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Alle Kapitel von 侯爵家の婚約者: Kapitel 21 – Kapitel 30

92 Kapitel

21.幸せにしたい

「カイン……何を言っているの?無理に決まってる」 イレリアは慌ててカインを引き起こそうとしたが、カインは固く跪いて動かない。 カインはイレリアのスカートの裾に口づけたまま、目線だけをイレリアに向けた。「それに、あなたには婚約者がいるわ。シトロン公女がいないとあなたはもちろん、この国がどうなるか」「そうだ。だから例え婚約を破棄しても、彼らは自分の身を守るためにジルダを差し出す」 カインは立ち上がるとイレリアを抱きしめた。「イレリア。僕はもう君が彼らのために擦り減っていく姿を見たくないんだ。支援をと言うのなら僕がしよう。だからどうか、僕を選んでくれ」 カインの腕の中でイレリアは夢を見ている気分だった。 国王の次に高い地位にいると言ってもおかしくないエスクード侯爵家。その嫡男が自分を求めている。 抱きしめられた胸の厚みとカインの匂いに、カインの休暇の最後の日に重ね合わせた体を思い出して、イレリアの体の奥が熱を持つのを感じた。 しかし、イレリアは子供の頃から裕福な商人や貴族が、平民の見目の美しい女性を妾にし、その美しさを消費し終えると当たり前のように彼女らを捨てていたのを見ていた。 彼らにとって平民やそれ以下の自分達は、愛の対象ではなく、美しさを消費するためのものなのだ。 カインが彼らと同じとは思いたくはない。 しかし、平民以下の存在であるイレリアが、宮廷貴族の重鎮であるシトロン伯爵家の公女を押しのけて正妻になれるはずなどないと、イレリアはわかっていた。「カイン――カイン、落ち着いて。私には無理よ。例えあなたの言う通りだとしても、そうなったら子供の頃からずっとあなたを支えていたシトロン公女はどうなるの?――あなたの名誉だって……」 イレリアは努めて冷静にカインに言い聞かせるように言った。 一瞬でも、カインの言葉を喜んだ自分が恥ずかしい。貴族であるカインがたかが貧民のために婚約者を捨てるなんてあってはならないことだ。 まして、それが国そのものを危険に陥れる選択だとなれば、国中の笑い者どころか、反逆とすら取られかねない。カインを恥知らずな罪人にするわけにはいかない。「ジルダは僕を愛してなんかいない。彼女はその能力を利用して僕の婚約者と言う位置に収まり、侯爵夫人となる事を目論んでいるだけなんだ」 イレリアの気持ちを聞いて、カインは吐き捨てる
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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22.カインとイレリア

 貧民街にいる時のカインは、裕福な平民や平騎士が着るような、素材こそ高級だが華美ではない服が多かった。見た目こそ美しく気品が滲み出ているが、気さくな性格と話し方で、身分など考えることもなく接する事が出来ていた。 だからこそ、イレリアもカインに恋心を抱くことが出来ていたのだ。 だが、今目の前にいるこの人は果たして自分の知っているカインなのだろうかと、イレリアは身じろいだ。「見違えたよ」 部屋に入ってきたイレリアを見ると、カインはその表情を緩めた。いつもイレリアが会っていたカインだ。 イレリアの緊張が少しだけ解れたが、それでも見た事がないほど豪華な部屋に溶け込んでいるカインは、イレリアが知るカインとは別人に思えて仕方なかった。 カインは入り口でたじろいでいるイレリアに歩み寄ると、彼女の手を取ってソファにエスコートした。 誘導されるがままに腰を下ろしたソファは、イレリアが経験したことがないほど柔らかかった。床まで体が沈み込んでしまうのではないかと内心慌てたが、適度な深さで止まってくれた。 夢のような座り心地のソファの前に置かれたテーブルには、ハムやチーズを挟んだパンや、瑞々しい果物など、イレリアがこれまで見たこともない食べ物が並べられていた。 ついさっきまで私はいつもの寝床で体を横たえていたというのに……一体どうしたというの? 状況が落ち着くにつれ、イレリアの頭は混乱を極めていった。「カイン……私、帰らないと」 イレリアは居心地が悪くなって、自分の肩を抱いて離さないカインを振り払おうと力を込めたが、カインの力の方が強く、身じろぎすらかなわなかった。「あんなところに大事な君を返せるはずがない」 カインはイレリアの肩を抱く腕に力を込めた。「……私の居場所はここではないわ」 イレリアは自分がとても惨めに感じられた。貧民街では感じなかった感覚だ。 これまで何度でも綺麗な格好をした平民や裕福な商人を目の前にしても、こんな気持ちになったことはなかった。 しかし、物語に聞いた天上の城のような侯爵邸に来て、みすぼらしい自分を嫌というほど自覚させられた。 その環境を当たり前と疑わずに過ごしてきたカインは、これまで出会ったどんな金持ちよりも美しく、高貴な存在で、あの街道で出会わなければ自分とは一生すれ違う事さえあり得なかった人なのだと、イレリアは痛感さ
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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23.親友の叱責

