昔と違って男性同士でも結婚をこの国でも出来るようになってずいぶん経つけれど、俺と朋拓はいまのところ互いの家を行き来する恋人同士の関係に留めている。
そろそろ同棲したいみたいなことを朋拓がよく言うこともあるし、そうするなら結婚してしまった方がいいんじゃないの? と周囲からは言われているし、実際結婚している同性愛者の知人は多い。
でもせっかく家族になるのなら、俺は自分のたっての望みを叶えたいと思っている。それに賛同してくれるなら、朋拓と一緒に住んでもいいかなと考えてはいる。
考えてはいるのだけれど、それを叶える為に協力して欲しい話を俺はもうかれこれ数か月切り出せないままでいる。
「そうは言っても、いつまでもいまのままじゃいけないんじゃない?」
レコーディング前のリモートのミーティングで、俺のマネージャーであり、俺がディーヴァであることを朋拓以外で知っている数少ない存在のうちの一人である平川さんが呆れたように言う。
平川さんは俺がネット上にひっそりと投稿していた俺の歌声を拾い上げてくれた恩人で、家族のいない俺の親代わりのようなところも担ってくれている。
「だってさぁ、“お前の子どもが欲しいから家族になってくれ!”なんて旧時代すぎて退かれちゃいそうな気がして。それじゃなくても、あいつに俺との子どもが欲しいかどうかって気持ちがあるかもわからないし」
「でも、ディーヴァであることは結構あっさり受け入れてくれたんでしょう?」
「声が似てると思ってたんだよね! って言ってるくらいに勘が良いからね……正直、ディーヴァであることを明かした時の方が気持ちが楽だった」
付き合いだしてすぐ、朋拓が家に遊びに来た時にうっかり仕事部屋を覗かれてしまって、趣味で歌を唄っていると最初は誤魔化せていたのだけれど、俺があまりに頑なにディーヴァを避けるものだから、逆に怪しまれて質問攻めにされたのだ。
その上、朋拓は俺の仕事の人ディーヴァのライブが重なっていることにも気付き、ついには「ここで唄って見せてくれたらもう何も言わないから!」とまで懇願され、渋々ワンフレーズを適当な誰かの曲で唄ったら……声でバレてしまった。
一応ディーヴァの声は俺の声のままを使うのではなく、多少の加工はして男性とも女性ともつかない、もちろん俺の元の声と微妙に違う声色になっている。それなのに、朋拓は気付いたのだ。
そんな妙に勘のいい彼のことだから、俺がヘタな言い訳で同棲を拒むのは意味がないんじゃないかと平川さんは言うのだ。
「俺の声と俺の考えは別物じゃん。そんなあからさまにまだ子どもの事とかは態度に出してないし」
だけど、平川さんは俺が何もわかっていない子どものように首を横に振り、溜め息をついてこう言う。
「だって、唯人の望みっていうのは、自分の子どもを自分で産みたいってことでしょう? その同意は取れそうなの? 協力してもらえそうなの? 今後のこと考えたら、一緒に住んでいた方が何かと都合がいいんじゃない?」
「別々に住んでる家族だっていっぱいいるじゃん。あの話は、べつに同居家族が条件じゃないし」
「それはそうかもしれないけど……こう言ったらあれだけど、妊娠って、そうそう簡単にできるもんじゃないんだよ? いくら、いまは昔に比べて国が後押しして男性でも妊娠が以前よりできるようになってきたコウノトリプロジェクトが推奨されているからって」
平川さんの正論に基づく質問攻めに、俺は口をつぐむしかない。画面の中で黙り込む俺を見つめながら、彼女は更にこう続ける。
「子どもを作るって、カップルの片方だけの意思決定だけじゃどうにもならないんだよ、基本。しかも唯人がしようとしていることはいくら国が後押ししている補償もつくプロジェクトの一環だと言っても、命を産んで育てることはCG画像じゃない、リアルなんだから」
