【完結】銀の少女

【完結】銀の少女

last updateDernière mise à jour : 2025-06-26
Langue: Japanese
goodnovel16goodnovel
Notes insuffisantes
64Chapitres
1.2KVues
Lire
Ajouter dans ma bibliothèque

Share:  

Report
Overview
Catalog
Scanner le code pour lire sur l'application

昭和58年。 藤崎柚希(ふじさき・ゆずき)は、いじめに悩まされる日々の中、高校二年の春に田舎の高校に転校、新生活を始めた。 父の大学時代の親友、小倉の隣の家で一人暮らしを始めた柚希に、娘の早苗(さなえ)は少しずつ惹かれていく。 ある日柚希は、銀髪で色白の美少女、桐島紅音(きりしま・あかね)と出会う。 紅音には左手で触れた物の生命力を吸い取り、右手で触れた物の傷を癒す能力があった。その能力で柚希の傷を治した彼女に、柚希は不思議な魅力を感じていく。 ホラー要素を含んだ恋愛小説です。

Voir plus

Chapitre 1

第1章 邂逅 1/5

 優しい日差しが映り込み、川面が輝いていた。

 昭和58年5月。

 奈良県北部に位置する、この街に越して一ヶ月。

 この小川にまで足を運んだのは初めてだった。

 腰を下ろし木にもたれかかると、柚希〈ゆずき〉は少し顔をしかめた。

 まだ痛む。殴られた頬が、そして蹴られた脇腹も、時間と共にずきずきとしてきた。

 頭もまだ朦朧としている。制服の詰襟を外し、ベルトを緩めると呼吸が少し楽になった。

 両手の親指と人差し指を使ってフレームを作り、小川や土手を眺める。

 今度の休み、ここで写真を撮ろうか。

 今しがた起こり、そしてまた、明日もあさっても続くであろう現実から目を背けるように、柚希は木にもたれたまま、フレーム越しに辺りを見渡した。

 その時、柚希が気配を感じた。

 今日はまだ許してくれないのか……あと何回殴られるんだ……勢いよく彼に近付いてくる足音に、柚希は目をつむり、諦めきった表情を浮かべた。

 その時だった。

 まだ少し血がにじんでいる彼の頬を、何者かが舐めてきた。

「うわっ!」

 予想外のことに、柚希が驚いて声を上げた。

 振り向くと目の前に、太い眉を持った犬の顔があった。

「え……犬……?」

 息を荒げて柚希を見つめるその犬に、思わず柚希が微笑む。

 そして次の瞬間、その犬に舐められた頬の傷に痛みが走り、顔をしかめた。

 しかし犬はおかまいなく柚希の上に乗り、再び顔を舐めだした。

「え? え? ちょ……ちょっと、やめろ、やめろってお前……ははっ、あははははははっ」

 尻尾を振りながら顔を舐めてくるその犬に、いつしか柚希は声を上げて笑っていた。

 散々殴られた後なので、犬を払いのける気力も残っていない。

 柚希は笑いながら、しばらく犬にされるがままになった。

 しかし不思議と、さっきまでの重い気持ちが軽くなっていくような気がした。

「コウ? どこに行ったの?」

 土手の向こうから、女の声がした。

 風の音にかき消されてしまいそうな、か細い声だった。

「……コウ! 何をしてるの、早く離れて! すいません、大丈夫ですか」

 コウと呼ばれるその犬を見つけた声の主が、慌てた口調でそう言った。

 その声にコウは反応し、柚希から離れると声の主の元に走っていった。

「ごめんなさい、大丈夫ですか」

「あ、はい、大丈夫です」

 そう言って起き上がろうとする柚希の目に、黒い日傘をさした女の姿が映った。

 太陽を背にしているので、よく顔が見えない。

 女が、手袋をした小さな手を差し出してきた。

 柚希がその手を握ると、手袋ごしではあるが、やわらかい感触と体温が伝わってきた。

 柚希は赤面しながらその手に引き寄せられ、ゆっくりと起き上がった。

 女は日傘をたたみ、小さなポーチからハンカチを取り出した。

「ごめんなさい、その……大丈夫でしたか?」

 ハンカチを柚希の顔に近付け、女が申し訳なさそうにそう言った。

 そして次の瞬間、柚希の顔のあざを見て、

「……もしかしてこの傷……ご、ごめんなさい、大丈夫ですか」

 動揺を隠し切れない様子で、柚希に向かって頭を下げた。

「あ、いえ……大丈夫ですよ。これはこの子につけられた傷じゃないですから。そうだよね、コウ」

 柚希がそう言うと、コウが一声鳴いた。

 その柚希の言葉に安心したのか、女は小さく息を吐き、柚希の傍らに座った。

「でもその、あの……やっぱりごめんなさい。いつもはちゃんとつないでるんですけど、今日はあんまり天気がよくて……コウも少し走りたいようでしたし、周りに人もいなさそうだったんで、つい……」