「アバルト公子がお見えになりました」 扉の向こうからアレッツォの声が静かに響いた。「ロメオが?」 ――先触れもなく、何の用だ。 ここで言ったところで仕方ない。答えはすでに到着しているのだ。「すぐに支度する。待たせておけ」 隣でぐったりと眠るイレリアを起こさないようベッドから抜け出すと、カインは寝具から出ているイレリアの手をそっと握った。 あれだけ荒れていた手は、すっかり柔らかくなっている。 カインは微笑むとイレリアの手を、そっと寝具の中に潜らせた。 できる限りゆっくり支度を済ませたのは、ロメオへの嫌がらせだけではなかった。 イレリアの肌の感触を反芻していたのだ。 ロメオさえ来なければ、今頃はまだ彼女の柔らかい胸に顔を埋めていられたのに。 そう思うとサロンの扉を開ける手に力が入ってしまった。「やぁ、親友」 眉間に皺を寄せたカインとは対照的に、ロメオは明るい笑顔でカインを迎えた。「君の休日を邪魔しないよう午前中にしたんだが、それでもまだお邪魔だったかな」 皮肉を込めてロメオが右手を差し出すと、その手を握り返しながら「なんのことだか」とカインは笑ってみせた。「貧民街には顔を出していないようだな。ようやく諦めがついたと思いたいんだが」 勧められずともソファに腰掛けながら、ロメオは単刀直入に尋ねた。「僕が彼女を諦める時は、僕が死ぬ時だけだ」「どうかしている」 ロメオはため息をつきながら吐き捨てるように言った。「愛妾を持つ事はどうでもいい。僕の父上だって、今でさえ愛妻家を気取っているが、僕が幼い頃には別棟に女を隠していたのを知っている。だが、君はまだ結婚前だろ」 ロメオの苛立ちは当然だった。「結婚前だから何だというんだ?」 カインは不機嫌さを隠そうともせずに、目の前に置かれた茶を口に運んで顔を顰めた。 いつもカインが好む花の香りがする茶ではない。 ジルダが来る時はいつもあれなのに……そうか、これはロメオが好きな茶か。 まったく、茶の味まで僕を苛立たせるんだ。この男は。「君が貴族のしきたりにここまで疎かったとは驚きだよ」 ロメオは、もう一度わざとらしくため息をつくと、目の前の茶を飲んだ。 柑橘の香りと爽やかな渋みのある、ロメオの好きな茶の味に、自然と顔が緩みそうになる。「アレッツォ、君の未来の主人に貴族の結婚とは何
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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24.大事な人

