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(どうして、こんなことになってしまったの……?) シルヴィアは、ほんの少し前まで、民家の小さな庭を箒で掃いていただけだった。 それなのに、人さらいに遭い、こうして煌びやかな宮殿に隣接する邸宅の豪華絢爛な応接間で跪く羽目になったのだ。 目の前の椅子に座るのは、リンテアル皇国の皇太子、ハドリー・リンテアルその人だった。 いつ刃を向けられてもおかしくはない。 シルヴィアは、姿勢を正して彼を見据える。 彼は冷ややかな視線をこちらに向けながらも、その瞳の奥にはかすかな興味の光が揺らめく。 「どうか、このシルヴィア・ロレンスを貴方様の花嫁としておそばに置いてくださいませ」 シルヴィアは絨毯に額を擦りつけるように深く頭を下げ、声を震わせながら必死に懇願した。 生き延びるために、彼の偽の花嫁となるために────。 * * * 「この汚らしいピンク髪が!」 継母の鋭い怒鳴り声とともに、手作りの熱いスープが頭上からシルヴィアの髪に降りかかった。 暖かな春の日が窓から差し込み、明るくあたたかいはずなのに──朝の食卓の片隅で彼女だけが、底なしのならくへ突き落とされたようだった。 スープはピンク色の髪を伝って滴り落ち、びしょ濡れになった長い髪が頬に張り付き、シルヴィアは跪いたまま唇を噛んで涙を堪えた。 シルヴィアは庶民のロレンス家に生まれ、今年で18歳となる。 10年前、母ルーシャが病で亡くなり、父ラファルが再婚した。 けれど、継母ブライアとその娘リリアが家に入ったことで生活は一変。 リリアは2つ年下で華やかな金色の長い髪と美貌、そして病や怪我を癒す聖姫の力を持ち、皇国からの援助金によって、家は裕福になった。 だが、その富と自由、家族からの愛はリリアにのみ注がれ、シルヴィアは「無能」と蔑まれ、家事全般やパン作り、そして薬作りを押し付けられ、牢のような部屋で虐げられた。 それでも民が救われているならと、シルヴィアは耐え続けるしかなかった。 「……申し訳ございません」 召使いのごとく深々と頭を下げ、震える声でそう謝るが、その小さな声は食器のぶつかる音にかき消されてしまう。 継母ブライアはナプキンを乱暴に卓上へ叩きつけ、見下ろす視線に冷たい笑みを浮かべた。 「こんな熱いスープ、飲めると思って!? もしリリアの口を火傷させたらどうするつもり? あんたは本当に、何ひとつまともに出来ないんだから!」 継母の隣に座る継妹が、にこやかに微笑む。 「お姉さまったら、未だにスープひとつまともに作れないだなんて。わたしじゃなくてよかったわ。恥ずかしくて、とても人前に出られないでしょうね」 「本当よ」 継母に睨まれる。 「聖姫(せいひめ)のリリアとは大違いだわ。リリアは美しくて引く手数多だというのにねえ」 「リリアこそがこの家の誇り。あんたなんて──スープすらまともに作れない、ただの足手まとい。これだからお前は行き遅れるのよ!」 シルヴィアは視線を落とし、指先がカーペットの上で小さく震えた。 そして意を決して、主座で朝食を取る男性──自分の父へ目線を向けると、ふと目が合う。 だが、父にすぐさま目を逸らされ、彼女を視界から追い出すかのように沈黙した。 胸がぎゅっと締め付けられる。その痛みは、頭から浴びせられたスープよりも鋭かった。 「お前、色眼を使ってるんじゃないわよ! 食事の邪魔よ。さっさと下がりなさい!」 「かしこまりました。失礼致します」 シルヴィアは深々と頭を下げ、震える足で立ち上がり、濡れた髪を垂らしたまま、音もなく居間を去っていく。 背後から聞こえるのは、継母の罵声と、リリアの嘲笑。矢のように突き刺さり、彼女の背中を容赦なく貫いた。 * * * その後、シルヴィアは庭の近くにある井戸水で髪を洗って冷やしていると、庭の外から通りすがりの民の囁き声が聞こえてくる。 「リリア様はまるで聖姫そのものだ」 「パンを施す時、金色の髪が神聖な光を放っていたんだってさ」 シルヴィアはうつむき、まだ滴る髪を黙々と拭った。 彼女は知っている。半年前から世間で語られる「聖姫の善行」の多くは、リリアの手柄ではないことを。 薬は病や怪我を癒し、奇跡と称されるものの、 民のため、深夜に何度も近くの森で摘んだ薬草を煎じ、薬を調合したのは自分。 凍傷にかじかむ手でパンを焼き続けたのも自分。 だが、民たちが目にするのは「金髪の聖姫」。 彼らが口にするのは「リリア様の恵み! 神様!」という感謝と歓声だけ。 本当の施し手など、誰も知らない。炉の火に咳込み、薄暗い隅でひとり生地をこねていた娘の存在を。 外では継母とリリアが微笑み、民の崇拝を一身に受けていた。 シルヴィアは影のように壁際に縮こまり、誰の目にも映らなかった。 * * * 夕暮れ、シルヴィアは自分の部屋へと戻る。 狭く、暗く、小さな窓のみの、牢屋のように寒々しい湿った部屋。角には唯一の慰めの薄い毛布、机には固くなった、残り物のパン。 彼女はそっと腰を下ろし、薬草を摘む編み籠の隙間から古びた髪飾りを取り出す。 母の唯一の形見。美しい花の模様が描かれた髪飾り。 (大丈夫、お母さまのこの形見が、お守りがあるから) シルヴィアは、ぎゅっと胸に抱きしめ、静かに目を閉じる。 ──お母さま。どうか天から見守っているなら、わたしにほんの少しの勇気をください。 頬を伝う涙。けれど次に目を開けた時には、もうそれを拭い去っていた。 どんなに惨めでも、継母の前で弱みを見せるわけにはいかない。 例え、卑しい「身代わり」だとしても。誰にも気づかれなくとも──生き抜いてみせる。 * * * その夜。村はずれの酒場から、騒がしい声が風に乗って流れてくる。 「厄災の刻が近い」 「十年ごとに魔形が国境の裂け目から溢れ出すんだ」 「今回は、ハドリー皇太子自ら聖姫の花嫁を選ぶそうだ。聖なる力で国を護るためにな……」 断片的な会話が窓の隙間から忍び込む。 薄い毛布に身を丸めながら耳を澄ますシルヴィアの胸がかすかに震えた。 ──この世界では、聖姫の力が神聖かつ特別なものとされ、清めの力を持つ者たちが存在する。 リンテアル皇国は、そんな世界に息づく国であり、10年に一度訪れる「厄災」の時期、国境に開く魔形(まぎょう)の国とのゲートから現れる魔形は皇国を滅ぼすほどの脅威となる、らしい。 聖姫の花嫁。皇太子。皇国を護る存在──。 視線を落とせば、乱れたピンクの髪が蝋燭の火に照らされ、くすんで見える。 母の髪飾りを握りしめ、苦笑する。 ──そんなもの、わたしには関係のない話。 けれど、誰ひとり知らなかった。 この忌み嫌われた淡いピンクこそが、やがて「金髪の聖姫」と誤解され、皇宮と皇太子の運命を揺さぶる始まりになることを──。その後、リリアは母との帰り際、廊下で若い執事とすれ違った。 ふと、彼女は足元をふらつかせ、よろめくように身を傾ける。 すかさず執事が駆け寄り、リリアの華奢な肩を支えた。 「リリア様でいらっしゃいますよね!? ご無事ですか?」 執事の声には心配と緊張が混じる。 するとリリアはゆっくりと顔を上げ、微笑みかけた。 「ええ、ただ少し……疲れてしまったのかもしれませんわ」 その声は柔らかく、どこか儚げで、まるで意図的に相手の心を揺さぶるようだった。 「無理もありません。皇帝の宴であのような騒ぎがございましたから……」 リリアは彼の動揺を見逃さず、そっと視線を絡ませる。 