All Chapters of 結婚式の端っこで、君と乾杯を: Chapter 31 - Chapter 40

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31話「やらかす人」

 朝、洗面台の横の小皿に見慣れないものがあった。 金属製の小さなピンだった。ネクタイピンだった。昨日灯が来ていた。夕食の後、ネクタイを外して椅子の背にかけていたのを見た記憶があった。帰る時に忘れていったらしかった。 届けようと思った。 連絡しようとしてスマホを手に取ったが、時間を見て止まった。朝の七時過ぎだった。灯が起きているかどうか分からなかった。メッセージを送りかけて、昼休みに送ればいいと思って、ポケットにネクタイピンを入れた。 そのまま家を出た。  営業部は朝から動いていた。 席に着くとすぐにメーカーから電話が来た。先週入稿した素材に確認事項が生じたという話で、内容を把握して社内に確認を取った。メールを三件返信した。午前中の会議の資料を見直した。 隣の島では、神地梨香子が男性社員と話していた。 梨香子は入社二年目だった。愛嬌があって、男性社員には人気があった。仕事の覚えは遅かったが、誰かが必ずフォローに入るので案件が止まることはなかった。フォローに入るのはたいてい男性社員で、本人たちは苦にしていない様子だった。 正木が小さくため息をついた。 瑠衣は画面に向かったまま、横目だけで見た。 今週も梨香子の担当案件の一部が、別の誰かに振られていた。振られた側は特に文句を言わなかった。言いにくい空気があった。 修正依頼の対応が三件残っていた。自分のことをやった。 昼休みになってから、ポケットのネクタイピンを確認した。 スマホを出して、灯にメッセージを送った。「ネクタイピンを預かっています。今日の帰りに届けられます」 すぐに返信が来た。「申し訳ありません。気づきませんでした。お時間があれば、よろしくお願いします」 今日は定時で上がれそうだった。 届けることにした。 弁当を食べながら、今日の残りの仕事を頭で整理した。午後に一件電話をかける必要があって、メールを二件書く必要があって、それが終われば今日分は片付く予定だった。 梨香子が廊下の方から戻ってきた。男性社員と並んで笑いながら歩いていた。昼休みも休んでいなかった。 正木が弁当のふたを閉じながら、小さく言った。「あの子のフォロー、また今週も回ってきてるんですよね」「そうですか」「瑠衣さんのとこには行ってないですか」「今週はないです」「先週は?」「
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32話「読んでしまった日」

週末の午後、灯はまだ来ていなかった。 台所の片付けを終えて、することがなくなった。 書庫に降りた。 特に目的はなかった。灯が来るまでの時間を、ここで過ごすことが自然になっていた。本棚の前を歩いた。先週整理した棚を眺めた。出版社別、年代順に並んでいた。 棚の端の方を見ていて、一冊だけ背表紙が少し剥がれているのに気づいた。 古い本だった。補修の跡がすでにあった。何度か直した痕跡があったが、また端が浮いてきていた。 引き出しを開けた。 補修テープがあった。灯の書庫なら当然ある、と思って探したら本当にあった。ハサミも隣に入っていた。 本を抜き出した。テーブルに置いた。剥がれた部分を指で確認して、テープを適切な長さに切った。慎重に貼った。 上手くはなかった。端が少しよれた。でも剥がれは止まった。 本をもとに戻す前に、表紙を見た。 せっかくだから、と思って最初のページを開いた。 一ページだけ読むつもりだった。 文体が古かった。今の小説とは言葉の選び方が違った。でも読めた。最初の段落を読んで、次の段落も読んだ。 気づいたら椅子に座っていた。 椅子に座った記憶がなかった。立ったまま読んでいたのが、いつの間にか座っていた。 紙が黄ばんでいた。余白に鉛筆の跡があった。細かい字で何かが書かれていた。読もうとしたが、字が小さすぎて読めなかった。書いた人間が誰なのかは分からなかった。 ページをめくった。 物語は、一人の人間が何かを探している話だった。探しているものが何なのかが、序盤ではっきりしなかった。でもその人間の行動が気になって、次のページが読みたくなった。 途中で止めようとした。 止められなかった。 主人公が何かを見つける場面で、また止めようとした。止められなかった。 インターホンが鳴った。 顔を上げた。 時計を見た。 二時間以上経っていた。 立ち上がった。本を閉じた。閉じる前に、今読んでいたページを確認した。三分の二ほどまで来ていた。 急いで階段を上がった。 玄関を開けると、灯が立っていた。紙袋を持っていた。 「こんにちは」「こんにちは。少し待たせてしまいましたか」「いえ」 いつもより時間がかかったかもしれなかった。インターホンが鳴るまで気づかなかった。
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33話「読めない日」

