All Chapters of 夫の子を産まされ、妹の身代わりとして死んだ私――今世では冷徹CEOに執着されています: Chapter 1 - Chapter 10

27 Chapters

私は、代理母だった

「……っ、はぁ……ぁっ……!」 全身を引き裂かれるような痛みに、藤倉佳苗は汗で濡れたシーツを握り締めた。 眩しい手術灯。鼻を刺す消毒液の匂い。何度も響く機械音。 苦しい。 息ができない。「もう少しです! 頑張ってください!」 医師の声が遠い。 お腹の奥が裂けるように熱い。 それでも佳苗は必死に意識を繋いだ。(赤ちゃん……) やっと会える。 悟との子供。 愛する夫との、大切な命。 その一心だけで耐えていた。 けれど次の瞬間、医師たちの声色が変わった。「血圧低下!」「出血が止まりません!」「急げ!」 視界がぐらりと揺れる。 寒い。 急激に体温が奪われていく。「佳苗さん! しっかりしてください!」 誰かが叫んでいる。 でも、もう指一本動かせなかった。(やだ……)(まだ、赤ちゃんを抱いてない……) 涙が滲む。 そのときだった。 病室の外から、聞き慣れた声がした。「……本当に、佳苗は助からないのか?」 悟だ。 夫の声。 だがその声に、佳苗を心配する色はなかった。 ぞくり、と背筋が冷える。「仕方ないじゃない。もともと体弱かったし」 続いて聞こえたのは、妹――坂井恵の声。 どうして恵がここに……? ぼんやりした頭で考えた瞬間、二人の会話が耳に飛び込んできた。「でも、これでやっと私たち本当の家族になれるのね」「……ああ」 悟が安堵したように笑う。「正直、佳苗には感謝してるよ。代理母としては完璧だった」 ――だいりぼ? 意味が分からなかった。 佳苗の思考は止まる。「お姉ちゃんって昔から私に逆らえないもんねぇ。妊活頑張ろうって言ったら、あんなに嬉しそうにして」 恵がくすくす笑った。「不妊の私の代わりに産んでくれるなんて、本当に便利なお姉ちゃん」 ……なに、を。 言っているの。 耳鳴りがする。 視界が滲む。「まあ、死んじゃったのは想定外だけど。でももう役目は終わったし」「だな。子供さえ無事なら問題ない」 悟の声は、驚くほど冷たかった。「佳苗も、自分の子を俺たちに育ててもらえるなら本望だろ」 二人が笑う。 楽しそうに。 幸せそうに。 その笑い声が、佳苗の心をぐちゃぐちゃに引き裂いた。(……うそ)(そんな……)(私は……) 愛されていたんじゃなかったの? 赤ちゃん
last updateLast Updated : 2026-05-17
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もう騙されない

「佳苗? 本当にどうしたんだよ」 怪訝そうな顔で、悟がこちらを見る。 その優しげな声に、佳苗は思わず身を強張らせた。 前世でも、この男はこんな顔をしていた。 穏やかで、頼れて、優しくて。 だから信じてしまったのだ。 まさか裏で妹と不倫し、自分を“代理母”として利用していたなんて、夢にも思わなかった。「顔色悪いぞ。熱でもある?」 悟が立ち上がり、額に触れようと手を伸ばしてくる。「っ……!」 佳苗は反射的にその手を振り払った。 ぱしん、と乾いた音が響く。 悟が目を見開いた。「……佳苗?」 しまった、と思った。 前世の記憶が蘇ったとはいえ、今の悟はまだ“何も知らない夫”の顔をしている。 だが、触れられるだけで吐き気がした。「ご、ごめんなさい……少し気分が悪くて」 佳苗は俯きながら言い訳をする。 心臓が嫌なほど早く脈打っていた。 落ち着かなければ。 今ここで感情的になってはいけない。 まずは状況を整理するべきだ。 スマホの日付は、一年前だった。 つまり、自分は妊娠前に戻っている。 まだ何も始まっていない。 ――やり直せる。 その事実に、佳苗はぎゅっと拳を握った。「本当に大丈夫か?」「ええ……少し疲れてるだけ」「なら今日は休めよ。夕飯も適当でいいから」 そう言って悟はソファに座り直す。 まるで気遣う夫。 だがその姿すら、今の佳苗には恐ろしく見えた。 ピロン。 再びスマホが鳴る。 悟は素早く画面を伏せた。 けれど佳苗は、今度こそ見逃さなかった。『恵♡』 胸がずきりと痛む。 ハート付き。 そこまでしていたの。 前世の自分は、本当に何も見えていなかった。「……仕事関係じゃなかったの?」 静かに問うと、悟の肩がぴくりと揺れた。「え?」「さっき、仕事の連絡って言ってたから」「ああ……いや、ちょっと相談受けてて」 目が泳いでいる。 嘘をつく時の癖だ。 前世では気づかなかった小さな違和感が、今は痛いほど分かる。「恵から?」「っ……なんで」 悟が一瞬言葉に詰まる。 図星だった。「別に。ただ、見えたから」 佳苗は淡々と答えた。 すると悟は露骨に不機嫌そうな顔をした。「スマホ覗くとか感じ悪いぞ」 ――ああ。 やっぱり。 前世と同じだ。 自分が悪いように話をすり替える。 
last updateLast Updated : 2026-05-17
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置いていかれる側

