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Alle Kapitel von 侯爵家の婚約者: Kapitel 31 – Kapitel 40

92 Kapitel

31.議会

 ジルダが目覚めたのは、カインの渇きが限界を迎えようとした頃だった。 部屋の暖炉は薪がくべられているが、その火は小さい。季節は冬に近付いている。 何もかけずに眠っていては風邪をひくだろうと、カインはジルダを起こさないようできるだけゆっくりと、自分にかけられていた毛布を片手で手繰り寄せ、ジルダの体に羽織らせた。 子供の頃にもあった気がする――だが、思い出そうとするといつものように頭痛が襲ってくる――そう身構えたが、不思議と頭痛は起こらなかった。 そのかわり、記憶ももやがかかったように思い出せないのだが。 その時、カインの手を握るジルダの手が小さく震え、ジルダが目を覚ました。「珍しいな。君がこんな形で眠るなんて」 目を覚ましたジルダにカインが揶揄うように声をかけると、ジルダは怒ったような顔をして、素早くカインから顔を背けた。 カインから見える耳が赤くなってるのがわかって、カインは少し嬉しくなった。「……ご無事でよかったですわ」 ひと呼吸置いてジルダはそう言うと、カインの方に顔を戻した。その顔はいつもの無表情に戻っており、カインは少しがっかりした。「魔法陣ですが、細工などはされていなかったようです」 ジルダの言葉をカインは素直に受け取った。 そもそも細工をされていたのなら、カインより魔力量が少ないエスクード侯爵が無事なわけがない。 ジルダが眠っている間に考えていた事だ。 あれは確実に僕の魔力を狙っていた。「ですが――」 ジルダは少し言い澱んだが、平坦な抑揚を心がけながら続けた。「カイン様の魔力を注ぎすぎた為、魔法陣の一部が壊れてしまったそうです」「結界は――」 ジルダの言葉にカインは慌てたが、握ったままの手をジルダがそっと強く握り直した。 優しい圧力が手から全身に広がるような気がする。「幸いな事に壊れた箇所は修復が可能で、控えていた魔道士達によってすぐに修復されました」「よかった――」 カインは心の底から安堵の溜息をついた。「魔法陣の修復は即座に行われ、結界への影響はありません。念のためフィアーノ伯及びティン=クェン卿の指揮の下、首都警護隊第三部隊で結界の調査を行っています」 貴族院の議会室で宮廷魔導士が報告を読み上げた。「――して、今回のカイン――公子の魔力暴走の原因は何だったというのか」 王が白くなった顎髭を撫
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32.認められた関係

「その処罰は甘すぎると思います」 侯爵邸に戻った侯爵と書斎のソファに侯爵と向き合ったカインは、悔しさに拳を握り締め唇を噛んだ。「お前はよくやっている。それは陛下のみならず他の貴族も認めている。今回の件は――お前のせいではないんだ」「いいえ。それでも制御を誤ったのは自分の未熟さです」 予想通りの返答に、侯爵は内心で苦笑いした。 調査の結果が出ていないが、結果的にカインの魔力で首都の結界が壊れた事は事実だ。 あの場の貴族達を納得させるために、王はカインに30日の蟄居と、60日の減給を命じるよう侯爵に伝えた。「こっちにおいで」 侯爵は優しい口調でカインに、自分の隣に来るよう促した。「ティン=クエンと口論になったって?私がちゃんとお前に言ってなかったせいだね。悪かった」 侯爵の大きくて温かい手が、カインの肩を抱いた。 子供の頃からカインが落ち込んだり、悲しんだりしているといつもこうしてくれる。「父上!違います。冷静に考えていればもっと早く気付く事ができたのに、目先しか見ていなかった私が未熟だったのです」 カインは自分の不甲斐なさに、頭が上げられなかった。 久しぶりに感じる父の温もりは、懐かしさと安堵を与えてくれる。 だが、甘えてはいけない。自分はもう大人なのだ。「お前が一人でも大丈夫だと安心しすぎていた私の落ち度だ。よく考えたら私がお前ほどの年の頃はもっと子供だった。大人になってからもアルティシアにはよく怒られたものだ」 久しぶりに聞く夫人の名前に、カインは胸の奥が熱くなるのを感じた。追慕の情ではない、黒い熱がじわりとカインの胸に広がる。 カインの肩を抱いていた温かさが、急速に失われていくのを感じた。「カイン――今までお前を一人にしていた私を許してくれるか」 侯爵の言葉にカインは我に返り、侯爵の胸から顔を上げた。「父上の責任ではありません。私の未熟さが招いた結果です。父上は私を信頼して任せて下さっていただけじゃないですか」 カインは、身じろぎして侯爵に向き合うと、自分の肩に置かれていた手を握り、その甲に口付けした。「それに――私は父上に謝らねばなりません」「例の女性の事か」 侯爵は優しい表情を変えず、しかし目の奥は冷静な光で頷くカインを見つめた。 カインとて、侯爵がイレリアの話を聞いていないわけがない事はわかっていた。
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33.間違い