 土曜日の昼過ぎ、買い物から帰ると革靴があった。 今日は連絡がなかった。 台所を通り抜けてリビングへ向かった。 灯がソファに座っていた。 本を開いていた。 ページが動いていなかった。「こんにちは」 返事が来るまで、一拍あった。「こんにちは」 顔を上げた。 見た。 少し赤かった。「顔が赤いですよ」「そうですか」「熱がありませんか」「少しだけあるかもしれません」「少しだけ、というのは」「昨日から少し高かったので」「体温計を持ってきます」 立ち上がろうとした瑠衣を灯は大丈夫ですと言葉で引き止めた。「大丈夫かどうかを確認するために体温計を持ってきます」 それ以上は言わなかった。 洗面台の棚から体温計を出してきた。「測ってください」 受け取った。脇に挟んだ。待っている間も本を持っていた。開いてはいなかったが、手放さなかった。 音が鳴った。 体温計を受け取った。見た。 三十八度二分だった。「大丈夫ではないです。熱があります」「動けているので」「動けているかどうかと、大丈夫かどうかは別の話です」 灯は少し考えた。「そうですね」「寝てください」「もう少し読みます」「駄目です」 手を伸ばした。本を取り上げた。 灯は少し困った顔をした。 抵抗はしなかった。ただ本が離れていく方向を少し目で追った。 豪邸の二階に客室があった。これまで一度も使われていなかった。布団を出してベッドを整えた。灯が入ってきて、少し部屋を見回した。「誰も入らないのに掃除されてるんですね」「使わせていただいてますから。シーツも布団も清潔にしています」 素直に布団に入った。普段の灯とは少し違った。「何か持ってきますか。水は」「いただけますか」 水とコップを持ってきた。受け取った。一口飲んだ。コップをサイドテーブルに置いた。「薬はありますか、解熱剤」「鞄の中に入っています」 取ってきた。鞄から薬を出した。銀色のシートに錠剤が並んでいた。「お粥を作ります。その後に薬を飲みましょう」「そこまでしていただかなくて」「そこまでします」「……はい」 また素直に従った。 台所でお粥を作りながら、今日のことを考えた。 本が読みたかったのかもしれなかった。ただ、ページが動いていなかった。本を持っていても、読めていなかった。 
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34話「思い出したこと」

 土曜日の昼過ぎ、インターホンが鳴った。 玄関を開けると、灯が立っていた。今日はいつもより少し大きい紙袋を持っていた。「こんにちは」「こんにちは。体調は戻りましたか」「はい。ご迷惑をかけました」「いえ」 中に入った。靴を揃えた。廊下を歩いた。 テーブルに紙袋を置いた。返却の本と、新しく持ってきた本を出した。今日は三冊だった。「多いですね」「先週読めなかったぶんです」「熱があっても読めるんですか」「少しは」「ページが動いていたのは確認しました」 灯は少しだけ止まった。「気づいていましたか」「見に行った時に本を持っていたので」「そうですか」 それ以上は何も言わなかった。 一緒に地下書庫へ向かった。 階段を降りながら、言おうと思っていた言葉が頭にあった。先週、灯が言った言葉について聞こうと思っていた。熱があった夜に、ふっと出てきた言葉だった。「あの、先週——」 灯の視線が棚の一点に止まった。 歩く速度が変わった。棚の前で止まった。「この本、動いていますね」「どの本ですか」「ここです」 棚の中段を指していた。一冊だけ、他より少し前に出ていた。「整理した時に押し忘れたかもしれないです」「そうですか」 灯は本を押し込んだ。揃えた。隣も確認した。 瑠衣はそのまま書庫に入った。 言いかけた言葉は、続かなかった。 棚の間を歩いた。 灯は返却した本を元の場所へ戻す作業を始めていた。奥付を確認して、年代順に並べた。  瑠衣は端の棚を眺めた。先週補修した本の背表紙を確認した。テープの端が少しよれていたが、剥がれは止まっていた。 その隣の棚に手を伸ばした。 一冊、見覚えのある背表紙が目に入った。 抜き出した。 表紙を見た。 子どもの頃に読んだ本だった。小学校の図書室で借りたのか、図書館で借りたのか、もう覚えていなかった。ただ、この表紙だけは覚えていた。読書感想文を書いた本だった。「懐かしいです、これ」 瑠衣の言葉に灯が振り返った。手元の本を見た。 静かに頷いた。 それだけだった。 瑠衣は棚の前にしゃがんで、表紙をめくった。最初のページを読んだ。 読み始めると、止まれなかった。 子どもの頃に読んだはずなのに、覚えていない場面が多かった。あらすじは知っていた。でも細かい描写は初めて読むような感覚だった。
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35話「いつの間にか」