「……今、泣いてるのか?」 低く静かな声が耳に落ちる。 その一言だけで、張り詰めていた感情が崩れそうになった。 佳苗は慌てて口元を押さえた。「な、泣いてません」『嘘が下手だな、お前は昔から』 昔から。 その言葉に、大学時代の記憶が蘇る。 榊原雄吾。 成績優秀、容姿端麗、誰にも媚びない孤高の男。 学生の頃から有名だった。 近寄りがたい人だったのに、なぜか佳苗にはよく話しかけてきた。『また他人の仕事押し付けられてるのか』『断れないのか、お前は』 呆れたように言いながら、結局いつも助けてくれた。 けれど卒業後は一度も会っていない。 それなのに、どうして今。「どうして、この番号……」『大学の時のままだったからな』「え?」『ずっと消してなかった』 佳苗は言葉を失った。 ずっと? 七年以上も? 困惑していると、雄吾が淡々と続ける。『……お前、結婚してから連絡先変えてないだろ』「……はい」『不用心だな』 低い声。 なのにどこか安堵したような響きが混じっていた。「でも、急にどうしたんですか?」『近くに来た』「近く?」『だから電話した』 相変わらず説明が足りない。 大学時代からそうだった。 必要最低限しか喋らない。 それなのに、なぜか存在感だけは圧倒的だった。「……ふふ」 思わず笑みが漏れる。 久しぶりに、自然に笑った気がした。 すると電話の向こうが静かになる。『……やっと笑ったな』 その声音があまりにも優しくて、佳苗は胸が苦しくなった。 どうして。 どうして、この人だけ。 昔からこんなふうに優しいのだろう。『何かあったのか』「え……?」『お前が泣く時は、大抵ろくでもないことがあった時だ』 見透かされたようで、佳苗は息を呑む。 悟のこと。 恵のこと。 前世で死んだこと。 全部話してしまいたくなる。 でも、言えるわけがなかった。 頭がおかしいと思われるだけだ。「……なんでもありません」『そうか』 短い返事。 追及はしてこない。 けれどその沈黙が逆に苦しかった。『藤倉』「はい」『困ったら連絡しろ』 佳苗は目を瞬いた。「え……」『お前は昔から、一人で抱え込みすぎる』 低い声が静かに響く。『助けを求めるのは下手なくせに、限界まで我慢する』 胸が熱くなる
last updateLast Updated : 2026-05-17
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やっと捕まえた

