二〇××年、環境の劣悪化により惑星全土を人工管理下に置いた地球の日本・東京。 そこで唯人(ゆいと)は世界的覆面歌手・ディーヴァとして活躍していた。 天涯孤独の身の上から、自分と愛し合っている恋人の朋拓(ともひろ)との血を分けた家族を持つことに憧れている。そのためであれば、政府が推し進める「コウノトリプロジェクト」と呼ばれる、進化した医学技術の治療により男性でありながらも妊娠・出産することを決意する。 しかし朋拓はプロジェクトに反対で協力が得られそうになく、それでも我が子を望む唯人は朋拓に事実を隠したまま治療を続け妊娠可能期に入るも、思わぬ形で治療のことが知られ――
もっと見る“――おねむりよい子 あまいミルクに つつまれて
おねむりよい子 あったか毛布に くるまれて
よいゆめを よいあすを おねむり おねむり――”
俺がこの世に生まれて二十一年、誰かにやさしく抱き上げられた記憶も、そんな歌を唄われた憶えもないのに、その歌声だけが耳に残っている。記憶の隅にしがみつくように大人になったいまもなお、眠れない夜に不意に脳内で流れ出す。
|独島唯人《ひとりじまゆいと》という名の他に俺が持っていたのは、この子守歌とそれをつむぐ歌声だけ。
生き抜いてくるために歌い続けてきた俺は、この歌声に支えられひとりで生きてきて、いま、世界で知らない者はいないほどの“|歌姫《ディーヴァ》”だ。
俺の歌声で手に入らない物はない――そう思ってもいたし、実際そうだった。
でもひとつだけ、どうしても焦がれてやまないものがある。それは、血をわけた家族、肉親だ。それも、心から愛し愛される相手と結ばれた上での肉親――我が子。
それを手に入れられるならどんなことだってする、いくらでも払う……そう、思ってすらいた。叶わない可能性しかないのがわかりきっていたからだ。
だから、俺の前に差し出されたあの奇跡のようなチャンスをつかみ取るために、俺はあのプロジェクトの中の治療に命を懸けることを決めたんだ。
「あらぁ、そう。でもそれはまあそうでしょうねぇ」 翌日、自分の部屋に戻りながらの道中、次の曲のコンセプトの話し合いをレコーディングスタッフとリモート会議の前に、平川さんと二人で話をする時間があったので昨日の話……というか、愚痴を言った。そしたらこの反応。「それはそう、って……でもさぁ、もしかしたら俺がそういうのを望んでいるかもってチラッとでも想像してくれたって良くない?」「まあそうではあるけれど、それはちゃんと口にしてみないとわからないことだしねぇ」「事務所の社長だっていいっていてくれたし、平川さんだっていいと思ってくれてるし、何よりあいつは俺とのこと家族になりたいと思ってくれていると思ったのに……」「仮定の話であっても彼は唯人のことが心配なんだよ、命がけなのは確かなんだから」 良い彼氏じゃない、と言う平川さんの言葉も、朋拓の考えも間違いだとは俺には言い切れないし、似たような理由でコウノトリプロジェクトに強く反対する人は多いし、断念する人たちもいる。それだって相手を想ってこその考えから来ている。 だからこその今回の公費の増額が決まったのだろうし、逆に言えばそうまでしないとこの国の人口減少は止められないとも考えられる。 じゃあ俺の望みはその人口減少を食い止めたいからプロジェクトに参加するという志なのか、と言うと、そうではなく、ただひたすらに個人的な望み――俺と血を分けた我が子を抱き、俺が唯一知る子守唄を歌い継ぎたい、という望みを叶えたいだけだ。それをワガママだと言われてしまえばそれまでの話になってしまうのだけれど。 単純に俺が朋拓を愛しているから、コウノトリプロジェクトにいますぐにでも朋拓の賛同得て妊娠出産を、と考えるのにはもう一つワケがある。 コウノトリプロジェクトには、自然妊娠が難しい女性の身体を妊娠させる治療と、男性の身体を母体としての妊娠と出産を行うために治療を施すことがあり、俺が挑みたいのは後者だ。 そのためには自
