All Chapters of クズなハイスペ夫を改心させたのはもっとクズな私です: Chapter 71 - Chapter 80

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71.義母に連れ去られた先に

「……紅さん?ちょっと聞いてるの?」腕をゆすられ、ハッとわれに返る紅。今日は神楽は仕事で、自分だけの休日。専任クラークなのでそういう休日は珍しいのだが、突然やってきた神楽の母親に連れ出された。ここしばらく、先日聞いた亮子の話が頭にこびりついて離れずにいた。神楽に話そうかと思ったが、相変わらず激務の彼に話す時間は見つからず、迎えた休日。今日は従兄弟の片桐光世に連絡してみようと思っていたのだが。そんな休日の朝、突然やって来た神楽の母親。……勝手に鍵を開けて入ってくるのは以前と同じだ。「はい、これ返しに来たわ」おはようもなく、たった今開けるのに使った神楽邸の鍵を差し出される。「……いいんですか?」「いいわよ。恋人ができたら返そうと思ってたんだから」「そういえはこれ、神楽さんが契約結婚している間も持ってたんですね……」自分の時もそうだが、その前の2人の時も。……神楽は合鍵の存在を知っているのか。それとも知ってて忘れているのか。挨拶なく始まる会話は、朝からディープだ。「神楽が家を出て、長い間交流はなかったから。でも今回は鳳凰総合病院の娘との結婚があったから、迷わず使わせててもらっただけよ。……ほら、行くわよ」「……は」まだパジャマ姿で家事の途中の紅に、義母は早く着替えるよう追い立て、その間に残りの家事を済ませてしまった。「え……すごいですね」早いだけではない美しい家事に脱帽する紅。その手を引き、義母はなぜか外へと彼女を連れ出した。「ちょっと待ってなさい。今うちと契約してるタクシーを呼ぶから」「え、今からですか?だったら中で座って待ってればいいのに。意外と段取り悪いですね?」「あなた……私みたいに毒舌ね?」まぁ見てなさい、という義母。どこかに電話をかけ、無理難題をふっかけた。「二階堂です。長男の自宅前。2分で来なさい」広い通りから入り組んだ道を入ったところにある神楽邸……2分で到着はまず無理だ。ところが……明らかにスピード違反の黒塗りのタクシーが、家の前に到着したのは5秒前。ドライバーが慌てて運転席から出てきて、2人を後部座席に乗せる。金持ちのわがままにつき合わされて気の毒に。「……それで、どこへ行くんですか?」「決まってるじゃない。式場の下見よ」さらわれるように連れ出された紅は、義母に手を引かれ、都内のラグジュアリー
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72.すき焼き店でバトル

「いえ……お義母さまは、引っ込んでてください」紅は義母を見もせずに冷たく言い放った。この言い方に驚いて目を見開き、義母は牙を剥いて噛み付く。「……あなたねぇ、これが韓国ドラマだったらどうなってると思う?ボコボコに殴られて、親不孝だって叫ばれて、とんでもない目に合うんだから!」「……お義母さまってことは、お前……結婚するのか?」やり取りを聞いていた父が、無遠慮に楓の間へと足を踏み入れる。「……こっちは別室ですから、遠慮してください」「まぁそう言わずに、少し話を聞けよ」出ていかない父に腹を立て、紅も立ち上がった。すると華やぎの間で見ていた芹沢が近づいてくる。「海外進出が決まってな?」「……あなたの話を聞くつもりはありません」「芹沢さんのアドバイスもあって、向こうでは現地の食材を使ってさらに高級志向の和菓子を製造販売するつもりだ。……それを逆輸入する話を今していたんだよ」「……片桐社長、何処でライバルが聞いているかわかりませんから、話はそれくらいに」出店に続き、海外へ事業を展開していく話を聞き、芹沢が父と昨日今日の付き合いではないとわかった。父の横に立つ芹沢を、つい強い視線で見つめる紅。「すまない。片桐さんは、出口と間違えてこの襖を開けてしまったんだ」「……あなたはどちら様なの?」父を連れて行きかけた芹沢に、あろうことが義母が声をかけてしまった。「お義母さま!」……黙れ、というひと言を、なんとか飲み込んで振り返った。すると事業の話がまとまって気分がいいのか、父が珍しく話に混ざる。「この人かい?……この人はミューゼルホールディングスの専務だよ。娘のかつての上司で、恋人だったんだってなぁ?」「「はぁ?恋人??」」思わず義母とハモってしまった。「本当なの?紅さん。……それにあなた、この方……お父さまなんじゃないの?!」「いえ、お義母さま……」義母はしずしずと立ち上がり、襟元の合わせを整えつつ、紅の横に並んだ。「はじめまして、私……」「芹沢専務のこと、好きだったんです。結婚も考えたくらいに。でもお付き合いというところまでいってません」二階堂総合病院の名前を出して欲しくなくて、つい口からの出任せを言ってしまった。義母は複雑な表情で紅を見ている。「……というわけで、さぁお義母さま、すき焼きの続きをお願いします。いいお肉の脂
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73.義母と実母

