ジャン・モローは、海辺の広場に立ったまま、エマを見ていた。 風に揺れる金髪も、相手の反応を待ちながら決して視線を外さないところも、八年前とほとんど変わっていない。 エマは、手にしていたチョークへ指を添えた。 驚いた顔をしてはいけない。 知っている人間を見る目を向けてもいけない。 ここにいるのは、朝倉エマ。 港町のカフェで働き、フェスティバルの地域企画を手伝っているだけの女だった。 ジャンの隣にいた事務局の男性が、申し訳なさそうに頭を下げた。 「朝倉さん、すみません。フェスティバルに出資くださる、こちらのモローさんが展示会場をご覧になる予定だったのですが、倉庫街が少し分かりにくくて」 ジャンがエマへ向き直った。 「失礼しました」 フランス語の響きを僅かに残した英語だった。 「こちらの方が、展示会場に詳しいと伺いました」 エマは、英語で静かに答えた。 「事務局の方の方が詳しいと思います」 「彼は、別の担当者を迎えに行かなければならないそうです」 ジャンは隣の男性へ視線を向ける。 男性は困ったように笑った。 「すぐ戻るつもりだったのですが、車が到着してしまって。朝倉さん、もしお時間があれば、メイン会場までご案内いただけませんか」 断りたい。 けれど、明確な理由がなかった。 フェスティバルへ協力すると決めた以上、現地で迷っている関係者を案内する程度のことを拒めば、かえって不自然に見える。 しかも相手は、後援を検討しているモロー財団の、エレナの旧友であるジャン・モローだった。 過剰に避けるな。 現地住民の一人として、自然に振る舞え。 保護担当者の言葉が蘇る。 エマは、手にしていたチョークをケースへ戻した。 「メイン会場まででしたら」 「助かります」 ジャンは柔らかく笑った。 昔から、望んだ答えを得た時に見せる顔だった。 相手を追い詰めたようには見せず、最初からこうなると分かっていたように笑う。 それを知っている自分が、ひどく落ち着かなかった。 *** 二人は広場を離れ、倉庫街へ続く道を歩き始めた。 海沿いの遊歩道には、フェスティバルの案内板が立ち始めている。古い煉瓦倉庫の壁には作業用の足場が組まれ、開いた扉の向こうでは、スタッフが照明機
Last Updated : 2026-08-10 Read more