「ディーヴァの覆面歌手というコンセプトが大当たりしたからね。色んなものが出回っているいまの時代、確実に売れているって言えるものが滅多に出てこないからこそ、社長たちもあんたが本当に貴重だと思ってるのよ。だから唯人が多少の無理を言いだしても聞いてくれるんだろうね。期待に応えなきゃね」
アーティスト本人が作品も宣伝も配信できて、場合によってはプライベートを切り売りするような真似をしている奴だっていなくはない中、正体を何もかも隠してここまでのし上がってきた例はそうそうない。
それは俺にも自覚があるから、期待には応えていきたいし、俺なら応えられると思っている。それがディーヴァである所以なのだから。
たとえ、未知な治療を始めて体調に波があろうとも、俺がしなくてはいけないのは唄うこと。
だから、今日も俺は歌を唄うのだ。
“――なくして消える |景色《いろ》はモノクローム
もう二度とキミには逢えない
それでいい それがいい 選んだ路は 進むべき未来
サヨナラ さよなら 遠く儚いあかるい明日――”
先日具合が悪くてリスケした数日後、半年後に出す新曲の仮歌唄う。声はいつもと変わりなくのびやかにつむがれていく。
唄いながら、この曲が世に出る頃自分の身体がどうなっているのかを想像する。見た目にもわかるくらいの変化が起きているんだろうか? それとも、全く変わらない……ことはさすがにないのかな……
このまま女性ホルモンを投与し続ける身体の中はどうなんだろう。卵子を作り出し、受精卵を作って胎内とする腹腔へ着床させ妊娠をし、出産を迎えるというのはどういう身体の変化を迎えるんだろう――
時間をかけて取り組まないといけない、と主治医の蓮本先生には聞いていたから、もう少しゆったり気長に治療していくものだとばかり思っていたけど、現実は思っていたよりも忙しない。
平川さんが言うように、ディーヴァの人気は衰えるところを知らない。出す曲は必ず売れるし、タイアップがつくのもほぼ当然になっている。
出始めの頃こそ、売り上げをしかけるために、事務所が俺の知らない間にあれこれ画策していたとか聞いていたけれど、いまはかなり熱狂的なファンが多くついていることもあったり、リスナー自体が以前と比べられないほど多くなったせいか、リリースすればすぐにランキング一位を飾るのが常だ。
顔も出していないし、インタビューだってほとんど受けたことがない謎のシンガー。それが余計に憶測を呼んで人気を炊きつけるんだろう。何もかもがちょっと調べれば明らかになってしまう時代に、逆行するように秘密主義なことが、人の好奇心を上手くくすぐったというのか知らないけれど、大成功した鍵なのかもしれない。
何にしても、段々と微妙なだるさを帯びるのが日常になっていた体を抱えていようとも唄わないことには何も始まらない。
「さっきの話だけどさ、唄えるだけ唄わされて、期待に応えられなくなったり唄えなくなったりしたら棄てられるってことないよね? 子ども産んだら俺の居場所がない、とか」
プリプロの合間の休憩中、差し入れられたドリンクを飲みながら俺が平川さんの言葉に冗談交じりに返すと、彼女は大きく首を振って真顔で応える。
「そんなことにはならないし、させない。あんたは世界の歌姫で、宝なの。大丈夫、唄えなくなることなんてない。たとえこれから命がけの大きな仕事を抱えているとしても、きっと甦ることができる。唯人にはその力があるのをみんな知ってるから」
四年前のある日、突然届いたメッセージに、半信半疑で返信をしたことから始まった俺と平川さんとの縁は、俺が思っている以上に彼女の中では強いものらしい。どこにでもいるような覆面歌手だった俺に、ここまで思い入れをして押し上げてくれた平川さんには、頭が上がらない。
「でもそもそも平川さんが見つけてくれなかったら、俺、歌を続けられなかったと思う」
「そう? きっと唯人なら世間に見つかるのは時間の問題だったよ」
「だけど、こんな風にディーヴァとして大売れしたかはわかんないじゃん。歌は続けていたとしても」
そう言うと、平川さんは苦笑してそんなことないよ、と言う。
