All Chapters of 元夫の目は節穴?名門令嬢が電撃再婚!: Chapter 261 - Chapter 270

533 Chapters

第261話

絃葉が凪杜の車へ乗り込むと、エンジンがかかり、車は夜の街へ走り出した。車内には重苦しい沈黙が漂っていた。やがて凪杜が、わずかな疲労と悲哀をにじませた低い声で話し始める。「実は最近......誰かに狙われている気がするんだ」絃葉の心に、わずかな波紋が広がった。「というと?」「会社の事業は何をやってもうまくいかない。融資を受ける道も、ほとんどすべて閉ざされた。そのうえ、今夜のようなわけの分からない女性問題まで起きた......」凪杜は自嘲気味に笑った。「何もかも、偶然にしては出来すぎている」「それで?」絃葉の口調は淡々としていた。凪杜は横を向き、燃えるような眼差しを彼女へ向けた。「今の苦境を乗り越えるには、絃葉の力が必要なんだ。俺のところへ戻ってきてほしい。5年前、二人でゼロから会社を立ち上げたときのように、もう一度一緒にこの危機を乗り越えてくれ」凪杜は深く息を吸った。まるで重い荷物をようやく下ろしたかのように、その口調にはすべてを懸ける覚悟が込められていた。「君さえ戻ってきてくれるなら、会社の全株式も、俺名義の不動産も車も、すべて君に譲る。ほかにも条件があるなら、何でも言ってくれ。どんな条件でも受け入れるから!」それを聞いた絃葉の唇に、ごく淡く冷たい笑みが浮かんだ。「ようやく形だけの役職じゃなくて、本物の株式を差し出す気になったのね?」凪杜の顔に、気まずそうな表情がよぎった。「すまない。以前の俺は......考えが足りなかった。誰に裏切られることがあっても、君だけは絶対に俺を裏切らないと思い込んでいたんだ。それでも俺は......今でも、絃葉のことは信じてるよ」絃葉は何気なく窓の外へ目を向けた。見慣れた街並みが、後方へ流れるように遠ざかっていく。その瞬間、進んでいる方向が違うことに気づいた。「どこへ連れていくつもり?」絃葉は振り向き、問い詰めた。「俺たちの家だ」凪杜は当然のように答えた。その声には、反論を許さない確信がある。「絃葉、澤木グループは俺たち二人が心血を注いで育ててきた会社だ。それが潰れるのを、本当に黙って見ていられるのか?」野々花の醜態を嫌というほど見せつけられた今、凪杜はこれまでになくはっきりと理解していた。自分が必要としている女性も、自分
Read more

第262話

凪杜は自ら、温かい飲み物を運んできた。「夕食ができるまでもう少しかかるから、先にこれで小腹を満たしておいて」あまりにも甲斐甲斐しく世話を焼かれても、絃葉にはかえって他人行儀にしか感じられなかった。「話があるんじゃなかったの?」「急がなくていい。あとで部屋に戻って、ゆっくり話そう。今日は何より、母さんが君に会いたがってたんだ」凪杜が言い終えるや否や、藤子は絃葉の手を両手で強く握りしめ、涙ながらに訴えた。「ねえ、絃葉。夫婦の縁は、長い年月をかけてようやく結ばれるものなのよ。5年も夫婦として暮らしてきたのに、そう簡単に縁を切れるものじゃないでしょう?凪杜がひどいことをしたのは分かってる。でも、澤木家が嫁と認めるのはあなただけよ。あなたさえ戻ってきてくれるなら、あの子をこの家から追い出したっていいわ」病気を患ってから、藤子はすっかり老け込み、やつれていた。白髪も目立つようになり、今も心の底から訴えかけているように見えたが、その目は絃葉の反応を一瞬たりとも逃すまいと、じっと見つめていた。今さら向けられる「愛情」を、絃葉は滑稽にしか思えなかった。彼女は藤子の手を振りほどき、横へ身をずらして距離を取ると、冷ややかな声で告げた。「藤子さん、昔よくしていただいたことは覚えています。でも、ここまで来て情に訴えても無駄です。偽造された婚姻届、婚外子、長年にわたる浮気......都合の悪い部分に触れないようにしたところで、なかったことにはできません。話があるなら、はっきり言ってください」ここまで率直に言われるとは思わなかったのか、藤子は言葉に詰まり、気まずそうな表情を浮かべた。「ええ......凪杜のことならもう、何度叱ったか......!」それでも諦め切れず、再び身を寄せて絃葉の手首をつかもうとしながら、恐る恐る尋ねる。「でも、絃葉はあんなに凪杜のことを愛していたじゃない......このままだとあの子の人生は壊れてしまうわ......今もすっかり憔悴して、会社まで潰れかけてるのよ?ねえ、絃葉。凪杜はもう、自分の過ちを悔いてるわ。この老婆の顔に免じて、もう一度だけ機会を与えてくれない?私......土下座して謝るから!」そう言い終わらないうちに、藤子は本当に音を立てて絃葉の前へひざまずいた。絃葉は驚き、反射的に腰をかがめて助け
Read more