「蟄居……ですか」 侯爵家のサロンで、ジルダはカインの手を相変わらず優しく握っていた。「ああ。正直、もっと重い罰でもよかったんだがな」 カインは、握られた手をじっと見ながら、昨夜侯爵から言われた罰について、ジルダに報告していた。「夜会はこれまで通りロメオに頼んでくれ」「私もお断りしておきますわ。寒いのは嫌ですし」 そういえば、ジルダは冬が苦手だったなと、カインは思い出した。 まだ秋の月だと言うのに、少し厚めの毛織物の上掛けを羽織っているところを見ると、今年の冬は早く冷え込むかもしれない。 確か、フェリスの毛皮は柔らかくて軽いから貴族の令嬢の中で人気なのだと聞いた事がある。 後でアレッツォに言っておくか。 カインはぼんやりとそんな事を考えていた。 こんなに穏やかにジルダと向き合ったのは何年ぶりだろうか――いや、そもそもどうしてあそこまでジルダを嫌悪していたのだろう。「魔力のお戻りが遅いですわ。また3日後に参りますが、ご無理をなさらないでくださいまし」 ジルダがそう言って手を離そうとしたが、ぼんやりしていたカインは咄嗟にその手を握りなおした。「カイン様?」 少しだけ眉根を寄せたものの、ジルダは静かに尋ねた。 その声に、カインはハッとして慌てて手を離した。「私の――その、私の魔力がおかしいと言っていたと、父から聞いた」 慌てて言ったが、確かに尋ねたかった事だ。 これまで、ジルダはカインの魔力を黙って吸収し、黙って帰って行くだけだった。 ルーによれば、時折草竜に魔力を与えていたそうだが。「カイン様の魔力は、2つ存在することはカイン様もご存知ですよね」 ジルダは静かに口を開いた。「ああ。あの時から感じている、黒い魔力――」「はい。その魔力が――いえ。確信が持てるようになってからお伝えしますわ」 ジルダがそう言うと、カインはそれ以上求めなかった。「では、失礼いたします」 緩んだカインの手のひらから、ジルダの手が滑るように抜け出ると、ジルダはゆっくりと部屋を出て行った。『親愛なるカイン 明日の昼食を一緒にとろう』 ロメオが来ると言う報せは、その日の午後にやってきた。 さすがに、侯爵が滞在している間は先触れを出すらしい。 カインはアレッツォに、ロメオの来訪予定を伝えると、父の書斎へと向かった。 侯爵が首都にいる間は、
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34.必要とする人

