藍里は家に帰る。さくらがリビングで待っていた。時雨は台所にいて、覗くと「おかえり。今日は油淋鶏だよー」 美味しい匂いと共にいい笑顔の時雨がいて藍里は少しドキドキしつつも再びリビングに戻った。 さくらとはここ数日ゆっくり話していなかった。ゆるっとしたスゥエットを着ていてお菓子を食べていた。そんな格好とさくらが男の人に体を見せてるのか想像もできないくらいのだらしなさである。 藍里はさくらの仕事を知ってしまい、かつバイト先をクビになったが清太郎のところで働かせてもらうことをどう話すか悩んだ。「藍里、そこ座って」「うん……」 きっともう伝わっているんだ、と察した。「体調は良さそうね。ごめん、ここ数日仕事が立て込んでてさ」 あの仕事がどう立て込むのか、藍里はよくわからないが頷く。 少し空気が張り詰めている感じである。「ごめん、材料足りなくて……出かけてくるね」 時雨がひょこっと顔を出して出かける準備をしている。きっとこういう時はいない方がいいと察したのだろう。「タバコ吸っちゃダメよ」「わかってるって」「また吸ってたくせに」「ごめん、タバコはここに置いておきますから」 と時雨はさくらの目の前にタバコとライターを置いて出ていった。あれから何本か減っていた。 さくらはそのままゴミ箱にタバコを捨てる。時雨が出ていったのを確認して話をする。「仕事帰りに大家さんと話してきた。あとファミレスの社員の人。あの2人ね親子なのじゃん」 藍里は頷いた。「まぁクビでよかったわよ。人の娘をこき使って」「あのときは人がいなくて……」「人がいなくてもそこをなんとかするのが社員の役目なんだから。それにわたしはあそこで働かせる時に表の仕事はやめてくれってどれだけ言ったことか」「……」「あの沖田ってやつも変だと思ったのよ。藍里のこと可愛いのにウエイトレスの服似合うからそんなこと言わずにとか……あ。制服後で返しに行くよ」 その時藍里も同席していてそれは覚えていた。 だが藍里はさくらの仕事を知ってしまってからはそのことを言うのに違和感を持つ。「……なによ、藍里。心配しないで。他にもバイトあるから」「もう決めてきたよ。清太郎の今住んでるおばさんちの、弁当屋さん」 さくらはもう? という顔をしていた。「レジのお仕事。あ、時雨くんもあそこで働くよね」「あ
放課後、清太郎の弁当屋に行く藍里。夕方は残ったおかずを惣菜品として出して販売している。清太郎は主に平日の夕方、土日で働いている。店にはとある夫婦がいた。「せいちゃんおかえり、おや……藍里ちゃん。大丈夫だったかね」 清太郎の母の姉、つまり叔母の里枝であった。藍里はやはり何度見ても清太郎の母に似ていると思いつつも里枝の方が丸くて穏やかそうに見えた。 学校に行く際に店で働く姿を見てはいたがこうまじまじと対面するのは藍里は初めてだった。「はい。先日はデザートありがとうございました。母も喜んでました」「そーかねっ。礼はええよ。てかどうしたの? やっぱ2人はそういう仲なん」「いや、その……」 と藍里は清太郎につんつんと人差し指で突っつく。「あのさ、こないだ紹介した人ともう1人藍里もここで働かせてほしいなぁって」 藍里もペコペコする。すると清掃作業していた里枝の夫がやってきた。「ほぉ、この子が清太郎の幼なじみの子か。どえりゃーべっぴんさんやな。……ここで働きたいんか」「は、はい……」「料理はできるかい」「……できないです」 藍里はダメかぁと少しがっかりする。やはり時雨に料理を教えてもらうべきか。「こういう可愛い子いるだけでも客は増えるでなぁ。よかったらレジやってくれるとありがたいよ」 里枝はニコッと笑った。藍里はすぐには採用されないものと思っていてびっくりした。清太郎もよかったよかったと喜ぶ。「でもこんなべっぴんさんを小さな弁当や 屋で働かせてもいいのかねぇ。せいちゃんや姉ちゃんからも聞いてるけど元々子役さんなんやろ」「……いえ、働かせていただけてもらえるのだけでもありがたいですし」「もっと大きなチェーン店とか素敵な舞台で全面に出てる仕事が向いてると思うわよー」 藍里はその大きなチェーン店のファミレスでクビになったんだよなぁと清太郎を見て苦笑いする。働けるなら……だがさくらにはレジとか前に出て働く仕事はやめなさいとは言われていたがそう贅沢は言えない。 綾人だって仕事が忙しいし追うこともしないだろう。 でもさくらにはまだ怖いという気持ちがあるのだろう。「レジ以外で何か仕事はありますか」 ついでに、という形で藍里は聞いてみた。すると里枝は首を横に振る。「まぁこうして父さんみたいに掃除とかはしてもらえるとありがたいけど調理は私と数人