 平日の夜、仕事帰りにスーパーへ寄った。 今週は灯が来る予定だった。材料を買っておこうと思っていた。 野菜売り場を歩いていた。 ごぼうが目に入った。「灯さん、好きそう」 声には出なかったが、頭の中でそう思った。 聞いたことはなかった。ごぼうが好きかどうかを確認したことは一度もなかった。でもそんな気がした。食事の時の食べ方や、好んで食べるものの傾向から、何となくそう思った。 かごに入れようとして、少し止まった。 根拠がなかった。 でもかごに入れた。 隣にある人参も取った。きんぴらを作ろうと思った。 レジを通りながら、なぜごぼうを買ったのかを考えた。 答えは出なかった。出ないまま店を出た。 土曜日の昼過ぎ、インターホンが鳴った。 玄関を開けると灯が立っていた。紙袋を持っていた。今日は二冊分くらいの重さがあった。「こんにちは」「こんにちは」 中に入った。靴を揃えた。廊下を歩いた。テーブルに紙袋を置いた。 今日は返却が一冊と、新しく持ってきた本が二冊だった。「先週借りた本はいかがでしたか」「読み終えました」「感想は」「最後の場面が長く残りました」「どの場面ですか」「主人公が振り返らずに歩いていくところです」 灯は少し頷いた。「あそこは訳者によって印象が変わります。手元の版はどうでしたか」「あっさりしていました」「別の版はもう少し引きずります。読み比べますか」「読みます」 棚から別の版を出してきた。二冊を並べた。最後の場面を開いた。確かに言葉が違った。「あっさりしている方が好きです」「なぜですか」「引きずらない方が、その人らしい気がして」 灯は少し考えた。「そうですね」 珍しく同意が早かった。 普段は「どちらも正しいので」と言って選ばない人だった。今日は選んだ。それが少し意外だった。 夕食の支度を始めた。 きんぴらごぼうの材料を出した。ごぼうを切った。人参を切った。ごま油で炒めた。醤油と砂糖と酒で味付けをした。 他にも味噌汁と焼き魚を用意した。 テーブルに並べた。 灯が本を閉じて席についた。「いただきます」 食べ始めた。 きんぴらに灯が箸をつけた。 一口食べた。「好きですか」 少し間があった。「はい」「そうですか」 それだけだった。 合っていた。 根拠のない予感が合って
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36話「かわいそう」

 平日の朝、スマホを見ると通知が来ていた。 真衣からだった。「お姉ちゃん元気? 最近どうしてる?」 時間を見ると、深夜に送られていた。寝る前に送ったのか、眠れなくて送ったのか、どちらか分からなかった。 もう一通来ていた。「今度遊びに行っていい? 久しぶりに顔見たいな」 画面を閉じた。 支度をしながら、そのメッセージのことを考えた。 真衣からの連絡は、今まで大体こうだった。何かを報告するか、何かを頼むか、そのどちらかだった。近況を聞いてくることはほとんどなかった。久しぶりに顔を見たい、という言い方も、記憶にある限りしてこなかった。 妙に優しかった。 何かある、と思った。 返信しなかった。 家を出た。 電車の中で、真衣からのメッセージを思い返した。 久しぶりに顔を見たい。遊びに行っていい。どちらも、これまで真衣が使ってきた言葉ではなかった。 結婚式の前後も、その後も、真衣からの連絡は報告か依頼だった。近況を聞いてくることはなかった。だから妙だった。妙なのに、返信する言葉が見つからなかった。 会社に着くと、いつもの仕事が待っていた。 メールを確認した。昨日の帰り際に来ていた修正依頼に返信した。午前中の確認作業をまとめた。メーカーへの電話を一件入れた。 昼前に正木が戻ってきた。「今日のランチ、どうしますか」「外に出ます」「一緒に行きますか」「いいですよ」 準備をしていると、後ろから声が来た。「先輩、あのアパート快適ですかぁ」 梨香子だった。通りかかりながら、こちらを見ていた。「私もう港区に引っ越したんですよね。やっぱり全然違いますよ、環境が」 隣にいた男性社員が「それはすごいね」と返した。梨香子が笑いながら何か言った。 瑠衣は画面を見たままにしていた。 何も言わなかった。言うことがなかった、というより、言っても意味がないと分かっていた。 正木が小さくため息をついた。「行きましょうか」「はい」 二人で外に出た。廊下を歩きながら、正木が小さな声で言った。「聞き流せてすごいですよ、瑠衣さん」「聞こえていないわけじゃないですが」「そうですよね」「言い返しても何も変わらないので」「それが分かっていても、難しいんですよね普通は」 正木は軽く首を振ってから、エレベーターのボタンを押した。 昼休みにスマホを確
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37話「掛けたままで」

