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Alle Kapitel von 侯爵家の婚約者: Kapitel 51 – Kapitel 60

92 Kapitel

49.バルコニー

 ロメオがいなくなった途端、夜会はまるで祭りのような賑やかさに感じられた。 さっきまでは気にならなかった音楽や、貴族達の喧騒が急に不愉快に思えた。 ああ、違う。さっきまではロメオ様が側にいたからだ。 世界に自分とロメオしかいないような錯覚に陥っていたのに、ロメオが離れた途端、現実が襲ってきたようだった。「気分が悪いのかい?」 ロメオが果実水を持って戻ってくると、イレリアの顔色の悪さを案じた。「いいえ――あの、人の多さに酔ったようです」 慌てて笑顔を作ると、イレリアはロメオから果実水を受け取って喉を潤した。 冷たい液体が、乾いた喉と火照った体を潤してくれるようだった。「こっちにおいで」 ロメオが手を差し出したので、その手を掴むと言いようのない安心感と幸福感がイレリアを包み込んだ。 まるでカインに感じるのと同じ感覚だったが、違うようでもあった。 ロメオは、イレリアの手を引いて重いカーテンをかき分けてバルコニーに出た。 夏の初めの爽やかな風が、イレリアとロメオの間を通り抜けていく。 灯りで照らされていた広間とは違い、バルコニーは薄暗い。月明かりだけがイレリアの白い肌とロメオの少しだけ日に焼けた肌を神秘的に浮かび上がらせていた。「ここなら静かだし誰もいないよ。落ち着くまでここにいよう」 バルコニーの手すりに腰をもたれさせると、ロメオはイレリアの体を抱きかかえるように自分にもたれさせた。「手すりは固いからね」 耳元で囁くロメオの声に、イレリアの体は急速に熱を帯びた。 顔が見えない分、背中から伝わる体温がカインのように感じられる。 背中越しに胸の高鳴りが伝わってしまったらどうしよう。 イレリアは今、ロメオにときめいているのか、カインにときめいているのか分からなかった。「君とこうしてゆっくり話すのは初めてだけど、何故だろう。すごく安心するし、緊張する」 ロメオのいたずらっぽい声が、少しだけ真剣みを帯びた気がした。「――わたくしは……緊張しています」 イレリアは身じろぎせず、ロメオの胸に体を預けていたが、果たしてそれが正しいのかわかっていない。 頭では、カイン以外の男性に体を任せるなど、あってはいけないことだ。 だが、ロメオはイレリアが混乱するほど、カインに似ている。 いや、イレリアがそう思いたいだけなのかもしれない。 背
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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50.貧民街の篤志家

 カインの胸に抱かれながら、イレリアの心はカインへの想いで胸が満たされるのを感じていた。 カインもまた、イレリアへの熱い感情が頭を支配し、イレリアの体を愛おしく激しく貪っていた。 二人が愛を確かめ合っている間に、昼下がりだった窓の外はすっかり夕陽が沈みかけていた。 カインはベッドから起き出すと、眠っているイレリアを起さないように静かに身支度を整えた。 あれだけ我慢していたのに、イレリアに触れると自制が利かなくなる。だが、ベッドに腰掛けてイレリアの寝顔を見ていると、愛しさが溢れてくるのが分かる。 やはり自分はイレリアを愛している。 カインは固く思うと、イレリアの寝顔に口付けを落とした。唇を離すとイレリアの長い睫毛が揺れて、目を覚ますのが分かった。「起こしたかい」 汗で湿ったイレリアの髪を優しく撫でながら、カインが尋ねた。 ああ――私の知ってるカインだ。優しくて、私を愛していると全身で訴えかけてくれるこの人だ―― イレリアの胸に幸福な感情が広がり、髪を撫でるカインの手を握ると、その手に口付けた。「愛してるわ」「僕もだよ。イレリア。君以上に大切な人なんていないくらいだ」 カインの口付けを受けると、イレリアはようやくカインが服を着ている事に気付いた。「もう戻るの?」「ああ。この休みが明けたら首都の北に行かないといけない」 首都の北には大きな湖と険しい山があるだけだと教師から教わった。一体なぜ――? まだ起ききれない頭でぼんやりと考えていたイレリアは漸く気が付いた。「――揚水ポンプ?」「そうだよ。首都周辺の水道の源だ。大きな魔法陣で動いていてね、年に1度の点検に行かないといけない。――と言っても魔方陣の点検は魔導士がやって、僕達は結界の張り直しや周辺の魔獣の駆除だ。――もっぱら汚れ仕事さ」「あなたが汚れ仕事なんて――一番似合わない言葉ね」 イレリアは可笑しそうに笑うと、上掛けを手繰り寄せながら上体を起こした。「危険なの?」 案ずるイレリアの緑色の瞳を見つめ返してカインは首を横に振った。「あの辺は大型の魔獣が出るけど、僕にとってはネズミのようなものさ。――やつらよりも君の方が強敵だ」「まぁ――」 カインの冗談にイレリアはクスクスと笑った。 イレリアの笑顔を微笑みながら見つめると、カインは少しだけ不服そうにこぼした。「長く
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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51.図書室

