Alle Kapitel von 夫を送る日、息子はいなかったーー榊原家の秘密: Kapitel 31 – Kapitel 40

53 Kapitel

32話

予約の日、若菜が検査施設の受付へ進むと、直人が待合室から立ち上がった。 湊は母の手を離さず、空いた手で直人へ合図をした。 「今日は、直人さんも?」 「うん。一緒にやろう」 琴音は少し離れて挨拶した。直人も頭を下げる。 ふたりが顔を合わせるのは、若菜が事情を話してから初めてだった。 「終わるまで、こちらで待ってるね」 琴音は湊にそう言い、待合室の椅子へ座った。 英明と祥子は、奥の別室に来ていると受付で聞いた。 若菜はそのまま湊を連れ、直人と採取の部屋へ入った。 本人確認のあと、担当者が湊の前へしゃがんだ。 「口の中を、柔らかい綿で少しこするよ。痛かったら教えてね」 湊が若菜を見る。若菜がうなずくと、直人が先に椅子へ座った。 「俺から、やってもらう」 直人の採取が終わると、湊が同じ椅子に座った。 若菜が隣につくと、直人をまねて口を開ける。 湊の採取も済み、若菜は待合室の琴音のもとへ連れていった。 「少し、大人の話をしてくるね」 湊は琴音の隣へ座り、持ってきた小さな絵本を取り出した。 若菜が戻る間に、英明の本人確認と採取も済んでいた。 施設の人に案内された相談用の個室には、窓際に4脚の椅子があった。 英明と祥子が先に座り、直人が向かいへ腰を下ろした。 若菜も隣
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-10-22
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33話

結果を聞く日、担当者はふたつの報告書を並べた。 英明と直人。直人と湊。 どちらも、生物学上の父子関係を支持する結果だった。 若菜は隣の直人を見た。直人は自分と湊の名前を読み、判定欄へ目を下ろした。 英明は反対の報告書を持ち上げた。 「俺の息子なんだな」 担当者がうなずくと、英明はもう一度紙を見た。 さっきまで机の上で重ねていた両手が、今は別々に動いている。 紙を置き、また取り、直人の顔を見る。その落ち着かなさが、若菜にも分かった。 湊は自宅で琴音と過ごしている。 前の鑑定のときのように、この紙に座る場所を決めてもらうために来たのではない。 それでも、直人が自分の名前で受け取った結果を見て、若菜は胸がいっぱいになった。 「検査の結果は、俺から湊に話してもいいか」 直人が小さく尋ねた。 「うん。一緒に話そう」 英明が顔を上げた。 「俺と湊がつながっていた理由も、これではっきりした」 若菜はうなずいた。 もう、検体のせいかどうかを争わなくてよかった。 だが、圭吾との6年間を誰がどう受け止めるかは、検査の説明では終わらない。 担当者が退出すると、英明が直人へ手を伸ばした。 肩へ触れる寸前で止まり、直人の目を見る。 「よく来てくれた」 
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-10-23
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34話

本邸の客間へ入ると、若菜の隣に直人の椅子が用意されていた。 向かいには宗一と麗子、その隣に雅臣と修哉。英明と祥子は長卓の奥に座っている。 若菜は椅子を引いた。 今日は、何を読まされるか分からないまま座るのではない。 直人も隣へ腰を下ろし、英明を見た。 「集まってもらったのは、俺から話しておきたいことがあるからだ」 英明は直人の名を告げた。 自分の息子であり、湊の実の父親でもあること。 本人たちが立ち会った検査で、ふたつの関係を確かめたこと。 麗子の手が、卓に置いたバッグの持ち手から離れた。 宗一は英明を見ていたが、やがて直人へ向き直った。 「お前の息子?」 「俺も、存在を知らなかった」 「それで、湊くんが……」 麗子は言いかけたまま若菜を見た。若菜は目を伏せなかった。 圭吾の妻として黙ってきたことは消えない。 それでも、この席へ来た人全員に、初めから裁かれ直すために座ったのではなかった。 雅臣が背筋を伸ばした。 「直人さんは、どういうお仕事を?」 「医師です」 「そうですか。それなら、英明さんも心強いでしょう」 雅臣は笑みを作った。だが、隣の修哉へ向けた目は笑っていなかった。 英明が何か言う前に、若菜は口を開いた。
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-10-24
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35話