だからよく考えなよ、と言い終えたところで、今日のリモートでのレコーディングの時間になり、トークルームに参加アーティストが続々とログインしてくる。
平川さんはそっとトークルーム上の画面から姿を消してミュートにし、俺はレコーディング用のディーヴァのアバターに切り替えた。限られた関係者以外にディーヴァの正体を探られないためだ。
「おはようございまーす」
揃い始めたアーティストたちに挨拶をしながら、俺はいま考えなくてはいけないことを、朋拓との話し合いではなく目の前の仕事に向けることにした。
コウノトリプロジェクトは、もともとは病気やケガなどで生殖機能を失った人や、俺らのような同性愛者など、様々な事情で自分の実子を望みつつも自然妊娠が難しいカップルを対象としている。
前者は、このプロジェクト前から生殖医療の一環として行っている病院が元々多かったこの治療が、全額公費負担になるということらしいんだけれど、この前見かけたあのCMは、後者の治療に関する補助金や補償金を増額し、参加者を増やしていきたい、という目論見があるようだ。
同性婚を法制化するのでさえ何十年もかかったこの国において、国内で年間まだ百数十例ほどしか成功例がないプロジェクトを奨励しようというのだから、どれほど人口減少問題が深刻かわかる。それだけ労働力に余力がないのだろう。
しかし、そもそもコウノトリプロジェクトの治療法を不安視する人が多いのか、それで妊娠出産を希望する母体の全体数が少ないらしく、政府は必死の思いで補助金やら補償金やらをあげていく。猫の手も借りるではないけれど、人口が増えるなら性別も何も関係ないようだ。
「コウノトリプロジェクトってかなり危険らしいじゃない? だって男の人が身体作り変えてまで子ども産む、なんて。そこまでして子どもって欲しいものなの? いまは国籍も人種も関係ない養子縁組も珍しくないのに」
レコーディングのあとの打ち合わせで、またもや話題が俺の子どもを望んでいる話になって平川さんがそう言ってきた。
平川さんにはパートナーこそいまはいないけれど、一昨年養子として迎えた四歳の子どもがいる。だから余計に、俺が母体になる男性の身体に大きく負担がかかり、命の危険さえあるコウノトリプロジェクトに挑みたいという気持ちがわからないという。
「血の繋がりがなくても子どもってかわいいよ。似ている似ていないはあるかもしれないけど、そういうのは些細なもんだよ。家族でいられるなら形はこだわらなくていいんじゃないの?」
「そうかもしれないけど……家族ならなんでもいいって言うとはなんかちょっと、違うんだよ」
「なにが?」
「俺さ、自分の血縁者って見たことないんだ。それってさ、俺がこの世でただ一人ってことだし、俺が死んだら俺が築き上げてきたものが全部消えるってことじゃん。それって……なんか、虚しくて。なんで俺ここにいるんだろう、みたいに思えて」
「生きてきた証が欲しい、みたいな感じ?」
「うん、簡単に言えばそうだね」
「唯人はディーヴァなんだから、その名曲がいっぱい残ってるのは違うの?」
「曲は曲じゃん。しかも音源データに残るのは俺の生の声が永遠にそのままってわけじゃないし、新しい歌声じゃない。AIに唄わせるのもなんか違うし、俺はそうされるのはイヤなんだよ。そうなったらさ、俺が生きてやってきたことを引き継いでくれるのって誰なんだろう、って思って」
「それは、養子じゃダメなの?」
「うん……そう言うんじゃ、ないんだよなぁ……誰でもいいってわけじゃなくて、うーん……生きた誰かに引き継いで欲しいって言うのかな……」
何と言えば適切なのかわからない。言えば言うほど本当に言いたいことから遠ざかっていく気がする。
ディーヴァとしてやってきたことを引き継がせるなら、平川さんが言うように養子でもいいんだ。歌なんて誰がやろうと同じだから。
そういうのとは、俺が望んでいるものはちょっと違うんだ。
