僕、香川優樹は、恋人の本宮昌義さんとアウトレットモールにデートに来ていた。今日は、本宮さんの誕生日。パンケーキ屋さんで、僕は昨日買っておいたプレゼントを渡した。本宮さんはそれを気に入ってくれたようで、お返しにブレスレットを買ってもらった。 翌日、親友の渋井遼にそのことを話すと、本宮さんを紹介してほしいと言われた。本宮さんに予定の確認すると、次の日曜日なら空いているとのこと。僕、本宮さん、遼の3人でカラオケに行くことにした。 カラオケを楽しんでいる最中、遼が本宮さんに興味がわいたと言い出し――。
View More(えっと……どれにしようかな?)
僕は、目の前に並んでいるブレスレットを見ながらとても悩んでいた。自分用に買うのなら、こんなに悩むことはない。直感でこれっていうものを選べばいいのだから。でも、今日買うものは、誕生日のプレゼントだ。それも恋人への。
(本宮(もとみや)さん、どんなのが好きなんだろ?)
考えながら、本宮さんを思い浮かべる。
普段からアクセサリーはしているけれど、ピアスだけだったような気がする。それも、ピアス穴が開いているのは、左だけだったような……。だから、ピアスは却下。大抵のピアスは、左右そろって販売されていることが多いからだ。
チョーカーとかネックレスは、デザインが豊富だから、人によって好みの振り幅が大きい。僕がプレゼントしたものが、もし、本宮さんの好みじゃなかったらなんて考えると、怖くてとても選べない。
その点、ブレスレットなら、ある程度デザインは似通ってくるだろうと思った。だから、こうしてブレスレットが並ぶ棚を見ているのだけれど、正直なところ、本宮さんが好きそうなデザインがまったくわからない。本宮さんと知り合って1年しか経っていないから、彼のことをあまり知らないというのもあるのかもしれない。
1年前、僕は初めて学校の中間テストで赤点を取ってしまった。高校に入って初めての中間テストということで、変に緊張していたのだと思う。思うように問題が解けず、白紙に近いまま答案用紙を出した。その結果が、クラス唯一の赤点だった。
クラスメイトや先生は、気を遣(つか)って慰(なぐさ)めてくれたけれど、親には――とくに母さんにはこっぴどく叱られてしまった。わからなくても何か書いておけば、どうにかなったかもしれないのにと。
テスト中の僕は、頭が真っ白になって、そんなことなんか考えられなかった。小学生の時も中学生の時も、問題文をちゃんと読めば理解できたし、答えも考えれば浮かんできたのに。
中間テストの結果が出てすぐに、母さんが家庭教師を雇った。赤点を取った僕を案じてのことだったらしい。
そして、この家庭教師というのが、本宮(もとみや)昌義(まさよし)さんだ。僕より背が高くて、体格がいい。ワイルド系の顔立ちで見た目はちょっと近寄りがたいけれど、とても優しくて勉強の教え方が上手い。学校の授業で理解できなかったところが、本宮さんの解説でちゃんと理解できたなんてことが、数多くあるくらいだ。
そんな本宮さんは、どうやら僕が好きなタイプだったようで、出会ってから数ヶ月経ったある日、恋人になって欲しいと告白された。正直、驚いた。だって、本宮さんは、母さんの1つ後輩にあたる人で30代の大人だ。僕みたいな子どもは恋愛対象にはならないと思っていた。それより何より、僕は本宮さんと同じ男だ。同性のそれも自分の母親と同じくらいの年齢の人から、本気で好きだと言われるなんて思ってもいなかった。
そう言われた直後は、戸惑ったし冗談だと思った。けれど、本宮さんは本気だった。僕は、真剣に本宮さんとのことを考えて、彼とつきあうことにした。
それからいろいろあって、母さん公認になった僕たちは、何回もデートを重ねていった。何回目かのデートで、本宮さんの誕生日が9月25日だということがわかった。それが、明日。
そういうわけで、プレゼントを買おうと近くのアクセサリーショップに来てみたのだけれど、思った以上に高価な代物が多い。予算以内で買えるもので、おしゃれな本宮さんに似合うものと考えると、なかなか決められない。
ああでもないこうでもないと、ブレスレットの陳列棚の前をうろうろすること十数回。ふいに、1つのブレスレットが視界に入った。それは、紫色と黒のレザーで編み込まれたブレスレットだった。
(これ……本宮さんに似合うかも)
直感でそう思った僕は、値段も見ずにそれを手にとってレジに並んだ。会計時に値段を見て、予算ぎりぎりだったことに、内心冷や汗を流す。ラッピングはシンプルなものにしてもらい、何とか予算内で買うことができた。
(本宮さん、喜んでくれるかな?)