でも、もし俺がディーヴァにならなかったら、命を懸けてまで子どもを欲しいなんて思わなかったかもしれない。ディーヴァじゃなかったら、俺は生きている意味を見出せていたかはわからないのも事実だから。
親も兄弟も、誰も血の繋がりのある存在がいないただ一人の俺が遺せるものがディーヴァとしての歌声であるならば、俺が誰かから引き継いだ命を、この先人間の器としても引き継いでいってくれる存在がいたなら、と、ディーヴァとして活動していく内に強く思うようになったことも、子どもを欲しいと思う大きな理由だ。
結局、人間は命繋いでいくだけの器ではあるのだろうけれど、自分がそうであることを、朋拓との出会いで強く意識するようになったんだと思う。ディーヴァとして生きてきたという証しと、唯人としての証しの両方遺したい、と望むようになったことにも繋がっている。
「そういえば、ちゃんとパートナーに話してる? えーっと誰だっけ、とも……」
「朋拓?」
「そう、朋拓くん。付き合ってどれくらいなの? 一緒に住む話とか進んでる?」
「付き合ってそろそろ一年半くらいかな。向こうも仕事があるから、いつ言えばいいかなとは思ってるけど」
「まだ言ってないの? 治療始めてるのに? パートナーなんでしょう?」
「……近々言おうとは思ってるよ、必ず」
「そりゃそうよ。呆れた……この前のことがあったからちゃんと話合ってるのかとばっかり思ってたのに」
「話はしたよ……一応。いま交渉中なんだよ」
「一応、って。唯人、あんたね……」
平川さんが質問攻めし始めると同時に作業が再開されるとアナウンスが入り、ブースから平川さんが渋々の顔で出て行く。その表情には、「ちゃんと話合いしなさいよ!」と書いてある。
俺はそれに気付いていないふりをしながらヘッドホンを着け、アレンジャーからの指示を待っていた。
その日は結局深夜近くまでプリプロ作業が行われてすごく疲れてしまったので、送ってもらっている車の中で眠っていて平川さんと話をすることができなかった。平川さんは話したそうにしていたけれど、俺が頑なに寝たふりをしていたからだ。
帰り着くと、玄関横の宅配ボックスに何かが届いているという。開けてみると見慣れたエコバックが一つパンパンな状態で鎮座している。
中を見てみると、簡易メモのテキストホログラムが一つ。
『近くまで来たから寄ってみたんだけど、留守だから置いてくよ。無理するなよ。 トモヒロ』
ざっと見た感じ、エコバックの中身は食材みたいで、部屋に帰ってから改めて確認すると有機栽培マークの入ったリンゴやらバナナやらのカットフルーツの詰め合わせや、スポドリ、レトルトのスープ、何故かのど飴まで入っている。有機野菜マークのものは安価じゃないのに、体に気を遣ってくれているんだろう。でも具合悪そうにしていたからの発想での果物なんだろうとも思えたので、有難くもらっておくことにした。
さっそくカットフルーツのリンゴのひとつを摘まんで口に放り込むと、爽やかないい香りが鼻先に抜けていった。やっぱり有機栽培のものは高いだけあって美味い。
『差し入れありがとう。仕事で遅くなったから助かった』
風呂上がりにお礼のテキストだけのメッセージを送ると、思いのほか早く返事が届いて驚く。いまは日付が変わろうかという頃なのに。
まだ起きていたのか、と送ると、声が聞けたらいいなと返って来た。ホログラムで通話しなくても声だけでも通話はできるからそれを言っているのだろう。
声が聞きたい、か……たしかにこの前どさくさに紛れて家にあげてしまって以来ちゃんと声を交わしていない。あんな状態以降声が聞けていないどころか顔も見ていないのだから、朋拓も心配しているかもしれない。だからこそ今日こうしてわざわざ差し入れをくれたのだろうから。そこまで考えてこちらからホログラム通話をしてみた。
『わあ、びっくりした』
「なんだよ、声が聞きたいって言ったの朋拓じゃん。ついでだから顔も見せようと思ったのに」
『声だけのつもりだったから。まさか唯人からかけてくるなんて』
「……じゃあ、やめるよ」
『なんでそうなんだよぉ……唯人ってツンデレだよねぇ』
「ヒトを猫みたいに言わないで。切るよ?」
『ああ、ごめんごめん。唯人からってのが嬉しくって』