「魔力制御には問題ありません」 蟄居を言い渡されてから7日目。 カインがエスクード侯爵邸のポンプの魔法陣に魔力を入れ終えると、宮廷魔導士が感嘆の声を漏らした。「問題がないどころか、私が見た誰よりも素晴らしい精度です」 褒められて悪い気はしないが、そもそもこの実験はカインの魔力制御の能力を疑う貴族達が増えたことが原因だった。「俺は用無しのようですね」「マール。静かに」 万が一魔法陣が壊れた時の為にと、ジルダが連れてきた錬金術師のマールが呟くと、ジルダも小声で諫めた。 随分と親しいように見える。だが、シトロン伯爵家が錬金術師を雇ったという話は聞かない。 カインは少し不愉快な気持ちを抱いたが、無視した。 結界の魔法陣に細工がされていなかったのなら、カインの魔力制御に問題があったのではないかと、議会が騒ぎ出したのだ。 その結果、エスクード侯爵邸のポンプの魔法陣を使って実験することになった。 王宮を除くと、首都で最も大きな邸宅であるエスクード邸のポンプであれば、空の状態から魔力を満たすまで一刻半はかかる。 その間、一定の魔力を注ぎ続けるのだ。熟練の魔導士でも骨が折れる。 それを、たかだか17歳のカインがいとも簡単にして見せたのだ。とても魔力制御に問題があるとは言えない。  魔導士がエスクード侯爵邸を後にすると、ジルダもマールを連れて帰って行った。 茶を用意させていたが、声を掛ける隙もなかった。 帰る時もジルダは、マールを自分の獣車に乗せて行った。 シトロン伯爵がジルダに獣車など与えられるだけの財力はない。 婚約が決まったと同時にエスクード侯爵から贈られた獣車だった。 使用人を一緒に乗せる事もある。だが、あいつは少なくともジルダの使用人でないことだけは確かなのだ。 あの男の態度を見るに、ジルダとの関係は短くはないだろう。 だが、ジルダが恋人を作るとは思えないし、ましてやその男をカインの前に連れてくるとも考えられない。 どうでもいいじゃないか。彼女のことなど。 カインは考えを振り切ると、父の書斎を訪ねた。「もう戻られるのですか」 カインが扉を開けると、侯爵は既に身支度を済ませていた。「ああ。議会に出て、そのまま領地に戻る」 いつもの優しい父の声だ。「次の結果への魔力は、魔導士が行うことになっている。次に来るのは――そう
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35.冬支度

 ぱちぱちと薪が爆ぜる音を聞きながら、イレリアは暖炉の炎を見つめていた。 初めて暖炉に火が入った日、イレリアはひどく驚いた。 焚火なら遠くで見た事があったが、暖炉の中で炎が燃えるのを見るのは初めてだったからだ。  本格的な冬が来る前に、イレリアの部屋の冬支度をする為に女中達が、なにやら重たそうなものを運び込んできた。 鉄でできた籠に、透かし彫りが美しい真鍮の小さな衝立、白いふかふかとした毛皮だった。 イレリアがソファに座っていると、女中たちは手慣れた様子で暖炉の中に籠を設置した。 そして、暖炉の前に毛皮を敷くと、その上に真鍮の小さな衝立を置いていった。「これは火の粉が飛ばないようにする衝立だ。薪が爆ぜると火の粉が舞うからね」 夜に来たカインが教えてくれた。 暖炉など薬師のところにもなかった。小さな窯があり、冬はその周りで暖を取っていた程度だ。 イレリアが暖炉を初めて見ることを察したカインは、ゆっくりと立ち上がり、暖炉の脇に積み上げられた薪をいくつか火籠に放り込んだ。 そして、暖炉の上に置かれた小箱から小さな紙きれを取り出すと、魔力を流し込んだ。「これは火のスクロールだよ。使用人達は着火のスクロールって呼んでいる」 カインの魔力を得たスクロールは、勢いよく燃えて薪の中に投げ込まれた。 よく乾燥した薪は勢いよく燃え始めた。「カイン!そこは窯じゃないのよ!」 イレリアが驚くのを、カインは素直に可愛いと思った。「よく見てごらん。薪は籠の中で燃えてるから家には燃え移らないさ」 ソファに戻ると、イレリアの肩を抱き締めた。 完全に薪に火がつくと、透かし彫りの衝立が炎で赤く照らされて美しかった。 ぱちんと音を立てて薪が爆ぜると、イレリアは驚いたが、次第にカインの肩に頭をもたげ、安全で温かい炎に魅入られるように眺めていた。 冬支度は暖炉だけではなかった。 イレリアの元には、カインと侯爵から山のように贈り物が届けられた。 温かい綿の部屋着、毛皮の室内履き、毛皮の寝具に柔らかくて暖かい毛布。それに毛皮で縁取られた手袋と上掛け――「素晴らしいものばかりですわ。お嬢様は本当に侯爵さまとお坊ちゃまから愛されておいでですわ」 贈り物を整理しながら、女中が感嘆の溜息漏らした。 イレリアは贈り物をひとつひとつ手に取ると、これまで見た事もないほど
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36.嫉妬