「君は――ジルダが好きなのか」  カインの問いかけに、ロメオは怒りで一瞬頭が真っ白になるのが分かった。 こいつは何を言っているんだと、ロメオは胸倉を掴んだままカイン顔を覗き込んだ。「君が怒るのはジルダに関係した時だけだ。子供の時もそうだ。覚えているか?」 口の端に笑みを浮かべながら、カインは懐かしむように昔話を始めた。 侯爵邸の日当たりのいい一部屋を改造して作られた、子供たちのための遊び部屋は、専用の庭に面していて、庭には木の上に作られた小さな小屋や、枝にぶら下げられたブランコなどの遊具が配置されていて、3日に1度ジルダが来る日を狙って、ロメオとティン=クエンもやってきてはここで過ごしていた。 ジルダと婚約した2年目の夏、庭の木の下に座り、いつものようにジルダがカインの手を握って魔力を吸収していた。 そこにロメオとティン=クエンがやってきて、手に持っていた木の筒をカインに向けると、勢いよく水が吹き出した。「うわっ!何するんだよ!」「水鉄砲さ!うちの使用人に作ってもらったんだ!」 ティン=クエンが転がるように笑いながら水鉄砲を抱えてカインに狙いを定めると、ロメオも同じようにカインに狙いを定めて攻撃をしだした。 弾かれるようにジルダの手を離して、カインはティン=クェンの攻撃から逃げ回った。 魔力吸収はほぼ終わっていたし、問題はないだろう。 ジルダはいつものように庇の下に据え置かれたカウチに避難しようと立ち上がったその時。「隙あり!」 ジルダの顔をめがけてティン=クエンが水鉄砲を発射した。「きゃっ!」 ジルダは小さく悲鳴を上げて、ティン=クエンから逃げようと体を翻したが、ジルダの反射神経で逃げられるわけがなかった。 水鉄砲で濡らされたスカートは足に纏わりつき、体勢を崩したジルダは、つんのめるように倒れた。その拍子に目指していたカウチに腕を酷くぶつけてしまった。 激痛がジルダの腕から全身に広がり、ジルダは思いっきり唇を噛み締めて、声を上げずに涙を流した。「ティン!お前女の子になんてことをするんだ!」 ロメオは、驚いて固まっているティン=クエンを突き飛ばし、ジルダを助け起こすと、庭の隅に控えていた使用人を呼びつけた。「ジルダに治癒師を呼んで。ひどくぶつけたんだ。折れているかも知れない」 テキパキと使用人に指示を出すロメオを、カ
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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25.救われた命

 魔力に圧されて苦しかった。 薄れゆく意識の中で、エスクード侯爵がナイフを持ってカインに近寄っていくのが見えた。 侯爵の目には涙が浮かんでいた。 ロメオも苦しくて涙がこぼれていたが、エスクード侯爵のそれは自分のそれとは違うものだと、小さなロメオは感じていた。 さっきできたばかりの友達。初めて会った従兄弟。大好きな伯母様の大事な息子。 その彼が命を終えようとしている。 アバルト侯爵の腕がきつくロメオを抱きしめたのを感じた。きっとこれから起こる出来事を見せまいとして、ロメオの目を覆いたいが、体がうまく動かないのだろう。 だからロメオは全てを見ていた。 しっかりとそのブルーグレーの瞳で、目の前を見据えていた。目を閉じてはいけないと思った。 人が死ぬのを見たことはなかった。動物が死ぬ姿でさえない。死とは最も遠いところでロメオは生きてきた。 しかし、死は今まさに自分の身に迫り、自分たちに死をもたらそうとしている小さな命もまた、彼の父親の手で終えようとしていたのだ。 エスクード侯爵がカインに近づき、ナイフを振り上げる。伯母様の叫び声が間近で聞こえた。 全てがゆっくりだった。 見届けなければいけない。友達として、従兄弟として、彼に命を奪われる者として。 ロメオは重く苦しい圧力の中で、無意識に魔力を集中させて、刈り取られそうになる意識をつなぎ止め、目を見開いて見つめていた。 カインの体から見た事もない真っ黒な魔力の塊が吹き出して、エスクード侯爵の体を縛り上げたその時。「いいえ。公子。公子が悪いわけではありません」 柔らかく、暖かい、キラキラと美しい魔力を感じた直後、舌足らずだけど優しい声が聞こえた。 途端、庭園を圧し潰さんばかりに溢れていた魔力が嘘のように消え去り、ロメオは体の自由を取り戻した。 息を大きく吸い込む。久しぶりに息をしたような気がしたが、時間にするとほんの数十秒程度だったと、後で父に教えられた。 父のアバルト侯爵も伯母上も、力尽きたように倒れているが、小刻みに体が規則的に動いてる。 息をしている――よかった。 エスクード侯爵は夫人に駆け寄り、悲鳴のような声で夫人の名を呼びながら抱き上げていた。 カインはジルダに手を握られると、崩れ落ちるように膝をついた。 焦点の合わない目でジルダを見つめると、母を求める子供のようにジル
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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26.そばにいる

