け焦げた【彼女】とは対照的に、【あの子】に焼損はほとんどなかった。【彼女】の気道には煤があまりなく、【彼女】はおそらく即死だったという検死の結果には少しだけ救われた気がする。 ·周辺の防犯カメラから、焼けた車両がレンタカーだったと割り出した。レンタカーを借りたのは【彼女】だった。でも、【彼女】が借りたレンタカーで夜中にあんな山道を走っていた理由、山道を下っていたことからどこからかの帰り道だと予測はされているがどこに行っていたのかも、まだ分かっていない。【彼女】は事故があった山の麓の小さな街に、アパートを借りて住んでいた。アパートにあったゴミ箱から【彼女】の髪の毛が採取されたが、警察の聞き込みで近隣住民から【彼女】が健診を受けていた産婦人科を見つけた。警察が俺に連絡をくれたのは、【彼女】が病院に提出した書類の緊急連絡先に俺が書かれていたからだった。【彼女】が緊急連絡先になぜ俺のことを書いたのか。真実は分からない。でも、俺への信
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「お帰りなさいませ、旦那様」「ただいま。綾子は?」花江さんは、俺が『坊ちゃま』と呼ばれる頃から家に来てくれているお手伝いさん。俺の中で最も『母親らしい』女性。花江さんが困ったような顔をする。「いつも通りってことか」花江さんは、曖昧に笑って俺の言葉を肯定した。綾子は離れで生活している。閉じ籠って、俺や母さんと違って日中ずっと邸内にいる花江さんすら碌に見かけないらしい。全ての窓と扉の前には盛り塩。週に一回、綾子は祈祷師を呼ぶ。その日は一日中離れから読経が聞こえ、残りの日は祈祷師から購入したらしい香の香りがこちらまで漂ってくる。綾子は離れに俺たちを入れない。綾子が頑なに拒否している。愛人と愛欲に耽る日々を送っているわけでもなく、住み込みの女に金以外の衣食住の世話をされているだけ。女は、花江さんによると祈祷師の男が連れてきた女で、花江さんは祈祷師から紹介されたそうだが俺は知らない。興味はないし、顔を合わせたからといって『安全』かどうかなど分からない。離れとはいえ同じ敷地。『安全』のため不審人物ではないかと当初は探ろうとしたが、祈祷師の経歴などどこを見れば『安全』なのかは分からず探るのはやめた。何しろ本名も分からない。祈祷師が来る日には本邸と離れの間に警備員を二名置いているし、お嬢様育ちで家事ができない綾子が生きているから女も仕事はしているのだろう。「いかがなさいますか?」「綾子の好きにさせればいい」この会話は『ただいま』同様に帰宅時の定番になっている。面倒だが、これで綾子の夫としての最低限の義務、生存確認が終わるから良しとしている。やる気はさておき、これと綾子の口座に一定額を振り込む以外に俺にできることはない。これでも最初は、綾子を離れから出そうとした。心配というより外聞を気にして、あとは綾子得意の『構って』攻撃だと思っていたからだが、離れから出そうとしたら綾子は暴れた。抵抗などというレベルではなく、髪を振り乱し、俺に殺されると狂ったように叫んだ。家の敷地面積は広いが、この家は孤島にあるわけではなく、近隣の善良な方々の通報により警察がうちに来た。過去三回、いずれも俺の殺人未遂やDVの疑いで警察は来ているが、俺の顔にある綾子の爪がつけた深い傷、俺の腕にある赤黒く残った人間の歯の噛み痕をみて、俺
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花江さんが俺の前に椀が置いた。母さんの顔が不機嫌そうに歪む。一応これは心配している表情なのだろうが、表情筋が不器用なため『不機嫌』にしかみえない。いや、不機嫌もないわけではない。俺の夕飯が気に入らないのだろう。俺の夕飯の内容はいつも、野菜も肉も魚も原型にないほどドロドロに溶かしたスープに少量の米が入った雑炊。離乳食のような見た目のこれが、俺がいま、恐らくこれからも食べられる唯一のもの。いや、他でも食べることはできるから、『消化できる』が正しい表現。