 イレリアは薬草の事しか知らなかったが、決して頭が悪いわけではなかった。 教えられた事はすぐに理解し、吸収することができたので、教師たちも驚いていた程だ。だが、唯一苦手としたのが文字の読み書きだった。 文字の読み書きは平民でも難しく、主に貴族が用いる文字は難解でイレリアには記号が羅列しているようにしか見えなかった。 平民の文字はそれをもっと簡略化したもので、それならイレリアも少しは読み書きすることができたのだが。 ただ、貴族の中でも読み書きのできない教養の低い者もそれなりにいたし、手紙や令状などは使用人が代筆する事がだと教えられて、イレリアは安堵したのを覚えている。 しかし――使用を許された侯爵家の図書室で、イレリアは手に照明を持ったまま困惑していた。 どれも難しい書体で書かれた本ばかりだった。 以前薬草の本を取りに来た時は、アレッツォと一緒に来て選んでもらったのだが、今日はイレリア一人だった。 アリッサを連れて来るのだったと、イレリアは後悔した。 マッケナー子爵家で貴族同等の教育を受けたアリッサは、よくよく観察してみると非常によくできた侍女だった。 読み書きはもちろん、手紙を綴ればその文字は美しく繊細な筆跡で、詩的とも思える文章は受け取る相手の心を癒した。 社交界でイレリアの評価が上がった一因はアリッサにあると言ってもおかしくはなかった。 そんな彼女ならイレリアの欲している本など造作もなく見つけ出して、その内容を読み聞かせてくれただろうに。 だが、アリッサが仕事を終えた後に、図書室に行こうと思い立ったのはイレリアだ。 明日まで待てばよかったが、明日はまたカインと過ごす約束をしているのだ。 明日の休みが終わればカインはしばらく戻らない。 寂しさがイレリアの心を吹き抜けた。カインとこんなに長い間離れ離れになるのは、カインが蟄居を命じられた時以来だ。 だが、二人の関係はあの時と比べようもないほど密度を高めた。その分切なさも同じだけ深くなっていた。 出会ったばかりの頃は、こんな風になるなんて思いもよらなかった。 カインが貴族だということは知っていたし、出会った瞬間から惹かれていた。 だが、身分が違いすぎた。まさか恋人になれるなんて思いもよらなかった。 イレリアは随分と久しぶりに当時を思い出した。 カインが毎日のようにイレリアに
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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52.日記1