くすくす笑っている朋拓の目許は少しクマができていて疲れているようだ。心なしか髪もぼさぼさで、話をしている場所も俺が普段逢っているリビングではない気がする。
もしかして、仕事していたんだろうか? そう思いながらいつもよりくたびれた感じの朋拓を見つめていると、ホログラム表示の朋拓がふわりと笑って、良かった、と呟く。
「なにが?」
『んー、唯人この前より元気そうだから。つっても、やっぱり疲れてるっぽいねぇ。さすが多忙なディーヴァだね』
「それは朋拓もじゃない? 目の下のクマとかすごいよ」
バレたか、と朋拓は苦笑し、『ちょっと案件抱えててね』と言う。
「案件? 面倒な仕事ってこと?」
『面倒って言うか、いつもよりちょっと大きなとことやらせてもらうことになるかもなんだ』
「へー、すごいじゃん。オーディションみたいなのがあるの?」
『うん、まあそんな感じ。いいとこまで行ったら唯人に一番に見せるからさ、意見聴かせてよ』
「オーディションあるのに?」
『唯人がいいって言うやつはいつも外れないから』
そう朋拓は言うけれど、俺が意見を言うまでもなく彼の作品は出会った頃から変わらず妥協したところもなく繊細できれいで美しい。見たこともない海や空を本物のように描き上げて、見る者を|虜《とりこ》にしていく。俺はそれにただ最後の一押しをするだけだ。
「へーえ、じゃあ辛口評価してあげる」
『うわ、お手柔らかに頼むよ~』
そう、朋拓は苦笑していたけれど、俺がそんなことをしないのを見透かしているのか嬉しそうに笑っている。
その笑顔を見つめながら、本当に俺が望んでいることやそのためにやりたいことを、反対しているかもしれない彼に包み隠さずに話せるんだろうかと思っては胸が苦しくなるのだった。
妊娠前最後になるだろうという事からかなりいつもより激しめにセックスをしたことで俺は意識を飛ばしてしまい、病院からの連絡に気付くのが遅れてしまった。 病院からの連絡とは昼間採取して提出した精子の状態の報告であり、更に先日先に作成していた俺の卵子と受精するかどうかという話だ。「病院、何だって?」 伝言メモの音声を聞き終えた俺に朋拓がそわそわした様子で訊ねてくる。コウノトリプロジェクトで妊娠を希望していても、相手の精子が弱かったりなかったりして、不妊であることが発覚するケースが少なくはないと病院で聞いているので、朋拓がそわそわして病院からの話を気にするのも当然だろう。「精子、良好だって。だからすぐにでも受精させるって」 俺がそう言って朋拓の方を見ると、朋拓は心底ほっとしたように息を吐いてくたっとしなだれかかるように俺の隣に寝ころんだ。「良かった~……ちゃんとした精子なんだ~」「精子の健康状態なんてこういう機会でもないと知ることもないだろうしねぇ。卵子も良好みたいだから、たぶん大丈夫だよ」「うん、そうだね……唯人、今度いつ病院行くの?」「んー、病院から連絡きてからなんだけど、たぶん一週間以内に来てくれって言われると思う」「そっか……そしたらいよいよ、なんだね」 卵子に精を受精させるのはその日のうちに行われるらしいけれど、胎内(俺の場合は腹腔だけど)に戻すまでには数日程を要するらしく、着床させるのは更にその後になるという。 着床して、さらに胎児の心音が確認できれば無事妊娠したと認められるのだけれど、そこまでの道のりは険しいし、そのあとも妊娠を維持させる努力をしなくてはいけない。「んまあ、そうだけど、それまでにあれをやっちゃわないと」 受精卵を入れ
見慣れた天井に、肌に馴染んだベッドのシーツの感触、そして、朋拓の肌のにおい。 何もまとわないで向かい合い、無言のまま口付ける。唾液も欲情も食むように互いの口中を淫らに探る。 朋拓の指先がキスだけで小さく存在を示すように立ち上がっている胸元の飾りに触れ、摘まんだりこねたりしながら俺の反応を楽しんでいる。それだけで自然と腰を彼に押し付けてしまうのに気付かれているのだろう。「唯人、エッチな動きしてる……そんなに欲しかった?」「ん、ンぅ……ッは、あぁ……わかってる、こと……言うな、よ……ッあ!」「ちゃんと言ってくれなきゃ、欲しいものあげられないよ、唯人」 唇から耳たぶに舌先が移り、外耳をなぞりながら穴へと舌が挿し込まれる。