面白い問いだね、僕の見立てでは
小早川秀秋の家臣団は伝統的な武家の身分構造を基盤にしつつ、採用と配属の面でかなり流動的だった。
まず中心にいたのは
古参の家老格や重臣たちで、家中の意思決定や領国経営を担っていたはずだ。彼らは通常、地侍や地域の土着勢力をまとめる役割を持ち、領地の年貢取りや城の守備、軍事動員の指揮など実務を回していた。次に中級の武将クラスがいて、戦時には部隊を率い、平時には治安維持や検地、百姓との折衝を行っていた。
また、足軽や下級武士といった基盤がいて、日常的な軍事力と労務を供給した。加えて、養子縁組や婚姻関係を通じて迎えられた外様や他家出身の者たちが混じり、政治的なバランスを取るための人事が随所に見られた。史料では、秀秋が若年で権限移譲を受けた事情や、周囲の有力者の影響力が家臣団の人事にも反映したことが示唆されている。そうした複合的な人脈と役割分担によって、彼の家臣団は機能していたと考えているよ。