 図書室の一角に据えられた座り心地のいいソファに座り、カインとイレリアは日記を一枚一枚めくっていた。 日記は正しく侯爵夫人の書き残したものだった。 子供の頃、領地にいる父に送られた手紙や、祝い事の度に自分に贈られたカードに描かれた文字が、今カイン達が手にしている本の中にあった。 イレリアは10年以上経ってもまだ、母の筆跡を覚えているカインに胸が痛んだ。 この人はきっとずっと、母親を憎み、恨み、愛しているのだ――。  日記は侯爵と結婚する前から綴られていた。 美しい文字の中に、17歳の誕生月にデビュタントをしたこと。 求婚状が殺到したが、全て父が処分してしまった事が可笑しそうに書かれていた。 アルティシアの美しさはすぐさま社交界の注目の的となるほどだった。 輝く金色の髪に、空の青さのような青い瞳、バラ色の頬は小さな可憐な唇を見事に引き立たせた。 17歳のアルティシアは全てが珍しく、そして楽しくてたまらなかった。 一方、アンドレア王国内では小麦が豊作で、小麦の値段が大暴落していた。 そこでアバルト侯爵は農民たちへの救済にと、値下がりして行き場のない国中の小麦を買い取り、海の向こうの国に売りつけることにした。 オシュクール公国の貴族の仲立ちのおかげで商談は成立し、アバルト侯爵領は更なる富を得たと思われた。 しかし、その帰路のことだった。 船乗りの一人が事もあろうか魔力暴走を起し、あろうことか近くを航行していた貿易船を巻き込んで、交易品と小麦の代価を載せたまま船が沈んでしまった。 残されたのは莫大な借金だけだった。 幸いなことに、領地の差し押さえは免れたが、賠償のために屋敷のあらゆる奢侈品はあり得ないほどの安値で売却されていった。 ドレスや宝石に囲まれてお姫様のように暮らしていたアルティシアは、日々貧しくなる家の様子に怯えていた。 最後に手元に残ったのは、片手程の普段着用のドレスと、王宮に上がる際の礼服、申し訳程度の装飾品だけだった。 これから社交界で注目されようとしていた17歳の少女には耐え難い事だった。 だが、7つ下の弟のリオンは漸く基礎学習が終わり、跡取りとして専門的な学習を始めるところで、これから教育にも金のかかる時期だ。 アルティシアはわがままを言うでもなく、じっと我慢しながら父の領地の運営の手伝いを覚えようと、気持
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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53.日記2

 オレリオ・カルロ・フィン・エスクード=ランクーザーという男は、精悍な顔つきなのに笑うと柔和になり、頭の回転が速く気遣いに長けていた。 魔力も国内でも有数の魔力量を誇り、王室からの覚えもめでたいという、物語から出てきたような男だった。 その為、社交界でも人気が高く、女性達の話題の殆どはどうすればオレリオの心を射止める事ができるのかという話だった。 アルティシアもその話はよく聞いていたが、父であるアバルト侯爵から毎日のように「例えどれだけ完璧な男性であろうと、オレリオ卿だけはだめだ。近付く事も許さない」と言われ続けていた為、敢えて姿すら見ないように気を付けていた。 それでも、いつかの王宮で開かれた夜会で一度だけ遠目に見かけた事がある。 均整の取れた逞しい体躯に、よく通る笑い声。 顔はよく見えないが、友人の公女達が素敵だと言っていたのできっと素敵な人なのだろう。 その程度の印象だった。  だが、自分達が窮地に立たされたその時に、エスクード侯爵の名代としてやってきたオレリオ卿を見たアルティシアは、心臓が止まるのではないかと思うほど驚き、オレリオ卿から目が離せなくなった。 エスクード侯爵家がアバルト侯爵家の再建を全力で支え後押しするという話は、その日のいつもより遅い晩餐の席で聞かされた。 母は安堵で涙し、アルティシアはこれでリオンが恥ずかしい思いをする事なく、安心して勉強ができることを喜び、晩餐に招待していたオレリオ卿に感謝を伝えた。「アバルト侯爵家の危機は、エスクード侯爵家の危機でもあります。それはつまり王国の危機です」 オレリオの言葉は力強く、折れかけていたアバルト侯爵家の矜持を奮い立たせるものだった。 食事の後、アルティシアとオレリオ卿は父の書斎に呼ばれた。 父の後ろをオレリオ卿と並んで歩く間、アルティシアはオレリオ卿の横顔を盗み見るのに一生懸命だった。 オレリオ卿の精悍な横顔は、アルティシアが見たどの男性よりも男らしく、そして美しいと思った。 令嬢たちが殺到するのがよくわかる。 アルティシアも父から言い聞かされていなければ、きっとほかの令嬢と同じように恋に落ちていたに違いない。いや、既に落ちていることにはまだ気付いていなかった。 書斎では、アバルト侯爵が今後の流れをアルティシアに説明しながら、齟齬がない事をオレリオ卿に確認して
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54.日記3