耳に触れられるのが弱い俺は、思わず体を震わせて朋拓にしがみついてしまう。 裸の肌と肌が密着し、既に熱を吹き返した互いの屹立の気配に気づく。さっき一度吐き出したよりも、熱い気がする。 肩に回していた手をするりと背に、腰に下ろし、やがて俺は圧しつけられている熱く硬いそれに触れてみた。「朋拓、もうこんなになってる」「唯人も、だよ」「ん、ッあ!」「エッチな汁もいっぱい……もっと触っていい?」 低く甘い声でそう囁かれ、俺はうなずくことしかできない。声が聴覚を刺激して俺を淫らにしていくからだ。 朋拓の大きな手のひらであやされるように俺の屹立が扱かれて、先走りを絡めているからすぐに濡れた肌の音が聞こえだす。それが一層、俺の欲情を煽り立てていく。 屹立に快感を与えられながら、俺もまた彼に手淫を施す。さっき病院へ提出するために勃起させた時よりもはるかに硬度があり、においも濃い。先端にあふれ始め先走りを指先にとりつつ扱き始めると、体温とにおいの濃さがさらに上
家での精子採取を決めてから五日後、病院から精子を入れるケースとかそれを更に梱包する箱なんかが送られてきた。 一緒についてきた簡易ホログラムによるとすでに俺と朋拓の情報はケースに登録されているので、採取が終わり次第ホログラムの受付ボタンを押せば五分以内に待機しているアンドロイドが受け取りに来るという。そして何事もなければドローンでアンドロイドごと病院に二十分以内に運ばれるんだそうだ。「え、じゃあ出してから三十分くらいで病院で診られるってこと?」 そうだよ、と俺が当たり前だろうというようにうなずくと、いまさらに朋拓は赤くなって恥ずかしそうにする。 何を今更……と呆れていると、こんなあけすけだとは思わなかったなんて言うのだ。「そんなの子どもを作るって段階であけすけも何もないじゃん。もともとは男女がセックスしてできるもんなんだから」「そう、だけどさ……」「……朋拓って結構夢見る乙女タイプ?」 そういうわけじゃない! と朋拓は真っ赤なまま言い返したけれど説得力がない。 とは言え、病院の指定によれば採取のキットが届いてから二日以内に採取して提出する約束なので、早い方がいいだろう。遅くなるほどにこういうことは恥ずかしいのだから。 そう俺が言うと、朋拓は何とも言えない顔をしつつも、数十秒逡巡するように目をつぶり、やがて大きく深呼吸してうなずいた。「そうだね、早く提出しちゃおうか」 やっと腹が決まったかと俺が苦笑していると、朋拓はそっと俺の手を取って自分の股間の辺りに宛がってこう囁く。「ねえ、折角だから……唯人の手で、シてよ」「……いいよ、約束だったもんね」 至近距離に迫って来た頬に
朋拓の両親と顔を合わせて色々と話をした日から三日後、俺はコウノトリプロジェクトの治療を始めてから密かに考えていた企画を実行に移すべく都内某所のレコーディングスタジオに入っていた。 密かにとは言いつつも、ちゃんと企画書も書いてリモート会議で平川さんはじめ社長もディーヴァのレコーディングスタッフたちを前にプレゼンをしてちゃんと協力を仰いでの話だ。 企画は俺が朋拓とコウノトリプロジェクトの話合いをしている頃に並行して始まった、ディーヴァ初のベストアルバムの作成だった。しかも今回は関係者が選ぶというのではなくてファン投票で選ばれた真のベスト盤だ。 世界的アーティストでありながら管理問題はじめ様々な懸念事項からファンクラブらしいものも公式にはなく、これまでライブ以外にほとんどファンと接点らしいものを持ってこなかったディーヴァの突然の企画に世間は騒然とした。 投票資格は専用サイトに登録をしたファンだけが一ヶ月の投票期間内に三曲選んで投票することができるようにしていて、一気に三曲選んでもいいし、期間内であれば三回に分けてもいい。とにかくファンも納得のいく選曲になって欲しいと俺たっての希望でそういうちょっとややこしいシステムになってしまった。「ええー、三曲かぁ……同じのに三票ってダメなんでしょ?」「それはエラーになって弾かれるかもね」 スマホのホログラム表示されたディーヴァのベスト盤投票サイトを見ながら朋拓が唸っている。本当にこいつは俺……というかディーヴァが好きなんだな、と改めて思い、そのガチぶりに感心すらしてしまう。 頭を抱えたり唸ったりしながら小一時間と投票する曲を迷って悩んでいる朋拓の傍らに座り、肩に頭をもたげて甘えるようにしながら俺は昨日病院で聞いてきた話を報告しようと思った。 そんなあまりしない事をしたからか、朋拓もなにか察したらしくホログラム画面から視線を外して俺の方を見てくる。「どうしたの?」「んー……今日、病院だったん