「本当に大丈夫ですから、そんなに謝らないでください。それに僕も……少し気分が沈んでたんですけど、コウのおかげで元気出ましたから」

 柚希の笑顔に、その女もつられて小さく笑った。

「でも、どうされたんですか、この傷……痛いですよね、きっと」

 女がそう言いながら、ハンカチを柚希の頬にそっと当てた。

 慎重に慎重にハンカチを押し当てると、白いハンカチに血がついた。

 彼女のその仕草に柚希は、再び赤面してうつむいた。

「ごめんなさい、痛かったですか」

「い、いえ……」

 柚希が恐る恐る、その女に視線を移す。

 腰の辺りまである長い髪が風になびく。

 その髪の色に、柚希は息を呑んだ。

 ――銀色の美しい髪。

 憂いを帯びた大きな瞳は、美しい赤。赤い瞳の人なんて、初めてだった。

 薄く小さな唇は、桜の花びらのような淡いピンク。

 肌は透き通るように白い。

 こんな片田舎の街に不似合いな、真紅のワンピース。

 そして黒いブーツに黒い日傘を持ったその姿に、まるで人形みたいな人だ、そう思った。

 高貴な雰囲気が漂う容姿に、柚希の視線は釘付けになった。

「あ……あの、その……」

 柚希の視線に戸惑うように、女は視線を落とした。

 その声に我に帰った柚希は、慌てて視線を外した。

「あ、す、すいません……その、あの……あんまり綺麗なので、つい……」

 柚希が無意識の内に、そう口にしていた。

 そしてすぐ、後悔と羞恥の念に襲われ、顔が真っ赤になった。

「え……え?」

 次に女の顔が赤くなった。

 両手を口に当て、どう反応したらいいのか分からない様子で、声にならない声を漏らす。

「あ、いえその……す、すいません」

「わ、わた、私……」

「違うんです……あ、いや違わない、綺麗というのは本当です。じゃなしに、違うって言うのはそうじゃなくて」

「え? え?」

 言葉にすればするほど、彼女の顔が赤くなっていく。

 弁明しようとすればするほど、新たな墓穴を掘っていく。

 静かな小川のほとりで、二人はそんなやりとりを続けた。

Déplier
Chapitre suivant
Télécharger

Latest chapter

Plus de chapitres

Commentaires

Pas de commentaire
64
第1章 邂逅 1/5
  優しい日差しが映り込み、川面が輝いていた。   昭和58年5月。  奈良県北部に位置する、この街に越して一ヶ月。  この小川にまで足を運んだのは初めてだった。 腰を下ろし木にもたれかかると、柚希〈ゆずき〉は少し顔をしかめた。  まだ痛む。殴られた頬が、そして蹴られた脇腹も、時間と共にずきずきとしてきた。  頭もまだ朦朧としている。制服の詰襟を外し、ベルトを緩めると呼吸が少し楽になった。   両手の親指と人差し指を使ってフレームを作り、小川や土手を眺める。  今度の休み、ここで写真を撮ろうか。  今しがた起こり、そしてまた、明日もあさっても続くであろう現実から目を背けるように、柚希は木にもたれたまま、フレーム越しに辺りを見渡した。 その時、柚希が気配を感じた。 今日はまだ許してくれないのか……あと何回殴られるんだ……勢いよく彼に近付いてくる足音に、柚希は目をつむり、諦めきった表情を浮かべた。 その時だった。  まだ少し血がにじんでいる彼の頬を、何者かが舐めてきた。「うわっ!」 予想外のことに、柚希が驚いて声を上げた。 振り向くと目の前に、太い眉を持った犬の顔があった。「え……犬……?」 息を荒げて柚希を見つめるその犬に、思わず柚希が微笑む。  