「アスカ、エリオットには気をつけろ」一日の授業を終え寮に戻る途中、アスナが俺に囁いた。「昼のことか?あれはもう済んだ話だろう?どのみち俺とレオンの婚約は既に解消済みだ。エリオットがどういおうとそれは変わらない」そもそも王家と公爵家との間の話。侯爵家当主となったといえど、エリオットにどうこうできるものでもない。するとアスナは俺にむかってどこか憐れむような視線を投げかけてきた。「お前さあ、鈍感だって言われねえ?」「鈍感もなにも……そもそも自分のこと以外に気に掛ける必要があるか?」「……今のお前はそうだったな。てか、そういう意味じゃなくってさあ……!」ぼやいて苛立ったようにクシャクシャと髪を掻きまわし始めた。「あーーー!めんどくせえ!もういい!俺が護ればいいんだしな!あのな、アスカ。よく聞け。とにかくエリオットには気をつけろ。あと、何かあれば必ず俺の名を呼べ。俺とお前は繋がっているからな。どこに居てもすぐに分かる。それと……いざって時に備えて餌をくれ。たっぷりとだ」最後の言葉だけは耳に直接吹き込まれた。おまえ!無駄なイケボを披露するな!「何かあればもなにも、俺に何かできるヤツなどいないだろう?俺はアスカだぞ?俺より強いヤツなどいない」ゾワっとした耳を擦りながら胸を張る俺を、アスナが何とも言えない瞳で見つめる。「でも、お前さ、一度懐に入れた奴には弱いだろ?俺を含め、さ」その声に含まれる優しさに、穏やかさに思わず言葉を失った。サリ、耳を優しく撫でられハッと我に返る。「そ………そんなことはない!お前だろうと、容赦しねえよ?」「ははは!マジで?そりゃ怖え!」おどけるアスナを蹴りながら俺は胸の内で呟いた。アスナ、お前は間違っているぞ。お前は俺をかいかぶりすぎだ。お前を含め、じゃない。俺が弱いのは、アスナだからだ。アスナにだから絆される。アスナだから弱いんだよ。その晩は言葉通りに貪られた。「アスカ……!アスカ………!」囁く声の必死さに。俺を抱き腕の締める腕の強さに。俺は溺れた。なんとか後ろだけは死守したが、……………俺のオレは……まあ察してくれ。ちなみに、アスナのアレは想像通りの代物だった。触れただけだが、アレはヤバい。例えるなら……俺がリボルバーならアイツはライフル。同じ拳銃でも桁違い。比べる方が間違っていた
一方、レオンはレオンで大変な目にあっているらしい。そもそも王家から俺に婚約の打診がきたのは「家格と年齢と能力」が王家にふさわしいと判断されたからだ。というより、公爵家の後ろ盾が欲しかったこと、さらには幼くしていかんなく才能を発揮していた俺を王家に取り込みたかったからだろう。では、俺以外に……となると……「そもそも、アスカの後だよ?候補はいても、比べられるわけないよね?家格は仕方ないにしても、その能力も美貌もアスカの半分もあればいい方だ。君のせいで私の理想はすっかり高くなっているからね。……一生独身でもいいかもしれない」有象無象から逃れてのランチ中、ぐったりとしたレオンから恨めしそうに言われてしまった。「いるだろう、ちょうどいいのが。家格は劣るが俺とは別方向に顔がいい奴。能力もあるし、聞き分けもいい。頭も悪くないぞ?」「ちょっとお!それ、ボクのことですか?本人を前にしてよく言いますね。それってペットについて語る言葉じゃないですか?」「俺のペットだろう。間違ってはいない」「そもそも私を何だと思っているんだ、アスカ。そこまで節操無しだと?アスカがダメなら誰でもいいというわけではない。そもそも私が婚約を結んだのは、もともとアスカに好感を抱いていたからだ」「おいおいレオン。それだとエリオットがダメみたいだろうが。こいつこれでも学園では上位だと思うぞ?」「これでも、って何ですか!アスナ様の方が酷いでしょ!言いましたよね、本来はボクが主役!スペック高いはずなんですから!」「主役?どういう意味だ」「ああ、レオン、そこは気にするな。エリオットの妄想だ」ここでエリオットが居住まいを正し、レオンに向き直った。「そもそも、本来ならレオン様とアスカ様が結ばれるのが正しいはずなんです!ここのレオン様はボクなんかにたぶらかされなかったでしょう?今のレオン様とならアスカ様