 恵が帰ったあとも、佳苗はしばらく動けなかった。 心臓が嫌なほど脈打っている。 あの目。 一瞬だけ見せた、冷たい視線。 前世では最後まで気づかなかった。 恵はずっと、自分から奪うことを楽しんでいたのだ。「……っ」 佳苗は唇を噛み締める。 怖い。 けれど、それ以上に悔しかった。 どうして自分は、あんな人たちのために命まで懸けてしまったのだろう。 テーブルの上に置かれた結婚写真が目に入る。 幸せそうに笑う自分。 悟の腕に寄り添って、未来を信じ切っていた頃の自分。 ――滑稽。 佳苗は震える手で写真立てを伏せた。 もう戻れない。 戻りたくもない。 今度こそ終わらせる。 佳苗はクローゼットを開け、小さなキャリーケースを引っ張り出した。 最低限の服。 通帳。 印鑑。 保険証。 手が震える。 本当に出て行くの? この家を? 悟の妻でいることを、やめるの? 不安が押し寄せる。 けれど同時に、胸の奥で何かが叫んでいた。(逃げなきゃ)(今逃げなきゃ、また殺される) その恐怖が、佳苗を動かした。 荷物を詰め終えた頃には、もう夜になっていた。 リビングからは悟の笑い声が聞こえる。 電話だ。 相手はきっと恵。 楽しそうだった。 佳苗は静かに目を閉じる。 前世では、その声を聞くだけで幸せだったのに。 今はただ寒気しかしない。 机に便箋を置く。『少し距離を置きたいです』 たった一文。 本当は言いたいことなんて山ほどあった。 どうして裏切ったの。 どうして私を利用したの。 どうして笑っていられるの。 でも今はまだ駄目だ。 感情的になれば、きっとまた丸め込まれる。 佳苗は便箋を置き、静かに玄関へ向かった。 ドアノブに手をかけた、その瞬間。「……どこ行くんだ?」 背後から声がした。 佳苗の身体が凍りつく。 振り返ると、悟が廊下に立っていた。 スマホを片手に、不機嫌そうな顔をしている。「そんな荷物持って」「……少し、実家に」「は?」 悟の眉間に皺が寄る。「急に何言ってんの?」「少し一人になりたくて」「意味分かんないんだけど」 苛立った声。 前世でも、悟は自分の思い通りにならないとこういう顔をした。「佳苗、最近本当に変だぞ?」「……そうかもね」「は?」「でも、やっと気
last updateLast Updated : 2026-05-17
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逃がすつもりはない

「やっと捕まえた」 耳元で囁かれた低い声に、佳苗の心臓が大きく跳ねた。 捕まえた。 その言葉は、優しいのにどこか危険だった。「榊原、先輩……?」 佳苗が戸惑う中、雄吾は佳苗の手首を掴んだまま、ゆっくり顔を上げる。 その視線の先には、こちらへ歩いてくる悟がいた。「佳苗!」 苛立った声。 悟は佳苗を見るなり、露骨に顔をしかめた。「何やってんだよ」 だが次の瞬間、雄吾の姿に気づき、動きが止まる。「……誰?」 警戒した声音。 雄吾は答えない。 ただ静かに佳苗の前へ立った。 庇うように。 その背中の広さに、佳苗は息を呑む。「佳苗、こっち来い」 悟が手を伸ばす。 反射的に佳苗の肩が震えた。 すると雄吾の目がすっと細くなる。「触るな」 低い声だった。 けれど空気が一瞬で張り詰める。 悟もそれを感じたのか、眉をひそめる。「……は?」「聞こえなかったか」 雄吾は冷たく言い放った。「その手で、もうこいつに触るな」 佳苗は目を見開く。 悟の顔が引きつった。「何なんだよ、あんた」「榊原雄吾」 短く名乗る。 その瞬間、悟の表情が変わった。「榊原……って、まさか」 知らないはずがない。 榊原グループ。 国内有数の巨大企業。 若くしてグループを掌握した冷徹CEO――それが榊原雄吾だ。「……なんでそんな人が佳苗と」 悟の声に焦りが混じる。 佳苗自身も同じ気持ちだった。 どうして。 どうしてこの人が、自分なんかに。「関係ないだろ」 雄吾は淡々と言った。「今は俺が話している」 その圧に、悟が一瞬言葉を失う。 けれどすぐに苛立ったように舌打ちした。「佳苗、帰るぞ」「……帰りません」 自分でも驚くほど、はっきりした声だった。 悟が目を見開く。「は?」「今日は帰りたくない」「何ガキみたいなこと言って――」「嫌なの」 佳苗は震える手を握り締めた。「今、あなたと一緒にいたくない」 空気が凍る。 悟は信じられないものを見るような顔をした。「……佳苗、お前」 そのとき。 雄吾が佳苗の肩を引き寄せた。 ふわり、と高級な香水の香りがする。「話は終わりか?」「っ……!」 悟の顔が歪む。 自分の妻が他の男に触れられている。 それが気に食わないのだろう。 ――どの口が。 佳苗は胸
last updateLast Updated : 2026-05-17
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監視されていた女