そして次の瞬間、その犬に舐められた頬の傷に痛みが走り、顔をしかめた。 しかし犬はおかまいなく柚希の上に乗り、再び顔を舐めだした。「え? え? ちょ……ちょっと、やめろ、やめろってお前……ははっ、あははははははっ」 尻尾を振りながら顔を舐めてくるその犬に、いつしか柚希は声を上げて笑っていた。  散々殴られた後なので、犬を払いのける気力も残っていない。  柚希は笑いながら、しばらく犬にされるがままになった。  しかし不思議と、さっきまでの重い気持ちが軽くなっていくような気が
last updateDernière mise à jour : 2025-04-26
Read More
第1章 邂逅 2/5
  しばらくして。  羞恥のあまり、柚希〈ゆずき〉がうなだれた。  女はそんな柚希を怪訝そうに見つめながら、柚希の頭にそっと手を置いた。「大丈夫……ですか?」「いえ、その……すいません」「謝らないでください、その……」 女は何か言おうとしたが、思いとどまるように口を閉じた。「あの、何か……」 その助け舟に少し安堵の表情を浮かべた女が、緊張気味に柚希を見つめた。「よろしければ、その……お名前を……うかがっても……」「あ……はい。僕は柚希、藤崎柚希〈ふじさき・ゆずき〉です」「柚希さん……綺麗なお名前ですね。耳に響く音がとても心地いいです。あの、よければ……柚希さんってお呼びしてもいいですか」 手を合わせて微笑む女に、柚希の頬がまた赤く染まった。「は、はい。柚希でお願いします」 勢いよく頭を下げる柚希に、女は小さく笑った。「柚希さん、私は紅音、桐島紅音〈きりしま・あかね〉です。どうかよろしくお願いします。それからコウのこと、本当にすいませんでした」「いえそんな、こちらこそ。その……桐島さん」「柚希さんさえよろしければ、どうか私のことも紅音とお呼び下さい。私もお名前でお呼びさせてもらってますし、それに……その方が嬉しいです」 紅音の言葉に、柚希は胸の鼓動を抑えられなくなっていた。  * * * 柚希はこれまで、同世代の女子とほとんど話したことがなかった。  この街に越して来て、隣の家の同級生、小倉早苗〈おぐら・さなえ〉が初めてまともに会話した女子と言ってもよかった。 早苗は活発な子で、柚希の父からよろしくと頼まれたことを真剣に受け止め、色々と世話を焼いてくれていた。 家族ぐるみの付き合いをしていく中で、早苗は自分を小倉ではなく、早苗と呼ぶよう柚希に言ってきた。  でないと私を呼んでるのか、お父さんを呼んでるのかお母さんを呼んでるのか分からない。そんな理由だ
last updateDernière mise à jour : 2025-04-26
Read More
第1章 邂逅 3/5
 「柚希〈ゆずき〉さんはこの場所、初めてなんですよね」「あ、はい。いつもは学校が終わるとまっすぐ帰ってるんですけど、今日はちょっと色々あって、少し休むつもりで」「それって、その傷と関係あるのですか」「あ、いや、それは……」 その言葉に、柚希が少し表情を曇らせた。「ごめんなさい。私、余計なことを」「いえ、大丈夫です。気にしないで」「本当にごめんなさい。私、こうして人とお話するのが久しぶりなので、少し興奮してるみたいで……あの、柚希さん」 そう言って、紅音〈あかね〉が距離を詰める。甘い香りがした。「え……」「大丈夫です。少しだけ、動かないでもらえますか……」   紅音が腰を下ろすと、木にもたれる柚希に覆いかぶさるような格好になった。  紅音の動きに柚希は混乱し、慌てて目を閉じた。  手袋を外した紅音は右手で柚希の頬に触れ、左手を木に沿えると小さくつぶやいた。 