LOGIN祖父の送別会に彼女を連れていったあと、祖父から継いだ仕事でバタバタ忙しいときに墨田聡は俺を訪ねてきた。
二回ほど面会の希望があったけれど忙しくて断り、「受付で必死だったから見ていられなくて」と綾子が墨田聡を俺のところに連れてきてしまったので仕方がなく俺は彼と話すことにした。
あの日、墨田聡が俺に見せた映像はいまも忘れられない。
まず映ったのは彼女の全裸。
そして目が覚めたのか、眠そうな顔をした彼女が墨田聡に甘く笑いかけた。
でも次の瞬間に驚いた顔をして、悲鳴をあげて顔を背けた。
撮られていることに気づいて恥ずかしくなったのだろう。
そこからは彼女の抗う声が続いたが、墨田聡は照れる姿が可愛いと言って行為を続けていた。
その先のことは知らない。
墨田聡は映像をそこで止めたし、俺もそんなものを見る趣味がないのでこのときは気にしなかった。
ああ、やっぱり彼女は浮気をしていたんだな。
このときの俺はそう思った。
祖父の送別会のあと、彼女は急によそよそしくなった。
時間をひねり出してデートの時間を作っても断られ、バイト先の喫茶店にいくと気まずそうで素気なかった。
その程度で浮気を疑ったわけではないが、彼女の項についた付けた覚えのないキスマークに初めて浮気を疑った。
ショートカットの彼女は首にキスマークをつけるのを嫌がったし、何よりも彼女とそういう行為をしてからはかなり時間がたっていた。
浮気を一度疑うと、どんなことも浮気の証拠に聞こえるから不思議だ。
忙しいくせに彼女の浮気を確認しようと彼女のアパートに行ったりして。
隣の部屋に住んでいるらしい夫婦と会って、妻のほうに「この前はありがとう」と心当たりのない礼を言われて、疑問を向けると隣にいた夫が「この人じゃないよ」と妻を窘めた。
いま考えても取り留めのない話。
でもこのときの俺は、彼女の周りに俺以外の男がいるとしか思わなかった。
だから墨田聡との浮気の映像は、俺が彼女と別れる決定打になった。
他の男と寝たことを許せない。
別れる。
バイト先に乗り込んできて別れ話を突きつけた俺に、彼女はショックを受けていたけれど、他の男と寝たことを否定せず、別れを受け入れた。
彼女が、本当に浮気をしていたかどうかは今となっては分からない。
墨田聡の持っていたあの映像は、俺と付き合う前のものだったかもしれない。
何度もそう思った。
でもそれなら、どうして彼女は別れ話を受け入れたのか。
そう思うたびに俺が俺の考えを否定した。
あの子は俺の子だった。
でも、それはただ偶然だったのかもしれない。
だって彼女は俺の別れ話を抗うことなく受け入れた。
彼女は真面目な女だ。
俺以外に惹かれないという気はないが、もし他の男に惹かれたなら俺とは別れたあとにそっちに行く。
でも当時の俺は忙しくて、彼女は寂しかったのかもしれない。
答えはもう分からない。
彼女は死んでしまった。
そして墨田聡も死んだ。
*三沢加奈の転落死のあと、俺は三沢加奈の周辺を探った。
それで彼女の母親があの青山の分譲マンションの扱いに困っていると聞き、俺は三沢加奈の友人の知人という態で祖父の秘書で弁護士の資格を持つ柳瀬さんを紹介した。
相続登記の代理人となった柳瀬さんが登記謄本を確認した際、あの部屋の前の持ち主が墨田聡であることを教えてくれた。
墨田聡の調査を興信所に依頼した。
墨田聡は高級ホテルのバーで、バーテンダーとして働いていた。
支配人推薦で入った墨田聡だが、実力が客の求めるレベルに到底足りず、客やスタッフからのクレームの連続で不貞腐れて欠勤していた。
墨田聡の自宅、横浜の分譲マンションを訪ねると墨田聡は留守だった。
マンションの管理人は墨田聡のバイクがないからどこかに出かけたのだろうと言った。
一歩遅かった。