 もう二度と、お前をあいつらのところへ戻したりしない。 その言葉が、佳苗の胸に重く落ちる。「……どうして」 気づけば口にしていた。 雄吾が視線を向ける。「どうして、そこまでしてくれるんですか」 本当に分からなかった。 大学時代、少し関わりがあっただけ。 卒業後は一度も会っていない。 それなのに、この男は突然現れて、自分を助けると言う。 しかも、まるで最初から全部知っていたみたいに。「昔世話になった」 雄吾は短く答えた。「レポート、覚えてるか」 佳苗は目を瞬く。 大学二年の頃。 雄吾が長期入院していた時期があった。 単位が危ないと聞いて、佳苗は講義ノートをまとめて渡したことがある。 ただ、それだけだ。「そんなの……大したことじゃ」「俺には大したことだった」 被せるように言われ、佳苗は黙り込む。 雄吾は窓の外を見たまま続けた。「周りは俺を怖がるか、利用しようとする奴ばかりだった」 低い声。「お前だけだった。見返りなしで近づいてきたのは」 佳苗は言葉を失う。 そんなふうに思われていたなんて、知らなかった。 当時の雄吾は孤立していた。 無愛想で近寄りがたく、いつも一人だった。 だから放っておけなかっただけ。 本当に、それだけだったのに。「……でも」 佳苗は俯く。「私は、そんな立派な人じゃありません」 むしろ逆だ。 流されてばかりで、騙されて、利用されて。 結局最後には命まで失った。「自分を過小評価するな」 即座に返ってきた声に、佳苗は顔を上げる。 雄吾は真っ直ぐこちらを見ていた。「お前は昔から、価値のない人間にばかり尽くしてる」「……っ」「だが、与えられて当然だと思う奴らが異常なだけだ」 佳苗の胸が痛む。 その通りだった。 両親も。 恵も。 悟も。 誰も、自分が傷ついていることなんて気にしなかった。「……先輩は」 佳苗は小さく呟く。「昔から、私を買いかぶりすぎです」 すると雄吾がふっと笑った。 本当にわずかだったが、その表情は驚くほど柔らかかった。「そうでもない」 その瞬間。 ブルブル、と佳苗のスマホが震えた。 画面には『悟』の文字。 佳苗の身体が強張る。 次々に通知が増えていく。『どこにいる?』『いい加減にしろ』『今すぐ帰ってこい』『あの男は誰
last updateLast Updated : 2026-05-17
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今夜だけでも、俺を頼れ

「俺は昔から、お前しか欲しくない」 低い声が耳元で響く。 佳苗は息を呑んだ。 車内の空気が熱い。 逃げ場がない。 雄吾の視線は真っ直ぐで、冗談の気配なんて微塵もなかった。「……先輩」 喉が震える。 理解が追いつかない。 昔から? ずっと? そんなはずない。 自分は特別な人間じゃない。 妹みたいに愛嬌があるわけでも、美人なわけでもない。 ただ都合よく利用されるだけの女だった。「信じられないか」 雄吾が静かに言う。 佳苗は答えられなかった。 すると雄吾は小さく息を吐き、身体を離す。「まあいい」「え……」「今すぐ答えを求める気はない」 その言葉に、佳苗は少しだけ安堵する。 けれど同時に、胸の奥が妙にざわついた。 もしこの人が本気なら。 自分はどうすればいいのだろう。 考えかけた、そのとき。 車がゆっくり停車した。「着いた」 窓の外を見て、佳苗は目を見開く。「……ホテル?」 高級ホテルだった。 都内でも有名なラグジュアリーホテル。 エントランスにはスーツ姿のスタッフが並び、夜景のような照明が輝いている。「今日はここに泊まれ」「えっ、でも……!」「家には帰れないだろ」 佳苗は言葉に詰まる。 確かに、帰りたくない。 けれど――。「お金、そんなに持ってません」「必要ない」「でも」「俺が払う」 当たり前のように言われ、佳苗は困惑した。「そんなわけには……」「じゃあ今からあの男のところへ戻るか?」「っ……」 悟の顔が脳裏に浮かぶ。 怒った顔。 冷たい目。 “代理母として完璧だった”と言った声。 佳苗の身体が小さく震えた。「……帰りません」「なら決まりだ」 雄吾はそう言って車を降りる。 佳苗は慌てて後を追った。 ホテルマンたちが一斉に頭を下げる。「お帰りなさいませ、榊原様」 その光景に、佳苗は改めて目の前の男が“別世界の人間”なのだと実感した。 エレベーターへ乗り込む。 二人きり。 静かな空間。 鏡越しに視線が合い、佳苗は慌てて目を逸らした。「……緊張してるな」「そ、それはしますよ……」「俺が怖いか?」 佳苗は一瞬黙る。 怖い。 正直、少し怖い。 この人は強引だ。 自分の知らないところで全部決めてしまう。 まるで逃がす気がないみたいに。 で
last updateLast Updated : 2026-05-17
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監視する妹