 冬が深まった頃、イレリアは侯爵家のサロンでカインと向き合ってお茶の時間を楽しんでいた。「元々君の所作はひどくなかったけど、最近は見違えるように美しくなったね」 カインはイレリアの所作の美しさをため息交じりに褒め称えた。 事実、イレリアの所作はジルダには及ばないものの、一般的な貴族の令嬢と比べても遜色がないと思われた。「薬師になると、商人や貴族ともお茶をする機会があるからと、師匠に教えられていたの――」 恥ずかしそうにイレリアが頬を赤らめた。 すっかり貧民街に戻りたいと言わなくなったイレリアの口から、久しぶりに薬師の名を聞いて、カインは一瞬身構えた。 しかし、イレリアの口から貧民街に関する言葉はそれ以上出てこなかった。 カインは安堵したが、同時になぜ貧民街の薬師が商人や貴族に招かれるのなどと思ったのか、疑問が頭をよぎった。 薬師は沢山いる。貴族ともなれば、お抱えの薬師の2人や3人はいるものだ。 それをわざわざ貧民街の薬師などを呼ぶことがあるのだろうか。 カインの顔が曇ったのを見て、自分に里心が芽生えてカインが不安がっていると思ったイレリアは「今はカインの傍にいることが私の望みよ」と言ってカインの手に自分の手を重ねた。 その温もりにカインは心が満たされる気がして、イレリアの手を強く握り返した。「君がいてくれることだけが、僕の人生の救いだよ」 カインの言葉は甘くイレリアの胸に染み渡る。だが、すぐにイレリアは顔を曇らせた。「どうしたんだ?」 イレリアの視線は、カインの手に注がれている。 この手は、さっきまで別の女の手を握っていたのだ――いや、違う。あれは単なる役目で、カインの命を救うための大事なことだ。 だが、イレリアの心はざわついていた。「シトロン公女さまの魔力吸収は触れ合わなくても行えるのよね?」 掠れた声だったことに、自分でも驚いている。「イレリア?」「私、見たの。あなたとシトロン公女さまが手を繋いているところを。魔力吸収の為だというのはわかってる――でも、あの魔力暴走の日、シトロン公女はあなたの魔力を触れる事無く吸収したって言ってたじゃない」 一気にまくし立てるイレリアに、カインは困惑した。 彼女がジルダに対して、遠慮以外の感情を見せる事は初めてだったから。「イレリア。不安にさせてすまない」 カインは、イレリア
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37.春の月

 春の月はカインが生まれた月であり、首都での社交シーズンの幕開けでもあった。 エスクード侯爵家ではカインの成人の祝いの準備で慌ただしかった。 この成人の儀によってカインはエスクード侯爵家の正式な後継者と名乗りをあげ、貴族社会の一員となる。 首都の貴族達はカインの成人の祝いで、彼がだれをエスコートするのか噂していた。 当然、婚約者のジルダだろう――いや、侯爵家が後見をしている娘の披露目にはこの日こそふさわしいのではないか――口さがない貴族たちの噂はとどまることを知らなかった。「結局、領地には戻っていないんだって?」 わざわざ駐屯所にやってきたロメオは、カインの顔を見るなり言った。 相変わらず暇な男だと、カインは溜息をついたが、久しぶりに見る親友の顔に顔が綻ぶのを隠せなかった。「蟄居の間にたまっていた仕事が多くてな。父上もご理解くださった」 実際、エスクード侯爵はカインがあれやこれやと理由を付けて領地に戻らないことについて、何も言わなかった。 そりゃそうだ。ご自身だって毎年冬の月は領地に引きこもってるんだ。「けど、そろそろジルダとの結婚について決めないといけないことも多いだろ」 ロメオの言葉はカインを素直に苛立たせた。「ジルダと父上が進めるだろ。あの二人は時々実の息子の僕よりも親子のようだからな」「なるほどねぇ――」 ロメオが意味ありげに、にやりとしたがカインは無視した。「屋敷での舞踏会の準備もある。今年は僕の成人の披露目もあるから忙しかったんだよ。――本当だ」「確かにね。我が家でも母上が未だにドレスをどうするか悩んでらっしゃるよ。主役は僕だってのにね」「叔母さまはお美しいんだから何を着てもお似合いだとお伝えしてやれ」「僕と父上が何千回もお伝えしているさ」 ロメオが肩をすくめると、二人は顔を見合わせて笑い合った。「で――どっちをエスコートするんだ?」 一息つくと、ロメオが尋ねた。「君までそれか」 執務机に戻って仕事を続けようとしたカインは、うんざりした口調でロメオをにらんだ。「実際、貴族の間ではこの話題で持ちきりさ。うちの母上もカインがイレリア嬢を選ぶんじゃないかとほぼ確信しているくらいだ」 ロメオの言葉にカインはわざとらしく大きな溜息をついた。「叔母さままで――」 カインは溜息をつきながら天を仰いだ。 ジルダ
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38.春の宴