結局その晩朋拓とも話し合って、俺がディーヴァであることはその場でテキストのメッセージで伝えてもらった。伝えるにしても、いきなりディーヴァであるというのではなく、歌を唄っているんだという話から段々と真相に迫っていく形を取ってくれたので何とか大きく困惑させなかったらしく、俺はひとまず安堵する。「唯人、すごく色々考えてくれてるんだね。無理させてごめんね」 ベッドに並んで向かい合って横になっていると、朋拓がそう呟いて俺の頭を撫でてくれる。 無理をしているつもりはなかったけれど、考えすぎなのかどうかもわからないほど色々考えてはいたので、手のひらは有難く受け止めていた。「なんか、唯人にばっかり負担がいってる気がする……俺はご両親にあいさつもできないのに」「そんなこと言っても、俺も知らないし、見たことないもん」 俺が苦笑して応えると、朋拓は何とも言えない顔をする。もう今更な話だからそんな申し訳ないみたいな顔しないでよ、と更に言うと、朋拓はそうだね、とうなずく。「お墓とかないの?」「わかんないんだよねぇ……気付いた時には施設にいたから。たぶん、捨て子だったんじゃないかな。施設の前とかはよく置かれてるらしいからね。最近は子どもの置き去りとか厳しいというか、赤ちゃんポストみたいなのもあちこちにあるけど、それでも俺みたいに無断で置いて行かれる子がいないわけじゃないんだ」「……そっか、じゃあ本当に何もわからないんだ……施設の先生とかは教えてくれなかったの?」「そんな親切な奴らじゃなかったよ。すっごいひどいとこでさ、名前もろくに呼ばれなかったな。だから俺、施設出るまで自分の名前忘れないように一人称“ユイト”って言ってたもん」「そんなに……」「通行アプリを自分で取得できる十六の時に、我慢できなくて飛
朋拓とそんな話をしてから半月ほどした頃、俺は病院で卵子を作り出すための細胞を採取してもらった。これで上手く卵子が出来上がり次第朋拓から精子を採取して受精させる。 その間もずっと妊娠しやすい体にして維持していくために女性ホルモンの投与は引き続き行われている。服薬に加えて点滴での投与も回数が増えていまでは週に二回はやっている。この副反応的なものが結構しんどい。「点滴自体は寝てるだけだから楽なんだけどさ、そのあとがすっげーダルいんだよ」「そっか……人によってはしんどさが抗がん剤並みだって言うもんね、副作用」 無理しないで、と言いながら朋拓は俺に膝枕をして頭を撫でてくれる。 先週、ようやく朋拓は俺の部屋に越してきた。ふたりが家族になる、つまり籍を入れることを決めたので手始めに一緒に暮らすことにして、俺の身体を気遣った朋拓が俺の部屋に越してくる形になったからだ。 新たに広い部屋に引っ越したかったのだけれど、薬の副作用で荷造りする体力もないし、そもそも重たいものを持ってはいけないと強く言われているので俺が引っ越しをすること自体が無理そうなので仕方なくこうなった。 幸い俺の住む部屋は一部屋物置に使っていた部屋があったのでそこを片付けて(と言ってもやったのは朋拓と平川さんなんだけど)、その部屋を朋拓の仕事部屋にして、寝室は一緒にしてベッドを大きくした。引っ越し祝いと気の早い入籍祝いだと社長からリクエストを訊かれたのでベッドを買ってもらったのだ。「唯人の事務所の社長さん、本当に唯人のこと気に入ってるんだね。こんな良いベッドくれるんだもん」「平川さんからも言われた。“いかに社長が喜んでくれてるかわかるでしょう?”って」「唯人がディーヴァで大活躍したからだね」「朋拓のことも気に入ってるって話だよ。ディーヴァのジャケに起用するって言いだしたのは社長だもん」 ふたりくすくす笑い合いながら一日の終わりにこうして過ごすことが最近の日課で、