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社長との逢瀬、誰にも言えぬ のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 10

30 チャプター

第1話

バンッ!「仕事、仕事って、毎日毎日そればっかりじゃないか!」栗原耕平(くりはら こうへい)は苛立ちを隠そうともせず、妻である栗原聖羅(くりはら せいら)を怒鳴りつけた。拳を乱暴に叩きつけると、食卓に並べられた皿や茶碗、コップまでもがガタガタと悲鳴のような音を立てる。妻が毎朝のように「働きたい」とせがんでくることに、耕平はとっくに我慢の限界を迎えていた。生活に困っているわけでもないのに。「でも……退屈なのよ、家にいるだけじゃ」聖羅はすがるように答える。彼女の口から出る理由は、いつだって同じだった。家にいることに飽きた。ただそれだけだ。「お前は働かなくていい!妻の役目は家を守ることだけだ!」耕平はますます声を荒らげた。「でも……」「行ってくる!」聖羅の言葉をすぐに遮ると、耕平はカバンを掴み、足早に家を出ていった。用意しておいた朝食には、結局ひと口も手を付けなかった。聖羅は、夫の車が走り去ったあとをぼんやりと見つめ、それから手つかずの食卓へと視線を移した。重いため息がこぼれ落ちる。胸の奥が、ちくりと痛んだ。働きたいなんて、言うべきではなかった――そう後悔してしまう自分がいる。2年前まで、彼女はある会社でマーケティングのスーパーバイザーとして働いていた。けれど結婚と同時に、夫の望みで仕事を辞めたのだ。最初のうちは、専業主婦としての生活も決して悪くないと思えていた。けれど時が経つにつれ、逃げ場のない退屈さが静かに心を蝕んでいった。そのうえ耕平は、彼女が自分らしく過ごす余地さえ与えてくれない。美容サロンに行くことも、一人でカフェに腰を下ろすことさえ許してはくれなかった。たまたま旧友たちと顔を合わせれば、誰もが誇らしげに自分のキャリアの話をする。それなのに、自分はどうだろう?聖羅は大学も出ていて、まだ20代半ばだった。卒業後は1年ほど働いたものの、そのまま結婚という鳥籠に閉じ込められてしまった。孤独は日を追うごとに深くなっていく。結婚して2年になろうとしているのに、子供にもまだ恵まれていない。もし子供さえいれば、この胸をふさぐ寂しさも少しは紛れるだろうに。「はぁ……もっと早く気づくべきだったわ。仕事を辞めるべきじゃなかった」ひとりごちると、聖羅は力なくソファに身を投げ出し、ぼんやりとテレビをつけた。そ
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第2話

「耕平くんは、もう帰ったのか?」祐樹が、聖羅に視線を注いだまま尋ねた。「ま、まだです……」聖羅はしどろもどろに答えた。どうしていいか分からない。目を逸らせば失礼だと思われるかもしれないし、見つめ返せば、挑発しているように捉えられてしまうかもしれない。夫の出世に響きかねないと思うと、迂闊な態度は取れなかった。祐樹は小さく頷いた。身長は175センチほど、鋭さと涼やかさを同居させた瞳。色白の肌に、サングラス。まるで俳優のような佇まいだった。体つきもがっしりとしていて、腕には引き締まった筋肉がついている。日頃からジムに通っているのだろう。聖羅はふと、耕平と祐樹を比べてしまう自分に気づいた。顔立ちだけなら耕平も引けを取らない。けれど、運動をしない耕平の腹筋は割れているどころか、最近うっすらと丸みを帯び始めていた。聖羅は、祐樹のことを元々知っていた。大学時代の先輩――新入生オリエンテーションで泣かされた記憶のある、あの先輩だ。当時すでに上級生だった祐樹は、それでも新入生をからかうのをやめなかった。「んっ」聖羅が突っ立ったまま固まっているのを見て、祐樹が小さく咳払いした。その視線は、彼女の全身を這っている。そこでようやく、聖羅は部屋着が薄く、しかも汗でしっとりと肌に張り付いていることに気づいた。白い生地の下に、赤いブラのラインがくっきりと浮かんでいる。聖羅はただ俯くしかなかった。もはや隠しようもない。とっさに腕で胸元を隠そうとしたが、無意味だった。祐樹はすでに、はっきりと見てしまっている。「上がらせてもらっても?」祐樹が改めて尋ねる。聖羅は頷くことしかできなかった。「どうぞ……」彼女が道を譲ると、祐樹は目元に笑みを浮かべ、その脇をすり抜けた。「どうぞ、お掛けください」「ありがとう。耕平くんと約束があってね。ちょうど近くまで来ていたから、寄らせてもらったんだ」祐樹はそう言いながら、リビングのソファに腰を沈めた。聖羅はただ頷くしかなく、何と返せばいいか分からなかった。「少々お待ちください。何かお飲み物をお持ちしますので」「悪いね、手間をかけて」「いえ、そんな……」聖羅は答えながら、奥へ下がろうと身を翻した。「耕平くんから聞いたよ。前は働いていたんだって?」祐樹が、まるで足止めするかのように尋ねる。
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第3話

