僕は、気まずさを抱えながらたこ焼きを食べる。先ほどまでは、専門店にも引けを取らないくらいの美味しさだったのに、今はほとんど味がしない。でも、遼と本宮さんは、特に気にしているふうでもなく、談笑しながら食事を再開している。2人の様子を見ていると、自分が考えすぎているだけなのではと思ってしまう。
食事が終わった後、2時間ほど歌うことになった。遼も本宮さんも楽しそうに熱唱していたけれど、僕は全力では楽しめなかった。どうしても、遼の爆弾発言が気になってしかたがない。
途中、本宮さんが僕を気遣ってくれたけれど、何でもないで押し通した。さずがに、この場で気軽に聞けるようなことでもないし、そんな度胸を持ち合わせてはいない。結果、僕の気持ちは晴れないまま、解散することになった。
会計は割り勘になるものとばかり思っていたけれど、自分が払うからと本宮さんに押し切られてしまった。申し訳ないような気もするけれど、ここは素直に甘えることにした。
受付カウンターには、珍しく男性の店員さんがいた。いつもは、女性の店員さんが対応しているから、何だか新鮮な感じがする。僕よりも少しだけ背の高いその店員さんは、淡々と業務をこなしていく。決して愛想がいいとは言えないけれど、仕事なのだからそういうものなのかもしれない。
会計も無事に終わり、僕たちは受付カウンターに背を向ける。店を出ようとしたところで、僕はふと背後に視線を感じた。じっとりとまとわりつくような感覚に、思わず振り返る。先ほど対応してくれた男性の店員さんが、じっと僕を見つめていた。
「優樹。どうかした?」
急に振り返った僕に気づいたのか、遼に声をかけられた。
「あ、いや、何でもない」
言って、足早に2人のもとへと向かう。なんとなく、店員さんの視線に恐怖を感じた。それはささいなものだったけれど、ほんの一瞬、心の中のもやもやを忘れるほどだった。
歌った曲や食べた料理のことを話しながら駐輪場まで行くと、先ほど感じた恐怖はきれいさっぱり消えていた。何だったのだろうと思いつつ、気にしないことにした。それよりも、今は遼の動向が気になる。
自分の自転車の前で立ち止まった遼は、本宮さんにお礼を言っていた。爆弾発言なんかなかったかのような、満面の笑みでだ。それを見た僕の心の中に、また黒いもやもやが広がり出す。
「そうだ! 本宮さん。連絡先、交換しません?」
と、遼が思いついたかのように本宮さんに聞いた。
それならばと、僕はSNSのグループ機能を使うのはどうかと提案した。単純に、遼と本宮さんが、僕の知らないところでやり取りしているのが嫌だった。
2人が即座にうなずいたのを見て、僕はさっそくグループを作り2人を招待する。すぐに遼がグループに入り、その後を追うように本宮さんが入った。
「サンキュー、優樹。んじゃ、また明日な!」
と言って、遼は自転車に乗って帰路に就く。
遼の姿が大通りへ消えていくと、
「優樹。ちょっとドライブしようぜ」
と、本宮さんに誘われた。
でも、僕はとてもそんな気分にはなれない。胸に黒いもやもやを抱えたまま、本宮さんとドライブに行くなんて考えられなかった。
「ごめんなさい」
僕は、それだけしか言えなかった。それ以上の言葉を紡ごうとすると、押し留めている感情が爆発してしまいそうになる。だから、その一言に、ここで解散にしてほしいと願いを込めた。けれど。
「嫌だ」
本宮さんが、いつもより低い声でそれだけを口にした。
「えっ……!」
僕は、弾かれたように本宮さんを見た。
まさか、直球で否定されるとは思っていなかった。それも、聞いたことのない低さの声で。怒っているわけではなさそうだけれど、感情が見えない。
「本宮さ……うわっ!?」
本宮さんに確認しようかと思った矢先、彼は無言で僕の腕をつかんで歩き出した。
「ち、ちょっと本宮さん! 放してよ! 今日はここで解散にしよう?」
控えめにそう提案するけれど、本宮さんは無言で駐車場を進んでいく。それどころか、愛車の助手席に僕を押し込めると、有無を言わさず車を発進させた。
「本宮さん、車止めて! お願いだから!」
「嫌だって言ったろ? 今日は、まだ帰さないからな」
と、淡々と告げる本宮さん。
普段ならときめくような台詞でも、今の僕には響かない。どうしてそんなことを言うのだろうという気持ちの方が強かった。
西日が街を黄金色に染める中、僕たちを乗せた車は僕の自宅とは反対方向へと進んでいく。
「ねえ、本宮さん。僕の家、反対だよ?」
おずおずと聞いてみるけれど、
「そうだな。優樹の家に向かってるわけじゃねえからな」
なんて、本宮さんが当然のことのように言う。
それでは、どこに向かっているのだろうと疑問に思う。けれど、聞くに聞けなかった。本宮さんの雰囲気が、いつもの優しいものとは違うような気がしたからだ。
それ以降、僕と本宮さんは終始無言で。重苦しい空気が車内を支配していく。
気まずくて、僕は助手席の窓から外を眺めていた。流れていく風景は、いつもと同じ街並みのはずなのに、なぜか僕の知らない街のように見える。僕が通ったことのない道を走っているからだろうか。
(どこまで行くんだろう?)