コウノトリプロジェクトに参加、という形で生殖医療の治療を受けて妊娠できるようになるためには、実施している病院の窓口に問い合わせをして、定期的に開催されている説明会に一度は必ず参加しなくてはいけない。説明会は大体月一で開かれているようで、夫婦(夫夫・婦婦)ならそのふたりで、シングルであれば本人のみでも参加できるという。説明を受けてカウンセリングなんかも受けた上で、本当に治療に臨むのかを決める。 治療、特に妊娠~出産は主に母体となる側の負担が大きく、何より命がかかっている。そのため“ふうふ”であろうと、シングルであろうと、他の家族の同意書が必要になるそうだ。その点で言えば俺は天涯孤独ではあるけれど、一応家族同然となっている平川さんと事務所の社長の意向くらいは聞かないといけない。数少ない、ディーヴァの正体を知る存在なんだから。「社長、案外あっさりオッケーくれたね」「そうね。社長は唯人には甘いからね」「ディーヴァだから?」「そりゃそうよ。プラチナムで一番の稼ぎ頭なんだから。活動に支障がないならいいよって話なのよ」 事務所からの許可は得られたと思うので、その点は大丈夫だろう。 治療については、まず妊娠できる体にするために、女性ホルモンの凝縮されたような効果がある薬を毎日飲むことや、時々点滴もしなきゃいけない。 女性はもともと子どもを宿し育てられる子宮があるので、相手の細胞を採取してそれで精子を作り、母体になる相手の卵子と体外受精させて胎内に着床させればいい。だから妊娠出産の成功例がとても多い。 しかし、男性はもともと子どもを宿すという機能が備わっていないのに、そこに妊娠をさせて出産をさせるので、高度な危険が伴うと言われている。そもそも着床率が女性に比べて格段に低いんだそうだ。 基本的治療として行われる、細胞を採取して卵子を作り出すことは比較的容易とされているし、受精卵を作るのも体外受精ならば問題はないはずなのだが――(でも、男は腹腔ってところに着床させて妊娠に持ってかなきゃだから&hell
昔と違って男性同士でも結婚をこの国でも出来るようになってずいぶん経つけれど、俺と朋拓はいまのところ互いの家を行き来する恋人同士の関係に留めている。 そろそろ同棲したいみたいなことを朋拓がよく言うこともあるし、そうするなら結婚してしまった方がいいんじゃないの? と周囲からは言われているし、実際結婚している同性愛者の知人は多い。 でもせっかく家族になるのなら、俺は自分のたっての望みを叶えたいと思っている。それに賛同してくれるなら、朋拓と一緒に住んでもいいかなと考えてはいる。 考えてはいるのだけれど、それを叶える為に協力して欲しい話を俺はもうかれこれ数か月切り出せないままでいる。「そうは言っても、いつまでもいまのままじゃいけないんじゃない?」 レコーディング前のリモートのミーティングで、俺のマネージャーであり、俺がディーヴァであることを朋拓以外で知っている数少ない存在のうちの一人である平川さんが呆れたように言う。 平川さんは俺がネット上にひっそりと投稿していた俺の歌声を拾い上げてくれた恩人で、家族のいない俺の親代わりのようなところも担ってくれている。「だってさぁ、“お前の子どもが欲しいから家族になってくれ!”なんて旧時代すぎて退かれちゃいそうな気がして。それじゃなくても、あいつに俺との子どもが欲しいかどうかって気持ちがあるかもわからないし」「でも、ディーヴァであることは結構あっさり受け入れてくれたんでしょう?」「声が似てると思ってたんだよね! って言ってるくらいに勘が良いからね……正直、ディーヴァであることを明かした時の方が気持ちが楽だった」 付き合いだしてすぐ、朋拓が家に遊びに来た時にうっかり仕事部屋を覗かれてしまって、趣味で歌を唄っていると最初は誤魔化せていたのだけれど、俺があまりに頑なにディーヴァを避けるものだから、逆に怪しまれて質問攻めにされたのだ。 その上、朋拓は俺の仕事の人ディーヴァのライブが重なっていることにも気付き
どこかでアラームが鳴っている。寝ぼけながら中空に手をかざすと、音は聞こえなくなった。センサーに体温が反応して目覚めたと感知したのだろう。 アラームのせいで意識は覚醒してしまったので薄っすら目を開けると、隣では根元が黒い金色の乱れた髪のガタイの良い若い男が眠っている。 カーテンを開けると窓の外は今日もいつもと変わりなく快晴の穏やかな風景が広がっていて、眼下の道を自動運転の車が音も立てずに行きかっている。 時刻は朝の九時過ぎで、昨日抱き合う前に少しインスタントのパスタを摘まんだくらいなのでさすがに空腹を覚えていた。「朋拓、起きて。俺お腹減った。なんか食べに行こうよ」「ん~……」 ベッドに座って朋拓を揺り起こすと、朋拓は大きな身体を反転させながらこちらを向いて大きくあくびをする。 ぐずぐずとシーツに伏せたりなんだりしてようやく朋拓は顔を上げ、「……おはよ、唯人」と弱く笑った。「ねえ、なんか食べに行こうよ。もう九時過ぎだし。