「……え、最上階に?」「はい。数日前に病室を変更されました」専属クラークゆえ、神楽の多忙に合わせるように、ここしばらく忙しくしていた紅。それでも時間を見て母を見舞っていたが、この数日は来ることができずにいた。……その間に病室が変更されていると案内されたのだが、つい心配になってしまう。「あの、母は慣れない部屋で大丈夫なんでしょうか?病院の都合もあると思いますが……」「大丈夫ですよ。とても快適にお過ごしです」「そうですか……」母が入院する分院、絆ハートメディカル病院は7階建てだ。そんなに高い建物だったかしらと上を見上げてみる。 「7階のナースステーションで、もう一度担当看護師に声をかけてくださいね」紅はエレベーターに乗せられ、7階を押してくれたスタッフに見送られた。「わ……さすが二階堂総合病院だわ」エレベーターを降りればそこは、病院であることを忘れさせる空間。ゆったりした革張りのソファと磨かれたガラステーブル。誰が活けたのか、大きな花が印象的な姿になって鎮座していた。「片桐さまですね。病室は一番奥になります」「……はい、ありがとうございます」ちょっと待ってよ。……エレベーターを降りてこの状態って、部屋はいったいどれだけ立派なんだろ?まさか、特別室なわけないよね……「こちらでございます」看護師が案内してくれた病室のドアは、病室のよくあるドアではなく……高級マンションのドアと同じそれ。しかも両開きって……思わず、失礼しますと言いながら中に入った。「紅……来てくれたのね?」驚いた。ひと目で高級品とわかるガウンを着て、リクライニング式のベッドの背に体を預ける母が優雅に微笑むから。「お母さん……不自由は、してないみたいだね」「もちろん……!とても快適よ?ここは広いからか静かで、夜もよく眠れるの。タブレットで看護師さんといつも繋がってるし、安心できてありがたいわ」ガウンのせいだけではなく、明らかに顔色がいい。しばらく歓談していると、母は病室内を軽やかに歩き回り、コーヒーまで淹れてくれた。……何年ぶりだろう。母にコーヒーを淹れてもらうなんて。けれどここは、確実にセレブ専用の病室だ。いったいいくらの割増料金が必要なんだろう。まだ、母を引き取って一緒に暮らす準備は整っていない。それに、私は神楽との結婚を控えていて……「紅、あ
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74.家族になる幸せと、不穏?