と、期待半分不安半分で帰宅する。
* * * *
翌日、僕はあくびをかみ殺しながらリビングで濃いめの緑茶を飲んでいた。昨夜は、なかなか寝つくことができなかったのだ。
「まったく、子どもだねえ」
と、母さんが呆れながら淹れてくれた。
僕は、母さんのその言葉に、何も言い返すことができなかった。自分でも呆れているのだからしかたがない。まさか、高校生にもなって、翌日が楽しみすぎて眠れないなんて……。
「ふわぁぁ……」
ふいに、あくびがもれた。この調子だと、本宮さんに迷惑をかけてしまうかもしれない。それだけは避けなければ。
今日は、本宮さんの誕生日であり休日ということもあって、隣町にあるアウトレットモールに行く予定だ。しかも、僕と本宮さんの2人きりで。いわゆるデートである。
ようやく眠気がなくなってきたところで、呼び鈴が来客を知らせた。
時計を見ると、午前9時30分を少し回っている。
僕は、残りの緑茶を一気に飲み干して自室に戻った。お気に入りの黒いショルダーバッグを手に、玄関へと駆けて行く。
玄関では、母さんが本宮さんを出迎えているところだった。
母さんと話をしている本宮さんは、相変わらずかっこいい。ウルフカットの黒髪と左耳についているシルバーのピアスは普段と変わらないけれど、見慣れないワインレッドのシャツに黒のデニムパンツを着ている。でも、それがとても似合っていた。
ドキッとした僕は、伏し目がちに母さんの横をすり抜ける。
「あんた、あいさつくらいしたらどうなの。まったく、あんまり寝てないんだから、いつも以上に気をつけなさいよ」
「わかってるよ」
母さんの言葉に、僕はぶっきらぼうに答えて靴をはく。
「それじゃあ、優樹をよろしく」
「はい。あまり遅くならないようにしますんで」
本宮さんがにこやかに言うと、母さんはにやにやしながら、
「遅くなってもいいけど、変なことはするなよ?」
と、忠告している。
にやけながら言うことではないと思うのだけれど。
「しませんよ、変なことなんて。そんなことしたら、先輩、俺のことぶん殴るでしょ?」
苦笑する本宮さんに、母さんは「そりゃそうだ」と笑い声をあげる。
「お待たせ、本宮さん。早く行こう」
2人の会話が途切れた隙を狙って、僕は本宮さんをうながした。
いってらっしゃいの母さんの声を背中で聞いて、僕は本宮さんと家を出た。
アウトレットモールには、本宮さんの車で向かう。目的地まで結構な距離があるし、そもそも僕はそこに行くまでの道のりを覚えていなかった。隣町にあることは知っているけれど、家族で行ったことは数えるほどしかない。
「そういえば、あんまり寝てないとか聞いたけど大丈夫か?」
しばらく車を走らせていると、本宮さんが心配そうにたずねてきた。
「うん、大丈夫。今日のことが楽しみすぎて眠れなくて……」
苦笑しながらそう説明すると、
「そっか」
と、本宮さんは前を見たまま顔をほころばせた。その表情にも声音にも、ホッとしたような感じがあった。
僕は、何だか申し訳なくなり、
「心配させてごめんなさい」
と、謝ったのだけれど、思ったより声が小さくなってしまった。
「別に悪いことしたわけじゃねえだろ? 謝る必要ねえよ。無理さえしなきゃ、それで充分だ」
そう言って笑う本宮さんの言葉に、僕はどこか救われた気がした。
それから、車を走らせること20分。僕たちは、無事にアウトレットモールに到着した。
駐車場に車を停めて外に出ると、爽やかな青空が僕たちを迎えた。9月も下旬になったからなのか、空気が涼しく感じられる。薄手の上着を着てきて正解だったようだ。
「優樹、腹は減ってるか?」
にやりとして聞いてくる本宮さんに、僕は同じようににやりとして、大きくうなずいた。これから行く場所のために、朝食を抜いたので、気を抜くと腹が鳴りそうなほど空腹だった。
「それじゃあ、行くか」
と、本宮さんは満面の笑みで言った。
そんな彼と一緒にモール内に入る。日曜日だからか、客の数が多い。その大半が、家族連れやカップルだった。
「優樹、はぐれるなよ」
