All Chapters of 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています: Chapter 141 - Chapter 150

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当たり前の景色

 湯気の立つ鍋を囲みながら、二人で夕食を取る。 今日の献立は、卵とじうどんだった。 食欲がない時でも食べやすいようにと、佳苗なりに考えた一品だ。「味、薄くないですか?」 佳苗がおそるおそる尋ねる。 雄吾はうどんを一口すすり、ゆっくりと飲み込んだ。「ちょうどいい」 その一言に、佳苗は胸を撫で下ろす。「良かった」 雄吾は箸を置き、佳苗を見た。「お前」「はい?」「昔からこうだったのか」「何がですか?」「人の世話を焼くのが好きなのか」 思いがけない問いだった。 佳苗は少し考える。「好き……なんでしょうか」 自分でもよく分からない。 ただ。 困っている人を見ると放っておけない。 それだけだ。「昔は」 佳苗は箸を持つ手を止めた。「家族のために何かするのは当たり前だと思っていました」 朝早く起きて朝食を作ることも。 洗濯も掃除も。 節約も。 全部、妻だから当然だと思っていた。 感謝されなくても。 気付かれなくても。 そういうものだと、自分に言い聞かせていた。「でも」 佳苗は少し笑った。「今は少し違います」 雄吾は黙って続きを待っている。「先輩が『ありがとう』って言ってくれるから」 その一言で十分だった。 誰かのためにしたことが。 ちゃんと届いている。 そう思えるだけで嬉しかった。 雄吾は照れくさそうに視線を逸らす。「礼くらい言うだろ」「悟さんは、あまり言いませんでした」 その言葉が出た瞬間。 佳苗は「あっ」と小さく声を漏らした。
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思わぬ残業

 翌週の金曜日。 佳苗は時計を見上げ、小さく肩を落とした。 午後六時半。 普段ならもう帰り支度をしている時間だった。「ごめん、佳苗さん」 課長が申し訳なさそうに近づいてくる。「この書類、今日中に確認だけお願いできる?」「はい、大丈夫です」 佳苗は笑顔で頷いた。 入社してまだ日が浅い。 頼ってもらえるのは嬉しかった。 急いで資料を確認し、入力を終える。 気が付けば七時半を回っていた。「終わりました」「助かったよ。ありがとう」 課長に礼を言われ、佳苗はほっと息をつく。 会社を出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。「遅くなっちゃった……」 スマートフォンを見る。 雄吾からメッセージが届いていた。『まだ会社か』 短い一文。 佳苗は少しだけ頬を緩める。『今終わりました。これから帰ります』 送信すると、すぐに返信が返ってきた。『駅にいる』 佳苗は思わず立ち止まった。「え?」 駅にいる。 その意味を理解するまで数秒かかった。 急いで改札へ向かう。 人混みの向こうに、見慣れた姿があった。 雄吾は柱にもたれ、スマートフォンを見ている。 佳苗に気付くと顔を上げた。「先輩?」 思わず駆け寄る。「どうしたんですか?」「迎え」 あまりにも簡潔な答えだった。 佳苗は目を丸くする。「迎えって……」「今日は遅いだろ」 それだけだった。 佳苗は胸の奥がじんわりと温かくなる。「連絡してくれれば良かったのに」「仕事中だろ」
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変わらない朝

 その夜。 買ってもらったプリンを食べながら、佳苗は何度も思い返していた。 駅まで迎えに来てくれたこと。 何も聞かずにプリンを買ってくれたこと。 どちらも雄吾にとっては大したことではないのだろう。 だからこそ困る。 何気ない優しさだから。 余計に心へ残ってしまう。「何笑ってる」 食器を洗いながら、雄吾が振り返った。 佳苗ははっとする。「え?」「さっきから」 言われて初めて気付いた。 自分は笑っていたらしい。「そんなに美味しかったか」 佳苗は照れ隠しにプリンの空を見つめた。「……美味しかったです」 嘘ではない。 でも、それだけじゃなかった。 雄吾は「そうか」とだけ言って洗い物を続ける。 佳苗はその背中を見つめ、小さく笑った。 本当に。 敵わない人だ。 翌朝。 目を覚ますと、キッチンから香ばしい匂いが漂ってきた。 佳苗は寝ぼけ眼のままリビングへ向かう。「おはようございます」「ああ、おはよう」 雄吾はエプロン姿でフライパンを振っていた。 佳苗は目を丸くする。「先輩?」「何だ」「もう料理してるんですか?」「熱は下がった」 そう言って味噌汁の火を止める。 確かに顔色も昨日よりずっといい。 佳苗はほっと胸を撫で下ろした。「良かった……」 思わず本音が漏れる。 雄吾は苦笑した。「そんなに心配だったか」「当たり前です」 佳苗は即答してしまう。 その瞬間、自分でも少し言い過ぎたと思った。 慌てて視線を逸らす。
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休日の約束