 1年間の婚約期間を経て、アルティシアはエスクード侯爵家に輿入れした。 婚約後、オレリオ卿は交易船の再調査を行い、瞬く間に豪商引いては公国の伯爵の悪巧みを暴き、季節が2つ過ぎる頃にはアルティシアを狙っていた伯爵たちは首だけとなり、その首も粉々に砕かれて森の奥深くに捨てられる事となった。 公国からは没収した伯爵家の財産が賠償金としてアバルト侯爵家と王室に献上され、国王はアルティシアへの慰労とオレリオ卿への功労から王宮内の神殿での結婚式を特別に許可し、王族以外で初めて王宮の神殿で結婚式を挙げた二人は、未だに貴族の憧れとして語り継がれている。 アルティシアは幸せだった。 貴族の結婚は利害が優先で愛が伴わない事は多々ある。 それでも、お互いの努力で愛情を育み、睦まじい夫婦になる事も少なくない。しかし、アルティシア達は違った。「初めて会った時、なんて美しい女性だと思った。しかしそれだけだった。だが、あの夜庭園で私の部屋を見つめる君を見て、不思議な感覚に陥ったんだ。あの美しい女性が眺めているのはどこだろう。私の部屋ならいいのにと。そしてずっと君を見ていた。君が私の部屋を見ていると確信するまで」 初夜を迎えた夜、オレリオは告白した。 アルティシアが自分の部屋を眺めているのだと確信すると、いてもたってもいられなくなり、窓を開け声を掛けてしまった。 そして、走り去ろうとするアルティシアの姿に、頭が真っ白になって、気が付くと魔力を体に纏い窓から飛び出していた。 本当は抱きしめて口付けをしたい衝動にかられた。 けど、この可憐で純粋な人にそんなことをして軽蔑されたら生きていけないだろうとオレリオは考え、留まることができた。 二人は同じ時に恋に落ちたのだ。 しかし、1年経ち、2年が過ぎ3年目が終わろうとする頃、アルティシアは妊娠の兆候がない事に不安になり始めた。 夫婦関係は良好で、オレリオはアルティシアを飽きることなく求め続けたし、アルティシアも拒む事無く応じていた。 5年が過ぎる頃になっても妊娠しないアルティシアに、アバルト侯爵は苛立ちを隠せなかった。 貴族の妻の本分は跡取りを産むこと。 ましてエスクード侯爵家とアバルト侯爵家の血を引く子供ともなれば、王族の次に尊い存在になるのだ。 その栄誉を与る機会なのに、なぜお前は子供の一人も生むことができないのだ
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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55.日記4.

 使者から手紙を受け取ったリオンは、すぐに手配を開始し、国内外からありとあらゆる情報を収集した。 領地の技術改革をするのだとの言い訳で魔導士も何人も雇い入れては、収集した情報の検証を行っていた。 おかげでアバルト侯爵領は王国一の魔導技術を有する事になったのは嬉しい副産物だった。 そうして1年が経過した頃、古のアベル王子が行った秘術ではないが、それに近いものを発見したと報告があった。 辺境の村でひっそりと言い伝えとして残されていたその魔法陣を魔導士たちが検証した結果、確かに一時的に魔力量を上げる術で間違いないとの結果がリオンの元に届けられた。 リオンはすぐに姉に魔力を飛ばした。緊急時や非常事態が起きた時の連絡手段で、伝えたい言葉を魔力に込めて相手に届けるものだ。 精密な魔力の制御を要するため、普段の通信手段には使われない。しかし、今はそんな事を言っている場合ではない。 通知を受け取ったアルティシアは、夫に適当な言い訳をつけて2日後にアバルト侯爵家に戻っていた。「術の効果は30日です。その間にご懐妊なさらなければ次の機会はないとお考え下さい」 魔導士の言葉にアルティシアは頷いた。「姉さん、待って下さい。確かに魔力量が上がることは確認しました。でも安全性についてはこれからだと報告でもお伝えしたでしょう」 リオンは、せめて誰か――奴隷か、それとも平民の協力者を探して、その者で安全性を確保しても遅くはないのではと説得した。 だが、アルティシアにそれを待つだけの余裕はなかった。 先日耳にした社交界の噂では、エスクード侯爵家にいつまでも跡取りができない事に業を煮やした国王が、オレリオに魔力の強い女性を与えようとしていると言うのだ。 今はまだのらりくらりとかわしているオレリオも、国王命令と言われれば応じないわけにはいかない。 エスクード侯爵家の直系を残すことは、侯爵家の問題だけではない。 王家とエスクード侯爵家を存続させることは、初代王と始まりの魔法使いとの間で交わされた遥か昔からの盟約でもあり、その為にエスクード侯爵家は数々の恩恵を与えられている。 特に、当代随一と呼び声も高いオレリオの魔力量を継ぐ子供は、王家からしても是が非でも欲しいものだった。 もし、それを拒否しようものなら、どうなることかは容易に想像できた。 「あの人は、私があの人
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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56.日記5