 春の月の初めに開催される侯爵家の舞踏会は、社交界シーズンの始まりを告げるものであり、貴族であれば誰しもが憧れるものだった。 屋敷の半分はあろうかという広間に、貴族達がひしめき合っている。 だが、今年はいつもと様子が違う。「アバルト侯爵家――ロメオ・アバルト卿」 名読みと共に現れたアバルト侯爵家の嫡男が、見たこともない美しい女性をエスコートして会場に入ってきたのだ。 カインとどこかよく似た面持ちのロメオが連れている女性は、青から緑へと混ざり合うよう染められたドレスに、金糸の刺繍がこれでもかと施された飾り袖を引きずるように、ロメオ隣に立っている。 18歳の今まで、婚約はおろか恋人の噂さえなかったアバルト公子が連れている女性は、登場の瞬間から貴族達の注目を集めた。「あんな美しいご令嬢、いらっしゃったかしら」「まて、名読みがされなかったぞ――つまり」 貴族達の囁く声が、ロメオ達の耳にも届いていた。 名読みがされない――つまり、平民なのだ。 侯爵家の嫡男が平民をパートナーに選ぶなどあり得ない。 だが、貴族達じゃその理由をすぐに理解した。 アバルト公子の隣に立つ子の女性こそ、エスクード公子と騎士隊を救った貧民街の薬師見習いなのだと。 二人は階段の踊り場に立つと、揃って恭しく礼をした。 その所作の美しさに、会場は感嘆の溜息を漏らした。「ここまでは上々だねぇ」 頭をあげながら、ロメオはイレリアの顔を見る事もなく笑った。 イレリアは返事をする余裕もなく、教えられた通りに階段を降りる事に集中していた。「エスクード侯爵家――カイン・エスクード卿、シトロン伯爵家――ジルダ・シトロン嬢」 主役の名読みに招待客は皆現実に引き戻されたように、階段を見上げた。 礼服を着たカインの横に、カインの瞳の色のドレスを着たジルダが立っている。 せめてドレスに見劣りしないようにと、ジルダの侍女が準備にやたらと力を入れていたが、意味がない事をジルダは知っていた。 だが、まさかロメオのエスコートでイレリアを紹介するとは―― 考えれば正当だった。 イレリアはエスクード侯爵家の後見を受けている。その女性がカイン以外にエスコートされるならロメオ以外いないのだ。 だが、ロメオもティン=クエンもイレリアとの接触を断っていた為、ジルダはこのことを想定から外していた。 
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39.舞踏会