 朝食を終えたあと、佳苗は食器を流しへ運んだ。「洗い物は私がやります」「いや」 雄吾は立ち上がり、食器を一枚受け取る。「今日は半分ずつだ」「半分ずつ?」「ああ」 そう言うと、ごく自然な手つきで洗い始めた。 佳苗は思わず笑ってしまう。「それ、子どもみたいですよ」「公平だろ」「そうですけど」 結局、二人で並んで洗い物をすることになった。 食器を洗う雄吾。 佳苗は隣で拭いていく。 たまに手が触れそうになって、お互い少しだけ譲り合う。「すみません」「いや」 そんな短いやり取りが何度か続き、最後の皿を棚へ戻した。「終わりましたね」「ああ」 佳苗がエプロンを外した、その時だった。「そういえば」 雄吾が思い出したように口を開く。「来週の日曜、空いてるか」 佳苗は振り返る。「来週ですか?」「ああ」 少し考える。 資格試験まではまだ少し時間がある。 会社の予定もない。「空いてます」 そう答えると、雄吾は小さく頷いた。「なら出掛けるぞ」 また説明がない。 佳苗は思わず笑った。「今度は教えてくれないんですか?」「秘密だ」「またですか」「前も文句を言ってたな」「だって、本当に何も教えてくれないじゃないですか」 佳苗が少しだけ頬を膨らませると、雄吾は珍しく声を立てて笑った。「その顔」「え?」「前はしなかった」 佳苗はきょとんとする。「そうですか?」「ああ」 雄吾は頷いた。「前のお前は、遠慮ばかりしてた」
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楽しい休日

 翌週の日曜日。 佳苗は約束の時間より少し早く支度を終え、リビングへ向かった。 雄吾はすでにソファへ座り、スマートフォンを眺めている。「お待たせしました」「ああ」 雄吾は立ち上がった。「行くか」「今日は教えてくれるんですか?」「昨日言っただろ」「食べる、だけですよね」「十分だ」 佳苗は苦笑する。 結局、今日も目的地は分からないままだった。 二人は電車へ乗り、三十分ほど揺られる。 降り立った駅は休日らしく、多くの人で賑わっていた。「ここは……」「商店街だ」 雄吾が歩き出す。 アーケードの下には食べ歩きのできる店がずらりと並んでいた。 焼き小籠包。 メンチカツ。 フルーツ飴。 焼きたてのクッキー。 甘い匂いと香ばしい匂いが入り混じっている。「すごい……」 佳苗は思わず辺りを見回した。「こういうところ、初めてです」「そうか」 雄吾はどこか満足そうだった。「まずはこれ」 そう言って買ってきたのは、熱々の焼き小籠包だった。「気を付けろ」「はい」 佳苗は一口かじる。「熱っ」 思わず目を丸くすると、中から肉汁が溢れ出した。「おいしい……!」 雄吾はその様子を見て小さく笑う。「予想どおりだ」「先輩!」「そんなに嬉しそうな顔するとは思わなかった」 佳苗は少し頬を膨らませる。 けれど嬉しくて仕方がない。 二人はゆっくり商店街を歩いた。 気になる店があれば立ち止まり、少しずつ買って分け合う。「
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お姉ちゃんだけ