「お願い……少しだけ、あなたの力を貸してください……」  不思議な感覚だった。  紅音の手のぬくもりが、頬から体全体に伝わってくるようだった。  そのぬくもりは温かく、そして心地よくて。  言い様のない安息感が柚希を包み込んだ。  * * *「どう……ですか?」「え……」「まだ痛みますか?」 紅音の声に柚希が目を開けると、目の前に紅音の顔があった。  吐息を間近に感じる。  目が合った柚希は、緊張の余り全身が硬直するような感覚に見舞われた。「あ、あの、紅音……さん……」「え?」「あのその……顔、顔が、その……近いです……」「あっ!」 柚希の言葉に、紅音が慌てて離れて目を伏せた。「ご、ごめんなさい、私……また変なことを……」「あ
last updateDernière mise à jour : 2025-04-26
Read More
第1章 邂逅 4/5
  木造二階建ての、古びた一軒家。それが柚希〈ゆずき〉の家だった。 門扉を開けて中に入ると、少しばかりの庭がある。  都会でマンション暮らしだった彼にとって、庭があるのは新鮮だった。 ここに越して真っ先に彼がしたことは、庭に菜園を作ることだった。  三年ほど誰も住んでいなかったせいもあり、来た時には雑草が生い茂って荒れ放題になっていた。  越してきて一ヶ月。ようやく土も落ち着き、二十日大根やトマトの芽が出ていた。  玄関の鍵を開けて土間に鞄を置くと、彼は菜園に水をまいた。「おかえり柚希。遅かったね」 彼の家の隣に、同じような造りをした一軒家がある。  その二階の窓から顔を出した早苗〈さなえ〉が、声をかけてきた。「もうすぐご飯出来るから。それ終わったら手を洗って来るんだよ」 そう言って早苗は大袈裟に手を振り、微笑んだ。  柚希も手を振って応える。 水をやり終えると家に入り、制服を脱いだ。  傷はなくなったが、あちこちが土で汚れていた。このまま行けば、また早苗から質問攻めにあってしまう。  クラス委員でもある早苗の親切は嬉しいが、こればかりは簡単に解決出来るものではない。  早苗も薄々感じていて、事あるごとに聞いてくるのだが、安っぽい男のプライドが、女子に相談することにブレーキをかけていた。  それに何より、早苗に心配をかけるのが嫌だった。「こんばんは」「おお、おかえり。丁度呼びに行こうとしてたところだ。早く入りなさい」 早苗の父、小倉孝司〈おぐら・たかし〉が、夕刊を手に柚希を出迎えた。「あ、はい……いつもすいません」「そろそろそのかしこまったの、なんとかせんとな。うははははははっ」 豪快に笑う孝司に続いて、柚希も居間に向かった。「お兄ちゃん、いらっしゃい。巨人勝ってるよ」 早苗の弟、昇〈のぼる〉が嬉しそうに柚希を迎える。「なるほど。それでおじさん、ご機嫌なんだね」「何を言
last updateDernière mise à jour : 2025-04-27
Read More
第1章 邂逅 5/5
  湯船につかりながら、柚希〈ゆずき〉は紅音〈あかね〉のことを考えていた。 ここに越してから、柚希は基本、食事と風呂を小倉家で済ませている。  初めの頃は、自分の家があり生活があるからと拒んでいたのだが、早苗〈さなえ〉の勢いに流される回数が徐々に増えていき、いつの間にかこれが日常になっていた。「綺麗な人、だったな……紅音さん……」 小さく笑う紅音を思い出すと、自然と口元が緩んだ。  * * * 柚希はこれまで、身近な女性を意識したことがなかった。  清楚で無垢、そして自分を包み込んでくれる存在。それが柚希の求める女性像だった。  