「今の勤め先を辞めるつもりはありません」 直人の返事に、英明の顔から笑みが消えた。 若菜は鞄から手を離した。長卓の向かいで、帰り支度をしかけていた麗子も動きを止めている。 「まだ何も聞かずに断るのか」 「医師として働けとおっしゃいました。今も、そうしています」 「同じではない。うちなら、もっと大きな仕事ができる。住む場所も用意する。今まで苦労した分くらいは、俺にさせろ」 英明は直人の返事を待たず、相馬へ目をやった。 「本邸に近いところなら、湊とも会いやすい。名前のことも、いずれは榊原に――」 「藤井のままでいます」 直人は英明を見た。 「今まで、この名前で生きてきました。今日から変えたいとは思いません」 祥子が湯飲みを置いた。小さく鳴った音のあと、誰も口を挟まなかった。 若菜は直人の横顔を見ていた。 この家の病院なら、研究に近づけるかもしれない。 直人が望んでいたことのひとつが、今、手の届くところにある。 その期待は、若菜にもあった。 受けたほうがいいと勧めれば、自分の恐怖も少しは軽くなるだろう。 あのときも、そうやって先の暮らしまで決めてしまった。 「何もかも嫌だというのか」 英明が椅子の肘掛けをつかんだ。 「嫌だから断っているんじゃありません。今の患者も、仕事を一緒にしている人もいます。父親が分かったからといって、明日から全部置いて
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-10-25
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36話

「こっち。上まで行くと、長いんだよ」 次の休み、公園の入口で直人を見つけると、湊は滑り台のある丘を指さした。 若菜は少し後ろからふたりについていった。 木の階段を登る子どもたちの靴音と、滑り降りてくる笑い声が重なる。 写真を撮った場所は、今も同じだった。 滑り台の出口の脇にベンチがあり、その先の花壇には低い柵が続いている。 圭吾はあのベンチに上着を置き、何度も湊を迎えていた。 「直人さんは、下にいて」 「一緒に登らなくていいのか」 「最初は見てて」 湊は若菜に水筒を預け、階段へ走りかけた。直人が名前を呼ぶと、振り返ってから歩く速さを落とした。 高いところから手を振る姿に、若菜も手を上げた。 「ここから見るんだな」 直人が滑り台の脇へ立つ。着地点をふさがないよう、少し離れて膝を曲げた。 湊が滑り始めた。最初は口を結んでいたのに、途中から声を上げて笑った。 靴底が地面につくと、勢いのまま直人へ駆け寄る。 「見えた?」 「見えた。思ったより速いな」 「お父さんも、そこにいたんだよ」 直人の笑顔が少し止まった。 若菜は水筒の紐を持ち直した。湊が言うたび、直人へ謝りたくなる。 その名前を聞かないで済む場所を、選ぶことだってできた。 でも湊は、ここへ来たかったのだ。
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-10-26
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37話

駅前の店へ入ると、修哉は窓際の席で顔を上げた。若菜は手を上げかけ、会釈に変えた。昨夜は自分から誘えたのに、本人を前にすると、椅子へ座るまでに何を言えばいいか分からなくなる。「待たせましたか」「少し早く着いただけです」修哉は向かいの席へ置いていた鞄を足元へ移した。若菜も座り、膝に掛けていた手提げを隣へ置く。家を出る前、袖口に淡い色の入ったブラウスに着替えた。今になって、いつもの服でよかったのではないかと思った。「その色、似合いますね」若菜は顔を上げた。修哉はもうメニューを開いていた。何でもないことのように言われたので、余計に返事が遅れた。「……ありがとうございます」若菜もメニューへ目を落とした。口元が緩むのを、修哉に見られたくなかった。コーヒーを選ぶ彼に続いて、若菜は蜂蜜入りの紅茶を頼んだ。「甘いもの、お好きですか」「今日は、甘いものが飲みたいんです」「俺は、いつも同じものを頼んでしまう」修哉がメニューを閉じる。仕事の話でも、家の話でもない。それだけのやり取りが、若菜にはうれしかった。飲み物が来てから、英明との面会について聞いた。「どんな話になったんですか」「鷺宮で担当してきた仕事を説明しました。資料を置いてきたので、返事はそれを見てからです」「うまく話せました?」「途中からは。最初に、もっと声を出せと言われました」若菜は思わず笑った。「ごめんなさい。少し、想像できて」「笑うところではないんですが」そう言った修哉も、カップへ口をつける前に笑った。父に逆らった人も、英明の前では緊張する。その話を自分からしてくれることが、若菜には意外だった。「今も、任されている仕事があるんですよね」「取引先との更新交渉が、まだ途中です。これは最後まで、自分でまとめたい」しばらく話しているうちに、ふたりの飲み物は半分ほどになった。窓の外を、本屋の袋を持った人が通る。若菜は駅の時計を見た。迎えまではまだ余裕がある。「この近くに、書店がありますよね。帰りに少し寄ろうと思って」「何か買うんですか」「まだ決めていません。見てから考えたいんです」修哉は空いたカップを置いた。「俺も、行っていいですか」若菜はうなずきかけ、それでは伝わらない気がして言い直した。「一緒に来てもらえたら、うれしいです」修哉はすぐには立たなかった。若菜
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-10-27
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38話

