森での束の間の自由から戻った翌日、クロは図書館で一人、古い文献を調べていた。ジンが見つけた異常演算者の歴史について、もっと詳しく知りたかったからだ。「300年前の異常演算者……」埃っぽい古書をめくりながら、クロは眉をひそめた。記録は断片的で、多くの部分が意図的に削除されているように見える。《記録の欠損率、約70%。組織的な情報隠蔽の可能性》「やっぱり、隠されてるのか」その時、背後から声がした。「調べものかい?」振り返ると、見知らぬ老人が立っていた。学院の制服ではない、古風な服装の男性。「あ、はい……」「その本、懐かしいな」老人が微笑む。「私も昔、よく読んだものだ」「ご存知なんですか?」「ああ。というより……」老人の目が鋭くなる。「私が、その時代を生きていたからな」クロは驚いた。「え……でも、300年前って……」「魔術師は長生きだ。特に、異常演算者はな」老人がクロの向かいに座る。「君も異常演算者だろう?」「……はい」「なら、教えてあげよう。隠された真実を」老人が静かに語り始めた。「300年前、確かに異常演算者たちがいた」「最初は英雄だった。モンスターを倒し、国を救い、人々に称賛された」「でも、ある時から風向きが変わった」「風向き?」「権力者たちが、異常演算者の力を恐れ始めたのだ」老人の声が重くなる。「あまりに強すぎる力は、既存の秩序を脅かす」「だから……」「『異常演算者狩り』が始まった」その言葉に、クロの血が凍った。「狩り……ですか?」「政府、軍部、そして民間組織が協力して、異常演算者を一人残らず消した」「消すって……」「殺害、封印、記憶抹消……手段は様々だった」老人が悲しそうに続ける。「最後に残った異常演算者は、たった一人」「一人……?」「私だ」老人が自分を指差す。「私だけが、なんとか生き延びた」クロは言葉を失った。目の前の老人が、300年前の生き残り。「でも、なぜ今……」「君たちのような若い異常演算者が現れたからだ」老人の目に、希望の光が宿る。「もう一度、チャンスが来たのかもしれない」「チャンス?」「異常演算者が、正しく世界を導くチャンスだ」その言葉に、クロは違和感を覚えた。「正しく世界を導くって……」「君たちの力があれば、腐敗した政府も、邪悪な組織
異常演算管理局の介入から一週間が経った。学院の日常は表面上、元に戻ったように見えた。しかし、クロとジンの周りには、常に監視の目があった。「……また、あの人たちがいる」サクラが小声で呟く。中庭の向こうに、黒いスーツの男が二人立っていた。異常演算管理局の監視員。彼らは一日中、クロとジンの行動を記録している。「うっとうしいな」カイが眉をひそめる。「まるで犯罪者扱いじゃねえか」「仕方ないさ」クロが肩をすくめる。「これも条件の一つだからな」しかし、監視の影響は思った以上に大きかった。授業中も、食事中も、休憩中も。常に見張られているという緊張感が、精神的な負担になっている。「集中できない……」ジンが珍しく愚痴を漏らす。「僕も同感だ」クロも頷く。「あいつらがいると、落ち着かない」《精神的ストレス値、継続的に上昇。長期間の監視は精神衛生に悪影響》ゼロの分析も的確だった。放課後、いつもの勉強会。しかし、今日は図書館ではなく、クロの部屋で行うことになった。「監視員がいると、集中できないからな」「そうね。プライベートな空間の方がいい」フィアも同意する。部屋に集まった7人だったが、空気はどこか重かった。「……なんか、前と違うな」カイが呟く。「何が?」「クロとジン、元気がない」確かに、二人とも表情が暗い。監視のストレスが、想像以上に堪えているようだった。「大丈夫?」サクラが心配そうに聞く。「無理しちゃダメだよ」「大丈夫だ」クロが無理に笑う。「ちょっと疲れてるだけ」しかし、その笑顔が作り物だということは、誰の目にも明らかだった。「正直に言えよ」ミナがストレートに言う。「監視、きついんでしょ?」「……まあな」クロが観念して答える。「四六時中見張られてるのは、やっぱりしんどい」ジンも頷く。「僕も限界に近い」「プライバシーが一切ない状態だ」その時、レインが静かに提案した。「なら、逃げよう」「逃げる?」「監視の目を逃れて、どこか安全な場所で休む」レインの提案に、みんなが驚いた。普段慎重なレインが、そんな大胆なことを言うなんて。「でも、バレたら大変なことになるよ」サクラが不安そうに言う。「政府を欺くなんて……」「たまには息抜きも必要だ」フィアが意外にも賛成する。「このままでは、