「まぁまたお母様と連絡ついたら電話しますが……その前にもうオーナーさんからバイトの連絡も来ると思いますしね、制服を早いうちに返しにいってください。お母様は本当にお仕事お忙しいようで」 とニヤッと担任は笑って部屋を出て行った。「……最悪だ、あの野郎」 二人きりになった美術準備室。藍里にティッシュを渡して背中をさする清太郎。「ごめんね、宮部くん。私のせいで」「お前は謝る必要はない、てか辛いだろ」「もうわけわかんない、バイトはクビになるし、なんか宮部くんは怒ってるし、先生も。それに住むところがなくなるって?」「あいつのせいだ。こんな時に!」 藍里は鼻を啜りながら清太郎の腕を掴む。顔はなるべく見せないようにしてる。「ママ……ママがなんなの? ママの仕事ってなんなの? 宮部くんは知ってるの?」 清太郎は口籠った。「ねぇ、知ってるの? ねえっ……」「知らないんだよな、なあ?」「うん」「本人から聞くか?」「……うん。時雨くんも知らないって」「マジかよ、彼氏のくせに。知らないのに付き合ってるのか、てっきり知ってるかと」 清太郎は驚いていた。藍里はよくわからない。さくらの仕事先の名前を思い出そうとするが思い出せない。でも聞いたことのない名前。「仕事どうしよう……」「おばさんに聞いて弁当屋の仕事やるか?」 藍里は首を横に振る。「私、足手まといだったんだもんね。理生先輩とかパートのおばさんとか大丈夫大丈夫とか言ってたけど裏でそんなこと言ってた。フロアの仕事もうまく回せなかった。接客業だからああいう理不尽な人たくさんいる、それをうまくかわすのも仕事なのに。裏でも表もできないなら……弁当屋さんも足手まといになる」「まだファミレスの仕事も半年も経ってなかったろ? 誰でも最初はそういうことがある。俺も弁当屋でも一年バイトしてても怒られてっぞ」 藍里は不安になる。いつも微笑んでいた理生や職場の人たちが直接は言えない藍里の評価を人伝に聞く、どれだけ辛いことか。 すると清太郎が藍里を抱きしめる。「清太郎っ……」「俺が守ってやる、前は冗談って言ったけど俺は藍里の彼氏だ。俺と一緒に探そう」 少しずつ強く抱きしめられる。鼓動がかさなる。藍里も顔が赤くなる。清太郎も。「宮部くん、ここは学校だよ。恥ずかしい……」「はずかしい……ごめん」 と清太郎は藍
担任は自分の顧問である美術部の準備室に二人を入れた。油絵の油の匂いや画材の独特な匂いが混ざる。 たくさんの作品や彫刻も並ぶ中、担任は自分の机の前に二つ椅子を並べた。 清太郎は藍里を先に座らせ、藍里は不安になりながらも担任を見る。「……百田さん、復帰したばかりで本当に大変だと思うが、ちゃんと宿題もできていて、元々成績も良かったし頑張ってやり抜く力はありますね」「ありがとう、ございます……」 何だ、とホッとしたのも束の間。「そのですね、編入してきた時にお話は大体聞いてましたが……本当に大丈夫か?」 藍里はその大丈夫か、という言葉にまたヒヤリと感じた。「実はな、君が休みの間にバイト先のオーナーさんから連絡が入ってね」 藍里は自分のマンションの管理人を思い出した。社員沖田の親が管理人なのである。「辞めてもらおうかと言う話があってね」「えっ」「また後日改めてお話しはあると思うがね……他にも色々と」 藍里は何が何だかわからないようだ。まだしばらくバイトは休む予定だったが、全く連絡はなかった。「なんでバイト先からこっちに連絡来るんですか」 清太郎が藍里の代わりに身を乗り出して話す。担任は苦い顔をしている。「まぁ人材不足でフロア未経験の百田さんを体調もチェックしないでいきなり激務をさせて倒れさせるまでしたのはアウトだとは思いましたがね……」 「バイトはクビなんですか?」 藍里は不安が過ぎる。たしかに彼女のバイト代は家庭の足しにはあまりならないものの、自分の必要なものなどを買うとか少しの貯金をと思っていたが、ほとんどのバイトはさくらが嫌がる表に出る仕事しかなく、裏方を何とかさせてもらえる職場だった。「クビ、というか……仕事先での百田さんのお話も聞きましてね、裏方での仕事も備品を、お皿を割ったり指示通りにできないとのことで違う仕事で百田さんのあった仕事があるのでは、とのことでしたね」 たしかに皿を割ったりとか上手くできないという事実は藍里は自分自身もわかってはいたが、社員の沖田はともかく理生や先輩たちが大丈夫と言ってくれていたのに、と。「確かにね、ご家族で大変なことがあって逃げられてお母様一人で働いててお辛いかと思いますが……仕事先ももう少し広げて他の職場を探しましょう。じゃないと変なことを考える生徒が多いですから。今までの経験上」 変