そう言って、本宮さんが僕の手をつかむ。何気ない行為のはずなのに、急に胸がドキドキして小さくうなずくことしかできなかった。
手をつないだ僕たちは、道行く人の波をかき分けながら、アウトレットモールのレストランエリアにやって来た。このエリアに、お目当ての店がある。歩きながら、人波のすき間から見える店名を確認する。でも、探している店ではなかった。
あれも違うこれも違うと探すこと十数分。
「あった! 本宮さん、あれ!」
ようやく見つけた店名に、僕は思わず声をあげた。
それが功を奏したのか、違う方を見ていた本宮さんが、僕の指さす方に顔を向ける。
僕たちの視線の先には、『ハニーノルン』という看板を掲げている店があった。ここが、僕たちのお目当ての場所だ。10時すぎということもあり、店内はなかなかに混んでいる。
「うわ、結構混んでるな。どうする?」
やめようかと、顔をしかめながらたずねてくる本宮さんに、僕は、
「今更帰るなんて、ありえないからね」
と、きっぱりと告げた。
だって、今日の目的は、このハニーノルンで美味しいパンケーキを食べることなのだから。もちろん、本宮さんの誕生日を祝うことも忘れていない。でも、ここで帰ってしまったら、何のために来たのかわからなくなってしまう。さすがに、それは嫌だった。
「じゃあ、待つか」
本宮さんは、ホッとした笑顔を浮かべてそう言った。
どうやら、本宮さんもここのパンケーキを楽しみにしていたらしい。それなら、やめようかなんて聞かないでほしいとも思うけれど、尻込みしてしまう気持ちもわかる。なぜって、店内にいる客のほとんどが女性だからだ。もしかしたら、男は僕たち2人だけなのかもしれない。
ハニーノルンは、都内では有名なパンケーキ専門店らしく、テレビの情報番組で取り上げられることが多い。スイーツ系から惣菜系まで取り揃えられていて、そのどれもがふわふわの生地で美味しいと評判だそうだ。
そんな有名店が、このアウトレットモールに出店したのが先月のことだ。県内で唯一ということもあって、オープン当初は、長蛇の列ができるほど大盛況だったらしい。もちろん、1ヶ月経った今もその人気は衰えていない。
それから30分ほど待つと、ようやく僕たちの番がやってきた。もう少し遅かったら、空腹で倒れていたかもしれない。
店員さんに案内されて、空席になったテーブルにつく。さっそくメニュー表を開くと、いろいろなパンケーキの写真が名前とともに掲載されている。どれもが美味しそうだった。
「どれにするんだ?」
本宮さんに聞かれて、僕はうーんと唸った。正直なところ、とても悩む。
「本宮さんは?」
逆に聞いてみると、本宮さんは少年のような笑顔を浮かべて、もう決まっているなんて口にする。
(早っ! ヤバい、どうしよう……)
焦ってメニュー表を凝視する僕に、本宮さんはゆっくり決めていいと言ってくれた。気を遣ってくれているんだろうと思うと、申し訳なくなってくる。
それから少し悩んだ僕は、店名を冠したスペシャルパンケーキを選んだ。店員さんを呼んで注文する。
しばらく待つと、本宮さんが注文した商品が先に運ばれてきた。厚めのパンケーキの上に、カリカリのベーコンと目玉焼きが乗っている。惣菜系パンケーキの中でも定番の一品だ。
続いて運ばれてきたのは、僕が頼んだハニーノルンスペシャルパンケーキだ。分厚いパンケーキの上には、たっぷりの生クリームとメープルシロップがあり、パンケーキの横にはいちごやブルーベリーなどの果物がこれでもかというほど盛られている。スペシャルというだけあって、さすがにボリューミーで豪華だ。
「すごいな、それ。食べ切れるのか?」
目を丸くしている本宮さんに、僕は大きくうなずいて、
「もちろん! そのために朝、抜いてきたからね。もうお腹ペコペコだよ。本宮さんは、それだけでいいの?」
「ああ。食いすぎると、動けなくなっちまうからな」
そう言って、本宮さんはパンケーキを一口食べる。
(食べすぎると動けなくなるって、どのくらい食べるつもりだったんだろう?)