俺と言う人間がいて、ディーヴァをやって、そして朋拓と生きてきたという証しとなるものが欲しい。俺の血と、朋拓の血を確実にひいているこの世で確実に俺の子どもだと思える存在。
そう望んでしまうのはきっと、俺の生い立ちにも関係している気がする。
「俺さ、すっごい監獄みたいな施設で育って言ったじゃん? 質の悪いアンドロイドがシッターやってるような。そこでさ、どうにか生きていくためにいつもこっそり歌を唄ってたんだ。子守唄なんだけど」
「その子守唄って初期の頃投稿していたやつ? あの、親御さんを捜す手掛かりに、って」
「そうそれ」
ディーヴァとしてデビューするきっかけとなった、ネットへの歌もの動画の投稿をしていた初期の頃、俺は唯一自分のルーツの手掛かりになるであろう子守唄を唄った動画も投稿していた。理由は単純に、それを聞いた、いまはどこで生きているのか、死んでいるのかもわからない、俺の両親、もしくはその関係者が俺に何らかのアクセスをしてこないかなと思ったからだ。
結局動画を投稿してから五年近くが経つけれど、有力と思えるリアクションはまだなに一つ得られていない。
そう言う話をしていると、先程のミーティングで提示された資料を別枠に映し出しながら、「なるほどね、そういうことだったのね」と平川さんはうなずく。
俺という命と、俺が愛した人間――朋拓との繋がりを確実に証明して次に繋いでくれる存在が欲しい。それが俺の望みであって、叶える為であれば前例のない物に挑むことも|躊躇《ちゅうちょ》しない。そのためであればなんだってする。そのつもりでいる。これは生き物としての本能なんだろうか。
「唯人の望みもその動機もわかったけれど、なんにしても相手の同意がない事には前に進まないんじゃない?」
結局どんなに考えても、その結論に行き着いてしまう。調べられることは調べ尽くしてしまっているいま、俺がしなくてはならないのは治療より先に朋拓からの同意を得ることだ。
そのための話し合いを考えながらも、もう何カ月も俺は彼に子どもが欲しいの「こ」の字も言えないでいる。それを知っているから、平川さんは心配しているのだろう。
わかっている、このままじゃいけないことも。でも……俺には朋拓から同意を得られるような自信がなかった。
俺も朋拓のことが好きだけれど、朋拓は俺にかなりベタ惚れしている。そのべたべたな甘さが恥ずかしくて、つい俺は素っ気ない態度を取ってしまうのだけれど、いままでの人生、ここまで全身全霊で愛されたことがないので嬉しくはあるのだ。
だけど、どれだけ俺が朋拓を好きでも、朋拓が俺を好きでも、ふたり籍を入れて結婚をして家族になっていいかどうかがわからない。もう法的に|夫夫《ふうふ》になっていいとされていても、自分たちの子どもをコウノトリプロジェクトで作るカップルがいると言われていても、そもそもの話、朋拓に、俺と家族になったとしても、俺との子どもが欲しいとまで考えていなかったら、プロジェクトへの同意すらしてもらえないだろう。
だから俺は……たとえ一人で請け負うことになったとしても、どうしても子どもだけは欲しいと思っている。つまり、最悪の場合精子だけでも朋拓から提供してもらえないかと考えているのだ。勿論、そんなことは誰にも言っていないけれど、そういうことだって考えて覚悟していなくてはいけない。
そこまでして子どもが欲しいのか? と、朋拓にも平川さんにも言われるかもしれない。でも、それが俺の本音であり本当の願いであることに変わりはない。俺から先へ命を繋ぐためなら手段は選ばない。それだけが確かだった。