「……恵」 佳苗は思わず妹の名前を呼んだ。 最後に会った離婚協議の日よりも、恵はやつれて見えた。 丁寧に整えていたはずの髪は少し乱れ、目の下には薄く隈が浮かんでいる。 それでも佳苗を見つめる瞳だけは、鋭く揺れていた。「久しぶり」 佳苗は努めて穏やかに声を掛ける。 恵は返事をしない。 代わりに視線を雄吾へ向けた。 雄吾も無言で軽く会釈をする。 恵はその二人を何度も見比べた。「そうなんだ」 ぽつりと呟く。「今度はこの人なの?」 佳苗は小さく眉を寄せた。「違うよ」「何が違うの?」 恵は乾いた笑いを漏らす。「一緒に出掛けて、笑って、ご飯食べて」 商店街を見回しながら言葉を続けた。「どう見てもデートじゃない」「恵」「お姉ちゃんって、本当にずるいよね」 その一言に、佳苗は息を呑んだ。「私は全部なくなったのに」 恵の声が少し震える。「悟さんにも出て行けって言われて、お金もなくて、仕事もうまくいかなくて」 唇を噛み締める。「なのに、お姉ちゃんは新しい男の人と楽しそうに笑ってる」 恵は佳苗を睨みつけた。「どうしていつもお姉ちゃんばっかりなの?」 通りを歩く人たちが、何事かと足を緩める。 佳苗は静かに息を吸った。 以前なら。 きっと謝っていた。 自分が悪くなくても、「ごめんね」と言っていた。 でも――。「恵」 佳苗はまっすぐ妹を見つめる。 その声は驚くほど落ち着いていた。「私は、あなたから何かを奪ったことはないよ」 恵の肩がぴくりと震える。「悟さんを選んだのは、あなた」 佳苗は
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もう戻らない

 商店街をしばらく歩いても、佳苗は何も話せなかった。 さっきまで聞こえていた人々の笑い声も、どこか遠く感じる。 胸の奥が少しだけ重かった。「……すみません」 ぽつりと呟く。 雄吾が足を止めた。「何がだ」「せっかくのお休みだったのに」 佳苗は俯く。「嫌な思いをさせてしまいました」 雄吾は少しだけ眉をひそめた。「違うだろ」 佳苗が顔を上げる。「悪いのはお前じゃない」 短い言葉だった。 けれど、その一言だけで胸の奥の重さが少し軽くなる。「でも……」「気にするな」 雄吾はそれ以上何も言わなかった。 慰めるような言葉も。 恵を責めるような言葉も。 ただ、佳苗の歩幅に合わせて歩いてくれる。 その優しさが、今はありがたかった。 商店街を抜けると、小さな公園が見えてきた。 ベンチが空いている。「少し休むか」 佳苗は小さく頷いた。 二人で腰を下ろす。 風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが静かに響いていた。「驚きました」 しばらくして佳苗が口を開く。「私、あんなふうに恵へ言い返したこと、一度もなかったので」 思い返してもそうだった。 子どもの頃から。 恵が泣けば譲った。 恵が欲しいと言えば我慢した。 母もいつも言っていた。『お姉ちゃんなんだから』 その言葉を疑ったことはなかった。「今日は違ったな」 雄吾が静かに言う。 佳苗は少し照れたように笑った。「先輩がいたからかもしれません」「俺は何もしてない」「そんなことありません」
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守られるだけじゃなく

