もう戻せない、過去のありふれた日常雲出眞一郎(くもで しんいちろう)が二十八歳の誕生日を迎えた日、私は彼の大好きなケーキを手作りした。
彼の一番気に入っているスリップドレスに着替えた。肩紐はか細く、今にも切れそうなほどに結んでいる。
画室へ向かうと、ドアは少し開いていた。
押し開けると、濃厚なテレピンの匂いの中に、かすかに生臭い匂いが混ざっている。
イーゼルの前では、ある若い女性が裸のまま、何かを迎え入れるような姿勢をとっていた。
暖色のライトの下で、汗が女性の腰の窪みを伝わり、両脚の間に広がる深い影へと消えていく。
眞一郎の指が、女性の裸の背中を、背骨に沿って、ゆっくりとなぞっていった。
物音に気付いて彼は振り返ったが、少しも動じていない。
筆を置くと、私の方へ歩み寄り、ドレスの肩紐を指でひっかけた。
パチン!
紐が彼に引きちぎられた。
彼は一歩下がり、裸になった私の体をじっと見下ろした。
「篠崎深雪(しのさき みゆき)、お前の体じゃ無理だ」
彼は静かな口調で、ただ事実を述べているようにその言葉を投げつけた。
そして彼は、あの女性の若い肉体を指さし、芸術家としての冷たい口調で言った。
「この新鮮な肉体を見ろ。
これこそがインスピレーション!」
女性はイーゼルの後ろから立ち上がり、胸を張りながら、ゆっくりと私へと歩いてきた。