ふと、そんな疑問を抱く。自分が暮らしている街をすべて把握しているわけではないから、自分が今どこにいるのか見当がつかない。
「優樹。何か思ってること、あるんだろ?」
唐突に、本宮さんにたずねられた。
「何のこと……?」
胸の内を見透かされたような気がして、僕はそう聞き返すことしかできなかった。
本宮さんは小さく息をついて、また無言で車を走らせる。僕がはぐらかしたことで、不機嫌になったのだろうか。いや、それはあり得ない。本宮さんが不機嫌になったところなんて、今までほとんど見たことがない。だから、僕がそう思ってしまうのは、ネガティブな感情を抱えている僕自身が原因だ。でも、この感情を気軽に話す気にはなれなかった。
しばらくして、本宮さんは大きめの公園の駐車場に車を停めた。シートベルトをはずして僕に向き直る。
「優樹。思ってることがあるなら言ってくれ」
誠実な本宮さんの声に、僕の意思は大きく揺らぐ。でも、正直に話すのが怖い。
「優樹」
念を押すように本宮さんに呼ばれて、僕は諦めたように大きく息をついた。
「本宮さんはさ、今日、楽しかった?」
自分の思いを言う前に、僕は本宮さんにたずねてみた。
「ああ、楽しかったよ。優樹にいい友達がいることもわかったしな」
「そっか……」
「でも、優樹は違ったんだな?」
本宮さんの問いに、僕は小さくうなずいた。
「……お昼食べてる時にさ、遼が言い出したじゃん? 本宮さんに興味あるって」
「ああ」
「それ聞いた時、なんかもやもやしたんだ。今まで、同性が好きだなんて素振り、一度も見せなかったのに、とか。女の子が好きだったんじゃないの、とか。本宮さんは僕の恋人なんだけど、とか……」
僕は、遼に対して思っていたことを口にする。瞬間、あの時のことがフラッシュバックした。思わず、自分の胸を押さえる。どす黒い感情が、一気に溢れ出してしまいそうだった。
「本宮さんもお礼なんか言っちゃってさ、本当は僕じゃなくてもいいんじゃないの? とか。ちゃんと断ってよ、とか。恋人だって言ってほしい、とか……」
本宮さんが静かに聞いているのをいいことに、僕は思いの丈をぶつけた。
自分の気持ちを言葉にしていると、次第に涙が溢(あふ)れてくる。自分だけを見てほしい。そんな思いだけが、胸の中いっぱいに広がっていく。
「だから……」
そこから先は、もう言葉にならなかった。感情が、涙と一緒に溢れ出す。それを堪えようと、僕は唇を強く噛んだ。
そんな僕を、本宮さんは何も言わずに優しく抱きしめてくれた。やけに暖かく感じる彼の体温に、胸の奥がぽかぽかしてくる。
ホッとしたからだろうか、僕は小さな子どものように声をあげて泣きじゃくった。
* * * *
どれくらいの時間が経ったのだろう。だいぶ長い時間泣いていたような気がする。
「落ち着いたか?」
泣き止んだ僕に、本宮さんが優しく問いかけた。
僕は、涙を拭いながらうなずく。