「先日は、嫌な思いをさせましたね」鷺宮邸の応接間で、雅臣は若菜へ頭を下げた。厚いカーテンが半分引かれ、窓際の花瓶に白い花が生けてある。若菜の前へ茶が置かれると、使用人は静かに扉を閉めた。「こちらの考えを先に進めすぎた。撤回の連絡は済んでいます。そこは安心してください」若菜は両手を膝に置いた。隣の修哉も、黙って父を見ている。「お伝えいただけたことは、相馬さんから伺いました」「圭吾くんを亡くして、皆、先を急ぎすぎたのかもしれません」雅臣の声は穏やかだった。このまま話を終えられるなら、それでよかった。若菜は礼を言い、湯飲みへ手を伸ばした。雅臣が修哉を見た。「それで、英明さんとは会ったのか」「はい。担当してきた仕事を説明し、資料を渡しました」「何と言われた」「見てから返事をすると」「私の案を退けてまで、自分で話した結果が、それか」若菜の手が止まった。修哉は姿勢を変えなかった。「その場で決まるとは思っていませんでした」「直人さんという実の息子が現れたんだ。今の英明さんが、お前を優先する理由はないだろう。こちらで道をつけようとしていたのに」「湊くんを理由に入ることは、頼んでいません」「若菜さん」雅臣は息子から目を外した。「この子は、あなたと話すようになってから、私のすることを何でも邪魔だと言うようになった」若菜は湯飲みを置いた。謝罪を聞きに来たつもりだった。けれど雅臣の目はもう、息子を元へ戻す答えを若菜に求めていた。「修哉さんは、ご自分の考えをお話しになっただけです」「それまで、こんな断り方はしなかったんですよ」雅臣は笑ったが、若菜の胸は冷えた。自分と会ったことが、この人にとって息子の落ち度になる。昨日、書店で隣に立っていた時間まで、ここでは説明の必要なものに変わってしまう。「私が頼んで、断ってもらったのではありません」「父さん」修哉の声が重なった。「俺に聞いてください」雅臣は息子へ向き直った。「なら聞こう。私の支えは要らないんだな」「仕事を見てもらいたいと言っています」「その仕事を任せたのは誰だ」修哉は答えなかった。雅臣は背もたれから身を起こした。「今、進めている取引先との更新交渉も、明日から別の者にやらせる。自分の力を試したいなら、私の仕事にしがみつく必要はないだろう」修哉の顎がわずかに上がった
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-10-27
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39話