草薙グループの副社長として会食の席に招かれれば、食べないなんて不作法はできないから食べるのだが、数時間後には吐いてしまう。酒の席は気が重い。酒を飲むと胃が焼けるように痛む。·周りが煩いので医者にも診せたが、検査の値が全て正常値というわけではないが医者には『問題ない』と言われた。食べると吐くという『異常』は身体的なものではなく心因性のものと診断され、心当たりがあった俺はその診断を受け入れている。心当たりは、北海道の【彼女】のアパート。ろくに食事もできていなかったことが分かる、貧困を具体化したような【彼女】の生活環境を目の当たりにしたから。·北海道にある【彼女】のアパートは狭く、古めかしく、がらんとしていて、何もなかった。警察が【彼女】の死を『他殺性なし』と判断したあと、俺は警察に頼み込んで【彼女】のアパートに入れてもらった。年頃の女性の部屋とは思えない、何もない部屋。あった家電は、部屋に据え付けのエアコンと床にあった炊飯器。冷蔵庫すらない台所の流しのカゴには、一人分の食器。見つけた食材は、生米と値引きシールの貼られた野菜、半分使われて五個残った卵だけ。ゴミ箱には、缶詰めの空き缶がいくつかあった。食塩不使用というラベルの文字が、【彼女】が腹の子のために頑張って食事をしていたことを俺に想像させた。警察がそれを俺に見せたのは、俺に対する同情だけではなかった。五百万円と少しの貯金残高と、この貧困生活のギャップを埋める必要が警察にはあった。警察に問われて、俺は「知らない」と答えた。俺が知らなかったのは真実。でも、想像はついていた。あの五百万円の出どころと、【彼女】がそれを使わなかった理由は……。 ガッシャーン離れのほうからガラスの割れる音がした。「また修理業者を
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「あの子のことを金目当てだと思っていた。そのために、婚約者から男を寝取る女だと思っていた」母さんの表情が歪んだ。「そういう女が、昔から嫌いだった。そういう女が昔から私のもとにたくさん来たから」「それは、父さんの?」「ええ。面白いのよ、みんな、判を押したように同じことを言うの。あの人の子どもを妊娠した、彼が愛しているのは私なのだから早く妻の座を退け。嫌なら、慰謝料を払え。違うのは金額くらいね」「しかし、父さんは……」「分かっているわ。あの人に、そんなことはできない」父さんは本当に体が弱かった。唯一の後継者として肩書きこそ副社長だったが、当時専務だった母さんの実力が認めはじめると仕事のほとんどを母さんに任せてこの家で療養していた。女性と関係を持てる体ではなかった。「百パーセントあり得ないと強気に出られるの。ビタ一文払われずに追い出されそうになると、みんな言うのよ、愛されているわけでもないくせにって」母さんが深い溜息をつく。その溜息に、俺は覚えがあった。胸に巣食う疑問に答えを求め続けて、相手が死んでしまっている以上は決して答えを得ることはできないのに、それでも諦めずに求め続けてしまう苦しみ。「母さんは、父さんのことを……」「愛していたみたいね。あなたを見ていたら、気づいてしまったの。嫌なところが私に似てしまったわね。あの人に似ればよかったのに」母さんが、困ったように笑った。「あなたが生まれてきたときは健康体だって喜んだし、男の子だと言われて後継者問題のほとんどは片付いたと思って嬉しかったけれど」「……なに?」「あの子は、どこかあの人に似ていたわ」そう、なのか。「あなたが息子じゃなくてあんな子だったら、あなたみたいな下半身の男はぶん殴って追い払ってやるのに」自分の女遊びが激しかったことは、自覚している。それなりに容姿が整っているほうだった俺は、高校に入ってすぐに言い寄ってきた先輩を相手に初体験をすませた。それで大人になった気がして、言い寄ってくる女と適当に関係を持っていた。なにが、大人だ。あんなの、親の稼いだ金で遊んでいただけ。母さんのことを母親ではないと言いながら、母さんが稼いだ金で女をベッドに乗せ、女が開いた体に突っ込んでいただけ。母さんの金で大人のふりをしていた、甘えん坊のクソガキ。それが、俺だ。·「私はあ