「本当か?」耕平が尋ねる。祐樹は、直接家に来ることを耕平に伝えていなかったのだ。「ええ、もう30分くらい前に」聖羅が答えた。耕平は慌てて中へ入る。祐樹はすでにリビングでくつろいで座っていた。「お待たせしてしまい、申し訳ございません」耕平が申し訳なさそうに言った。出迎えられなかったことが、ばつが悪いらしい。「気にしなくていいよ。連絡しなかった俺の方が悪い」祐樹は笑いながら答えた。「てっきり、夜にいらっしゃるものだとばかり」耕平が言いながら、祐樹の向かいに腰を下ろす。「たまたま近くにいてね。一度帰ってから出直すのも時間の無駄だと思って、そのまま寄らせてもらった」祐樹の視線は、時折ちらりと聖羅へ流れた。彼女はまだ、耕平のすぐそばに立っていた。聖羅は耕平に対し、どこか申し訳なさを感じていた。特に、さっきの祐樹の指先の感触が、まだ体のどこかに奇妙な余韻として残っている。短く、優しい手の触れ方だった。それなのに、消えてくれない感覚。「おい、料理の準備を進めてくれ」耕平が聖羅に言った。声を少し落として、上司の前で「良い夫」を演出しようとしているのが分かる。「はい、あなた」耕平は、妻と上司の間に何があったかなど微塵も疑っていなかった。聖羅が奥へ下がると、祐樹と耕平は真剣に話し込み始めた。会話は盛り上がっているらしく、時折、議論や笑い声が台所まで聞こえてきた。「集中しなきゃ」自分に言い聞かせるように呟きながら、聖羅は何度も手元を狂わせていた。「――離婚してるのよね、あの人」聖羅はふと呟いた。耕平から以前聞いたことがある。祐樹の元妻が浮気をして、それが原因で家を出て行ったと。祐樹は事を長引かせるつもりはなく、あっさり離婚に応じたのだという。二人に子供はいなかった。「だから何よ。変なこと考えないの」聖羅は自分自身に釘を刺すように続けた。料理の支度が整った後も、耕平と祐樹はまだ話し込んでいる。聖羅はその隙に、着替えを済ませることにした。膝丈の、赤いノースリーブのワンピース。体のラインにぴったり合っていた。薄めのメイクを施すと、聖羅の顔は美しく、はっとするほど艶やかに映った。鏡の前で何度も自分の姿を確かめる。少しでも隙のある格好をしていないか気がかりだった。「これは、耕平を喜ばせるため。恥をかかせたく
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第4話