月曜日の朝、学院に異変が起きていた。「おい、見ろよ」「何だあれ……」生徒たちが、校門の前に集まって騒いでいる。クロたちも駆けつけてみると、そこには見慣れない黒い車両が数台停まっていた。車体には、見たことのない紋章が描かれている。「政府の車?」フィアが眉をひそめる。「いや、違う。この紋章は……」ジンが車両を見つめて、顔を曇らせた。「何か知ってるのか?」「……異常演算管理局」「何それ?」「政府直属の、異常演算者を管理する組織だ」ジンの声が重い。「オブシディアン機関とは、別の組織」「政府の?」クロが驚く。「つまり、国が俺たちを……?」その時、校門から数人の人物が現れた。黒いスーツに身を包んだ、いかにも官僚然とした男たち。先頭に立つ中年男性が、冷たい眼差しで学院を見回している。「セントレア魔術学院の関係者はいるか」その声は、有無を言わさぬ威圧感があった。慌てて、トウヤ先生が駆けつけてきた。「はい、私が教師の……」「私は異常演算管理局の、局長代理ヴァイスだ」男が名刺を差し出す。「貴校に在籍する異常演算者について、話がある」トウヤの表情が険しくなる。「異常演算者……ですか」「クロ・アーカディア、ジン・カグラ」ヴァイスが二人の名前を読み上げる。「彼らの件について、政府として正式な対応を取ることになった」「正式な対応って……」「管理下に置く」ヴァイスが冷酷に答える。「異常演算者は、国家にとって重要な戦力であり、同時に脅威でもある」「適切な管理が必要だ」その言葉に、クロは拳を握りしめた。(管理って……まるで物扱いじゃないか)ジンも同じことを考えているようだった。「我々は、政府の所有物ではない」ジンが冷静に反論する。「所有物などとは言っていない」ヴァイスが眼鏡を直す。「ただし、野放しにはできない」「野放しって……」クロが前に出る。「俺たちは、何も悪いことしてないぞ」「悪いことをする前に、管理するのだ」ヴァイスの論理は冷酷だった。「異常演算者の力は、使い方次第で大量破壊兵器にもなる」「だから、国家管理が必要」その時、理事長オルヴェインが現れた。「お疲れさまです、ヴァイス局長代理」「オルヴェイン理事長」二人は知り合いのようだった。「生徒たちのことでお話があるとか」「はい。
オブシディアン機関を撃退してから一週間。学院には、久しぶりの平穏が戻っていた。破壊された箇所の修復も完了し、警備体制も万全。生徒たちも、いつもの日常を取り戻している。「はあ……やっと普通の授業だ」クロが教室で、ため息交じりに呟く。机の上には、相変わらず赤点だらけの答案用紙。「お前、平和になった途端にまた成績落ちてるじゃねえか」カイが隣の席から覗き込む。「戦闘ばっかりやってたから、勉強忘れちゃったんだよ」「言い訳すんな」ミナが呆れ顔で突っ込む。「もともと勉強できなかったくせに」「うるせー」そんないつものやり取りに、クロは心地よさを感じていた。平和って、こういうことなんだな。「クロくん、今度一緒に勉強しない?」サクラが優しく提案する。「マジで?助かる」「うん。みんなでやろう」「俺も混ぜろよ」カイが手を上げる。「私も参加するわ」ミナも意外にも積極的だった。フィアとレインも、無言で頷く。「じゃあ、今度の日曜日にでも」「図書館で集まろうか」計画を立てている時、教室に一人の人物が入ってきた。ジン・カグラだった。以前なら、教室の空気が一気に緊張したものだが、今は違う。みんな、普通に挨拶する。「おう、ジン」「おはよう」ジンも軽く手を上げて応える。その変化に、クロは改めて感慨深いものを感じた。(本当に変わったんだな、こいつ)「ジン、勉強会に参加するか?」クロが聞くと、ジンは少し考えた後、頷いた。「悪くない。参加しよう」「よし、決まりだな」こうして、平和な日常が戻ってきた。しかし、クロには一つ気になることがあった。共鳴の副作用は、まだ完全には治っていない。時々起こる頭痛と、記憶の混濁。それは、ジンも同様だった。放課後、中庭のベンチで二人は並んで座っていた。「……まだ、頭痛があるか?」「ああ。お前もだろ?」「時々、自分が誰なのかわからなくなる」ジンが珍しく弱音を吐く。「異常演算の代償は、想像以上に重い」「でも、後悔はしてない」クロがきっぱりと言う。「この力があったから、みんなを守れた」「……そうだな」ジンも同意する。「代償があっても、手に入れる価値はあった」二人は空を見上げた。夕陽が雲を染めて、美しい光景を作り出している。「平和だな」「ああ。でも……」ジンの表情が少