第263話

「凪杜!開けろ!」門の外から、千晶のはっきりとした声が聞こえてきた。凪杜はびくりと身をこわばらせ、すぐさま振り返ると、早くナイフを置くよう焦った目で藤子に合図した。どうにか平静を取り戻し、足早に門へ向かう。絃葉はすかさずその隙を突き、彼のあとについて外へ出ようとした。この機会に逃げられるかもしれないと思ったのだ。ところが、藤子のほうが一枚上手だった。果物ナイフを音を立ててローテーブルへ投げ出すと、すぐさま絃葉に飛びつき、両手で彼女の腕をがっちりとつかんだ。「絃葉!お願いだから帰らないで!伊藤さんがもう料理を作ってくれてるの。もうすぐできるから、せめて食事をしてから帰って。ね?」少しでも手を緩めれば逃げられてしまうとでもいうように、藤子は絃葉の腕を強く握りしめた。その瞬間、絃葉の胸に、生理的ともいえる強烈な嫌悪感が込み上げた。確かに昔の藤子は、絃葉にとても親切だった。だが、そこには年長者としての慎みと品位があり、今のように体面も何もかも捨て、なりふり構わずつきまとうようなことは決してなかった。――この一家は......本当にもう後がなくて、何が何でも自分にすがりつくつもり?絃葉は冷え切った気持ちで、心の中につぶやいた。そのとき、凪杜が門を開け、乾いた声を漏らした。「え?千晶に......景......?二人とも......どうしてここに?」――景?その名前を耳にした瞬間、絃葉はほとんど反射的に顔を上げ、食い入るように門の外へ目を向けた。千晶は、すっきりとした黒のカジュアルウェアに身を包み、気楽な様子で門の前に立っていた。そして、その隣には――滑らかに落ちる上質なキャメル色のカシミヤコートに、ダークカラーのタートルネックを合わせた景が立っていた。仕立てのよいスラックスがすらりとした長身を引き立て、足元のクラシックな革靴も相まって、落ち着きと気品に満ちた佇まいを見せている。静かで圧倒的な存在感を放つ彼の姿は、気楽な装いの千晶とはまるで対照的だった。千晶は意味ありげに笑い、親しい友人らしい気安い口調で言った。「景はお前の家を知らないから、わざわざ俺が案内してきたんだ。何だよ、歓迎してくれないのか?」我に返った凪杜は、慌てて門を大きく開けた。「そんなわけ......もちろん歓迎
Read more