 土曜日の昼過ぎ、灯が来た。 玄関に革靴が揃えられた。廊下を歩いて、地下書庫へ向かう気配がした。いつもの順番だった。お茶を淹れた。 トレーに乗せて書庫に降りた。 灯は棚の前の椅子に座って、本を開いていた。今日は探し物ではなく、最初から読書の構えだった。「どうぞ」「ありがとうございます」 顔を上げなかった。本から視線を外さないまま、手だけを伸ばしてカップを受け取った。 テーブルに置いた。 また本に戻った。 一階に上がった。台所の片付けを始めた。先週の分で少し溜まっていた作業を片付けながら、棚の整理をして、冷蔵庫の中を確認した。 三十分ほどして、書庫を覗いた。 灯はまだ同じ椅子に座って、本を読んでいた。 テーブルのカップを見た。 一口も減っていなかった。 テーブルの上でそのままになっていた。カップの外側に水滴がついていた。冷えている証拠だった。灯はカップの存在に気づいていなかったのか、気づいていて後回しにしたのか、どちらか分からなかった。たぶん気づいていなかった。「冷めますよ」 灯が顔を上げた。カップを見た。「あ」「飲んでいなかったんですか」「すみません、気づかなくて」 カップを手に取った。一口飲もうとして、止まった。「冷えていますね」「そうですね。三十分経っていますから」「申し訳ありません」 真顔だった。笑えた。「温め直してきます」「そこまでしていただかなくても」「温め直します」 カップを持って一階へ上がった。 電子レンジでカップを温めながら、書庫の灯のことを考えた。 三十分、一口も飲まなかった。本を読んでいると、周囲のことが見えなくなるらしかった。本は時間を盗みます、と言っていた。お茶も盗まれていた。 温め直したカップをトレーに乗せて書庫に戻った。 灯はいなかった。椅子が空だった。 一瞬、帰ったのかと思った。でも革靴はまだ玄関にあるはずだった。棚の前に立っていた。棚の間を、視線だけで何かを追っていた。時々、本の背表紙を指先で触れた。探している様子ではなかった。ただ眺めていた。眼鏡のことを忘れて、また本に引き込まれかけているらしかった。「どうしましたか」「眼鏡が見当たりません」「眼鏡ですか」「はい。さっきまであったんですが」 一緒に探した。 テーブルの上を確認した。本の間に挟まっていないか確
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38話「段ボールの奥」

 土曜日の朝、電車に乗った。 真衣から連絡が来ていた。「今日の午後、遊びに行っていい?」というメッセージだった。昨日の夜に来ていた。返信しなかった。 実家の最寄り駅で降りた。 以前から母から"一度掃除に来て欲しい"と言われていたのを済ませるためだった。 母からは「午前中は買い物に行く」という連絡が以前に来ていた。父は仕事だった。真衣と雅之も、午前中は出かけているはずだった。 誰もいない時間を選んで来た。 玄関の鍵を開けた。「ただいま」 声が出た。誰もいなかった。返事がなかった。 靴を脱いで、廊下を歩いた。静かだった。家の中の静かさが、豪邸の静かさとは違った。物が多くて、においがして、でも誰もいない静かさだった。 リビングを見た。テーブルの上にベビー用品のカタログがあった。真衣のエコー写真が冷蔵庫に貼ってあった。 通り抜けて、廊下の奥の部屋へ向かった。 かつて瑠衣の部屋だった場所だった。赤ちゃんの部屋になる予定と聞いていた。今日はその部屋を片付けるために来た。 扉を開けた。 思っていたより片付いていなかった。荷物は少なくなっていたが、押し入れはまだ使われていた。 押し入れを開けた。 段ボールが積んであった。三段重ねになっていた。 上から順番に確認した。一番上は真衣の学校の教科書だった。二段目は父の書類だった。三段目を引き出した。重かった。 開けた。 瑠衣の荷物だった。 学校の成績表。卒業アルバム。習い事の記録。子どもの頃に書いた絵。全部まとめて段ボールに入っていた。 一つずつ確認した。 底の方に、紙が一枚あった。 取り出した。 賞状だった。 読書感想文 金賞。瑠衣の名前が書いてあった。小学三年の日付だった。折れ目がついていた。段ボールの底で、他の紙の下に挟まっていた。 押し入れの横を見た。 真衣の賞状が額に入っていた。習字の賞状だった。壁に向けて立てかけてあった。使っていない額だったが、額には入っていた。 段ボールの底にあった賞状と、額に入った賞状が、同じ押し入れの中にあった。 特に何も思わなかった。 賞状を折らないようにリュックに入れた。 片付けを続けた。 段ボールを確認しながら、自分のものを全部出した。成績表。アルバム。子どもの頃の絵。賞状。全部リュックとボストンバッグに入れた。 押し入れの奥に、
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39話「お祝いをしましょう」

