結婚しても仕事を続け出世にも意欲を示す目の前の女性に私は不信感を露わにしていた。
「…そう。女性が活躍する時代ですものね」
明らかに沈んだ冷たい声で言った。
「でも、結婚となると家庭も大切になってきますわ。啓介も、会社を経営していて大変だと思うの。それに結婚したら夫を支えるのも妻の役目でしょう? お仕事が忙しくて家庭を放っておくことになるのはどうかしら」
「仕事への情熱」に水を差そうとする発言に息子がたまらず口を開こうとしていたのを佳奈はそっと手で制した。
「もちろん家庭も大切にします。啓介さんとは、お互いの人生を尊重し支え合っていくと決めております。彼の仕事に支障をきたすようなことは決してございませんし、私も、彼がいるからこそ一層仕事に打ち込めると思っております。」
佳奈は穏やかに微笑んだが、私は面白くなくて表情は険しくなるばかりだった。
先ほどから佳奈の言葉がひどく耳障りに聞こえている。自身のキャリアを優先し輝くことを目的とする佳奈の言葉からは、啓介を「支える」「尽くす」という言葉が一切出てこない。
(結婚して妻になるということは、夫を支え、家庭を守り、子育てに励むことなのに……この子まるで分かってない!)
「啓介は、昔から本当に頑張り屋でね。私も、啓介
仕事を頑張りたいという佳奈に対し、母は最初のうちはやんわりと仕事をセーブするよう伝えていた。そのうち、出来なかった場合に備えて不妊治療も考えた方がいい、佳奈の年齢的にも早い方がいいなど失礼な発言をするようになっていった。ついに我慢できなくなり、俺たちが『子どもは絶対欲しいわけではない』という共通の認識を伝えると母は激昂し声を荒げたのだった。こうして母との初めての顔合わせは、殺伐とした空気の中で終わった。夕方になり、父が帰宅して夕食をともにしたが食卓の空気は最悪だった。明らかに不機嫌な母の存在が場全体を重苦しくしている。父はそんな空気を和らげようとしたのか、時折、俺や佳奈に対して今取り組んでいる仕事について尋ねてくれた。「佳奈さんは留学していて語学堪能なんだって?今の部門でも期待されているんじゃない?」「いえ、日常会話なら問題ないのですが、ビジネス英語やM&Aなど法律や経営分析も絡んでくると専門用語も多いのでまだまだ勉強中です。」「仕事熱心なんだね。」母の反応とは打って変わって、父は穏やかに微笑んでいた。しかし、この微笑みだけでは本心を読み取ることはできない。(父も母と同じように仕事を邁進したいという佳奈にいいイメージがないのだろうか?)考えたくなかったがふと嫌な疑問がよぎる。
こんな張り詰めた状況でも二人で視線を送り微笑みあうなんて到底理解できない。啓介の目には、彼女を守るという深い愛情と強い決意が宿っていた。二人の間に流れる空気は、私には決して立ち入ることの出来ない強固な信頼と絆に満ちている。彼らの絆の深さを見せつけられたようで私の心はさらに深く沈んだ。息子のことを褒められて、本来ならば私も素直に喜ぶべき場面だったのだろう。だが、喜びなど微塵もなかった。佳奈のために私に歯向かう息子が憎たらしかった。佳奈はさらに続けた。「私の両親は、子どもが大好きで子だくさんの家庭に憧れていました。しかし、なかなか出来ず、私は妹の2人姉妹です。待望の子だからこそ本人の意思を尊重したいと言って、いつも背中を押してくれます。私はそんな両親にとても感謝しています。しかし今、両親と同じくらいの熱量で子どもが欲しいと思えていません。子どもが出来ることを心から願い、愛したいと思った時に考えたいと思っています。」佳奈の言葉に私は押し黙った。彼女の生い立ちを聞き、両親の気持ちを慮る姿勢に少しは共感できる部分もあった。待望の子供だったからこそ、本人の意思を尊重するという親の気持ちは理屈では理解できる。しかし感情的には到底受け入れがたい。(欲しいと思ったら考えるものなのだろうか?)私の頭の中には疑問符が渦巻いた。結婚したら、いつ授かっても大丈夫なように準備しておくものだ。それが、女性としての、妻としての務めではないのか。そんな思いが私の心から拭えない。実際に私