 イレリアはカインの姿を見て安心で泣きそうになったが、カインの笑顔が「泣いてはだめだ」と言っているように見えて、何とかこらえることができた。「カイン――私、私……」「大丈夫。僕を見て。ほら、これは僕たちが好きな曲だよ」 カインが耳元で囁き、イレリアは耳を音楽へと集中させた。 確かに旋律の中に、二人が好きでよく踊った曲が見えてきた。「僕に合わせて――」 そこからは魔法のような時間だった。 さっきまでまるで知らない曲だったのが、カインのリードで二人が好んで練習した曲へと表情を変えた。 曲に合わせて軽快なステップを踏む。カインの手が次は右、次は左とイレリアをリードし、カインがイレリアを抱き上げる。 イレリアとカインは、周りに人がいる事も忘れて軽やかに、のびやかに踊っていた。 そして、それはここに集まった招待客の目にも、奇跡と映ったのだった。「ご覧になりまして?公子が微笑んでいらっしゃるわ」「お相手のイレリア嬢もお美しくて――まるで神話の絵画を見ているようですわ」 貴族たちは口々にカインとイレリアを褒め称え、同時にジルダに憐みの眼差しを向けた。 だが、ジルダは静かに壁際に立ち踊っている人たちを眺めている。「ジルダ――よかったら僕と踊らないかい」 ロメオがジルダに右手を差し出し、ジルダはその右手をじっと見つめた。 そして、少し考えた後ロメオの手を取ると二人はホールへ歩き出した。「エスコートの件はカインに頼まれたんだ。だがドレスの事は聞いていない」 ジルダの腰に手を当てながら、ロメオはジルダに懸命に釈明した。「あなたが止めたところで聞くような人ではないわ。――それより」「ああ。やはりカインはどこかおかしい」 ロメオの言葉にジルダは静かに頷いた。「魔力吸収の時に何か異変を感じたりは?」「いいえ――この頃は魔力も安定しているし――おかしいのは性格だけね」 ジルダが横目でカインとイレリアが踊っているのを見ると、ロメオも頷いた。「僕が知っているカインは恋愛なんかに溺れるような奴じゃなかった。――もっとも、奴が誰かを好きになったのなんて一人しか知らないんだけどね」 ロメオは含みを持たせた言い方をしたが、ジルダは静かに無視した。「溺れたとしても自分のお立場を忘れるような人ではなくてよ」 だから尚更ジルダ達にはカインの変化が分からな
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40.侍女と侍従

 舞踏会の翌日、侯爵の言った通り、イレリアの元に二人の使用人が寄越された。 侍女のアリッサと侍従のヨルジュだった。「私なんかのためにここまでしてくださっていいのかしら」「イレリアさまは侯爵家にとってそれほどの存在ですから」 イレリアが溜息を漏らすと、すかさずアリッサが答えた。「侯爵家の後見を得るということは、社交界でも中心になるお方と言うことです。夜会や、茶会などの貴婦人に集まりにもお呼ばれすることになりますから、そういった身の回りのお世話をお手伝いするのが、わたくしどもの仕事ですわ」 侍女のアリッサが言う通り、舞踏会以降イレリアにの元にはこれまで以上に貴族からの招待状が届けられるようになった。 社交シーズンと言う事もあり、首都に滞在している貴族は多く、ヨルジュやアリッサが目を通すだけでも1日が終わる量だった。 イレリアは、侍女という存在自体は聞いた事があったが、それが何をする人なのかは教師から教えられた程度でしか知らなかった。 女中のように粗末なエプロン姿ではなく、イレリアが着るものよりも格段に質は落ちるが、上品で質素なドレスを着ているところを見ると、貴族の出身なのだろうか。「いいえ。イレリアさま。わたくしは平民の生まれです。マッケナー子爵家で子爵夫人の侍女を勤めさせていただいておりましたが、侯爵閣下のご要望でイレリアさまのお世話をさせていただくことになりました」 アリッサがそう言うと、イレリアは驚いた。 平民でも侍女なることは多い。だが、それは大抵が貴族の生活を真似する金持ちの平民に雇われるだけで、貴族の屋敷で働ける者は数少ないのだ。 貴族の侍女になるには、身元が確かな上に、貴族の生活やしきたりを十分に理解していないといけない。 だから、貴族の侍女は貴族の女性が就く仕事なのだと、教師は言っていた。 イレリアは、アリッサが平民の出と言う事だけを汲み取り、少しだけ不機嫌になった。 侯爵はイレリアが平民だから、侍女も平民の者にしたのだろう。 舞踏会でも感じたが、侯爵は自分を認めていないのだと悔しさが広がったが、すぐに笑顔を作った。「侯爵さまのお心遣いには感謝してもたりないわ。これからよろしくね」 教育を受け、貴族社会への披露目も済ませたイレリアの笑顔は、堂々たる貴族令嬢のそれだった。 磨き上げられた美しさに、アリッサとヨルジュ
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