「どうかな?」しばらく経っても耕平が答えないのを見て、祐樹が尋ねた。その様子からは、簡単には断れそうにない圧が感じられた。信じられるだろうか。何年もの間、必死に働き、祐樹に取り入り、機嫌を窺い、時には媚びへつらうことすらしてきたのに――昇進の話など一度も来なかった。それなのに今回は、聖羅を働かせるのを許すだけで、マネージャーになれるという。「一度、聖羅に聞いてみます」「彼女がその気になったら、明日にでも直接会社に来てもらってくれ」祐樹が笑みを浮かべて答えた。「承知しました」一方、台所にいた聖羅は一人で戸惑っていた。祐樹の専属秘書になるべきなのだろうか。けれど、これは待ち望んでいたチャンスでもある。しばらくして、祐樹は帰ることにした。聖羅と耕平は、玄関先まで彼を見送った。「答えは明日聞かせてくれ」祐樹は耕平にそう言いながらも、視線の端では聖羅を捉えていた。「かしこまりました」耕平と聖羅の寝室。耕平の体は汗にまみれていた。ちょうど欲を満たし終えたところだった。一方の聖羅は、ただ黙って横たわっているだけだった。耕平は隣に寝転がり、息を荒くしていた。聖羅が絶頂に達していないことなど、彼にはどうでもいいことだった。自分さえ満足すれば、それで終わり。聖羅が満たされたかどうかなど、どうでもよかったのだ。「お前、立花さんから仕事を誘われたんだ」呼吸が落ち着いてから耕平が口を開いた。聖羅は布団を引き寄せ、露わになった体を隠した。「どんな仕事?」知らないふりをして尋ねる。実際には、先ほどの耕平と祐樹の会話を、聖羅は少し耳にしていた。「専属秘書だ」耕平がぶっきらぼうに答えた。「秘書ってこと?」聖羅が確認する。「そう、それだ。立花さんの秘書がちょうど辞めたばかりでな。今は代理を立てている状態だ。それに加えて、アシスタントも兼任してほしいそうだ」耕平が説明した。「そう」聖羅は短く答えるにとどめた。申し出には、まだ迷いがあった。あの尋常でない視線と、大胆な手の感触。この誘いは本当に仕事の実力を見込んでのものか、それとも――「お前、やりたいのか?」耕平が尋ねる。「どうせ、あなたが許してくれないでしょ。私がやりたいって言っても無駄よ」聖羅は力なく答えた。耕平は黙り込んだ。視線を真っ白な天井へ
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第5話

「社長にお任せします」聖羅がそう答えた。祐樹は笑いながら、再び椅子に腰を下ろした。まもなく彼はスマホを取り出し、人事部に連絡を入れ始めた。聖羅を秘書として採用するための辞令を作成させるためだった。「明日から、出社してもらうよ」祐樹はそう言うと、必要書類を人事部に提出するよう聖羅に指示した。「ありがとうございます」聖羅は挨拶をして部屋を出ようとしたが、ドアへ向かう足を止めさせるように、祐樹が再び口を開いた。「今夜、食事に付き合ってくれ」「え?」聖羅は思わず立ち止まり、戸惑いを露わにした。明日から出社と言われたばかりなのに、今夜は食事の同席を求められるとは。「あの、明日からとおっしゃったのでは……」「ああ、忘れてた。友人から夕食に招かれていてね。君の歓迎会代わりだと思ってくれ」祐樹はすかさず言葉を挟んだ。聖羅は黙り込んだが、すでに働くことを承諾してしまった以上、断るわけにもいかず、小さく頷くしかなかった。祐樹は聖羅が部屋を出ていく後ろ姿を、満足げな笑みを浮かべながら見送った。夜になり、聖羅は膝丈のピンクのワンピースに着替えた。とても美しく見えた。「耕平が、また気を変えて反対しませんように」聖羅は鏡の前で身なりを整えながら呟いた。今夜、祐樹と外出することについては、すでに夫には伝えてあった。ちょうど耕平もまだ帰っておらず、残業で遅くなると連絡が来ていた。まもなく、祐樹が迎えに来た。車へと歩いてくる聖羅の姿を、彼は瞬きも忘れて見つめていた。「完璧だな」祐樹が小さく呟いた。夕食の場は、5つ星ホテルのレストランだった。そこにはすでに、一人の男が待っていた。「よう、祐樹。恋人を連れてきたのか」その男――和田大輔(わだ だいすけ)が、からかうように笑った。「彼女は俺の秘書だ」祐樹は聖羅を紹介した。「相変わらずだな。気軽な商談だと言いながら、ちゃっかり秘書を連れてくる。まあ、綺麗な人だからいいけどな」大輔はそう言いながら、聖羅に向かってウィンクしてみせた。聖羅は俯いた。この夕食が、単なる食事ではなく、祐樹と大輔の商談も兼ねていたのだと、ようやく理解した。「その方が話が早いだろ」祐樹が答えた。食事の間、大輔は何度も聖羅に流し目を送ってきた。そして極めつけに、聖羅が食事に気を取られている隙に、
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第6話