第264話

真っ先に我に返ったのは藤子だった。慌ててあとを追い、再び絃葉の腕を力いっぱいつかむ。「絃葉、今のは嘘でしょ?!私たちをだましてるだけなのよね?あんなにあなたを信じて、澤木家の嫁として大切にしてきたのに......こんな短い間に、どうしてほかの男なんか作れたの?凪杜を許せない気持ちは分かってる。あなたがどれほどつらかったかも、全部分かってるわ。戻ってきてくれさえすれば、うちは何だってする。でも、ほかの男に心変わりしたとなれば、話は別よ。絃葉、よく考えることよ......!別の人と再婚したって、私みたいにあなたを気遣ってくれる姑に出会えるとは限らないのよ。絃葉、結婚は恋愛とは違うの。お母さんの言うことを聞いて、その人についていくのは駄目よ!」藤子は泣きながら、ひたすら絃葉を引き止め続けた。その悲嘆に暮れた姿は、まるで最愛の人を奪われようとしているのが彼女自身であるかのようだった。絃葉はその手を振りほどこうとしたが、藤子は決して離れようとせず、しつこく彼女にしがみついていた。その様子を見た景の目が、瞬く間に冷たくなる。彼はスマホを取り出し、画面を数回操作した。次の瞬間、ボディーガード二人が相次いで庭へ入ってくると、まっすぐ藤子のもとへ向かった。二人は左右から藤子の腕を取り、絃葉から引き離すと、丁重な態度を崩さないまま、半ば強引に彼女をソファまで運んだ。景は凪杜を冷ややかに一瞥した。そして彼の目の前で、絃葉の腰へ腕を回して軽々と抱き上げると、迷いのない足取りで庭をあとにした。凪杜がようやく我に返ったのは、そのときだった。景の腕の中に安心した様子で身を預ける絃葉を見た瞬間、胸の真ん中を銃で撃ち抜かれたような衝撃が走った。よろめきながら二人を追いかけ、無意識にもう一度引き止めようとする。しかし、千晶が凪杜の前へ立ちはだかり、首を横に振った。「もう追うな。せめて最後くらい、お互いにみっともない姿をさらさずに終わらせよう」凪杜はぴたりと足を止めた。激痛の走る胸を強く押さえ、全身を震わせる。立っていることさえできなくなり、千晶に支えられた。「で、でも絃葉は......絃葉は俺の......」支離滅裂な言葉を漏らしながら、後悔の涙をこらえ切れずに流した。千晶は深くため息をつき、誰もいなくなった門
Read more

第265話

藤子は雛を守る親鳥のように凪杜の前へ立ちはだかり、鋭い目で野々花をにらみつけた。野々花はその平手打ちでよろめき、数歩後退した末、地面へ激しく尻もちをついた。見る間に腫れ上がり、指の跡まで残った頬を押さえながら、信じられない様子で藤子を見上げる。「どうして......?凪杜は那乃葉まで捨てると言ったのに......私を殴るんですか!?」「殴られて当然よ!」藤子は憎々しげに彼女をにらみつけた。「あなたさえいなければ、澤木家がこんなことにはならなかった!」藤子は勢いよく袖をまくり上げると、凪杜へ向き直り、断固とした口調で命じた。「二人とも今すぐ役所へ行きなさい!今日中に絶対離婚するのよ!たとえ絃葉が戻ってこなくても、円藤野々花を澤木家の嫁として迎えるつもりはないわ!」すると、野々花は突然静かになり、その顔に不気味な笑みを浮かべた。ゆっくりと口元の血を拭いながら言う。「離婚?いいですよ。凪杜から10億円。そしてあのマンションも私名義にしてもらいます。条件をのんでくれるなら、すぐに署名しますよ」「10億ですって!?夢でも見てなさい!」藤子は怒りで全身を震わせ、凪杜の胸を何度も激しく叩いた。「全部あなたが招いたことよ!あのとき絃葉ときちんと結婚していれば、こんなことにはならなかったのに!」怒りに任せて強く地団駄を踏むと、憤然と屋敷の中へ戻っていった。藤子が悔しがる姿を見て、野々花の胸には不思議なほどの快感が込み上げた。挑発的な目を凪杜へ向ける。「本当に離婚したいなら、私の条件をのんで。でなきゃ、諦めることね!私は死んでも離婚しないから!」そう言い放つと、那乃葉を立たせ、勝ち誇ったように屋敷の中へ入っていった。伊藤がすでに食卓いっぱいに料理を並べているのを目にすると、野々花はさっそく女主人然とした態度を取り、那乃葉を連れて席に着いた。「伊藤」悠然とした口調で命じる。「この魚、味が薄すぎるわ。下げて作り直して。唐辛子をもっと入れてちょうだい。私は辛いものが好きなの」伊藤は腹立たしそうに野々花をにらみ、魚の皿を持ってキッチンへ入っていった。そんな野々花の態度を見て、藤子の怒りはますます燃え上がった。勢いよく食卓へ駆け寄ると、並べられていた料理をテーブルごとすべて床へひっくり返した。
Read more