それは幼い頃に事故で亡くした、大好きだった母親への想いに重ねられているとも言えた。  どこにいても浮いた存在で、常にいじめの対象だった彼に興味を持つ女性もいなかったが、彼自身、劣等感を持つこともなかった。  彼の理想の女性像を、同世代に求めることが出来ないと分かっていたからだ。 しかし紅音は、その理想を求めるに足る初めての女性だった。  勿論彼女のことを、まだ何も知らない。  しかし彼女の姿を思い描き、仕草を思い返すと、彼の胸は高鳴った。 湯船から出た柚希は、椅子に座り体を洗い出した。  毎日のように受ける暴力で、体のあちこちは傷ついていた。  いつもは痛くならないように、慎重に慎重に洗っていた。  しかし今日、本当に久しぶりに。痛みを気にせず洗うことが出来た。  それが嬉しかった。   その時、突然ドアが開いた。「柚希―、湯加減どう?」 短パンにティーシャツ姿の早苗だった。「うわっ!」 柚希は反射的に湯船に飛び込んだ。「早苗ちゃん、いつも言ってるだろ。いきなりドアを開けないでって」「あははははっ、別にいいじゃない。私にとっては柚希も昇〈のぼる〉も、可愛い可愛い弟なんだからさ。これぐらいで騒がないの」「い
last updateDernière mise à jour : 2025-04-28
Read More
第2章 動きだす世界 1/5
 「紅音〈あかね〉。今朝は随分楽しそうだね」 朝食を食べながら、桐島医院院長、桐島明雄〈きりしま・あきお〉が笑顔を向ける。「はい、お父様。今朝はとても気分がよくて」「何か、いいことでもあったのかな」「はい、実は……」 紅音は紅茶をひと口飲み、少し緊張気味に続けた。「お友達が出来ました」「友達……」「はい。昨日コウと散歩している時、知り合った方なんです。何でもその方、つい最近こちらに越してきたばかりらしくて。 色々お話させてもらっている内に、友達になりませんか、そうおっしゃってくれたんです」「そうか、友達が……よかったじゃないか」「は……はい!」 父の反応に、紅音が安堵の表情を浮かべた。「お嬢様、よほど嬉しかったみたいです。それにその方のこと、かなりお気に召されたご様子で」 明雄のカップにコーヒーを注ぎながら、桐島家で給仕をしている山代晴美〈やましろ・はるみ〉が微笑む。「お嬢様のスケッチブックに、その方のデッサンがありました」「え……え? 晴美さん、見たんですか?」 動揺する紅音に、晴美が満足そうな笑みを浮かべる。「はい。お嬢様のベッドを整えている時に」「え? え? 嘘、嘘」 紅音が顔を真っ赤にしてうつむく。 その反応、仕草を待っていたかのように、晴美は紅音の傍まで小走りに行くと、そのまま後ろから抱きしめた。「きゃっ! は、晴美さん?」「むふふふっ。これで今日も一日、しっかりお嬢様にご奉仕することが出来ます。あ、でもお嬢様、誤解なさらないでくださいませ。私、お嬢様の部屋を物色してた訳ではございませんので。ベッドを整えに入った時に『たまたま』スケッチブックが開かれてあったものですから」「はっはっは。それで晴美くん、紅音の友達というの
last updateDernière mise à jour : 2025-04-29
Read More
第2章 動きだす世界 2/5