藍里は2日後、病院で経過観察を受けて特に以上もなく休んだおかげもあってか学校に行けるようになった。 時雨に抱きしめてもらったのはあの時だけだった。そのあと時雨とさくらが愛し合った声を聞いていた藍里はしばらく自室にこもっていた。 そんな彼女に時雨は3食美味しいご飯を用意した。さくらはまた仕事に行ったものの藍里がリビングに来ないのを心配する。 そして学校に行く日の朝。「藍里ちゃん、お弁当作ったよ。無理しないでね。なんなら車で送るよ」「ありがとう、たぶん宮部くん外で待ってるから」 時雨は少しフゥンと言ったが笑顔で藍里を見送った。さくらもこの日は仕事に行っている。 下に降りると清太郎が待っていた。「おはよう、藍里」「おはよう、迎えに来てくれてありがとう」「当たり前やん……行くぞ。ゆっくりでいい」「うん」 時折歩幅が大きくなる清太郎だが藍里に気を遣ってゆっくり歩く。藍里はそれに気づいて嬉しくなる。 特に言葉は交わすことはなかったがすごく幸せな時間なんだ、と。 教室に行くと藍里はクラスメイトたちに出迎えられた。「久しぶり! 無理しないでね」「百田さん……いや、藍里! 困ったことあったら私たちがなんとかするわ」「仲良くしましょうね、藍里!」 アキ、優香、なつみが藍里を囲む。藍里は戸惑って清太郎を見ると「俺が伝えたらこの3人が真っ先に喜んだ。同性同士、男の俺に言いにくいことあったら彼女たちに……なっ」 清太郎は頭をかく。藍里はしばらく友達はできなかった。清太郎がそういうなら、と信じようと思った。 他のクラスメイトにも声をかけられた。こんなに優しくしてもらったことはない。「藍里?」 清太郎にそう声をかけられた藍里の目から涙が出ていた。「藍里、泣かないで……」 優香がハンカチで藍里の涙を拭う。「何で泣いちゃったのかな……ごめん。そうだ、みんなノートありがとう」「大丈夫よ。あ、ノートわかった? アキがめっちゃ字が汚いし」「うるさいなー、ギャル文字のなつみには言われたくないわ!」 藍里が笑うとみんなは笑う。その姿を見て清太郎もホッとした。 担任が朝のホームルームにやってきた。藍里が登校しているのを確認すると「よかったな、無理すんなよ」 と声をかけられると藍里は頷いた。こんなふうに多くの人に心配されたり声をかけられることもな
台所のコンロの前で時雨は適当に掴んでカゴに入れたライターでタバコに火をつける。久しぶりなのかなかなかつかない。「前はさジッポーだっだんだよね」 ようやく火が出て口に咥えたタバコに火がついた。「お父さんもジッポーだったよ」「そうなんだ。でも面倒な時はコンロの火でやってたけどね、あー久しぶりだー」 とコンロの換気扇に煙が行くように時雨は煙を口から吐いた。「てか藍里ちゃん、座ってなよソファーで。タバコ吸ってるの君に見られるの恥ずかしいな」「なんで? 私こうやって台所で吸うパパを見てた」「……そうなんだ。なんかさ、僕の吸う姿がヤンキーみたいだってさくらさんに言われたことある」「そんなこと言われたんだ。たしかに時雨くんがタバコ吸うイメージ無いなぁ」 でしょでしょ? と時雨は笑う。「タバコ買うために慌ててコンビニ行ったの?」「……まぁ、ね。やっぱ見られるの恥ずかしいや。あっち行ってて」「わかったよ。終わったらまた来て」 時雨は久しぶりのタバコを味わう。しかし灰皿がない、それに気づく。 置いてあったジャムの瓶に灰を落とした。 時雨はソファーに戻り、藍里の横に座る。「どうだった? 久しぶりのタバコ」「うまかった」「そんなもんなの? よくわかんないけど」 藍里は時雨の横に行く。ほのかに香るタバコの匂い。時雨はブランケットを取ろうとするが藍里は首を横に振った。「だめだよ」 と言われても藍里は時雨に抱きついた。服にまとわりついたタバコの煙の匂い。さっきよりも時雨の鼓動が強いと気づくがブランケットに包まれてる時よりも温もりがさらに伝わる。自分自身もドキドキするのに近くにいたくなる。不思議な気持ちである。「タバコの匂い、服についてるね」「だね……」 時雨も藍里を優しく抱きしめる。柔らかい。さっき沖田に罵られて怒りを抑えきれなかった自分を癒してくれる、そんな気持ちであろう。 そして守ってやりたい。……しかしさっきはタオルケットを包んで抱き締めていたが今は違う。そのまま藍里を抱きしめている。さっき走って解消したばかりなのにな、と時雨は少し困った。 そうこうしてるうちに藍里は時雨の腕の中で寝ていた。 まだこうやって抱きしめてやりたいが如何にもこうにも理性が保てないと感じた時雨はゆっくりと体をずらして藍里を横たわらせた。 と、その直後だっ