「そう、あなたのお母さま、咲子さんでしょ?私のことは綾子さんって呼んでくれるようになったわ。穏やかで優しくて繊細で……私にないものをすべて持ってる素晴らしい方ね?」「はぁ、それは……ありがとうございます」母親を褒められるのは嬉しいものだ。つい頬を緩める紅を見て、義母も笑った。「それであの、病院に飾る貼り絵って……」「咲子さんに頼んだのよ。京香さんに聞いたら楽しめる手作業は彼女の病気にもいいって」人が変わったような明るい母の笑顔を思い出した。まさか義母がそんな手助けをしてくれたなんて……感謝の気持ちを伝えながら、話を戻した。「あの、それで病室の変更にかかったお金を入金したいのですが」「いやだ……!だから咲子さんに仕事を頼んだって言ったでしょ?病室の変更にかかったお金は、彼女がきちんと支払ってくれたのよ」「そんな……それじゃ、お義母さまが」損をしてしまう。……そう言おうと思ったとき、義母がうっとりした表情になったことに気づいた。「あなた、彼女の貼り絵を見たことがある?それはそれは美しいグラデーションで花を表現してて、素晴らしいのよ?」「お義母さま……」不意に涙が浮かんできた。ずっと父につらい思いをさせられていた母が、誰かに認められて役割を与えられ、輝きを取り戻し始めている。あんな笑顔を見せるようになったのは、ちゃんと評価して認めてくれた義母のおかげ……「ほら!」指先で涙を拭う紅に、テーブルの向こうから、ハンカチを放る義母。「別に泣きやまなくていいわよ。泣きたい時は泣けばいい。だけど、メイクが落ちるのは嫌だと思うから渡しただけ!」「……わーんっ!!お義母さま〜っカッコよすぎますぅ〜……!」生まれて初めて、声を上げて泣いた。まさかそれが、神楽の母親の前でだなんて、予想もしなかった。会う前はどれだけ身勝手な人かと思ったけれど、実は正直でいることしかできない、ある意味不器用な人なのかもしれない。紅に、もう一人の母親ができた瞬間だった。「主治医も一緒なので、安心して連れ出せるわよ?」その後しばらくして、紅と神楽の結婚を前に、家族の顔合わせが行われることになった。神楽の両親と颯真と京香、紅の母と当事者の2人、合計7人で集まれる場所を選ぶのは、紅と京香だ。「それなら……母が好きな和食のお店に連れて行ってあげたい。病院から車で、10
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75.神楽がパパ……?

「……元気にしてた?」『誰か、わかるのか?』「わかるよ。伝わってくる空気でわかる」スタッフの目があり、相手が誰かわかる呼び方は避けたかった。……すでにナースステーションが異様な静けさなのは気づいている。「こっちからかけ直すよ。……携帯でいいか?」『いや……』……まさか、すでに携帯がないのか?嫌な予感がしたが、連絡してきた以上放っておけない。「それじゃ、前に待ち合わせた場所グランダーニャホテルに来て」わかった、と言う声が弱々しい。少しだけ重い気分を抱えながら医局へと引き上げた。買ってきたバゲッドサンドを口に運びながら、紅にメッセージをしておくことにする。『今日、夕飯は外で食べてくる』京香と話して、顔合わせの店が決まったのか気になるが……仕方がない。『了解しました』ものの数分で既読マークが付き、神楽は携帯を閉じた。勤務を終えてナースステーションの前を通りかかると、ちょうど入れ替わりなのか、スタッフが妙に多くいるような気がする。「あ!神楽先生、お疲れさまです」「お疲れさま」なぜ……上から下まで舐めるように見つめられるのか。「……なに」「いいえ!今日もスタイリッシュなファッションがキマってますね!」「別に、ただの白シャツとゆるカーゴだけど」紅と結婚することはまだ発表していないが、俺が以前と大きく変わったことにスタッフは気づかないのか。……服は清潔感があればそれでいい。ねっとりした視線があらぬ想像をされているようで気に入らないが、先を急ぐことにする。到着したのは、病院からほど近いシティホテルのロビー。そこに、所在なげにウロウロする人を見つけて胸が痛んだ。「父さん……」振り向いた顔が、最後に会った日より痩せていた。「こんないい店で食事しなくても……その辺の定食屋でよかったのに」「いいから。鰻でも食べて少し栄養をつけて」「でも父さん……」「俺が食べたいから付き合わせたんだ。当然支払いは俺だよ」払えない、と言わせたくなくて、急いで言った。父と最後に会った2年前、再再婚した家族と別れた直後だと聞いた。2度の再婚でそれぞれ子供を授かり、初めて連絡をした大学生の時は、会うことを拒絶された。「……体調は?」「あぁ。まぁなんとかな」俺が医者だということを忘れたのか……父の病状は進行しているように見えた。……だが
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76.せっかく回復してきたのに……