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「婚約者のいる男を寝取ろうとする女、か」あの真っ直ぐな【彼女】が、母さんにそんな誤解をされていたとは……なんなんだろう。 「俺は、彼女と付き合う前に綾子には……」「分かっているわ」母は俺の言葉を止めた。いつもより、甲高い声。少し荒い息。緊張、しているのか?母さんが?「いまは分かっているの。あの子はそういう子じゃないって」母さんの顔が歪む。「でも、あのとき、そんな女だという綾子さんの言葉を信じた。あの子に奪われる、綾子さんのその不安に同調してしまった」「……同調?」「お義父様の送別会に、あなたはあの子を連れてきた。あなたは、あの子を大事にしていた。お義父様も、あの子を可愛がっていた」母さんは、大きく息を吐く。「あの子は、私にないものを持っていた。他の人たちだって、最初はあの子に反発していたけれどあの子の持つ雰囲気が、あの人たちに受け入れさせていった」母さんが遠い目をする。「可愛らしさや、要領の良さといえばいいのかしら。あの子のもつあれは、私が欲しくて欲しくて堪らないものだった」母が大きく息を吐いた。「嫉妬したの。だからあの子をちゃんと見なかった。綾子さんの言うことをそのまま信じたの。私が、それを信じたかったから。だから、あの子がお金を貸してほしいと言ったときは嬉しかった。私は間違っていなかったと思えたから」なんだろう、この気持ち……やるせないというのか……力が抜ける。レンゲを持つ力もなくて、俺はほとんど食べていない椀にレンゲを戻した。やるせない。自分の行動の全てが。後悔しかない。【彼女】と別れたあと、まるで当てつけのように、俺は綾子との婚約を大々的に公表した。あれは、綾子の誕生日だった。華やかに飾られたパーティー会場。俺がドレス姿の彼女の頬にキスした写真は、あちこちに拡散された。それを、母さんは見たのだろう。俺と母さんは、恋愛について話すような気安い仲ではなかった。だから、俺が【彼女】をどう思っていたのかは知らない。だから……仕方がないのかもしれない。俺に近づく悪い女を追い払っただけ。それで片づけたことも、仕方がないことだったのかもしれない。でも、一言でも【彼女】が俺に会いにきたと言ってくれれば。当時の俺ならば、もう別れた女だと知らんふりしたかもしれない。でも、“かもしれない”だ。違ったかもし
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第7話

【彼女】と【あの子】の骨を引き取る。【彼女】には身寄りがないから、それは簡単に叶う願いだと俺は思っていた。でも、簡単にはいかなかった。思った以上の時間がかかった。それは、俺と【彼女】が何の証明もない関係だったからだ。元恋人という関係は、公的な記録にない。元恋人という関係は証明する手段はなく、そんな関係に法的な力はない。病院、役所、葬儀社相手に、俺はそれを思い知った。役所でも、葬儀社でも、最初に確認されるのは俺と【彼女】の関係性だった。「ご家族ですか」という問いに、俺はいつも一拍遅れて「いいえ」と答えた。婚姻関係のない俺たちは他人。家族ではない記録ばかりが証明できる関係だった。――恋人だったという、なにかこう、証明みたいなものは?警察のほうも、困っていた。このままでは彼女の骨は無縁仏として埋葬することになる。でも目の前に俺がいて、名の知れた企業の御曹司で、できれば面倒は避けたいというのが彼らの顔にありありと出ていた。写真の一枚でもあれば特例として認めないでもない。そんな空気があったが、彼女と恋人だったときにとった写真は一枚もなかった。スマホ本体の中の写真は俺自身が消していた。綾子から結婚前にきちんと関係を清算してほしいと言われ、それも当然だと思って削除した。メッセージアプリから彼女とのトーク履歴も連絡先も消した。スマホの写真はクラウド上に自動的にバックアップが取られているが、そちらも消えていた。彼女といった店の写真。彼女が可愛いと言って撫でようとしてた道端の猫の写真。