 獣車の外はすっかり陽が高く、空の模様は秋の深まりを知らせていた。 ロメオは心地よい獣車の揺れに身をまかせていた。 カインの言う通り、魔力量に差がありすぎると子供ができない。 だから貴族は伴侶の魔力が釣り合わない時などは妾を迎える。 貴族にとって最も重要なことは、愛ではなく家を繋ぐことなのだから。 だが、そうではなかった2人をロメオは知っている。 愛を貫いた美しい2人だった。 なのに――その息子ときたら…… ロメオは窓から流れる貴族街を眺めていた。 エスクード邸とアバルト邸は、どちらも首都の中心部に建つが、結界の塔を挟んだ反対側に位置している。 気軽に行き来できる距離ではあるが、今日はやたらと道が遠く感じる。「なんでよりにもよって平民――しかも貧民街の生まれなんだよ……」 ロメオは言いようのない苛立ちに、車内で独りごちた。 カインの魔力量は非常に大きく、ジルダの魔力は常人よりも小さい事は隠しようなく周知の事実だ。 二人が結婚しても子供は望めないと誰もが思っていた。 だからこそ、カインの婚約者が社交界一不器量なジルダと発表された時も、貴族達はむしろ歓迎した。 相手がジルダなら、カインは妾を迎え入れざるを得ないという思惑からだ。事実、貴族たちは魔力量の多い自分の娘を差し出そうと躍起になっていた。 ジルダはただ黙ってそれを見ていた。 自分の役割はこれだけだと言わんばかりに、黙って3日に1度の魔力吸収を欠かさず行った。 必要があれば夜会に出席し、カインが目を合わせる事がなくとも、静かにカインの隣に立っていた。 唯一の救いは、擦り寄る貴族達やどんな美しい令嬢にも、一切興味を示さなかったことだったのに――よりにもよって奴隷以下の貧民に手を出すとは。 ロメオが差別的な考え方をしているのではなく、貧民街の住民と言うのは人としてさえ認められていないような存在だった。 奴隷であっても、技能があれば平民よりも収入を得る事ができるし、その子供は解放奴隷として平民の地位を与えられる。 だが、貧民街の住民が平民として暮らせることはほぼなかった。 貧しく、教養もなく、汚れ仕事や力仕事を請け負っては日銭を稼げばよい方で、大抵は小型の魔獣のように路地の裏をねぐらにし、物乞いや残飯を漁って暮らすような者達だったからだ。 そんな貧民街の女を召し抱えたと
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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27.ポッチの抵抗

 イレリアの言葉に、カインはまた何かがよぎり、頭の奥が痛んだ。 小さな手……温かな……優しい魔力……ダメだ。 思い出してはいけない――そんな思いがカインの頭を支配する。それらから逃げるようにカインは激しくイレリアを抱きしめた。 深く口付けし、イレリアの柔らかい肌に触れると夢中でイレリアを求めた。 イレリアは何も言わずにカインを受け入れた。 イレリアの体を感じている間は、何も考えなくてよかった。 そう。ただ、イレリアだけを感じていればいい。 最早、それが正しいか間違えているかはどうでもよかった。イレリアだけがカインを理解し、愛してくれている。それだけがカインの考えを支配していた。 翌朝になってようやくイレリアの部屋から出てきたカインの元に、アレッツォが身支度にやってきた。「本日は午後よりオレリオ様と結界の魔法陣に魔力をお入れになる日です。オレリオ様は領地からそのまま王宮に向かわれるとのことですが、夜はこちらにお戻りになるそうです」「そうか――」「イレリア様はどのようになさいますか」 アレッツォの問いかけにカインは一瞬表情を曇らせたが、すぐにアレッツォを見ると「父上に紹介する。僕の妻となる人として」とだけ答えた。 何か言いたげなアレッツォだったが、言葉を飲み込むように恭しく頭を下げると、部屋を後にした。  父上なら理解してくださる。 カインは父親の愛を疑っていなかった。 夫人が亡くなってから、侯爵はわかりやすく意気を感じられなくなったが、それでも変わらずカインに愛を注いでくれていた。 カインが15歳になって仕事をするようになってからは、一年のほとんどを領地で過ごしている。結界の維持や会議の日に合わせて、時折首都にやってくる程度だ。 当然、カインも侯爵に会えるのはその間だけだった。 だが、会う度に侯爵はカインに惜しみなく愛情を注いでくれていた。 だからカインは寂しくなかった。 身支度を整え、屋敷の車寄せに繋がれていた草竜に跨ろうとすると、草竜は嫌がってカインから逃げるように、車寄せの近くにある大きな柱の陰に隠れた。 いつもはカインの顔を見ると嬉しそうに鳴き声を上げて長い首をもたげながら尻尾を振るのにと、カインが戸惑っていると、世話係の下男が草竜を追いかけた。「こら、ポッチ!お前の大好きなカイン様じゃないか。一日見ないだけで
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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28.幼馴染