 ホテルへ入る佳苗と雄吾。 暗い夜道で撮られたはずなのに、驚くほど鮮明だった。「……どうして」 佳苗の指先が震える。 まるで誰かに見張られていたみたいだった。『ねぇお姉ちゃん』『その人、誰?』『もしかして浮気?』 次々届くメッセージ。 佳苗は顔を青ざめさせた。 浮気。 その言葉に胸が痛む。 裏切っていたのは悟たちの方なのに、なぜ自分が責められなければいけないのだろう。「見せろ」 雄吾が静かにスマホを受け取る。 メッセージ画面を見た瞬間、その目が冷えた。「……なるほど」「先輩」「撮られていたな」 低い声。 感情を押し殺したような響き。「どうしよう……」 佳苗は唇を噛む。 恵は昔からそうだった。 自分が優位に立つためなら、平気で人を陥れる。 もしこの写真を悟に見せたら。 きっと佳苗が悪者になる。「どうもしなくていい」 雄吾は淡々と言った。「だが、随分と暇な妹だな」「……っ」「姉の行動を逐一監視するほどに」 佳苗は俯く。 監視。 確かにそうだった。 昔から恵は、佳苗の持ち物も交友関係も全部把握したがった。 好きな服。 好きなお菓子。 仲の良い友達。 そして最後には、夫まで。「……昔からなんです」 ぽつりと呟く。「恵は、私のものを欲しがるんです」 雄吾が黙って続きを待つ。「小さい頃からそうでした。私が褒められると機嫌が悪くなって、欲しいって言えば、みんな恵に譲れって……」 両親はいつもそう言った。『お姉ちゃんなんだから』 その言葉で、佳苗は何度も我慢してきた。「だから私、慣れてたんです」 笑おうとして、うまく笑えない。「奪われるのが当たり前で」 すると次の瞬間。 ぐい、と腕を引かれた。「え……」 気づけば、佳苗は雄吾のすぐ目の前にいた。 近い。 心臓が跳ねる。 雄吾は鋭い目で佳苗を見下ろしていた。「訂正しろ」「……え?」「お前のものを奪っていい人間なんて存在しない」 低く、断言する声。 佳苗は息を呑む。「でも……」「お前が諦めていただけだ」 図星だった。 佳苗は反論できない。 嫌われたくなくて。 揉めたくなくて。 ずっと我慢してきた。 その結果、最後には命まで失った。「佳苗」 名前を呼ばれる。 こんなふうに真っ直ぐ名前を呼ばれた
last updateLast Updated : 2026-05-17
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妹の涙