 「ゆーずきー、一緒に食べよー」 昼休み。 弁当箱を手にした早苗〈さなえ〉が、そう言って柚希〈ゆずき〉の肩を叩く。「うん、小倉さん」「さ・な・え。そんなに私を名前で呼ぶの、嫌?」「いや、そうじゃなくて……学校では名前で呼ぶの、勘弁してよ」「なーに言ってるんだか。私の名前なんだからいいじゃない。別に違う名前で呼べって言ってる訳でもないんだからさ」「いや、だから……ほら、みんな見てるから」「はいはい分かりました。藤崎君、一緒にお弁当食べませんか」「だから……怒らないでって」「ふふっ。ほら、柚希もお弁当出して」 クラスメイトの視線を気にもせず、早苗が柚希の前に座る。「はいお茶」「ありがと」 柚希が入れたお茶を受け取り、早苗が飲もうとすると、かけていた眼鏡がくもった。「ありゃりゃ、またやっちゃった。家ではかけてないから、つい忘れちゃうんだよね」 そう言って、早苗は舌を出して笑った。  * * * 早苗の視力は、眼鏡をかけるほど悪くない。 家にいる時は眼鏡なしで、特に支障もない。 しかし早苗は学校に行く時、必ず眼鏡をしていた。 そのことを柚希が聞いた時、早苗はモードチェンジなんだと答えた。 家ではリラックスモード、学校では委員長モード。 その切り替えにはこれが一番なんだと。 自分自身の気持ちを切り替える為に、高校に入った時に編み出した方法なんだと言っていた。 いつも柚希と登校する時、彼の前で眼鏡を取り出し、「装着!」 そう言って眼鏡をかける。 それは彼女の生真面目な性格から来ているものなんだ、そう柚希は理解していた。  * * * 机に並べられたふたつの弁当箱。
last updateDernière mise à jour : 2025-04-30
Read More
第2章 動きだす世界 3/5
  放課後。 ホームルームが終わると同時に、柚希〈ゆずき〉は教室を後にした。 小走りに小川に向かう。 時々後ろを振り返り、山崎たちがついてきていないか確認しながら、柚希は先を急いだ。  * * * 小川に着き時計を見ると、約束の時間までまだ30分ほどあった。 柚希は木の傍に鞄を置き、一眼レフのカメラを取り出した。 標準レンズを取り付けると、フイルムを入れてファインダー越しに辺りを見渡す。 昨日感じた通り、ここは撮影ポイントとしてかなりいい。 早速柚希はシャッターを切った。 気分が乗らない時や、被写体に魅力を感じない時には味わえない、いいリズムでシャッターを切っていく。 柚希にとって、至福の時間だった。 あっと言う間にフイルムを使い切り、二本目のフイルムを入れている時、土手の向こうから犬の鳴く声が聞こえた。 振り返るとそこに、真紅のワンピースに身を包み、黒い日傘を差した紅音〈あかね〉とコウの姿があった。 「こんにちは」 昨日と同じ、風にかき消されそうなか細い声。 その声を聞くと、柚希の鼓動は高鳴った。「こ、こんにちは、紅音さん」 柚希の言葉に、紅音は嬉しそうに笑顔を向けた。 コウが柚希の元に走り飛びつく。「あはははっ。コウ、一日ぶり」 コウとじゃれあう柚希に微笑みながら、紅音は土手をゆっくりと下りてきた。「ここ、いいですか?」「は、はい……」 紅音が側に来ると、柚希の胸が熱くなった。 紅音は肩から提げていたバスケットを下ろすと、照れくさそうにうつむく柚希の隣に座った。「怪我の具合、どうですか?」「あ、はい、大丈夫です。本当にありがとうございました」「柚希さんのお役に立てたのなら……よかったです」「本当、
last updateDernière mise à jour : 2025-05-01
Read More
第2章 動きだす世界 4/5