初めての診察日は、五日後の午後だった。産科は基本女性しかいないのと、コウノトリプロジェクトがなかなかデリケートなことなので、俺の場合は、午前中の外来が終わった後に診察と治療が行われるんだという。 しんとしていて、ほとんど人がいない大学病院のフロアは独特の静けさがある。パステルピンクを基調とした産科のフロアは明るくて、どことなくやわらかなやさしいにおいがする。「独島さんはぁ……身長が一六〇センチで、体重が五〇キロ……血圧は……」 診察はいつも体重と血圧を測ることが義務付けられているらしく、今日は初回なので看護師にやってもらっている。「血圧は問題ないですけど、ちょっと独島さん細めなので、なるべくたくさん食べてくださいね。そうするとお薬も効きやすいし、赤ちゃんもできやすいので」「あ、はい」「このあと先生からお薬の説明がありますので、お待ちくださいねぇ」と言いながら、看護師は忙しそうに診察室を出て行く。 入れ替わるように俺の主治医となった蓮本先生が入ってきて、心音を聞いたり体調を訊いたりしてきた。「で、これがこれから独島さんに毎日飲んで頂くお薬です」 そう言って、薄いオレンジ色の風邪薬みたいな楕円形の錠剤の並ぶシートを差し出された。これを、毎日欠かさず三食飲むことから治療が始まる。「効用は個人差ありますが、数カ月くらい飲むと少しずつ体が変化してくると思います。胸が張るような感じがしたり、お腹……下腹部ですね、がじんわり痛くなったり。それらはホルモンによる副作用です。ほとんどはすぐに回復しますが、あまりにツラかったらご連絡ください。緊急事態でなければリモート診察いたしますので」「はい、わかりました」「何か、わからないことや、気になることはありますか?」「え、ッと
「あらぁ、そう。でもそれはまあそうでしょうねぇ」 翌日、自分の部屋に戻りながらの道中、次の曲のコンセプトの話し合いをレコーディングスタッフとリモート会議の前に、平川さんと二人で話をする時間があったので昨日の話……というか、愚痴を言った。そしたらこの反応。「それはそう、って……でもさぁ、もしかしたら俺がそういうのを望んでいるかもってチラッとでも想像してくれたって良くない?」「まあそうではあるけれど、それはちゃんと口にしてみないとわからないことだしねぇ」「事務所の社長だっていいっていてくれたし、平川さんだっていいと思ってくれてるし、何よりあいつは俺とのこと家族になりたいと思ってくれていると思ったのに……」「仮定の話であっても彼は唯人のことが心配なんだよ、命がけなのは確かなんだから」 良い彼氏じゃない、と言う平川さんの言葉も、朋拓の考えも間違いだとは俺には言い切れないし、似たような理由でコウノトリプロジェクトに強く反対する人は多いし、断念する人たちもいる。それだって相手を想ってこその考えから来ている。 だからこその今回の公費の増額が決まったのだろうし、逆に言えばそうまでしないとこの国の人口減少は止められないとも考えられる。 じゃあ俺の望みはその人口減少を食い止めたいからプロジェクトに参加するという志なのか、と言うと、そうではなく、ただひたすらに個人的な望み――俺と血を分けた我が子を抱き、俺が唯一知る子守唄を歌い継ぎたい、という望みを叶えたいだけだ。それをワガママだと言われてしまえばそれまでの話になってしまうのだけれど。 単純に俺が朋拓を愛しているから、コウノトリプロジェクトにいますぐにでも朋拓の賛同得て妊娠出産を、と考えるのにはもう一つワケがある。 コウノトリプロジェクトには、自然妊娠が難しい女性の身体を妊娠させる治療と、男性の身体を母体としての妊娠と出産を行うために治療を施すことがあり、俺が挑みたいのは後者だ。 そのためには自