翌夜、予告通りオブシディアン機関が再び現れた。しかし、今度はクロたちも準備していた。「来たな」学院屋上で、7人が待ち受けていた。敵を迎え撃つ陣形で、全員が戦闘態勢を整えている。「今度は逃がさない」空から降下してくる黒ローブの集団。その中央に、いつもの指揮官が立っていた。「準備していたか」男が冷笑する。「だが、無駄だ」指揮官が手を振ると、これまでとは違う装置が現れた。巨大な魔法陣が空中に展開され、学院全体を覆い始める。「これは……」フィアが顔を青くする。「魔力遮断結界……」「正解だ」指揮官が得意げに答える。「この結界内では、一切の魔術が使用不可能」「なっ……」クロが雷を出そうとするが、何も起こらない。ジンも同じだった。「魔力が……封じられている……」他の仲間たちも、魔術が使えない状態になっていた。「これで、ただの子供だ」敵の術者たちが、武器を構えて近づいてくる。魔術が使えない以上、物理的な戦闘しかできない。「くそ……」カイが拳を握るが、炎が出ない。「魔術なしで、どうやって戦えって言うんだよ」絶望的な状況だった。しかし、その時――「大丈夫」サクラが前に出た。「魔術が使えなくても、私たちには別の力がある」「別の力?」「絆の力よ」サクラが振り返って微笑む。「魔術がなくても、心は繋がってる」その言葉に、クロははっとした。(そうだ……魔術がすべてじゃない)「みんな、手を繋いで」クロが提案する。「魔術じゃない方法で、力を合わせよう」7人が手を繋ぎ、円を作った。魔力は使えないが、心は繋がっている。「……気持ち悪い儀式だな」指揮官が嘲笑する。「魔術も使えないのに、何ができる」しかし、その時――7人の周囲に、微かな光が生まれた。魔力ではない。心の光。絆の証明。「何だ……あの光は……」敵が困惑する中、光はどんどん強くなっていく。「これは……魔術じゃない」「純粋な精神エネルギーです」Dr.シュタイナーの声が、通信機から響いた。「信じられない……魔力を使わずに、エネルギーを生成している」光が最高潮に達した時、魔力遮断結界が崩壊した。バリバリと音を立てて、結界が粉々に砕け散る。「馬鹿な……我々の結界が……」「絆の力は、どんな結界でも破れるってことだ」クロが立ち上がる
翌日の夕方、学院の中庭。いつものように6人が集まって、軽い訓練をしていた。「今日は調子どう?」カイがクロに聞く。「まあまあかな。昨日よりはマシだ」クロが苦笑いする。頭痛は続いているが、我慢できる程度になっていた。「ジンは?」「僕も同様だ」ジンが短く答える。「完全ではないが、戦闘には支障ない」サクラがほっとした表情を見せる。「良かった。心配してたから」「サクラちゃんのおかげだよ」ミナが肩を叩く。「あんたが止めてくれなかったら、大変なことになってた」「そんな……私は当たり前のことをしただけ」サクラが謙遜するが、その頬は少し赤くなっていた。フィアが静かに呟く。「でも、確かにサクラの存在は大きい」「どういうこと?」「異常演算の暴走制御において、感情の安定化は重要な要素」フィアが分析的に続ける。「サクラの優しさが、クロとジンの心を落ち着かせている」レインも頷く。「チームの要だ」その時、学院の警報が鳴り響いた。『警告:外部侵入者確認。全生徒は寮へ避難してください』「また……?」カイが身構える。空を見上げると、黒い影がいくつも飛んでくるのが見えた。「オブシディアン機関……」「しつこい連中ね」ミナが歯を食いしばる。しかし、今回は様子が違った。敵の数は前回より少ない。10人程度の精鋭部隊のようだった。「少数精鋭……何を狙ってる?」フィアが警戒する。その時、黒ローブの術者たちが着地した。そして、指揮官が口を開く。「目標確認。サクラ・ヒヅキ」「えっ……?」サクラが驚く。「私?」「そうだ。君こそが、我々の真の標的だ」指揮官が冷たく言う。「異常演算者の制御装置として、極めて価値が高い」「制御装置って……」クロが前に出る。「サクラは人間だ!モノじゃない!」「我々にとっては同じことだ」男が手を振ると、部下たちが一斉に魔術を発動した。「捕獲術式、展開」光の鎖がサクラに向かって飛んでくる。「させるか!」クロが雷で迎撃するが、敵も手強い。術式の一部がサクラの足を絡め取った。「きゃあ!」「サクラ!」カイが炎の拳で鎖を切ろうとするが、別の術者に阻まれる。「邪魔をするな」敵の魔術がカイを吹き飛ばした。「カイ!」ミナが反撃しようとするが、敵の数が多すぎる。フィアとレインも必死に抵