墨田聡はその前の日にバイクの事故を起こし、運ばれた先の病院で死んでいた。
僕にとって感情は性と同じ棚に並んでいる。整理できるものと、できないものがあるだけだ。 * 「……っ!」行為を終えて、ゴムが外れないように注意して先輩の体から出る。外したゴムを手早く処理して、気づいた。この作業にも慣れてきた。 トレゾアに学習させる内容には恋愛もあるため、多幸感が溢れる恋物語やドロドロの愛憎劇などトレゾアが読み込む横で僕もそれを読んできた。僕の年齢が上がれば猥褻な表現がそこかしこにある本も増えた。恋愛感情と違って本能から生まれる性欲は理解しやすい。悶々としていたわけではないが、丁度興味が高まっているときに同級生の女の子から誘われて初体験をした。なんであれがバレたのかは未だに分からないけれど、数日後に養父から通販の荷物を渡されて、首を傾げて開けると中には避妊具が入っていた。バレた恥ずかしさと、大人の階段にかけた足を不意打ちで払われたような悔しさみたいなものがあって――。―― 洋輔さんだってしているんだろ?いっぱしの大人ぶってそんなことを言った。―― ずっとしてない、罪悪感が半端ないから。 それを聞いたとき、最初は意味が分からなかった。罪悪感と言えば浮気と考え、その浮気と綾子さんとの夫婦関係が上手く整合性がとれなかった。草薙洋輔には忘れられない女性がいる。「お前も大人になったことだし」と、余計な一言付きで『彼女』のことを教えてもらったのはこのときだった。―― 以上が俺の……。そのあとの言葉は父の口から出なかった。言いたかったのは「大恋愛」とかそんな感じだろう。恋愛って言葉は両想いのハッピーエンドを想像しがちだから、後悔や罪悪感で恋愛とは言えなかったのだろうか。僕から見れば、養父寄りの考えであることは重々承知で、「大恋愛」だ。草薙洋輔が『彼女』に抱く感情は、草薙洋輔の人生の軌
「喜介、これをデータにしておいて」養父から渡された分厚い紙の束。“をかし”“いとをかし”と教科書でしか見たことのない文字列。苦手な古典表現がずらりと並ぶ。「そんな顔をするな、トレゾアの学習意欲を見習え」トレゾアは養父の開発したAI。僕の養父である草薙洋輔は、草薙グループの副社長をやりながら通信制の大学に通ってAIについて学んだ。目標があれば何でもできると養父は言うが、もともとの才能もあったのだろう。 「学習はAIの本質、つまりトレゾアの得意技じゃないか」「確かに」そう言って笑う養父は悪戯っ子のよう。仕事中に使っている机の上に広げた雑誌。そこには草薙洋輔がどんっと載った見開きの記事。経営の才能と実務経験がある技術者ってすごい。人、会社、業界、国。いろいろなところを巻き込んでトレゾアを開発している。その結果は『日本AI界の寵児』。雑誌は草薙洋輔をゲップが出るくらい賛美している。オーダーメイドのスーツを着て、艶やかな黒髪を撫でつけて、鋭い目で頂点にたつ草薙洋輔。鼻歌を歌いながら話しかけるようにキーボードを叩く、いま俺の目の前にいる草薙洋輔とは一致しない。 僕の十七年の人生は十歳のときに大きく変わった。それまでは母の人形。母の機嫌がよければ撫でられる。母の機嫌が悪ければ殴られる。母がよく呪いのように言っていた「こんなはずじゃなかった」。その意味が分かったのは、僕の父親の従弟とかいう養父がきたから。養父は一緒に連れてきた弁護士に母を任せて、僕を病院に連れていってくれた。外傷の治療と、慢性的な栄養失調の体の改善。病室で養父は僕に「自分の子どもにならないか」と提案してきた。僕の返事がNOなら安全な施設を用意すると言われた。YESならば、草薙グループの後継者として学ばなけれ