 カインは順調に大きくなっていた。 多くの貴族の例に漏れず、カインも日常の世話は乳母が行っていたが、アルティシアも時折カインに自分の乳を含ませていた。 ふわふわと綿毛のような金色の髪と、自分によく似た青い瞳を持つカインは、アルティシアが抱くと、それが母親である事を理解しているのか、その青い目をきょろきょろとさせて、アルティシアを見つめた。 その仕草の全てがアルティシアには愛しく、ひと時たりともカインを手放したくないと言っては、オレリオがカインに焼きもちを妬いてアルティシアを笑わせていた。 アルティシアもオレリオも、子供はカイン一人しか持てない事をよく理解していた。 アバルト侯爵家から戻ったあの日、アルティシアはオレリオに全てを告白した。 最初は動揺し、混乱したオレリオだが、アルティシアがそれだけ追い詰められて決断した結果だと受け入れ、アルティシアの献身に感謝した。 秋の月に差し掛かる頃、カインの様子がおかしくなった。 アルティシアと触れ合った日は決まって熱を出すようになったのだ。 同時に、アルティシアも体調を崩しがちで床に臥せる事が多くなった。 アルティシアは自分の魔力がかなり弱まっている事に気付いていた。 医師や魔導士たちの診察を受けなくてもわかった。術の反動が来たのだろうと。 あの術を受けた時、アルティシアの魔力は一時的に増えた。生命力が溢れるような感覚に陥った。 だが、術の効果が失われた時、アルティシアの体に残る魔力がほとんど消えてしまっていることを感じていたからだ。 しかし、夫を守りあまつさえ愛すべき我が子さえ授かる事ができたのだ。後悔はなった。 ――ただ、夫に伝えて彼が悲しみに沈む事が何よりも怖かった。  秋の月に入ってしばらくした頃、リオンに男の子が誕生したと報せが届いた。 アルティシアとオレリオはカインの従兄弟の誕生を喜び、溢れんばかりの贈り物を用意した。 リオンがエスクード侯爵領を訪ねてきたのは、その10日後だった。 アルティシアに行った術の魔法陣を再度解析したところ、恐ろしい事実が判明したと言う。 あの魔法陣は、単に魔力を増幅するものではなく、魂を媒介に、生命力を魔力に変えるというものだった。「つまり、命と引き換えに魔力を増幅すると言うのか」 オレリオの静かな声が部屋に響いた。血が出そうなほど握り絞め
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-08-21
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57.幼い罪