 ポッチのご機嫌がようやく直り、騎士隊の駐屯所に出勤すると、ティン=クェンが来ていた。「久しぶりだな」 幼馴染の顔を見て、カインが嬉しそうに顔をほころばせると、ティン=クェンも嬉しそうに両手を広げてカインの抱擁を受け入れた。「実は魔導士の捜査の件で来たんだ」 騎士見習いが不器用な手つきで、茶をティン=クェンの前に置くのを微笑ましく見つめながら、ティン=クェンが話し出した。 魔導士はおろか、国中の錬金術師までもを対象に捜査を行ったが、書き換えられた魔方陣と同じ魔力を持つ者は見つけられなかった。その為、おそらく国外の魔導士か、考えにくいが国に存在を知られていない魔導士か錬金術師ではないかという疑いが出てきているという。「国の魔導士や錬金術師は、宮廷魔導士により野良から勤め人まで全て把握されている。――そうなれば残る可能性は一つ」「隣国か――」  隣国であるオシュクール公国は小さいながらも、国土の南北が海に面している。 国土の北部に険しい山地が広がり、西側には大森林と呼ばれる、人の立ち入りを許さない危険な森があった。 王国の1/3程度の公国は、常に魔獣の被害に苛まれ、貧しかった。 その為、国土を広げようと、王国の国境にある領地に侵略を仕掛けた小競り合いが、はるか昔から度々繰り広げられていた。 50年前に首都まで被害を被った戦争は、隣国の侵略によるものだったとカイン達は学んでいた。 国境を守る、当時のアクタラ辺境領とオルフィアス伯爵領が奪われ、戦火は首都にまで及んだ。 アバルト侯爵家とエスクード侯爵家が敵軍を退け、領土を奪回したことで隣国は戦力を失った。 勢い隣国を制圧統治せよとの勢力が立ち上がったが、王家と貴族院は、隣国の西側に位置する大森林の危険性を鑑みて、それを否決した。 大森林は古のアベル王子が命を落とした場所だと言い伝えがあり、この世のどの土地よりも魔力が濃い場所だった。 植物も魔獣も、王国の比にならないほどの魔力を持つため、隙あらば人里を飲み込み、その領土を広げようとしている。 大森林の侵食を防ぐ条件で、王国は隣国への支援を約束して、自治権を認めた上で属国となる和平条約を締結して、名をオシュクール公国と改めた。 王国は公国に港と街道を整備し、魔道技術を支援して現在は貿易と大森林で獲れる魔獣の素材を中心とした産業を主な生業
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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29.困惑