「どうした?」祐樹が、気になる様子で聖羅を見つめた。聖羅はすぐに首を振り、スマホをバッグへしまい込んだ。「何でもないです」「耕平くんから、帰ってこいって?」祐樹が、様子を窺うように尋ねた。「いえ」祐樹は小さく頷くと、聖羅の手を取り、そっと撫でた。聖羅は驚いたが、拒まなかった。ただ黙って身を任せていた。こんなふうに気にかけてもらうことに、聖羅は思わず我を忘れそうになっていた。これまで耕平は、一度もロマンチックな態度など見せたことがなかった。まして車の中でなど、手を握るどころか、渋滞に苛立って文句をまき散らすだけだったのに。だが今夜、耕平が美咲と一緒に、あんなにも幸せそうに、優しげに振る舞っているのを見てしまった。こんな優しい扱いを受けると、聖羅はつい、我を忘れそうになる。チュッ。祐樹が聖羅の手の甲に口づけた。聖羅は慌てて手を引っ込める。祐樹は、動揺する彼女を見て、ただ微笑んでいた。まもなく、ふたりは映画館に到着した。すでに午後10時を過ぎていたが、観客はまだ多かった。祐樹がわざと選んだのかどうかは分からないが、ふたりが観ることになった映画は、ロマンス描写の多い、大人向けの恋愛映画だった。正直なところ、聖羅は映画の内容に集中できなかった。頭の中は、耕平の裏切りのことでいっぱいだった。「……面白いか?」祐樹が聖羅の耳元で囁いた。その息づかいに、聖羅は思わずぞくりとした。「は、はい」聖羅は動揺した。その気まずさを紛らわせるように、ポップコーンに手を伸ばす。指先が触れ合った瞬間、聖羅の心臓が跳ね上がった。祐樹はそっと聖羅の手を握った。そして、スクリーンの中の場面が親密さを増していく頃、聖羅を自分の方へと引き寄せた。それから、彼女の唇にそっと口づけた。祐樹は、先ほどからずっと自分を抑えていた。聖羅は驚いたが、拒まなかった。まるでそれが合図であるかのように、祐樹の口づけは次第に、深く優しいものへと変わっていく。もしかしたら、スクリーンの中の場面を真似ているのは、自分たちだけではないのかもしれない。周囲の席からも、ひそひそとした物音が聞こえていた。「口、開けて」聖羅が応えずにいると、祐樹が耳元で囁いた。聖羅はただ受け身だった。こんな展開になるとは、思ってもみなかった。けれど同時に、自分もそれを望んで
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第7話

聖羅の体がぞくりと震えた。祐樹の吐息を、すぐ近くに感じる。それでも、聖羅は身を引かなかった。ププーッ!巡回中の警備員たちのバイクのクラクションが、ふたりを驚かせた。祐樹はとっさに体を離した。聖羅もそれに続いた。「失礼します、社長」聖羅はそう言うと、急いで車を降りた。振り返ることなく、聖羅はそのまま家の中へと入っていった。一方、祐樹は聖羅の消えた先を見つめながら微笑んでいた。「魅力的な女だ」祐樹が小さく呟いた。その視線は、固く閉ざされた扉から離れなかった。もしかしたら聖羅がまた出てくるかもしれない――そんな期待を抱きながら。だが、何分経っても聖羅が姿を見せることはなかった。パチッ。不意に、玄関先の明かりが消された。祐樹は思わず笑った。「……本当に、調子を狂わされるな。なんでこんなに、彼女のことばかり考えてしまうんだろう」一方、聖羅はカーテンの隙間から外を覗いていた。祐樹の車が遠ざかっていくのを見て、胸を撫で下ろす。「やっと行ってくれた」……翌日。聖羅が正式に祐樹の秘書として働き始める初日だった。「あなた……」配車サービスの車を降りたところで、ちょうど出社してきた耕平の姿が目に入った。声をかけようとしたが、耕平が美咲と一緒にいるのを見て、思わず言葉を飲み込んだ。耕平は気づかないふりをした。実際、この会社で耕平の妻が誰であるかを知っているのは、祐樹だけだった。2年前に何度か他の社員と顔を合わせたことはあったが、社員同士でもなければ、覚えている者などいないだろう。美咲のことを聖羅が知っているのは、単に耕平がよく彼女の話をしていたからだ。一方の美咲は、聖羅が耕平の妻だとは知らない。「だから、会社では他人の振りをしろなんて言ったのね」聖羅は自分に問いかけるように呟いた。聖羅は自分の席へと向かった。昨日、人事部からすでに業務内容や責任範囲について説明を受けている。デスクは社長室の前にある、奥まった一角にあった。そこに、聖羅一人だけの専用デスクが用意されていた。「おはようございます、社長」祐樹が部屋に入ってきたところで、聖羅は挨拶をした。「おはよう。今日の予定は?」祐樹が尋ねた。聖羅は祐樹の後をついて、部屋の中へと入っていく。「今日は8時から、幹部陣とのミーティングです。それ
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第8話