「そのことで、私、気になる噂を耳にしてしまいましたの」 リリアの声は抑え、まるで秘密を共有するかのように誘う。 「噂……ですか?」 執事の瞳が揺れる。 リリアは一歩近づき、執事の耳元で囁いた。 「……アシュリー陛下があのような目に遭われたのは、シルヴィアが偽の聖姫だったからだとか。そして、本物の聖姫は……別にいるのだと」 執事の息が一瞬止まる。 「もし、それが真実ならば、本当の聖姫様は…………」 リリアは、勿論この私よ、と訴えかけるように、執事の手をそっと握り、瞳に涙を浮かべながら微笑んだ。 * * * 「それで、此度の尋問結果はいかがであった?」 夜、皇帝は私室のベッドに腰を下ろしたまま、落ち着いた声で尋ねた。 あれから皇帝は医務室から私室へと移り、傍にはハドリー、リゼル、そして皇帝の側近が控え、静かにフェリクスの報告を待つ。 「結論から申し上げます。呪いをワイングラスに仕込み、陛下に掛けようとした者が誰かは特定出来ませんでした。よって、陛下にワイングラスをお渡ししたメイド、及び使用人以外の者は全員解放し、帰しました」 「そうか」 皇帝は小さく息を吐き、わずかに肩を落とした。 「陛下、このような結果となり、大変申し訳ございません」 フェリクスは深く謝罪し、言葉を続ける。 「しかしながら、陛下に渡されたワイングラスがシルヴィア様の
大広間は凍てつくような静寂に包まれる中、シルヴィアは我に返り、皇帝の元へ駆け寄る。 その時だった。 「きゃああ!」 令嬢の一人が甲高い悲鳴を上げ、ざわめきが一気に広がった。 「アシュリー陛下! 大丈夫ですか!?」 シルヴィアがしゃがみ皇帝に呼びかけるも、反応はない。 悪夢を見ているかのように苦しんでいる。 「退け!」 皇帝の側近が鋭く叫び、シルヴィアを突き飛ばした。 よろめいた彼女の体は、駆けつけしゃがんだハドリーの胸元にぽすっと当たる。 「あ、申し訳ありません……」 「呪いの魔法に掛けられているな。陛下、今すぐお助け致します!」 皇帝の側近は皇帝に清めの力を注ぐ。 だが、効果は薄く、皇帝の側近の顔が険しくなる。 「くっ、お前か!? 陛下に呪いを掛けたのは!」 皇帝の側近の矛先は一人のメイドに向けられた。 「とんでも御座いません! 陛下がグラスをお持ちでなかったので、テーブルにおかれたワインをお渡ししたところ、飲まれた直後にお倒れに……」 「黙れ! 今すぐつまみ出し、牢にいれろ!」 皇帝の側近の怒号とともに、メイドは衛兵2人に連行された。 するとハドリーが冷静に口を開く。 「私が応急処置を致します」 「ハドリー殿下、頼みます」 皇帝の側近が承諾すると、 ハドリーは立ち上がり皇帝の前に跪き、清めの力を施した。 そしてリゼルとベルが担架を運び入れると、皇帝の側近はフェリクスに命じる。 「フェリクス、呪いのワインを陛下に飲ませた疑いでこの場にいる全員をこの部屋の中で拘束後、一名ずつ尋問し、疑いが晴れた者だけ帰せ」 「はっ、承知致しました」 皇帝の側近が答えた後、皇帝は医務室へ運ばれ、皇帝の側近が慎重に皇帝をベッドに寝かせた。 するとハドリーは再び清めの力を試みる。だが、皇帝の苦しみは和らがない。 (そんな……殿下のお力でも治せないだなんて……このままでは陛下が……) 医務室に付き添うことを許されたシルヴィアはハドリーの姿をただ見つめることしか出来ず、胸が締め付けられる思い