「俺たちは子どもを産む道具じゃないんだよ?」啓介の言葉が私の心を深くえぐった。私が、いつ啓介を道具のように扱ったと言うのか。私は、啓介のことを誰よりも真剣に考えているというのに。私の目に映る啓介は、佳奈にすっかり心を奪われ別の人間になってしまったかのようだった。(この子までこんなことを言うようになるなんて…一体、この女が何を吹き込んだのよ!)私は佳奈への憎しみが募るのを感じた。一人でも味方が欲しいと藁にもすがる思いで最後の砦に矛先を向けた。(この子の親を引き合いに出せば少しは考え直すかもしれない。自分の親が悲しむと考えたら、さすがに無責任なことは言えないだろう。)「子どもを作らないなんて、あなたのご両親も悲しむんじゃないかしら。」私の言葉に、佳奈は驚いたように答えた。「いえ、両親は何も言わないと思います。私は妹と二人姉妹で跡継ぎは気にしていないようです。結婚もしてもしなくてもどちらでもいい。自分の好きなように生きればいいと常日頃から言われていますので。」その言葉は私の価値観を真っ向から否定するようだった。私には、子どもの意思を尊重すると言いながら結婚や子育てについて何一つ口出
「何もあなたが産むわけじゃないんだからサポートすればいいの。育てるのは母親なんだから!!」私は完全に感情的になって声を荒げて狂っていた。妻とは夫を支え家庭を守るものだと信じてきた。私がそうしてきたように、啓介が安心して仕事に打ち込めるように、妻になる女が尽くすべきなのだ。「そんなの佳奈の負担が大きすぎる。佳奈だって働いているんだし一人じゃ無理だ」啓介が佳奈を庇うように反論してくる。啓介が佳奈の肩を持つことに胸を締め付けられるような痛みを感じた。息子はこの女に甘すぎる。「だから今のままでは難しいし、急に抜けてもいいようにって忠告したんじゃない!!!」私だって彼女のキャリアを全く考えていないわけではない。だから仕事をセーブすることも一時的に休むことも視野に入れて考えてほしいと言ったのだ。私の感情はもはや頂点に達していた。私の怒り狂った声がリビングに響き渡る。啓介は、私の激しい言葉に静かにしかし明確な怒りを込めて反論した。
不妊治療をしてまで子どもを作る気がないと言った啓介に対し、佳奈に同意を求めたが『啓介さんと同じ考えなので問題ありません』と特に気にした様子もなく返してきたのだった。「で、でも、それで子どもが出来なくて後悔しても遅いのよ?」ようやく絞り出した声は震えていた。親として息子夫婦の未来を案じる気持ちが私には痛いほどあった。しかし、啓介は私の問いに全く動じなかった。「それでもいいと思っているよ。子どもが出来たら責任もって育てるし、出来なければ夫婦で支え合いながら暮らすつもり」佳奈の目を見て微笑みながら言う息子に、私は目を見開いた。私には啓介の言葉がただの無責任な言い訳にしか聞こえなかった。啓介が高柳家の家系をこんなにも軽んじていることに深い悲しみと怒りを感じた。「何言っているの! あなたは高柳家の長男よ! お金なら援助するわ、いくらでも協力する」私の声はもはや抑えきれない怒りに満ちていた。高柳家の血筋を絶やすなどあってはならないことだ。子どもが出来なければ医学の力を借りてでも授かるために専念して欲しかった。啓介は私の剣幕に押し黙った。息子も私と同じように高柳家の長男としての責任を感じているはずだ。それなのになぜこんなにも無責任なことを言うのか。
(子どもは授かりものですからって?私たちが跡継ぎ、孫の誕生を楽しみにしているのが分からないのか。なんて無責任なの…!)私は怒りでわずかに声が震え始めていた。子どもが産める時期や自然に妊娠しなかった場合のことも考えて不妊治療も考慮するように諭した時だった。隣に座っていた啓介が静かに口を開いた。彼の声は穏やかだったが目つきはひどく鋭かった。「母さん、今はお互い仕事が好きで大切なんだ。子どもが欲しいと思ったら、その時に俺と佳奈で考えていくよ。」(何を言っているの、啓介! あなたは高柳家の長男なのよ! 私がどれだけ孫を望んでいるかを知っているはずだわ!)私の心臓が激しく波打った。息子までこの女に感化されてしまったのか。啓介までが高柳家の未来を軽く見ているというのか。私は、睨みつけるように今度は佳奈に問いかけた。啓介がどうであれ、女性であれば結婚して子どもが欲しいと思うのは当然のことだろうと信じていたからだ。佳奈が私に同調し啓介を説得してくれることを期待していた。「でも佳奈さんはそれでいいの?出産や子育てのことを考えるのであれば年齢的に早い方がいいんじゃないかしら?」しかし、私の期待は残酷なまでに打ち砕かれた。「ありがとうございます。でも、私も啓介さんと同じ考えなので問題ありま