「傷つけたりしないから」祐樹の手が聖羅の顎に触れ、その顔を自分の方へと持ち上げた。視線が絡み合い、聖羅の胸が激しく高鳴る。これが間違いだということは分かっている。それなのに、なぜ祐樹の眼差しは、こんなにも心を落ち着かせてくれるのだろう。とりわけ、今まさに傷つき、心が折れそうな彼女にとっては。祐樹が顔を近づけると、聖羅は反射的に身を引いた。「社長、ここは会社です」聖羅は立ち上がろうと身をよじりながら、拒絶の言葉を口にした。けれど、祐樹の手がそれを阻むように、彼女の体を引き留めた。「分かってる」「誰かに見られたら、変に思われます」「じゃあ、会社でなければ、君を俺のものにしていいのか?」祐樹が、期待を込めて尋ねた。聖羅の顔がかっと赤くなった。祐樹の言葉は、あまりにも露骨で率直だった。聖羅は首を振った。これは間違っている、してはいけないことだ。耕平が不倫していたとしても、自分まで同じ過ちを犯すわけにはいかない。今はそう自分に言い聞かせていた。「給料を上げよう」祐樹が続けた。彼の顔がさらに近づき、その手が聖羅の頭を支え、さらに引き寄せた。その息づかいがすぐそこに迫る。聖羅は逃げたいと思う一方で、心の奥では、その温もりを求めてもいた。祐樹の唇が触れた瞬間、聖羅は目を閉じた。コン、コン。不意のノックの音に、ふたりはハッと我に返った。聖羅はすぐに体を離し、身なりを整える。一方の祐樹は、意味ありげな笑みを浮かべているだけだった。聖羅は慌てて、祐樹のデスクの向かいの椅子へと座り直した。「入って」ガチャッ。人事部の若い社員が、至急の決裁書類を数枚抱えて入ってきた。「すみません、先ほど聖羅さんに電話したのですが、出られなくて」「こちらこそ、電話に出られなくてすみません。社長室で仕事をしていたものですから」聖羅はそう答えながら、タブレットで作業しているふりをした。若い社員は頷いたが、聖羅のシャツのボタンがいくつか外れていることに気づき、思わず目を丸くした。……夜になり、聖羅はちょうどお風呂から上がったところだった。バスタオルを身体に巻きつけたままのタイミングで、夫の車が帰宅する音が響いた。聖羅は重いため息をついた。耕平に問い詰めるべきか、それとも知らないふりをして、いつも通りに迎えるべきか
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第9話