 土曜日の昼過ぎ、インターホンが鳴った。  玄関を開けると、灯が立っていた。  いつもの革鞄の他に、大きな紙袋を持っていた。デパートの袋だった。本の重さではなかった。 「こんにちは」 「こんにちは」  中に入った。靴を揃えた。廊下を歩いた。テーブルに紙袋を置いた。  灯が静かに言った。 「今日は本ではありません」 紙袋から取り出したものを、テーブルに並べた。  小さなホールケーキだった。白い箱に入っていた。デパ地下のものらしかった。その隣に、惣菜が入った容器がいくつか出てきた。少し高そうなものだった。最後に、紅茶の缶が出てきた。 瑠衣は箱を見た。容器を見た。缶を見た。 「どうしたんですか」 「先週、賞状を見せていただきました」  灯はそれだけ言った。  少し間があった。 「お祝いをしましょう」  理由の説明はそこで終わった。なぜ今なのか、なぜ賞状を見て祝おうと思ったのか、そういうことは言わなかった。ただそうしようと決めて、来た。それだけだった。 「……ありがとうございます」 「皿を借りてもいいですか」 「はい」  台所を開けた。灯が皿を出した。惣菜を皿に移した。手際が良かった。豪邸の台所の棚の配置を、いつの間にか把握していた。 「ケーキは後でいいですか」 「はい」  食事の準備が整っていった。瑠衣は途中から手伝った。二人でテーブルに料理を並べた。向かい合って座った。 「いただきます」  食べ始めた。  惣菜はどれも丁寧な味だった。普段の夕食とは少し違う、手をかけた食事だった。 しばらく食べて、灯が箸を置いた。 「読書感想文の金賞」  少し間があった。 「おめでとうございます」  その一言だけだった。  返す言葉を探した。
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40話「本屋巡り」

 土曜日の朝、スマホにメッセージが来た。  灯からだった。 「今日、古書店を数軒回る予定があります。もしよろしければ、ご一緒しませんか」  時間を見た。九時過ぎだった。 「行きます」  返信を送ってから、着替え始めた。 駅の改札前で待った。  十時少し前に灯が来た。いつもの革鞄を持っていた。手に小さなメモを持っていた。 「お待たせしました」 「いえ、今来たところです」 「今日探している本は三冊です」 「三冊のために何軒回るんですか」 「五軒か六軒の予定です」 「効率が悪くないですか」 「古書店は効率で回るものではないので」  迷いがなかった。  歩き始めた。 一軒目は駅から歩いて十分ほどの場所にあった。  入口が狭かった。棚が天井近くまで積み上がっていた。通路が人一人分しかなかった。においがした。古い紙の、独特のにおいだった。  灯は入ってすぐ、端の棚から確認を始めた。背表紙を一冊ずつ追っていった。瑠衣はその後ろを歩いた。  店主らしい年配の男性が、灯を見て少し姿勢を直した。 「いらっしゃいませ」 「お邪魔します」  灯は軽く頭を下げてから、また棚に向かった。 「よく来られるんですか」 「年に数回です」 「顔を覚えられているんですね」 「本の方を覚えてもらっているかもしれないです」  それは謙遜なのか事実なのか判断できなかった。  棚を端まで確認した。目当てのものはなかったらしく、灯は静かに店を出た。 「なかったですね」 「この棚は月に一度入れ替わるので、来月来てみます」 「メモしておかなくて大丈夫ですか」 「覚えています」  そういう人だった。 二軒目は少し遠かった。電車で二駅移動した。  駅前の通りから一本入った路地にあった。外から見ると本当に営業しているのか分からない外観だった。暖簾が出ていた。  入ると、一軒目より本が多かった。棚に収まりきらない本が床に積んであった。通路が狭かった。  灯は壁際の棚から確認した。今回は少し速かった。探している本のある可能性が低いと判断しているらしかった。  瑠衣は積んである本を見た。タイトルが分からないものが多かった。背表紙が日焼けして読めないものもあった。 「灯さんはこういうお店、何件くらい知っているんですか」 「都内だけで三十軒ほどです」
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