「疲れてなんか――いや、そうかもしれない」 あのゴブリンの襲撃――いや、結界が破壊された、あの日から色々ありすぎた。 「結界――ゴブリン――そうか」 カインは何かに気が付いたかのように顔を上げた。 街道の結界が破壊された事と、ゴブリンが街道の近くまで来ていた事は偶然の重なりではないのではないか――? もし街道の結界の異変に気付く者がおらず、発見が遅れていたら…… ゴブリンたちは街道の結界から首都かオルフィアス領に侵入して、根付いていたかもしれない。 ゴブリンそのものは、武器を使える程度の知能を有しているものの、子供程度の大きさしかなく力も弱いため、大した脅威とは言えない。 しかし、ゴブリンの脅威はその繁殖力にあった。20日もあれば子供を産み、90日もあれば成体へと成長し、また増える。 山や森ではゴブリンは食物連鎖の最下層だ。他の魔獣の食糧となるため繁殖能力の高さは種の絶滅を防ぐ程度の役割しか持たない。 しかし、天敵のいない場所ではどうだろうか。 知らぬ間に町の下水や物陰、人の居ない場所で繁殖していたら…… 戦いは何も外から攻撃するだけではない。 内側から決壊させて弱めることもあるのだ。「ティン=クエン!過去に同じように結界の破損した個所はなかったかもう一度調べなおしてくれ。そして――貧民街に奴らが巣を作っていないか調査を」 あれから何日経っている――? 不思議と頭がすっきりしている気がする。 まるで、深い眠りから覚めた朝のように。 自分がイレリアに入れあげている間に、何が起きていた。なぜ自分はこんな簡単な事にも気付かなかった――いや、考えようとしていなかったんだ。少し考えればわかるこんな簡単な謀を、自分は気付かず安穏と―― 「カイン、落ち着け。貧民街の捜査は君が倒れた時にエスクード侯爵の指揮で終わっている。その後も定期的に首都の下水や貧民街を調査しているが奴らが入り込んだ形跡はない」 ティン=クエンがカインを落ち着かせようと肩を掴んで怒鳴りつけた。 目の前を黒い熱が遮ろうとしていたのを、ティン=クエンの声で引き戻されたのが分かった。「父上が――」「ああ」「父上はそんな事一言もおっしゃらなかった」 自分がしなければならなかった仕事だ。 いつもの父なら、黙ってやったりしない。「カイン――侯爵は君の身を案じていただ
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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30.結界の魔法陣

 魔力の注入は好きだった。 特に首都の結界は魔力量の消費が尋常ではなく、侯爵が2人分の魔力量を負担しているのなら、カインは3人分の魔力量を負担していた。 それだけの量を注入するとなると、さすがのカインも7日程度はぐったりするから、ジルダの魔力吸収を受けなくて済むのだ。  初めて首都の結界の維持を行ったのは1年前だった。 それまでやってきたもので一番疲れたのは、首都の北側にある、水源での揚水ポンプへの魔力注入だった。 カインの背丈ほどもある魔法陣で動くポンプは、カインの屋敷にあるポンプとは、大きさと必要な魔力も桁違いだった。 普段は魔力量の大きい者が常駐して管理をしていたのだが、病気でふた月ほど寝込んでいた際に、カインが代わりに魔力を供給しに行っていた。 その時も疲れはしたものの、2日後には魔力量はほとんど回復していた。 それだけ、この結果の魔法陣は桁違いなのが分かる。 とても疲れるけど、これで当分の間ジルダが魔力を吸収する必要はないのだ。 イレリアを迎え入れてからもジルダは3日に1度の務めを果たすため、侯爵邸を訪れていた。 もちろん、カインも使用人たちも、イレリア本人もジルダに会わないよう注意を払っていたのだが、ジルダは意にも介さないといった様子で、黙ってカインの魔力を吸収しては帰って行った。 いや、一度だけイレリアについて口論したことがあった。 カインがイレリアを連れて来て数日経った頃だろうか。イレリアが貧民街に帰りたいと言わなくなった辺りだ。 いつもの通り侯爵邸のサロンでカインとジルダはソファに隣り合って座り、手を握っていた。「薬師見習いを連れ帰ったと聞きました」 使用人の誰かが告げ口したのだろうか。――いや、二人が成人となる来年に結婚を控えて、ジルダが侯爵邸の女主人のように振舞っていることは知っていた。 使用人たちもそのつもりでジルダに仕えていたし、屋敷のことを彼女に報告することは、おかしな事ではないのかもしれない。「カイン様のお決めになった事に口を出す権利は私にはございませんわ。ですが、カイン様は次期侯爵でございます。その事をお忘れになりませんよう、お立場を弁えた振る舞いをなさってくださいね」 カインが考えていると、ジルダがいつも通り静かな口調でゆっくりと言った。 それが妙にカインの癇に障った。 いつもなら受け流
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