「ハドリー殿下がいらっしゃったわ」 「お隣のシルヴィア様は花嫁候補だというのに庶民の出だとか。ハドリー殿下もお気の毒だな」 会場――彩る華やかな装いの大広間で令嬢や貴族達の囁きがざわめき、陰口が飛び交う。 そんな中、シルヴィアの視線がリリアとその継母ブライアの姿を捉える。 ふたりは自分には目もくれず、ハドリーの端麗な容姿に釘付けのよう。 シルヴィアが胸に小さな棘を感じた瞬間、重厚な扉が軋む音をたてて開き、皇帝アシュリーが長いマントを靡かせ、大広間に入ってきた。 (このお方がアシュリー皇帝……リンテアル皇国の最高権力者。清めの力を超える神力と、未来を映す光をも見通せることができるとリゼル様から事前に聞いていたけれど……まるで神そのもののような輝き……) 皇帝は大広間を見渡し、威厳ある声で告げる。 「皆の者、よくぞ、我が宴にまいった。今宵は共に楽しもうぞ」 皇帝の言葉を合図に、宴が始まった。 そこへ、騎士長フェリクスがハドリーに近づいてくる。 「ハドリー殿下がまさか皇帝の宴に出席するとは」 ハドリーは冷ややかに返す。 「フェリクス、剣の稽古を更に厳しくしてほしいようだな」 シルヴィアが2人のやり取りを静かに見守っていると、皇帝がこちらへ歩み寄ってきた。 フェリクスがきりっと姿勢を正し、「陛下」と呼びかける。 「ハドリー、フェリクス、楽しんでいるようで何よりだ」 皇帝は穏やかに笑い、視線をシルヴィアに一瞬移し、再びハドリーに視線を向けた。 「して、ハドリー、そちらが花嫁候補か?」 「はい」 ハドリーが短く答える。 「アシュリー陛下、お初にお目に掛かります。シルヴィア・ロレンスにございます」 シルヴィアは緊張を押し隠し、深々と頭を下げた。 「顔を上げよ」 皇帝の声は柔らかく、シルヴィアは視線を上げてその温かな眼差しと対峙する。 「シルヴィア、ようやくこのように対面でき、嬉しく思うぞ」 (なんて優しく暖かな声……) シルヴィアは胸が高鳴る。
* * * 「――あの、今、なんとおっしゃられましたか?」 深夜、書斎に静寂が漂う中、シルヴィアは思わず問い返した。 「4日後に開かれる皇帝の宴に、共に出席してもらう」 シルヴィアの心が波立つ。 皇帝の宴に自分も? シルヴィアは信じられない気持ちで、ためらいがちに尋ねた。 「わたしがそのような場に出席しても、宜しいのでしょうか……?」 「皇帝直々の命令であるから問題はない。今回の宴は晩餐会となり、特別にリリアも出席する」 シルヴィアは言葉を失い、身体が凍りついたように動かなくなる。 ――――ああ、ついに終わりの時が来てしまった。 ハドリーのそばに、ほんの少しでも長くいるために、帝都から戻って以来、一層雑務に励んできたのに。 これまでのハドリーとのすべてを無に帰すかのような予感がシルヴィアを包み込んだ。 「そんな暗い顔はよせ。皇帝の宴には必ず出席しろ、良いな?」 「かしこまりました……」 シルヴィアは胸に渦巻く思いを抑え、静かに答えた。 * * * 4日後の当日、シルヴィアは玄関先でハドリーと対面する。 (皇帝の宴に出席するのだから正装なのは分かっていたけれど、殿下が帝都の時よりも更にかっこいい……) 「なんだ? 私の格好がおかしいか?」 ハドリーの声に、シルヴィアはハッと我に返る。 (何を直視しているの……) 「い、いえ、とても良く似合ってらっしゃいます」 シルヴィアは、つい口を滑らせ、内心で焦る。 するとハドリーはふいっと顔を背けた。 (ああ、出しゃばったことを言ってしまった……) 「お前も、まあ、悪くないな」 ハドリーの言葉を聞き、シルヴィアの頬に熱が灯る。 (分かっている。新しく仕立ててもらった正装のドレス姿のわたしをただ見るに耐えるという意味だと。自惚れてはだめ、なのに……) 「行くぞ」 「はい」 その後、シルヴィアはハドリーと同じ馬車に乗り込み、やがて馬車が動き出すと、向かい側に座るハドリーが小さく息を吐いた。 いつもならハドリーは自ら