コウノトリプロジェクトに参加、という形で生殖医療の治療を受けて妊娠できるようになるためには、実施している病院の窓口に問い合わせをして、定期的に開催されている説明会に一度は必ず参加しなくてはいけない。説明会は大体月一で開かれているようで、夫婦(夫夫・婦婦)ならそのふたりで、シングルであれば本人のみでも参加できるという。説明を受けてカウンセリングなんかも受けた上で、本当に治療に臨むのかを決める。 治療、特に妊娠~出産は主に母体となる側の負担が大きく、何より命がかかっている。そのため“ふうふ”であろうと、シングルであろうと、他の家族の同意書が必要になるそうだ。その点で言えば俺は天涯孤独ではあるけれど、一応家族同然となっている平川さんと事務所の社長の意向くらいは聞かないといけない。数少ない、ディーヴァの正体を知る存在なんだから。「社長、案外あっさりオッケーくれたね」「そうね。社長は唯人には甘いからね」「ディーヴァだから?」「そりゃそうよ。プラチナムで一番の稼ぎ頭なんだから。活動に支障がないならいいよって話なのよ」 事務所からの許可は得られたと思うので、その点は大丈夫だろう。 治療については、まず妊娠できる体にするために、女性ホルモンの凝縮されたような効果がある薬を毎日飲むことや、時々点滴もしなきゃいけない。 女性はもともと子どもを宿し育てられる子宮があるので、相手の細胞を採取してそれで精子を作り、母体になる相手の卵子と体外受精させて胎内に着床させればいい。だから妊娠出産の成功例がとても多い。 しかし、男性はもともと子どもを宿すという機能が備わっていないのに、そこに妊娠をさせて出産をさせるので、高度な危険が伴うと言われている。そもそも着床率が女性に比べて格段に低いんだそうだ。 基本的治療として行われる、細胞を採取して卵子を作り出すことは比較的容易とされているし、受精卵を作るのも体外受精ならば問題はないはずなのだが――(でも、男は腹腔ってところに着床させて妊娠に持ってかなきゃだから&hell
昔と違って男性同士でも結婚をこの国でも出来るようになってずいぶん経つけれど、俺と朋拓はいまのところ互いの家を行き来する恋人同士の関係に留めている。 そろそろ同棲したいみたいなことを朋拓がよく言うこともあるし、そうするなら結婚してしまった方がいいんじゃないの? と周囲からは言われているし、実際結婚している同性愛者の知人は多い。 でもせっかく家族になるのなら、俺は自分のたっての望みを叶えたいと思っている。それに賛同してくれるなら、朋拓と一緒に住んでもいいかなと考えてはいる。 考えてはいるのだけれど、それを叶える為に協力して欲しい話を俺はもうかれこれ数か月切り出せないままでいる。「そうは言っても、いつまでもいまのままじゃいけないんじゃない?」 レコーディング前のリモートのミーティングで、俺のマネージャーであり、俺がディーヴァであることを朋拓以外で知っている数少ない存在のうちの一人である平川さんが呆れたように言う。 平川さんは俺がネット上にひっそりと投稿していた俺の歌声を拾い上げてくれた恩人で、家族のいない俺の親代わりのようなところも担ってくれている。「だってさぁ、“お前の子どもが欲しいから家族になってくれ!”なんて旧時代すぎて退かれちゃいそうな気がして。それじゃなくても、あいつに俺との子どもが欲しいかどうかって気持ちがあるかもわからないし」「でも、ディーヴァであることは結構あっさり受け入れてくれたんでしょう?」「声が似てると思ってたんだよね! って言ってるくらいに勘が良いからね……正直、ディーヴァであることを明かした時の方が気持ちが楽だった」 付き合いだしてすぐ、朋拓が家に遊びに来た時にうっかり仕事部屋を覗かれてしまって、趣味で歌を唄っていると最初は誤魔化せていたのだけれど、俺があまりに頑なにディーヴァを避けるものだから、逆に怪しまれて質問攻めにされたのだ。 その上、朋拓は俺の仕事の人ディーヴァのライブが重なっていることにも気付き