彼女といたという記憶は俺の中だけで、彼女が写っている写真は一枚もなく俺は彼女の元恋人であることも証明できなかった。若い警察官は、自分も別れた恋人の写真は見るのもつらくて削除するとか、その場の空気を軽くしようと軽口を叩いてくれた。俺は彼に、気を使ってくれたことに感謝の言葉を言った。「お偉いさんっていつも“やってもらって当たり前”って態度なのに、草薙さんは違うんすね」そう思ってくれたなら、【彼女】のおかげ。【彼女】のおかげで、俺はそういう人間になれた。でも、それも俺と【彼女】の関係の証明にならなかった。【あの子】の骨も、同じだった。俺の子だというのは、あくまでも可能性が高いというだけの話。骨という、ある種の身柄を俺に渡すには、可能性では足りなか
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第8話

事件は急に起きる。そこかしこで。 東京に戻ってあの子の骨を埋葬した数日後、草薙家家に警察官がきた。あれがなければ、【彼女】のことを過去にできたかもしれない。俺が結婚した日に死んだというタイミングの悪さに罪悪感めいたものを感じたとしても、不幸にも事故で死んでしまった女だと思えたかもしれない。 *うちに来た警察官を、俺は【彼女】の事故の件で追加の確認に来たのだと思った。夕飯時で、花江さんが忙しそうだった。俺に用事だと思ったから、俺が出ると花江さんを制した。警察は俺ではなく、綾子に用事だった。このときも、特に何も思わなかった。綾乃はモデルという華やかな業界の人間。知人も多いから、そのうちの誰かのトラブルだろうと思った。 .俺は警察官を離れに案内した。結局俺は二ヶ月近く北海道にいて、帰ってきたら綾子は離れで生活していた。母さんたちには、新婚旅行を一日で切り上げたから怒っているのだと言われたが、“怒っている”とは思わなかった。綾子は俺を愛してなどおらず、『草薙家の奥様』という肩書きがあれば十分だと分かっていたから。新婚夫婦と振舞う必要もないと、互いに思っているのだろうと俺は放っておいた。―― な、なんですか?離れにて、綾子は明らかに、今ほどではないが、怯えた様子を見せた。警察官を案内したのだと言うと、綾子は明らかに安堵した。これが、最初の違和感。いまにして思えば、あのとき綾子が怯えたのは、俺が警察官を連れてきたと思ったからだった。俺はこのときまで綾子が何かしたなど思っていなかった。綾子が怯えたのは警察官に対してであって、明らかに安堵したのも、俺が警察官たちを案内してきたから、俺が聴取に立ち会うと分かって安堵したのだと思った。警察官に対して怯えは、大げさでも感受性のレベルの話で、忌避感を覚えるのはよくあることだ。北海道にいる間はほぼ警察にいたから、自分は警官の姿に慣れてしまっただけ。普通は綾子のように、警察官という権威というか、力のある存在が来たことそのものに驚くことは不思議ではない、と思っていた。綾子が何かしたなどと、俺は思っていなかった。俺は、その場を離れようとしたが警察官に留められた。警察官は二人とも男性だから、女性の綾子一人で話をするよりも俺がいたほうが色々いいと言われた。綾子は、一人で大丈夫だと言
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8

祖父の送別会に彼女を連れていったあと、祖父から継いだ仕事でバタバタ忙しいときに、墨田聡は俺を訪ねてきた。二回ほど面会の希望があったけれど、そのときは忙しくて断っていたが、「受付で必死だったから見ていられなくて」と綾子が墨田聡を俺のところに連れてきてしまったので、仕方がなく俺は彼と話すことにした。あの日、墨田聡が俺に見せた映像はいまも忘れられない。まず映ったのは、彼女の全裸。そして目が覚めたのか、眠そうな顔をした彼女が墨田聡に甘く笑いかけた。でも、次の瞬間に驚いた顔をして、悲鳴をあげて顔を背けた。撮られていることに気づいて、恥ずかしくなったのだろう。そこからは彼女の抗う声が続いたが、墨田聡は照れる姿が可愛いと言って行為を続けていた。