そんな言葉が、学校の裏掲示板の片隅で、まるで日の当たらない側溝に密かに繁殖する苔のように、静かに広がっていった。ある日、クラスの女子生徒がおずおずと綾に耳打ちしてきた。裏掲示板で、彼女の陰口が書かれているのだと。綾はスマホでさっと目を通すと、すぐに画面を閉じた。「想像力豊かだよね」綾はスマホを机の引き出しにしまい、またペンを握った。みんなは事情を知らないけれど、凛だけは自分が中野家に引き取られた事実を知っている。こんな根も葉もない話をでっち上げるなんて、おかしくて笑っちゃうくらい幼稚だ。綾はそれらの言葉を見ても心が平穏だった。本当にもう、どうでもよかったのだ。もっと大切なことに心を向けるようになったから。それから間もなくして、市内で開催されるアマチュアフェンシング大会の申し込みが始まった。健吾からメッセージで大会の申し込みリンクが届いたとき、綾はちょうどお風呂から上がったばかりで、まだ濡れた髪をタオルで包んでいるところだった。リンクを開いて確認はしたが、すぐには返信しなかった。髪を乾かしてから返事を送ることにした。【私に申し込めっていうの?】健吾本人が大会に出るつもりなら、あの人の性格を考えれば、いちいち自分に連絡してくるはずがない。【奴らに、俺の教え子の実力を見せつけてやれ】そう、健吾から返信が届いた。【青木くんこそ、どうして自分で出ないの?】【お前が出て優勝できちゃうような大会だから。行くだけで退屈だ】綾は黙り込んだ。【私ができると思っているか?】【できるかなんて聞くな。とりあえず、やってみな。死ぬわけじゃないし】これは、綾が健吾と知り合ってから、最も多く耳にしたセリフだった。彼はいつもこう言って背中を押す。「とりあえず、やってみな」綾は少しの躊躇のあと、ひとつ深呼吸をした。【わかった。師匠のために頑張る。負けても文句は言わないでよ】【負けたときは、俺のせいにしていいぞ】綾はにっこりと笑い、丁寧に申し込みフォームに入力した。大会当日は土曜日で、小雪がちらついていた。会場は東区中心エリアの体育センターだ。フェンシングはマイナー競技なので観客席の半分も埋まっておらず、ほとんどが選手の関係者ばかりだった。そこには綾の応援団である、健吾と明里の姿もあった。
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