人間が起こした事件だとすれば、犯人像はいくつか浮かぶ。事件は四つある。 彼女の骨が盗まれた件。三沢加奈が転落死した件。墨田聡が転落死した件。風間夫妻が服毒死した件。 犯人がそれぞれ存在するなら、犯人は四人。後ろの三つは俺にとっては今のところどうでもいいから、彼女の骨を盗んだ犯人だけ捜せばいい。でも現時点で子の犯人を見つけるのはほぼ不可能だ。警察が探しているのに見つからないから、捜査力が圧倒的に劣る俺がこの犯人を見つけることはできない。 遺骨が盗まれる事件は国内外で時折発生している。動機や背景は様々だが、今回の件で考えるなら、身代金目的、怨恨や復讐、オカルトや宗教的な動機の色が濃い。俺としては身代金であってほしい。彼女の骨を取り戻せる可能性が一番高いから。でも警察は身代金目的という推測に当初から難色を示していた。彼女の骨だけが盗まれたから。身代金目的なら二つ盗む。何らかの理由で一つしか盗めないなら、子どもの骨のほうを盗む可能性のほうが高い。そんな理由だった。残念なことに、警察の推理のほうが当たりそうだ。あれからかなり時間がたつが、いまだに身代金の要求はない。やはりこんなことはやめようと思ってしまったのだろうか。やめてくれ。ぜひ身代金を要求してくれ。そうでないと――他の動機ではほぼ彼女の骨は俺の手元にこない。オカルトや宗教的な目的の場合は分からないが、俺に対する怨恨や復讐が目的なら、俺が犯人の立場なら手に入れた骨は捨てる。もしくはばら撒く。その光景を見せて留飲を下げることをするかもしれないが、彼女の骨が失われる可能性は極めて高い。 だからだろうか。三沢加奈、墨田聡、風間夫妻。この三つの事件が彼女に関わっていてほしいと思っているのは
ウィンディ映像は風間太一と風間奈美の夫婦二人でやっている小さな会社だった。主な業務は自治体や企業からの委託による記録映像の制作。防災訓練、地域行事、社内研修、工場の安全教育など、ああいうのかって理解できた。特に不審な点がない会社。派手な収入はないが安定した収入がある会社。墨田聡への入金記録がなければ、この会社には何も疑いはもたなかっただろう。あの入金記録があったから、この会社ではあり得ないあの金はどこから得たものかという疑問がわいた。 その答えを知るために俺は風間夫妻を探した。そして見つかった、地方新聞の記事で。人の好い不動産会社のあの社長は「埼玉のほうに家を買ったみたい」と言っていたから、俺は「埼玉」「風間」で検索をかけていた。これに引っかかった。その記事には、二人が不審な死を遂げたとあった。不審と言っても、死因は分かっている。服毒死。夫婦で毒を煽ったならば心中、つまり自殺(もしかしたら一方は他殺)。ただこの場合は同じ毒を飲むことが多い。でも二人は違う種類の毒を飲んで死んでいたという。毒性の差から、同じタイミングで飲んでも死ぬタイミングは時間単位で変わる。でも二人は同じ時間に死んでいた。 ネット民が喜ぶ謎のある事件ではあるが、全国紙の関東版のニュースになるほどではない。隣県で起きたこと、あの夫婦をマークしていなければ分からない。そして俺はこの事件を綾子に教えていない。でも綾子はこの事件を知っていた。 ―― 私も殺される!綾子はそう叫んだ。綾子は地元で大きな寺にお祓いを頼んだが、寺の住職を困惑させるだけに終わった。そんなことをしたからか。綾子が離れに引き籠って数日後、祈祷師を名乗る男が草薙家にやってきた。対応した花江さんが受け取った祈祷師の名刺をもとにネットで検索すると、除