第266話

「君は、ますますきれいになったな」景が低い声で言った。絃葉はわずかに目を見開く。「え?」彼の視線を正面から受け止め、こう説明した。「今日は少しメイクが濃かったかしら」景は首を横に振った。「メイクじゃない。顔色がどんどんよくなってる」「ここの照明のおかげじゃない?」景はもう一度、首を横に振った。「それも違う。もう一度考えてみて。どうしてだと思う?」絃葉は答えに詰まった。「え......本当に分からないよ」景の口元が緩み、淡い笑みが広がった。「運命の相手に出会えたからだ。雨に潤う花のように」「潤う」という言葉には、どこか意味深で艶めいた響きがあった。絃葉は無意識に、ほのかに熱を帯びた頬へ手を添えた。「そうかしら?」「ああ」景の口調は確信に満ちていた。その瞳に宿る熱に耐え切れず、絃葉は思わず視線をそらした。そのとき、景がスーツの内ポケットからベルベットの箱を取り出した。節の美しい指で蓋を軽く押さえ、落ち着いた優雅な仕草で絃葉の前へ差し出す。「これは?」絃葉が興味深そうに尋ねた。「京城で買ってきた、君への土産だ」絃葉は少し驚いた。「出張だけだったのに、お土産まで買ってきてくれたの?」景の笑みが深くなる。「ああ」絃葉が箱を開けると、中には緑色の四つ葉のクローバーをあしらったブレスレットが、静かに収められていた。精巧で華やかなデザインだった。彼女はブレスレットを手首につけた。結婚指輪ともよく調和している。「すてき......私が四つ葉のクローバーを好きだって、どうして知ってたの?」景はわずかに唇を引き結んだ。「君の日記には、飾りとして四つ葉のクローバーがたくさん描かれていたから......四つ葉のクローバーは幸運の象徴だと、君が言っていただろう?」絃葉は移ろう光の下で、自分の手首をじっくり眺めた。「ええ。ありがとう、きれいなブレスレットを贈ってくれて......」柔らかな光が、白くほっそりとした手首の上を流れていた。ブレスレットが彼女の手首を美しく見せているのか、それとも彼女の手首がブレスレットにさらなる輝きを与えているのか分からないほど、目を奪われる美しさだった。景は、彼女の口元に浮かぶかすかな笑みを見つめ、深い満足感
Read more

第267話

車はそのまま走り続け、マンションの前に到着した。絃葉はまだ目を覚まさなかった。景は身をかがめると、壊れものを扱うかのように、細心の注意を払いながら彼女を優しく抱き上げた。車内では、運転手の山田と佳樹が、絃葉を抱いてエレベーターへ向かう景の後ろ姿を見送っていた。佳樹は、すべてを悟ったように口元を緩める。「山田さん、長年あの人を見てきて、女性をこんなに大切に扱う姿を見たことある?」山田は即座に首を横に振った。「一度もないな。女性の影があまりにもなさすぎて......例の噂は本当なんじゃないかと疑ったことすらあるくらいだ」佳樹は両手を広げ、気楽な口調で言った。「これで、ようやく私への疑いも晴れましたよね?」山田はからかうような表情を浮かべた。「ああ。これで確信できた。お前たちは本当に何の関係もなかったんだな」佳樹は鋭くにらみ返し、整った顔をわずかに赤らめた。「本当に何を考えてるんです。たとえ好みがどれだけ変わってたって、実の従兄に手を出すわけないじゃないですか」――景は、絃葉を広々としたベッドへそっと寝かせた。絃葉は無意識に寝返りを打ち、唇をわずかに尖らせると、自然な仕草で景の腰へ腕を回した。景の呼吸が一瞬止まる。目を覚ましたのかと思い、低い声で呼びかけた。「絃葉?」返ってきたのは、規則正しく穏やかな寝息だけだった。絃葉は深く眠っている。そのとき、突然スマホの着信音が鳴った。景はすぐに音を消した。しばらく彼女を静かに見つめてから、腰に回された腕を少しずつ慎重にほどき、丁寧に布団を掛け直した。絃葉はそのまま昏々と眠り続け、夜の十時を過ぎて、ようやく目を覚ました。ちょうど国際電話会議を終えた景が、寝室のドアを開けて入ってくる。「起こしたか?」絃葉は起き上がり、眠たげな目をこすった。「ううん、ちょうど目が覚めたところ。今、何時?」「夜10時過ぎだ」景は彼女のそばへ歩み寄った。「腹は減ってるなら、何か作って――」絃葉はまだ少しぼんやりした様子で、首を横に振った。「大丈夫。それより、シャワーを浴びたい」目覚めたばかりの戸惑いを浮かべながら、部屋を見回す。「ここは......あなたの家?」「ああ」景はそう答えると、そのままバスルームへ
Read more