気にならないわけではないけれど、追求はしなかった。それよりも目の前のパンケーキの方が、今の僕には重要だった。
「いっただっきまーす!」
そう言って、一口大に切り分けたパンケーキを食べる。ふわふわの食感と生クリームの爽やかな甘さ、それを追いかけるメープルシロップのコクが口の中に広がった。
ぐらりと、本宮さんが前に倒れそうになる。僕は、慌てて本宮さんの前に移動して彼を抱きとめた。「本宮さん、しっかり!」「……優樹……無事、だったか」「うん。本宮さんのおかげだよ」「よかっ……た」「本宮さん!?」「ははっ……ちょっと、しくじっちまった……」そう言って、薄っすらと笑みを浮かべる本宮さん。けれど、額には汗がにじんでいて、僕を心配させないための強がりだということは明白だった。どうしてと言おうとして、僕は彼の腹部が赤黒く変色していることに気づいた。もしかしなくても、先ほどの男性に刺されたのだろう。「止血っ! 止血しなきゃ!」「ごめん、な……こんな、情けねえとこ……」と、眉間にしわを寄せて、本宮さんが弱々しくつぶやく。「そんなことない! 僕を助けてくれたじゃん!」言いながら、僕は本宮さんをその場に横たわらせて傷口を右手で押さえる。生温かい感触がじわじわと溢(あふ)れてくる。焦りながら、震える左手でスマホを操作し、救急車を呼んだ。「もう少しで、救急車来るから!」必死に声をかける。本宮さんの返事を待たずに、僕は両親が営む喫茶店に電話をした。この時間なら、必ず店にいるはずだ。『お電話ありがとうございます。カフェ、ムーンリバーです』数回の呼び出し音の後、母さんが電話に出た。「母さん、本宮さんが刺された!」時間が惜しくて、自分の名前も言わずに要件を言った。母さんは、電話の相手が僕本人だと確信したようだった。『何だって!? 救急車は?』「さっき呼んだ。止血してるけど、血が止まんなくて……」『場所は?』「学校の校門前」『わかった。すぐ行く』そう言って、母さんが電話を切った。僕はスマホをポケットにしまって、両手で本宮さんの傷口を強く押さえる。「本宮さん、しっかりして!」
「しばらくなんて言わずに、卒業するまで送迎してもらったら?」なんて、母さんが言う。「そんな! 本宮さんに迷惑かかるじゃん!」僕がそう言うと、「それなら、2人が一緒になればいいんじゃないか?」と、父さんが本気とも冗談ともつかないことを口にした。突然のことに、僕は言葉が出ない。それどころか、顔が熱い。まさか、実の父親にそんなことを言われるとは思ってもみなかった。「いいじゃない! そうすれば、2人にもお店手伝ってもらえるし。そうしなさいよ!」母さんが話を飛躍させて喜んでいる。「ちょっと、2人とも! そういう話じゃないって!」と、僕が言っても、たぶん2人の耳には入っていないだろう。それだけ話が盛り上がっていた。僕は小さくため息をついた。でも、話を飛躍させてくれて、正直なところ助かった。僕が深刻に考えすぎないように、気を遣ってくれたのだと思う。「ありがとう」僕は小声でそう言った。話に花が咲いているから、2人に届いているかどうかはわからない。今は、照れくさくてこんな形でしか言えないけれど、いつかはちゃんと伝えようと思った。翌日から、本宮さんの送迎が始まった。車で登校する生徒はほとんどいないから少し恥ずかしいけれど、背に腹は代えられない。教室に行くと、遼が僕の席に駆け寄ってきた。「遼、おはよう」「おはよう。本宮さんの車で来たんだって?」あいさつもそこそこに、遼がそうたずねてくる。遼には、本宮さんの送迎のことは話していない。にもかかわらず、なぜか知っている。どこから情報を仕入れてくるのだろう。「うん。でも、何で知ってるの?」「優樹を見かけた女子が、うわさしてたんだよ。車で登校した人がいるって」「あ、なるほど……」もううわさされているなんて驚きだ。「香川君、ちょっといい?」と、珍しくクラスメイトの女子生徒が、僕の席にやってきた。クラス委員長だ。「委員長、どうしたの?」「登校途中に、貴方の親戚のお兄さんという人から預かったの」と、委員長は真っ白な封筒を僕に差し出した。レターセットでよく見るようなサイズだ。「親戚のお兄さん?」言いながら、僕はそれを受け取る。「どんな感じの人だった?」遼がたずねると、「そうね……けっこう、かっこいい感じのお兄さんだったわ。たぶん、20代くらいじゃないかしら?」それじゃあと言って、委員長は自