 自分がカインの命を危うくしていると知ったアルティシアは、しばらく泣き暮らした。 だが、ようやく立ち直るとオレリオに決意を話した。 それはカインの命を守るために、これからはカインには触れない事。 カインがアルティシアに近寄らないよう、冷たく接する事だった。「そんな事をすれば、下手をすれば君はカインから憎まれることになる――そんなのは僕には耐えられない」「それでも……カインの命を守るためです。もし――万が一カインが抱えきれないほどの魔力を持ち、制御を失ってしまう事があればどうなるかお判りでしょう。それに比べたら、私がカインに憎まれる事くらいどうでもありませんわ。カインが私を嫌っても、その分私がカインを愛しますから」 日記を読み進むほどに、そこにあったのはカインを想う夫人の愛だった。 イレリアは侯爵と夫人がこれほどまでに深く愛し合っていたことを知り、また同じくらいの愛をカインに注いでいたことが嬉しくて、隣に座っているカインを見た。 カインは泣いていた。 すすり泣くでもなく、声を上げるでもなく、ただ目を見開いて青い瞳から大粒の涙を静かに流していたのだ。「カイン――」「僕は――」 震える声でカインは漸く言葉を発した。「母上は僕の事が嫌いなのだとずっと思っていた。僕の顔を見れば顔を歪め、口を開けば貴族らしくするように――首都に来る時も一緒の獣車には乗ってくれず、ずっと――ずっと勘違いして母上を憎んでいた――。でも母上は僕の事を守るために、僕が近付かないよう敢えて嫌われるよう振舞っていたんだ。僕はそれが分からなかったから――」 カインは一気に言うと両手で顔を覆った。 イレリアは男の人がこうして泣くのを見たことがなかった。 なんと美しく泣くのだろうと、まるで目の前で起きている事が夢のように感じられた。そして、手を伸ばすとカインを抱きしめた。「わからなくて当然よ。子供だったんだもの」「違うんだ」 カインは優しくイレリアを引き剥がす、目を閉じ項垂れた。「母上恋しさに、夜ごと母上の寝室に行ってはその手に触れていたんだ」 幼いカインは母親がどれだけ邪険にしても、自分がいい子になれば母上は笑ってくれるはずだと、ずっと自分に言い聞かせていた。 だが、どれだけ頑張っても母は褒めるどころか、カインの不出来なところを責め立てるだけだった。 ある晩、カ
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58.変わりゆく心

 侯爵の執務室の前を通ると、灯りが漏れていた。 カインは扉を叩くと、侯爵の返事を待った。 わずかな間が開いて中から侯爵の返事が聞こえたので、カインは中に入った。 カインの泣き腫らした目を見て、侯爵は驚いて執務の手を止めると、カインの手に持たれた赤い革の装丁がされた本に目を向けた。「読んだのか――」 侯爵の問いかけにカインは無言で頷いた。 侯爵は立ち上がると入口から動かないカインの肩を抱いて、ソファに座らせると、自ら茶を用意してカインの前に出して、隣に腰を下ろした。「ここにこの酒を――垂らすとうまいんだ」 飾り棚から琥珀色の酒が入った瓶を取り出すと、ひと匙分を茶に入れると、カインに飲むように促した。 一口飲むと、茶の香りと酒の風味が口の中に広がって、カインの心は少しだけ楽になったように感じた。「――私は――ずっと勘違いをしていました。母上は私を疎い、憎んでいるのだと」「アルティシアは、お前を誰よりも愛していた」 侯爵は低く、優しい声で答えた。「なぜですか。なぜ――母上がお亡くなりになってからも隠していたんですか」「アルティシアの意思だ。お前を守る為とは言え、お前に嫌われるよう振舞い、お前を傷つけたのは変えようもない事実だ。死んだ後で許されようなど彼女は思ってはいなかった」 死した後も罪を背負うのだと、強い意志が彼女にはあったのだと、侯爵は唇を噛んだ。「それに――」 侯爵はゆっくり息を吐くとカインの手を握った。 いつも自分を包んでくれた、温かい体温がカインの心の奥にある何かをゆっくりと溶かしていくような感覚が広がる。「幼いお前には理解ができなかっただろうし、理解ができる年になればきっと、自責の念で耐えられなくなるに違いないと、アルティシアは、言っていたよ」 侯爵はカインの中に彼女の面影を見つけ、優しい目で息子を見つめた。 アルティシアは触れ合えなくとも、近くで見つめることすらかなわなくとも、それでも我が子を愛し見守っていたからこそ、カインの本質を理解していたのだなと、心の中で語りかけた。「母上は――そこまで私を愛してくださってたのですね……そして、父上も……」 カインは父の温かさに、また溢れ出る涙を止める事は出来なかった。「愛さないわけがないだろう?お前は私の息子で、アルティシアが命懸けで守った子だ」「それなのに――そ
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