腹減ったよ」「そうだなぁ……んじゃあ、原宿の方まで出る? スープデリの店ができたんだって」「いいね、行こう。あ、通行アプリの申請の期限切れてない?」「あー……大丈夫だったはず……」「ちゃんと見といてよ。また朋拓の保証人になるのいやだからね」 環境汚染が進みすぎた結果、いま街は汚染された空気を互いに流入させないために、区域ごとに分厚いガラスドームに覆われて区切られている。そして居住区からどこかへ移動する際には国がリリースしている通行アプリをダウンロードして、通行申請をしないといけない。申請には期限があって、それが切れているとよその街には行けないようになっている。「そうだよね、保証人なりすぎるとその人も通行規制入るんだもんね」「ディーヴァが
“――眼を閉じて浮かぶのは オマエを描いた空の色 ほどけとけゆく想いの色眼を閉じて浮かぶは オマエをなくした茜色 ながれとけいく愛の色――” スピーカーから結構な音量で流れている歌声に、俺は心底うんざりしているものの、それを流しているのが俺の意思ではないため、黙って曲と作業が終わるのを待っている。「はー……やっぱ、最高だなぁ……」 今日何度目になるかしれない溜め息交じりの賛辞の言葉に、俺は違う意味の溜め息をこっそりつく。こっそりと言いつつも、相手には聞こえるように。 溜め息が聞こえたらしい相手は手にしていた絵筆を置いて、困ったような顔をして俺を抱き寄せてわざとらしく額に口付けてきてこう囁く。「ごめん、唯人。もうあと三十分くらいだからさ」「……さっきも|朋拓《ともひろ》そう言ってたし、一昨日逢った時もそうだったけど?」 俺の言葉に朋拓はバツが悪そうに口をつぐむも、すぐにルームスピーカーから聞こえ始めた歌声に顔をあげて絵筆を取り作業を――ヤンチャさのうかがえる彼の姿からは、想像もできないほど繊細で、綿密な絵画を描く作業を――再開させる。全然さっきのごめんの言葉が意味を成していないのにお構いなしだ。 いま俺の恋人である朋拓、こと|宇多川朋拓《うたがわともひろ》が俺をほったらかしにして不機嫌にしているのも構わずにルームオーディオから流している音楽とスクリーン代わりの白い壁に映し出している映像は、世界的な覆面バーチャルシンガー・ディーヴァの最新ライブの様子だ。 ディーヴァは数年前突如ネット界から火がついた覆面歌手で、その姿は文字通り覆面をつけたバーチャルキャラクターな姿な上に中性的なスタイルのせいで年齢はおろか性別も国籍すら不祥――と言うことになっている謎多きアーティストネット上の歌姫で、そのディーヴァに彼は夢中なのだ。 その張本人がここにいると言うのに。覆面バーチャルシンガー・ディーヴァ。二〇××年夏、突如大手レコード会社・プラチナムの公式動画チャンネルから配信された『ティア』という曲が瞬く間にネット界隈で話題になり、覆面のままメジャーデビューを飾る。以降ディーヴァがリリースする楽曲には必ず大企業のタイアップが付き、配信楽曲のダウンロード件数、MV再生回数も、連作世界有数の数字を叩き出す記録は数えきれないほど保持する。しかも性別も国籍も
“――おねむりよい子 あまいミルクに つつまれて おねむりよい子 あったか毛布に くるまれて よいゆめを よいあすを おねむり おねむり――” 俺がこの世に生まれて二十一年、誰かにやさしく抱き上げられた記憶も、そんな歌を唄われた憶えもないのに、その歌声だけが耳に残っている。記憶の隅にしがみつくように大人になったいまもなお、眠れない夜に不意に脳内で流れ出す。 |独島唯人《ひとりじまゆいと》という名の他に俺が持っていたのは、この子守歌とそれをつむぐ歌声だけ。 生き抜いてくるために歌い続けてきた俺は、この歌声に支えられひとりで生きてきて、いま、世界で知らない者はいないほどの“|歌姫《ディーヴァ》”だ。 俺の歌声で手に入らない物はない――そう思ってもいたし、実際そうだった。 でもひとつだけ、どうしても焦がれてやまないものがある。それは、血をわけた家族、肉親だ。それも、心から愛し愛される相手と結ばれた上での肉親――我が子。 それを手に入れられるならどんなことだってする、いくらでも払う……そう、思ってすらいた。叶わない可能性しかないのがわかりきっていたからだ。 だから、俺の前に差し出されたあの奇跡のようなチャンスをつかみ取るために、俺はあのプロジェクトの中の治療に命を懸けることを決めたんだ。
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