* * *「これは事実か?」2日後、ハドリーは書斎の席でリゼルから手渡された数枚の書類に目を通しながら、静かに問う。「はい。教会の記録庫に保管されていた書類であり、内容に誤りはないかと。加えて、雇った者からの情報によれば、シルヴィア様は家族から虐げられ、牢のような暗い部屋で暮らしていたようです」リゼルが淡々と説明し、報告すると、ベルは顎に手を当て、思案するように頷く。「なるほど。シルヴィア様が洗濯や掃除に最初から手慣れておられたのは、そういった事情からでしたか」ハドリーは眉をひそめ、ベルに視線を向ける。「ベル、なぜお前がここにいる?」「リゼル様を脅し頼みました。シルヴィア様の専属教官メイドとして、当然知る権利はあるかと」ハドリーは、はぁ、とため息をつく。「まあ、いい。リゼル、他に情報は?」「はい。一点、気になることが。シルヴィア様は時折、近くの森を訪れていたそうです」「森、ですか?」ベルが首を傾げる。「シルヴィア様は以前、本で薬草の知識を得たとおっしゃっていましたが、森で実際に薬草を摘んでいたなら納得です。だとすると、やはり、シルヴィア様が薬を…?」ハドリーは書類に目を落とし、静かに言う。「リゼル、ベル、書類を詳しく確認したい。少し一人で考える時間をくれないか?」「かしこまりました」ふたりは一礼し、書斎から出ていく。そして書斎に静寂が戻る中、ハドリーは教会の記録庫の書類に記された内容を読み進める。そこにはシルヴィアの悲惨な過去が綴られていた。10年前、母ルーシャを病で亡くし、父ラファルが再婚。継母ブライアと継妹リリアにより虐げられ、父親には無関心な態度をされ、目を逸らされる日々。まさか、家事全般を押し付けられ、牢のような部屋で生活を送っていたとは。聖姫の力を持つリリアがいなければ、ロレンス家は皇国の援助金で裕福になることもなかっただろう。とはいえ、この仕打ちはいかがなものか。あまりに非道な行為だ。しかし、書類が事実ならば、シルヴィアが「無能」であること
* * *やがて、シルヴィアとハドリーを乗せた馬車が動き出す。リゼルとベルに守られながら、ハドリーが無事に戻られるよう心の中で祈っていたが、一体何があったのだろう。(リゼル様とベルは馬車から降りた時、殿下と何かを話していたようだけれど……)「あの、で、殿下……」「そんな顔をするな。何者かに付けられていたようだが、私が対処した。心配するようなことは何もない」「わ、分かりました……」魔形ではなかったらしい。それでも、民が不安がっていたように、厄災が刻々と近づいてきている。今回はハドリーに斬られずに済んだけれど、いつその刃が自分に向けられるか分からない。だからこそ、せめて斬られるその時まで、少しでも役立つ事をしよう。ハドリーのそばに、ほんの少しでも長くいるために――――。* * *「陛下、只今帰還いたしました」ハドリーが皇帝の間の扉前で恭しく告げる。「入ってまいれ」皇帝の重厚な声が内側から響き、衛兵が厳粛に扉を開いた。ハドリーは皇帝の間へと進み、長い深紅の絨毯の上を歩いて行き、玉座へと歩み寄る。そして、皇帝の前に跪き、頭を下げた。「ハドリー、頭を上げよ」ハドリーが皇帝を見上げると、皇帝はハドリーを見据える。「帝都の偵察、ご苦労であった。結果を申せ」「はっ、ご報告申し上げます。厄災の刻が近づいている影響からか、魔形から身を守る指輪が高値で取引されているようです。また、帝都の外れでは夜な夜な光る霧が目撃され、民の間に不安が広がっているようにございます」皇帝は静かに頷き、わずかに目を細めた。「そうか、よく分かった」答えた直後、皇帝の柔らかな面持ちが消え、厳然とした表情に変わる。「して、シルヴィアはどうであったか?」「花に触れた瞬間、微かに発光致しましたが、鋭い音とともに彼女に痛みが走り、拒絶するような反応を示しました」「ほう。それは何か特別な力を秘めている証かもしれんな。こちらで詳しく調べさせよ