考えてみると、狡猾なキャラが支持を集めるのは単純な「悪さ」への賛美だけじゃないと感じる。
僕は物語の中で狡猾さが巧みに描かれると、まず純粋な知的興奮を覚える。例えば'デスノート'の夜神月みたいなタイプを見ていると、罠を張り巡らせて状況を掌握するプロセスそのものに魅了される。論理の組み立て、二手三手先を読むところ、冷静に計算して行動する姿は、能力への敬意を呼び起こす。単なる暴力や力押しとは違い、頭脳戦は観る側の思考も刺激するから、観客はつい「もし自分なら」と想像して没入してしまう。
次に、倫理の揺らぎが感情を複雑にする。狡猾なキャラは白黒で割り切れないことが多く、正義と悪の境界を曖昧にする。その曖昧さが議論を生み、感情移入を深める。罪深い選択をする人物に対して同情したり、あるいは非難したりすることで、自分の価値観を再確認する
口実にもなる。自分が抱える言い訳や後悔を重ね合わせてしまうと、単なる敵役が「理解可能な人間」になるのだ。
最後に、観賞の安全弁としての役割も大きい。現実でリスクを負わずに、自分の欲望や裏の顔を投影できる対象として機能する。狡猾なキャラの行動には痛快さやカタルシスがあり、禁じられたやり方で成功することに対する溜飲の下がり方もある。それに加えて、スタイルや台詞回し、外見の魅力でカリスマ化されることも多く、ファンは戦略的に動くその美しさにも惹かれる。
個人的には、そうした複合的な引力があるからこそ
狡いキャラを追ってしまう。単純な憎しみや嫌悪では片付けられない人間味と知的刺激が、長く記憶に残る理由だと思う。