「はあ………」憂鬱だ。「おはようございます、アスカ様、アスナ様!」「おはよう!」門をくぐった途端、大勢が俺たちに走り寄ってくる。目線だけを投げる俺と、微笑み付きで片手を振ってこたえるアスナ。ここで時間を取られるわけにはいかない。足を止めればあっという間に囲まれて面倒なことになる。「おはようございます、アスカ様!これ、よろしければ召し上がって……」「シェフとアスナ以外の手作りは食わないことにしている。すまんな」「アスカ様!あのお……もしよろしければ昼食を……」「却下!」次々と掛けられる声を捌きながらひたすら足を動かし続けた。「貴様ら、もうホームルームの時間だろう。さっさと散れ!」しっしっと追い払う仕草。以前ならばこれで散ったのに……「いやあん!ご心配下さるのですか?お優しいですわねっ」「アスカ様、丸くなられたよなあ」「だよなあ!背負われていた重荷をおろされたからじゃないか?使命のために仲の悪い婚約者を装ってご無理されていたのだろう」これだ。その視線だけで有象無象を近寄らせなかった「絶対強者」である俺は、アスナとレオンのお陰でとっくにどこかに行ってしまった。後に残ったのは「意外と可愛らしい一面がある」「恥ずかしがりや」「ツンデレ」だのという嬉しくもない「本当のアスカ様」。身に纏っていた「近寄り難さ」という鎧は一気に引き剥がされてしまった。そんなところに円満な婚約解消。あり得ない「チャンス」を狙った学園生たちが「イチかバチか」とばかりに隙あらば俺に話しかけてくるようになったのだ。教室のいつもの席に座れば座ったで机の中からカード付きのプレゼントがゴロゴロと転がり落ちて来る。入りきれなかった分は机の上や横に。それをまず袋に詰めて片付けるのがアスナの朝一番の仕事となっている。彼らとて俺と本当にどうこうなれると思っているわけではない。アスナがいうには「いわゆる推し活」。「遠くで見つめているだけだったファンが、推し触れ合うチャンスに飛びついた」というわけだ。そういわれるとあまり無下にするのも……ああ!違うだろう!そう、最もイライラするのはこの俺自身の思考回路なのだ。前の俺ならばっさり切り捨てても何も感じなかったのに!有象無象の連中はよく見ている。確かに俺は変わってしまったようだ。ぐったりと机にひれ伏す俺にエリオットが言
その日はそれで納得したように見えたエリオットだが、それ以来時々どこ暗い目をするようになった。気にはなったが、俺とレオンの婚約解消の件が公表され周囲が騒がしくなったので「若くして侯爵家当主となったのだがら大変なのだろう」とそのまま様子をみることにする。婚約解消については「クレイン侯爵の悪行」「侯爵家一門の断罪」と同時に公表されたので、そこまで違和感なく受け入れられた。実際のところ、「クレイン侯爵家の不祥事」については公表するまでもなく既に広まっていたので、それが正式に公になったというだけなのだが。最近は違うとはいえ、昔から俺とレオンの不仲は有名だったし、むしろ「解消が決まっていたから誤解されぬようあえて距離をとっていたのだろう」「全てことが終わり婚約解消が整ったからこそ、友として本来あるべき距離に収まることができたのだ」と勝手に解釈された。エリオットの件に関しても、「断罪の功労者」「正義を貫いた」として「正式な侯爵家の当主とする」と王家から声明を出したため、スムーズに受け入れられた。レオンと仲が良く見えたのも、その打ち合わせを兼ねていたのだと言われ、エリオットとレオンの噂も一気に終息に向かう。タイミング的に、驚くほど全てがスムーズにまとまった。人というのは信じたいものを信じるものだ。今回の件も、ほんの少し誘導してやっただけで「こう考えれば納得がいく」と都合よく信じてくれた。エリオット一人がこっちに寝返るだけでここまですべてが上手くいくとは。エリオットさまさまだな。おかげでいらぬ断罪の心配もなくなり、面倒な婚約解消の理由まででっちあげることができた。下僕、ペットではなく友に格上げしてやってもいいくらいだ。そんなにスムーズにいっているのなら、何が騒がしいのか、と思うだろう?それが……スムーズにいったからこそ騒がしくなったのだ。俺とレオンが婚約解消となる、それすなわち「優良物件が一気に二件も市場に出された」ということ。俺とレオンには婚約を希望する有象無象が次々と押し寄せるようになったのである。こうなってみると、アスナとの婚約をさっさとしてしまえばよかった。しかし、考えてもみてくれ。婚約もしていないというのに、俺とアスナは……なんというか……まあ、軽い触れ合いをしている。俺から進んで行っているわけではないが、アスナの方は「隙あらば」といった