「遼君が? どうして、俺の交友関係を……?」わからないと言うように、本宮さんは首をかしげる。「昨日、3人でカラオケ行ったじゃん? で、本宮さんみたいな大人の人が恋人だったらって思ったんだって」「それで、俺に異性の友人がいないか聞いてくれって?」と、察したようにたずねられて、僕はうなずいた。「なるほどな。ったく、まだ焦る必要ねえってのに……まあいいや。女性の知り合い、ねえ? まあ、いるにはいるけど、相手がいる人がほとんどだな」本宮さんは、思い出すように虚空(こくう)を見つめてそう言った。本宮さんの友達や知り合いとなると、だいたい彼と同年代だろう。そうなると、完全にフリーの人は、あまりいないのかもしれない。彼の今の言葉だけしか判断材料がないから何とも言えないけれど、こればかりはしかたがない。遼には、そのまま伝えることにした。「よし! じゃあ、勉強を始めるぞ!」再度、仕事モードに切り替えた本宮さんが、空気を変えるように言った。「はい!」元気よく返事をした僕は、すぐにノート類を準備する。2人だけの勉強会が始まった。* * * *火曜日。いつも通り、何ごともなく授業が進んで昼休みになった。教室には、何人かの生徒が友達と一緒に昼食を楽しんでいる。もちろん、僕も遼とともに弁当を食べていた。「そうそう、昨日、本宮さんに聞いてみたよ」思い出したように僕が言うと、遼は目の色を変えて身を乗りだす。「どうだった?」「友達に女の人はいるけど、ほとんどの人が相手いるってさ」「マジかー」と、遼は残念そうに言ってうなだれる。「そう、気を落としなさんな。単純に、今はそのタイミングじゃないってだけじゃん?」「かもな。しゃーねー、今はバスケ頑張るかー」そう宣言すると、遼は弁当の残りをかき込む。まだ昼休みは終わらないというのに。でも、これが遼なりの決意表明なのかもしれない。「優樹、ありがとな」弁当を食べ終わった遼は、すっきりした顔でそう言った。「いいって。いつも、こっちが相談に乗ってもらってるんだし」お安い御用だと僕が言うと、遼は照れくさそうに笑った。遼との何気ない会話に、僕は心底ホッとしていた。もしかしたら、遼と絶交していたかもしれないのだ。本当に、そんなことにならなくてよかった。その後も、僕たちは他愛もない話に花を咲かせて、昼休みをすごした。
3人でのカラオケと遼の爆弾発言があった翌日。僕は、少し緊張しながら登校した。いつものように遼と話せるのかわからなかったからだ。いつも通りに接したい気持ちはあるけれど、どうしても昨日の遼の言葉がちらついてしまう。それを脳裏から追い出そうと、僕は頭を振った。(本宮さん言ってたじゃん。ちゃんと聞かなきゃ、またもやもやするって)だから、きちんと本人に確かめると決めたのではなかったか。不安と緊張が胸の中に渦巻いている中、僕は教室のドアを開いた。「優樹!」先に登校していた遼が、僕のところにすっ飛んできた。「お、おはよう……」遼のあまりの勢いと少しの気まずさに、僕はそれしか言えなかった。「優樹! 昨日はごめん!」あいさつもそこそこに、遼は深々と頭を下げる。突然のことに、周囲にいたクラスメイトたちが一斉にこちらを向いた。その状況に、僕は息をのむ。もともと、自分が注目されることに慣れていないということもあるけれど、その場にいた全員が僕たちの方を見るのは、さすがに怖いものがあった。「遼、顔上げて。とりあえず、場所変えよう」僕は、クラスメイトたちの視線に耐えかねて遼にそう言った。頭を上げた遼が、素直にうなずく。何だか凹んでいるようにも見えた。僕は、遼を引き連れて教室棟2階の非常階段へと向かう。その間、僕たちはお互いに無言だった。気まずい空気が、僕たちを包んでいる。非常階段に通じるドアの前に到着した僕たちは、ひとまず外に出ることにした。他の人に聞かれて、妙なうわさを広められるのは嫌だった。「それで? ごめんってどういうこと?」と、僕は単刀直入にたずねた。ホームルームが始まるまで、そんなに時間がないからだ。「昨日、優樹を傷つけちまったから……」遼は、しょんぼりとしながらそんなことを口にする。その言葉に、思考が急激に冷めていくのを感じた。(……自覚あったんだ)