「ごめん。ちゃんと話したかったんだけど、なんか泣けてきちゃって」
言い訳じみたことを言うと、
「謝るのは俺の方だ。ごめんな。きっぱり断るべきだったよな」
と、本宮さんが頭を下げた。
「……本宮さんは、遼に興味あるって言われて、正直どう思ったの?」
本宮さんの気持ちが知りたくて、真正面から質問する。
「そりゃあ、驚いたよ。優樹から話を聞いてたとはいえ、会って数時間しか経ってなかったわけだしな。でも、正直うれしかった」
「それは、『僕の友達』に言われたから? それとも、『男』に言われたから?」
僕がそう聞くと、本宮さんは少し困ったような表情を浮かべた。
自分でも意地悪な聞き方をしている自覚はある。でも、ここははっきりとさせておきたかった。
「そうだな……。純粋に、俺自身に興味を覚えてくれたことがうれしかったんだ。遼君が、俺を恋愛対象として見てるかどうかは別としてな」
本宮さんは、少し思案してから答えた。
たしかに、相手が自分に好意を持ってくれていること自体がうれしいということは、理解できる。僕だって、嫌われるよりは好かれたいと思っているからだ。でも、肝心なところは聞けていない気がする。僕は、無言で本宮さんをじっと見つめた。
「そう睨むなって。俺は、遼君のことを『優樹の親友』としてしか見てないから」
だから安心しろと、本宮さんが告げる。
「本当に?」
疑うわけではないけれど、僕はそう聞き返した。
本宮さんが僕から離れてしまうのではないかと、不安でしかたがない。結局のところ、僕は自分に自信がないのだ。
「もちろん、本当だ。俺の恋人は、この先もずっと優樹だけだよ」
本宮さんに真正面からそう言ってもらえて、僕はようやく安心できた。うれしい気持ちが溢れ出して、自然とほほが緩む。先ほどまで心を支配していたもやもやが、うそみたいに消え去った。
「泣き顔もかわいいけど、やっぱり、優樹は笑顔が一番だな」
と、本宮さんは微笑んで、僕の頭を優しくなでた。
その大きな手の感触が、とても心地よく愛おしくて。僕は、この先もずっと本宮さんの隣にいたいと思った。
「本宮さん、大好き!」
「俺も大好きだよ、優樹」
僕たちはそう言って、口づけを交わす。甘くとろけるような、それでいて安らぎを感じられる、そんなキスだった。
* * * *
「……遼は、何であんなこと言ったんだろ?」
本宮さんが言うところのドライブが終わり、僕の自宅へと向かっている中、僕はふとそんなことをつぶやいた。
恋人がほしいと願望を口にした直後の、本宮さんに興味がある発言。普通に考えたら、本宮さんを恋愛対象として見ているからこその発言だ。でも、遼から男が好きだなんて、今まで一度だって聞いたことがない。まあ、内容が内容なだけに、男である僕に言えるわけでもなかったのかもしれないけれど。でも、中学生の時に、遼は同学年の女子に片思いをしていたはずだ。当時、遼本人から聞いたのだから間違いない。だとしたら、どうして……?