 公園を出る頃には、すっかり日が傾いていた。 西日に照らされた街並みが、淡い茜色に染まっている。 佳苗は雄吾の隣を歩きながら、小さく息を吐いた。 少し前まで胸を締めつけていた重苦しさは、もうほとんど残っていない。「先輩」「ん?」「今日は、本当にごめんなさい」 もう一度だけ謝る。 今度は、恵のことではなく。 せっかくの休日に水を差してしまったことが申し訳なかった。 雄吾は歩きながら小さく首を振る。「謝る話じゃない」「でも」「佳苗」 名前を呼ばれ、佳苗は顔を上げた。「今日は、お前がちゃんと自分の言葉で話した」 雄吾は前を向いたまま続ける。「それだけで十分だ」 佳苗は胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。 褒めてもらえた。 認めてもらえた。 それが嬉しかった。「私……」 言葉を探すように空を見上げる。「昔は、恵に何を言われても言い返せませんでした」 雄吾は何も言わない。 静かに耳を傾けている。「傷つけたくなかったんです」 妹だから。 家族だから。 嫌われたくなかった。 だから、自分が我慢すればいいと思っていた。「でも今日は違いました」 佳苗は少し笑う。「傷つけるためじゃなくて、自分を守るために話せた気がします」 その言葉に、雄吾はゆっくり頷いた。「それでいい」 短い一言だった。 けれど、その一言が佳苗の背中をそっと押してくれた。 駅へ向かう途中、小さな横断歩道で信号を待つ。 赤信号。 夕方の風が頬を撫でる。「佳苗」 雄吾が不意に口を開いた。「もう一つだ
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届いた知らせ

 その日の夜。 佳苗は自室の机に向かい、資格試験の参考書を開いていた。 ページをめくる手は動いている。 けれど、頭にはあまり入ってこない。 今日の出来事を思い出してしまうからだ。 恵のこと。 雄吾の言葉。『一人で抱え込むな』 あの一言が、何度も胸の中で繰り返される。 昔の自分なら、きっと誰にも話さなかった。 泣きたくても笑って。 苦しくても平気なふりをしていた。 でも今は違う。 誰かに頼ってもいいのだと、少しだけ思えるようになった。 その時、スマートフォンが震えた。 画面には『三浦弁護士』の文字が表示されている。「はい、佳苗です」『夜分に失礼いたします。三浦です』 落ち着いた女性の声が聞こえた。『少しご報告したいことがありまして、お電話しました』 佳苗は自然と背筋を伸ばす。「何かあったんですか?」『本日、相手方代理人から回答がありました』 三浦は穏やかな口調で続ける。『先方も、こちらが提示している条件を受け入れる方向で調整を進めたいとのことです』 佳苗は思わず息を呑んだ。『もちろん、正式な合意は次回の離婚協議になります』 一拍置いてから、三浦は続ける。『ですが、このまま双方の認識に大きな食い違いがなければ、次回で協議を終えられる可能性が高いと考えています』「……本当ですか」 小さな声が漏れた。『はい』 三浦の返事は落ち着いていた。『最後まで何があるかは分かりませんので断言はできませんが、ようやく出口が見えてきました』 佳苗はゆっくり目を閉じる。 長かった。 本当に長かった。 家を出た日。 泣きながら履歴書を書いた日。 初
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前日の夜

 離婚協議の前日。 佳苗は仕事を終え、まっすぐマンションへ帰ってきた。「ただいまです」「おかえり」 リビングから雄吾の声が返ってくる。 いつもと変わらない。 その何気ないやり取りに、少しだけ肩の力が抜けた。 夕食を終えたあと、佳苗は自室で明日の持ち物を確認していた。 バッグの中には、三浦から送られてきた資料。 身分証。 印鑑。 ハンカチ。 何度確認しても落ち着かない。「忘れ物はないよね……」 小さく呟いた、その時だった。 コンコン、とドアが鳴る。「佳苗」 雄吾だった。「はい」 ドアを開けると、雄吾は湯気の立つマグカップを差し出した。「温かいものでも飲め」 カモミールティーだった。 ふわりと優しい香りが漂う。「ありがとうございます」 佳苗は受け取り、小さく笑う。「緊張してる顔してるぞ」 図星だった。 佳苗は苦笑する。「分かります?」「ああ」 雄吾は壁にもたれながら言った。「明日のことを考えてるんだろ」 佳苗は静かに頷く。「怖くはないんです」 言葉を選びながら続ける。「でも……何だか落ち着かなくて」 明日で終わるかもしれない。 そう思うと、胸の奥がそわそわする。 嬉しいのとも違う。 不安とも少し違う。 長く抱えてきた荷物を、ようやく下ろせる。 そんな日の前夜だった。 雄吾は黙って佳苗の話を聞いていた。「先輩」「ん?」「私、ちゃんと笑って終われますかね」 思わず本音がこぼれる。
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