『もしもし……』神楽にそっくりの声が聞こえて……ふざけているのかと思った。「あの、神楽さん?」『お世話になっております。神楽の父親で、坂口と申します」「は……はじめまして、片桐紅と申します」父というのが実父のことだとわかり、交流があったのかと少し驚いた。父子水入らずの時間を過ごしているのなら、喜ばしい。別に……外科病棟で噂されていたことを信じたわけではなかったが。ひと通りの挨拶を終え、神楽に変わった。『信じる気になった?』「はじめから疑ってませんよ?……ちょっと意地悪を言っただけで、ごめんなさい」神楽は素直に謝る紅に、携帯の向こうで破顔した。「改めて、ご挨拶に行きたいです」『あぁ……だが父はどうも、依存症を患ってるようでな』場所を移動したらしい神楽が小さく言った。悲しげな声が、初めて母の病気を知った当時の自分を思い出させる。「神楽さん?」『ん?』「私が一緒にいるから、大丈夫です。私もお父さまを支えますから」悲しみも不安も怒りも、私はずっと1人で背負ってきた。誰かに一緒に背負うと言ってもらえたら、あの頃の自分はどれだけ救われたかと思う。『ありがとう紅。もう……一心同体だな?』「はい。2人で1人前です」『あぁ紅……今すぐひとつになりたい」「それは、」『今すぐ抱き……』唐突に携帯を切ってやった。家族との顔合わせも具体的になり、実の父親へ挨拶に行く想像を膨らませる。……あとは結婚式?義母に連れられて行ったチャペルを思い出した。契約結婚は3回も繰り返した神楽だけど、結婚式をするのは初めてだろう。何度か出席した友人の結婚式を思い出し、つい口元が緩む。タキシード姿の神楽、かなりカッコいいだろうな……本人には言えない想像が脳内に描かれた。簡単な夕食と入浴を済ませ、早々に神楽のベッドに横になり、ウトウトし始めた時だ。携帯がにぎやかに着信を知らせ、紅は誰からなのか確認もせず繋げる。「紅さん、落ち着いて……聞いてほしいんだけど」「え、京香……先生?」寝ぼけた頭に響く声は間違いなく京香先生だ。こんな時間にどうしたのだろう……今夜は神楽も病院にはいないのに。ベッドの上に上体を起こし、携帯を持ち直して……「片桐さんが、お母さんがいなくなったの」「え、お母さんが……?」「見回りの看護師が気づいて、病院中を探したんだけど
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77.母の行方を追って……

「この道を入ったところにあります」タクシーを住宅地に入る手前で待機させ、紅と京香は先を急いだ。やがて見えてきた和風建築の屋敷に、京香は素直に驚いてみせる。「わぁ……すごいお屋敷ね」「ただ大きいだけの古い家ですよ」どこから入るのか、知らなけば迷うだろう何もない壁に向かう紅。そこは入り組んだ塀になっていて、進んでいくと背丈をゆうに超す大きな門扉にたどり着く。近づくと明かりが灯る仕組みだ。「削除されてなければ、これで門は開くはずです」レンズのようなところに目を向け、虹彩認証で施錠を解く紅。門の向こうは足元に点々と明かりが灯って、遠い玄関まで案内した。到着すると、紅は躊躇わずチャイムを鳴らした。2度……3度……「誰かいない……?美沙さん?!木下っ?!」チャイムに応答はなく、紅はドンドンドアを叩き声をかけたが、それでも人の気配はしない。玄関の裏手に回ろうとするも、高い塀に遮られている。簡単に庭にたどり着ける設計ではないことはわかっていたが……「父が留守にしていても、誰かしらいるはずなんです。出て来ないところを見ると、父に来客には応対するなと言われているか、それとも……」あたふたと後に続く京香に説明しながら考える紅。「もしかしたら……」「なに?どこか、別の場所に?別荘かなにか?」紅はもう一度玄関を見つめ、少し下がって家全体を見上げた。雰囲気から人の気配を探ろうとしているように見える。「ごめんなさい。こんなところまでお連れして……1度病院に戻りましょう」来た道を戻り、タクシーに乗り込んだ。「思い当たる場所があるなら、そこへ行っていいのよ?うちの職員の不手際でこんなことになったんだから」「いえ。ここから先は、私1人で行きます。京香先生は明日もお仕事ですよね?帰って……休んでください」病院に到着し、京香はとりあえず……と言って、持ってきた薬を紅に預けた。「今回の件は警察に通報済みです。もし見つかったと連絡が来たら知らせるから、紅さんも1人でなんとかしようとしないで」「はい。ありがとうございます」紅はそのままタクシーで神楽の家に帰った。これから、どうしたらいいか……力が抜けたようにソファに座り込む紅。連れ去ったのが木下だとするなら、母は今、確実に父のそばにいる。「でも、家に誰もいないということは……」家政婦や側近と共に、連れ出
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78.戦いの始まり