どこかでアラームが鳴っている。寝ぼけながら中空に手をかざすと、音は聞こえなくなった。センサーに体温が反応して目覚めたと感知したのだろう。 アラームのせいで意識は覚醒してしまったので薄っすら目を開けると、隣では根元が黒い金色の乱れた髪のガタイの良い若い男が眠っている。 カーテンを開けると窓の外は今日もいつもと変わりなく快晴の穏やかな風景が広がっていて、眼下の道を自動運転の車が音も立てずに行きかっている。 時刻は朝の九時過ぎで、昨日抱き合う前に少しインスタントのパスタを摘まんだくらいなのでさすがに空腹を覚えていた。「朋拓、起きて。俺お腹減った。なんか食べに行こうよ」「ん~……」 ベッドに座って朋拓を揺り起こすと、朋拓は大きな身体を反転させながらこちらを向いて大きくあくびをする。 ぐずぐずとシーツに伏せたりなんだりしてようやく朋拓は顔を上げ、「……おはよ、唯人」と弱く笑った。「ねえ、なんか食べに行こうよ。もう九時過ぎだし。腹減ったよ」「そうだなぁ……んじゃあ、原宿の方まで出る? スープデリの店ができたんだって」「いいね、行こう。あ、通行アプリの申請の期限切れてない?」「あー……大丈夫だったはず……」「ちゃんと見といてよ。また朋拓の保証人になるのいやだからね」 環境汚染が進みすぎた結果、いま街は汚染された空気を互いに流入させないために、区域ごとに分厚いガラスドームに覆われて区切られている。そして居住区からどこかへ移動する際には国がリリースしている通行アプリをダウンロードして、通行申請をしないといけない。申請には期限があって、それが切れているとよその街には行けないようになっている。「そうだよね、保証人なりすぎるとその人も通行規制入るんだもんね」「ディーヴァが
“――眼を閉じて浮かぶのは オマエを描いた空の色 ほどけとけゆく想いの色眼を閉じて浮かぶは オマエをなくした茜色 ながれとけいく愛の色――” スピーカーから結構な音量で流れている歌声に、俺は心底うんざりしているものの、それを流しているのが俺の意思ではないため、黙って曲と作業が終わるのを待っている。「はー……やっぱ、最高だなぁ……」 今日何度目になるかしれない溜め息交じりの賛辞の言葉に、俺は違う意味の溜め息をこっそりつく。こっそりと言いつつも、相手には聞こえるように。 溜め息が聞こえたらしい相手は手にしていた絵筆を置いて、困ったような顔をして俺を抱き寄せてわざとらしく額に口付けてきてこう囁く。「ごめん、唯人。もうあと三十分くらいだからさ」「……さっきも|朋拓《ともひろ》そう言ってたし、一昨日逢った時もそうだったけど?」 俺の言葉に朋拓はバツが悪そうに口をつぐむも、すぐにルームスピーカーから聞こえ始めた歌声に顔をあげて絵筆を取り作業を――ヤンチャさのうかがえる彼の姿からは、想像もできないほど繊細で、綿密な絵画を描く作業を――再開させる。全然さっきのごめんの言葉が意味を成していないのにお構いなしだ。 いま俺の恋人である朋拓、こと|宇多川朋拓《うたがわともひろ》が俺をほったらかしにして不機嫌にしているのも構わずにルームオーディオから流している音楽とスクリーン代わりの白い壁に映し出している映像は、世界的な覆面バーチャルシンガー・ディーヴァの最新ライブの様子だ。 ディーヴァは数年前突如ネット界から火がついた覆面歌手で、その姿は文字通り覆面をつけたバーチャルキャラクターな姿な上に中性的なスタイルのせいで年齢はおろか性別も国籍すら不祥――と言うことになっている謎多きアーティストネット上の歌姫で、そのディーヴァに彼は夢中なのだ。 その張本人がここにいると言うのに。覆面バーチャルシンガー・ディーヴァ。二〇××年夏、突如大手レコード会社・プラチナムの公式動画チャンネルから配信された『ティア』という曲が瞬く間にネット界隈で話題になり、覆面のままメジャーデビューを飾る。以降ディーヴァがリリースする楽曲には必ず大企業のタイアップが付き、配信楽曲のダウンロード件数、MV再生回数も、連作世界有数の数字を叩き出す記録は数えきれないほど保持する。しかも性別も国籍も