「本人に直接、聞いてみればいいんじゃねえか?」
思考が無限ループに陥りそうになった時、本宮さんがそんなことを言った。
「それはそうなんだけど、なんか気まずいというか……」
と、僕はごにょごにょと言い訳をする。
「聞かなかったら、またもやもやすることになるぜ?」
それは嫌だろう? と、本宮さんに諭される。
たしかに、謎のままにしておくのは、精神衛生上よくないのはわかっている。でも、遼に直接聞くのは怖い。もし、本当に本宮さんを狙っているとしたら、僕は遼とどう向き合っていいのかわからない。親友でいられなくなるかもと思うと、どうにも怖気づいてしまう。遼とは、今まで通りの親友でいたいのだ。
「大丈夫だよ、きっと。優樹が思ってるようなことには、ならないと思うぜ?」
だから大丈夫だと、本宮さんが励ましてくれた。
その言葉に、不思議と迷いや不安は消えていった。根拠はないけれど、最悪の状況は回避できそうな気がする。明日、学校で会ったら、遼に聞いてみようと思った。
それから自宅までは、カラオケでよく歌う曲や好きな曲の話で盛り上がった。本宮さんが1曲目に歌っていた曲が僕のお気に入りの1つだと話すと、これからはカラオケもデートコースに入れようなんて言ってくれた。次に行くのはいつになるのかわからないけれど、2人きりのカラオケが今から楽しみだ。
本宮さんからの無言の圧力が消えて、僕は小さく息をついた。名前で呼ばれたいからといって、そんな圧力をかけるなんて、大人気《おとなげ》ないと思う。名前呼びをしてほしいと言われたのが、昨日のことなのだ。そんなにかんたんに慣れるとは思えない。もしかしたら、僕にそれを意識させるために、先に『ここからプライベートの時間』なんて言ったのかもしれない。そんなことを考えていると、首筋に何か柔らかい感触が当たった。「ひゃっ!」驚いた僕は、思わず声を上げてしまった。肩越しに後ろを見ると、本宮さんが意地悪そうな顔でにやけていた。「昌義さん。何で、そういうことするかなー?」と、僕はむくれつつ問いかける。「優樹の反応がいいからさ、つい、いたずらしたくなるんだよ」と、本宮さんは悪びれる様子なく言ってのけた。「好きな子には意地悪したくなるっていう、あれ?」男子特有と言われる現象を僕が口にすると、肯定するように本宮さんがニッと笑った。「優樹も、小さい時にしたことあるのか?」「いや、僕はないよ。小学生の時に、クラスメイトがやってるのを見たことがあるだけ」と、僕は当時を思い出して言った。「まあ、昌義さんは、僕のこと好きだもんね」なんて、僕がからかい半分で言うと、「ああ、大好きだぜ。他の誰よりもな。それに、優樹の特別な存在になりたいんだ」と、本宮さんは真摯な表情を浮かべる。「……とっくに、特別だっての」僕は、そうつぶやいて顔を背ける。顔だけずっと後ろを向いていて疲れてしまった、というのもある。けれど、それ以上に、真っ赤になっている顔を見られるのが恥ずかしかった。「わかってねえな」ぽつりと低くつぶやかれた言葉は、僕の心を抉るには充分すぎるものだった。(え……わかってないって、どういうこと? 本宮さんは、僕のことが好きなんじゃないの?)そんな不安が頭をもたげる。「俺は、お
翌日、僕は遼へのおみやげを持って登校した。いつものように授業を受けて、昼休みが訪れる。僕は、遼を誘って屋上に向かった。晴れているからというのもあるけれど、他の人に聞かれたくない話があるからだ。屋上のドアを開けると、冷たい風が全身をなでていく。「寒っ!」僕は、思わずそうつぶやいた。「教室、戻ろうぜ?」と、遼が提案するけれど、僕はごめんと言って屋上に出る。「マジかよ……」そう言いながらも、遼は僕についてきてくれた。本当に、遼はいい奴だ。僕のわがままにつき合ってくれるのだから。誰もいない屋上のベンチに座り、弁当を広げる。「っと、そうだ。これ、遼にあげる」と、持ってきていた袋を遼に渡す。昨日、水族館で買ったキーホルダーだ。「別にいいって言ったのに……。でも、ありがとな」そう言いながらも、遼は受け取ってくれた。さっそく、袋を開けて中身を確認している。「くらげだ! かわいいじゃん!」「よくキーホルダー持ってるからさ。