「そう言うと思ったけどな」「正解でしたね。今夜帰ったらご褒美をあげます」「え……どんな?」口からの出任せで、具体的に考えてやしない……!「私のことは置いといて、神楽さんはお父さんのことをちゃんとやってあげてください」「わかった。……それと、君の休暇を伝えておく。まぁ、承認印押すのは俺だけどな」「あ……忘れてました。助かります」互いの成果は夜に話そうと約束して、着信を切った。わずかに、いや……本当はかなり気持ちがほぐれたことを感じる。耳障りのいい声だから?……いや、神楽はすでに紅の心の安定剤になっていた。ずっとふわふわしていた足に、やっと力が入った気がして、紅は海辺の別荘へ行くための支度を始めた。都内から電車で2時間。さらにタクシーで15分ほど乗って見えてきた、父が所有する海辺の別荘には、明らかに人が集まっているようだ。屋根のない駐車場に停まる数台の車は来客の数を表している。……そんな賑やかな中に母が?体調を崩していないか心配が込み上げた。「紅さま、いつの間においでに……?」「たった今よ。いつもご苦労さま、美沙さん」呼び鈴は押さず、虹彩認証で入ったので、最初に出くわした家政婦の美沙を驚かせた。「お母さん、来てるわね?」「え……あの、」余計なことを言うと父にどやされるのだろう。ここまで来て隠しても仕方ないのに。紅はにぎやかな声が響くデッキへと足を向けた。「皆さんお久しぶりです」デッキと隣接する庭、プールサイドは、水着姿の大人たちで賑わっている。紅を見て頭を下げる人たちはトオキ屋の社員だ。……知らない顔もある。「……紅、」やはり母はここにいた。隣には父……そして反対側の隣には、信じられない人もいる。「お母さん、大丈夫?迎えに来たの。病院に帰ろう」「……ちょっと待てよ」父にはわざと声をかけなかった。それも気に入らなかったのだろう……素直に立ち上がりかけた手を掴まれ、母は瞬間的にビクッとした。「……離してください。母は治療中なんです。病院に戻らないと」「心療……なんとかって、あれか?」唇を歪めて笑う父……反対側の隣にいる女も同じような笑みを浮かべる。「さつきさんも来てたんですね、本店の営業は大丈夫なのかしら?」急に声をかけられて驚いたようだ。トオキ屋本店の責任者であり、多分父の愛人であるさつき……。「私は……社
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79.わからず屋の父