  撮影は、想像していた以上に紅音〈あかね〉との距離を近くしていった。 柚希〈ゆずき〉もファインダー越しだと、自分でも不思議なくらい積極的に話しかけることが出来た。 気がつくと、二人は自然に会話出来るようになっていた。 幼い頃に亡くした母をほとんど覚えていないことや、愛犬のコウがシュナウザーという種類で、紅音が13歳の時に家に来たこと、自分に色がない分、濃い色が好きで、身につける物も自然と原色系になってしまうことなど、紅音は自分のことを興奮気味に話し続けた。 病気のおかげで学校にも行けず、他人と距離を置く生活をずっと続けてきた。 近所の住人や父の患者たちとの接触はあるものの、挨拶もままならなかった。 他人と離れすぎてしまった生き方に悩むこともあったが、挑戦する勇気も出なかった。 そんな自分が今、昨日会ったばかりの人とこんなに自然に話せている。 そのことが嬉しくて仕方なかった。 紅音は柚希との出会いに感謝し、喜びを感じていた。 柚希も紅音の話を聞きながら、もっと彼女のことを知りたい、そう思った。 そして、そんな風に感じられる人に出会えたことが、何より嬉しかった。  * * * 腕時計のアラームが鳴った。 その音に二人がはっとすると、いつの間にか空は茜色に染まっていた。「いけない。いつの間にか、もうこんな時間に」「す、すいません僕、時間も考えずに話しこんじゃって」「私の方こそ、楽しすぎて、つい……」 そう言ってお互い見つめ合い、笑った。「楽しかったです、紅音さん」「私こそ、ありがとうございました」「あ、それから……晴美〈はるみ〉さんにもお礼、言ってもらっていいですか。サンドイッチ、ごちそうさまでした。とてもおいしかったです」「晴美さん、きっと喜びます」「それから、お父さんにも伝えてもらえますか。近い内に、診察に伺いますって」
last updateDernière mise à jour : 2025-05-02
Read More
第2章 動きだす世界 5/5
 「それで、柚希〈ゆずき〉はどう? 試験の準備はばっちり?」「うん、何とか……」  小倉家でいつものように夕食、入浴を済ませた柚希が、早苗〈さなえ〉の部屋でそう答えた。 いつもなら居間にカルピスがあるのだが、今日はメモが一枚置いてあった。「カルピスは預かった。部屋まで来るのだ 早苗」 柚希は早苗の部屋が苦手だった。 同世代の女子の部屋。そう考えるだけで逃げたくなった。 それに早苗は、部屋ではいつもティーシャツに短パン姿で、目のやり場に困るのだった。 都会の間取りに比べれば開放感があるのだが、それでも二人きりで密室にいることに変わりはない。 だから柚希は、余程のことがない限り早苗の部屋には近付こうとしなかった。「何とかって柚希、ほんとに大丈夫? 確かにうちは田舎の高校だけど、そこそこレベル高いよ? 何なら勉強、見てあげようか?」「ありがとう。でも……今回は一人で頑張ってみるよ。こっちに来てから初めての試験だし」「そっか。ちょっと心配だけど、柚希がそう言うんだったらいいか。もし補習や追試になったら、その時しっかり見てあげよう」「ありがとう、早苗ちゃん」 来週に迫った中間試験。 柚希にとっては一年ぶりの定期試験だった。 早苗自身も勉強しなくてはならないのに、自分のことを気遣ってくれる、そんな早苗の気持ちが嬉しかった。「でも……久しぶりに入ったけど、いつ見てもすごいね」 そう言って、柚希が部屋を見回した。 壁には今、日本でブームとなっているハリソン・フォードの映画「レイダース/失われた聖櫃〈アーク〉」と、シルベスター・スタローンの「ランボー」のポスターが貼られていた。 机の上にはつい最近、全米で話題になった「E.T.」の人形が置かれている。 本棚には映画のパンフレットがぎっしりと詰まっていて、空い
last updateDernière mise à jour : 2025-05-03
Read More
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status