「……恵?」 信じられなかった。 ホテルの部屋の前に立っていたのは、間違いなく妹だった。 白いワンピース。 潤んだ瞳。 いかにも“か弱い女”を演じる格好。「お姉ちゃん……!」 恵は佳苗の姿を見るなり、ほっとしたように駆け寄ってくる。 だがその瞬間。 雄吾が一歩前へ出た。「止まれ」 低い声。 恵の足がぴたりと止まる。 初めて見るタイプの男だったのだろう。 恵の表情にわずかな警戒が浮かぶ。「……あなたが榊原さん?」 すぐに柔らかい笑顔へ切り替える。「突然ごめんなさい。私、佳苗の妹なんです」「知っている」 雄吾は冷淡に返した。 空気がぴりつく。 それでも恵は笑顔を崩さない。「お姉ちゃんが急に家を飛び出しちゃって、みんな心配してて……」「みんな?」 佳苗が思わず口を開く。 恵がちらりとこちらを見る。「悟さん、すごく落ち込んでるよ?」 その名前を聞くだけで胸が冷える。 前世では、その“心配”に何度も騙された。「佳苗」 雄吾が静かに声をかける。「中へ入れ」 佳苗は一瞬迷ったが、小さく頷いた。 だが、恵が慌てたように声を上げる。「待って!」 涙声だった。「お姉ちゃん、本当にどうしちゃったの?」 震える声。 泣きそうな顔。 昔なら、佳苗は罪悪感を覚えていただろう。 自分が悪いのではないかと。 でも今は違う。「……どういう意味?」 佳苗は静かに問い返した。 恵の表情が一瞬固まる。「だ、だって急に家出するなんて、お姉ちゃんらしくないし……」「私らしいって何?」「え……?」「我慢して、譲って、笑ってれば満足?」 恵の顔から笑みが消えた。「お姉ちゃん……」「昔からそうだったよね」 佳苗はゆっくり言葉を重ねる。「私が嫌だって言っても、“お姉ちゃんなんだから”で終わりだった」 胸が痛い。 でも、もう飲み込まない。「……何怒ってるの?」 恵の声が低くなる。「私、心配して来てあげたのに」 その言い方。 まるで自分が被害者みたいだった。 佳苗はふっと笑う。「本当に心配してる人は、ホテルまで尾行して写真なんて撮らないよ」 空気が止まった。 恵の目が細くなる。「……何のこと?」「知らないなら、どうしてここにいるの?」「っ……」 一瞬、恵が言葉に詰まる。 その反応だけ
last updateLast Updated : 2026-05-17
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返さない

「あの妹は、お前を返す気がない」 静かな声だった。 けれど、その言葉は佳苗の胸を重く打った。「……返す、ですか」 佳苗は呟く。 まるで自分が“物”みたいだ。 でも実際、恵はずっとそうだった。 姉ではなく、自分の所有物。 欲しくなったら奪って、飽きたら捨てる。「昔からそうだったんです」 ぽつりと零す。「恵は、私が持ってるものを欲しがるんです」 雄吾は黙って聞いていた。「私の方が先に好きだった服も、友達も、褒められたことも……全部」 そして最後には、夫まで。 言葉にすると胸が痛む。「……でも」 佳苗は苦く笑った。「私にも原因があるんです」「ない」 即答だった。 佳苗は目を瞬く。 雄吾はまっすぐこちらを見ていた。「奪う方が異常だ」 低く断言する。「お前は譲りすぎた。それだけだ」 佳苗は唇を噛んだ。 譲るのが当たり前だった。 そうしなければ嫌われると思っていたから。「……怖かったんです」 気づけば口にしていた。「嫌われるのが」 雄吾の目がわずかに揺れる。「だから我慢してたら、そのうち何も言えなくなって……」 結婚してからもそうだった。 悟が帰ってこなくても。 休日に連絡が取れなくても。 恵と仲が良すぎても。 “気にしすぎ”だと思い込もうとしていた。「でも、もう無理です」 前世の最後を思い出す。 病室。 冷たい声。『代理母としては完璧だった』 ぞわり、と全身が震えた。 その瞬間。 ふわりと温かいものが包み込む。「……え」 気づけば、雄吾に抱き寄せられていた。 広い胸。 強い腕。 驚くほど自然に、佳苗の身体から力が抜ける。「思い出したか」 耳元で低い声が響く。 佳苗は息を呑んだ。 どうして分かったのだろう。「顔色が悪い」 雄吾は佳苗の髪をそっと撫でる。「無理に話さなくていい」 その優しさが苦しい。 前世で欲しかった言葉を、この人は簡単にくれる。「……先輩」「なんだ」「どうして、そんなに優しいんですか」 佳苗の声は震えていた。「私、何も返せないのに」 すると雄吾が小さく笑った。「返してもらうつもりでやってない」「でも……」「ただ」 ゆっくり身体を離し、雄吾が佳苗を見下ろす。「もう誰にも、お前を傷つけさせたくないだけだ」 その視線に、胸が
last updateLast Updated : 2026-05-17
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