慌てて教室に向かえば、授業の始まるギリギリだった。「申し訳ない。レオンに呼ばれていたのです。詳細はのちにレオンから説明がありますので」さっさと言い置いて返事を待たずに席に座った。「さあ、授業を始めてください」「あ、ああ。……では、授業を始めよう。第三章、五節からだ……」心配そうに俺とアスナを見ていたエリオットが、小さな声で声をかけてきた。「アスカ様?大丈夫でしたか?あの……もしかして、例の噂のことでしょうか?アレは本当に単なるうわさなのです。ボクとレオン殿下には…小声で話していたのだが、しっかりと教授の目にはとまってしまったようだ。ジロリと睨まれてしまった。「そこ!エリオットくん、静かにするように!」教授の注意を受け、慌てて教科書を開くエリオット。だがどうしても話をしたかったようで、今度はごそごそとノートの端に「後でお話があります」と書いて差し出してきた。アスナと俺が黙って頷けば、ようやく安心したように少しだけ肩の力を抜く。無視をされるとでも思ったのだろうか?安心しろ、お前とレオンのことは全く疑ってなどいないから。面倒なことになるな、思っていただけで。授業が終わったとたん、さっそくエリオットが俺とアスナを廊下に引っ張り出した。一目の無いところで、という配慮だろう。つまり、人に聞かれたくない内容だということだ。エリオットは俺たちを空き教室に押し込むや否や、怒涛のように話出した。「いったい何があったのですか?レオン殿下はどのような御用で?あの、もしもクと殿下の噂のことですが、あれは単なる噂にすぎません!アスカ様から殿下を奪おうなどと大それたことは思ってもいませんのでっ!そんなことをするくらいなら、最初からアスカ様に協力などしておりませんっ!どうか信じて下さいっ!!」目に涙を浮かべて必死の形相だ。俺とレオンが噂のことでもめているのではと勘違いしたらしい。「時期に公表されるはずだから、もういいだろう。話というのは、俺とレオンの婚約解消が正式に決まった件についてだ。レオンがあまりにも落ち込んでいたのでな。心配した側近にレオンと話をして欲しいと頼まれたんだ。確かに噂も原因のひとつではあるが、どのみち予定していたこと。その時期が早まっただけだから、俺としては何の問題もない。気にするな。お前の責任ではない」それを聞いて安心するかと思いき
ワイマールが思わず口にした「友」という言葉にレオンの目が僅かに見開かれた。そうだ。俺と違って、お前は二人ときちんと関係を構築してきただろう?それは「王子」と「護衛」というだけのものではなかったはずだ。「ワイマール、お前の言う通りだと思うぞ?友としてのレオンを俺は認めている。不満などないさ。ただ……レオンがアスナでは無かったというだけのこと。すまんな。俺も非常に不本意ではあるのだが、俺にはアスナしかないらしい。お前たちとレオンとの間に見えぬ絆があるように、見えているものだけが全てではない。俺とアスナにも、俺たちにしかわからないものがあるのだ」「しかし……!」食い下がろうとするワイマールを制したのは、レオンだった。「もういい、ワイマール。ありがとう」激高するワイマールに片手を伸ばし、その肩をポンポンと叩いて宥める。「……アスカ、うん、君のいうことは……分かる気がする。見えるものが全てではない。現に、これまで君は私を嫌って裂けているように見えた。だが実際の君は私を友としてなら好ましく思ってくれていた。婚約者として、ではないのが残念だけれどね。それを嬉しく思うべきなのだろう。私が知る以外にも、君とアスナにはなにかあるということか……。そして、それは追及しないほうがよいのだろう。相手がアスナということにはまだ複雑な気持ちはあるが……私が選ばれないのだということは既に先日君の口からもきいているから、覚悟はしていた。だが、こんなにすぐにとは思っていなかったものだから……少し……心の準備が足りなかった」自嘲気に口元をゆがめ、真剣な表情で俺を真正面から見つめるレオン。「ねえ、アスカ。無理を言えばなんとかなるのかな?それとも……私は友としての君を失うことになる?」最後の言葉には、懇願に似た響きがあった。だが、だからこそ俺はしっかりとレオンの目を見つめ返して答える。「そうできるのにしないお前だからこそ、俺は友と認めたのだ」「そうか……」クスっと笑ったレオンの目には、覚悟を決めたような光が戻っていた。「ねえ、私はよい王になれる?」「ああ。断言しよう。少なくとも俺は、お前が王になる国だから支えてやってもいいと思った」「貴族は国に仕えるのが当たり前なのですけれどね……」思わずという体でワイマールがため息をついた。それにアスナがしれっ