遼にぴったりかなって」「ちょうど、新しいの欲しいと思ってたとこなんだよ。サンキュー!」と、遼は満面の笑みを浮かべる。そこまで喜んでもらえるなんて、本当に買ってきてよかったと思う。どういたしましてと言って、僕は弁当を食べ始めた。「で、本題は? この寒い中、水族館みやげを渡すためだけに、俺をここに連れてきたわけじゃねえだろ?」と、隣に座る遼が、持参したパンを食べながらたずねてきた。「うん、実は……」と、僕は本宮さんにプロポーズされたことを告げた。「は……? プロポーズ……? え、結婚すんの!?」遼が大きな声をあげる。驚くのも無理もない。僕だって、本宮さんにプロポーズされた時には驚いたし戸惑った。「正確には、卒業した後にってことなんだけどね」と、僕が言うものの、遼は聞いていないようだった。「え、
玄関には、鍵がかかっていた。当然だ。両親はまだ、隣のカフェで仕事をしているのだから。「まあ、出迎えられるよりはいいか」鍵を開けながら、僕はそんなことをつぶやいた。『帰宅した時に、家族が玄関で出迎える』なんて習慣はない。でも、ネックレスをしている今は、両親に会いたくなかった。鉢合わせしてしまったら、とても気まずい。本宮さんからのプロポーズの言葉が頭の片隅にあるから、余計にそう思うのかもしれない。静寂の中、自室に戻った僕は、荷物整理もそこそこにベッドに倒れ込んだ。「結婚、か……」見慣れた天井を見ながら、その2文字を口にする。けれど、実感はない。僕がまだ、高校生だからなのだろうか。それでも、本宮さんとずっと一緒にいられると思うと、自然とほほが緩んでくる。ふいに、真剣な表情をした本宮さんの姿が脳裏に浮かび、『俺と結婚してくれませんか?』という彼の声が耳の奥に響く。瞬間、僕の顔は一気に熱くなった。「〜〜〜〜っ!」イルカのぬいぐるみを引き寄せ、それに顔を埋めて悶える。ごろごろとベッドの上を転がる度に、胸もとのリングが存在を主張した。それに気がついた僕は、転がるのをやめてネックレスをはずす。このままつけていてもいいのだけれど、壊してしまったら目も当てられない。まあ、そこまでかんたんに壊れるようなものではないと思うけれど。「それにしても、きれいだよな」つぶやいて、僕はピンクゴールドのリングを眺める。デザインは本当にシンプルで、凝った紋様などは一切ない。にもかかわらず、高級感漂う存在感があるのは、ピンクゴールドの輝きのせいなのだろうか。「……これって、普通の指輪だよな?」ふと、そんな疑問が口をついて出た。シルバーのリングホルダーで、チェーンとリングが繋がっている。でも、両方とも固定されているわけではなさそうだった。(どうにかすれば、はずせるかも……?)そう思って、リングホルダーをはずせないか探っていく。チェーン側に繋ぎ目があり、そこからかんたんに開
会計を済ませて店を出ると、外は思った以上にひんやりとしていた。街並みは、西日で黄金色に染まっていて、雨の予感なんてみじんも感じさせない。それなのに、背筋が伸びるくらいに冷たい空気を感じた。本宮さんも同じように感じたのか、「寒っ!」なんてつぶやいている。「今日、こんな寒かったっけ?」眉をひそめる本宮さんに、「本屋の中が、暖かすぎたんだと思う。人、多かったじゃん」と、僕は自分なりの推測を言った。室温を計ったり、店員さんに聞いたわけではないから、実際のところはわからない。でも、ほどよく暖められているだろう店内に大勢の人がいたのだから、想定以上の暖かさになっていたとしてもおかしくない。そういうわけで、外の空気が思った以上に冷たく感じるのは、しかたがないことだった。「たしかに多かったよな。本屋であんなに多いの、初めてだぜ」「僕も初めてだよ。もうちょっと落ち着くと思ったんだけどな」なんて会話をしながら、僕たちは駐車場を歩いていく。車に到着して乗り込むと、本宮さんは後部座席のドアを開けて、何やらごそごそとやっている。気になって後ろを見ると、「本、後ろに置いておくな」と、イルカのぬいぐるみが入っている袋に本を入れているところだった。「ありがとう。あれ? 本宮さんのは?」本宮さんの本もあったはずなのにと不思議に思い、僕はそうたずねた。「すでに避けてあるから、心配すんな」と、本宮さんは穏やかな笑みを浮かべて、後部座席のドアを閉めた。安堵した僕は、正面を向いて座り直す。その直後、本宮さんが運転席のドアを開けた。彼は運転席に乗り込むと、「まだ慣れねえか? 名前呼び」と、苦笑する。そう言われて、僕はまた『本宮さん』と呼んでいたことに気がついた。「うん、まだ……」僕が口ごもると、本宮さんはふっと微笑んで、「まあ、急には無理だし、ゆっくりでいいよ」