第268話

景の視線は指先の動きに合わせ、絃葉の白く美しい鎖骨からゆっくりと下へ移り、胸元のかすかな膨らみをなぞるように通り過ぎた。瞳の色は次第に深みを増し、喉仏が音もなく上下する。指先が触れるか触れないかの距離で肌をかすめるたび、絃葉の体に小さな震えが走った。景は最後のボタンまで几帳面に留め終えると、シャツの裾から伸びる、白くまっすぐな長い脚へ目を向けた。想像をかき立てるその姿をしばらく見つめたあと、不意に顔を上げて尋ねる。「ワルツは踊れるか?」絃葉はわずかに目を見開いた。「ええ」景は部屋の隅へ向かい、レトロな蓄音機のスイッチを入れた。絃葉に背を向けたその肩は広く、背筋もまっすぐに伸びていた。冷静で落ち着いた佇まいからは、何の動揺も感じられない。絃葉は、首元まで隙間なくボタンを留められたシャツを見下ろした。なぜか、わずかな敗北感が胸に湧き上がる。やがて、優雅なワルツの旋律が室内を満たした。深みのある落ち着いた音色からは、持ち主の並外れた趣味のよさがうかがえた。景は何かを思いついたように、今度は酒棚へ向かった。年代物のヘネシーを取り出し、琥珀色の酒を優美なデザインのグラス二つへ注ぐ。さらに製氷機から氷を取り出し、静かにグラスの中へ落とした。二つのグラスを手に彼女へ歩み寄る景の瞳は、奥深く揺らめき、激しい何かを必死に抑え込んでいるようだった。仕草は相変わらず端正で隙がない。それでも、目には見えないほのかな甘い熱が、いつしか室内に漂い始めていた。景は、いつだって余裕を失わず、ゆっくりと事を進める。絃葉は彼からグラスを受け取ると、明かりにかざして独特な形を眺めた。眉をわずかに上げ、からかうような笑みを浮かべる。「認めざるを得ないけれど、景のセンスは本当に一流よ」景は微笑み、片手を優雅に差し出してダンスへ誘った。「いい酒には、美しい女性がよく似合う」絃葉は彼の肩へ手を置いた。次の瞬間、景が持つグラスが彼女の唇へ差し出される。促されるまま、絃葉は一口だけ含んだ。氷で和らいだ刺激的な酒が喉を滑り落ち、胸から腹へ熱いぬくもりを広げていく。ほろ酔いになった絃葉は裸足のまま景の足の甲へそっと乗り、彼に導かれるまま、揺れる光の中でゆっくりと体を揺らした。「うまい?」「うん
Read more