「疲れたわ、あなた」聖羅が小さく呟いた。「それが働くってことだろう。ずっと働きたいってねだってたくせに、たった一日でもう音を上げるのか?」耕平が苛立たしげに言った。「でも――」「早く支度しろ!立花さんを怒らせるなよ!」耕平にとって大事なのは、自分の出世であり、祐樹の機嫌を損ねないことだけだった。妻の気持ちなど、二の次でしかない。祐樹の意図に気づいていないのか。それとも、すべては出世のためなのか。「どうしても行けそうになかったら、私から立花さんに連絡するわ」聖羅が答えた。「聖羅!」耕平が声を荒らげ、聖羅の手からスマホを奪い取った。聖羅は困惑した。耕平はどうしてしまったのだろう。そこまで祐樹を恐れているのか。「働き始めてまだ初日だろう。社長に逆らえば、お前の評価に響くんだぞ。それに、立花さんはただ夕食に付き合ってほしいだけだ。お前もさっき腹が減ったって言ってただろう。自炊するより、外で一緒に食べてきたほうがいいじゃないか」聖羅は重いため息をつくと、諦めて浴室へと向かった。一方の耕平は、スマホでのやり取りに夢中で、一人にやにやと笑みを浮かべていた。聖羅はTシャツにロングスカートを合わせ、上からカーディガンを羽織った。夜も更けていたので、暖かい格好にすることにした。自宅の前に車が停まる音がした。祐樹に違いない。助手席に座ると、聖羅は黙り込んだ。祐樹は瞬きもせず聖羅を見つめていた。化粧気のない簡素な装いだというのに、彼女はとても美しく見えた。薄く口紅を引いただけの顔でも、その美しさは十分だった。「何が食べたい?」祐樹が尋ねた。「何のお約束でしたっけ?」聖羅が逆に尋ねた。「約束?」「クライアントとの食事じゃなかったんですか?」祐樹は首を振った。「一人で広い部屋にいるのが退屈でね。外で一人で食べるのも味気ないから、君に付き合ってほしかった」「もう……」聖羅は呆れたように呟いた。「なんだ?嫌なのか?」「それなら、うちで食べればよかったじゃないですか、社長。今日は本当に疲れてて」聖羅は力なく答えながら、両手で顔を覆った。「もう料理はした?」祐樹が尋ねた。「今からなら作れます」「じゃあ、うちで作ってもらおうかな。俺も手伝うから」「え?」聖羅の返事を待たずに、祐樹は車の方向を変えると、その
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第10話

「社長……」聖羅は抗おうとしたが、それを遮るように、祐樹の唇が言葉を封じ込めた。祐樹の熱い口づけにすっかり夢中にさせられて、聖羅は思わず彼の首に回した腕に力を込めた。祐樹の寝室は、リビングよりも柔らかな灯りに満ちていて、真っ白なシーツの敷かれたキングサイズのベッドが整えられていた。祐樹は聖羅をそっとベッドへ横たえた。まるでガラス細工を扱うかのように、壊さないよう丁寧に。それでいて、口づけを止めることは一度もなかった。「君が欲しい、聖羅」祐樹は一瞬だけ唇を離し、息を継ぎながら囁いた。やがて祐樹の手が、聖羅のTシャツをゆっくりと、しかし確実に脱がせていく。露わになった胸は、黒いブラジャーに包まれていた。祐樹は聖羅の首筋に口づけを落とし、そのまま胸元へと唇を滑らせていく。カチャッ。背中のホックが、祐樹の指先ひとつで簡単に外された。今や、聖羅の胸は何にも覆われず露わになっている。その先端は、すでに小さく硬くなっていた。もう我慢の限界だった。祐樹は片方を口に含み、もう片方には指を這わせた。「あっ……社長」祐樹に吸われ、軽く歯を立てられるたびに、聖羅の唇から抑えきれない熱い声が漏れる。聖羅の胸元には、祐樹が所有を示すようにつけた赤い痕が、いくつも残されていた。「どうだ、気持ちいいか?」祐樹が尋ねた。聖羅は目を閉じたまま、ただ頷くことしかできない。両手で、祐樹の頭をさらに自分へと引き寄せていた。祐樹の手は、聖羅の肌のすみずみまでをなぞるように動く。ほんのわずかな場所さえ見逃したくないとでもいうように。「社長、待って!」祐樹がスカートに手をかけようとした瞬間、聖羅は声を上げた。慌てて身を起こし、シーツで肌を隠しながら、床に散らばった服をかき集める。「どうした?」祐樹が、熱を帯びた眼差しで尋ねる。「駄目です。これは間違っています。私には夫がいるんです」聖羅は掠れた声で答えた。「……そうか」祐樹は頭を抱えた。膨れ上がった欲望が、体を苛むように疼いている。彼は聖羅の手を掴もうとしたが、彼女はその手を振り払い、ダイニングテーブルへと逃げるように歩いていった。「食事にしましょう、社長」聖羅が言った。「ああ」祐樹は力なく答えた。これ以上無理強いはしなかった。無理に迫れば、彼女の心がますます離れて
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