僕は、気まずさを抱えながらたこ焼きを食べる。先ほどまでは、専門店にも引けを取らないくらいの美味しさだったのに、今はほとんど味がしない。でも、遼と本宮さんは、特に気にしているふうでもなく、談笑しながら食事を再開している。2人の様子を見ていると、自分が考えすぎているだけなのではと思ってしまう。食事が終わった後、2時間ほど歌うことになった。遼も本宮さんも楽しそうに熱唱していたけれど、僕は全力では楽しめなかった。どうしても、遼の爆弾発言が気になってしかたがない。途中、本宮さんが僕を気遣ってくれたけれど、何でもないで押し通した。さずがに、この場で気軽に聞けるようなことでもないし、そんな度胸を持ち合わせてはいない。結果、僕の気持ちは晴れないまま、解散することになった。会計は割り勘になるものとばかり思っていたけれど、自分が払うからと本宮さんに押し切られてしまった。申し訳ないような気もするけれど、ここは素直に甘えることにした。受付カウンターには、珍しく男性の店員さんがいた。いつもは、女性の店員さんが対応しているから、何だか新鮮な感じがする。僕よりも少しだけ背の高いその店員さんは、淡々と業務をこなしていく。決して愛想がいいとは言えないけれど、仕事なのだからそういうものなのかもしれない。会計も無事に終わり、僕たちは受付カウンターに背を向ける。店を出ようとしたところで、僕はふと背後に視線を感じた。じっとりとまとわりつくような感覚に、思わず振り返る。先ほど対応してくれた男性の店員さんが、じっと僕を見つめていた。「優樹。どうかした?」急に振り返った僕に気づいたのか、遼に声をかけられた。「あ、いや、何でもない」言って、足早に2人のもとへと向かう。なんとなく、店員さんの視線に恐怖を感じた。それはささいなものだったけれど、ほんの一瞬、心の中のもやもやを忘れるほどだった。歌った曲や食べた料理のことを話しながら駐輪場まで行くと、先ほど感じた恐怖はきれいさっぱり消えていた。何だったのだろうと思いつつ、気にしないことにした。それよりも、今は遼の動向が気になる。自分の自転車の前で立ち止まった遼は、本宮さんにお礼を言っていた。爆弾発言なんかなかったかのような、満面の笑みでだ。それを見た僕の心の中に、また黒いもやもやが広がり出す。「そうだ! 本宮さん。連絡先、交換しません?」と、遼が思
「そんな、俺たちのことなんて気にしないでくださいよ」「そうそう、本宮さんがいつも歌う曲でいいからさ」遼と僕がそう言うと、本宮さんは「そうか?」なんて言って曲を選択する。本宮さんが入れた曲は、激しい曲調のハードロックだった。イントロを聞いた瞬間、僕が知っている曲だとすぐにわかった。もともと母さんが好きな曲で、幼い頃から一緒に聴いていたのだ。まさか、本宮さんがこの曲を歌うとは思っていなかった。否が応でも、僕のテンションは急上昇する。本宮さんは、歌も上手だった。普段の声よりも少し低めだけれど、耳の奥に甘く響くような、そんな歌声。この声で口説かれたら、誰だって一発で恋に落ちると思う。僕は、自分が歌う曲を入力することも忘れて、本宮さんの歌声に聞き入っていた。そんな中、右腕を軽く叩かれた。見ると、遼がタブレット端末を差し出しているところだった。うなずいた僕は、タブレットを受け取って曲を探す。何を歌うか決めていなかったから、歌手名を入れて検索しては、あれでもないこれでもないと曲名を見送っていく。悩みながらそれを何回かくり返し、ようやく歌う曲を入力した。僕がタブレットを本宮さんの前に置くと、本宮さんは歌いながら優しいまなざしをくれた。その瞳にドキッとして、思わず視線をそらしてしまった。ちょうど遼の方に顔を向けた形になり、にやにやしている遼と目が合った。それが何だか恥ずかしくて、照れ隠しにレモネードを飲む。その冷たさのおかけで、ほんの少しだけ冷静さを取り戻せたような気がした。歌い終わった本宮さんがマイクを置くと、「本宮さん。歌、上手いですね!」と、遼が称賛する。僕も大きくうなずいた。「そうか? ありがとな。久しぶりに歌ったから、ちょっと不安だったんだ」と言って、本宮さんがレモネードをのどに流し込む。(本宮さんでも不安に思ったりするんだ)と、僕は純粋な感想を抱いた。いつも落ち着いていて堂々としているから、ちょっと意外だった。聞き慣れたイントロが流れ、遼がマイクを握る。人気アニメのタ
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