あの日、墨田聡が向かったのは埼玉県の秩父地方。甲高いブレーキ音とドンッと響く音がして、近くにある展望エリアにいた人たちが現場に駆けつけるとう墨田聡のバイクが単身で事故を起こしていた。プロテクター入りのライダースーツだったため即死は免れ、彼らが呼んだ救急車に乗って病院に運ばれた。墨田聡はその病院で死んだ。それを知った俺は墨田聡が勤めているホテルに行った。墨田聡が死んだことは家族からホテルに連絡がきており、俺は墨田聡の友人だと名乗って葬儀に参加するためと言って墨田聡の生家を訪ねた。個人情報だが草薙グループの名前が聞いて、俺は墨田聡の両親がいる千葉にいった。墨田聡の家は農家。墨田聡の親族や葬儀にきた者たちの中に、墨田聡が分譲マンションを二つも持てた理由となりそうな人物はいなかった。 刑事ドラマでは、事件の捜査のため刑事たちは金の流れを追うが一般人にはこれが限界。ただ墨田聡の両親は善人で、俺が墨田聡の友人だと信じて、墨田聡が死んだ本当の理由を教えてくれた。"本当の”と言っても俺が勝手にバイクの事故で死んだと思っただけだが。 墨田聡はバイクの事故では死んでいない。事故から数時間後に目を覚ましたときには脳波も正常で特に危険とみられる兆候はなかったと、墨田聡の事故の知らせを受けて病院に駆けつけた墨田聡の母親は俺に言った。墨田聡が死んだのは、階段からの転落死。非常階段から大きな物音がして、看護師数名が駆けつけると墨田聡が階段下に横たわっていた。その首の骨はあり得ない方向に折れており、通報を受けた警察によってその死亡が確認された。 墨田聡に何があったのか。それを知るための手掛かりとなる防犯カメラは壊れていた。一年ほど前に壊れたのだが病院経営も厳しくて直していなかった。非常階段を使う人は基本的にいないし、一階の入口と外来と入院フロアを分ける三階の入口のカメラは正常に作動しているからセキュリティは最低限確保されていると考えたようだ。この辺りは病院の業務上過失致死になるのだろうが、非常階段に出るまでの墨田聡には誰かに連れ出された様子はなかったという。ただ非常階段にいった理由が分からない。階の移動ならばエレベータを使えばいい。墨田聡の部屋はエレベータに近い。さらにエスカレータを無視して非常階段に向かっている。ほぼ事故。でも事故の証拠
祖父の送別会に彼女を連れていったあと、祖父から継いだ仕事でバタバタ忙しいときに墨田聡は俺を訪ねてきた。二回ほど面会の希望があったけれど忙しくて断り、「受付で必死だったから見ていられなくて」と綾子が墨田聡を俺のところに連れてきてしまったので仕方がなく俺は彼と話すことにした。あの日、墨田聡が俺に見せた映像はいまも忘れられない。まず映ったのは彼女の全裸。そして目が覚めたのか、眠そうな顔をした彼女が墨田聡に甘く笑いかけた。でも次の瞬間に驚いた顔をして、悲鳴をあげて顔を背けた。撮られていることに気づいて恥ずかしくなったのだろう。そこからは彼女の抗う声が続いたが、墨田聡は照れる姿が可愛いと言って行為を続けていた。その先のことは知らない。墨田聡は映像をそこで止めたし、俺もそんなものを見る趣味がないのでこのときは気にしなかった。 ああ、やっぱり彼女は浮気をしていたんだな。このときの俺はそう思った。 祖父の送別会のあと、彼女は急によそよそしくなった。時間をひねり出してデートの時間を作っても断られ、バイト先の喫茶店にいくと気まずそうで素気なかった。その程度で浮気を疑ったわけではないが、彼女の項についた付けた覚えのないキスマークに初めて浮気を疑った。ショートカットの彼女は首にキスマークをつけるのを嫌がったし、何よりも彼女とそういう行為をしてからはかなり時間がたっていた。浮気を一度疑うと、どんなことも浮気の証拠に聞こえるから不思議だ。忙しいくせに彼女の浮気を確認しようと彼女のアパートに行ったりして。隣の部屋に住んでいるらしい夫婦と会って、妻のほうに「この前はありがとう」と心当たりのない礼を言われて、疑問を向けると隣にいた夫が「この人じゃないよ」と妻を窘めた。いま考えても取り留めのない話。でもこのときの俺は、彼女の周りに俺以外の男がいるとしか思わなかった。だから墨田聡との浮気の映像は、俺が彼女と別れる決定打になった。