第269話

翌朝、絃葉が目を覚ましたときには、すでに朝8時を回っていた。彼女はまだ景の腕の中にいて、彼に背を向けて眠っていた。そっと寝返りを打つと、彫りが深く凛々しい景の顔が目に入る。景は男性の中では色白なほうだったが、絃葉と比べると、やはりわずかに肌の色が濃かった。清潔感のある端正な顔の顎には、たった一晩でうっすらと青いひげが生えている。絃葉は頬杖をつき、静かに彼の寝顔を眺めた。手首のブレスレットが、朝の光を受けて柔らかく輝いている。そのとき、景が目を開けた。絃葉が自分を見つめていることに気づくと、ごく自然に彼女の頬へ軽く口づける。「今日も休み?」絃葉は前回の「激しい朝」を思い出し、すぐに首を横に振った。「だめよ。今日は蒼生さんと会議をして、今後の計画を話し合わないと。最近、健二が慌ただしく動いているから、警戒しておく必要があるわ」「そうか」景は絃葉の手を取り、自分の手のひらで優しく包み込んだ。「俺に手伝ってほしいことや、意見を聞きたいことはあるか?」絃葉は少し考えた。「あるわ。蒼生さんから渡された計画書に、計算ロジックが複雑なところがいくつかあるの。整理するのを手伝ってほしい」景の口元に淡い笑みが浮かんだ。「分かった。なら起きよう」彼は迷いのない動きで起き上がると、あっという間に服を着て、腕時計を身につけた。それは、絃葉が彼に贈った時計だった。季節は次第に寒さを増していたが、室内は24時間、一定の温度に保たれている。景はいつもの黒いスラックスに黒いシャツを合わせ、流れるような仕草で腕時計をはめた。その佇まいには、成功した男ならではの落ち着きと風格が漂っていた。絃葉は体を支えながらベッドの上に起き上がった。腰にわずかなだるさが残っていたものの、前回よりはずっとましで、十分耐えられる程度だった。彼女は景の腕時計を満足そうに眺めた。「もうつけてくれたの?」景はうなずいた。「ああ。ほかの時計は全部しまった。これからは、これだけを使う予定だ」絃葉は続いて、彼が着ている黒いシャツを指さした。「そのシャツ、昨日の夜に私が着たものだから、別のものに......」景は眉を上げ、彼女の言葉を遮った。「いや、君の香りが残っているほうがいい」絃葉の頬がわずかに熱を帯びた。
Read more

第270話

景の低い声は筋道が通っていて分かりやすく、絃葉は一気に視界が開けたような気持ちになり、慌ててノートに要点を書き留めた。静かに時間が流れ、いつの間にか二人の体勢は入れ替わっていた。景が椅子に深く腰掛け、絃葉は彼の膝の上に寄りかかっている。絃葉には馴染みの薄かった専門用語や複雑なロジックも、景の簡潔で的確な説明を聞けば、すっきりと理解できた。景は変わらず真剣に解説を続けていた。絃葉にとっては難解なビジネス用語も、彼の口からは呼吸をするように自然に、淀みなく次々と出てくる。しかし、絃葉の意識は少しずつ別のところへ向かい始めた。退屈なプレゼン資料の画面から、上下する彼の喉仏へ、そしてくっきりとした顎の輪郭へと視線を滑らせ、最後には深い瞳と艶やかな黒髪へ行き着いた。ふと思いついた絃葉は、いたずらっぽく冷えた指先を彼のシャツの裾から忍び込ませ、引き締まった腹筋へそっと触れた。景の喉仏が大きく上下する。目を伏せ、ようやくデータやグラフから腕の中の女性へ視線を移した。服の上からその落ち着きのない手を押さえ、低く、少し困ったような声で尋ねる。「もう集中力が切れたのか?」「ふふ......」絃葉は教師に見つかった生徒のように、いたずらっぽく笑った。「手が冷たいから......温めさせて」景は困ったような、それでいて甘やかすような表情を浮かべると、シャツで彼女の手をさらにしっかりと包み込んだ。「わかった。おとなしく温めていろ。もうすぐ説明が終わる」絃葉はすぐに背筋を伸ばし、わざと真面目な顔を作った。「かしこまりました、築山先生」景は思わず笑い、彼女の鼻先を軽くつついた。「真面目に聞け。このあたりは、会議で詳しく追及される可能性があるんだ」それから説明を再開し、10分ほど経つ頃には、絃葉も完全に理解できていた。彼女が無意識に手を引き抜こうとすると、景の温かな手のひらが、逃がさないように上から強く押さえつけた。「では、今の説明に沿って整理してみろ。今度は俺が『集中を切らす』番だ」次の瞬間、絃葉は手のひらの下にある熱と変化をはっきりと感じ取り、胸を大きく高鳴らせた。慌てて離れようとしたが、景はすでに細い腰をつかみ、彼女の向きを変えて、自分と向かい合うように跨がらせていた――二人は飽きるこ
Read more
PREV
1
...
2526272829
...
54
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status