「あ、ちょっ……! 本宮さん、ずるいよ!」と、言いながら、僕も彼の後を追う。(どうしよう。5分って、かなり短いよな)僕は焦りながら、商品を物色していく。どれを選んだら本宮さんが喜んでくれるのか、そればかりを考えてしまう。(何かヒントないかな?)と、本宮さんとの会話を思い返す。思考をフル回転させて、答えを導き出そうとする。その瞬間、彼がロックグラスを見ていたことを思い出した。(本宮さんって、お酒飲むのかな? わかんないけど、一か八かだ!)と、僕は食器類が置いてある棚に向かった。ロックグラスは、思いのほか早く見つけることができた。複雑な模様があったり、シンプルなものだったりと種類は豊富だった。(どんなのがいいんだろ?)種類がありすぎて、絞り切れない。でも、本宮さんなら、たぶんシンプルなデザインを選ぶような気がした。(あ、これいいかも)シンプルなものと思って探していると、グラスの半分から下の方にくらげが刻まれているものがあった。なんとなく、それを手に取った僕は、迷うことなくレジに向かった。制限時間が迫っていたというのもある。でも、それよりも僕自身が、これを本宮さんに持っていてほしいと思ったからだ。会計を済ませて店を出ると、本宮さんが大きめの袋を持って先に待っていた。「意外に早かったな」「お待たせ。っていうか、やっぱり5分は短いよ。全然、吟味できなかった」僕がそう言うと、「それでも、俺のために選んでくれたんだろ?」と、本宮さんが笑みを浮かべる。「そりゃまあ、そうだけど……」もう少し選ぶ時間が欲しかったと言うと、「本屋に滞在する時間、短くなるぞ?」それでもいいのかと、本宮さんが問う。「それは嫌だなー」僕は、苦笑しながらそう言った。「だろ? そういうわけだから、行こうぜ」と、本宮さんにうながさ
カレーと塩焼きそばに舌鼓を打っていた僕たちは、食後のデザートを堪能していた。僕はガトーショコラを、本宮さんはチーズケーキをチョイスしている。ガトーショコラは、チョコレートが濃厚だけれどそこまで甘くない。横に添えられている生クリームをつけて食べると、チョコレートの濃厚さに生クリームの甘さが混ざり合って、味のバランスがちょうどよかった。「……優樹、ちょっと待っててくれ」チーズケーキを食べ終えた本宮さんは、神妙な面持ちでそう告げる。僕があいまいにうなずくと、彼は席を立ってレストランから出ていってしまった。「どうしたんだろ?」つぶやくけれど、僕はまあいいかとガトーショコラに意識を向けた。待っていてくれということは、必ず戻ってくるということだ。それに、本宮さんからの誕生日プレゼントをまだもらっていない。おそらく、プレゼントを取りに駐車場に向かったのだろう。僕はそこまで考えて、ガトーショコラの最後の一口を頬張った。(んーっ! うまー!)脳内でつぶやき、自然と笑顔になってしまう。最後の最後まで、そう思わせてくれるケーキを作ってくれたここの店員さんに感謝したい気持ちでいっぱいだった。無糖の紅茶で口の中をすっきりさせて、「ごちそうさまでした」と、僕は誰にともなく言った。すると、「お待たせ」と、本宮さんが戻ってきた。その手には、小さめの袋が下げられている。「お帰り。何、持ってきたの?」僕がたずねると、「わかってるだろ? プレゼントだよ」と、本宮さんは言って、向かいの席に座った。もちろん、僕宛てのプレゼントだろうことは予想済みだ。でも、肝心の中身の想像が、まったくついていなかった。いったい何をプレゼントしてくれるのだろう。「優樹、誕生日おめでとう」言いながら、本宮さんは袋の中身を僕の前に差し出した。それは、長方形の箱だった。深い青色をした、滑らかな光沢のある生地でできている。お