「近く、日本を発つんだよ」無視して行きかける自分たちの関心を引くように、父は大きな声で言う。「本社から数名と、咲子を連れて行く」「……は?」どこまで身勝手なのだろう。……母は心の病だと言っているのに。「母を海外に同行させて……また身勝手なイラ立ちのサンドバッグにでもなさるつもり?」「サンドバッグか……!うまいこと言うなぁ」おかしそうに笑う父を見て、さつきも遠巻きに話を聞いている役員たちも薄ら笑う。……その時、思いがけず母が振り向き、能面のような表情で一同をぐるりと見た。父はそんな母を気にすることなく続ける。「芹沢さんに言われてるんだよ。海外にトオキ屋を浸透させるために、しばらく腰を据えて滞在した方がいいって」芹沢からの紹介で、海外事業を成功させるためのコンサルまで雇ったという。「長く滞在するのに妻を連れていかないのはおかしいだろう」「主治医の意見も聞かずに……ましてや母本人の意向も確認せず、ですか?呆れますね」京香先生はこんな渡航を許すはずない。紅はそれでも続く父の話を無視して、母と一緒に別荘を出た。「良かった……片桐さん、すぐに戻ってこれて」病院では、京香が母を待ち構えていた。病室で診察をして異常がないのを確かめると、後を看護師に任せ、紅の腕を引く。「夕方から、院長と颯真、それから私も出席して……記者会見をする予定よ。院長とお義母さまには私からすべて話しておいたけど、あとで連絡が入ると思う」「大変なことになってしまって……京香先生、お忙しいのに」「いいえ。紅さんには本当に心痛をかけて申し訳なかったと思ってる」京香は改めて紅に頭を下げ、神楽を交えてセキュリティについて改善する案をまとめると話した。……そしてわずかに声をひそめる。「お父さまの側近の木下さん、交番に出頭したみたい」父の言葉通りの情報に、紅はふと目を上げた。「実行犯としてだけじゃなく、すべての罪をかぶる気でしょうね」木下はきっと、父の名前もトオキ屋の名前も出さないだろう。長年側近として仕える彼に犯罪まがいのことをさせて、簡単に首を斬る父の冷酷さに、紅は身震いがした。次は誰を使ってどんな方法で母に近づくつもりなのか……紅はもう一度父を訪ねる決心を固め、京香に挨拶して病院を出た。「紅です。先ほどはどうも」義母に訪問すると連絡をしてタクシーに乗り込み
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80.2度目の訪問

夏の終わり……日が暮れるのが早くなってきたのか、西の空が茜色に染まり始めている。義母に見送られ、もう一度海辺の別荘へとやってきた。「……来たのか」今度は家政婦の美沙に玄関を開けてもらった。父はデッキチェアに寝そべりながら、まだ海を見ていたらしい。さつきの肩を抱きながら。「……もう、その人でいいんじゃないですか?」何が母を海外へ連れて行くだ。全員帰ったあともこうして隣に置くあたり、さつきは完全に愛人だろう。父はさっきと変わらない薄ら笑いを紅に向けるだけ……腹立たしい。「縁を切りたいです。あなたと」「それは無理だ。お前は俺のたった1人の娘だからな」「若い愛人に産ませたらいいんじゃないですか?」もうどうでもいい。母の病気を理解させることなど、はじめから無理な話だった。「海外に行くならもう帰ってこなければいい。こっちのトオキ屋は早々に譲って……」「光世にか?あいつにトオキ屋はやらんぞ」「何を言い出すかと思えば……呆れて物が言えない」トオキ屋は代々、長男の息子が後を継いできた。けれど父に息子は生まれなかったので、弟の息子、片桐光世が後継者の予定だ。今の父の言葉を聞いて、叔父や光世がどれほど怒るか……それとも。「さつきさん、もしかしたら父の子供を産んでます?それとも、妊娠中?」正面から問いただす紅に、さつきは驚いた顔をしてみせた。「……無理ね、年齢的にも。あなたに父の子供なんて産めやしない」失礼は重々承知だった。けれど父の言いなりになっているこの人に、子供を産むような愛情はない。あるとすれば、それは当然お金への欲だろう。「いいか紅、俺は咲子と離婚しない。海外へも同行させる。……なぜなら、あいつほど和服が似合うしとやかな美人はいないからな?」海外進出のために母を利用するつもりだと理解した。……冗談じゃない。そんなこと、絶対にさせない。「最後に聞いておきます。あなたはお母さんをそこまでしてそばに置きたいのに、どうしてもっと優しくしてやらなかったの?」子供の頃から何度も見てきた父の暴力、そして冷たい言葉……「……それが俺の愛し方だからだ。咲子は俺の妻になった。なら、俺の愛し方を受け入れるべきだろ?」「そんな歪んだ愛し方をされたせいで、心を壊したとしても?」意外にも、父は薄ら笑いをやめた。「心の病気なんて信じないって言うけど、
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