湊を幼稚園へ送って戻ると、修哉から連絡が届いていた。【担当変更の連絡が来ました。今日、引き継ぎます】若菜は玄関に立ったまま、短い文を読み直した。雅臣が携帯を息子へ向けた顔が浮かぶ。怒りに任せて言っただけではなかった。【終わったら、電話してもいいですか】送ると、ほどなく返事があった。【夕方までかかりそうです。こちらから連絡します】若菜は、待っていますと返した。何を言えば彼が楽になるかは分からない。それでも、悔しいままで話してくれていいと伝えたかった。居間の机に座り、仕事の原稿を開く。午前中に戻す約束の、会社の記念展示に使う紹介文だった。長い沿革を、見に来る人へどう伝えるか。人名と年号を並べるだけでは、その人たちが何をしてきたのかは残らない。若菜は取材メモを読み直し、作業場の写真に添える一文を組み替えた。送信を済ませたところで、携帯が鳴った。榊原メディカルグループの総務担当だった。「圭吾さまの記念冊子を作ることになりまして。ご家庭のお写真を、お借りできないでしょうか」若菜は椅子に座り直した。「圭吾の、本ですか」「はい。会長のご意向です。来月、圭吾さまが担当されていた業務の引継ぎ状況を報告する会があり、そこでお配りする予定です」仕事の引継ぎは、亡くなったあとから進んでいるという。集まる親族や関係者へ、圭吾の歩みも渡したいらしい。あの人が仕事で会っていた人たちの手元にも、写真が残る。若菜は、棚の上の遺影を見た。「原稿を、見せていただけますか」届いた原案を画面に開いた。表紙には、スーツ姿の圭吾がいた。式典の写真や、病院の廊下で撮った集合写真が続く。若菜が知らない顔ぶれの中で、圭吾は背筋を伸ばして立っていた。こういう場所で働いていたのだと、写真を大きくして見た。次のページを開く。経歴の最後に、結婚した年と、長男・湊の誕生が一行ずつ記されていた。その先は、英明の挨拶文だった。若菜は前のページへ戻った。湊の名前はある。自分の名前も、妻として載っている。それなのに、家で圭吾がどんなふうに笑っていたのかは、一枚もなかった。台本を膝に広げて、湊が台詞を言うのを待つ顔。仕事から帰ったまま、玄関で話を聞かされていた姿。湊が話し終えるまで、靴も脱がなかった。あの毎日が、結婚と誕生の二行に収まっていた。電話をかけ直すと、担当者はすぐに
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-10-27
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40話

「会社で配るものだ。家庭のアルバムを作るわけではない」翌日、本邸の応接室で、英明は若菜が持参した紙を机の上へ戻した。若菜は向かいの椅子で、膝の上の台本を握った。ここへ来る前、角が折れないよう、湊と一緒に手提げへ入れたものだった。「アルバムにしたいんじゃありません。この一ページを、載せてほしいんです」「妻と子のことは、すでに書いてあるだろう」「生まれたことだけです」若菜は紙を英明のほうへ向け直した。「湊が生まれてから、圭吾が何をしていたかも残したいんです」滑り台の下で、圭吾が笑っている。息子を受け止めようと、両腕を広げた写真だった。英明はそれを見たが、何も言わなかった。若菜は台本を開き、机の空いたところへ置いた。「発表会の台詞も、圭吾と練習していました。湊が下を向いてしまうので、ここに」指で示すと、英明の視線が落ちた。ここで前を向く。仕事の書類とは違う、大きな字だった。「圭吾が書いたのか」「はい。湊が分かるように、読む場所も線を引いてあります」英明が手を伸ばした。若菜は台本から指を離した。湊を家へ戻せと言われたときも、病院の将来を語られたときも、この人の話には、もう大きくなった孫ばかりがいた。けれど圭吾は、今の湊と過ごしていた。台詞につかえる6歳の息子を、急がせずに待っていた。「どんな病院を残そうとしていたかは、私は代わりに言えません。でも、湊とこうしていたことなら、私が知っています」英明は台本を閉じず、写真へ目を移した。「……こんな顔をしていたんだな」若菜はすぐにはうなずけなかった。この顔を、自分と湊は何度も見ていた。いなくなる前には、それがどれほど大事なものか、考えたことさえなかった。「家では、よく笑っていました」声が少しかすれた。英明は顔を上げなかった。若菜は、圭吾を父親として認めてほしいのではなかった。そんなことは、誰に決めてもらう必要もない。ただ、あの時間を小さく片づけられたままにはしたくなかった。英明が机の呼出しボタンを押した。入ってきた相馬へ、写真を載せた紙を渡す。「総務へ。家族のページは、この案で入れなさい。直したものを若菜へ送り、確認してもらえ」若菜は顔を上げた。「一ページ、使っていいんですね」「そのために持ってきたんだろう」英明の口調はぶっきらぼうだった。若菜は礼を言い、台本を
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-10-27
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