その先のことは、知らない。墨田聡は映像をそこで止めたし、俺もそんなものを見る趣味がないのでこのときは気にしなかった。 ああ、やっぱり彼女は浮気をしていたんだな。このときの俺は、そう思った。 祖父の送別会のあと、彼女は急によそよそしくなった。時間をひねり出してデートの時間を作っても断られ、バイト先の喫茶店にいくと気まずそうで素気なかった。その程度で浮気を疑ったわけではないが、彼女の項についた付けた覚えのないキスマークに初めて浮気を疑った。ショートカットの彼女は首にキスマークをつけるのを嫌がったし、何よりも彼女とそういう行為をしてからはかなり時間がたっていた。浮気を一度疑うと、どんなことも浮気の証拠に聞こえるから不思議だ。忙しいくせに、彼女の浮気を確認しようと彼女のアパートに行ったりして。隣の部屋に住んでいるらしい夫婦と会って、妻のほうに「この前はありがとう」と心当たりのない礼を言われて、疑問を向けると隣にいた夫が「この人じゃないよ」と妻を窘めた。いま考えても、取り留めのない話。でもこのときの俺は、彼女の周りに俺以外の男がいるとしか思わなかった。だから墨田聡との浮気の映像は、俺が彼女と別れる決定打になった。 他の男と寝たことを許せない。別れる。バイト先に乗り込んできて別れ話を突きつけた俺に、彼女はショックを受けていたけれど、他の男と寝たことを否定せず、別れを受け入れた。 彼女が、本当に浮気をしていたかどうかは、今となっては分からない。 墨田聡の持っていたあの映像は、俺と付き合う前のも
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あの日、墨田聡が向かったのは埼玉県の秩父地方。甲高いブレーキ音とドンッと響く音がして、近くにある展望エリアにいた人たちが現場に駆けつけると、墨田聡のバイクが単身で事故を起こしていた。プロテクター入りのライダースーツだったため即死は免れ、彼らが呼んだ救急車に乗って病院に運ばれた。墨田聡は、その病院で死んだ。それを知った俺は、墨田聡が勤めているホテルに行った。墨田聡が死んだことは家族からホテルに連絡がきており、俺は墨田聡の友人だと名乗って、葬儀に参加するためと言って墨田聡の生家を訪ねた。個人情報だが草薙グループの名前が聞いて、俺は墨田聡の両親がいる千葉にいった。墨田聡の家は農家。墨田聡の親族や葬儀にきた者たちの中に、墨田聡が分譲マンションを二つも持てた理由となりそうな人物はいなかった。 刑事ドラマでは、事件の捜査のため刑事たちは金の流れを追うが、一般人にはこれが限界。ただ墨田聡の両親は善人で、俺が墨田聡の友人だと信じて、墨田聡が死んだ本当の理由を教えてくれた。"本当の”と言っても俺が勝手にバイクの事故で死んだと思っただけだが。 墨田聡は、バイクの事故では死んでいない。事故から数時間後に目を覚ましたときには脳波も正常で、特に危険とみられる兆候はなかったと、墨田聡の事故の知らせを受けて、病院に駆けつけた墨田聡の母親は俺に言った。墨田聡が死んだのは、階段からの転落死。非常階段から大きな物音がして、看護師数名が駆けつけると、墨田聡が階段下に横たわっていた。その首の骨はあり得ない方向に折れており、通報を受けた警察によってその死亡が確認された。 墨田聡に、何があったのか。それを知るための手掛かりとなる防犯カメラは、壊れていた。一年ほど前に壊れたのだが、病院は経営が厳しくて直していなかった。非常階段を使う人は基本的にいないし、一階の入口と外来と入院フロアを分ける三階の入口のカメラは正常に作動しているから、病院はセキュリティは最低限確保されていると考えたようだ。この辺りは病院の業務上過失致死になるのだろうが、非常階段に出るまでの墨田聡には誰かに連れ出された様子はなかったという。ただ、非常階段にいった理由が分からない。階の移動ならば、エレベータを使えばいい。墨田聡の部屋はエレベータに近い。病院の廊下を映す防犯カメラの中で、墨田聡はエ
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